第八話 ダンジョンの更なる付記。都市の問題点を自宅にて黙考
実際ダンジョンは成長している。
人の見ていないところで、音もなく、少しずつ、広がっていく。古くなり劣化した区画は、これまた静かに壁に吸い込まれて消えていくという。
ダンジョンは冒険者を食べて新陳代謝を行う獣で、都市の地下に潜む病魔であった。
とは言え、都市はダンジョンから直接の被害を受けたことがなかった。ダンジョンはあまりに深い場所に位置し、水道管敷設工事の障害にはなりえなかったし、モンスターがダンジョンから這い登ってくるというのは、街の住民のあらゆる年齢層の潜在的な恐怖ではあったが、闇の生物が心地よいダンジョンを離れて、わざわざ騒がしい都市へ上って来たという証拠は一つとして存在しなかった。
エレベーター乗り場周辺の一角は企業組合からエレベーターボーイに任されていて、彼の家もそこにあった。
ビルの影となって乗り場は薄暗いが、ダンジョンから上がってきたばかりのエレベーターボーイにとってはそれでも十分すぎるほどの光度だ。
駄馬同様、いくら優秀なエレベーターであれ、ぶっ続けで走らせ続けるとつぶれてしまう。加えてエレベーターボーイの健康に対する闇の問題もあった。
そういうわけで、エレベーターボーイは自身を完璧にリラックスの状態へと持っていき、陽の光の差し込むスポットにおいた観葉植物にブリキのじょうろで水をやっている。鼻歌なども歌ってみるが、これは自身のエレベーターの籠が移動の際にたてる音を真似ているのだから、音楽の形にはなっていない。
ダンジョンの闇は刺激的だし、エレベーターには中毒しているエレベーターボーイだが、こういう息抜きは必須だ。
だが、急にその顔はダンジョンの深みにいる時のように、険しいものとなった。
植物に異常があった。葉はしおれ、花は黒ずんでいる。毒をくらった冒険者のように病的な気配があった。
そして、少しずつだが、植物の具合は日々悪くなっているのに気付いている。
原因は?
エレベーターボーイはじろりと首をめぐらし、上方へと目をやった。
高架路線を、都市が消費するための石炭を満載した汽車が走っていく。その向こうでは、大型熱水紡績機を装備した工場から煙突が伸びていて、もうもうと粉塵や黒煙を吐いている。
自分の庭先でこの有様だ。
工場で働く労働者の肺の底には、植物を弱らせている空気中の塵がずっしりとたまっているという。治癒魔法さえ効果のない公害だ。
モンスターに満ちた、地獄への入り口、ダンジョンでの冒険者としての生と、有害な空気の中、単調な作業に従事しながらゆっくり都市へ近づくのと、どちらがまともな生き方と言えるのだろうか。
エレベーターボーイは庭の植物に目を戻した。
「……そのうちダンジョン産の植物を植えねばならなくなるかもしれんな」