表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

この世に幸あれ!

作者: くをん

 この小説を目に留めて頂いた方、初めまして。くをんです。

 この小説の内容に関してはもちろん読んでもらうまでは秘密ですが、ぜひとも閲覧して下さる皆さんに少しだけでもこの小説にのめり込んでいける様に色々と独り言を呟かせて貰います。私情です。すいません。てゆーか、あんまり内容には関係ない話が飛び交ったりしますので、面倒臭いなコイツと思ったら、この前書きは見なかった事にしてサッサと本編に移った方が得策です。

 さて、この小説、『この世に幸あれ!』はキーワードにもある様に主にネット小説大賞に向けて色々と試行錯誤した挙句、やっとこさ創作&修正されました。内容もキーワードにある様に学園もの、恋愛、青春、ほのぼの等々とんでもなくベタな代物――と思われるかもしれません。

 しかしその中身は開けてビックリ玉手箱――とまではいきませんが、作者なりに色々と工夫を凝らしています。そのキャラクター達の背景に何が見えるかを予測して読んでもらえれば、「え?」と、思われるシーンもあるかもしれません。しかしこれは作者の妄想のなせる業なので一概には保障しかねます。どう言った展開が待ち受けているのかは読者のあなた次第――と言えば大袈裟ですが、読者の方達の視点から見て「面白い!」と少しだけでも感じて頂ければなとこれまた妄想は膨らんでいくばかりです。

 『この世に幸あれ!』を呼んで、その後感慨に耽る様な事が少しでもあれば作者としてはこれ以上ない幸せです。

 それでは長文失礼します。本編をお楽しみください。

 そして最後に――あなたに幸あれ!

「何で? そんな事急に言われても困るって! あんたちゃんと責任取ってよね!」

 あの日、アイツはそんな事をほざき出したのでさすがの俺も黙っちゃいられなかった。

「知らねーよ。んなもん。そもそも俺がお前を嫌いになった所で何が変わるんだ? 責任なんて最初からなかったも同然じゃねーか」

 あの時の記憶だけは今もなんとなく――いや、この際ハッキリと言っておこう。鮮明に――覚えている。場所はいつもの交差点。そのまま左に曲がれば吉野家の牛丼。右に曲がれば地元のマーケット。直線にはあの時の俺等2人が揃って通っていた中学の校舎。そしてその道すがらにはポツネンと取り残された様に簡素な公園があった。小汚い所々凹んだ滑り台やら、犬のウンコでも混ざっていそうな砂場。最早、老朽化して誰が管理しているのかも分からないヘンテコな形の倉庫にはいつも通り鍵が掛かっている。たぶん中にはこの公園の清掃道具でもあったりするのだろう。しかし鍵を掛けた所で誰がんなもん目当てで盗んだりするんだ? その時の俺でも今でも理解出来ない。不思議と言えば不思議だ。

 いや、単に錆び付いて鍵すら掛かっていないのに力を入れなければこじ開けられないだけだったのかもしれないが。それはさておき。俺は中学3年目にして初めて修羅場と言うものを経験していた。ある意味贅沢かもしれない。そこには俺の元カノがいて、ギャルだかヤンキーだか訳の分からないナリをしていた。真夜中とは言わないまでもすっかり夕刻が過ぎた時分。当然と言えば当然か。双方とも私服だった。

 俺はデニムの古臭いジーンズの尻ポケットをガリガリと引っ掻き回し、さっきと同じ台詞を吐く。とにかくその場にはいたくなかった。なんとなくだけど、彼女の顔を見るのが怖かった。初めて女を怖いと思ったのはその時からだったか? 正直よく分からない。

「だから俺はお前を嫌いになった。――いや、正直最初から別に好きじゃなかったんだ」

 俺は下を相変わらず向いていたが、彼女は違っていた。顔は見てはいないけど、伏し目がちにそのすっかり暗くなった闇夜にチカチカ点滅している外灯だけを頼りにその影が動いているのが分かった。もちろん彼女のだ。しゃくり上げる様にヒックヒック言いながら、その両肩が飛んだり跳ねたりしている。

相変わらず俺は下を見つめてその影を、つまりは彼女のそのおぼろげな姿すら見つめられずに影だけを頼りに様子を探っていた。つまり俺にはその修羅場にさえ耐えうる根性すら持ち合わせていなかったと言う事だ。強かったのは彼女だけ。

 言いたい事だけほざいて逃げていたのは俺だけ。大根役者の策士もその臭すぎる演技も、彼女の根性――と、言うか本当の気持ちとやら――には敵うはずもない。

「じゃあな」

 俺は言う。下を向いたままで何の気も無しにさっきまでそこにいる彼女だった女と2人乗りしていた少し大きめの赤いママチャリに1人で跨る。嫌に軽いはずなのに、ギシギシと軋んだ音をたててそいつは俺の脚に絡みつく様にしてペダルはグルグルと容赦なく回転する。それをシッカリとスニーカーのシューズの爪先で受け止めて、もう一度俺は言った。

「じゃあな」


「どうやらお疲れの様ですな。越坂部純一」

 ハッと気付いた時にはもう手遅れ。俺とした事が迂闊だった。まさか担任の別府(それも俺の苦手な国語教師)の授業で眠りに耽る事があろうとは――正直自分でも信じられなかった。クラスメイト達のいる教室中にはクスクス笑い声に似た嘲笑が木霊する。

 おまけに口元には少しだけよだれが密着している。全くもって今日は厄日だ。

「――え、いや、あの、これは、その」

「言い訳は良いから。とにかくこの文脈の比喩的表現を文章中から探し出して、該当するものを20字以上35字以内で答えなさい。3分時間をやる」

 にたりと笑った別府の四角いメガネがキラリと光る。全くもってナイスなタイミングだ。俺はよだれを学ランの袖で拭うと必死こいてその『文脈の比喩的表現』とやらを探しにかかる。今回ばかりはやられた。誰かが先にこの本を読破していて『ウォーリーを探せ』みたいに丸印でその『文脈の比喩的表現』とやらに答えを用意してくれれば良いものをなんてご都合主義的な考えに陥落しつつも没頭していた最中、不意に俺は自分がその国語の教科書を逆さに持っていた事にようやく思い至った。

「――ん? 何だね。君? それは…」

 しかし、担任の国語教諭別府が見つけたのは果たしてそれではなかったのだが――不覚にもさすがにどっと堪えていた笑い声が教室内に響く。もちろんクラスメイトの連中はそれに気付いていない。その視線の先には俺のノートがあった訳で――果たしてその先には何があったのかと言うと、なんて事ない。単なるお遊び。そう落書きだった。俺お手製の。

 担任の別府はそれに気付いてか気付いていないのか、それとも気付かないふりをしてくれたのか、その時の俺にはハッキリ言って合点が全くもっていかなかったがそれと同時に昼休みを告げるチャイムが鳴ったので、俺は九死に一生を得た。全くもってナイスなタイミングだ。

「フー。ラッキ…じゃなかった。先生、お仕事お疲れ様でした。もうランチタイムの時間ですよ。勤務時間外行動はお好きですか? それとも愛妻弁当はお好きですか?」

 教室内はもう爆笑の渦。しかし別府はさすがはこの道20年のベテラン。毎日愛妻弁当を小脇に抱えて片道40分の道のりをチャリで通っているだけの事はある。もちろん言うまでもなくこの俺が登校する高校の事だ。ニタリとあくの強いその笑顔は先程とは打って変わって赤く腫れぼったいハンコみたいだったが、相変わらず四角いメガネは健在でキラリと光る。だから何だよ。このタイミング。

 しかしそれはまだ彼に余裕があると言う事の象徴で――

「今すぐ職員室に私と一緒に来なさい。私にはその愛妻弁当を食べる時間と資格があるのでね」

 果たして俺の嫌な予感は当たったのであった。


 職員室にて別府の罵倒と叱責を散々――それこそ耳が痛くなるほど聞かされた挙句、結局昼休みの時間も残り20分を切っていた。今さらながら食堂へと向かう気は起こらず、購買で残ったパンを何気無く品定めしてあさり、俺の足は自然と屋上へと向かっていた。なんか青春漫画の1シーンみたいだが、この際、独りで食えりゃ何でも良かったのでそこら辺は俺の腹の減り具合に則って完全にスルーした。全く。現代高校生も楽じゃない。

 古めかしいいかにもな屋上へと続くドアのノブをギシリと回すと、隙間風がびゅうっと音を立てて入り込んできたので一瞬俺は後ろへと仰け反った。意外にドアが重いのと外の風が強いのか、結構な力を入れ全体重を預けながらもう一度その扉にチャレンジする。因みに俺の背丈は181センチ、体重は69キロはあるはずだが、そのクラシックな薄汚れたモノリスみたいなドアはビクともせず、1秒ごとに必死こいて気合い一閃。最終的にこちらが踏ん張り勝ちした。俺のど根性もなかなか捨てたもんじゃない。この場合、相撲だとどんな判定が下るんだろ? しかしその種の知識に乏しい俺にそれが分かるはずもない。

 因みにスポーツも勉強も興味がないこんな俺だが、実は文武両道とまではいかないまでも成績はそこそこ、運動神経も悪くないので運動部&文化部からは結構仮入部的要請があったりする。アルバイトがてら何度か請け負った事もあったにはあったが、やたら面倒臭いのと割に合わないのとで最近は休業中――否、完全にお断りだ。そして俺が何気なくドアを少し息を切らしながらまるでボディーブローでも喰らわせたんじゃないか的勢いで押し開けると、そこには春の到来を告げる少し強めの風とやはりと言えば良いのか? 先客がいた。先程の青春漫画の続きだ。しかしそいつは俺の見知った顔で――

「よう。どーした? 若いの。女にフラれて泣きにでも来たってか? そいつは悪かったな。今は取り込み中だ」

「取り込み中? 1人で? あんたこそフラれたんじゃないのか? 連動誠先輩」

 こんな春先に物騒な話を持ち掛けられるのもお互い様。屋上の柵越しにいるその男――連動誠は俺より1つ年上の言うまでもなく先輩だった。

 だが、俺は彼にだけは敬語を使わない。それ程、親密な仲と言えばそうじゃないから不思議と言えば不思議だ。単に彼はこの学校のサッカー部の主将(キャプテン)と言うだけの話だ。

「じゃあ、なおさらどうした? まさか俺を探しに来た訳じゃないよな? ついにあの話に頷く為にか?」

 スラリとした細長い体躯を不気味な程、仰け反らしてその人は言う。だけど身長は俺より低い。目には伊達メガネ。顔はどちらかと言うと美に属するが、異性にモテるかと言えばどちらかと言うとモテない方だった。問題はその性格にある。

「まさかまさかの大ハズレ。残念でした。俺がサッカー部に入る事は永久にないと思え」

 そう。しつこい男は嫌われるのだ。例え異性じゃないこんな俺にも。異性ならなおさらだ。俺はさり気なく購買で買ってきたパン(なんかスティック状の気味の悪いお菓子みたいなモノ。さすがは残り物だ)をチラつかせる。他にも数個、売れ残りの物があったが最初に手にしたものがそれだった。

