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青色吐息 作者:かいとーこ
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16話 エンザ11



 聖良が目を覚ますと、寝心地の悪い、揺れるところに転がされていた。
 回りは真っ暗で何も見えない。
 また布で口を塞がれている。先ほどのように、口にまで布を詰められてはいなかった。
 手は縛られているが、足は縛られていない。
 ざばっ、ざばっという──水音がする。
 ゆらゆら揺れて、たまに大きく揺れ、さらに左右に揺れる。
 ここは船の上だ。
 聖良は自分の状況は理解した。
「うっ」
 揺れて、うめき声が漏れてしまった。
「あら、起きた」
 女の人の声。
 ゆらゆら揺れている。
「う……」
 このゆらゆら──気持ちが悪い。
「ううっ……」
 聖良は乗り物に極端に弱いわけではないが、小さな船だけはどうしてもだめだった。小さな釣り船に乗った時の事は、思い出すだけでも地獄だった。この船はそこまでは揺れていないので、ここは海ではない。しかし、気持ちが悪いものは悪い。気持ちが悪い気がすると、そこから一気に加速するのだ。
「うっ……」
 新鮮な空気を吸いたい。そうすると、気持ち悪さは少しは収まるものだが、普通に息をするだけでも大変だ。
 吐きたい気がした。
 吐き気がしてきた。
 吐きそうだった。
 吐きたいが、この口のせいで吐けない。
「うぅ…………」
「様子、おかしくないか? 顔色悪いぞ」
 出る。出したいが、出せない。
 吐きたいのに──
「うぇっ……」
 喉元まで出てきたしまった。
 泣けてきて、鼻が出て、息が苦しい。
 最悪だった。
「ふ、船酔い?」
 気付いてくれた。
「でも、口を開かせたら……」
「いくら魔術師でも、口を閉じる間もないほど短い呪文なんてないだろう。悪魔じゃあるまいし。簡単な呪文を早口で言っても、四、五秒はかかっていた」
「そっか」
 納得して、女が聖良の口の布を外した。
 息を吸う事も出来ず、なんとか船から身を乗り出して口の中身を吐いた。
「っぅげぇぇぇっ」
 吐いたが、一息ついてまた吐いた。
 周囲が暗いのだけが救いである。光源は、船の真ん中のランプだけ。
「ひぐっ……」
 ボロボロと涙が出る。
 気持ちが悪い。
 吐いて、吐いて、胃液すらすべて吐き、ぜいぜいと息を吐く。女が背中をさすってくれている事に気付いたのは、この時だった。
「しぬ……」
 気付いても、礼を言う余裕がなかった。
 もちろん誘拐犯に礼を言う必要はないが、この時はそんな馬鹿げた事が気になったのだ。
 ぜいぜいと息を吐きながら、聖良は周囲の様子を見た。
 夜だ。
 空には月が出ている。かなりの速度で船は進んでいて、大自然に囲まれた川を上っていた。
「…………」
 ここはどこだと尋ねる気力などない。口を開けば、吐く物がないのに、絞り出すように胃液が出る。
 ここはどこだとか、こぎ手も帆もないこの船の動力は何だとか、聞きたい事は山ほどあるが、船酔いの前にはすべてが些末な事となる。
「薬の効きが悪かったのかな。もう一回寝てた方がいいわ」
 女が聖良の鼻に香水瓶を向け、地獄から解放された。



 アディス達は水路を遡り、ようやく外──川に出た。出口は塞がれていたが、内側からは開く仕組みになっていた。
「おお、もうこんなところまで! 小回りもきくし、速いし、いい船だなぁ」
「私が魔力を補助していますから」
 先導する獣人のカイヤが感心して言うので、動力に魔力を与え続けているアディスが答えてやった。
 普通の船が、こんな非常識な動きが出来るはずもない。
 この手の道具は繊細で、外から魔力を与えて強化も出来るが、与えすぎては壊れるので、この微調整はアディスのように器用な術者にしか出来ない。ハノやエリオットは悪魔の血のせいで、微調節という物が苦手だ。ユイは魔術が使えるといっても素人の域を出ず、ミラは加減は出来るが手加減は出来ない女性だ。急ぐつもりなら、手加減など出来ないのは目に見えていた。
