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青色吐息 作者:かいとーこ
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16話 エンザ6


 翌日、アディスがまだ聞き込みをしていたので、聖良は厨房に出入りをさせてもらった。
 知らない料理を覚えるのは彼女の趣味なので、タダ飯を食らうよりはと手伝った。異国の料理は覚えがいがある。とくに調味料が豊富な国なので、楽しくて仕方がなかった。
 聖良はそのお礼に、洋菓子の作り方を教えた。
 せっかくカカオっぽいものがあったので、ガトーショコラと、ついでにシフォンケーキを作るとなかなか好評だった。
 シフォンケーキはイーリンに作り方を教えてくれと言われて、ほとんど作ったのは彼女だが。シフォンケーキの型に近いものがあったので、ちゃんと凹まずに焼けた。
 日本では無駄に色々と作らされたから、レシピはだいたい頭に入っている。シフォンケーキはメレンゲとサラダ油を使うのが特殊で、作り方を知らなければ作れない物だ。
 イーリンは中華以外は不得手らしく、洋菓子を見て目を潤ませていた。今まで作り方がさっぱりわからなかったのだ。
 聖良が手に入れたばかりのこの国のレシピは、家に帰ったらアディスに食べさせて試してみる。
 実物もちゃんと食べたので、とてもためになった。
「ケーキが焼けるなんて、セーラはいつもこんな物を作っていたの?」
「まあ、色々と。料理は好きですから」
 作らされるのは腹が立ったが、料理そのものは好きだ。今では数少ない趣味となっている。
「私、こんなオシャレな物を自分で作ろうなんて思いもしなかった」
「色々作るの好きですから。あとは味ですね」
 ガトーショコラはもう切り分けて皿に盛った。生クリームを添えて、ミント系のハーブを乗せた。
 内の一切れは皿に小さくして、みんなで食べてしまったが、なかなか好評だった。
 あとはシフォンケーキだ。聖良はひっくり返して冷ましていたシフォンケーキを元に戻す。
「シフォンケーキはひっくり返して冷ましてから外すんです。そうしないと、萎んじゃいます。ふわふわなケーキですから、冷まして安定させるんです」
「へぇ」
 周囲にナイフを入れてシフォンケーキを取り出す。
 午前中に焼いて、昼食の忙しい時間を終えた厨房は、すっかり落ち着き、料理人達も初めて見る菓子を物珍しげに見物している。
「生クリームを塗った方が好きだけど、初めてだから、シンプルに添えるだけの方がいいですよね」
 切り分け、絞り器にある残りの生クリームを添える。
「イーリンさん、せっかくだからレンファさんに持っていってあげたらどうですか? 甘い物が好きみたいだから」
「そ、そうですね。甘い物お好きだから、きっとお喜びいただけます」
 彼女は用意した皿をワゴンに乗せる。一人分にしては量が多めだが、誰が一緒にいるか分からない。そわそわとあれを持ちこれを持ちと、楽しげだ。
 ハーティもそうだが、恋する女の子は行動が可愛い。
「羨ましい」
 いつかあんな恋をしてみたい。
 そう思い、アディスが思い浮かぶ。
 名だけの人妻になったのを思い出し、ため息をついた。
 好きな人が出来ました。
 そんな事を言ったら、アディスはどんな反応をするか、考えただけで恐ろしい。
 考えれば考えるほど、なぜ自分がという気持ちになるのだ。
 アディスのことは嫌いではない。どちらかというと、好きだ。これだけ一緒にいて、手段はどうあれ可愛がってもらい、彼のことを嫌っていたとしたら、ひどい人間だと思う。
 だからアディスの事は好きだが、彼の好きとは激しくずれている。彼の好きも、世間からずれているので、かみ合うはずがない。
「わぁ、いい匂い。セーラ、出来上がった?」
 もう一人の頭痛の種、エリオットが厨房に顔を出した。
