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召喚前夜編3
 一部下らないやり取りはあったものの、無事にシティオブサウスゴータを脱出した一行は、一路タナカ辺境伯領内のムサシ島の港に到着し、そこから更に船で近くの島へと到着していた。

「ここは?」

「実は、ムサシ島の人口が増えた際に、余裕を持って引っ越しが行えるようにと造成していた島なんですよ。名前は、イセ島と名付けました」

 イセ島は、ムサシ島から船で五分ほどで行ける交通の便の良い海域にあり、既に二千人ほどの人が住めるところまで工事が進んでいた。

「この島を貸すので、ここで生活してください。賃料は取りませんけど、生活費は自前で頼みます。貸してもいいですけど、利息を取りますよ」

「いや、当面の生活は大丈夫だ」

 モード大公も、サウスゴーダ伯爵も、持てる限りの宝石や金貨を持って来ていたので、当面は生活に困る事は無かった。

「それと、仕事などを紹介して貰えると助かるのだがな」

「貴族様が働くんですか?」

「付いて来てくれた家臣やその家族から税金を取れと?」

 結局、イチローは新規に作りはしたが、これから乗組員を応募する予定だった空中船を何隻かレンタルする事にする。
 これで、こちらの指示に従って各地に荷を運び、その報酬で生活を成り立たせるとの事であった。
 幸いにして、アルビオン人には空中船を扱える人が多く、モード大公達の家臣達にもかなりの数が存在していたので、仕事の件はすぐに纏まっていた。
 その後、行政府にする予定だった建物にモード大公とその家族が移住し、その隣の邸宅にサウスゴーダ伯爵親子が移住。
 その他の人達にも、適当に家が割り振られ、借りた船の習熟航海を行っている最中に事件は発生していた。

「アルビオン王国から親善大使ねぇ」

「どうせ、こっちの様子を探りに来たんでしょう」

 エルフの愛人とハーフエルフの娘がいる事が王様に見つかり、その追放命令を頑なに拒んで投獄寸前だったモード大公が、たまたま仕事で、直臣であるサウスゴーダ伯爵の領地内にあるシティオブサウスゴータに向かい、その家族と共に煙のように消える。
 そして、消えた前日には、タナカ辺境伯領から来た巨大な輸送空中船が、たまたまシティオブサウスゴータに停泊していた。
 疑われないわけが無かったのだ。
 そんな事は十分承知でとやったと、イチローは周囲に言っているが、実はあまり何も考えないで半分ノリで動いた事は、フィアナにはすぐにバレていたが……。

「お客様は、丁重にもてなすけどね」

 ムサシ島の執務室内で、イチローはハインリッヒと話を続けていた。

「ところで、その親善大使とやらは誰なんだい?」

 更に、そこでコーヒーを飲んでいる妙齢の美女がいた。
 サウスゴーダ伯爵の一人娘である、マチルダ・オブ・サウスゴータ嬢その人であった。 
 彼女は、それなりの教育を受けているという理由から、イチローの秘書として雇われていたのだ。

「ウェールズ・テューダー。所謂プリンス・オブ・ウェールズだ。大物だね」

 ハインリッヒは、アルビオン王国から送られて来た書状を読みながらマチルダの質問に答えていた。

「テファの従兄か……」

「私は、実際にお会いした事がないんです……」

 同じく、『あまり世間から隔離するのはどうよ?』というイチローの意見により、秘書その2として採用されたテファが、ウェールズについての事を話すが、今の彼女にはエルフ特有の長い耳が存在せず、普通の人間の美少女に見えていた。
 イチローが目立ち過ぎるからという理由で、光の屈折率を応用して着用した本人の外見を変える、変装用の指輪をテファ親子に贈っていたからだ。