 人がたくさん乗っているので、スピードを上げてもなかなか追いつけそうにもない。
 王族が乗るためか、地下水路を通る積まれていた荷を置いてくれば九人は余裕で乗る事が出来た。しかし、サイズのせいで船の操作が困難となり、しかも登り。普通に操縦していれば、まだ半分も来ていなかっただろう。
 ここまで来るのに、かなり時間を要した。もうすぐ夜が明ける。
 誘拐犯が乗った船は、これよりは小さなものらしく、距離を詰めるのは難しい。
「こりゃあ、寄り道せず、巣に向かってるな」
 カイヤが目を細めて前を見ながら言う。
「巣?」
「ああ。もう少し上流に行くと湖がある。そこらが奴らの巣だ。獣人と仲違いしているのも、水場の取り合いが事の発端だったらしい。さすがに、鱗人に水場では勝てなかったみたいだけどさ」
 彼は忌々しげに言うと、長い髪を指に巻き付け、不快げに鼻を嗅いだ。
「壁で覆われていなくても匂いが分かるんですか?」
「さすがに無理だ。もうかなり離れてるって事だよ。まあ、行き先は分かるはずだから、安心して待ってろ。わざわざグリーディアの魔術師さらって、非道い事をするとも思えないしな。そこまで馬鹿じゃないはずだ」
 小さく『たぶん』と付け加えたのがアディスには聞こえた。人間相手と油断していたのだろう。
「カイヤさん、その場所をエリオットに教えてください」
 ひょっとしたら、転移させる事も出来るかも知れない。
「場所を?」
 アディスは懐から地図とペンを取り出す。元々、人里離れたところに往く予定だったので、レンファに用意してもらっていたのだ。空から見る事が出来るためか、他種族に支配された場所の割にはかなり書き込まれた地図だ。
「地図を貸してくれ」
 アディスは地図をユイ経由でカイヤまでまわし、彼は膝の上に地図を広げ、
「この辺」
 エリオットは首をかしげ、眼鏡をかけて地図を見る。
「目印になりそうな物が何も無くて、ちっとも特定できてないよ」
「このどこかだ」
「湿地帯って書いてあるよ。ひょっとして、水場が凄くたくさんあるって事!?」
 アディスがざっくりと目を通した時、それらしき場所があったのは覚えている。アディスは未開の地だから、曖昧に書かれているのだと思っていた。
「人と親しくしている獣人にも地図ってあんまり意味ないから、鱗人の土地なら仕方がないよ」
 一時期はこの国で過ごしたアルテが、地図を覗き込んで言う。
 どれほど見た目や態度は文化人っぽくみえても、獣人は獣人だった。
「現地に到着しても、探すの大変そうなんだけど」
「それは匂いを辿ればどうにでも。人化解いたあいつら臭いから。その中に人間の匂いが混じってたら、たぶん分かる」
「鱗人だけじゃなくて、王室に敵対する人間とグルだったらセーラ以外の人間も出入りしてるよ。可能性としては、そっちの方が高くない? 人間とグルでないと、高級壁材なんて盗まないよ」
「それもそうか。まあ、実際には住める場所なんて限られているから大丈夫だろ」
 カイヤは気楽に言った。
「そういえば、匂いとかでばれないの?」
「人間が出入りしてるなら、分かりにくくなってると思う。匂い消しもあるんだが、部屋に置いてきた」
 こんな事になるとは思っていなかったとはいえ、使えない男だ。しかし、その香は欲しい。人間達の匂いから抜け出て自然の中にいれば、さすがにアディスの竜の気配を、異質な物として感じ取られるかもしれない。
「では、現場近くまでたどり着いたら、エリオットが戻ってカイヤさんの部屋をあさって戻ってくる、というのはどうですか?」
「そうだね。それがいいかも」
 獣人になど、魔術師に出来る事と出来ない事の差など分からないはずだ。もしも半悪魔だと彼に知られても、彼がグリーディアに来る事もないし、迂闊な事も言わないだろう。エリオットを女だと思い込んでいるようなので、後で約束という誓約──呪いをかければいい。
「エリオット、働いてもらう事になりますから、寝られるのなら寝ておきなさい。ミラさんも寝てます」