 彼は身体の線を隠すこの国の服のせいで、女の子と勘違いされてちやほやされていたはずだ。
「どうしたんですか?」
「つまんないから来ちゃった。美味しそう!」
 眼鏡をしていないから気が大きくなっている。眼鏡をかけていないから見えないはずだから、匂いのことだろう。案の定、ケーキではなく微妙に違う方を見ている。
「シフォンケーキは家でも焼いた事があるから、ガトーショコラはどうですか。黒いのです」
 色がはっきりしているから、エリオットも迷わず皿に手を伸ばす。
「あ、それはだめです。イーリンさんがレンファさんのところに持っていくんです」
「ふぅん。あいつは今、アディスと一緒に女王様のところにいるよ。なんか兄さん気に入られてた。女王様も美形は好きみたいだね」
 彼は顔だけはいい。異国の美青年。ちやほやするには後腐れ無くて、ぴったりな相手だ。
「ああ、なら陛下の分もお持ちしなくちゃ」
「それがいい」
 イーリンと料理長が笑みを向け合う。
「ちょ、女王様に食べさせるんですか?」
 聖良は慌てた。菓子作りが趣味の王様も変だが、外国人の指導で初めて作った菓子を王族に食べさせる発想を持つ国も変だ。
「陛下も甘い物がお好きなの」
「いや、でも、うろ覚えのレシピでつくったものですし」
「味見はしたから平気よ」
「いいんですか、女王様の口に入る物がこんな簡単で」
「簡単……ああ、そうか。普段からこういうの作って食べてるのね。こっちの世界は、あまり派手なお菓子ってないのよ。最近は増えてきたけど、こんなのは無いわ。十分、陛下にお出しできるレベルよ」
 なんて低レベルなのだと衝撃を受けた。
「いやでも、王族ってそんな簡単に、食べ物を口にするんですか?」
「別に毒なんて入ってないのは、みんな食べたから知っているもの。毒さえ入っていなければ、陛下は色んな物を食べたがる方なの。食べてみないと分からないでしょ」
 聖良は頭を抱えた。
 こんなことなら、もっと綺麗に作ればよかったと後悔している。
「大丈夫だよ、セーラ。とっても美味しそうだから。いつもとってもおいしいし」
 エリオットが笑みを浮かべる。分厚い眼鏡がないから、笑うと可愛いのがよく分かる。
「でも……」
「毒とか盛られても、兄さんは平気だから大丈夫」
「あんな殺しても死なない人はどうでもいいんです」
 言葉の通り、殺しても死にそうにない。力を少し分けられただけの聖良ですら、なかなか死なないのだから、本体はもっと頑丈だ。
「と、とにかく、行ってきます」
「転ぶなよ」
 料理長に見送られて、イーリンは調理場を出て行った。
 彼女のはにかんだ笑顔が可愛いくて、料理長は我が子を見るような目で見送っていた。
「あの子はなんであんなチビがいいんだろう。けっこう可愛いのに、なにもあんなチビじゃなくったって」
 エリオットが、イーリンが出ていったドアを見つめて呟いた。
「エリオット君、レンファさんの事そんなに嫌いなんですか?」
「セーラ達は知らないだろうけど、あいつはしょっちゅう僕の所に来るんだ。買収しようとしたり脅したり、嫌い。
 あんなチビ悪人を、なんであんなに好きになるんだろうね」
 正体をバラされれば身の破滅だ。国ではあまり大きく出られないらしい。
「やっぱり、拾ってもらったからじゃないですか。アディスと違ってまだマトモですし」
 イーリンを拾ったのはレンファだと言っていた。困った時に優しくしてくれた人を好きになる気持ちは理解できる。聖良は困った時に助けてもらったが、同時に助けた。しかも子供の竜。その中身はロリコン。好きになる方がどうにかしている。
「それはまぁ、そうかもしれないけど……兄さんは変わり者だからね。
 さっきも綺麗な女の人にしなだれかかられて、嫌そうにしてたもん。浮気とかしないから嫌になる」
「え、嫌になるんですか? てっきりすごく怒るかと思ってました」
「怒るよ、そりゃあ」
