影が光に
僕は目を覚ました。視界がぼんやりとしている。眩しい。部屋の中は真っ白だった。眩しすぎて僕は目を細めていた。ベッドの上にいるのは確認できたが、様子がいつもとおかしい。
僕は状況が飲み込めなかった。
ズキッ。
体に激痛が走る。次第に目が慣れてきた。痛む腹部を確認する。包帯が巻かれていた。上体を動かすことはできない。僕は今いる部屋を見渡した。部屋にはベッド以外のものはない。僕の右から光が差し込んでくる。窓ガラスがあり、外は空しか見えない。雲一つない真っ青な空だ。
その窓には、鉄格子と言うのだろうか。白い格子が縦に並んでいる。僕は監禁されているのだろうか。左にはドアがある。恐らくこのドアも外から鍵が掛けてあるのだろう。僕の目に付くものはこれだけだった。何もない部屋のベッドの上で、ただ寝ている。それだけだ。
コツ、コツ、コツ、コツ……。ドアの向こうから足音がゆっくり近づいてくる。ゆっくりとしたリズムは変わらないが、次第にその音が大きくなり止まった。どうやら僕の部屋の前で止まったようだ。部屋の前で止まったが、すぐにはドアは動かない。ドアの向こうでは話し声らしいものが聞こえるが、内容までは聞こえない。ドアが右にスライドし、笑顔で一人が部屋に入ってきた。若い女性だったが、全身真っ白の服を着ていた。
『ここはどこですか?どうして僕はここにいるんです?』
その女性は目を大きく見開き、何かにとても驚いたようだった。それから慌てて部屋の外へ出ていった。驚かせたようだが、僕には意味が分からない。僕がしゃべったことに驚いたのか。僕はどれくらい寝ていたのだろう。しばらくすると、先程の女性が戻ってきた。一人ではない。白髪混じりの男を連れてきたようだ。
『こんにちは。気分は?』
白髪の男は急に僕に話し掛けてきた。
『お腹が痛みます』
僕は包帯の巻かれた腹部を指差した。
『意識ははっきりしているようだね』
男が笑い掛ける。
『ここはどこですか?貴方は?』
『何も心配しなくていい。まだゆっくり休みなせい』
男は僕の言葉を遮り、それ以上は何も話さなかった。二人は部屋を出ていった。僕は広い部屋のベッドの上で一人になった。何もすることがなく、することもできない。ベッドから起き上がることもできず、ただここにいるだけだ。窓の外が暗くなるにつれ、僕はそのまま意識を失った。
*
私は目を覚ますと、前回とは違い一人でした。
部屋はしっかりと三重の施錠がしてありました。
鍵を開けたのは私ですわ。
さぁ、どうしてでしょう。私の性格でしょうか。
ちょっと意地悪な所がありますの。
最後に色々な方を少しだけ困らせてあげようかと思ったのね。
私もここで新聞を読ませて頂きましたけど、皆さんお困りでしたわ。
まだ警察の方々は私を捜されているのかしら。
ほら、面白いでしょう。
森田さんだったかしら、あの警察の方。
あの方とも是非お会いしたいわ。
笹木さんにも。
貴方ももう安登蔵さんから聞いてご存じなんでしょう?
僕が次に気付いたのは夜だった。この部屋には時計がない。正確な時間は分からないが、窓の外は真っ暗だった。月明かりが部屋を明るく照らしていた。腹部の痛みはすでにひいていた。ベッドからも起き上がることができた。左のドアはやはり外から鍵が掛けてあるようだ。窓に近付き外を見渡すも、何も見えない。この建物の周りには何も明かりが見えない。しかも真っ白い鉄格子があり、窓を開けることもできない。
僕は部屋を見渡す。ベッドの横にテーブルがあり、その上に新聞が置いてあった。僕はその新聞を見て驚いた。新聞の日付は4月30日だった。
僕が覚えているのは……。森田が僕の部屋から帰った夜、あれは4月13日だった。あれから何があったか分からないが、僕は腹部に怪我をして監禁されている。この怪我は塚本香織によるものだったのだろうか。結局僕は塚本香織に襲われたのか。
しかしどうやって。どうして僕にその記憶がないのか。怪我のショックで一時的な記憶喪失でも起きているのだろうか。森田が出ていって、僕はベッドへ入った。次の記憶は明るい部屋で、女と白髪の男と話をした。すっぽりと抜け落ちているが、その間に何かあったとしか考えられない。白髪の男と話をして、僕はまた眠ってしまったはずだ。そして今だ。あの日がいつかは分からないが、昏睡状態だろうか。一度眠ってから、次に意識を取り戻すまで長い時間が掛かっているようだ。
