途切れる予告
僕にしては珍しく出社の道中、本を開かなかった。もちろん本など読める状況ではなかっただろう。電車内で考えていたのは、塚本香織のこと。学生時代の同級生の中には塚本香織という名前は存在しなかった。正直に言って当てが外れた。自分から名前をこちらに伝えてきたことから、恐らく僕に関わりのあった女性だろうと思っていたのだが。昨夜の同級生検索で調べなくてはならない範囲が広がった、ということが分かった。前進なのか後退なのかよく分からないが、塚本香織に関する手掛かりが掴めていないことだけは確かだった。僕がその結論に達してから、オフィスへ入った。
*
あのときは私何もしていませんわ。
何も出来ませんでしたから。
お分りのはずでしょう?
この日は出社してすぐにPCを立ち上げた。塚本香織からのメールが来ているかもしれない。そういえば二回とも夜中の0:00過ぎにメールを受け取っていた。通常、僕は寝ている時間だが昨日は笹木とやり取りをしていた。昨日の時点ではまだメールは来ていなかった。ただ名簿ファイルやアルバムを調べ始めてから、メーラを開いていなかった。
僕が必死に検索を掛けている間にメールを受信している可能性もある。多少緊張しながらメーラを立ち上げるも、いつもの迷惑メールといくつかに仕事のメールのみだった。二日続けて貴方を殺すとのメールが入っていた受信ボックスだったが、今日は至って日常の受信ボックスだった。
僕は4月10日に受け取った塚本香織のメールのプリントを手に取る。そこに書いてあった文章を口に出す。
『私は貴方に気付いて欲しい……。残りは6日……』
塚本香織は僕に気付いて欲しいと書いている。
そして僕が塚本香織を調べ始めた次の日、メールはなかった。僕が調べ始めたことが、塚本香織に何らかの経路で伝わっているのだろうか。僕は監視をされているような不安を覚えた。
プルルルルッ……。昨日と同じ時間帯の電話だった。恐らく中村さんだろう。
『ありがとうございま……』
『お疲れさまです。中村ですぅ』
今日も途中までしかしゃべらせてもらえなかった。だが当たりだ。
『お疲れさまです。体調まだ悪いみたいですね』
今日も恐らく休むのだろう。
『度々すいません。まだ出て来られそうにないんです……』
本当にきつそうな声だった。
『気にされないで、ゆっくりされて下さい。社内も特に急ぎの仕事もありませんから』
本当のことだ。僕自身も社内にいるが、早急の対処が必要なものはなかった。
『ありがとうございますぅ。実は、このまま今週お休み頂くかもしれません』
今日は水曜日。今週全てと言ってもあと木曜日と金曜日のみだ。
『僕は構いませんよ。先にしっかり治されて下さい』
『すみません。よろしくお願いします……。じゃあ、失礼します』
そう言うと中村さんは受話器を置いた。僕は中村さんの言った今週全てという言葉に引っ掛かった。今週一杯が塚本香織のリミットだったからだ。だがそれ以上は何も思い浮かばず、思考はシャットダウンされた。とりあえずいつものように迷惑メールをDeleteし、仕事の関係のメールに返事が必要なものだけ、簡単に目を通した。その後、コーヒーをセットし煙草をくわえた。
僕は睡魔に襲われていた。それはそうだ。昨日は徹夜だった。ブラックの苦いコーヒーが早く飲みたかった。ただ眠れる状況でもなかった。僕は殺害予告を受けている。こんな所で寝てしまうなんて、無防備過ぎる。しかも塚本香織は僕を監視しているのかもしれない。そう思うと、僕は窓際のブラインドを全て下ろし外からの光を拒絶した。
その日は結局塚本香織からのメールは一日なかった。そして僕はオフィスの外には一歩も出なかった。オフィスにいるのが僕一人で、本当に都合がよかった。中村さんがこの場にいたら、理由はどうあれ質問くらいは受けたかもしれない。僕は夕方、オフィスを出るとタクシーで帰宅した。帰路につきマンションに滑り込むまでタクシーの運転手以外の人間とは接触していない。自宅へ着くと僕は自宅の鍵をチェーン錠まで三重に掛けた。それから全ての窓の鍵を確認し、窓を背にしてリビングを見渡した。今朝と何ら変わった様子はない。