「それで、どうするんだい?」

「どうもこうも、様子見さ」

 親善大使であるウェールズ・テューダーの人と成りと、アルビオンの意図がわからないので、実際に来てから判断するしかないと考えているイチローであった。 

「イチローの言う通りだね。まさか、他国の領地で無茶はしないだろうし……」

 ハインリッヒも、アルビオンがゲルマニアを敵に回してまでモード大公に拘るとは思っていなかった。
 それに、今回の事件におけるアルビオン側の公式発表は、『モード大公が突如引退をして他国に移住し、それにサウスゴーダ伯爵が付いて行った』というものであった。
 矛盾点だらけのイマイチな理由ではあったが、実はジェームズ1世の命令をモード大公が聞き入れ無かった場合は、秘かに彼を処理する予定だったのに、まさか彼が先に逃げてしまうとは思わなかったらしい。
 だが、理由を公にして身柄の引渡しを求めるわけにもいかず、かと言って放置もできずと、多分落し所を探るための今回の親善大使の派遣なのであろう。
 少なくとも、イチロー達はそう考えていた。

「面倒だなぁ」

 翌日、ムサシ島の港に一隻のアルビオン軍の軍艦が到着し、ウェールズ・テューダー以下数名の使節団がムサシ島に降り立つ。

「威嚇ですかね?」

「勝てないか?」

「まさか」

 イチローは、一緒にウェールズを出迎える警備隊空中艦隊司令であるミッターマイヤー准将と話をしていた。

「空賊対策だろう? 要人は、身代金を取れるからな」

 まさか、軍艦一隻で自分に喧嘩を売るほど、ウェールズが愚かな皇太子でない事を心から願うイチローであった。






「イチロー・タナカ辺境伯です」

「ウェールズ・テューダーです」

 イチローは、ウェールズと形式的な挨拶を交わすと、そのままイチローのムサシ島の屋敷で会議を始める。
 どうやら、ウェールズは本当に親善大使としての仕事もあるらしく、そちらの話を先に片付けるつもりらしかった。
 ちなみに、ウェールズが美青年である事を確認したイチローは、再び心の中で血の涙を流していた。
 やはり、イチローのとっての美形は、永遠の敵であったのだ。

「聞けば、東方の商人にも顔が広くて、色々と珍しい物も生産していて、技術力も高いとか?」

「それなりに技術力が高い事は、自負しています」

「アルブレヒト3世には、随分色々と便宜を図っているらしいね?」

「それはそうでしょう。主君なのですから」

 イチローのさも当然と言った回答に、ウェールズは少し気を落としているように見えた。

「私も、君を貴族に任命するように父に進言した事があるんだ。何しろ任命するだけで、我がアルビオンは浮遊していない領土を得られるのだからね」

 浮遊大陸全てがその領土であるアルビオンは、ある意味安定した国家であったが、逆に言うとそれ以上の発展がかなり難しい国でもあった。
 科学を用いればそれは容易なのであろうが、この魔法全盛のハルケギニアでは、科学をそれなりに理解しているのはゲルマニアだけであったので、それは不可能であったのだ。
 
「浮遊大陸一個で防衛も容易でしょうし、結構な事だと私は思いますけど」

「だが、これ以上の人口増加は望めない。食糧生産の事も考えると特にね」

 浮遊大陸であり、その下に流れる雲が特徴のアルビオンは白の国と呼ばれているが、それにはちゃんとした理由があった。
 上空にあるので、冬が早く訪れて雪が大量に積もり、他の季節にも朝には大量の霧が発生する事が多く、とにかく農業が難しい土地であったからだ。
 有名な産業が羊毛の生産なのも、草ならば確保が容易という理由からで、食料自給率も100%に行っていないので、その人口は三百万人弱くらいであるとの統計が出ていた。

「他にも、浮遊大陸だからという不安もある。何かの天変地異で落下しない保障も無いとは言えない」

「昔、空が落ちてこないか心配で、夜も眠れないという人がいたそうですが……」

 イチローにとっては摩訶不思議であった浮遊大陸アルビオンは、実は少し前に、フィアナに命じて徹底的な調査が行われていた。
 結果は、大陸の核の部分に巨大な風石の結晶が入っているとの事で、それは尽きれば落ちる可能性があったが、その時期を予測させると結果は五百万年以上先との事であった。
 ウェールズの予想は、全くの間違いでは無かったのだ。

