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青色吐息 作者:かいとーこ
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12話 恋する乙女1

 アディスはハーティの横に並んで座り、同じノートに向き合いながら、魔道理論を説明する。彼女は素直に、真剣に話を聞いている。
 その向こうでは、セーラが夕飯の準備をしている。
 とてもいい匂いがするせいか、ハーティの腹がぐぅと鳴った。
 慌てて腹を抱え、彼女はちらとアディスを見る。顔が熱く、可愛らしい。
「空腹は集中を妨げますからね」
「申し訳ありません」
「いいんですよ。この匂いを嗅いでいると、腹は空きますからね」
 今日の料理は香りが強い。
 猛烈に食欲をそそる独特の香りだ。山の中にある物を取ってくるギセル族では、この香りの出る物は作れないから、これほど近距離でこのような香を嗅ぐのは、ハーティは初めてだろう。
 ギセル族の二人は、本格的に雪が降り始める前に帰ってしまった。向こうの冬準備もまだ完璧ではないらしい。だからセーラが一人で料理しているのだが、調理器具を新しく買ってトロアに運んでもらったため、嬉々として料理している。
 今は『お母さんの寝室』と呼ばれている洞窟にネルフィア達がいるので、この小屋にいるのは、アディス達と神子達だけだ。人口密度は減ったが、それでも二人が過ごすにはちょうどいいサイズの可愛い小屋なので、狭苦しい。夕飯時になると、美味しい物があると分かっているので竜達も上から下りてくるからもっと狭くなる。そのため、床に座って使うテーブルをもう一つ作ったほどだ。
 夕飯まではハーティの勉強を見て、食後はセーラの勉強を見る約束になっている。ハーティはそれを聞きながら自習をする。彼女にとってはセーラの声を聞くだけでも勉強になるはずだ。ハーティの発音は、少し舌っ足らずで滑舌が悪い。セーラほどでなく、アディスほどになるにもどれだけかかるか分からない。だからセーラの声を聞かせるのは、彼女にとってはどんな本を読むよりも彼女のためになる。
 ぐぅ、と再びハーティの腹が鳴り、アディスは思わず小さく笑った。
「…………つくづく、私は駄目ですね。物覚えは悪いし、いい年して舌は回らないし、ろくに家事も出来ないし」
 彼女はセーラに対してかなりコンプレックスを持っているらしい。
 彼女に出来ない事ほどセーラは得意だ。自分の悪い部分ばかり見えて嫌になるのだろう。
「これから覚えていけばいいですよ。洗濯と掃除ぐらいなら誰にでも出来ます。料理は……向き不向きが激しいですが、食べられる物程度なら私にでも作れますよ」
 竜にとって魔術よりも向いていない事は、料理だとトロアが言っていた。料理をする竜など見た事がないし聞いた事もないという。文明的な生活力がないから、小人と対等に住むというおかしな生活が成り立っているのだ。
「セーラは小さいから細々としたことが好きなようです。彼女には向いてるんでしょうね」
 食料調達、散歩、勉強をしていない時は、小物を作ったり、編み物をしている。料理上手なのも、作れと言われて作っていたら身に付いたらしい。
 どんな理不尽な扱いをされてきたのかと考えると、涙ぐましい。
「セーラ、今夜は何ですか」
「魚の煮付けです。ちょっと和風に頑張ってみました」
 セーラは魚が好きらしく、魚を開いて天日干しにしている。米も仕入れて、彼女はとても満足そうだ。
 米は彼女の知る米とかなり違うらしいが、炊くのは上手くできたらしい。
 調味料も見本を味見しまくって、近い味の物を探しだしたらしく、彼女は生き生きしている。慣れた味が食べられないと苦痛だということは、アディスもよく知っている。生まれ変わってから嫌と言うほど経験した。セーラはもう二度と、その味そのものは味わえないのだ。それだけは悪いと思っている。
「長は」
「アディスです」
 ハーティの呼びかけに訂正を入れる。
「アディスさ……アディスは……」
 何かを言いかけて言葉を止め、彼女が顔を上げると、玄関のドアが開いた。
 外にいたミラ達が帰ってきたようだ。