「ほう。珍しいな。差し入れか」

「ちげーよ! 何で、こんな所に1人でいるあんたみたいな輩に! 明らかおかしいだろ! それとも何か? 俺があんたを尾けてきたとでも言いたいのか?」

「まあ。遠からずとも近からずとも――」

「言えねーって!」

「でも、お前だって1人だろ? そこは――」

「――」さすがの俺も絶句した。

「違くないか」何かを覚った風にそいつは言い切った。

 ――仕方ない。俺は持っていたそのパン(なんかスティック状の気味の悪いお菓子みたいなモノ。もう1度言う。さすがは残り物だ)を筆頭に、ビニール袋に入ったいくつもの他のパンを掲げて彼――連動誠の前にさり気なく差し出す。

 モチのロンで俺は袋の中に入った奇跡とも言えるイチゴジャムのパンを取り出し、奴の前にはもう言うまでもなく先程のパン(なんかスティック状の気味の悪いお菓子みたいなモノ。何度でも言うが、さすがは残り物だ)をチラつかせた。

 パンチラではないがパンチラだ。だけどエロいかと言えばそんな事で発奮するほどバカじゃなかった。少なくとも俺は。目の前にいる輩にゃ知ったこっちゃないが。

「こいつは悪いな。ちょうど甘いものが食べたかった所だ。なるほど砂糖菓子みたいでなかなか美味そうだ」

 さすがに俺も別府の八つ当たり攻撃に疲れがあったのか、彼――連動誠先輩の発奮。美的センスにはウンザリ&ゲンナリしつつツッコみすら忘却して屋上にある貯水タンクの壁に背をもたせ掛けて座った。しかし色々と疑問があったのも事実でなんとなくなんとはなしに彼に聞いてみた。

「あれ? 先輩。飯まだだったんですか? それともホントに女にフラれて傷心気分って感じ?」

 少しおどけた調子で言ってみたが彼はグレーに光る伊達メガネを器用にひと撫でして軽く苦笑した。完全にスルーだ。だけど彼は俺に淡々と応じてくれた。根は優しいのかもしれない。

「――ん。まあ、近からず遠からず。あえて言うなら、女関係って所はあっている。だけど――そうだな、傷心気分って言うのとは少し違うかな? 過去に置き忘れた土産話になっちゃうが…聞きたいか?」

 彼はホントに高校生かと疑うくらい大人びた印象を時に他人に与える。実際、俺も似たような気分に惑わされる。自分がまだまだ子供なんじゃないかと錯覚させられるのだ。だからあえて俺は彼の前に居住まいを正し、素直に耳を傾けてやった。子供みたいに好奇心で目をランランと輝かせて。因みにこの現象は俺の場合、12歳までが限界だった。久しぶりだ。時の経つのは早いものだ。そして首を縦に振りゆっくりと頷いた。

「そんな事もあろうかと思って用意してきたぜ。全くもってしょうがねー野郎だ。『日本昔話』――じゃなくて『俺の昔話』――だ」

「オイオイオイオイ。チョー待て。先輩。んなもんどっから取り出してきた? 明らかさっきまでは手ぶらだっただろ? 何が全くもってしょうがないんだ? 意味分からん」

「細かい事はこの際気にするな」彼自身、この現象を理解しているのか甚だ疑問な俺。

「じゃあ、この際だから言わせてもらうが細かい事は気にしない。だけどその超常現象の無限のパラドックスについては絶対に無視出来ない何かがある」

 そんなこんなで屋上でやりとりしてる怪しい野郎2人組(しかも先輩と後輩と言う微妙な距離感。チョッとよく分からないがさすがにゲイ疑惑が挙がる前にストップ&モーションしなければ、噂は広がっていく。人とは怖いものだ)は、結局の所、最終的に俺が折れる形で話はまとまった。まとまってしまった。否、強制的に排除されたと言えば良いのか?

 ――それとも何か? 見えない能力(ちから)で俺は彼にマインドコントロールされたのか? とにかくよく分からなかった。事実は小説よりも奇なり。人生色々だ。

 え――何が起きたって? そう。その通り。彼――連動誠先輩はファイナルアンサーでいつの間にやら紙芝居らしき物を手に掲げていたのだ。

 しかもそれは厚紙の画用紙をバインダーみたいに束ねている代物で――つまり少し大きめのノートブックだと思えば良い――兎にも角にも彼の『日本昔話』――じゃなくて『俺の昔話』は勝手気儘に始まってしまった。今日が厄日なのはこれでハッキリした。

「それはそれはある日の事。それもそれも至極最近の事――」

 彼はその分厚いノートブックの表紙を軽くめくった。なんか若手ピン芸人みたい。しかし俺はツッコむ事は愚か、ただ観客の一人としてその光景をしみじみと眺めていた。何せ彼は若手ピン芸人なのだから。まさか、NHKの夜中にやってた某テレビ番組みたいにピンポン球を転がしてキロバイトなんて言う少し(ミステリー)な単位を懸けてオンエアバトルを繰り広げる――なんてオチが待ってるはずもない。それこそ笑えない。

 そして彼が開示した表紙にはタイトルが汚い字で書かれてあった。油性インクのぶっといマジックペンでいかにも胡散臭そうなそれで――。

 それを見た俺は気が消沈しそうになって一瞬、クラクラ立ちくらみがした。ではそのタイトルをこれから一緒に声に出してみよう。 それでは皆、準備は良いですか? せーの!

「え、えー。『十一の勝利の女神』?」

 残念ながら効果はいま一つの様だ。せめて大声でも張り上げれば屋上なだけにやまびこだけでも発生したかもしれないが、残念ながら俺1人だけの力ではどうする事も出来なかった。この際だから不可能を可能にする力が欲しい。それにそのタイトルのセンスにも疑問を浮かべざるを得なかったが。

「え、えー。『十一の勝利の女神』?」

「2度言わんでもいい。2度も」

 自信なさ気に彼は言う。閉口している。つまるところ恥ずかしいのだと分かった。理解した。ほんのり薄らとその顔色は蒸気する。伊達メガネ越しにもバッチリとそれは俺の視界のファインダーに収まった。 ケータイの写メで撮っても良かったが、正直一眼レフの超高級のカメラにキッチリと撮影しておきたい。兎にも角にも何もかも。この時間を永遠に本物のファインダーに収めておきたい。因みにメーカーはキャノンやらニコンやらなるべく王道のモノをセレクトしたい。ミスがあってはならない。

「んで――? その内容は?」

 俺は全くもって興味なさ気にリスペクトしていた。頭の中では既に今日の晩飯の事について色々と議論していて整理がつかない。大変だった。

「いや、実はさ。昨日、とんでもないカワイ子ちゃんに出会ってさ」

「今の紙芝居は!? 結局ネタ切れかよ。続きはないの? この恥さらし!」

 ツッコむ所はツッコんでおいてやる。それが俺のモットーだから。

「そいつが『十一の勝利の女神』?」

 そして俺はなんとなくだけど聞き返していた。身体を張って全神経を注いで例のタイトル――『十一の勝利の女神』をお見事開示してみせた彼の気迫と根性に敬意を表して。

「まあまあまあ。落ち着いて」

「いや、落ち着いてるけど?」

「まあまあまあ。落ち着いて」

「いや、だから落ち着いてるっての! そっちこそ頭大丈夫か? 落ち着いてるのか? いや、俺はもちろん落ち着いてるけど?」

 色々とすったもんだした挙句――結局またもや俺が最終的に折れる形で話はまとまった。まとまってしまった。俺はクレーム処理班か? 何だコレ? それとも何か? 俺の人生こんなもんか?

「まー兎にも角にも。せーの! ホップステップジャンプ!」

「そうだな。ホップステップジャンプ! しねーよ。良いから先を話せ。こんな春風薫る校舎の屋上で野郎2人がそんな事したらPTAから苦情がきて訴訟を起こされる危険性が高い。兎にも角にも先を話せ」

 チッと彼は小さく舌打ちをする。それを聞いて俺も小さく舌打ちを鳴らした。さすがにホップステップジャンプ! は、実現しなかったが。

「その『十一の勝利の女神』とやらはな――」

 彼は大きく息を吸い込んだ。別に口から燃え盛る火炎を吐き出す訳もないが。

 そして話は何気なく始まった。実に淡々とした調子で。

「どうやらその名の通り。『十一の勝利の女神』らしいんだ。つまりは女神様だ。それもかなりの童顔で正直言って2次元の生物かとほんの一瞬の隙を衝いてゲロ吐く位に端整な顔立ちだった。俺が出会ったのはちょうどここ。屋上」

 最初、俺はそれは何らかの類の彼なりの精一杯の努力の賜物のギャグかと思った。しかし笑えない。何せ、彼の目はそのグレーの伊達メガネ越しにどこか光って見えたからだ。

 彼の伊達メガネのレンズがこんな小春日和の暖風吹き荒ぶ校舎の外部。それも屋上で、太陽に照らされてキラリと光る。だから何だよ。このタイミングは。『本気』と書いてマジで。その謎効果で彼の真剣な眼差しが俺の眼差しに映らなくなった。まあ、その効果が良いのか悪いのかは別として、心配性な俺はとりあえず何もなかった風を装って適当に相槌を打った。人生色々。現代高校生も楽じゃない。無論、彼の話の意図はまるで分からなかったが。

「そうか。だから、1人っきりで屋上に来たって訳か」

 だから調子ぶっこいて、己のシックスセンスを頼りに頻りに話を合わせようとする俺。この際、KYじゃないからOKだ。

「そう言う事。さっすが俺の後輩。実に察しが良い。次期サッカー部の主将(キャプテン)は君で決まり!」

「だな! だが、俺はサッカー部にいない。れっきとした帰宅部だ。つまりはお断り」

 なんか適当に話をふってみたら、どうやら当たりだったらしい。商店街のくじ引きでポケットティッシュしか当たらない俺の運勢もこんな所で大活躍していた。全くもってもったいない。ポケットティッシュが当たらなくなったらどうしてくれんだ。連動誠先輩。

「――んで? その『十一の勝利の女神』である可愛い子ネコちゃんに恋でもしたってか? 連動誠先輩」

 チョッと古臭い物言いになってしまったが調子に乗っておどけてみせる俺。軽く彼に肩で小突く。しかしやはり彼の表情はどこか虚ろだった。空虚と言う程のものではない。だけど切ない気分に浸っているのか? 己の心。ここにあらずって感じだ。だから俺は今度こそ勘違いをしてしまった。たぶんやるせないほどその娘に恋をしているのだろうと。

「あれ――? お前知らないの? 例の噂話の事」

 しかしそこで俺のにやけた浅はかすぎる思考は一時的にストップした。例の噂話? 初耳だ。

「どういうこったい?」

 だから素直に応じてみた。謙虚な所も見せないと。敬語ではないが、そこだけは先輩後輩の間柄は境界線として白黒ハッキリさせておく。別に寂しい訳じゃないさ。ああ。そうとも。別に寂しい訳じゃない。 ただ、こんな年頃じゃ思春期と言う恋愛話の1つや2つあって当然なのだ。

「なんだ。お前ホントに友達いないのな。かわいそうな奴。ついでに彼女もいないんだからな。現代高校生の花形を飾るこの俺としては黙っておけない事もあるもんだ。よーし。分かった。救ったるでー。俺がお前を。青春の最底辺を匍匐前進で這いつくばってるお前を。うじ虫で泣き虫なお前を。サバイバルゲームで初っ端撃ち殺される役柄しか演じられないお前を。そして俺のものは俺のもの――」