 エリオットは複雑な心を持つ男の子だ。女の子の心も持ち、やはり男の子。聖良の理解を越えた存在だ。
「そうだ。おやつを食べるなら、向こうにラウンジがあったからそこでお茶をもらって食べようよ。そこでお願いすれば、温室の中でもお茶が出来るんだって」
「へぇ」
 元の世界で前面ガラス張りの温室が出来たのは産業革命後だが、温室そのものなら昔からあったはずだ。
「ああ、女王陛下が珍しい植物を集めるのが趣味で、客人に見せるために内の一つを解放してるんだよ。珍しい植物がたくさんあるから、行っておいで」
 料理長に勧め、他の料理人が皿をトレイに乗せてくれた。
「ありがとうございます」
「色々と面白い事を教えてくれてありがとうよ。参考になった」
 エリオットが眼鏡をはめてからトレイを持った。さすがに割れ物を運ぶのに眼鏡無しでは動きづらいようだ。
「じゃあ行こう」
 彼は鼻歌を歌いながら調理場を出る。
 花を見るのが好きなのか、食べるのも好きなのか、何か良い物をもらったのか、上機嫌である。
 聖良は微笑ましく思いながら彼の後に続いた。
 殺人鬼やら秘密結社のボスを兄に持つ割には、彼はまっすぐ育っている。



 温室につくと、セーラが驚いて壁を叩き始めた。
「なにこの壁っ」
 半透明の壁を見て、彼女はひたすら壁を叩く。ガラスも多く使われているが、そちらは見向きもしない。
 たいぶ離れたところでくつろぐ男女が、おかしそうにセーラを見て笑う。
「ガラスでもプラスチックでもない。何これっ」
 セーラがここまで驚くのは珍しい。小さな子供のようでとても可愛らしく、。
「この国の特産物だって。うちにもあるよ。作り方は知らないけど、光をよく通すから、室内で植物が育てられるんだよ」
 エリオットはテーブルにケーキを置く。しばらくすると、係の者が注文を聞きに来る。
 知らない相手なので、眼鏡を外した。
「セーラ、何飲む?」
 壁に夢中だった彼女は、息を荒げながら戻ってくる。
「甘い物に合う苦めのお茶がいいです。何かオススメがあればそれを」
「僕も一緒の物を」
「畏まりました」
 係の者が戻ると、セーラは落ち着いて席に座った。暖房が効いているので、春のような暖かさだ。
「綺麗な花」
 セーラがようやく植物に興味を持ち、傍らにあった植物に顔を寄せる。見えなかったので眼鏡を掛けると、赤い花の香りを嗅ぐセーラが見えた。
 小さくて可愛らしいセーラは、異国の衣装を着て、珍しい南国の花の香を嗅いでいる。
 髪は三つ編みにして背中にたらして可愛らしい。
 アディスが騙してまで妻にしてしまう気持ちはよく分かる。エリオットはアディスのような趣味はないので、子供のように可愛いということにこだわりはないが、セーラのような愛らしさは好みだ。
 お茶が運ばれてくるとセーラは椅子に座り、満面の笑みを浮かべる。普段は見た目の可愛らしさに似合わずクールだが、食べる事となるととても子供っぽくなる。
「わぁ、緑茶だ。いい香り」
 セーラは匂いを楽しみ、カップに口を付けた。
 エリオットはお菓子を食べて、頬を押さえる。
「何これ、汚い色のくせにおいしいっ」
「チョコレートはおいしいんです。茶色を見ると、おいしい色ってイメージが付きますよ」
 そう言う彼女は本当に幸せそうだった。
 それにしても、他所の国にまで来て彼女は彼女すぎる。休んで、ゆったりしていればいいのに菓子まで作って、動き回る。世話をしなければならない相手がいるからではなく、そういう性分なのだ。
「ねぇセーラ」
「何ですか」
 彼女は顔を上げてエリオットを見た。エリオットは目を逸らす。ここで見つめて話し合えたら、もっと有利なのだが、出来ない物は仕方がない。
「セーラ、兄さんの事ってどう思ってるの?」
 彼女は首をかしげた。
 見ていれば分かるが、本人の口から聞きたかった言葉。
 二人きりになるチャンスは少ない。必ず誰か一人ぐらいは邪魔が入った。
