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彼方ニ対スル不感症
第二話
 ***

 ―― ……珍しいな。

 気が付いたら私はまた、いつもの神殿に居た。
 私は、のんびりと緑の美しい中庭を散歩している。周りが全て白いもので覆いつくされているせいもあってか、そこにある緑が眩しく感じた。

 中央には柔らかい水を、延々と循環させている噴水があり、私はその水盆に自分の姿を映す。
 この世界では、私は現実より十歳前後若いような気がする。長い髪は、不思議な色をしていてエメラルドに輝く水面のようだと、皆が褒め称えた。
 抜けるように白い肌、整ってバランスの良い目鼻立ち。柔和な雰囲気を持っている。
 もうすでにそれは私ではない別の誰かだ。

「―― ……神子姫様」

 水盆の水を弾いて自分の姿を乱し溜息。丁度そこへ掛かった声に顔を上げた。

「皆が探していましたよ?」
「本日の参拝時間は終わっているでしょう?」

 そうなのか? 自らの口から発せられる言葉も良く分からない。
 私は立ち上がってにこやかに歩み寄ってくる男に、にっこりと微笑んだ。癒しの神子、聖女なのだから常に穏やかで淑やかに微笑んでいれば良いだろう。
 私は常にその体を崩さない。
 そう思っているのに彼にはいつも調子が狂う。今日も、だ。

「貴方、また怪我をしたんですか? 優秀なんて実は嘘なんじゃ」
「ああ、まあ、そうですね」

 左腕の上腕が血で汚れていた。
 そのまま来るなんて、この男くらいだ。彼は北の方の国の騎士。王陛下の側近で騎士のくせに盾になりたがる。だから向うことよりも受けることが多くて生傷が耐えない。
 神殿に使えている人たちからは、とても優秀な人であると聞いたのだけど、そんな風ではない。

 腕の届く位置まで歩み寄って、そっと傷口に手を伸ばす。切れて開いた袖の中を見れば肉が断たれている。それでも骨が見えていないからまだ浅い。

「痛くないの?」

 恐る恐る、ちょこんっと触れると顔を顰めた。
 そりゃ痛いに決まっている。

「痛いに決まってます」

 本人もそういっている。
 くすりと笑みが零れてしまう。騎士なのだから、そこは強がるべきだと私は思うんだけど。痛がる彼を無視して、私は傷口に触れ瞼を閉じ、治ったときのイメージを頭に描いてぎゅうっと押さえる。

「っ! も、っと優しく」

 無視した。
 もっと強く押してやる。
 手のひらがじわりと暖かくなり、頭の中で光が弾けて溶けてなくなる。もう、傷は跡形もないはずだ。

 ゆっくりと目を開くと、血の痕だけが残っていた。痕にならなくて良かった。あまりに酷い傷のときは一度では治らない。

「他にも傷がないか確認して貰いたいんですけど?」

 懐いた犬のような顔でそう問い掛けてくる彼に私は断る術もなく私室へと向う。

 彼は彫刻のように均整の取れた身体つきをしていて、とてもしなやかで美しい。
 男の人に美しいというのもどうかなぁと思うけど……。

 そして彼は、騎士なんて身分のせいかとても優しく尽くすタイプだ。
 誰かのために何か、というのが染み付いているのだと思う。そういうところはリアルな私に少し似ている。でも、決定的に違うのは、彼は国民から、王陛下から信頼され必要とされているところだ。
 居ても居なくても同じなのではないかと感じることしか出来ない私とは全く違う。

「―― ……夕べ、誰か来てました?」
「来てましたよ」

 寝台の中でもあっさり答える。
 私はどうせ人形なのだから、誰かの持ち物ではない。強いていうならこの神殿の持ち物だ。隠すこともないだろう。
 どうせ、誰もそんなこと気に止めない。