「お前のものは俺のもの」

「いやーん。盗まないでー。怪盗ルパン!」

 本気で俺はコイツを先輩として敬って良いのか? 殺意と共にその何たるかが過ぎる。頭の中を過ぎる。俺はジャイアンではないのに。乗せられてしまった自分を恥じる。そう。頭に過ぎったコレの正体は恥じだ。恥じの2文字だ。

「因みにモテ期は既に3度も経験済み。今は充電中だ。居酒屋で言うところの立て看板で準備中ってな具合にな。何か質問あるか? この下着ドロ」

 怪盗ルパンはどうやら峰不二子の下着を盗んでいたらしい。

「ハイハーイ。銭形警部。しっつもんでっす。例の噂話とは何ですかー? あなたの頭の中は空っぽですかー? もしかして脳内メーカーで全て『H』が淘汰されちゃってますかー?」

 可愛い園児達を前に制御不能なしたり笑顔で愛想を振りまくる若い女教員みたいに俺は悟りの境地を自ら開いた。

「それはな。いいか? 耳の穴をかっぽじってよく聞けよ。ここ最近始まったこの学校にまつわる都市伝説の類だ。

 そいつはまるで2次元の世界――例えるなら要するに『ときめきメモリアル』だとか『涼宮ハルヒの憂鬱』だとか兎にも角にもそう言ったオタ道一直線の世界――の住人の様に髪はサラサラ。目はキラキラ。いかにも萌えーな雰囲気を醸し出しているオーラ満載の今時の女子高生にはいない究極のエロティシズム。いいや、その言い方は違うか。究極のエロリズム――とでも言おうか? とにかくスゲー童顔で、因みにボインだ」

「――んで?」

「あれ? お前、意外とこういう話、興味ない? 井の中の蛙だな。お前ホントにダメだな。いや、男としてホントにもうアレだよアレ」

「いや、男としてホントにもう何だよ何?」

「いや、だからさ。俺が言いたいのはそんな童顔である意味ヤバイ位の驚異的なまでの胸囲? 詰まる所はボイン? とにかくスゲー童顔で、因みにボインだ」

「2回言ってる。ボイン。2回言ってる。1ターンで2回言ってる。そして合計3回だ」

「いや、そこん所は良いから。いや、良くねーよ。兎にも角にも色々とな。だからここからが重大で重要でアトミックボンバーで。だから具体的に説明するとだな。い――」

 俺は目を瞑り大きく息を吸い込んだ。別に口から凍える吹雪を吐き出す訳もないが。つまりは精神統一だ。1ターンを犠牲にして、次の1ターンに2回行動を起こせる究極の2度手間とも言える。これならキラーマシン2を仲間にしてバイキルトをかけ、『はやぶさの剣』を装備させてはやぶさ斬りを行った方がよほど効率が良い。モチのロンで作戦は――ガンガンいこうぜ――のみ。攻撃こそ最大の防御だ。頑張ってくれロビン。

 だが、今回ばかりはその必要はなさそうだ。てゆーか、1ターンを犠牲にした方がよほど手っ取り早い。何せ俺は彼の話を9割方聞いていなかったのだから。時には校舎の屋上で精神統一して心の清浄に励んで人生を見つめ直す機会を設けるのも良い。なんかレベルが上がった様な気がした。うん。いい感じだ。これからも頑張って生きていこう。

 まず、ツッコみ所が満載だったので俺なりに自己分析して整理整頓してみた。先程も言ったがこれでも俺は文武両道派だから。何か大切なモノを失くしてしまった彼に対する緊急応急措置とも言える。因みにこの分析に意味等ない。しかし昼休みは有限だ。急がねば。

 自己分析レポート。イェーイ! パフパフ!

 まずその1――2次元の世界からやって来た例の都市伝説、『十一の勝利の女神』が仮に実在するとしての話だが、オタ道一直線。それも髪はサラサラ。目はキラキラのいかにも萌えーな雰囲気を醸し出しているオーラ満載の今時の女子高生にはいない究極のエロティシズムじゃない究極のエロリズム。さらにスゲー童顔で、そしておまけにボイン。

 そいつが実在する実在しない以前に俺が興味を抱くのは別の話であり、人それぞれ。価値観の違いだ。井の中の蛙と呼ばれるのは全くもって心外だ。

 その2――俺はホントにダメなのか? いきなり人生の岐路に立たされた。

 その3――男としてホントにもう何だよ何?

 その4――彼の強調したい所はよく分かった。詰まる所はボイン? とにかくスゲー童顔で、そしてボインだ。

 その5――アトミックボンバーと言う意味不明瞭な単語について。辞書で調べてみた結果、該当する単語が見当たらなかった。

 ――以上。終了! 何だかお疲れ様でした。

「――んでもって正月。お歳暮のおせちの栗きんとんがやたら美味くってさ。調子乗って食い過ぎたら、いきなり腹の中がアトミックボンバーになって。後々知ったんだが実はそれもう既に1週間も消費期限切れてたってオチ。これぞハン栗ー精神! なんつって!」

 俺はもうなんか色んな意味でフバーハでも唱えたい気分に憔悴していたが。とりあえずここは――守る――コマンドを使ってやり過ごした。

「オイオイオイ。ちゃんと人の話聞いてんのかよ? 俺の目を見ろ。後輩よ」

 残念ながらその目は今、キラリと光る伊達メガネによって阻まれているので、良く見えない。マヌーサにでもかかったみたいに俺の両目はぼやけ、靄がかかる。

「――あ、ああ。悪い。実は今チョッと考え事しててな。『フェルマーの最終定理』について俺の頭の中はもうアトミックボンバー」

「んで? そこが? 何だって?」

「そ、そうか。そいつはグッジョブ。てゆーか、今2回発言しなかった? 別の台詞を」

「ああ。精神統一して――1ターン温存してたからだ」

「そ、そそそ――そいつはますますグッジョブだぜ。てゆーかホントに聞いてねーな。人の話。もう良い。『俺の昔話』はここいらで終了! 後は自分で『十一の勝利の女神』を探し出してその正体を暴き、軽い友達から始めて、最終的に恋人にまで発展。A〜Cまで成果を発揮したらラストのシメで駅前のホテルにまで通って――後はもう分かるよな?」

 一体全体何が分かると言うのか?

「ムフフ? な、関係になれと」

 とりあえず返事をする俺。なんか死にたいとは思わないが、生きてていいのか疑問に思い始めたこんな俺。

「そうだ! そしてその時が来たら事後報告を必ず俺にする事。これは残念ながら強制イベントです」

 彼は真剣だった。その証拠にまたもや例の伊達メガネがキラリと輝く。担任の国語教諭の別府といいメガネ君特有の何か特殊な効果でもあるってのか? この現象には。意味不明だ。

「そんじゃな。ニセイケメン。サッカー部に入りたくなったらいつでも声かけろよ」

 何げなく侮辱の言葉を吐き出した彼を俺は止めるつもりはなかったんだが、さっきの残り物のパン(なんかスティック状の気味の悪いお菓子みたいなモノ。この際だから正式名称を明かす。その名も豆乳クリームスティックパンと言うらしい)の借りも手伝って、踵を返して今にも駆け出そうとする彼の肩を乱暴に引っ掴んでその場に引き戻す。

「うわっと、何だよ? やっぱりサッ――」

「サッカー部の件の事じゃねえ。俺が聞きたいのはその『十一の勝利の女神』が何者なのか? ヒントくらいくれよ」

 俺の目はいつになく真剣そのもの。なぜかと言えば少しだけ妙に引っ掛かる事柄が脳裏を過ぎったからだ。つまり少しだけだけど、わずかに心当たりがあったのだ。しかしまさかそれがホントの本気で当たってるとはその時の俺には思いもよらなかったのは言うまでもないが。

「ヒント? ハハーン。やっぱお前は興味ない訳じゃないのな。このむっつりスケベ。んじゃー。あえて言うとしたらな、そいつは何でも自分の兄貴を探してるんだと」

「兄貴――? それって兄妹がいるって事か?」

 俺の目がいやに真剣なのを覚ったのか、目の前にいるニセイケメン(こっちが本物)は肩を竦めて軽く溜め息を吐く。伊達メガネの奥にある瞳はどこかしら笑っていた。そしてその後、またもやそれを遮る様に伊達メガネはキラリと光沢を放つ。そして彼は言う。

「『フェルマーの最終定理』についてはもう良いのか?」

「ああ。もう極めた」

 明らかに分かる嘘を吐いて俺は話の先を促した。そんな事よりも次だ次と顎でしゃくる。

「さあな。俺には分からんよ。何せ1度しか会った事がないからな。だからこそもう1度会ってみたいと思って、屋上に来た訳だ。それはさっき言った通りだろう?」

 今度こそ俺は溜め息を吐かずにはいられなかった。何せ事の核心にまだ迫っていない事に彼――連動誠先輩は知ってか知らずか気付いているのかいないのか、兎にも角にも俺は話の先を急いだ。

「じゃあ、『十一の勝利の女神』と呼ばれる由縁は?」

 そう。これが最大の謎だ。さっきから聞いてりゃくだらない事ばかりで俺自身、今その事に気付いた訳だ。だから彼の背中を強引にも引き止めた。昼休みも残り5分を切った所なのかもしれないが。

「ああ――何だ、そんな事か。それはな――」

 ――キーンコーンカーンコーン――

 その次の瞬間、昼休み終了のチャイムが不覚にも鳴ってしまった。俺の体内時計も完全に当てにならない。


 結局、あの後『十一の勝利の女神』については一切聞く事は叶わなかった。

 連動誠先輩は5時限目は移動授業。それも体育館でバスケをするとか言ってしかもその事を忘れていたらしく着替えの準備時間も兼ねて、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴ると同時に大慌てで駆け出して行ってしまったからだ。一方、俺はと言うと5時限目は数学の予定だったが、その担当の教師が風邪を引いたらしく、自習になってしまった。

 では俺はと言えばそこでどうしたのかと言うと――

「全く。1日に2度も校舎の屋上でたむろする事になるとはな。俺も落ちぶれたもんだぜ」

 そう。俺はまたもや屋上にいた。別に『屋上探偵』でもなんでもないのに。そう。これは単なる気まぐれ。そして暇潰しだった。ただ『屋上探偵』の主人公みたく、豪華なソファでもあれば少しは気が楽になったかもしれないが。

 しかし今回ばかりはそうもいかなかった。束の間の休息と言うヤツだ。

 なぜかって? そんなの簡単さ。俺は奴と遭遇してしまったからだ。

 ――そう。言うまでもなくそいつはあの『十一の勝利の女神』。

 ドカッと、何だか貴金属が乾いた音で破裂したみたいな残響を残しその見事なまでのSEに瞬間何が起きたのか? 理性では分かっていても俺の思考は追い付く事は皆無。とりあえず本能と言う名の反射神経でワントラップして受け流し、あくまで冷静さを取り繕う様に精一杯努力した。