「自前の食糧を生産する土地と、万が一の時の避難場所を確保できる可能性を失ったわけだ」

 ジェームズ1世は、『そんな得体の知れない者を貴族にするなど、絶対にあり得ない』と言って、ウェールズの提案は却下されてしまったらしい。
 ただ、ジェームズ1世が極端に保守的というわけでもなく、大抵のハルケギニアに存在する国家元首の共通した考えであった。
 良く言えば慎重で、悪く言えば伝統に縛られているとも言えた。

「そうだね。僕の父上も、『あんな得体の知れない男を貴族にするのは、ハルケギニアでも余くらいだろうな』と自画自賛していたから」

「酷い君主だよなぁ。まあ、事実だけど」

 イチローとハインリッヒの会話を、ウェールズは内心ではガッカリとしながら聞いていた。
 イチローと次期皇帝に一番近いハインリッヒが友達付き合いをしているを見て、イチローをこちらに引き込む事が不可能である事を悟ったからだ。
 それに、得体の知れない男でも、アルブレヒト3世はイチローを貴族にする決断をして、ゲルマニアに大きな利益をもたらしていた。
 実は、先月にイチローが皇室にその年の分の上納金を納めたのだが、その予想以上の金額に、アルブレヒト3世は大喜びであったらしい。
 しかも、今の状況から予想すると、その額は上がる事はあっても下がる事は決して無く、アルブレヒト3世は安心してその収入を使って色々と自分の権力強化を行えるのだ。
 まずは、製鉄技術の改良と、提供された自転車などの製造事業を独占し、次に少領の貴族から土地を買ってその貴族を次々と官僚化させて行く。
 彼らは、爵位と役職に応じて給料や年金を貰えるので、特に財政的に厳しかった連中はこぞって土地を売る結果となり、ゲルマニアの直轄地は以前の数倍に膨れ上がっていた。

「だが、いつかは君も土地を奪われる事となる」

「無理でしょうな。ゲルマニアの完全な中央集権化には、数百年はかかるでしょうから」

 少領の連中の官僚化は容易でも、大貴族にそれをするのは不可能であった。
 今は、せいぜい裏切られない程度に上手くコントロールして、時代の変化を待つしかないからだ。
 それと、イチローには他に開発可能な土地などいくらでもあったし、最悪は既に人が住めるようになっている二つの月に逃げ込めば済む話なので、特に危機感を抱いていなかった。

「愚痴になったね。では、話を進めようか」

 イチローとウェールズは、平等な形での貿易条約やお互いの貿易量を増やす事を決め、それぞれに書類にサインをする。
 ただ、アルビオン側から輸出できる品物は限られていて、そのほとんどが羊毛だったので、飼育技術と羊毛製品に関する技術書を提供する代わりに、少し安値で売って貰う事を決めていた。

「君の領地を見て、更に思ったね。うちの国は貧しい」

「どこの国も一緒でしょう? 特に、トリステインなんて酷いって聞きますし」

「あそこは、うちに輪をかけて保守的だからね。それでだ。主目的の交渉は終わったので、ぜひ会わせて欲しいのだがね。ああ、誰になんて聞かないでくれよ」

 イチローは、案外食えないウェールズに少しばかり驚いてしまうのであった。






「それで、私に何の用事だ? ウェールズ」

「顔を見に来ました」

「私達は居候の身でな。稼がないといけないので、お前に使っている時間は貴重なのだよ」

 絶対にウェールズ一人だけという条件で、彼をイセ島に案内したイチローであったが、下手をすれば粛清される可能性もあったモード大公の言葉はかなりキツいものがあった。

「そうですか。では、うちにも荷物を運んで下さいよ」

「面が割れているのにか? うちの担当は、他の国に決まっている」

「残念ですね」

「それで、お前は何をしに来たのだ?」

「叔父上の顔を見に来ただけですよ」

「それで、私の処分はどうなっているのかな?」

「このままです」

「このままなのか?」

 モード大公は、ウェールズがイチローに対し、身柄の引渡し請求などと、世間知らずな事をするのではないかと心配していたのだ。

「何も、今すぐに結論を出さなければいけないというルールもありますまい。この先に何が起こるのかもわからないのですから」

「レコン・キスタか?」

「ええ」

 ウェールズは、今回の事件でモード大公を告発した貴族が、噂の域を出なかったがレコン・キスタの考えに賛同していたという情報を聞き付けていた。
 今回の件は、ひょっとするとジェームズ1世の力を落とし、その目を反らさせるのが目的だとしたら?
 そんな仮説を立てていて、半ば確信している部分もあったのだ。