 だから、今、聞いた。
「変態」
 ズバリと言い切る彼女の、何を言っているのかと言いたげな、迷い無い目が気になって、我慢できずに眼鏡を外す。
 会話中に眼鏡をしていては、ろくに話が進まない。眼鏡さえ外せば、様子が見にくくなるが、目を合わせる事も出来る。
「そういう事じゃなくて」
「え?」
 彼女は他に何があるのか、本気で思いつかないらしい。
「ええと……」
 好きか嫌いかで聞いたら好きと答える。それはエリオットにも分かっている。嫌いな相手に、一緒にいるからとあんな楽しそうに料理を作れるほど、セーラも人間が出来ていない。もっと嫌そうに、それでも世話をするはずだ。
「そう、夫婦として」
「夫婦って……知ってるじゃないですか」
 夫婦生活がないのだから、夫婦の枠組みに入れるのは間違っていると言いたいのだ。
「兄さん、いまはああだから何もできないけど、ちゃんとすればそのつもりだよ」
 ちゃんと身体が大人になれば。
「いやぁ、そういうのはちょっと……」
「でも、兄さんはそのつもりだよ」
 セーラは目を逸らす。
「セーラがいないところで、ラゼスと一緒にこっそり練習してるよ」
「練習? ああ、人化のですか?」
「そう。ラゼスはさすがにまだ無理だろって言ってるけど、僕の見立てではすぐに出来るようになるよ」
 セーラは首をかしげ、笑みを浮かべる。
「まあ、きっと可愛らしいでしょうねぇ」
 セーラが想像したのは、ラゼス似の小さな可愛い男の子だろう。彼女はアディスを変態と言い切っても、可愛い姿をしていれば、相応に可愛がる。
「でも、個体差って大きいから、どうなるかわからないよ。しっかりしてるから、セーラと大して違わないぐらいに見えるらしいよ」
 生まれたばかりの赤ん坊と変わらない歳に見えると言われ、セーラは胸を押さえた。離れているとはいえ、この温室には他にも人がいるので声を上げたりはしなかった。
「そ、それがどうしたっていうんです」
「別れるなら今のちうちだよ」
「……いや、別に今は大した違いはありませんし」
「あるよ。セーラって流されやすいから、いざとなったら流されちゃうよ」
 セーラは不服そうにしたが、すぐに考え出し、否定はしなかった。
 何だかんだと、始めは拒否していた事が、今では諦めて受け入れているのだ。彼女は間違いなく流される。怒りは長く続かないし、妥協も早い。
「そうですね。ごめんなさい」
 セーラは頭を下げて、なぜかエリオットに向かって謝った。
「エリオット君はアディスの事好きですもんね。こんな嫁がいたら嫌ですよね」
 見当外れな言葉に、エリオットはため息をついた。
 それも半分は事実で、アディスの言う事なら何でも聞くが、女装しているのが原因とはいえ、大きな誤解を受けている事に、分かっていた事とはいえ大きな悲しみを覚えた。
 勇気を振り絞っているのに、彼女には伝わらない。
「僕は兄さんの事は好きだけど、セーラの方が好きだよ」
 彼女はカップを両手に持ったまま首をかしげる。
「僕はセーラの事が好きだよ、女の子として」
「…………」
「好きな子が、他の男と結婚しているのは僕でも嫌だよ。相手が兄さんだったとしても、何もなかったとしても、すごく嫌だ」
 エリオットには彼女がどんな表情をしているのか、よく見えなかった。固まっているのは分かるが、細かな表情までは見えない。
「エリオット君の時でも冗談とか言うんですね」
「僕はこんな冗談なんて言わないよ。下品な冗談は嫌いだから。
 僕はいつも君の事が好きだって言ってるよ。始めはただ可愛いと思ってただけだったけど」
 エリオットは人格が変わるわけではない。女装すれば少し大胆になっているだけで、基本は同じだ。眼鏡さえ外せば男の格好でも普通に人と話せるし、フレアと似たような行動も起こせる。ただ、自分の保身のために、男の格好の時はしないだけだ。