 それが功を奏したのかその思わずビックリ仰天するほどの騒音にも耐え、口から飛び跳ねていきそうだった俺の毛の生えた心臓もなんとか正常値に脈打ち戻っていった。

 ――が、それはともかく置いといて。

 先程の貴金属が乾いた様なSE(実際、貴金属が乾いた音なのだが)の正体はなんて事あるあの屋上へと通路をふさぐ難攻不落のモノリスみたいなドアだ。

 つまり昼休みの時に身長181センチ、体重69キロのこの男の俺が春の風が吹き荒んでいたとはいえメッチャ気合い入れて全身全霊でまるで勝利の女神に祈祷を捧げるが如く悪戦苦闘して看破したあのモノリスを意図も容易く吹っ飛ばした何者かがいた。

 しかもそいつは女だ。ただ、俺の祈りが通じた勝利の女神ではなく例のこの学校中で噂されてるあの2次元からやって来たみたいな通称――『十一の勝利の女神』だ。

 どうやら俺はそいつと今日、初めてエンカウントしてしまったらしい。嫌な予感とはよく当たる。今日が厄日だと言う事はまず間違いない。

「あんたが『十一の勝利の女神』か?」

 努めて冷静を保った俺。てゆーか不自然なくらい俺は緊張感に欠けていた。全身が震え出すとか、汗が噴き出るとか、ろれつが回らなくなるとかそう言った症状が不思議と発生しなかった。とにかくそいつは俺の事をガン見していた。別に睨み付ける風も無く。明らかに分かる童顔で。そしてそいつが喋るのをひたすら待った。嫌に1秒1秒が長く感じる。

「もしかして、お兄ちゃん?」

「――は?」

 因みに俺に兄妹はいない。両親は共々アホみたいに元気に暮らしているが、俺の正体は純血の越坂部家の末端種族だ。後、ロシアンブルーの雌猫1匹。名前はヒメ。どうでも良いですね。しかし、現状で満足出来るほど俺も甘くはない。これでも俺は文武両道派と言うかその道を地でいきたい。そんな気持ちがたゆたう1人の高校生なのだから。

「いや、俺はお前のおに――兄貴なんかではない」

 だからこそその点だけはしっかりと指摘しておいてやる。だが、そいつは『フェルマーの最終定理』を極めた偉大なる俺の意見など完全にスルーした。

「お兄ちゃん? お兄ちゃんなのね!」

 とんでもない勢いで全力疾走で打っ飛んでくるそいつを回避する手立てはもちろんなかった。何せ音速を超えた光の速度でフルダッシュしてきたのだから。

 髪はサラサラのロングのストレート。少し艶めいて日の光に翳すと赤茶けた透き通る様に綺麗な色をしていた。そして目はキラキラ。おまけにやたらデカい。世界中を探してもこんな人物は見当たらないだろう事は目に見えている。顔はもちろん童顔でしかもいやに整っている。家のロシアンブルーのヒメでさえ抗えなさそうなキュートなハニーガールだ。

 しかし着ている服装は至って地味。シルクの白いフリルの付いたワンピースだ。いくら春先とは言え、それだけでは寒いだろう。しかも裸足だった。

 背中に羽根でも付ければまるで天空から舞い降りてきた無邪気な天使の様な装い。

 しかし俺は彼女の甘い誘惑に負ける事はなかった。否、負けたくなかったのが正直な感想だ。そして話の核心をいきなりだが問う。

「お前は――お前の正体は俺が描いた落書きだな?」

「うん!」

 なんつー単純かつ恐ろしい奴。俺が『フェルマーの最終定理』を極めたとしたら、こいつは『アインシュタインの相対性理論』を網羅したに等しい。

 しかしどうやったら俺自身がノートの切れ端に描いたただの落書きから出現するのか?

 どうやったら『十一の勝利の女神』等と呼ばれる様になったのか?

 どうやったらその主である俺を探しお兄ちゃん等と呼ぶようになったのか?

 しかし1つだけだが、俺に心当たりがない訳じゃない。さっきも言ったが、俺は両親共々元気でやってるが兄妹はいない。いわゆる1人っ子だ。後は雌猫1匹。そして俺にはある1つの願望があった。それは未だ誰にも明かしていない真実と言う名の秘密(トップシークレット)

 ――理想的な妹が欲しい――

 これは兄妹あるいは姉妹のいない1人っ子の男女ならば誰もが1度は思い煩う事柄だろう。実際俺もそうなのだから。だが、別に勘違いして欲しくはないがロリコンってヤツじゃない。ああ、そうさ。そうだとも。ロリコンではないのさ。俺は。

 俺はさっきから言っているが、両親共々健在で後は自由気儘なロシアンブルーの雌猫1匹(通称ヒメ)と、1つ屋根の下で何不自由ない暮らしをしている。だが――正直自分でも思うんだが、そんな豊かな生活に退屈の2文字がないとは言い切れない。こんな荒んだ資本主義社会で憧れの一戸建て住宅に家族4人と暮らしているだけでも、十分幸せで贅沢。

 だから普段からロシアンブルーの雌猫、ヒメを妹として慕ってきたのだがもうヒメも今年で13才を過ぎる。人間で言うところのゴリ押しのご老体だ。さすがに見た目だけ可愛くてもその動きはやたらとのんびりしているもので、艶のないヒゲにも白髪が混じっている。まあ、元気で何よりなのはご尤もな話だが。着実に老いていくのはどうしようもない。

 だからこそ――とは言わないまでも、俺には兄妹もしくは姉妹なる概念が全くない。後者については男だから仕方がないとは言え少しだけ悲しい知らせがある。

 実は俺にもかつて妹なる存在が確かにいたのだ。

 つまりうちの家族は本来ならば5人家族だったのだ。本来ならば。

 それはそれは大昔の話。太古の昔の話。あいつ、連動誠先輩ではないが俺の昔話の始まりだ。

 俺はその頃まだ5才で、物心ついて間もないとんでもなくやんちゃな盛りだった。自分で言うのもなんだが、1番かわいい盛りとも言える。

 そんな折、母親が妊娠した。女の子だった。それを聞いた俺はまだその事自体の意味をハッキリと理解してはいなかったが自分がお兄ちゃんと呼ばれる来たるべき時にどこか憧憬に似た憧れを抱いた。当然の事の様に喜んだのだ。とても素直に。

 だけど現実は残酷だった。最終的に妹はこの世の中に生きる資格を与えられなかった。

 流産だった。俺に与えられたその兄たる資格――お兄ちゃんと呼ばれる日は――約束の期間はたった2週間余りで呆気なく幕を閉じた。

 もちろんその頃の俺に流産がなんたるかを知る機会やその理屈を理解する事等ほとんど皆無。いや、道徳的に言って限りなく不可能に近いだろう。何せ、今の俺にとってもそれを聞いたら途方もなくショックだからだ。幼児期の俺がそんな事を突然聞かされたら、意味も分からず経験から言って大きなトラウマになりかねない。

 だからこそうちの両親はそれをただひたすら隠し通したのだ。全てを時間に委ね、俺が成長して様々な経験を積んでその下準備をした。もちろん両親が悲しくなかった訳はない。

 俺が幼少期の頃から――例えば誰もがサンタを信じる様に――俺の妹は確かにいると信じて疑わなかったのはただ、自分が兄であると言う意地に似た自覚だけではない。それを取り繕った両親の――まるでサンタさんはいるんだよ――と言うある種の魔法の台詞を毎年聞く事によって十分に効果はあった。だが、それも齢を経るごとにだんだんと効果が自然と消えていった。当たり前と言えば当たり前だ。

 小5の頃には俺はもう薄々気付いていた。自分に妹なんかいない事に。自分は兄ではなくその資格すら剥奪された独りぼっちである目の前に突き付けられた現実に。

 そして俺が中学生になった頃、もうそんな話を信じる齢でもなくなってしまったのについにうちの両親はあの日あの時――もちろん妹を喪った経緯について――事の次第がどうであったか、具体的に余す事なく俺に伝えてくれた。

 そしてその代わりと言ってはなんだが、近所で飼われていたロシアンブルーの雌猫。ヒメを貰ってきた。ヒメはその時既に老年期に入っていてその唯一の飼い主である独り暮らしの主人が老衰によって亡くなった為、貰い手がいなくてその親族は困っていたと言う。

 危うく保健所に預けられそうになった所を偶然その話を聞き付けたうちの両親は考えあぐねた末、結局その猫をまるで新しい家族。それもあの日、2度と戻ってこなかった妹の様に慕って迎え入れた。もちろん俺にもそんな事に異論の余地はない。喜んで受け入れた。

 だけど俺の胸の内にひっそりと開いたどこか得体の知れない暗闇は音もなく燻り続けた。最早、忘れかけていた過去の傷がぶり返してきたみたいにズキズキと胸は疼いた。結局の所、うちの家族がいや、両親が一生懸命に隠し通してきたその過去の災厄は俺の心の傷を少しずつ少しずつ癒やす――いや、何かに紛れ込ませて無理矢理にでも忘れさせる――事になんとはなしに成功していたものの、最終的には水泡に帰した。仇となった。

 まるでガラガラと音を立てて崩れ落ちていくジェンガの様に。だけど俺はそんな自分の本心とは裏腹に無意識のどこかでそれを感じつつ、その暗闇の正体に気付かないふりをした。別に両親のせいではないし、ましてや俺のせいでもない。最初からあの日あの時起こった小さな生命が何かの運命の歯車に狂わされて勝手気儘に死へと紡がれて出来上がってしまった。

 誰を責める事も出来ない。確かにあの日起こった事件の裏には何かがあってそこにはそのきっかけとなる様な断片を探せば見つかるかもしれない。いや、徹底的に探せば見つかる可能性はいくらでも挙がるだろう。しかしそれを見つけたとして、その憤りをぶつける事等皆無に等しい。なぜなら最初から誰のせいでもないのだから。

 もし、神様とやらがいるとしてあの日起こった全てをやり直す。もしくは記憶の抹消をする。そんな事が出来たとしても残ったものは単なる空虚なだけの現実だ。そしてその先の未来にも今日にも明日にも明後日にも明々後日にも今、この時にも何が起こるかは誰にも分からない。だからこそ俺の傷は俺の中に残り、収縮し膨張する。時を重ねる度にそれは深い闇となって襲い掛かってくるのだ。

 そして俺は自己の現実逃避の為に理想的な妹とやらをいつの間にか探し始めていた。文武両道派を気取る俺は絵を描く事も器用にこなす事が出来たし、今目の前にいる謎のロリータエンジェルに季節外れの服装で(しかも裸足で)自分の兄貴を探している等と言うある意味ダ・ヴィンチ・コードよりも難解な言葉に惑わされる事はない。

 何せどんな原理か知らないが、俺の落書きから生まれてきたある意味愛しい世界でたった1人の妹なのだから。だから俺は素直に答えた。

「俺がお前の兄貴だ」

「あにき――何それ? 食べ物か何か?」

 だが、しかーし事はそう簡単には運ばなかった。軽い偏頭痛と共に俺は現実と言う名の壁に阻まれた。しかし今回ばかりはこのモノリスを動かす事は出来そうにない。

 まずIQから設定しておけば良かった。と軽い後悔に似た懺悔に苛まれながらも痛々しいくらい頭の悪いこの目の前の化けクソガキに教育的指導と言う名のなんとかを冷静を装って口にする俺。我ながら寛大だと思う。ご立派、ご立派。