「ウェッド伯爵か」

「他にも、数名の大物が噂にはなっています。ですが、証拠が無い以上は下手に動けません」

「それで、どうするんだ?」

「父は、老いました。かくしゃくとはしていますが、判断力が鈍ったのは今回の件を見ても明らかです。人を使って調べさせてはいますが、どうにも尻尾を掴ませないですね。だから、暫く様子を見る事とします。それで、万が一の事があれば亡命ですかね」

「ここが、その拠点になるのか……」

 本来であれば島の行政府となる建物で、二人はかなり物騒な話を続けていた。

「私財から多少の資金援助をしますので、なるべくに備えておいて欲しいのです」

 レコン・キスタは、確かに宮廷ではかなりの噂にはなっていたのだが、実害はと言われると、実はまだ何も被害が出ていない。
 なので、あまり問題視していないジェームズ1世と、何か違和感を感じるウェールズとの間で、微妙な温度差が広がっていたのだ。
 そこで、ウェールズはモード大公が逃げ込んだ場所を確保して、万が一の時に備えようとしていた。
 もし何かがあればこの布石が役に立つし、何も無ければここをこのままにしても、自分が王になってから対処をすればいいのだ。

「目下アルビオンでは、正体不明の化け物が暗躍しているのか……」

「正体がネズミなのか、ドラゴンなのか検討も付きません。出来る限りの事はしていますが、実際に何かが起こらないとわからない部分もありますし、何かが起こってからでは間に合わないかもしれないし、色々と複雑ですね」

「そうか、プリンス・オブ・ウェールズも色々と大変なのだな」

 アルビオンの王では無いウェールズでは、出来る事には限りがある。
 王弟であるモード大公には、それが良くわかっていたのだ。

「破壊の後の再生という物もあるからな。そう悲観するな」

「多くの犠牲が出ますね」

「それが嫌なら、王族など止めてしまえ」

「叔父上のご子息に譲りますか?」

「アレは駄目だ。使えない」

 今回の件で、モード大公は正妻や他の側室との縁を全て切っていた。
 ここに連れて来たのはテファ親子だけあり、事件後に正妻と側室は実家に戻り、長男と次男はモード大公の役職を継いだが、その能力不足は目を覆うばかりであるという。
 ハッキリと言えば、王の才能も資格も持っていなかったのだ。

「お前の方が、数十倍もマシだ。精進しろ」

「精進ですか? 表向きは、暫く動かない予定ですけど」

「なら、あの外にいる変わり者を良く観察するんだな。あんなに面白い奴はなかなかいない」

「それについては、意見が同じですね」

 二人の視線は、律儀に二人の話が終わるのを部屋の外で待っているイチローの方へと向いていた。






「さて、アルビオンは不発だったけど、ガリア旅行は成功させないとな」

 ウェールズ来訪の翌日、既に戻っていたナガトに荷を積む作業を観察しながら、イチローは旅行を再開できる喜びを一人噛み締めていた。

「そんなに遊びに行きたいのかい?」

「4世。そもそも、これはお前の発案だろうが!」

「そう言えば、そうだった。ここの所の騒ぎで忘れてたよ」

 同じく、ガリアで高値で売れるアルコール度数の高い酒を大量に積み込む作業を観察しながら、ハンリッヒは他人事のような事を言っていた。

「しかし、旅行なのに荷を積むんだね」

「だって、船を動かす経費を賄わないと」

「しっかりしてるよね」

「おはようございます」

 二人で話をしていると、そこにテファを連れたマチルダが現れる。
 彼女達は、公式的にはイチローの秘書扱いだったので、一緒に旅行に付いて来る事になったのだ。

「私、外国なんて始めてです」

 碌に屋敷の外にも出たことが無いテファは、今回の旅行をとても楽しみにしていた。

「イチロー様、また護衛を担当させていただきます。それと、荷の積み込むが終わったそうです」

 再び、護衛部隊の責任者となったルッツが全員に挨拶をして、いざ出かけようとした時、そこに意外な人物が現れた。
 今日にはアルビオンに戻る予定の、ウェールズであった。

