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青色吐息 作者:かいとーこ
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1話 生贄と竜 1

 ごうごうと耳を塞ぐ風の音で、聖良は風の強い日に屋上に閉じこめられた日の事を思い出した。
 あの時も辛かったが、まだよかった。自分の立場、なぜそうなったのか、そこがどこなのか、いつ助かるかが分かっていたのだ。それさえはっきりしていれば、耐えられない事ではなかった。
 しかし今は違う。先も分からず、絶望のみが目の前に広がっていた。
 気付けば知らぬ場所にいた。
 家への近道だと、神社の中を通り抜けたのがいけなかったのだろうかと、ぼんやり思った。神社に悪さはしたことも無く、それ以外でも悪い事など何もしていない。もしもあえて何か悪い事をしたと言うなら、夕べご飯を残したぐらいだ。それとも、ずっと前に買い物を頼まれたとき、釣り銭をほんの百円ばかりちょろまかしたのがいけなかったのだろうか。しかしそれは元々は彼女の財産であり、搾取された被害者なのだから悪いことの内には入らない。
 そんな取り留めのないことを考えるのは、現状を認めたく無いからだ。
 夢なら覚めてくれればいいと何度も思ったが、これは現実だと頭のどこかで分かっていた。
 神社の境内で突然目眩がしたと思えば、知らぬ場所にいて、知らぬ男達に囲まれ、よく分からないうちに動くことが出来ないようにされて、今に至る。
 ああ死ぬんだ、と、霞んだ意識の下で思う。
 寒く、手足が氷のようだった。血がたくさん流れたから、このまま下ろしてもらっても、きっと死ぬのだろう。
 手足のように、心まで凍ってしまったように動かない。考えることを放棄しないと、気が狂ってしまう。
 死ぬという現実は鈍い心をまだ動かしていない。しかし現状を直視してしまうと、無駄に騒いで死期を早めてしまいそうだ。
 なぜこうなったのかよく分からないが、彼女を押さえつけた男達は、決して楽しげではなく、むしろ謝罪しているように見えた。言葉が理解できなかったので、本当は何を言っていたのか分からないが。
 それでも彼らは彼女を犠牲にして、それに少なからず罪悪感を覚えていたのは確かである。
 今、彼女は巨大な生物の前足に捕らわれて、広大な森の上空を飛行して、どこかに運ばれている。
 その前足の鋭い爪が、獲物を逃さぬようにがっちりと食い込んでいる。身体をナイフで刺されているようなものだ。爪が食い込んで、まだ死するほどでは無いが、これが抜ければ大量出血は間違いない。
 聖良には、なぜ自分がこのようなファンタジー映画のような世界にいるのかは理解できなかったが、このよく分からないこの怪物の餌として、あそこに転がされたのだという事だけは理解できた。
 だからできるだけ考えないように考えないようにと、ずっと目を閉じている。それでもあの男達に対する恨みと、理解を超えた現状に対する呪わしさは湧いてくるが、今のところは吹き出す事なく、ぼんやりとしている。
 しかし不安と恐怖というのは、本人の意志にかかわらず、爆発するように全身に広がるものだ。広がれば自分の意志ではどうにもならない。
 爪が食い込み、息をするのも恐い。
 この後どうなるかは、考えるだけで恐ろしい。今の内に暴れて死んでおいた方がいいのではないかとすら思ったが、その勇気も気力も無い。それにまだ希望はあるのだ。
 獲物を巣に持ち帰る理由として考えられる大きな可能性が、一つある。
 子供がいるのだ。
 自分で獲物を捕らえられない小さな子供。そうでなければ、その場で食べてしまえばいい。
 この巨大な化け物の子供なら、大きさは聖良と同じほどありそうだが、それでもこれよりはずっと相手をしやすいだろう。
 その前に、この爪が抜かれた時の事は、考えないようにした。不思議とそれが上手くいく。今の心はかなり鈍くなっていて、ちょうど寝起きの時のような感覚が続いている。考えることが出来ないわけではない。しかし鈍いのだ。それが寝起きと似ている。
