第三話 0階層
朝。二人の男がダンジョンへの入り口、エレベーター乗り場で茶を飲んでいた。
街は騒々しく動き出そうとしている。ダンジョンへの道を開いた企業組合の露天のロビーは、早くも人でごった返している。ダンジョンに冒険者が集まることは同時に色々なものを呼び寄せていた。
物々しく武装し、少人数ごとに固まっているのは冒険者だ。彼らは手に持つ槍の石突きで敷石を叩き、あるいは火筒の弾や、矢尻を削っていた。ローブを着た謎めいた雰囲気の男女は魔術を専門にした冒険者で、属性が何であれ、魔力の続く限り、彼らの攻撃魔法は砲兵一分隊の戦力を提供する。また、治癒魔法を習得した僧侶も、パーティーにいると心強い存在だろう。
一人で行動する冒険者は希だった。そういうのはど素人か凄腕かのどちらかだ。そして、多くはダンジョン探索の才能以外なんら取り柄を持ち合わせていない風吹鳥の雰囲気をまとっていた。
床の上では商人が兜を並べ、研ぎ師や整備士が客を待っている。他にも、伝道者、勧誘商人、あるいはそれ以外の冒険者にメッセージを送りたがる連中。腕のいい冒険者ならダンジョンの外でも職にありつける。
企業組合の運送用重エレベーターの扉が開き、疲れ果てた労働者の大群が休憩のために出てきた。夜明けから企業組合所属の施設の隅々までエネルギーを送るための過酷な労苦にさらされるにもかかわらず、彼らの賃金は雀の涙ほどもない。
熱水機関の発展は信じがたいほど大きな機械を動かすことを容易にし、そのため田舎にて、手で物を作っていた人々は職を失った。一つの巨大機械が都市の工場で産声を上げるごとに、村単位で失業者が生まれていく。
多くの人々が、餓死か、それとも都市内でひどい仕事を見つけるかの二択を迫られた。
そして、都市の生活は光に満ちている。光にひきつけられる羽虫のように、今日も大勢の人間が雪崩こんで来ては、都市を形作るピースを増すのだ。
ダンジョンの冒険者にして、小柄なシーフ、ホロンは上を見上げた。
頭上五十メートルの高架をけたたましい音と共に、石炭と魔法の炎から生み出されるパワーをまとった汽車が走っていく。客車の中のみならず、客車の横や上にも客が鈴なりになっている。
都市は人間を取り込んで成長する巨大な生物に思えた。産み出されるエネルギーはさながら都市の血管を走る熱い血液だ。汽車の高架の横では新たな高架を増設するためのクレーンがゆっくりと鉄骨を吊り上げていた。
架橋だけではない。ホロンの頭上ではいたるところでものが作られ、煙霧に汚れた危なっかしい足場を金槌を持った大工が走り回っていた。
急激な人口増に対処するために都市は横のみならず、上の方向へも広がっていかねばならないのだ。
先日は街のために新たな川が作られた。百棟もの家々が川に押し流されたが、かわりに一万人のための水が手に入り、実行者の企業組合に賞賛が寄せられた。
なるほど、企業組合は強引な統治者かもしれない。だが、統治者とはそういうものだろう。商人たちが統治を始める以前の、悪名しか残さなかった王たちの治世と比べれば、企業組合の統治は実に単純で理にかなっている。都市住民はそう思うことだろう。企業組合は気まぐれを起こしたりしない。その目的は彼らの利益にのみで、それゆえ分かりやすい。
この急激な、そして無秩序な都市の成長が止まる時、街はどのような姿になっていることだろう、とホロンはすでに多くの人によってなされたに違いない事柄について想像を巡らした。
「なんてやかましい機械だ。無粋で、下品で、怠惰にまみれておる。まったく反吐が出よう」
ホロンの想像を、口汚い罵りが打ち破った。
ホロンの向かいに座る男が、忌々しげに頭上を睨んでいる。
「汽車も、あんたのエレベーターも似たようなもんだろ、エレベーターボーイ?」
ホロンは言った。
男はエレベーターボーイの名で知られていた。
「所詮は動く方向の違いだ。いや、あんたのエレベーターは横方向にも動けたな。じゃあ、あんたのエレベーターは汽車だよ。そういうことだ、汽車ボーイ」
「黙れ。俺のは、かように煙を吐いたりはせぬ」
エレベーターボーイはぶっきらぼうに言った。無論、ダンジョンの中でエレベーターが煙なんか吐いたら、それはひどいことになるだろう。
