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夕方 滅入る You got Mail
作:Jun Mu



新たな影


   *

 私は気が付くと一人ではありませんだした。
 これは珍しいことでした。
 私はたいてい一人でしたから。
 本当はあのときもお話をしようか迷いましたの。
 でも私以外の人とこうやってお話をすることはすごく楽しいですわ。
 何でもいいわ。お話をしましょう。
 貴方も私の気持ちはお分りになってくれたのでしょう。



 次の朝、目が覚めるとすでに森田は起きていた。
『おはよう』
 森田が先に口を動かした。僕もそれに応える。すでに森田は隣で僕より早くコーヒーと煙草を接種していた。僕も森田の入れたコーヒーをカップに注ぎ、煙草に火をつける。
『久しぶりにしっかり眠れたか?熟睡だったな』
 塚本香織のメール以来、僕があまり眠ていないと思ったのだろう。
『誰かがいるっていう安心感かな』
 僕は笑いながら言った。しかし僕は基本的に眠りが浅い。珍しく熟睡していたようだ。
『お前は何時に出るんだ?』
『まだ大丈夫だ。思いの外、長居してしまった』
 そろそろ森田が家へ来て12時間が経つ頃だ。僕はシャワーを森田に貸している間、PCを立ち上げて今日二本目の煙草をくわえた。とりあえずメールをチェックする。さすがに仕事のメールはまだ届いていない。迷惑メールが数件。塚本香織からのメールも届いていなかった。
 しばらくゆっくり煙を吸い込んでいると森田がシャワーから出てきた。
『塚本香織からのメールは来ていなかっただろ?』
 森田はタオルで頭を拭きながら入ってきた。
『あぁ。確かに来てないが……。どうして分かった?』
 森田は着替えながら、答える。
『まぁ、勘だけどな』
『どうしてそう思ったのかを聞きたいんだよ』
 僕は火を消し、代わりに森田が煙草をくわえ座った。
『勘の根拠を求められてもな。なんとなく……としか言えないな』
 僕は森田の思考が分からない。森田には見えていて、僕には見えていないものでもあるのだろうか。
『ただメールが来てないことは事実なんだろう?』
確かに森田の言う通りだ。この議論も何も答えが出ないまま、有耶無耶うたむやになってしまった。
『そろそろ出ないと間に合わないな』
 森田が時計を見ながら言った。
『あぁ。わざわざすまなかったな。お前が警官でよかったよ。とりあえず相談ができた』
 僕がそう言うと森田は鼻で笑うような素振りを見せた。森田はそのまま右手を軽く上げて、部屋から出ていった。時刻は7:30だった。昨日中村さんには今日も会社を休むかもしれないことを伝えていたが、客先に出すべき書類があった。昨日作成したのはその書類だ。
 僕はとりあえず今日は出社することにし、準備に取り掛かった。昨日から森田への連絡だったが、警察の耳に入っていることは確かだ。森田も警察機構の中の一人なのだから。そう考えると多少気が楽になったのか、落ち着いて行動できているようだ。ただし、今日もタクシーで出社することには変わりない。
 どこかで狙われているかもしれないという恐怖感が完全になくなったわけではなかった。二日前と同様に先にタクシーを呼び、やはり同じように部屋から出るときは細心の注意を払った。前回同様、マンションの中では誰にも会わなかった。本当に僕以外にもちゃんと人が住んでいるのか、疑いたくもなる。僕はエントランスを出ると、タクシーにそのまま乗り込んだ。今回は車内では寝なかった。
 結局いつもの時間に会社には着いた。会社の周りにもこの時間は人がいない。僕は鍵を取出し、ドアノブにゆっくり差し入れる。鍵を回して、引き抜く。ドアノブを回すも、ドアは開かなかった。僕は一瞬にして、中に誰かがいると確信した。僕が鍵を回したときに、逆に鍵を掛けてしまったのだ。
 つまり僕が来たときにはもうすでに鍵は開いていた。僕は怖くなった。僕は部屋の中の誰かが塚本香織であるとイメージしてしまった。昨日の夢に出てきた真っ黒い顔の塚本香織だ。中でナイフを握って僕が入ってくるのを待っているんじゃないか……そう考えると僕はドアノブを回せなかった。ドアノブから音をたてないようにゆっくりと手を離す。
