5th Stg第60話「Hostage-1」
王室専用別荘のセイレンのある一室の前で、一人のかわいらしいメイドが、困った様子で部屋のドアをノックしていた。その部屋のドアには、なぜか本人のイメージとかけ離れた、キュートな表札がかかっていた。『Pablo George Granados』
「パブロ様?お部屋にいらっしゃいますか?」
どうやら、パブロは部屋には戻っていないようだった。そこにちょうど通りかかったのは、いつも通りの飾り気のない服装に、乱雑に後ろに髪を縛ったサラだった。
「パブロなら、武器手入れとか言って離れの倉庫だが・・・なにか?」
その声に振り向いたメイドは、手に持った手紙を見せてこう言った。
「あ・・・プリンセス、この手紙パブロ様のお父様からではないかと思いまして、早めに届けて差し上げようと・・・」サラはそのエアメールの差出人を確認した。
「・・・スペイン海軍情報部・・ああ、確かにその通りだ。机の上にでも置いておいたら?午後には帰ってくるから、私もあいつの日焼け顔を見つけたら連絡しておくよ。」
「はい、では失礼して・・・」メイドはそうっとドアを開けた。
大きな軍用のナップザックがいくつも壁にかけられ、あちらこちらに服が散乱していたその様子は、とてもきれいとは言えない状態だった。
机の上には、海軍の制服を着たパブロの父に寄り添っている母と、妹らしき人物が写っている写真が置いてあった。その横には敬虔なクリスチャンらしく、聖書のあるページが開かれた状態で置いてあった。何気に部屋の中を見てしまったサラとメイドはお互い顔を見合せて笑った。
「相変わらず、汚い部屋だな・・・」
手紙をそうっと机に置くと、二人は部屋から出て行った。
アンドレの部屋の前でサラはメイドと別れると、重厚な白いドアを開け部屋の中へはいっていった。豪勢なリビングを抜け、キングサイズのベッドルームから続きになっている書斎を見渡したが、いつもいるはずのアンドレがそこにはいなかった。
サラはふと、窓際のカウチに目を向けると、そこに寝そべり本を胸の上においたまま眠ってしまったアンドレの姿を見つけた。
『こんなところで・・・珍しいわね。』サラはそうっと胸元にある本を手に取った。
「Clausewitz・・Vom Kriege(クラウゼビッツの戦争論)か・・・。」何気なくそこに眠ってしまったアンドレの横顔をじっと見つめた・・・・。
「・・・・この人は・・本気で私と?・・・」右手の薬指にはめた指輪を見て、そしてまたアンドレの寝顔を見つめた…。アンドレの金髪がキラキラと太陽の光に反射している。
「今のこの気持ちが愛なんだとベンは言うけれど、でも、こんな素敵な人をどこかのセレブお嬢様がほうっておくわけないじゃない。それに、この豪華な部屋、・・・大勢の料理人、メイドと運転手・・・きらびやかなダンスパーティ・・。まるで、わたしの生活観とは180度違う世界。・・・私と結婚しても、彼が迷惑するだけ・・・」
「ん・・・あ・・いけない。いつの間にか眠ってしまったようですね・・・。」
突然目を覚ましたアンドレにサラはあわててその場から1,2歩後ずさりした。
「せ・・・戦闘レクチャーがきついのでは?」
「いいえ、そんなことはありません・・・。」起き上がりネクタイを直すアンドレの右手薬指には、サラと同じ指輪がきらめいていた。なぜかドギマギしてしまうサラだった。
「えっと、午後のスケジュールは1時でしたね。」
「えっと・・例の買い物ってやつ?」
「ええ、来週の金曜日に行われるフォイオン歌劇団のオペラに呼ばれているんです。そのときの服を買いに」
「オペラ??あ・・でもたくさん服、持ってるのに・・」
「私のではありませんよ・・・あ、サラは王室経営のワイナリー牧場には行かれましたか?」
「ワイナリー牧場?」
「はい。スタインベック王家では昔からワインに使われる葡萄の栽培をしているんです。おじいさんの時代にはワイン工場もできて、経営にも着手しました。買い物のあと是非行って見ましょう!」
サラは男物のシャツの襟を正してこういった。
「あのさ・・ウィル、一応あなたはテロリストから狙われているのですから、・・・あんまり外出は控えていただいたほうが・・」アンドレはただ笑っただけだった。
「オスカーが是非、出来立てのワインを飲みたいと話していましたから。ICCトラックも一緒に運ばれます。」
「・・・・・・」
「休暇明けのホウィも興味があるそうですし、ベンもパブロも一緒に行って、向こうで夕食をする予定です。」
「そんな急に」
「あ・・今朝、みんなでそういう話になったんですよ・・・サラはまだベッドの中でしたけど・・」
「・・了解・・・」体裁悪そうに頭に手をやるサラだった。サラは必要な時以外はいつまでもベッドの中でまどろんでいることの多い女性だ。しかし戦闘時には、2日間でも3日間でも寝ないで作戦を遂行することもある。実際初めてこのフォイオンに入国した時もそんな状態だった。はるばるアメリカ合衆国オハイオ州から飛行機を乗り継ぎ、一睡もせずやっとたどり着いたばかりの彼女に、いきなりの護衛勤務が待っていた。しかもフィアンセとしての初任務だった。
午後12時半を回ったころ、フォイオンの街中に黒塗り高級車3台が、警護官たちに先導されながら走って行くのが見えた。ダウンタウンのこれもまた高級そうなブティックの前に車が停まると、中からベンとアンドレ、サラが出てきた。
「車を走らせておけ、ここを出るころには電話する。」ベンがそういうと運転手は笑顔とともに返事をして、その場から走り去って行った。サラはたどり着いた目的地のブティックには何の興味も見せなかったが、かわりに道路を交通統制する警察官の姿を確認した。対面のビルのあちらこちらに警護官が小銃を手に立っているのが見える。