「だから、俺が、お前のその、あの、お兄ちゃん――だ」

「ウソウソービックリ! 絶対嘘だって! だって私のお兄ちゃんはね、背が高いけどそんなニセイケメンじゃないよ!」

 ウソウソービックリ! 絶対嘘だって! だって君の優しい優しいお兄ちゃんはね、背が高いけどニセイケメンじゃないよ! ――と、ホントの本気で軽いノリで思わず言い返しそうになったが兎にも角にも一生懸命に俺は理性と言う名の箍が外れるのを未然に防いだ。危うく殺人事件が起きそうになった所でこれは未遂に終わったが、不幸中の幸いにして誰も怪我を負う事はなかったのでひとまず良しとした。

 そしてこの目の前にいる小さなアメーバ並みの脳細胞を持った小さなUMA(未確認動物)に教育的指導を行うべく俺はサッサと本題に移る事にした。

「もう一度言う。お前が『十一の勝利の女神』か?」

「じゅういちの――何それ? 食べ物か何か?」

 またもや食べ物になぞらえて小首を傾げる俺の妹。ハッキリ言って小憎らしいほど可愛い。これが例の連動誠先輩が言ってた萌えーと言う概念なのだろう。別に俺はアキバ系男子では無いのでその感覚に関してはあまりにも無知に等しかった。

 だから、そのショックは予想をはるかに裏切るものだった。痛覚抑制を解き放たれたジャック・ザ・リッパーの如く。仕方ないから俺は質問を変えてみる事にする。

「お前の名前はサチだ。そして俺がイケメンのお兄ちゃんだ。そんなに腹が減ってるなら、飯でも食いに行くか? ちょうど美味いラーメン屋が近くにあってな」

 瞬間、何かに囚われた様にサチは全身が硬直しそのムカつくほど整った童顔が小刻みに震える。どことなくその動作は猫に似ていた。何だ? 俺はもう猫には間に合ってるぞ。因みに最近のMY流行(ブレイク)はアメリカンショートヘアだ。

「良く分かったね。私の――」

「ああ、まあな。その名前の由来については――」

「大好物がラーメンだって事を。やっぱり私のお兄ちゃんだ。ニセイケメンだけど」

 完全な誤解&ナイスな展開にひとまず怒りを通り越して軽く吐息を吐き、再び深呼吸をする。春風が心地良く薫る。今日も空は清々しく青い。だが、俺の目の前にはその文字を表す様な青天の霹靂が現在進行形で発生している。なんだか自分にスタンディングオベーションで拍手を送ってやりたい。でもこれで良いのか? ホントに? 俺。


 ――キーンコーンカーンコーン――

 そのなんとなく長い一日だった授業がお見事終了すると、俺は妹であるサチとの待ち合わせ場所へ急いだ。さっきも言ったが俺は帰宅部のエースであり、その王道を走る男なのでその点に関しては何も問題はない。気がかりなのはサチがこれ以上俺の学校で問題を起こす事がない様に――特に俺との関係がバレない様に――都市伝説化される前に未然に防ぐ事にあった。

 だが――地球の地軸がミリ単位でずれて、世界最後の日がそう簡単にくる事がない様に、もしくは突然、タイムマシンによって世界の改変が起きない様に――それは杞憂に終わった。

 しかしそれはまたもやほんの束の間で、やはり世界は今日も俺の日常に妹絡みでイベントが発生するらしい。何せ俺は最大の懸念をすっかり忘れていたからだ。

 つまりなるほどそれは小さなアメーバ並みの脳細胞を持った小さなUMA(未確認動物)に突然出くわしてしまった事実にあった。それも無邪気でバカなトラブルメーカー。その名はサチ。好物はラーメン。 そして俺はもう1つの事実をすっかり忘れていた。

 ――そう。妹のサチがものすごい怪力の持ち主であると言う点に。だからこれから起こる出来事もやはり杞憂に終わったのだ。結果はどうあれ最終的に。


 待ち合わせ場所は校舎の真正面にある正門。そしてそこから少し離れた所にある駅前の混雑したショッピング街の外れにポツネンと取り残された様にある有料駐輪場の前。

 俺がそこを選んだ理由は、自分の学校からそう遠くは離れてない上に駅前にしては人通りも少なくあまりにも無知なサチがおかしな出来事を繰り広げない為にも絶好の場所だった。因みにサチの大好物のラーメン屋だってその近所にある。我ながら素晴らしい企画だ。俺が将来サラリーマンにでもなったら、このプレゼンを活かしきっと億単位の金を稼げるだろう。しかし今はまだ早い。てか別にサラリーマンになりたい訳でもないので、サラリーマンの人達には申し訳ないがこの話はなかった事にする。

 ただ当たり前だが億単位の金には興味がある。因みにプレゼンの内容に関しては秘密だ。別にムフフ?な、出来事がある訳でもない。期待していた皆、ゴメン。

 世界の中心で愛を叫んでいるのも束の間――早速俺はあのバカで無邪気でエセ可愛い萌えチックサスペンス満載のサチがトラブルを起こしているのを目撃してしまった。

 どれだけ急いでも現実は残酷だ。俺はそれを近くにあった電柱の陰にその肢体を預け遠くから見守るしかなかった。――そう。俺はもう妹サチの近くまでの距離にいた。アリエン・ロッベンの如く校舎の内側から超高速スピードスターでやって来たと言うのにこれだ。この世に神がいるとしたら般若心経にでも匹敵する呪いの呪具でも携えて、森羅万象を操作しお見事その全知全能の神とやらを見つけ出し、右フックと右ストレート、ローキックを軽く2、3発かまし、ラストの締めで瞬獄殺でもやらなくちゃ気が済まない。

 今の俺に不可能はない。OH,MY GOD! サラバ。

 しかし本音を言うと文武両道派のさすがの俺もこれには頭を抱えざるを得なかった。色々と世の中は大変だ。そんな事を痛感する17の俺。

 では何に俺は頭を悩ませたのか? そもそも俺は何を見たのか? その網膜に焼き付いた地獄絵図。理不尽かつ無情なる光景は――妹サチの周りを取り囲んでいるかわいそうな人達。複数のヤンキーだった。

 今時珍しい光景――等とうつつを抜かしてる場合ではない。ある意味人命がかかってるこの状況を見過ごす訳にはいかない。

 周りにはステーション街だってのにひたすら人がいない。もちろんその機を狙って奴等(見た所ヤンキー3、4人組。たぶんロリコン趣味で悪食で隠れオタクだ。でなきゃ、妹サチに手を出す訳もない)は動いたのだろうが、チッ。どこの誰だよこんな場所待ち合わせに選択したのは? とんでもないアホだな。てゆーか俺か。俺はアホか。つまるところ責任は俺にある。

 仕方ないので俺はその現場を押さえる決心をした。何より人命救助の為、あのヤンキー達が将来無事に成人式で袴を着て浮かれポンチでハシャギ騒ぐ為にも。何も知らないサチが殺人と言う凶悪犯罪に手を染める前に。


「だから! 何だってーのよ! しつこいわね! あんた等! 私はお兄ちゃんと待ち合わせしてるんだから! 正直言ってブサメンに興味はないのよ!」

 早速始まりました。何事もなかったこの平穏な日々に諍いが。ここは穏便に済ませなければならない。しかしこの発言だけでサチが相当な面食いだと言う事に今さらながら気付かされる。だからラーメンが好きなのか? なんつって! アハ、ハハハ。

「ブ、ブサメンだと!? このガキ。チョッと可愛いからって調子に乗りやがって!」

「調子に乗ってるのはどこのどいつだ? オイ」

 颯爽とその諍いの中心に間合いを取る俺。我ながらカッコいいのか悪いのか、その良く分からない台詞を吐いて。因みに俺は威勢は良いがケンカは弱い方だ。つまり肝が据わってはいるが(パワー)が足りない。だが、この時だけはケースバイケースだった。事件は会議室で起きてるんじゃない。現場で起きてるんだ。

「何だ―? お前? もしかしてこいつの言うお兄ちゃんか?」

 さすがはヤンキー。経験値を積んでいるだけあった。ガンを飛ばすのにも慣れているのか、勢いは収まらない。凄味がある。事態の収拾治安維持は予想以上に手強そうだ。

「ああ。そいつの名前はサチ。俺の妹に何か用か?」

 俺がどこか何かを諦めたふうに目を伏せ申し訳なさそうにそう言うと、その相手の中の1人がついにカチンときたのか冷静と情熱の間で思わず眉間にしわを寄せる。おーこわ。

「ああ。俺たちゃお前なんかには用はねえ。そのサッチーちゃんとやらに色々と用があってね。と・に・か・く。邪魔者は今ここで――死ね!」

 早速、と言うかものの2、3分も経たない内に繰り広げられたその諍いの元凶は例によりそいつの右フックによって強制的にイベントが発生した。

「お兄ちゃんを殴るのは許さないんだからー!」

 あーあ。始まっちまった。俺は早速、携帯のフリップを開いてこう言った類のプロに任せる事にした。なるべく死傷者が出る前――いや、もちろんなるべく楽に死なせてあげたいのは山々だが。

「ほう。『十一の勝利の女神』の名はサチ――と、言うのか。俺にとっても初耳だ」

 しかし俺が119番と110番の9と0の番号のどちらを先に選択しようか迷っている所で思わぬ伏兵がこれまたナイスなタイミングで参上仕りました。

 そいつは例の伊達メガネをかけた細長い体躯に中々地味すぎるイケメンで。そしてどちらかと言うと異性にはモテないタイプだった。例によって伊達メガネのレンズがキラリと光る。だから何だよ。このタイミングは。

 その名は連動誠――先輩。一体全体どこから現れたのか? 突然やって来た救世主に俺は内心で軽いノリでシラケた拍手を送る。まるで愛情がこもっていないが、今度会ったらまたあの例のパン(最早、恒例となってしまったなんかスティック状の気味の悪いお菓子みたいなモノ。その正式名称は――と、豆乳なんたらスティックパン)を…と、とにかくあれをおごってあげよう。きっとまた発奮するだろう。うつつを抜かして無我夢中になるはずさ。ああ、きっとな。――ハハ。

 そして俺がそんな所で思考の押し問答を繰り広げている間にいつの間にやら事態の収束は片付いたみたいだった。モチのロンで死傷者は出なかった。ただ、項でも軽くいなされたのか? ヤンキー皆、気絶していた。思わず脈を測ったが、大丈夫。死んではいない。皆、正常に反応していた。因みに医学的根拠は皆無だ。俺に医者としての頭脳は持ち合わせていない。てゆーか、こんな時こそ119番するべきだ。

 結局、9と0の番号のどちらを先に選択しようか前者に決定された所で話はまたもや妹のサチに戻った。

「連動誠――先輩。助かった。一時はどうなる事かと」

 さすがに今回ばかりは色んな意味で絶望的でマジやってらんねー感抜群だったので、俺は素直に彼に礼を言った。

「ああ。お前をストーキングしていた甲斐があったってもんよ。豆乳クリームスティックパン。またおごってくれよな」

「お兄ちゃん。誰そいつ? またニセイケメン?」

 ちょうどサチがその小さな肢体を駐輪場の前に設置されている赤い看板の影に隠しながら、ひょっこりと首をもたげて姿を現した所で俺は前言を撤回する事にした。

「こいつの名前は連動誠――先輩。俺が通ってる学校のサッカー部の主将(キャプテン)だ。今はたんなるストーカー男。――で? 何の用だ? 部活はどうした? てゆーか、お前サチと1度だけエンカウントしたんじゃなかったのか?」