 その瞬間内側からドアが開いた。ドアが僕の足にぶつかったが、それ以上に心臓が激しく動いていた。心臓が口から飛び出すくらい……そう比喩するしかないほど、心拍数が上がっていた。
中からゆっくり人の顔が出てくる。
『お休みじゃなかったんですか?あ、おはようございます』
 中村さんだった。彼女は僕を不思議そうに見ていた。僕の姿が中村さんにはあまりにも大袈裟に映っただろう。
『おはようございます』
 僕はその一言を言うのが精一杯だった。中村さんはまだキョトンとしていた。
『中に入られないですか?』
 くすっと笑うように中村さんが僕を招き入れる。僕はゆっくり周りを見渡しながら部屋に入るが、当然中村さんと僕だけだった。僕はそれから自分のデスクを見た。PCがすでに起動していた。中村さんが僕のPCを扱ってたのだろうか。
『勝手に触ってすいません。安登蔵さんお休みって聞いてたから、捜し物を……』
 塚本香織が僕名義のアドレスからメールを送っていたことを思い出す。それに今日は中村さんも休む予定だったはずだ。
『構いませんよ。何を捜していたんですか?』
 僕は口ではそう答えた。
『今日中に送らないといけない書類がありましたでしょ?安登蔵さんがお休みって言われたので、出さないと……って思って電子ファイルをまず捜していたんですよ。結局見つかってませんけどね』
『ご迷惑を掛けました。電子ファイルの雛形はメールに添付で来たままで、PCには保存してなかったですね……。昨日自宅で作ってきたので、あとは捺印して出すだけですよ』
 昨日プリントアウトした書類を鞄から出した。
『じゃあ、印鑑は捺しますね』
 中村さんに書類を預けた。僕はPCに何か変わった点がないかチェックをするが何も見つからなかった。
 一段落し、僕は煙草に火をつける。しかし塚本香織のイメージはまだ切り離されていなかった。白い煙の中に真っ黒い顔が見えた気がした。結局考えてもそれ以上は進まない。中村さんが僕のPCを扱ったとしても、アカウントのパスワードは分かるはずがない。僕のPCに管理者の権限でログインしていただけだ。個人フォルダの中の書類を捜していたようだが、結局見つからずにそうそうに諦めていたようだ。
 僕はコーヒーメーカをセットする。この作業は僕の仕事かのように、メーカは働くのを待っていた。コーヒーができるまでに、メールをチェックするが今朝の状態とほとんど変わりはない。強いて挙げるなら、迷惑メールが一、二通増えていただけだった。今日は書類を出したら帰る予定だった。中村さんが出社しているのは全く想定外。コーヒーを中村さんへも持っていった。
『ありがとうございます。安登蔵さんの煎れたコーヒーがおいしくて、自分では作らなかったんですぅ』
 中村さんはそう言うとコーヒーを美味しそうに流し込んだ。僕も煙草を片手にコーヒーを楽しむ。脅迫されているわりには暢気なもんだと思う。その瞬間だけは他人事に感じられた。僕はそれから笹木にメールをした。昨日の途中離脱からあの夢だ。全く連絡を取っていなかった。笹木へのメールを書き終えて、中村さんを見たが忙しそうだ。僕を気に掛けているように素振りもない。溜まっている仕事が意外に多かったようだ。僕には分からない中村さんの仕事も多いのだろう。
 それにしても中村さんは長期で休むかもしれないと言っていたはずだが、今はそんなことは微塵も感じさせないくらい仕事をこなしているようだった。それから僕は今日も一日外へは出なかった。対外的な連絡はメールと電話で済ませる。取引先の人間ががアポなしで来たので、仕方なく対応をしたくらいだ。
『ある程度仕事もこなしたので、今日は先に上がりますね。やっぱり体調がきつくて……』
 中村さんがそう切り出したのは16:00を過ぎた頃だった。
『構いませんよ。体調まだ悪かったんですね。何が原因なんですかね?』
『色々あるみたいですけどねぇ……。原因不明です』
 中村さんは笑いながら言った。本当に種類のために出てきて、ついでに溜まっていた仕事を片付けたようだ。
『すいません。先上がりますね』
『お疲れ様です。お大事に』
 中村さんは僕の心臓にダメージを負わせたドアから出ていった。
『さて、自分も帰るかな』
 仕事をまとめながら、僕は呟いた。最後にメールをチェックすると、森田からだった。