今日という特別な日だけ、ブティックの窓にしっかりとカーテンが下ろされたその店の玄関から、スーツを着たマダムがあわただしく出てきた。
「お久しぶりですアンドレ王。お元気そうで何よりです。」
「マダムイザベラ、お元気でしたか?今日は是非よろしく」
「お任せくださいませ・・さあ、中に」ドアから中に入ると、4,5人の女性が整列して待っていた。
「ちょっと失礼」サラはそういうと、先を歩いていくアンドレを抑えて、フィッティングルームのカーテンを勢い良く開け中を確認しだした。持っていたライトを鏡にあてチェックし、その後もトイレに向かい窓ガラスなど確認するサラだった。
「私も確認済みだ。異常はない、俺は外にいる。」そんな彼女の様子を見ていたベンがそう声をかけ、ドアから外に出て行った。
「了解・・・女性たちの身体検査をさせてくれ。」サラは従業員たち女性の前に躍り出た。
「はい。みんなこちらへ」マダムの指示に女性たちが一斉に整列して見せた。ボディチェックを終えると納得したようにうなずいて、その場から離れたサラだった。
「いつになく、慎重ですねサラ」
「ベンにあんなこといわれて、少し神経質なのかもな・・・」
「あんなことって?」
サラの脳裏には体育館で行われたコンサートでの、ベンの言葉がぐるぐる廻り廻っていた。
『ベルヌーイが、やつらの仲間にサイレンサー付の拳銃で、見事に心臓を撃ち抜かれていたそうだ。・・・いつか・・・アンドレ王もそんな風になってしまうのかもしれないな』
しばし呆然としてしまったサラだったが、すべてを打ち消すかのような顔つきをしてこういった。
「いや、なんでもない・・じゃ、私はエントランス付近にいる。」
「ふふふ・・サラ。ここは女性もののドレスショップですよ。」
「?」出て行こうとするサラは、そこにあるドレスが女性のものばかり、ずらりと並んでいることに初めて気がついた。
「ある程度こちらで用意させていただきました。こんなのはいかがでしょうか?」
そういってロングドレスを次々と、サラにあてがいだす女性たちだった。
「え?私?」
「サラのドレスが決まらないと、私のスーツも決まりませんから。」サラのカモフラージュカラーのバックパックを取り上げた女性が、床にそれを置いたとたんゴトっと重い音がした。
「気をつけろ!その鞄には殺傷力の高い・・・」
そんな言葉が聞こえたのかどうか、別の女性が彼女の男物の上着を脱がした。T-シャツの上には拳銃がぶら下がっている。
「サラ様、ではこちらのドレスを。まずは着てみないとなんともいえませんから・・・靴はこちらで・・」サラを無理やりフィッティングルームに押し込めた。
「私は・・・」大きな鏡を前に、ドレスを持って立ち尽くすサラだった。
「こんな服着ていては、ウィルを守れない。」サラはアンドレが撃たれて倒れるシーンを想像してしまうと、思い立ったように彼の名前を呼んだ。
「ウィル!」しばらくするとカーテンの向こうにアンドレの姿がぼうっと映った。
「あのウィル、これでは契約が果たせるかどうかわからない。私はボディガードとしてあなたを守るためにフォイオンに来たんだ。こんな服を着ていては、任務を遂行できないと断言する!!」
「大丈夫です。私があなたを守ります。」サラは言葉がきつくなっていった。
「何を馬鹿なことを!!無理だ!!戦闘の基本も知らない素人に、そんなことができるわけがない!!」まるで下級兵士に怒鳴りつけるような口調だった。カーテンにさえぎられたその環境が、彼へのセリフに対する戸惑いを払拭させたようだった。その瞬間アンドレがカーテンを開けた。
『やはり、この人の顔を見ながらだとそんな大口もたたけなくなる・・・。』
急にサラはうつむいてしまった。
「私には無理と?」
「・・・いや・・その・・・」
「サラ、私には力になってくれる人たちがたくさんいます。もっと、ベンや他のエージェントを信用してください。あなたはいつも率先して危険な前線に立ちたがる。今でもそういうところは変わっていないと・・・ベンが言っていました。」
「しかし、ウィルが死んでしまっては・・・何にもならない。あなたを守ることが私の任務・・・」
「あなた一人でこの任務を請け負っているわけではありませんよ。なんだか、一人死に急いでいるように感じるのは、私だけでしょうか?」
「・・・私には、孤児院に預けられた時から、待っている家族も友人もいない。だから・・・」
「今もそうですか?」じっとサラを見つめるアンドレだった。
「・・・そ、それは・・気持ちはありがたいけど・・・。私とではあまりに環境が違いすぎて・・。家族になれる自信がない。」
「では・・・私が王室から出ればいいのですか?私はあなたと一緒にいられるなら、この地位も名誉も何もいらない。私のボディガードではなく、家族の一員として側にいてほしいのです。」
サラの目を真剣に見つめるアンドレだった。困ったサラは、持っていたドレスを握り締めるのが精いっぱいだった。アンドレはフィッティングルームに強引に入り込み、カーテンを後ろ手で勢い良く締めるとサラの体を抱き寄せた。
「あなたの過去がどんなに悲惨なものだったか、私には想像の世界でしかない・・。でも、もっと自分を大切にしてほしいのです・・・」
アンドレは彼女の後ろ手に無造作に縛られた髪をほどくと、腰まで伸びたその長い髪をそうっとなでた。サラは今までにないこんな経験に、どんな過酷な作戦を実行するよりも高い胸の鼓動を隠すことはできなかった。
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