「お見送り感謝いたします」

「いや、私も同行する事になってね」

「本当ですか? お兄様」

 昨日の晩、初めて正式にテファと対面したウェールズは、テファに『お兄様』と呼ばれるまでの好印象を獲得し、イチローに、『美形死ね!』という呪詛の言葉を吐かせる事に成功していた。

「仕事しろよ。プリンス・オブ・ウェールズ」

 イチローは、ハインリッヒといいウェールズといい、国の次期皇帝や王様がこんな所で油を売っていて、本当に大丈夫なのかと心配になって来ていた。

「君も、普段は仕事をしないよね」

「事実だけに、反論できん……」

 イチローは、フィアナ以下の部下にほとんどの仕事を丸投げしている事を、ウェールズに一日で見破られていた。

「たまには、私にも骨休めが必要なのさ」

 こうして、プリンス・オブ・ウェールズを加えたイチロー達一行は一路ガリアへと旅立ち、僅か半日ほどでガリア王国の首都リュティスに到着する。
 リュティスは、人口三十万人を抱えるハルケギニア一の大都市で、大洋に流れるシレ河の沿岸に位置し、河の中洲を中心に発展していた。

「さすがは、ハルケギニア一の大国の首都」

 ウェールズは、大都市リュティスの大きさに素直に感心していた。

「アルビオンでは、人口四万のシティオブサウスゴータでも大都市ですからね」

 マチルダが、ウェールズの意見に賛同する。
 先週辺りから色々とあったために、始めは何となくぎこちなかった二人であったが、今では普通の関係に戻っていた。
 とは言っても、マチルダも子供では無いので、それなりに皇太子に気を使いという関係であったが。

「うちのムサシ島なんて、人口三万程度だよ」

「君の所は、発展の速度が尋常じゃないから例外だよ」

 一年とちょっと前までは、人すら住んでいなかった無人島があそこまで発展していたのだ。
 これはもう奇跡と呼ぶしかないと、ウェールズは思っていた。
 他にも、アキツシマ島(アイルランドに相当する島)、ミズホ島(北欧諸国に当たる。ただし島)などの人口を合わせると、総人口は十万人に迫る勢いで、ハルケギニアでは比較的裕福で有名なクルデンホルフ大公国と並ぶ富裕な国家というか貴族として有名になっていた。

「では、その急発展の要因の一つを見せましょうかね」

 リュティス郊外の商船用の港にナガトを降ろした一行は、積んでいる荷が無事に売れた事を確認してから、リュティス中心街へと移動する。
 街並みは古いながらも壮麗で、都市機能も充実していたが、イチローの目的はそこでは無かった。
 少し中心街を外れた場所にある下町とスラムが混在している場所へと向かっていたのだ。

「汚い場所ですね」

「ここには、上下水道が完備されていないからね」

 住民達が汚物すら道に捨てている状態に、全員が鼻を押さえながら歩いていると、そこに一軒の酒場が見える。

「ここが目的なのかい?」

「そういう事」

 イチロー達が酒場に入ると、お昼にも関わらずそこには多くの人達で混み合っていた。

「いらっしゃいって! あなたは!」

「ご主人に会わせてくれ」

 酒場のマスターに奥に案内された一行は、そこで別の男性と顔を合わせる事となる。

「どうも、移民管理局のザルトです」

「イチロー君、これは……」

「まあ、そういう事さ」

 ハルケギニア大陸には、公式的には六千万人ほどの人が住んでいると言われていて、その内ガリアには四分の一の千五百万人が住んでいると言われている。
 だが、これは戸籍がある人だけの事で、実際にはカウントされていない流民なども多数存在していた。
 