 セーラの表情の細かなところが見えないのは寂しいが、見えてしまったら見つめ合うのは難しい。エリオットは、人の眼球の動きが苦手なのだ。よく見えなくても見るのは怖い。
「どうせ結婚するなら、僕にしておけばいいのに」
「いや、あの……その」
 戸惑っている。嫌がっているような声ではない。
「エリオット君もロリコンなんですか?」
「君の方が年上なんだよ。なんでそうなるの?」
「ああ、そうですね」
 よほど変態にしか興味を持たれなかったのか、セーラはカップを握りしめて俯いた。
「セーラ、ケーキおいしいよ。食べて落ち着いてたら?」
「はい」
 セーラはカップを置いて、黒いケーキを食べる。無言で食べて、はぅ、と息をついた。
 ストレスが溜まる事は、こうして忘れてしまうのがセーラだ。
 エリオットにも覚えがある。一人で部屋にこもって人形遊びをしたり、女装したり、自分なりの方法で現実逃避したものだ。
「セーラ可愛い」
 求婚が彼女のストレスになる事だと分かっても、始めから知っていたから大丈夫だ。むしろ、予想通りに戸惑って、可愛い。
「な……なんでですか? ハーティとか、いるじゃないですか。仲いいのに」
「仲はよくないよ。あの子はあんまり好みじゃないし」
「あんなに綺麗な人なのに?」
「見た目じゃないの。そりゃあ、普段の彼女は可愛いけど、兄さんの方が可愛いし。
 僕は可愛い系が好きなんだ。お人形さんみたいだけど、セーラみたいにちょこちょこ動いて、生きている感じのする子が好きなの。それに、守ってあげなくても強い子は嫌」
 その点、セーラは可愛くて守りがいがあって、ずっと一緒にいられる。
「セーラ、僕の事は好みじゃない?」
「えと…………考えた事も」
「他の人ならともかく、セーラはそうだよね」
 少しでも平穏に生活するだけの日々だ。
「まあ、時間はまだあるし、考えておいてよ。セーラが嫌なら、僕は無理強いはしたくないし、友達である事だけはやめたくないし」
「エリオット君……」
「でも、ただ兄さんと別れたいって言うなら、全力で応援するよ。僕との結婚は別に考えて。お付き合いもせずに結婚なんて、ひどいもんね」
 人間の法など悪魔混じりの彼にとっては、知った事ではないが、望まない結婚など、していない方がいいに決まっている。
 自分の思っている事を上手く伝えられて、エリオットは安堵してケーキを食べる。
 好きな子が作った、好きな子と一緒に食べるおやつはおいしい。
 もしもセーラがアディスしか見ていない一途な子だったら、こんな告白はしなかった。当たって砕けて、本人は満足だが、当たられて砕いてしまったら、普通は罪悪感を覚える。ぎくしゃくする。
 しかし、彼女はアディスの事は『家族』としては好きだが『夫』や『恋人』としては考えてもいない。
「エリオット」
 声を掛けられ、顔を上げた。気づけば複数の人間が立っている。
 セーラは振り返り、アディスと呼んだ。
「あれ、兄さん? いたの?」
「堂々と入り口から入って、普通に歩いてきましたよ」
「眼鏡外してたから」
「眼鏡を外したとたん、セーラを口説き出すとは恐ろしい子ですね。しかも、離婚などと。略奪婚を目論むような非道な男に育てた覚えはありません」
「兄さんには言われたくない」
 セーラを好きなのを知っているのに、勝手に結婚して、目の前でいちゃいちゃとする、ひどい兄には言われたくなかった。
「女王様とお茶会じゃなかったの?」
「その女王陛下もご一緒ですよ。お前に会いに来てくださったというのに、油断も隙もない」
 エリオットはアディスの後ろを見た。誰か派手な色彩の服を着た人間が立っているのは分かった。
「その前髪をそろそろ切りなさい。目を悪くする原因でしょう」
「嫌だよ。目は悪くないと困るもん」
 目が悪いのを維持するため、目が悪くなると言われている事は一通り試している。薬も使っている。見えなくなったら困るので加減はしているが、眼鏡をすればよく見えるので、困った事は一度もない。