 そんなことを考えていた彼女は、突然まぶた越しに感じていた光が薄れたことに気付く。
 化け物が咆哮した。
 キンキンと耳の奥までかき回すような、恐ろしい咆哮。そして彼女を掴んでいた前足に力が入れられ、締め付けられ、爪がより深く突き刺さる。
 内臓にまで届いたのか、血を吐いた。力なく垂れ下がった手足から、血が滴り落ちる。
 遠のく意識に、彼女は安堵すら覚えた。どうせ死ぬのなら、意識などいらない。
 しかし直後に背中に衝撃を受け、せっかく意識が遠のいてくれたのに、彼女は覚醒してしまった。
 薄暗い中、視界の片隅のある光のおかげで、ここがどういった場所なのか、ほんの少しだけ知ることが出来た。天井はどうみても岩だ。かなり広い洞窟のようである。下には色とりどりの布が敷いてある。赤いのは彼女の血が広がっているからかもしれない。
 それでも恐怖はまだ爆発していない。動悸が激しくなれば、出血も増えて死期が近づくだろう。ショック死でも出来れば楽だが、現実は死んでいないし意識がある。
 何かが近づいてくる気配がある。小動物の感じではない。大人が歩くような感じだ。敷かれた布の下には柔らかい草のような物が敷いてあり、その沈み方で分かる。
 聖良は恐る恐るそちらを見て、後悔した。
 自分と同じほどの大きさの生物が、つぶらな瞳で彼女を見つめていた。おとぎ話に出てくるような竜が彼女を見つめていた。
 親の方はいきなり飛びかかって、大きすぎたのでその正体に気付かなかったが、これは竜だったのだ。
「ああ……」
 鈍い傷の痛みすら忘れて跳び退り、柔らかい壁に背を打った。どうやら、鳥の巣のようになっているようだ。
 これはこの小さな竜の揺りかごで、聖良はこれの餌だった。
「うう……あっちいけ……」
 彼女はしっしっと手を振った。
 この傷ではもう言葉も話せないかと思っていたが、そうでもなかった。引きつっていたし傷が開くのではないかという不快感はあったが、声は出た。
「るぅぐ。ろるあすてぃ」
 竜は彼女を見て、鳴き声というよりも、言葉のようなものを発した。
「くるなって……おいしくないって」
 じりじりと逃げる彼女に近づくその竜は、左右に手を振る動作をした。もっと小さければ愛らしいだろうが、なにせ大きいので恐怖しかない。
 あたまがぼーっとして、目がかすんだ。
「るぅぐ。るぅぐ。ろるあすてぃ」
 竜はまるで子供を思わせる舌っ足らずな調子で彼女に話しかけた。さっぱり意味が分からないが、何かの言語を話しているのだろうと思えた。
「ろあるぅなぁ」
 顔が近づき、聖良はじりじりと横に移動する。それを見て、竜は人間がするように腕を組んだ。
 どうやら今は飢えていないのか、食べる気はないようだった。その様子に聖良はひとまずほっとした。それでも全身の力は抜けず、緊張している。
 竜は相変わらずわけの分からないことを口にして、うろうろと巣の中を歩いた。そうしている内に、再び意識が薄れる。血が流れ続ければ当然だ。
 竜は何を思ったか、手遊びを始めた。爪で手をひっかいている。三度目で、赤い血が流れた。竜の血は赤いのだと考えていると、その血が滴る手を見せつけてきた。
 この竜は、何を考えているのだろうか。こんな遊びで楽しいのだろうか。
 聖良はぼんやりと、そんな事を考えた。
「るぅぐ」
 と言って、竜は何度も皮膚を爪で引っ掻き、血を垂らしながら近づいてきた。竜は手を差し出し、その血は聖良の顔にもかかる。どういうわけか、血をかけたいらしい。竜といえども子供は何を考えているのか理解できない。
「…………な、何?」
「るぅぅぐ」
 わけの分からないことを言い続け、さらに血を垂らす。その血を、彼女の顔にまで垂らす。
「な、気持ち悪っ」
 聖良は顔を背けるが、頭を捕らえられ、押さえつけられた。それが竜の尻尾によるものだと気付くと、気色悪さは増す。
「るーぐ」
「なにすっ……うえ」
 血が口に入り彼女は気色悪くて抵抗するが、頭を押さえつけられてさらに口に注がれる。血は人間の物と似たような味だ。鼻血が出たとき、伝わり落ちてくるあれと似たような鉄の味。ただ、それが自分の物でないという理由で、吐き気がした。
「うう……」
