挿絵表示切替ボタン
▼配色







▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる
カルカヤの歌 、磐井の反乱伝説 作者:春野一人
しおりの位置情報を変更しました
エラーが発生しました

ブックマークしました。

設定

更新通知 0/400

設定を保存しました
エラーが発生しました

カテゴリ

ブックマークへ

以下のブックマークを解除します。
よろしければ[解除]を押してください。

ブックマークを解除しました。

23/226

23 受難の朝鮮半島

比較的平穏だった、朝鮮半島に風雲が立ち始めたのは西暦400年を迎えた頃だった。史書を読むと西暦372年に百済王は倭王に対して、文を彫った七支刀を送って友好を暖めていたようである。倭はそれ以前に半島の至る所に略奪と侵略をくりかえしていたようである。朝鮮半島の三国と言うとき、百済くだら新羅しらぎと高句麗こうくりをさすのだが、半島にはこのほかに小王国がいわば大きな村落というようなたたずまいで30国はあったであろと推定出来る。
半島に吹き荒れ始めた風雲を今に伝えるものは北韓にいまもそそり立っている高句麗が先代の王、広開土王の遠征を記念して建てた石碑だ。前記したがここで、いくらかをまた繰り返すことになる。碑文を深読みすると、ーーー倭国と百済、口口(碑面欠落、伽耶かやまたは任那みまな、加羅、かと筆者は推定する)、新羅は親しくなり主従の関係を結んでいる。( 百済-伽耶-新羅の順番に注目して頂きたい。この順番は大国順だと筆者は思う。やがて半島を席巻する新羅は小国にやや抜きん出る国でしかなかった) これらの国々は本来、高句麗の臣国であるのに、永楽元年(391年)倭国はむりやり襲って関係を強化した。 西暦399年にはとりわけ百済が倭国とひどく親しくなった。これを知って高句麗軍が平城(ピョンヤン)に南下すると新羅は使者を寄こして云うには「新羅の国境には倭国の兵がみち溢れて城や池ををうち破り侵入して支配しております。又、百済に対しては百済の人々を倭の民としています。王のお力で助けて下さるようお願い致します」とのことである。その翌年、高句麗は万と云う大軍を新羅に向けて発進させ、新羅を救援した。倭軍(おそらく倭国に濃厚な血筋の金冠加羅国に率いられた伽耶軍勢であろう。伽耶は金冠加羅国きんかんからこく盟主とする諸国である・筆者)は高句麗軍が新羅国内にはいると退却し、追い打ちをかける高句麗軍によって、全滅させられた。永楽14年(404年)倭は不法にも帯方郡の堺に侵入した。倭冦は壊滅され数知れず斬り殺された。 ーーー と言うことである。 新羅国の史書「新羅本紀」によれば、新羅は広開土王碑が立てられる前、数百年に渡って倭の来襲に悩まされていた様である。古くはあたかも海賊のようであったが、徐々に押し寄せる軍勢が増大し、ついには倭国軍の侵略となった。新羅は倭国との和のために王の親族を人質に出さざるを得なかった。         
+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。
↑ページトップへ