今回はまだ意識を失うわけにはいかない。確かめたいことがたくさんある。僕はそれからずっと空を見ていた。真っ暗い空が次第に明るくなり、鳥の鳴き声が聞こえ、部屋の中が最初見たときのように真っ白になった。僕の意識ははっきりしていた。誰かがこの部屋に入ってくるのをじっと待っていた。
コツ、コツ、コツ、コツ。
この前と同様に足音が近づいてくる。僕はゆっくりと待った。話し声はない。今回は一人のようだ。ゆっくりとドアがスライドされる。この前と同じ女が入ってきた。
『もう起きてらっしゃったんですね?おはようございます』
女から僕に話し掛けてきた。
『おはようございます』
僕は落ち着いて、ゆっくり話した。
『今日は何日ですか?』
『5月1ですよ』
女は笑顔で答えた。この前のように、すぐに出ていこうとはしない。
『僕はどれくらい意識を失っていたんですか?』
女は一瞬顔を傾けたような気がしたが、真っすぐに僕の方を向き直した。
『この前私は安登蔵さんとこの部屋でお会いしましたよね?あの日から安登蔵さんはずっと眠っていました』
『何日くらいですか?』
『あの日が4月20日ですので、11日目ですね。』
女は僕の質問を予想していたようで、考えることなくさらっと答え続ける。
『ここはどこですか?僕はなぜ監禁されているんですか?』
『ここは病院ですよ。安登蔵さんは監禁なんかされていませんよ。この入院されている患者さんですから』
『僕は怪我をしていました。入院の原因はこれですね』
僕は痛みのひいた腹部を指差した。
『えぇ。その通りです』
『刺されたのですか?申し訳ないんですが、その記憶が全くないんです』
僕が頭の中をどれだけ捜索しても、その記憶はなかった。
『深い刺し傷が複数ありました。今はだいぶよくなりましたね』
僕はやはり刺されていた。塚本香織だろうか。
『僕が見つかったときは、一人だったんですか?誰が僕を病院へ?』
『第一発見者は警察の方だと伺っています。それ以上のことは分かりませんが……。』
警察、森田だろうか。
『僕の携帯はありますか?』
『申し訳ありません。まだ先生から外部との連絡は許可が出ておりませんので』
僕は疲れていた。久しぶりに人と話したからだろうか。そういえば夜中からずっと起きていた。僕はおとなしく引き下がった。どれだけ睡眠を取っても、人間は眠くなるようだ。最後に僕は一つだけお願いをした。
『煙草とコーヒーがほしい』
『次、目が覚める迄に用意をします』
女は笑顔で僕に言った。僕に布団を掛けて、女は出ていった。
*
えぇ。
私が刺しました。
お腹を大きく三回。
ブスッ、ブスッ……って。
たくさん真っ赤な血が出たでしょうね。残念なことに私もそこで気が遠くなったようではっきりとは覚えていませんの。
痛かったでしょうね。
真っ赤な血が噴水のように吹き出したのかしら。
全く覚えていないの。見たかったわ。安登蔵さんの噴水。
森田さんだったかしら。彼が私の側で何か騒いでいましたわ。
それから気が付いたら私はベッドの上でした。
三日くらい私は眠り続けたのかしら。
目を覚ますと、私は驚きました。太陽の光が眩しかったわ。
そしてここに来ました。
今では目を覚ますのが楽しみだわ。
ときどき欠陥が生じることもあるようですけど……。
僕は目を覚ました。また窓の外は明け方のようだ。あれから僕はまた眠り続けていたのだろうか。今日は5/2だろうか。時間も分からない。僕はどうしてここにいるのか。もう腹部の傷は十分に治っていた。傷の具合からして、あれから一日ということはなさそうだ。
鉄格子越しに、窓の外を見るが何も見えない。次第に明るくなる空だけをただ見ていた。部屋は僕以外誰もいない。静まり返った部屋で、ただ一人外を見ている。煙草が吸いたかった。
*
私はもうここにいる必要はないでしょう。
一人でも普通に生活できますもの。一人って本当に素敵ですわ。
閉じ込めるのも上手くなったでしょう。
でもあの人はそのことにすら気付いていないみたいですわね。
何だか少し可哀想だわ。
でもそれは私も同じですわ。
私はやっと私を手に入れることができました。
これからも私は生きていきますわ。私の好きなように。
僕が次に目が覚めたとき、目の前にはあの白髪の男がいた。後ろにはあの女も一緒だ。僕は辺りを見回す。鉄格子の部屋のようだ。ベッドではなく、僕は椅子に座っていた。