「いい匂いだね。セーラ、何か手伝おうか?」
「もう出来たから大丈夫です。何かありましたか?」
「香草を取ってきたんだ。肉の臭みが取れるよ。たくさんあるから、乾燥させて備蓄しておこう」
「ありがとうございます」
 ユイがえへへと笑う。可愛い女の子に笑みを向けられて、悪い気分になる男はいないだろう。ミラのような女を連れ歩いていたら、セーラで癒される気持ちも理解できる。
 ミラが鍋の中をのぞき込み、不思議そうに鼻をくんくんと鳴らす。
「ルルトさんと一緒に作ったベーコンでスープも作りましたよ。味噌みたいなのがあったら良かったけど、さすがにないですし、口に慣れない物ばかりでも何ですし」
 セーラは楽しそうだ。
 実に平和な夕暮れ時。
 アディスはせめて神殿の三人組がいなければと思いながらも、幸せを噛みしめた。
 もちろん、もっと二人きりの時間が欲しいなどとは、ミラが怖いので言えないが。





 聖良の最近の趣味。
 手芸、勉強、散歩、釣り。
 それぐらいしかやることがないのだが、釣りは大好きな魚を食べられるのでとくに好きだ。
 川魚を塩焼きにするのは胸が躍る。塩があるからこそ美味しく食べられる。
 なんて贅沢なのだろうか。
 ダシに使えそうな海草も買ってきたし、充実している。
 それはいいとして、最近、釣りについてくるアディスが鬱陶しい。
 座りながら竿を操る聖良の背後に、抱きかかえるようにして座るのだ。身動きしづらいし、セクハラを受けるし、嫌だと言っているのだが、持ち前の強引さでどかないし離れない。
 だからひたすら無視して、疑似餌をぴょこひょことはねさせる。投げては戻し、投げては戻す。釣り道具一式は港で買ってきた新品だ。アディスも暇なら釣りでもすればいいのに、誘うと断るのだ。
「セーラ、そんなに楽しいですか?」
「釣ったあと食べるまでが楽しいんです」
「私はセーラとこうしているのが楽しいですよ」
 頭頂部にキスされる。
「それに、最近はこうした二人きりの時間が少ないですし」
 髪に触れられ、頭を振る。それが面白いのか髪をまとめようとしてくれる。
 確かに、最近は二人きりの時間が少ない。こうしている時か、寝ているときぐらいだろう。ミラと一緒に寝るよりは落ち着いて寝られるので文句は言わないが。
 なぜ一緒に寝たがるのかと今更ながら思うが、今更過ぎて言ったらきょとんとされるだろう。
「もう、セーラ可愛い」
 不必要に強く抱きしめられて、首筋にキスをされる。吸われる。
「っひわわわっ」
 釣り竿の柄でアディスを殴る。この体勢で拳では力が入らない。
「この変態っ! 頭のてっぺんだけでもヤなのに、気持ちの悪いことをしないでくださいっ!」
「変態だなんて……」
「変態以外の何だって言うんですか」
「ただ、こういう跡もすぐに消えるのかなぁと、好奇心から」
 跡。聖良は考えて、キスマークとか呼ばれているものの存在を思い出す。
「私の国だと傷害罪ですよ。内出血させてるだけですからね。暴力です」
「セーラがあんまりつれないから、私はつい過激なことをしたくなるんです。セーラに可愛い反応してもらいたいんです」
 アディスは聖良の首筋を撫でながら言う。
 人の羞恥する姿を見て喜ぶのは変態だ。
「とりあえず跡はまだあります」
「そうですかそうですか」
「自分の身体を知るのは大切な事です。どういった怪我ならすぐに治り、どういった怪我なら治りにくいか。セーラはすぐに怪我をするから知っておく必要があります」
 またいい加減なことを言っているが、いつもの事なので慣れた。
 キスされた辺りを、鼻歌を歌いながらアディスが撫でる。キスはともかく、撫でられるのは気持ちがいい。穏やかに頭や髪に触れられると落ち着く。
 そんなことを言ったら穏やかさが消え去るほど撫でられそうなので言わないが、撫でているだけならやってもいいと思うようになってきた。
 こうして流されていくのもどうかと思ったが、嫌だと思わないのに抵抗し続けるのも疲れる。それでも少しだけは抵抗しなければ、流されすぎてしまいそうで怖かった。
「そういう事は私じゃなくて、ハーティさんにしてきたらどうですか」
「妬いてるんですか。可愛いな」