昨日から見ていた卒業アルバムもそのままテーブルの上にある。リビングに変化がないことを確認した上で、僕は部屋に置いてあるガラス製の花瓶を手にした。
僕の心臓は高鳴っていた。この部屋の中に誰か潜んでいるかもしれない。恐怖感はあったが確かめられずにはいられなかった。僕はゆっくりとトイレのドアノブにを回した。誰もいない。いつもと変わらないトイレがそこにあった。続いてお風呂場へ進んだ。花瓶を持つ手は震えていたかもしれない。僕はゆっくりお風呂場の扉を引く。
ブーン……。
籠もった換気扇の音だけがしていた。一日中湿気を外へ出そうと稼働していたようだ。それ以上の現象は見当たらない。ここにも誰も潜んでいないようだ。最後に寝室を確認した。クローゼット、ベッドの下も確認したが何も見つけることは出来なかった。ようやく部屋の中全ての見回りを終え、僕はスーツを脱ぎそのままシャワーを浴びた。
昨日は徹夜で塚本香織の存在を追っていた。疲労は確実に蓄積されていた。このまま目を閉じれば、そのまま夢の世界へ飛び立てるようだった。だがこの状況で目を閉じる勇気はない。目を開けた瞬間に目の前の鏡に見知らぬ女が映っている、そんな想像が頭から離れなかった。結局一度も目を閉じることがないまま、僕は早々にシャワーを切り上げた。
リビングへ戻りPCを立ち上げる。煙草を吸いながら、メーラの起動を待った。未読をアナウンスされた複数の新着メールの中から、一つをクリックした。
200X年4月11日22:47
差出人:笹木慶子
受取人:安登蔵基樹
件名:Re:Re:名簿の件。
お疲れさま。
昨日の名簿の件だけど、塚本さんだったっけ?
名簿の中に確認出来た?
あれから私もアルバムを見たり、知り合いに連絡を取ってみたけどやっぱり確認出来なかった。
昨日の安登蔵くん何か切羽詰まってようだったから。
気になってメールをしてみました。余計なお世話だったらごめんなさい。
笹木慶子
僕は笹木からのメールを読み、煙草に火を付ける。笹木に塚本香織のことを伝えるべきか考えていた。二日前に名前だけは笹木に伝えたが、具体的なことは伏せていた。ただ実際に身の危険を感じ始めた今、万が一の場合を考えると第三者に伝えておくべきだとの結論に達した。もう一本煙草に火をつけ、笹木に電話を掛けた。時刻は23:00を回っていた。
プププププッ、プププププ……。
『こんばんは。メール見たんだね』
笹木は僕からの電話が掛かることを少なからず予想をしていたようだ。
『夜分にごめんね。メール見ての電話。今ちょっといい?』
『うん、いいよ。それによくなかったら電話には出てないよ』
なるほど、ごもっともな意見だ。僕は早速本題に入る。月曜日からの経緯を笹木に伝えた。塚本香織から脅迫メールを受信したこと、同級生には塚本香織という人物がいなかったこと、塚本香織から監視されているかもしれないこと等僕は事細かく話した。
笹木は相槌を入れるように途中で頷くだけだった。僕は一通り話し合えると、また次の煙草に火をつけた。
『警察にはそのことは言ったの?』
笹木は状況を把握し、冷静な口調で話しだした。
『いや、このことを伝えたのは笹木だけだ。他は誰も知らない』
僕も笹木に伝えて少しは落ち着いたようだ。少なくとも帰宅直後の動揺はない。
『そう。明日にでも警察へ相談に行くべきよ』
『明日、森田に会おうと思ってる。あいつ警察だったろ?』
笹木も口にしていた共通の友人だ。まずは知り合いの警官にこの話をしようと考えていた。
『そっかぁ。それがいいね。でも安登蔵くん、全くその塚本って人心当たりないの?』
『全く……。塚本香織に繋がる手掛かりすらないよ』
とは言うものの、実際はメールが二回来ただけだ。それ以上でもそれ以下でもない。
『ただ万が一のことが起これば、笹木から説明をしてほしい。僕が話せなくなって見つかったときなんかに』
僕が殺されたときとは言いづらかった。
『そんなこと考えていたの。大丈夫よ、私にその役目は回って来ない』
笹木の口調は明るかった。
『僕もそう願うよ』
僕も明るく振る舞ったつもりだったが笹木にはどう映っただろう。僕達はそこで電話を終えた。 灰皿にはまた煙草の吸い殻が山を作っていた。 |