「本当に、女装が無くても、眼鏡さえなければ強気ですね、君は」
「うるさいなぁ。レンファには関係ない」
「そうですね。セーラさん。離婚した暁には、ぜひうちにいらしてください。幸せにしてみせます」
 セーラがあまりアディスと上手くいっていないのだと気づいたのか、レンファがセーラを少し真剣に口説いた。
「だめだよ。レンファに比べたら、兄さんの方がまだマシ。
 レンファがいかがわしいお店に出入りしてたの、うちの人形が見てたんだからね」
「…………」
 人形は人間にしか見えないため、帽子を目深にかぶれば誰も怪しまずに買い物が出来る。そうやって、あの怪しい兄の代わりに生活必需品をそろえてくれているのだ。そうでなければ、とっくに尻尾を捕まれてすべての隠れ家が見つけられている。
「誤解ですよ。商売に女性のいる店に客を連れて行くのは定石です」
「へぇ、客連れて娼館に行くんだぁ。大変だねぇ」
「なっ……」
 エリオットにはよく見えないが、レンファが女性達の冷たい視線を受けて動揺を見せる。
「レンファ、遊びに行っているわけではないのよ。お前がどこでどんな女を買おうと構わないけど、エンザの名を背負って遊び回るのはやめなさい」
「申し訳ありません。以後、誤解の無いように気をつけて行動します」
「誤解? 言い訳がましい。狙われたのも、どこぞの娘に恨みを買ったのではないでしょうね。
 イーリン、この男の本性はこんなものよ。お前が慕う、いい人は存在しないの。商人としてはよくても、男としては口先だけで生きているろくでなしよ」
 知らない声。派手な服。これが女王陛下だ。年の頃は三十代後半。顔はぼやけて見えるので、美人かどうかは分からないが、スタイルはよさそうだった。これも身体のラインが隠れる服装なので、はっきりとはしない。
「まあ、男の人なんて、目の届かないところではそんな物ですよね」
 セーラが肩をすくめる。その中に、もちろんアディスも入っているのだろう。
「僕はそんなことないよ」
「視線恐怖症の人が、遊び回ってたらそれはそれでビックリです」
「それがなくてもそんな事しないよ、兄さんと違って。遊び歩こうと思えばいくらでも出来るけど、したことないよ」
 相手が欲しいなら、エリオットならえり好むこともできる。
「僕は好きな子と一緒にいられれば、それだけで楽しいよ」
 セーラが顔を背けた。言われた事のない言葉に戸惑っている。
「何が一緒にいられれば、それだけで楽しいというのですか。趣味は女装と人形遊びのくせに」
 暴露された仕返しか、レンファが余計な事を言う。
「うるさいな、チビのクセに。シークレットシューズを特注してたのも知ってるんだから」
「半引きこもりのクセに、どうやってそんなに人の行動をっ」
 エリオットが実の兄から聞いた情報は間違いなかったようだ。
「変装は無駄だよ。あの子達は普通に判断してるわけじゃないから。知り合って、街の中で秘密を持てると思ったら大間違いだよ。あの人、ダーゲット探しだけが趣味だから」
「ターゲットって……止めましょうよ」
 レンファは呆れてエリオットを見た。
「年寄りっていうのは、若者が止めて聞くような素直さなんてないよ。君が一体欲しいなんて言うから、警戒されてるんだよ」
 エリオットに会いによく来ると言ったら、余計に警戒を強めたのだ。彼は自分の所有物を壊されるのを一番恐れている。
「レンファさん……さすがにちょっと引きました」
「あの人形が欲しいなんて、何に使う気ですか」
 セーラとアディスがレンファに責めるような言葉をかけた。
 レンファも材料を知っている。あの場にいたのだから。
「レンファ、人形って……とうとうそんな物にまで……」
「陛下がお考えの人形とは違います。高く売れそうな、立派な人形でした」
 彼は面白い男なのだが、第一にもうけの事を考えるのはうんざりさせられる。その次に身長。