「って、また何をしようとするんですか」
 首筋に顔を寄せるアディスの頭にてを向けた。
 抵抗しようにも、言っても言わなくても同じなのだという事を少し忘れていた。
「消えたから今度はもう少し強くと思いまして」
「だからセクハラの上に立派な傷害です」
「セーラ可愛い」
「私が血管の弱い人だったらぶち切れて倒れてますよっ」
「短気なセーラ可愛い」
「もうウザイっ! 木の実でも拾っててください!」
「やぁです。離れたらセーラが寒くて風邪をひきますよ」
「私は雪の日も元気に新聞配達してたんです!」
 そろそろ怒るのにも疲れた。
 変な事さえしてこなければ、膝の上で抱きかかえられるぐらいなら、もう何も言わないのに、彼は色々と余計な事をする。
「アディスも趣味を持った方がいいですよ」
「趣味というと……魔術関係しかないですね」
「じゃあ、好きなだけやって下さい」
「人生長いんですから、本当に暇なときでいいんですよ。最近、勉強を教えてるので、自分の事をする意欲がなかなか湧きません。だからセーラが生き甲斐なんです。セーラが可愛くて可愛くて仕方がないんです。セーラに教えてる方が楽しんです」
 なでなですりすりされる。
「私は愛玩動物ですか」
 言ってから、大して違わないような気がしてため息をつく。
 飼い犬に、お前は世界一可愛いと言う飼い主そのものの行動だ。
「そんな風に思っていませんよ。愛玩動物なんて、可愛がるだけで、いつでも切り捨てられる物のことを言うんです。
 人でも動物でも、切り捨てられないほど大切なら、家族とか恋人になるんです」
 アディスの言う切り捨てられる物というのは何だろうか。人間のアディスの地位、アーネスの地位はどこまで大切なのだろうか。あの愛人二人、部下二人。どこまでが大切なのだろうか。
 この男のおかしな所は、そんな大層なことを言った直後にも、撫でるのをやめない事だ。
「その撫で方はやめてください。子供じゃないんですから」
 猫かわいがりする時は、いつもよりも激しく、ハゲそうなほど撫でる。アディスだって、さすがに聖良が禿げたら嫌だろうから、もう少し考えた撫で方をして欲しい。
「じゃあ、どんな事ならしていいですか?」
「出来れば適度な距離を置いてください」
「これが私にとっては適度な距離ですよ」
「私がむっさいおっさんだった時ぐらいの距離でお願いします」
「無理ですよ。セーラはこんなに可愛いのに。おひげをつけても可愛いですよ」
「じゃあ、せめて大人の女性の扱いを」
 彼はセーラの頭にあごを載せてうーん唸る。
 この体勢、竜の姿でやれると食べられそうで怖い。人の姿ではそういう恐怖はないが、別のもやもやが生まれる。もちろん両方とも口にしないし態度にも出さない。
「セーラ、そういう事はあんまり言わない方がいいですよ。勘違いする男は勘違いしますから」
「勘違いって……」
「大人扱いって、こういう事ですよ」
 頭の上に顎を載せていたアディスは、聖良の顎を持ち上げて覆い被さってきた。
「ちょっ」
 唇が一瞬触れるとすぐに離れる。
「なっ、ちょ、あっ、もうっ……馬鹿っ!」
 言葉が出ずにどもってしまう。出たのが言いやすい馬鹿だった。
「赤くなって可愛いですね。セーラ、大人の女性扱いって、こういう事ですよ」
「バカっ」
「なんなら、もっともっと大人のキスでもしてみましょうか?」
「アディスのバカっ」
「バカって、言われる状況によっては、すごく胸がときめくんですよ」
 この男のこういうところは理解不能だ。
 聖良は深く深くため息をついた。
 こんな男がときめくとか本当に馬鹿だ。これで不細工だったら殴り倒したくなるだろうが、微笑んで言うとそんな台詞も似合ってしまうから、馬鹿らしくなるのだ。
「もう、反省しないなら竜の姿に戻ってて下さい」
 セーラは嫌がるアディスにしがみついて、服を脱がせながら呪文を唱えた。脱ぎやすい前あわせの服だから、ベルトを外して袖さえ腕から外してしまえば服に損害は出ない。
 この姿よりも、竜の姿の方がもたれかかって気持ちいいのだ。





 ハーティは腹ばいになり沈んでいた。
 隣には同じく腹ばいになった神子達と、アディスの身内達。