 その質問をぶつけた時、一瞬彼の伊達メガネが煌めきを放った事を俺は見逃していなかった。

「あ、いやいやいや。俺は――そうだな。たまには部活の合間に校舎の周りをランニングも良いかなーと思ったら、その矢先でお前がやたらめったら急いでるのを見かけたんでね」

「んでもってストーカー開始――と」

「そう言う訳さ」

「どういう訳だ」

「んじゃ、俺はまだその部活とやらが残ってるんでね。このままだとサッカー部の主将(キャプテン)として部員達に示しがつかない。ここいらでおいとまさせてもらおう。アディダス」

 全くもって下手な言い訳をかましてるそいつを俺はもちろん止めなかった。そのキザで使いまわしの古いベタな退散の仕方(しかも今時アディダスって…)も妹サチとエンカウントしたはずなのになぜかサチは連動誠――先輩の事を知っていなかった事実といい彼がその事に対して興味をそそられなかった――いや、答えられなかった事にもなんとなく想像が付いた。因みに学校の校舎からここは1キロ以上離れていた。一体全体どうやったらそんな言い訳が通用するのか? ここまでくると超次元超常現象。イリュージョン。ルーラやどこでもドアを使ったとしか思えない。今度会ったら約束通り豆乳クリームスティックパンをまたおごってやろう。

 一応、言っておくべきかな? 彼に幸あれ。とでも。


 んでもって場所は所変わってラーメン屋の店内。豆乳クリームスティックパンのあれこれを完全に忘れ去ってしまった矢先――2人向かい合って疲れた様に座席にへたり込んだ。

 それはなぜかと言うと実はこのラーメン屋――その名も『暮らし屋』――はこの地区では有名ないわゆる行列の出来るラーメン屋として有名で、何度かこの地元のローカルテレビ局に放映されるなど、兎にも角にも美味いらしい。1度は行ってみたかったからとてもいい機会だ。さすがに友達のいない俺が1人で入るのはそれなりに勇気がいるし、目の前にサチがいれば何かと安心だ。連動誠――先輩? ああ、そんな奴もいたな。

 店内は最早、戦場と言っても過言ではない。カウンター席はもちろん満席。そこの前にある厨房のくぐもった湯気からぬうっと姿を現した店主の中年男性――愛称はおやっさんで通ってるらしい(因みにバツ1で独身。たぶん脱サラして始めたこのラーメン屋を開業した矢先、奥さんと子供に逃げられたんだろう)――はおやっさんと言うか、もうなんていうかスキンヘッドにねじりハチマキ。直で言えば夏祭りにどこから出没したのか突然乱入してくるヤーさんのそれで、神輿でもかついでいるのかこのラーメン店が繁盛したから良いものの、それすら叶わなかったらホントの本気で『本気』と書いてマジでフラッとそちら側の世界に溶け込んでいきそうな気配満載だった。まあ、そんな無関係な赤の他人は置いといて。

 俺達が大変お疲れになってるのは、それなりに理由があった。まず行列の出来るラーメン店ならではの行列にまぎれ込んで外の路上で30分ずっと立ちっぱ。

 それからもう完全に冬の気配がかき消えた少し暑いくらいの春真っ盛りの店内の中はもちろん満席。つまりそこの入り口に据え置いてある最早あらゆる老若男女がギュウギュウ詰めの入り口付近にある狭い休憩所でさらに30分ずっと立ちっぱ。

 室内は予想以上に蒸し暑く出来たてのラーメンの蒸気やら何か得体の知れないスモークやら禁煙だってのに煙草の煙を吐き出す俺よりも若い中防が何人かと家族連れでやんちゃな盛りのクソガキが付近のトイレの出入り口を追いかけっこで奇声を上げながら行ったり来たり。また、少ない休憩所のソファにはこれまた珍妙な格好をしたオバタリアンが複数いて、時代劇だか韓流ドラマだか何だか知らないが――『歌う時代劇ちょんまげ映画祭り』だとか3ヶ月連続企画の三船敏郎主演『宮本武蔵――三部作』だとか堺雅人主演映画『武士の家計簿』だとか『冬のソナタ』のペ・ヨンジュンがどーたらとか『屋根部屋のプリンス』のパク・ユチョンがあーたらとか――なんか2002年度始まって以来の日韓ワールドカップをつまりはうんちくの応酬を繰り広げていた。

 そしてやっとの事で2人掛けの小さな少しお洒落な木製のなんか木目が剥き出しになっていてその上に漆でも塗ったんじゃねーか的勢いのやたら艶が麗しい葛飾北斎もたまげるまるで切り株みたいなローテーブルの上にはまだ何もなかった。お冷だけを飲んでその中の氷すらも苛立ちと気合いと共に噛み砕いて、それを小さくかたどった様な肘掛けすらないイスに座って待つ事30分――若い女性店員が持って来たラーメンとつけ麺(因みに俺は季節によるがラーメンよりもつけ麺派だ。あくまで独断と偏見だが)がやって来た時は天空から舞い降りた奇跡の宝玉であるペンダント『飛行石』でも手に入れたんじゃねーか的勢いとノリだった。思わず浮かれて騒いだのも無理もない話だ。これでパズ―とシータと俺と妹サチで『天空の城ラピュタ』へと行ける。因みに目的は全くもって皆無だったが。目的はラーメンとつけ麺だったが。

 まあ、そんなこんなで一時間半が経過して――2人ぐったりとへたりこんでいる訳さ。因みに食っている時間は長くて10分程度。妹サチに至っては5分でたいらげてしまった。ホントにもう何しにここへ来たんだか分からないくらいの面倒な目的だった。だけど美味かったから許す。思わず許してしまう。これが行列の出来るラーメン屋の魔力だ。また来よう。

 しかし妹サチに至ってはさっきから存外に無口な様でいて。どうやらその不可思議な程精緻な(てゆーか俺が描いた落書きなんだが)日本人形みたいな顔はどこか不機嫌そうに目元が歪んでいる。さすがに一時間半の待ち時間にたった5分の食事では割に合わないんだろう。気持ちはわかるがこれが行列の出来るラーメン店の鉄則。てゆーか俺も今回が初めてなんだが他にも待っているお客様の為にそう長居は出来ない。

 サッサとトンズラしよう。そう決意した時、さっきから食うのに夢中になっていてズルズル麺を啜る音以外、静寂だった目の前のお子様が初めて口を開いた。襟元のシルクのフリルが豪快に飛び散ったしるで、黄色い染みになっているのはとりあえずシカトぶっこいて見なかったふりで俺は妹サチの口元に思わず目を凝らす。

「ねえ? お兄ちゃん。お兄ちゃんて、彼女いるの?」

 なんつータイミングで突然そんな事言ってのけるのか? 唐突な質問だ。だが、俺は別に焦ったりしなかった。なぜかって言うと年齢=彼女いない歴でもないし中学時代に別れた彼女の事をふと思い出したからだ。大人な俺。

「――え? まあ、今はいないけどな。中学時代にチョッとな。何で?」

 幾分興味のなさそうにつけ麺仕様の小さな丼の中に少し溜まった濁った豚骨スープの中のトッピングの大ぶりなメンマを割り箸で弄り回しながら、改めて問い返す。大人だ。俺。

 でも――あの頃の思い出はそう簡単に消えそうもなかった。後悔とまではいかないが、嫌な思い出ほど忘れ難いのかもしれない。人それぞれなのは言うまでもないが。

「――その彼女。きっとまだ待ってると思うよ。お兄ちゃんの返事を」

「は――?」

突然の(ミステリー)。時効は過ぎたんじゃなかったのか? てゆーか何でこいつがそんな事を言う? 言ってのける? 知っている? 最早迷宮入りとなった怪奇Xファイルがテレビのバラエティー番組にぶり返したみたいにいきなり発生した。名探偵コナンでもシャーロック・ホ―ムズでも良い。誰でも良いからこの難事件を解決してくれ。

 だから俺は言ってやった。少しだけむきになって。大人か? 俺。

「あのなあ、あの時の事態はしょうがなかったんだ。俺は――」

「――渚の事はもう忘れたんだ。でしょ?」

 何の変哲もなさそうに少し上目使いできつく見つめ返してくるその妹サチの双眸は冗談のかけらもなく、ただ精緻な日本人形のガラス玉みたいに光沢を宿していた。

「一体、お前は何者なんだ? いいかげん正体を暴け。話はそれからだ」

 さすがの俺もこいつとの相手には慣れたつもりだったが、まだまだ謎は深まるばかり。だからつい声をとがらす。他のお客さん達は見て見ぬふりを決め込んでいるのか、いやラーメンとつけ麺に夢中になってるだけだ。そうだとも。

 そう。俺の元カノの名前は渚。フルネームで言うと月見渚。しかし今目の前にいる奴がもちろん妹サチがそんな事知るはずもない。俺が彼女――月見渚の事を未だ忘れられない気持ちに沈んでいるのを。引きずっているのを。

「正体ならその内分かると思うよ。だから今は言えない。でも、これ以上彼女を待たせたら私は許さない。何よりも誰よりも。たぶんきっと。その何もかもが終わったら私は消える。だから、お兄ちゃん。お願いがあるの」

「お願い?」

「中学生時代に渚と別れた場所へと向かって。今ならまだきっと間に合うから」


 一体全体どう転んだらこんな展開になるのか? 俺は自分を信じて良いのか? あの謎星人妹サチの言う事に反発を覚えない訳もない。だが――俺は結局来てしまった。フルダッシュで。あの公園に。彼女――月見渚と別れたはずであろう苦い後悔の念が宿る思い出の地に。

 場所はいつもの交差点。そのまま左に曲がれば吉野家の牛丼。右に曲がれば地元のマーケット。直線にはあの時の俺等2人が揃って通っていた中学の校舎。そしてその道すがらにはポツネンと取り残された様に簡素な公園があった。

 真夜中とは言わないまでもすっかり夕刻が過ぎた時分。あの頃と全て一緒。変わり映えのない景色。ただ、服装はありきたりなジャケットにジーンズではなく、高校の学ランだったが。

「一体何なんだよ? 今日と言う日は」

 最早、厄日の決定的一打となった本日の最終イベントはこんな所で発生した。否、発生してしまった。ああ、傷心が疼く。さすがに今日だけは過去の思い出に浸れる気分もうなだれる。思い返せば散々な1日だった。

 担任の国語教師――別府に職員室に連行されて30分以上もグチグチ詰られて、昼休みには屋上で別に会いたくもない間柄の連動誠先輩とのエンカウント発生。無駄口を叩きつつもおかしな事に一緒に昼食まで取ってしまった。その後、お見事丸潰れとなった昼休みの後に自習によってお見事丸潰れとなった数学の奇跡体験。しかし孤独な俺は他にやる事もなくなんとなく教室に居づらかったのでまたもや屋上へと向かう。

 そしてそこで別に会いたくもない間柄の妹サチ(俺の落書き)とのエンカウント発生。

 『十一の勝利の女神』の由来はともかくなぜだか知らんが俺は妹サチとラーメンを食う約束をしてしまった。最近は部活のバイトすらしてないってのに。これは痛い。まあ、誘ったのは俺だから自業自得と言えばそれまでだが。