 彼らは、人のいない場所を見つけて不法に住んでいたり、貴族に奴隷として所持されていたり、常にどこかを流浪していたりで、当然いつ迫害されたり殺されても文句は言えない人達であった。
 他にも、没落した貴族の子孫達や、戸籍にはカウントされていても貧しい生活を送っている者など、それらの中でスパイや反乱の危険が無さそうな人員をチョイスして、タナカ辺境伯領に送り込むのが彼らの仕事であった。

「良くジョゼフ王が認めたね」

「取り引きをしたのさ」

 世の中は綺麗事だけでは回らないので、こういう戸籍に無い人間は一定数の需要はあったが、逆に多過ぎると国にとっては害でしか無くなる。
 その部分を強調して、一定数を引き取る旨をガリア王ジョゼフの息の掛かった連中と取り引きして、所謂秘密協定を結んだのだ。
 勿論、イチローは命令をしただけで、実際にそれを手配したのはフィアナであったが。

「他にも、オルレアン派の粛清の余波で職にあぶれた人も引き取っていますよ」

 ガリア王国は、大国ではあったが決して一枚岩では無かった。
 魔法が全く使えずに無能王として知られている彼には、かつてオルレアン公シャルルという弟がいた。
 彼は若干十二歳にしてスクウェアクラスに達した天才的なメイジであり、様々な能力に優れるのみならず、魔法の素質に恵まれぬ兄を励ますなど、高潔で思いやりのある人柄から、宮中の人々の多くに慕われ次期国王と目されていた。
 ところが、実際に父である先代の国王が次期国王に指名したのは、ジョゼフの方であった。
 公式的には、その際にシャルルは兄を祝福し一緒に国を支えることを誓っているが、その後シャルルは、狩猟中に何者かに毒矢により暗殺され、それをジョゼフの仕業と疑うシャルルの派閥に属していた貴族達との対立が表面化し、多数のオルレアン派と呼ばれる貴族が閉職に追いやられたり、所領を奪われて没落したりしていた。

「そんな連中を雇っているのか」

「だって、意地とプライドと面子があるのは上の連中だけでしょう? なら」

 イチローは、旧オルレアン派の貴族やその元家臣で、まともな生活さえ出来れば国には拘らないという連中で使える人材を、それなりの数引き抜いていた。

「確かに、ジョセフ王は文句は言わないよな」

 ここにいれば、政情不安の元でしかない連中を引き取ってくれるのだ。
 ガリア側に、文句など出ようはずも無かった。

「じゃあ、後は宜しく」

「かしこまりました」

 酒場のある下町を出た一行は、今度は郊外にある王族の居城《ヴェルサルテイル宮殿》を外から見学していた。
 これは、ジョゼフの先々代の王ロベスピエール3世によって森を切り開いて造られた宮殿で、世界中から招かれた建築家や造園師の手による様々な増築物によって現在も拡大を続けている。
 特に目立つのは、薔薇色の大理石と青いレンガで作られた巨大な王城グラン・トロワがあった。

「凄いけど、浪費以外の何物でも無いね」

「言えてる」

「確かに」

 ウェールズ、ハインリッヒ、イチローの意見は見事に一致していた。
 そもそも、こんな物を作る予算があったら、あの下町に下水道でも整備すればいい。
 そんな風に考えていたからだ。

「でも、よそ様の国の事だからね」

「言えてる」

 それから数日、イチロー達はサン・マロンという海沿いの町で水上艦隊及び空中艦隊の大規模な基地を見学したり、訪問先での特産品に舌鼓を打ったり、お土産を買ったりと十分に旅行を満喫していた。
 特に、今回が始めての外出と旅行であるテファは、大喜びで旅を満喫していた。

「テファ、楽しいかい?」

「はい、初めての物ばかりでとても楽しいです」

 屈託の無い笑顔で答えるテファにイチローは心から萌え、ついでにそのバストの揺れに至福の瞬間を感じていた。

「目が、厭らしいのよ!」

 だが、すぐにマチルダに耳を引っ張られてしまう。

「マチルダさんが横暴だ! 俺に対する敬意が無い!」

「あるわけが無いでしょうが! それに、あなたはゲルマニアの貴族で私はアルビオンの貴族!」

「正論だぁーーー!」

 そのあまりの正論ぶりにイチローは、血の涙を流すのであった。






「次は、トリステインだね」
 
 続いてのイチロー達の目的地は、トリステインの南部にあるラ・ロシェールという町であった。
 浮遊大陸アルビオンが定期的に接近するので空飛ぶ船の港となっていて、古代の世界樹イグドラシルの枯れ木をくり抜いた立体型の桟橋に多数の船を係留でき、スクウェアクラスのメイジが岩から切り出して作った建物群が特徴の山間の町であった。