 体力を温存できる状況では迷わないというところは、実に彼女らしい。彼女は危機が迫れば瞬時に覚醒するとはいえ、このような場所で眠れるのは、彼女の背後に座って操縦するアディスが、信頼してもらえているからだろう。
「アディス、疲れたら僕が代わるよ。外に出れば、そこまで難しくなさそうだし、君も寝たければ寝ていいよ」
 ユイがミラを起こさないよう、声を潜めて声をかけてきた。
「大丈夫です。ユイも休んでいてください。元気なミラさんを抑えるのは大変でしょう」
「でも……」
 竜のアディスはしっかりしているが、身体はまだ子供だというのを気にしているのだ。なにせまだ生まれて一年経っていない。
「私は数日寝ないでも平気ですから」
 これは事実だ。竜は一週間ぐらい寝なくても、人間と違って脳が疲れて幻覚を見たりということはないと、ラゼスに教えてもらった。
 子供なので大人と同じように出来るとは思えないが、人間の時に比べても、劣る事はないはずだ。現に箱庭関係で徹夜しても翌日は人間の時に比べて、良好な状態で活動できた。
「……じゃあ、休ませてもらうよ」
 ユイは目を伏せる。アディスの魔力と舵によって、ほとんど揺れないとはいえ、本当に眠れるのなら、彼も見た目に反して剛胆な少年だ。
 セーラは今ごろ、眠らされているだろう。それだけが救いだ。イーリンの言葉を信じるなら、彼らはセーラの世界のどう猛な生物に似ているらしい。
 彼女の事だから、襲いかかりさえしなければ、あっさり慣れてしまう気がしたが、それは慣れてしまうほど放置しなければいいのだ。
 慣れてしまう前に、可愛らしく怯えている間に、助け出せばいいのである。



 聖良が目を覚ますと、ベッドの上に横たわっていた。ベッドといっても寝心地は良くない。硬い木の台に布がかけられただけの、寝心地が悪いにも程があるベッドだった。
 相変わらず口には布、手足は縛られ、下敷きになっていた腕側の指先には、血が通わずに痺れていた。
「うう……」
「あら、気付いた?」
 あの女だ。
 この国の人間に比べればかなり色白で、肩までの黒髪に、鳶色の瞳の美人だ。
 部屋の背は低く、天井はかやぶき屋根のようだ。
 とても質素な部屋で、木の机、椅子、タンス、ベッドがあるだけで、飾り気はない。
「誰か来て。起きたわよ」
 女が外に声を向けると、すぐに男達が飛んできた。その中には、見覚えがあるような男も混じっていた。
 しばし見つめ合ったその瞬間、聖良の腹がぐぅと腹が鳴った。
 恥ずかしくて顔が熱くなる。
 確かに、胃の中身をすべて吐いたてお腹はすいているが、この場面では恥ずかしい。
「逃げようとしないと約束できるなら、口の布は外す。ここからは一人では帰れない。抵抗するだけ無駄だ」
 知っているような気がした男がそう言った。
 聖良は大人しく頷いておく。
「でも、魔術で助けを呼ばれたら?」
「それはないわ。地下に閉じこめていた時、自力で脱出はしたけど、助けは呼ばなかったもの。それが出来るなら、ここまで逃げられなかった」
 女の言葉で、男達は納得した。
 出来ても出来なくても、アディスと離れてしまった今の聖良には、その魔力がないので何をしても無駄だ。
 女に布を外してもらうと、ほぅと息をつく。手を縛る紐も解いてもらった。
「ここ、どこですか?」
「私の家。外を見れば分かりやすいわ」
 聖良はベッドを降りて靴を履き、男の人達が空けた道から、そっと簾が掛かっただけの出入り口の外を覗いた。
「…………」
 森の中。ジャングルだ。グリーディアの森と違い、ジャングルという様相である。沖縄ほどではないにしても、亜熱帯に近い場所にあるのだろう。
 聖良はため息をついてから、室内に戻る。
 自分で帰るのは不可能だという事だけ分かった。
「で、何で私を連れ去ろうとするんですか」
 日はまだ低く、あれが夕暮れに向かう日でないのなら、一晩だ。さすがにここは島国だから、一晩で外国まで連れ出す事は不可能だ。都が北寄りにあったから、ここはさらに南下したところだ。
「手荒な事をしてすまなかった」