200X年4月13日16:03
差出人:森田徹平
受取人:安登蔵基樹
件名:no subject

あれからはどうだ?
メールは来たか?



 森田はメールで森田と分かる。疑問文が二つ。それ以上の装飾もない。やはり端的、要点のみだ。今朝、塚本香織からのメールは受信していなかった。それは今も変わらない。塚本のメールは全て送信時間が真夜中だ。日中に送られたことはない。この時間にメールが来るとは考えなかった。



メールは来てない。
あれから変化はない。



 これだけを森田へ返信した。
 プルルルル、プルルルル。僕の携帯電話だ。表示されているのは森田だ。電話を掛けてくるくらいなら、最初から掛けてくればいいのに……。そう思いながら電話に出る。
『今日も行ってもいいか?今日は今日中に帰る』
『あぁ。構わない』
 森田を見習って返答を返す。
 先程のメールにはノータッチだ。メールの用件はあれで森田の中では完結しているのだろう。
『じゃあとで』
 そう言うともう電話は切れていた。次こそは、僕から電話を切ってやりたいと密かに思う。僕はまたPCを覗き込む。笹木にメールをしていたが、まだ返事はないようだった。あれから連絡が取れてないことを一瞬不安に思ったが、ここでPCの電源を落とした。PCがシャットダウンされるのを見ながら、笹木のことを考える。
 笹木の性格を考えると、昨日の夜中にでもメールがあってもよさそうなものだ。しかもお昼のメールにすらまだ返信がない。結局僕は気になり、煙草に火をつけて座り直す。 右手で煙草を支え、左手で笹木の番号を捜し呼び出した。
『お客様のお掛けになった番号は電源が入っていないか、電波の届かない場所にあるため掛かりません……』
 よく聞く声だったが、笹木の声ではなかった。僕は携帯を閉じ、煙草を消して会社を出た。僕はそのまま今日もタクシーに乗り込んだ。運転手の対角に座り、考えていたのは塚本香織の件だ。僕は今週の出来事を整理をしてみた。最初にメールを受け取ったのが4月9日。そのときは全く気にしなかった。次の10日、再度塚本香織からメールがあり、笹木にそのことを伝えたのが11日。12日にはまた塚本香織からのメールが来て、その日に森田にもこの一連の出来事を伝えた。笹木もその場に一緒にいたが、途中離脱。森田とは朝まで、つまり今朝まで一緒だった。そして今日。特に変化はないが、森田はメールは来てないはずだと言い、笹木とは連絡が取れない。
 僕は笹木が先に塚本香織に襲われたのではとの考えに至った。これ以上は僕の思考は働かなかった。その結果に到達し、一時フリーズしたのだろう。フリーズした頭でボーッと外を見ていると、見慣れたエントランスに到着した。いつもの帰宅時間よりも早いとは言え、またしてもエレベータから部屋までは誰にも会わなかった。
 僕以外は透明人間が住んでいるのか。このマンション内で他の人間に会った記憶が無い。塚本香織が透明人間だったら……。ありえない。一瞬で今の考えを消去し、ドアから落ちてきた紙を拾い部屋に入った。しかし鍵だけは三重で確認し、そのままシャワーを浴びることにする。
 森田が来るのは恐らく19:00くらいだろう。まだ17:30過ぎ。時間は十分にある。それにしても森田の用件は今度は何だろう。昼間も気には掛けてくれていたようだが、何も言っていなかった。メールが来たかどうかの確認のみ。何か新しい発見があったとは考えにくい。笹木のことだろうか……。熱いシャワーを浴びながらも、頭の中には笹木の件、中村さんの件、森田の件。