「確かに売れば高そうな人形だけど、さすがによくないと思いますよ。人身売買みたいなものです」
 元は人間。それを売るのは、人間を売るようなものだ。相手が話の通じる相手なので、セーラは苦言を呈した。ミラのような相手なら、話を逸らしている場面だ。
「もちろんそれは承知していますよ、セーラさん。売れる物ではないのは分かっています。でも、もらえたら人件費が浮いてラッキーじゃないですか。食べない、飲まない、完璧な使用人です」
「維持費高いよ。動かさなきゃいいけど、動かしてたら、人が五人は雇えるんじゃないかな」
 エリオットは浅はかな考えに釘を刺す。
「なんと……そんなものをあれだけ大量に?」
「動かしているのは一部だけだからね。それにグリーディアはお国柄、材料が簡単に手に入るけど、外国だったら大変だよ。しかも調合は難しいし」
「それほどの物だったとは……」
「世の中にそんな都合のいい物があるはずないだろ。魔術だって便利に見えるけど、金銭的にも代償がいる事も多いんだ。
 ああやって常に何かを動かす場合、動力はそこらの微量な魔力を取り込めばいいけど、それを動力に変えるためにはやっぱり媒体がいるんだよ。例えば……」
 エリオットはポケットから眠らせていた人形を取り出す。
「起きろ」
 指で弾くと、妖精はむくりと起き上がった。
「か、可愛い。なんですかそれっ」
 セーラが本当の意味で人形サイズの、小さな女の子の姿をした人形を見て目を輝かせた。
「部屋の隅の方にあった、妖精で作った人形」
「…………それも元生き物ですか」
「それに僕が使い魔にしている無形の妖精を入れてるから、見た目も中身も妖精。
 これは妖精が発している魔力で動いている。ただし、妖精を安定せるには、持ち主が僕並の術者か、妖精のご機嫌を取るための餌を与え続けられる金持ちぐらいだね」
 きょろきょろと周りを見回す妖精を、皆が見ている。
「この世界に来て、こんなにファンタジーの世界だって思ったのは初めてっ」
 イーリンが妖精に手を伸ばし、羽根をつついてはしゃぐ。
 イーリンは現れた場所が悪かったのだ。都会にいる普通の女の子が、普通に働いていては、魔物と出会う事など一生ない。
 それは、とても幸せなことだろう。
「イーリン、グリーディアには竜もいるんですよ」
 レンファははしゃぐイーリンにそう教えた。
「いや、グリーディアにいるんじゃなくて、付近にいるだけです。それではまるでグリーディアが魔境みたいじゃないですか。魔物はちゃんと人里離れた所にしかいません」
 アディスの訂正に、セーラがうんうんと頷いた。
 すっかりエリオットが告白した事を頭の中から追い出している。
 ストレスの溜まる事は考えない方が楽だが、もう少し考えてもらいたいとエリオットも思う。
「ま、セーラはトラブルに巻き込まれるの得意だから、町中とか関係ないけどね。聖都に行った時も誘拐されてたし」
「…………」
 エリオットがからかい半分に言うと、彼女はむくれた。
「本当に、また誘拐されなくてよかったね」
「そ、それを言うと、また今夜当たり危ないからやめてください」
「じゃあ、一緒に寝ようか? 僕は兄さんより安全だよ」
「いえ、それはさすがに」
「兄さん、寝起き悪いから頼りにならないし。今なら妖精もついてくるよ」
「…………」
 少し考えている。
「僕は何もしないよ。寝起きはいいし」
「でもそうすると、ミラさんが混じりますよ?」
「…………ごめんなさい。無理。殺される」
 セーラは万が一の時も回復するが、エリオットの身体は彼女達に比べると、普通なのだ。うっかり切られたら死ぬ程度には、普通だ。
 ミラが二人の寝室に混じらないのは、アディスが大きいからという理由だ。
 エリオットはため息をついて、諦める事にした。

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