 竜は彼女の傷ついた腹や胸に触れ、それから押さえつけていた頭を解放する。満足したのか身を低くして、彼女を見つめていた。
「な……何がしたかったんだろう」
 竜は身を伏せたまま敵意はないとばかりに上目づかいで見つめてきた。そうしていると、少し趣味の悪い巨大なぬいぐるみのようだ。いや、着ぐるみと言った方がいいだろう。怪獣映画に出てくるような、しかしバランス的には人が入るなど不可能な体型。
 見つめられ、不自然な体勢に疲れて座り直す。と、そこで気付いた。
「あれ……」
 痛みがないのだ。傷口がどくどくと鼓動に合わせて引きつるような感覚があったのに、今はそれがない。
 体操着の前をめくり上げて腹に触れるが、血で濡れていても傷口がなかった。そう、全くない。慌てて、散らばっている布で腹を拭いてみるが、血を拭っても傷口など出てこなかった。確かにここにあった傷が、綺麗に塞がっていた。血まみれでなければ、怪我をしたのは錯覚だったと思うほど、綺麗だった。
「なんで……」
 呟いてから、彼女をじっと見つめてくる竜を見た。竜は嬉しそうに何度も頷くような仕草をした。
 ──あの血。
 物語の中でよくあるではないか。竜の血を浴びると無敵になるとか、そういう話が。この竜の血は、傷を癒すのではないかと、結論づけた。
 突然大自然の中にいたり、聞いた事もない言葉を話す外国人がいたり、このような空想の世界の生物がいるのだから、不思議に思うこともない。
「…………助けてくれたの?」
 竜は起き上がってから再び頷いた。
 空腹ではなかったからの気まぐれか、もしくはこんな小さな人間など不味そうと思ったのか。
「あどぃす」
「私、君の言葉は分からないよ」
「あでぃす」
 と、血で濡れた爪で自分自身の顔を差す。
「あでぃす」
 何度も、何度もその言葉を繰り返した。
「アディス?」
 彼女は呟いて、竜を指さした。それに竜はこくこくと頷く。
「アディスっていうのかな? 名前からして、男の子っぽい?」
 大きいとはいえ、子供ならではの丸っこいラインに、つぶらな瞳をしている。その瞳を見ていると、少しだけ可愛いと思えるようになっていた。爪も牙も恐ろしいが、仕草はとても可愛いらしい。助けてくれて、食べないでくれた上に、自己紹介までしてくれた。
 今のところは、害を加える気はないのだと判断し、聖良は自分の胸に手を置いた。
「私は森聖良。せいら」
「せーら?」
 こくと頷くと、アディスは喜んで何度もせーらと口にした。少しではなく、本当に可愛いと感じるようになった。映画の悪役のドラゴンと違い、少し優しい顔をしている。子供だからだろうか。
「せーら、どぅーる らふぃあと いーりす」
「わからないよ」
 アディスは困ったと腕を組み、
「だーる らふぃあと いーりす」
 求めるように彼は言う。聖良は首をかしげてその様を見ると、再び
「だーる らふぃあと いーりす」
 と繰り返した。それから何度も何度も繰り返すものだから、聖良は思わずそれを口にした。
「ダール ラフィアト イーリス?」
 それに頷き、同時に首を横に振った。
「だ……どぅーる らふぃらと いーりす」
 一生懸命発音を頑張るアディス。上手く発音できないから、聖良も発音できていないのだろう。
「ドゥール ラフィラト イーリス?」
 こくこくと頷き、じゃれてくる。言葉遊びをしているのかもしれない。食べられるのも嫌なので、聖良は遊びに付き合う事にした。
 彼が喜ぶように、彼が納得するまで彼の後に続いて音を発した。意味は分からないが、アディスが嬉しそうならそれで良かった。それをしばらく続けて、長い言葉を始めから続けて口にすると、とうとうアディスは跳び上がって小躍りした。
「可愛い」
 聖良は目を細めて呟いた。身体がとても大きい事を忘れれば、一挙一動がとても可愛い。
「貴方の方が可愛いですよ」
 突然、はっきりとした言葉でアディスが話した。驚いて思わず後ずさり、再び巣の壁に背が当たる。
 彼はつぶらな瞳で聖良を見つめ、可愛らしく首を傾げた。

タイトルは桃色吐息+青息吐息の造語です。
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