 僕の頭の中をいくつものことが浮かんでは消えていく。そして塚本香織。最初にメールが来た日から、五日目。メール以外の動きがあったわけではない。森田があまり気にしていないのは、森田の勘では単なる悪戯と判断されているのかもしれない。仮にただの悪戯だったとしても、理由が気になる。僕が狼狽えるのを見ているだけの愉快犯だろうか。それならばなぜ僕だったんだろう。笹木からの連絡がないのは何も関係がないのだろうか。中村さんが僕のPCを触っていたことも引っ掛かる。ただどれも決定的なことは何も分かるはずもなく、そこで僕はシャワーを止めた。
 ずいぶんと長い時間シャワーをしていたようだ。部屋はもともとカーテンで光を遮っていたため、今は真っ暗だった。部屋の灯りをつけ、コーヒーメーカを起動させる。森田も飲むだろう。僕は多めにセットした。PCを開き笹木からのメールがあるか確認するものの、見つからない。
 その後しばらく僕はソファへ座り、煙草とコーヒーで森田が来るのを待った。19:00を過ぎた頃、僕の携帯が鳴った。一瞬笹木からかと思ったが、森田だった。
『下に着いた。今から上がる……』
 さすがは森田だ。用件のみ。僕のこっちから切る決意を思い出したときには、すでに電子音に変わっていた。
『返事くらい聞けよ……』
 独り言をもらし、携帯を閉じた。
 間もなく、インターホンがなり森田が入ってくる。
『お疲れ』
 僕がまず声を掛かる。
『おう。昨日は悪かったな。今日は長居はしない』
 森田はそう言いながら、まず煙草をくわえる。僕はセットしてあったコーヒーを森田へ出し、自分もコーヒーを片手に煙草の火をつける。
『何か分かったのか?』
 僕の口が先に動いた。森田は首を縦にも横にも動かさない。
『いや、気になることがあってな』
 昨日全てを確認したはずじゃなかったのか。森田はPC以上に気になる点があるようだ。
『笹木の件か?』
 僕は自分の気になっていることを言葉にした。森田は特に反応がない。むしろ、何のことだと言わんばかりの無表情だ。
『笹木がどうかしたのか?』
 言葉にしても変化はなかった。
『昨日笹木と別れてから連絡が取れていない。森田は?』
 森田が連絡を取っていたら何の問題はない。僕の思い過しで会話を終わりだ。
『もともとこちらからは連絡を取っていない』
 つまり森田も連絡が取れていないということか。
『笹木の性格だったら、あの後の話を聞くために昨日の夜にでもメールをしてくると思う』
『なかったんだな』
 僕は頷き、話を続ける。
『日中にこちらからメールをしてみたが、返信が今もない。電話も掛けたが圏外か電源が入っていなかった』
『結論は?』
 森田は僕の言いたいことが伝わっているようだ。
『笹木が危害を加えられたんじゃないかと……』
『いきなり突飛な意見だ』
 森田は全くそんなことを感じていないようだ。
『確かに殺人予告を受けている身となれば仕方がないか』
 森田は半笑いだった。
『連絡が一日取れなくても普通だろ?考えすぎだ』
『それならそれでいいよ。ただ当人だからこそ気になるんだろ?』
 僕は語気を強めた。無責任な森田の発言が気に入らない。
『失言だ。謝るよ、すまない』
 森田は無表情で言った。
『自分も悪かった。気が立っているんだ』
 僕と森田は再度煙草を吸って落ち着くことにした。煙草半分程の沈黙の後、僕は口を開いた。
『実は今日会社で気になることがあった。事務員が俺のPCを開いてた』
『でもそのアカウントのパスワードは知らないだろう?』
『知らないと思う。ただあの塚本香織からのメール、差出人も俺だったろう?だからそういう風に繋げてしまって……』
 森田は黙って聞いている。
『差出人は偽装もできるんだろうがな。その事務員疑っているのか?』
『いや、そこまでではない。単に気になる程度だ。お前の言う可能性としてはって感じだ』
 森田は無表情で煙草をくわえる。灰皿にはすでに大量の吸い殻で溢れている。
『森田、お前の言ってた気になることって何なんだ?』
『あぁ。特に根拠があるわけではないから何とも言えないんだが……。安登蔵、お前本当に塚本香織に心当たりはないのか?』
 森田がゆっくりと続ける。
『本当は塚本香織のことをお前は知っているんじゃないか?』
 森田は僕の反応を伺っているようだ。しかし僕には全く覚えがない。
『本当に分からない。あんなメールを送り付けられる覚えもない』
 僕は真っすぐ森田の顔を見据えた。森田は全く動かない。お互い長い沈黙が続く。森田は静かに煙草に手をやる。
『分かった。お前自身が実は何か知っているんじゃないかと思っただけだ』
『知ってたら真っ先に話すさ』
 森田がどうして僕が何かを隠していると考えたのか。全く検討もつかない。
『気を悪くするな。あくまで可能性の一つとしてだ』
『どんな可能性だよ』
 僕は溜め息をついた。森田が壁に目をやる。僕も森田の視線を追った。22:00になろうとしていた。
『今日は帰るって言ってたからな』
 森田が笑いながら言った。
『別に構わないよ』
『二日も連続で厄介になるのは遠慮したい』
 森田は淡々としているが、こう見えてあいつなりに気を使ったようだ。その後、煙草一本分の時間をお互いに過ごした。森田は煙草を吸い終わると、今朝と同様のポーズで出ていった。僕は森田の出ていった玄関の鍵を再度施錠した。今日はもうこのまま寝ようと思っていたが、笹木からのメールが来てないか確認をした。



200X年4月14日21:57
差出人:笹木慶子
受取人:安登蔵基樹
件名:大丈夫?

ごめんなさい。
返事が遅くなりました。

一昨日はごめんね。
途中で抜けちゃって。
森田くん何か言ってた?
もしかしてもう塚本香織の件は解決しちゃったかしら。

本当はもっと早く連絡したかったんだけど。
あの日のアポの後、夜から出張で韓国だったの。
さっき家に着いたんだから。

また今度ゆっくりと。

笹木慶子




 笹木からのメールだった。森田の言う通り、考えすぎだった。僕はそのまま返事を書いた。

  まだ生きてるよ(笑)。
  近いうちに……。

 この二行を書いてPCを落とした。ソファに目をやると見慣れない手帳が置いてあった。仕事上のものだろうが、幸い警察手帳ではない。森田には明日連絡をすることにし、僕はベッドへ入った。







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