 見覚えのある男が謝罪して、椅子を勧めてきた。
「誰か、食べる物を持ってきてくれ。夕飯も食べずにずっと寝ていたんだ。お腹がすいただろう」
 ため息をつく。
「言っておきますが、私を連れて行っても意味ないですよ。私はアディスの口ではありますけど、魔力がないですから」
 彼らはきょとんとして聖良を見つめた。
「魔力がない?」
「いつもはアディスに借りているんですよ。つまり、私はアディスにとって自分よりも上手い発音をしてくれる道具であり、本体は彼です。私は彼の指示で呪文を唱えるばかりで、私自身は彼から離れたら、ただの人間の女に過ぎません。私はただのパーツです。アディスのオマケです」
 聖良の言葉で、彼らは顔を見合わせる。
「じゃあ、まさか、無理矢理結婚させられたのか?」
「無理矢理結婚させられたように見えました?」
 彼は首を横に振る。アディスの顔と地位を知っていれば、無理やり結婚させられたと思う者はまずいない。
「たぶん、彼はすぐにここまで来ますよ。私の正確な居場所は分からなくても、方向ぐらいなら分かりますから」
「そうか、来るか」
 彼は笑った。
 どうやら、アディスが迎えに来る事も見越していたらしい。
「捕まえられると思ってるんですか? 私を人質にしても無駄ですよ」
「あれだけ可愛がっていて、見捨てるのか?」
 彼は目を大きく見開いた。
 端から見れば、アディスは聖良を可愛がっているように見えるようだ。
「見捨てるつもりがあったら迎えになんて来ませんよ」
 怪我なんて一瞬で治るから、多少の事には目をつぶる事が出来るのだ。
 ぐぅ、とお腹が鳴った。人間、腹が減るのは当たり前だ。
 そこにタイミング良く、女の人が何か料理を運んできた。
「…………これは?」
「ああ、人間に生肉はダメだ。火を通せ」
「いや、空きっ腹に肉はちょっと……。もっと軽いものはないですか? おかゆとか」
「ああ……すまない。そういう習慣がないんだ。食べるのもほとんど生肉ばかりだしな」
 聖良はワニだかコモドドラゴンだかに変身した男を思い出した。
 獣に変身する獣人がいるのだから、ワニに変身するワニ人間がいてもおかしくはない。ワニなら、生肉でも仕方がない。
「果物はどうだろう」
「そちらの方がいいです」
「じゃあ、この前来た人間が食べた果物を持ってきてくれ」
 女の人が肉を持って出ていくと、すぐに果物を持ってきてくれた。
 柑橘類だ。皮が固くて、実はさして甘くもないが、不味くもなかった。六人もの知らない人達に見られるのは緊張するが、催促されているようで、仕方なく食べた。
 食べ終えると、皮を丸めてから手を払い、居住まいを正して彼らを見た。
「食べ終えたなら、ここを出る。ちょっとここには問題があって……」
 彼が言い終えるよりも前に、隣の部屋から誰かが入ってきた。
 一目見て分かるほど、体調が悪そうな小さな女の子だ。
「病人がいたんですか」
「元気になったんだね。良かっ……」
 そこで彼女はばたりと倒れた。
 重病人だ。
「だ、大丈夫か」
 誰かが女の子を抱き上げ、この部屋のベッドに横にさせた。
 顔は真っ赤で、こほこほと咳き込んで、痛々しい姿だ。
「すまない。この子の父親は人間で、あまり頑丈ではないんだ」
 この部屋のベッドは一つ。
 粗末な家の造りからして、そう広くはないだろう。小屋のような物だ。
「ひょっとして、このベッドはその子の?」
「ああ。少しの間だけ、私達のような寝床に移した」
 聖良は立ち上がり、隣の部屋をこの目で確認しに言った。
 寝床。
 寝床らしき物はない。鳥の巣に敷布団にも見えなくはない物がかけられたような物体があるだけだ。毛布もない。
 聖良は硬いがかろうじてベッドと呼べる物に横たえられた女の子の元に戻る。息の荒い子供の額に触れ、かなりの高熱に驚いた。
「病人をなんて所に寝かせてるんですかっ! 毛布は!? もっと温かい寝具はないんですか!?」
 聖良が怒鳴りつけると、彼らは顔を見合わせた。
「冷たい。きもちいい」
 女の子が、聖良の手に触れて呟いた。彼女の手が冷たくて気持ちがいいということらしい。