世の中にエレベーターボーイは数多けれども、ホロンの前にいるのはエレベーターボーイの中のエレベーターボーイと呼ぶべき男だった。エレベーターボーイという仕事は、汽車を進める操作よりも技術が必要とされ、そしてダンジョンに設けられたエレベーターはそれ以外のエレベーターよりも遥かに危険な職場だった。血に飢えたモンスターは冒険者だろうと、エレベーターボーイだろうと、区別はしないのだ。ダンジョンのエレベーターを長く操っているものは、大胆さや、職業の知恵を兼ね備えているはずだ。
ホロンの眼前のエレベーターボーイは企業組合13号ダンジョンのエレベーターの主。
彼が受け持つ階層、その数は百。
ホロンの知る限り、それはあらゆるエレベーターボーイの中でも最高の数字だった。
エレベーターボーイは細面の男で、長年暗黒の地下で過ごしすぎたのだろうことをうかがわせる風貌だ。顔には刻まれたような傷にまみれ、手足は蜘蛛の脚のようにひょろ長いが、軟弱な感じは全くなく、むしろ余分なものを削ぎ落とした感じだ。
汚れたつなぎを着て、さして強くもない陽光に目を細めているこの男の名は、本人でさえ知らないのかもしれず、誰もが職業名で彼を呼ばざるをえなかったが、本人もエレベーターボーイと呼ばれることにやぶさかでない様子だった。
ホロンとエレベーターボーイは、夜通し続いたギールとシャルナの92階層制覇を祝うパーティーから出たあと、ここで日の出を待った。
ホロンは新聞を一枚手に取り、新聞紙のまだ乾いていないインクが手を汚すのを見て、口をへの字に曲げた。
「まったく、インクってのは嫌なものだね。私はもうインクなんか使ってないよ。最近発見された瀝青炭から抽出されたパラフィンという蝋で手紙を書いているんだ」
「蝋で? 正気か」
「文字を溶かせば、何度でも紙を再利用できるからね。ものを作るには原材料が必要だし、その量は有限だ。近いうちに世界もそれに気付いて、私を見習うかもしれない」
「ありそうもない話に聞こえるがな」
「ああ、そうそう、今朝の新聞は読んだか、エレベーターボーイ?」
「あとで読む。一種類だけを」
「少な過ぎる」
「エレベーターボーイは素朴な職業で、それで事足りるのだ、こそ泥殿」
ホロンの前には新聞の束があった。シーフは情報を武器に生きる職業だ。複雑化された社会では様々な点から物事を観察して、そこから策略を立てて生きのびねばならない。そして、時の流れもホロンの味方だった。印刷技術は発達し、情報はかつてなく早く伝わる時代となりつつあるのだ。
ホロンは確かにシーフだし、企業組合のダンジョン管理部にもそう登録していたが、自分はただの世間一般に認識されている、いわゆる二枚舌のこそ泥よりも大物だろうと考えていた。
相手がモンスターだろうが、冒険者だろうと、あるいはそれ以外の一般人であってさえ、策と、腕前さえあれば盗めないものなどないのだ。そこには独特の定理があった。そのために、ホロンには敵が多いが、それもまた生活に勢いをつける事柄だ。
ホロンは最近、自分をプランナーと呼んでいる。だが、残念ながらそんな名のジョブは登録することができなかった。
ホロンは一枚の新聞を広げた。
「見ろ、これを。西方の都市で新式の熱水機関が開発されて、特許を取ったようだった。いま街で使われているものの二倍の効率だとよ」
「悪いが、大して興味をそそられぬ。エレベーターの籠をひっぱるケーブルは確かに熱水機関で巻き上げられるが、俺のエレベーターの籠がやるのはそのケーブルにしがみついたり離れたりするだけでな。俺と熱水機関に直接の関わりはない」
ホロンは興をそがれる。
「毎度のことながら、私がどんな話題を持ってきても反応薄いな」
「俺がエレベーター以外愛せないことを知らなんだか、こそ泥殿?」
「こそ泥じゃない。プランナーだ。とにかくなにか仕事以外にも趣味を持とうよ。奇抜なアイディアって奴はまったく異質のジャンルが融合して生まれるものなんだ」
「なぜに俺のエレベーターに奇抜なアイディアが必要なのだ?」
ホロンは嘆息してその話題を切り上げることにした。だが、すぐに顔を上げ、げっ歯類のように悪戯っぽく目を光らせて言った。
「エレベーターボーイ、エレベーターを失った後、どうやって生きていくか考えてみたらどうだい?」
「馬鹿を言うな」
エレベーターの声はモンスターのうなり声のようだった。
「俺がエレベーターを失うなんてことがあってたまるか」