「痛くされませんでしたか?」
「分からないです……あまり覚えていないから……」

 枕を背にして、座った私の服を丁寧に降ろしていく。
 身体つきの割りに動きはとても繊細だから、心地良い。柔らかく身体を撫でてくれる手つきに、ゆっくりと双眸を落とした。

「傷、付いていますよ、ここ……」
「っ!」

 ぺろりと、足の付け根を舐められて私は悲鳴を殺した。ちゅっと軽く吸い付かれ、ひりひりした感覚が少しだけ和らぐ。
 私の恥ずかしく開かれた足の間から、顔を覗かせ見上げてくる彼の瞳は綺麗だ。

「神子姫様はご自身の傷は癒せないのだから、きちんと文句をつけないと駄目ですよ」

 ぎしりとベッドを軋ませ私の目の前まで戻ってきて、そう告げると、つっと頬を撫でその指先で唇をなぞる。ふ……っと吐息が零れ、思わず頬が赤くなる。
 無感情でいようと思っているのに、どうにもペースを崩される。

「俺が優しくしてあげますから……」

 言葉尻で吐息が重なり、唇は塞がれた。
 甘く唇を吸い、微かに開いた唇から舌が割りいってきて、歯列を丁寧に撫でる。そしてその奥へと入ってくる舌先を、自ら絡め取りそうになって慌てて引っ込めた。

 私は動かない感情を持たない人形でなくちゃ……他がきっと辛くなる。

 きゅっと瞳を閉じて、やわやわとした、丁寧な愛撫に身を任せた。
 彼はこの一時だけでも”私”を抱いていると感じさせてくれる。私自身は他と同じように特に何もしないけど、思わず私も何かしてあげたくなってしまう。稀有な存在だ。

 そして、ことが終わっても朝までだらだらと私の傍に居てくれる数少ない人物でもある。

「―― ……名前、聞いても良いですか?」
「神子姫で結構です」

 夢なのだから、私が私である必要はない。
 名前なんて必要ない。だから私は誰にも名乗らない。

 しつこく聞いてくるのはこの男くらいだ。どうして、そんなものに拘るのだろう。この人だって国に帰れば恋人の一人や二人居るだろうし、もしかしたら、妻帯者とかかもしれない。

 私が神子姫で、神に近い存在だなんて馬鹿げたことを思ってくれているうちは、私はその痛みから解放される。私は誰も裏切っていない。夢なのだから……。

 枕してくれている腕の先が優しく私の髪を撫でる。こんなことしてくれるのは、夢の中では時折あるけど、毎回そうなのはこの騎士だけだ。

 リアルでは絶対にない。
 誰も、私に触れない。
 指先が触れることも、頬を寄せることも、唇を寄せることもない。
 私なんて霞のようなものだ。

 恋愛なんてものをしていたころは、甲斐甲斐しく触れてくれたし甘い言葉も掛けてくれた。夫婦になり、家族になったころから、私は……家に人数が増えていくと共に独りになった。

「―― ……え?」
「っ! あ、す、すみません」

 そんなことを考えていたものだから、思わず彼の胸に頬を寄せてしまった。私からなんて何もしちゃいけないのに……自分自身の驚きと羞恥心から私の顔は真っ赤になってしまった。
 お日様が傾いてしまっていて良かった。きっとハッキリ見たり出来ないはずだ。

 慌てて顔を逸らし、背を向けた。
 もう、帰ってくれれば良いのに。

 そう思うけど、彼はそんなことはしなくてその大きな身体で私のことを包み込んでしまう。私に名を与えようとする。無感情に意味を持たせようとする。

 正直、私はこの人が怖い。


 ***


 目が覚めると変わらない一日が始まる。
 私はいつもと同じように動き、いつもと同じように過ごす。今日の変わったことといえばお隣りの愛犬が赤ちゃんを産んだことくらいだ。
 見せてもらったけどすっごくちっちゃくて頼りなさげで可愛かった。
 そんなちっちゃなこれからの命にすら、羨ましいと思ってしまう私は本当に早く終わってしまえば良いと思う。

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