 なぜこんな事になっているのか、彼女にはもう思い出せない。偶然二人を見かけて、こうしていたらいつの間にか、わらわらと集まって『子供達』の戯れを観察していたのだけは確かだ。
 二人はひたすらイチャイチャしている。抱きしめて、撫でて、なのにされている本人はほぼ無視しているという奇妙なイチャつき方だ。
「……セーラはよくあれが平気だね。アディスのあの姿、男から見ても格好いいのに」
 ユイが呟く。
 まったくだ。なぜ平気なのだろうか。なぜ平気を通り越して無関心なのだろうか。
「いいなぁ……」
 呟き、ため息をつく。
 遠い存在だった。それがこんなに近くにいるのに、腕の中にいるのは人間の女の子だ。これが何も出来ないイヤな女なら怒りも沸くが、手先が器用で、甲斐甲斐しく家事をして、アディスの好みだ。さらさらの黒髪がとても綺麗で、ハーティのくせっ毛とは触り心地がまるで違う。
 太刀打ちできないので諦めるしかない。
「ハトラはアディスに気があるのかい。ショタコンってやつか?」
 ネルフィアがひどいことを言う。
「違うよネルフィ。彼女はあの姿の人間が好きだったんだよ。中身も似てるから引きずってるんだって」
「そうなのかい。うちの子の方がいいのにねぇ」
「いや、アディスだけ見るとまだ子供だろ。言動が大人びてるから忘れそうになるけど」
 実の親は、息子の中身についてまだ気付いていないようだ。
 実際の所、本当にアディスが乗っ取ったのか、幼い竜がすべてを取り込んだのか、分からない。アディスもそれは認めているし、どちらでも今があるのだから同じだと。
「しっかし、どうしてあんなになったんだろうな。あの人間の我が強くて、ラゼス似の我の弱い子だったとしても」
 トロアが呆れ半分に言う。
 アディスが一番恐いのは、このトロアだと言っていた。話を聞いた限りでは、神官に向いた男らしい。竜にも神はあると言ったら、アディスは少し驚いていた。
「というか、ネルフィ、彼をどこで見つけたの? よく生きたまま連れてこられたよね。本当に有名で偉い魔術師らしいよ」
 有名も有名。ハーネスが死んでからの魔術師再編で一番頭角を現したのが彼だ。ハーネスの再来やら、ハーネスが生まれ変わって善人になったとか言われている。ハーネスと比べられるというのがどれだけ凄いことなのか、彼らには説明しても理解できないだろう。
 グリーディアから悪魔を追い出し、魔術師の国を作り上げ、維持してきた、功績だけを見れば奇跡のような英雄だ。
「町に行って聞き込みをしたんだよ。偶然城から出てきた所を教えてもらったんだ。人里離れたところに自分から向かってくれたからやりやすかったよ」
 相変わらずの不運さ。自爆ぶり。これこそ彼の愛すべき欠点。あれだけ優れた人間相手に、まわりはいつもそわそわしている。すごいけどほっておけない人と言われているほど愛されている。彼を見ていると、努力や才能ではどうしようもないことがあるのだと、下っ端達を慰めてくれる。
「それで本当に国一番の魔術師を連れてくるところが、ネルフィらしいというか。
 しかも、プレイボーイそうだよね。うちの子の将来が心配だよ」
 それはそうだろう。もう既にまっとうな竜ではない。
「というか、人間のアディスはどんな人間だったんだ? 人望はあるみたいだったけど」
 トロアはひたすらセーラをいじる彼を見て呟く。両親は何かを猛烈に愛でるタイプではない。人間のアディスの影響だと思っているのだ。
「アディスは命令に慣れてたね。強い意志を持って、優秀だったんだろうね。まだ若かったのに……」
 ラゼスは罪悪感を持っているらしい。なまじ息子がそれに似てしまったから。しかも生肉を嫌っているらしく、その理由を聞くと目が泳いで気持ち悪そうにするのだ。彼は昔、レアステーキは普通に食べていた。むしろさっと炙っただけの肉が好きだった。今ではじゅうじゅうと少し焦げても中までしっかり火が通るように焼いている。セーラもアディスに出す肉には気をつけている。
 それで理解できないほど、竜というのは馬鹿ばかりではない。
 少なくともラゼスは理解している。
「セーラ、噛みつかれて暴れている」
「ミラさん、あれはキスされただけだよ。噛んだはしていないから」