 ガタガタと震えている。
 温かい地域とはいえ、長袖が必要なほどには寒いのに、聖良にかけられていたのも、薄い布の一枚だった。これではだめだ。
「部屋を暖めるか、この子に温かい格好をさせてください。で、額を濡れぬので冷やしてください。食べ物もまさか魚や肉ですか?」
「ああ。あまり食べないが」
「当たり前です。半分は人間なんでしょう。こんな高熱で、そんなモノ食べられるはずがありません。あの果物を搾って飲ませてください。この手の果物にはビタミンが多いから、風邪にはいいはずです」
 糖分もあるし、喉も通りやすい。下手な薬を飲むよりは、よほど効果がある。
「芋とか、木の実とかないんですか? あとお塩」
「ああ、芋ならそこら辺に。
 塩は確か荷物の中に」
「それで病人が食べられそうな物を作りますから、用意してください」
 アルティーサがいれば薬についても聞けるのだが、いないので確実な方法を取らなければならない。肺炎などにはなっていない事を祈るしかない。
 汗をかいているから、塩は必要だ。果物はある。芋はどんな物が出てくるか分からないが、自生しているならサトイモ系だと思われる。それなら滋養にも良い。
 すりおろして、汁にすればいい。道具がなかったら、潰せばいい。
「医者は……人間を見られるような人がいないんですね」
「ああ。賢いな。よく分かるな」
 感心されても空しいだけだ。
 頑丈な種族というのは、か弱い存在を育てる時、どうしていいのか分からないという欠点がある。
 リーザも頑丈ではないエルフの血を引いているから、獣人に比べると身体が弱いらしく、風邪をひく。ここがグリーディアのような寒いところでなくて良かった。そうでなければ死んでいたかもしれない。
「ほら、早く!」
 彼らに任せていたら、この罪のない子供が死んでしまう。あとで、人間がどれだけか弱い存在なのか、言い聞かせなければならないが、今はこの小さな子を楽にしてやるのが先決だ。



 湿地帯に到着すると、エリオットは匂い消しを取りに戻り、報告ついでに食事を詰めたバスケットを持って帰ってきた。
 それを食べ終えると、今度は船を幻影で包んだ。
 エリオットは攻性派だが、幻術についてはアディスの腕をはるかに上回る。その理由は、顔の模様を隠すために、必死に練習したからだと、今なら容易に予想がついた。本当に小さな内は模様も薄く、他人にかけてもらった幻術でどうにでも誤魔化せるが、大人になればそれが出来ない。顔の模様は魔力そのものだ。他人の魔力では反発して、隠しきれる物ではない。
 半悪魔らしい力を出さずとも十分使える子だが、隠すのをやめてしまえば本当に使える子だ。
 鱗人が近くを通っても気付かないのを見た時、カイヤは静かにはしゃいだ。
 水面も出来るだけ隠しているエリオットは、音にまでも完璧に封じることは出来ず、アディスは船の操作で手が回せない。だから可能な限り大人しく、静かにして欲しいのだが、はしゃぐなと言うのも無理な話だ。大きな声を発しないだけマシだと思う事にして、前を見る。
 鱗人の姿が見られるようになったということは、少なくとも近いところまでやって来たのだ。
「適当なのを一人捕まえますか」
「あまりいい手ではないと思うよ。仲間を呼ばれる可能性が高い。群れを作る魔物は、仲間の呼び声には敏感だからね……」
 そこまで言って、群れを作る同じような種族が乗っている事に気付いたユイは、気まずそうに沈黙した。
 しかし、鱗人と自分達は違うとでも思っているのか、カイヤは前を見ていた。彼ははっきり言ってしまうと犬科だ。聞こえていないはずはない。
「…………もう少し様子を見た方がいいと思うよ。それか、ハノに頼んで空から様子を見てもらう?」
「ばれませんか?」
「大きな鳥が旋回しているぐらいに見えるよ。完璧に隠すような事は苦手だけど、大まかな幻術は得意だから」
「なら、お願いします」
 ハノはゆっくりと立ち上がり、船の外に跳ぶ。そのまま水面につく前に、ふわりと浮き上がった。