「とりあえず、宿を取るか」

 イチロー達は人数分の宿を取り、翌日に王都であるトリスタニアを目指す事にする。

「馬で二日は遠いね」

「だから、ナガトを一旦戻して小型の空中船を持って来て貰う。速度はナガトほどじゃないけど、最新の乗降装置を備えていて、どこからでも乗降可能だから」

 ハインリッヒがトリタニアへの道が遠い事に文句を言っていたので、イチローは予めルッツに対して船を手配を命令していた。
 新型の小型空中船は、特に桟橋などが無くても簡単に下に降りられるように作られていて、少人数の移動に便利な作りとなっていた。
 本当は、車や飛行機やヘリを使えばいいのであろうが、あまり目立ってもという理由から、小型の空中船がタナカ辺境伯爵領で大量に生産されていたのだ。
 もっとも、実際には、かなりの魔改造を施した逸品であったが。

「出来れば、アンに会いたいのだが……」

 夕食の最中に、ウェールズの口から衝撃の発言が飛び出していた。

「さすがは、美形! 恋人がいたか!」

 イチローは、やっぱり美形は男の敵である事を再確認していた。

「アンは、私の従妹なんだよ」

 ウェールズは、アンという女性がトリステイン王国の王女であるアンリエッタ・ド・トリステインの事で、自分の従妹に当たる女性である事をみんなに説明していた。

「父上である国王陛下を亡くしてから、まださほど時間が経っていないからね。様子を見に行ってあげたいんだよ」

「それで、『僕がいるから大丈夫』とか言って口説くのか。美形は得だよなぁ……」

「私は、君のその精神構造こそ羨ましいけどね……」

 ウェールズは、イチローの想像力(妄想力)の強さに呆れていた。

「僕も、会ってみたいね。国民に絶大な人気があるらしいし」

 ハインリッヒも、トリステインの王女に興味があるらしく、ウェールズの意見に賛同していた。

「でも、いきなり行って会えるものなのか? 情報によると、彼女は国の象徴的な存在だから、色々と忙しいみたいだし」

 いつもは変な事ばかり言っているが、イチローのこういう部分が油断できないと、ハインリッヒもウェールズも思っていた。
 とにかく、情報が正確で早かったからだ。  

「私の名前を出せば、大丈夫だと思うけどね」

「それもそうか」

 そんなわけで、急遽一行のアンリエッタ王女訪問が決定したのであった。






「ウェールズ皇太子殿下だと! 間違いないのか!」

 それから二日後の午後、イチロー一行は一日ラ・ロシェール滞在を伸ばしてナガトが戻って来るのを待ってから、例の小型空中船で出発していた。
 ナガトにアンリエッタ王女へ贈る品々を運ばせていて、それの到着を待ってからの出発であったからだ。
 イチローとしては、女性のそれも王族と会うのに、手ぶらというのは容認できなかった。
 下っ端将軍だったせいで、常に上に気を使っていた使用人根性と、ナイスな贈り物をして彼女の好感度アップという、いまいち情け無い理由から来ていたものであった。

「はい、間違いございません」

「なら、会わせないわけにはいかないな」

 現在、トリステインの政治のかなりの部分に関わっているマザリーニ枢機卿が、王宮の警備隊長からの報告を受けて、彼らをアンリエッタ王女に会わせる決断をしていた。

「確かアンリエッタ様は、軍の予算会議に出席していたな」

「はい」

「なら、それが終わってからだな」
 
 マザリーニ枢機卿は、軍の予算会議という言葉に苦笑を浮かべていた。
 トリステイン王国の王軍を牛耳っているのは、ラ・ヴァリエール公爵やグラモン元帥などの大貴族達であり、マザリーニ枢機卿は重臣であるにも関わらず会議への出席を許されていなかった。
 理由は、『軍の事も知らない坊主が、余計な口を出すな』という事らしいのだが、その軍の予算を出しているのが誰で、その誰かを蔑ろにて国力を落としている輩が何を抜かすかというのが、マザリーニ枢機卿の考えであった。
 王は不在で、古き伝統に囚われていて国力は年々低下し、貴族は傲慢で国は小さいと、自分でも良くここに残っていると感心してしまうほどであった。
 多分、亡くなった王が平民出身であるにも関わらず、自分を重用してくれたからなのであろう。