 ミラの発言で、ハノが穏やかに微笑みながら訂正する。
 この半悪魔はよく分からない男だ。半悪魔にありがちな粗暴さがなく、穏やかで、暇があれば木を彫って女神など作っている。神殿に飼われているくせに、だ。すべての神は自分の神の別称と言い切る神殿で、明らかに自分たちの神ではなく、特定の神を意識した女神像を彫るのだ。それが神殿の者にとってどういう意味か、はっきりとは分からないが、あまり良くないことだけが分かる。
 ミラも己の道を行くタイプだが、彼もそれに負けず劣らずといったところがある。
 一番自分というものが弱いのは、主であるユイだ。
 こういう男だから、神子でも恐ろしくない。
「私じゃなくて、ハーティさんにしてきたらどうですか」
 セーラがぱしぱしとアディスを叩きながら主張する。ハーティは顔が熱くなるのを感じた。
「妬いてるんですか。可愛いな」
「って、また何をしようとするんですか」
 少しときめいたのに、アディスはさらっと無視されて悲しい。
「傷の治り具合を見ていると言ってる。アディスは子供なのに危機感があるな」
 ミラは感心したように言う。
「アディスはセーラをからかっているだけだよ。キスすると跡が残るらしいから。彼は最近セーラの反応が悪いから、退屈なんだよ」
 ハノはミラに教えるように分かりやすく説明する。その推測はかなりの確率で正しいだろう。彼はかわいい女の子の反応を見て楽しむ傾向がある。
 ハノは浮世離れしたミラに、そういう感覚の存在を教えたいのだ。そう思わせるほどミラは常識がない。
「どっちにしても、マセガキって奴だよね。僕らなんて、恋人もいないのに」
 一瞬、ユイはちらとミラを見る。
 近くにいる女はこれだからとでも言いたげに。
 支配していても、手を出す勇気はないのだろう。ミラは恐い。竜の目から見ても恐い。とにかく恐い。常識がないからより怖い。普通に接しているセーラが異様なのだ。
 考えれば考えるほど、ハーティに勝算が見つからず、ただ見ているしかない。
 あれで性格が悪かったり、偽善者だったりしたら嫌えるのに、彼女は悪い人間ではないし、アディスを必要以上に咎めたりもしない。悪いことはやめろと言って改心させようとする偽善者なら嫌えたのに、彼女は適度な言葉しか挟まない。
 涙目で二人を見ていると、今度はアディスがセーラに覆い被さる。一瞬で離れたが、キスでもしたのだろう。セーラが馬鹿と罵る。
 それでますますアディスが喜んで彼女を抱きしめる。
「アディス、なぜ馬鹿言われて喜ぶ」
「反応してくれるからだよ。それにセーラは、本気で嫌がっていないからね。嫌だったらセーラでもずっと膝の上になんていないよ。
 私はミラさんがぶすっとしながらでも抵抗せずに、髪にクシをいれさせてもらえた時は嬉しかったよ。ミラさんは警戒している相手には、物を持って近寄られると絶対に抵抗するでしょう」
 ハノやセーラと話しているときのミラは、少しだけ怖くなくなる。不思議だ。ミラと二人きりになると気が遠くなるほど恐ろしいのに、ハノやセーラがいると、まるで別人のように穏やかな空気が生まれる。
「なんか、僕たちだけ残り物っぽい疎外感を覚えるんだけど」
 ユイがハーティとトロアに目を向けた。
「なんで俺を見るんだ。俺は彼女ぐらいいるぞ」
 トロアの主張に皆驚く。
 意外だった。女心を理解できずに、すぐに振られるタイプだと思っていたのに、ついて行ける女性がいたのだ。
「じゃあなんてこんな所に入り浸ってるんですか。恋人さんほっといていいんですか?」
 ハーティは不安になって問う。
 彼はセーラを妹だと言い張って可愛がっている。もちろんアディスのような下心はないだろうが、アディスと同じぐらいの激しさで可愛がっている。
 その上、竜の女が人間の女よりも気が長いとはいえ、友人夫婦にひっついて長居しても許してくれるなど信じられない。
「ほら、女って旅行好きだろ。もう五年ぐらい旅に出てる」
「それって……振られたんじゃ」
 ユイが言いにくそうに、わざわざ言った。
「…………まあ、どっちでもいいや。セーラがいるし」
 あまり好きでもなかったのだろう。恋人よりも妹の方がいいなど、女に逃げられても仕方がない。