 そのまま上昇し、鳥に擬態して空を飛ぶ。本当に大きな鳥に見えるのだ。
「便利な」
「アディスにももう少し大きくなったら出来るんじゃないかな」
 ユイの言葉に、今度はカイヤが振り向いた。
 アディスを見て、それからユイを見る。彼のむき出しの足から、彼が神子である事は一目瞭然。見た目と違い年寄だと勘違いして、再び前を向いた。
 ユイが普通の人間でなくて良かった。振り向いて話している彼には、その様子は分からなかったのも幸いである。
「しかし、半悪魔って便利だなぁ。空飛べるのはいいなぁ」
 カイヤは空を飛ぶハノを見て、羨ましげに言った。
「自分の意志でどこにでも行ける人は、簡単に言うんだね。自由もないのに空が飛べてどうするの」
 エリオットは術を維持しながら、カイヤに言う。
 彼に自由は少ない。半悪魔だから隠れ住まなければならない。男だから親元にも戻れず、仕方なく人の振りをして暮らしている。半悪魔のフレアとして振る舞えるのは、彼に居場所があるからこそだ。逃げ帰る先があるからこそ、たまに派手な格好をして出歩く事が出来るのだ。
 彼も将来的には、アディス達の所に来るというのも一つの手だ。術を使って化けさせれば、顔が割れても行動できる。あの歪んだ殺人鬼と一緒に住むようになるよりは、ずっと彼のためにもいいはずだ。
「でも、飛べるのはいい。私は飛べない」
 ミラが手の中で食事に使うナイフを弄びながら言う。エリオットも、ハノの立場を理解して、心の底からの言葉を発するミラには、嫌味を言わなかった。
「ミラが空まで飛べたら、もう誰も止められないね。ミラがまだ普通の人間で良かったよ。走れば僕でもなんとか追いつける」
 ユイが自虐的に言う。本当に、ミラが空を飛べないのは彼にとっては数少ない救いだ。
 空は皆が見張っていてくれるので、アディスは皆よりも一段高いところから前を見て、船を操る。周囲はエリオットが見ていてくれるはずだ。
 見上げるのも飽きてしまえば、皆は黙って各々が見たい方向を見た。
 この森は、いつもの森と違い、少しばかり「派手」という表現が似合う森だ。賑やかなのはいいが、それ故に不気味でもあり、落ち着かない。聖良がいれば楽しんでいたが、今はいない。
 彼女がいるといないのでは、このような場面で気分が全く違う。
 今は彼女の身を案じているからということではなく、彼女がいると気が大きくなるのだ。格好付けて、大胆になる。不安よりも好奇心が大きくなる。
 彼女がいないと、すべてが空しい。
 変質者に誘拐されたのではなかったため、身の心配はあまりないからか、胸が潰れるような不安はなく、とにかく喪失感が大きかった。
 早く彼女を取り戻して、殴られるほど抱きしめたい。
 ため息をつくと、ハノが戻ってきた。船の縁にわずかに足を乗せ、浮いたままの状態で、彼は森を指さす。
「理由は分かりませんが、あちらにある小屋に人だかりが出来ています」
「人だかり……」
 アディスは船を岸辺に寄せる。周囲に誰の目もない草木に隠れた場所に船を止めると陸に降りた。
「エリオットはここで、アルティーサさん達を」
「自分だけずるい。僕もセーラを迎えに行きたいのに」
「じゃあ、船を置いてアルティーサさんを連れて行けと? あとで埋め合わせはしますから」
 彼はちらとアディスの隣の木を見た。
「わかったよ。そのかわり、早く帰ってきてね」
 木の方を見て言われると、やる気が削がれるのでやめて欲しかった。
 あまりにも不自然な光景に、カイヤは首をかしげてエリオットと木を見比べる。
「ハノさん、案内を」
「はい」
 ついてきたのは、神子一行とカイヤ。
 日頃の生活のせいか、気配を感じさせない歩き方を皆がする。足を引っ張らぬよう、最後尾について歩いた。
 それでも、最近は狩りも兼ねて森の中で動物を追いかけて遊んだりしていたので、昔よりはずっとマシな動きが出来るだろう。
 匂い消しが効いているのを信じて、アディスはセーラをこの手で抱きしめるために歩いた。

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