 そして放課後。駅前の隠れスポット、駐輪場の前での待ち合わせ場所にて複数のヤンキーに絡まれている妹サチを発見。最終的に死者は出なかったから良いもののその窮地を救ってくれた別に会いたくもない連動誠先輩との本日2度目のエンカウント発生。

 最終的に散々待たされたラーメン屋にて妹サチの正体は不明なまま、昔の彼女と別れた思い出の地に行くハメに。一度別れたつもりでいたのに。もう忘れたはずなのに。俺は妹サチの意味不明な説得力のない言葉に諭されて――ここまで来てしまった。

 月見渚――もちろん彼女の事は未練タラタラだったとか、何だかよく分からないドラマ化された小説にでも映画にでも出てきそうなとんでもない美人のエゴな感情に振り回された訳でもない。

 月見渚は至って平凡な女だった。少し派手だけど。あの日、この公園で別れの台詞を吐いた俺の感情にも嘘はない。だけど、俺はそれでも何よりもまずここまで来てしまった。こんなどこにでもありそうな寂れた公園に。フルダッシュで。幾分、前よりも薄ら寒く、萎びて見える。それもそうか。あれから2年以上経過してるんだから。

 あの頃、彼女の影だけを捉えていた外灯は相変わらずチカチカ点滅していて数匹の蛾やら羽虫やらがたむろしていた。そして俺がその外灯の明かりを頼りに何気なく地面を見下ろしていると――そこに何者かの影が映り込んだ。

 思わず顔を上げる俺。パッと見、よく分からなかったがその後すぐに気付いた。

 彼女だ――と。月見渚がそこに立っていた。しかし彼女はやはりあの頃とは違うナリをしていた。ギャルでもヤンキーでもない。決して派手なんかじゃなかった。寧ろ地味で、俺の視点から見ればあまりに平凡なその姿に思わず俺は驚きを通り越して声すら出せなかった。たった数年。それも2年程度でこうも人は変わるのかと月日の残酷さと女の怖さに慄いたのだ。

 月見渚はどこかのお金持ちの女子高にでも通っていそうなセーラー服をきちんと着こなしていた。スカートの丈も短くも長くもなく普通で、髪の毛は茶髪のパーマでウェーブが掛かりすぎてボサボサになっている訳でもない。黒いセミロングをそつなくカチューシャで上手く纏め上げていた。金ピカなピアスも金ピカなブレスレットもこれでもかという程の装飾品の類は一切ない。独特な安物の香水のにおいも惨めったらしいほど歪んだ指輪やらネックレスやらも何もない。化粧はしていたが、無理矢理こねくり回したどこにでも良そうなギャルの型にはまったありきたりな顔ではなく、それはどこかすっきりとした顔立ちだった。まるで蛹から羽化した紋白蝶の様な出で立ちに俺はただただ沈黙でたじろぐばかりだった。

「やっぱり来てくれたんだね。ずっと待っていたんだよ。ジュン」

 口調もまるでお嬢様。こいつはこんなキャラじゃなかったはずだ。少なくともあの頃、中学生の俺と付き合ってたこいつは。月見渚は中途半端なダメンズの俺と同系統の中途半端なダメウーメンズの一員だった。だからこそ生涯孤独な俺ととても気が合った。ああ、そうさ。俺は中学の頃から友達とやらがいなかったのさ。良い意味で言えば孤高の一匹狼とでも言おうか? 悪い意味で言えば登校拒否寸前のヒキコモリーノ。

 この際だから前者を選択しよう。人間プラス思考が一番だ。それ程人生は難しい。

「待っていた? 何をだ? 俺はあの時お前をふったんだぞ?」

 恥ずかしくて。悔しくて。切なくて。こんなぶっきら棒な言葉しか吐けない自分を殴り倒したくなる。 しかし彼女は話を続ける。毅然とした態度で。堂々と前を向いて。そして俺は相変わらず一回だけ前を向いた面をまた下げた。チカチカ点滅するまるで俺の気持ちを代弁するみたいに頼りない外灯の明かりを頼りに。彼女の影だけが動く。

「だけど、私はその返事をしていない。違う?」

 思わず絶句してしまった。たぶんあの日から彼女はずっとこの公園で待っていたんだろう。一方的に逃げ去ったこんな俺に最後の返事をする為に。その当て所もない一方通行で逃げ場すらない道を彼女は選んだのだ。月日が変わっても、その容姿や容貌は変わっても、言葉づかいや性格すら徐々に変化を成し遂げても。

 俺はもう二の句が継げなかった。何もかも終わったと思い込んでいた。こんな機会は2度と来ないであろうと自分で自分に言い聞かせてきた。

 そして俺はやっと前を向いた。ゆっくりと。ビクビクしながら。明滅する外灯はあの日と同じ様にただ不気味に2人の間で影だけを落とす。

 彼女は笑っていた。俺は少ししゃくり上げそうになる両肩を必死の形相で堪える。まるであの日とは正反対の立場。立場が逆転していた。話のイニシアチブは月見渚にあった。

 あの頃と何も変わってないのはひたすら弱いのは俺で、ひたすら強いのは彼女で。そんな単純な事に今さら気付いたバカな俺。だから、せめて泣きそうになる涙腺を軽いめまいを覚えた様にしてギュッと強く指で握り込む。彼女の最後の台詞を聞きそびれない様に全神経を集中させる。

 ――俺はまだ彼女の事が好きだったのだ。事実はそれだけで他には何もない。しかし思春期のあの頃、友達もいない俺はほんの出来心で月見渚と付き合い始めた。下心もあったし、異性と遊ぶと言うある種の陶酔に満ちた欲望。はたまた欲求や他者に見せびらかすある種の優越感に浸りたかっただけ。若かった俺はまるで恋に無知だったのだ。きっかけはどうであっても彼女――月見渚が好きだったと言う事実に気付いていなかった。あまりにも幼い感情を理性で制御出来なかった。しかし彼女は違った。

 月見渚はホントの本気で俺の事が好きだったのだ。事実はそれだけで他には何もない。付き合い始めたあの頃、最初は何の感情も芽生えなかった。だけど、彼女の表情や仕草。チョッとした癖やお互いの趣味趣向を知り会話を続ける内に俺の中にあった感情のどこかが疼いた。

 それに気付いているのかいないのか? あの当時を振り返ってあの頃に戻ってみても分かるはずもない。世の中タイムスリップしてみても取り戻せないものは取り戻せないのだ。

 何せあの頃の俺の記憶と感情と経験はどうあがいても変わらないからだ。仮に改竄出来たとしてもすぐに書き換えられてしまう。誰の手によって? 言うまでもない。俺の手によってだ。他人は他人。自分は自分である限り。それは変わらない。

 世の中は残酷。月日は残酷。では人生は――?

 今、目の前にいるあの時の彼女だった1人の女にたった今、言うべき言葉は何か?

 捨て台詞? 決め台詞?

 大根役者の策士? 臭すぎる演技?

 いや、そんな事を繰り返してみても何も変わらない。結局、俺はあの頃と同じなのか?

 「そんな事ねえって。そんな事したくねえって!」

 思わず俺はそんな台詞を吐いていた。自分自身に言い聞かせる様に。ゆっくりと彼女にその本当の気持ちをぶつける為に。しっかりとその鼓膜に聞こえる様に。焼き付ける様に。

 指でふさいでいた涙腺を放すと、自然と涙は流れてこなかった。しかしその瞬間、気持ちの高ぶりはとてもじゃないが抑え切れなくて。俺はいつも独りだった俺は正に一匹狼そのもの。吠える様に大声を張り上げる。怒鳴り散らす。唸る。喚く。いつの間にか慟哭していた。自分でも驚くほど動悸が激しくなっていた。心拍数は急激に上がり、心臓の鼓動は極限にまで達していた。そしてキッとまた前を向く。

 彼女――月見渚の最早、あの頃とは似ても似つかない変わり果てた姿をその眼に押し付ける。ビクッと彼女が震えたのが分かった。しかし俺はもう怯まない。何があっても彼女の期待に応えるだけの準備は今さらながら出来た。今日が厄日? 何の冗談だ?

 そしてついに彼女は最後の言葉を放つ。何をだ? 決まっている。別れの宣告だ。

「やっぱり私には出来ない。どうしても出来ない。あの頃の自分とジュン。一番楽しかった思い出を忘れる事なんか私には出来ない!」

 突然だった。涙を流しながら彼女はそんな事を言いきった。俺は自分の目を耳を疑った。夢ではないのかと錯覚すら覚えた。ある意味期待を裏切るその激白に俺は何も言えず呆然とした。理性では理解出来た。だが、頭の中は真っ白だ。

 急にフラッシュバックした。あの頃の思い出が。彼女――月見渚と過ごした日々が。

 例えその容貌が変わっても。自分の記憶に嘘偽りがないのは何も俺だけではなかった。そんな彼女が月見渚が放った台詞もバカみたいに正直で。真摯に俺の胸に届いた。

 あの頃と何も変わっていない。だけどどこかあの頃とは違っていた。今の2人にはそれが良く理屈ではなく理解出来ていた。なんて事ない。最初から2人の胸にはそれがあったのだ。ひたむきな彼女の想いとぶっきら棒な俺の勝手気儘な想い。それは特別珍しくも何ともなかった。結局今さらながら気付かされた。こんな辺鄙な何の変哲もない公園で。お見事再会を果たした何の変哲もない1度だけ別れてしまったカップルが。ヘタレな中学生の分際で。少しだけ大人になって。少しだけ贅沢か? そうだな。自分でもムカつくほど贅沢だ。

 何せまた元に戻れたんだからな。あの頃とは違う。少しだけくすんだ景色と共に。同じ時刻。同じ場所で。お互い何もかも変わってしまったが、この想いだけは変わらなかった。

 ――相思相愛と言うヤツだ。それでもあの頃に戻りたいと思うか? 今の俺よ。

 いや、戻りたくはない。俺は自分自身に呟く。何せ手放したくはない大切なひとがやっとの思いで手に入ったんだからな。

 どうやら俺の思い違いもここまでか。今日は厄日じゃ無く最高の日だ。

 今度、また俺の恋人にもう一度なった月見渚と手をつないだら一緒にどこかへ行こう。

 あの赤いママチャリで2人乗りでも良いな。今は通学用に使っていてすっかりオンボロ。年代物になってしまったが、唯一の思い出の品だ。

 さて――どこへ行こうか? あの行列の出来るラーメン屋も良いな。

 世の中は残酷。月日は残酷。では人生は――?

 ――あれ? そう言えば俺の妹サチはどこへ行った?