『気分はどうですか?私の声は聞こえますか?』
白髪の男が話し掛けていた。
『あの……。』
『貴方のお名前は?』
『安登蔵です。貴方は?』
『こうやってちゃんと話すのは初めてですね?初めまして。私は森川と言います』
白髪の男が丁寧な口調で挨拶をした。
煙草とコーヒーがほしい』
僕は状況が全く飲み込まない。とりあえず煙草を補給し落ち着きたかった。
『どうぞ、安登蔵さん』
女が笑顔で差し出してきた。僕の銘柄だ。僕は女に一言お礼を言い、煙草に火をつける。大きく深呼吸をし、灰の中を煙で満たす。世界が大きくぐらついた。久しぶりの煙草だからか。
『落ち着きましたか?』
白髪の男がコーヒーを差出しながら話し掛ける。苦いコーヒーが体内に入り、次第に思考がクリアになる。
『えぇ、なんとか』
『これからいくつか質問をさせてもらいます。よろしいですか?』
白髪の男がまたゆっくりと話し始めた。
『安登蔵さん、今私と話している前の記憶はいつですか?』
『夜中でした。ベッドで目を覚ましたら、真っ暗でした』
しかし、僕はそれがいつかは分からない。
『今日は何日ですか?新聞を見せてください』
僕は確かめたかった。どれくらい意識を失っていたのか。
『今日は5月16日です。今は13:00です』
僕の覚えている最後の日付は新聞で確認した5月1日だった。女が新聞を持ってくる。本当だ。ここで見た新聞の日付から2週間も進んでいた。
『僕が覚えているのは5月1日です。その後に一度起きたのが夜中でそのまま寝てしまいました』
白髪の森川はメモをとりながら話を進めている。
『塚本香織さんについて、聞かせてもらえますか?』
『どうして知っているんです?誰から?』
『森田さんから聞きました』
森川の口からさらっと森田の名前が出てきた。僕はびっくりした。
『じゃ、ここに僕を運んだ警察って森田のことですか?』
『正確に言うとここではないいんですが、森田さんが救急車を呼んだのは確かです』
『森田には今、会えないんですか?』
森川は黙っていた。僕は煙草に再度火をつけた。
『話を戻しますよ。塚本香織さんのことですが・・・・・・』
『僕に脅迫メールを送ってきました。僕を殺すと書いてありました』
僕は興奮して話していただろう。
『落ち着いて、ゆっくりしゃべりなさい。ここは大丈夫ですから』
ここは大丈夫?まだ僕は塚本香織に命を狙われたままなのだろうか。腹部に大怪我をしたようだが、恐らく塚本香織が刺したに違いない。まだ塚本香織は捕まっていないのか。
『塚本香織が僕を刺したんですよね?』
『そうなりますね』
『塚本香織はまだ逃げているんですか?どうして森田が来たときには捕まえられなかったんですか?』
僕の頭の中は聞けば聞くほどますます混乱して来る。
『森田さんが安登蔵さんを部屋で見つけたときは、安登蔵さん一人でしたそうです』
塚本香織は僕に怪我を負わせ、逃走中なのか。だから僕はここにいるのだ。ここから出られないように監視されているのではなく、保護されていると言ったほうがいいかもしれない。
『どうして僕は長い間眠りつづけているのですか?覚えているだけでも、最初は11日間寝続けて、今回は何日なのか分かりません。』
森川は優しい目をしてこちらをじっと見つめる。
『精神的なショックからだろうと思います。でもまだよく分からないのです。寝ている間はどうですか?何か覚えていますか?』
寝ている間に記憶できる人間などいるのだろうか。もともと眠りは浅いほうだったが、夢すら見ることも無い。何も覚えていない。
僕は首を横に振った。塚本香織には襲われたものの、一命は取り留めたようだ。それから病院で眠った日が続き、今回がここでの目覚めの3回目。
『色々と一度に話しすぎたかな。大丈夫ですか?』
白髪の森川は子供にでも話し掛けるかのように、優しく話し掛ける。
『ゆっくり休みなさい』
白髪の森川はそのままドアへ近づき、お辞儀だけをして先に出て行った。女が近づいて布団を掛ける。
『また来てくださいね』
女はそう呟いた。
*
私は普通です。
至って正常ですわ。
以前にもお話しましたでしょう?
私のいた場所は暗い暗い小さな部屋。
私はその部屋から出てきたの。
これからは明るい世界で私は過ごします。
私は塚本香織です。
ただのアナグラムですわ。
お気付きにならなかったのですか?
私、こういう言葉遊び結構好きなんです。 |