「それよりお前達、年齢的にちょうどいいんじゃないか。ユイは神子で年取らないし」
 トロアがハーティとユイを見て言う。
「私は俺についてこいってタイプの方が」
「いやあの、僕は種族の壁を越えるのはちょっと。というか、トロアさんはいいの、あの二人が超えても」
 ユイはアディス達を指さして問う。
 二人にとってそれが一番の問題だ。心は人間でも身体は竜。大きすぎる壁である。
 珍しいが、たまに他種族と結婚する竜はいるが。
 考えると、あまり大きな壁でなくなった。
「アディスもまだ子供だからな。ひっついて喜んでるだけだから、そこまで考えるのは早いだろ。そういう事は大きくなったときに考えればいい」
「確かにそうだけど」
「まあ、アディスが大人になったときに『セーラが欲しければ俺を倒してみろ』とか言ってみたいなぁ」
「はは……楽しそうだね」
 暢気な自称兄である。
 ハーティがため息をついて前を向くと、いつの間にか竜に戻っているアディスがこちらをじっと見ていた。
 人の姿をやめて、こちらの会話が聞こえるようになったらしい。
「皆さん揃って何してるんですか。そんな格好でお見合いなんて斬新な」
「お、お見合いなんかじゃありませんっ」
「そんなに一生懸命拒否したら、ユイが可哀相でしょう」
「拒否というか、私は……」
 アディスが好きなのだとは、言えない。
 身の程ぐらい知っている。少なくとも、今のハーティには資格がない。
「アディス、なんか凹んでますよ。そんなに叱らないであげてください」
 セーラがアディスの翼を引っ張って言う。
「うーん。責めてるんじゃなくて、せめてもっと遠回しに言いなさいと言いたいだけなんですが」
「危険人物から逃げるために故郷を離れれば、誰だって打たれ弱くなりますよ。もっと優しくしてあげないと」
「セーラは故郷を離れて時がたつにつれ、打たれ強くなってる気がするんですが」
「慣れさせられたんですよ、アディスに。
 普通なら死んでるような怪我をよくするから、小さな事なんてどうでも良くなったんです。濃すぎる人生経験のせいです」
「そういえば、最近は死にかけるような怪我はないですね。誘拐も殺されるようなタイプにはされてませんし。強気になって運気上昇してきたんでしょうか」
 今までハーティが見たセーラの不安を思い出す。
 あれで運気が上がってきたのだ。今までどんな可哀相な生活を送ってきたのだろう。アディスが彼女を好きになった理由の一つは、まさか自分に近い物を感じてのことだったりするのだろうか。
「…………私は、やっぱりセーラには勝てない」
「いや、勝ってどうするの。勝って」
 不幸なところで勝ってもなんの意味もないとユイが手を振る。
「セーラ、魚、釣れたか?」
 食べることは好きなミラがセーラに問う。
「今日はぜんぜんダメです」
「セーラ、魚好きなのに、残念」
「ミラさんが好きなお肉は私も好きですから大丈夫です。釣りはただの趣味ですし」
 男の心を掴むには胃袋からだと誰かが言っていた。実際にアディスは菓子を焼いてくる女の子がいると可愛がった。
「自分でとった食べ物を自分で調理すると美味しく感じるんですよ。ミラさんも本格的にお料理してみますか?」
「料理、したことある。神殿でしてた。包丁で」
「野菜とか肉とか切ってたんでしたっけ。味付けも面白いですよ」
「塩、胡椒かける」
「塩はこの世で最も優れた調味料ですからね。塩が使いこなせる人は料理上手になれるんですよ。ミラさんみたいによく食べる人は、自分で何でも出来ると困らなくていいですね。でも、塩胡椒だけだと飽きてしまいますよ」
「そうなのか」
 セーラはミラを上手く乗せている。
 誰かが言っていた。
 本当に賢い人間というのは、口先で人を動かす。
 手を出すタイミングを見極め、必要な時は迷わず手を出し、引くべき時には引けるのだ。
「ミラさんは野菜を上手に切れるから、きっと料理上手になりますよ」
 神子以上のミラ使いは、ミラの手を引いて小屋へと向かった。
 彼女のこういうところが、凄いのだ。
+注意+
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