 それから数年の月日が経過した。俺は無事、高校を卒業し上京。夜間の定時制の大学に通いながら今はどこにでもありふれたオフィス街の中小企業のサラリーマンとなって営業により毎日、走り回っている。

 正直言ってしんどい。何せ、取引先との契約が取れれば上司との関係も円滑に進むし後輩からも慕われる。同僚との間柄は――まあ、多少の嫉妬と羨望が入り乱れても関係が悪化する事は滅多にない。何せ俺も同じ様な感情を抱いているしそこはお互い様だからだ。

 あのテレビドラマで見た事のある取引先との契約数を示す棒グラフを初めて見た時は本当にそんなものあるのかと夢見うつつな摩訶不思議な気分に陥ったね。別に悪い意味じゃないが、自分が社員として認められた1人の大人として精神的にも拍車が掛かった。

 逆に取引先との契約が取れなければその日1日は落胆と共に地獄を見る。上司との関係は悪化しネチネチ詰られるわ(あの国語教諭担任別府ではないが。何よりもメガネを掛けていない。メガネ効果は絶大だ)後輩からは失笑されるわ、同僚との間柄は――まあ、多少の侮蔑と同情の視線を向けられても関係が悪化する事は滅多にない。かえって慰めの言葉と共に一緒に真夜中に駅前の居酒屋とかバーとかに飲みに行く事が恒例と言えば恒例だ。涙の代わりに酒を飲む。それがラストのシメだ。もちろん夜間の定時制大学の履修がない日。休みの日とかにな。

 全てあの得体の知れない何の変哲もないホワイトボードに折り紙を張り合わせただけの棒グラフに自分の人生をもしくは給料を左右されると思うと首をくくりたくなるのが現実だ。だが、贅沢は言えない。今の世の中、高卒で仕事を雇ってもらえるだけでもまだマシな方だ。こんな時にあの高校時代を思い出す。孤独で文武両道派気取りのあの頃の俺。

 もしあの頃不貞腐れて不良にでもなっていたら今の自分はなかっただろうと思う。

まあ、文化部と運動部(特にサッカー部の主将(キャプテン)。えーと、誰だっけ?)のバイト要請に明け暮れていたあの日々が決して善い行いだったとはさすがに思えないが。

 ――それに俺は今、十分幸せなのだ。なぜかって? 決まってるじゃないか。

 俺にはもう愛すべき家族がいるのだ。モチのロンで相手は月見渚。子供だって出来たばかりだ。これ以上ない幸福が他にどこにある?

 俺達はあれから、あの俺の落書きの2次元の世界からやってきたスーパー謎少女――妹サチの的確なアシスト(もしくはキラーパス?)によって改めて付き合い始めたんだ。まあ、言うまでもない事だが。そして在学中に学生結婚をした。

 うちの両親はともかく、相手の両親はこの事態に猛反対を示した。何せせっかく改心した可愛い箱入り娘がまたロクでもない俺なんかと付き合いだしたりしたらそれこそ水泡に帰す。その今となっては義理の両親となった新しい家族の気持ちも分からないでもない。

 あれから妹サチはその姿を消した。好物はラーメン。とんでもない怪力の持ち主であり、トラブルを絵に描いた様なトラブルメーカー。バカで天然でありふれたお喋りな性格。

 そして俺が描いた落書き。フリルの付いたひらひらのワンピースを着て、素足のままこの俺の学校を彷徨っていた。お兄ちゃんとやらを探してな。つまり俺だ。そして俺の妹はサチだ。それ以外にはありえない絶対的存在。何せ俺が創ったんだからな。

 だがしかし、話はここで終わらない。そう。まだ続きがあるのだ。

 俺の生まれるはずだった兄妹。妹の名前はもちろんサチ。幸せと言う字を書いて一文字で(さち)だ。それが落書きから生まれてきたあの超バカでキュートな堕天使サチの名の由来。そして俺の想いが叶ったのか彼女はあの日あの時、高校時代の俺の目の前に姿を現し、俺の元カノの月見渚とやり直すきっかけを作ってくれた。

 ――自分のお兄ちゃんを探している。妹サチは確かにそう言った。だが、それだけならなぜ俺の元カノであった月見渚の事を知っていてわざわざその関係をやり直させる必要があったのだろうか? あの少女。妹サチと名付けた俺の落書きは何者だったのか?

 答えならその内分かると彼女はそう言った。あの日、確かにそう言った。未だにその謎は不明瞭なままだ。だが薄々だが、俺は彼女――もちろん俺の落書きである妹サチ――の正体に気付き始めている。いや、そうであって欲しいと思っている。

 何度でも言うが妹サチは俺の落書きから生まれた。そこに間違いはないと思う。ではもし妹サチが俺の本当の妹だった場合、これは何を意味するのか? 決まっている。

 妹サチは俺の想いに応えたのだ。自分の命を全うする最後の機会を逃さずに。俺の理想の妹が欲しいと言う願望と、元カノとなってしまった月見渚との関係をやり直し、自分の最後の使命を生きていくと言う本当の意味をあの頃の俺に教え諭す様にして。そしてその本当に価値ある命の意味を俺が知った時――謎少女妹サチはその姿を消した。

 仮にあの少女が俺の生まれるはずだった本当の妹であったとしても。単なる落書きから生まれた気まぐれだとしても。彼女が与えてくれた生命の神秘。命のあるべき姿はシッカリと俺の脳裏に刻み込まれた。そして一時だけではあったがこんな俺に兄としての時間も与えてくれた。『暮らし屋』のラーメンも一緒に食えた。

 そして俺と月見渚との間に新しい家族が出来た。女の子だった。名前はもちろん(さち)

 ――そう。あくまでもう1人の越坂部幸(おさかべさち)。生まれるはずだった俺の妹と同姓同名。そして同じ家族。あの妹サチはたぶん俺の為に生きたかったのだろう。俺の妹として生まれたかったのだろう。家内の渚は何で(さち)なの? と、疑問を投げかけたが――さてどこから話したらいいのか? 『フェルマーの最終定理』を極めた俺にも分からないものは分からない。ただ、1つ言える事は妹サチが俺の想いに応えた様に俺も妹サチの想いに応えたかった。彼女の生きている証を(さち)と言う名で示したかった。妹サチが(さち)である為に。

 これから先の新しい未来に残酷な月日と残酷な世の中で人生の日々を重ね、この一人娘

越坂部幸(おさかべさち)が自分の新しい人生を見つけその毎日を生きていく為に。それを見守ってやるのが俺の兄として親としての役目だろう。たぶん最後までこの想いは変わらない。その本当の意味を知るのもまだずっと先の話だ。そしてこれが俺の妹サチとの最後の思い出。

それだけでも俺はもう十分幸せだ。

 もしかしたらこの新しい家族である越坂部幸(おさかべさち)が物心つく頃に自分の兄妹であるお兄ちゃんが欲しいと言う日が来るのかもしれない。そしたら彼女は本当に自分のお兄ちゃんとやらを探しにタイムスリップするのだろうか? まさか。んな訳ない。だけどゲン担ぎにワンピースくらいは買ってやろう。あの、シルクの白いフリルの付いたひらひらのワンピース。さすがに裸足と怪力は厳禁だが。そして俺はこう言ってやる。

 お前の兄貴なら目の前にいる――と。しかし俺の妹はもういない。これが人生だ。

 正に――この世に幸あれ! である。


 では『十一の勝利の女神』の名の由来は――? 時は少し前に遡る。俺の高校時代。あの屋上での出来事だ。そこにはあの男――連動誠先輩がいて。

「さすがは俺。奴――サチのお兄ちゃんとやらはやはり越坂部純一だったか。サッカー部の次期主将(キャプテン)の妹としてやはり『十一の勝利の女神』の名にふさわしい。ハッハッハ」

 『十一の勝利の女神』の名の由来。その意味は少しだけ皮肉った暗号の様なモノ。本来ならば十一(じゅういち)では無く純一(じゅんいち)。つまり『純一(じゅんいち)の勝利の女神(ヴィーナス)』となる。

 ではなぜ勝利の女神(ヴィーナス)なのか? それには十一(じゅういち)と言う数字と妹サチが関連している。十一(じゅういち)とはもちろん数字の11。それに関連するのは本来11人で1つのチームとなるスポーツ。そう。サッカーだ。彼――連動誠先輩はそれになぞらえて妹サチを勝手に大義名分で勝利の女神(ヴィーナス)とした。ではその理由は? 決まっている。彼はギャンブルをしたのだ。totoクジの様に。俺が妹サチの本当の兄貴だと言う事に賭けたのだ。

 そしてそこに必要不可欠だったのが他でもない俺だったのだ。何せ勝利の女神(ヴィーナス)の兄だしな。だからストーキングしてまであの連動誠先輩は俺にサッカー部への入部を迫ってきた。つまり彼も俺も1つのゲン担ぎと言う形で妹サチと言う存在に振り回された。

 連動誠先輩の動機は俺を次期サッカー部の主将(キャプテン)に。妹サチをマネージャーにでもしたかったのだろう。それが今回の事件――『十一(じゅういち)の勝利の女神(ヴィーナス)』の都市伝説の結末。

 こうして俺と妹サチは最初から最後まで2人で1セット。つまり俺がいなければこの究極の(?)方程式は成り立たないのだ。なんだあのロリコン魔。サチと会ってさえいなかったのに。かえって迷惑だ。伊達メガネのレンズは抜群にキラリと光って思い出し笑い。独りごちていた。気持ち悪い。あの豆乳クリームスティックパンよりも。だから俺と妹サチが似ていない理由も全く理解していなかったのだ。ある意味凄い。あのロリコン魔。

「お兄ちゃん? またこんな所にいて! それでもサッカー部の主将(キャプテン)? それともロリコン? サッサと部活に戻りなさい! マネージャーの私の身にもなってよね!」

「ヘーイヘイヘイ。わっかりましたよ。我が妹よ。だが、俺はロリコンではない」

 因みに彼にもサッカー部のマネージャーの妹がいたらしい。こちらも2人で1セット。連動誠先輩はそちらのゲンも担いでいたのかやはり彼はロリコンだった。だがしかし果たしてその名は――? まさか(さち)だったりして。いや、まさかね。

 結局の所、俺の落書きの所在を知る者は誰もいなかった。ただ1人、キラリと光ったメガネ効果の残響を残したある人物を除いて。これだからメガネ効果は恐ろしい。だてにこの道20年間愛妻弁当を食べているだけの事はある。さすがに残り物の豆乳クリームスティックパンだけじゃ勝ち目はない。それにしてもそんなに美味いのか? その愛妻弁当。


 ――そして最後に。俺のあの頃、描いた落書きはノートの切れ端にまだ残っている。全ての始まり。俺の宝物。今もまだ大切に保管しているのだが、だけど果たして俺の想いは届いたのだろうか? 冗談でも良いから一度聞いてみたいものだ。この新しい生命がやがて大人になった頃にでも。

 ――お前は俺の本当の妹サチなのか? 生まれ変わって俺に会いに来たのか? と。

 果たしてこの子はどう答えるだろうか? イエス? ノー? それとも――?

 しかしこれだけは言えた。あの頃起きた魔法。摩訶不思議がまたいきなり発生するのと同じく我が子――越坂部幸(おさかべさち)がこの落書きに似る事のない様、切に祈るばかりだ。なぜかって? 決まってるじゃないか。

 あんなトラブルメーカーを抱えたら、妻の渚だって困るしまず俺の身がもたない。(了)

 この小説を読んでくれた方々にはこれ以上ない感謝の気持ちでいっぱいです。例え内容に何の感慨も生まれずに面白くなかったと思われても、作者としては読んでもらえただけで嬉しい限りです。特に最後まで読んでくれた方々には精一杯のありがとうの賛辞を送りたいです。

 そしてやはり最後にもう一声――あなたに幸あれ!

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点]  読み終えて、とても不思議な物語だったなと思いました。  主人公の落書きから生まれた妹の「サチ」が巻き起こす様々などこか不思議な出来事、それがコメディタッチで描かれ、時おり挟まれるシリアス…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