「(戦争狂のバカ貴族共が。アンリエッタ様も、何かおかしな約束でもされなければ良いのだが……)」

 この国の現状に、マザリーニ枢機卿はただ溜息しか出なかったが、それでも彼はここを去るわけにはいかない。
 自分に、国民達の人気が無い事も良く理解している。
 『空位の王位を簒奪するのでは?』と噂されている事も知っている。
 それでも、自分が嫌われ者になっても、この国を守られなければいけないのだ。
 それが亡くなった王との約束であったし、今のアンリエッタ王女の人気は、自分と比べての比較論の部分もかなりあったので、自分がいなくなれば、下手をするとその人気が急降下する可能性もあった。
 今はただの象徴で、あまり政治に関わっているわけでは無いからだ。

「まあ、良い。アンリエッタ様も、たまには息抜きも必要であろうからな」

 マザリーニ枢機卿は色々と考え込むのを止め、客人を受け入れる準備を始めるのであった。






「ウェールズ様、お久しぶりです」

「元気だったかい? アン」

「(あーーー、やってらんねぇ……)」

 トリステイン王国のアンリエッタ王女は、イチローには少し幼い気もしたが、予想通りの美少女であった。
 しかも、かなりスタイルが良く、イチローもその隣にいるハインリッヒも合格点を出していたのだが、彼女のウェールズへの態度を見て一気に冷めてしまっていたのだ。

「(実はさ。父上が、始祖の血筋の女性を正室として入れようとしていたんだけど、その候補の中に彼女がいたんだよね)」

「(うわぁ、超ロリコン皇帝じゃん。犯罪者だな)」

「(そのロリコンって?)」

 イチローとハインリッヒは、久々の再会で盛り上がっているアンリエッタ王女とウェールズの横でヒソヒソ話を続け、ついでにロリコンの意味をハインリッヒに教えていた。

「(東方の言葉なのかい? まあ、否定はできないね)」

 自分の父親の事なのに、それを否定すらしないハインリッヒであった。

「(そして、始祖の血を引く子供が生まれて、次第に疎まれるハインリッヒ。遂には廃太子となり、最後には非業の最期を遂げるのでした)」

「(あのさぁ。そういうのは、本人のいない所で言ってくれる? それに、その話はもう過去の話だし)」

「(過去なの?)」

「(自前で何とかする目処が立ったからじゃないの?)」

 アルブレヒト3世が始祖の血筋を欲している最大の理由は、国内の大貴族達よりも優位な立場に立ち、国の中央集権化を進めるためであった。
 だが、イチローのおかげでその目処が立った今、無理にその血を欲する必要が無くなっていたのだ。
 実は、アルブレヒト3世は、マザリーニ枢機卿と秘かに協議を重ねて、アンリエッタ王女を自分の元に嫁がせる事を目論んでいたのだが、もし今それをすれば、将来後継者が存在しないトリステインを吸収しなければならなくなる可能性があり、多分それは将来ゲルマニアの大きな負担となる事が明白であった。
 せっかく科学という新しい力の芽が出かかっているのに、それを認めない古臭い滅び行く国を併合しても、逆に国力を落すだけだと思い始めていたのだ。
 特に、国境に位置する貴族達の仲の悪さは深刻であった。
 戦争にたびに戦っているのだから当然といえば当然なのだが、トリステインをゲルマニアが吸収したとしても、彼らの仲が急に良くなる事は無く、下手をすると内乱の要因ともなりかねない。
 なので、下手に領土を広げて支配を空洞化させるよりも、今の国土を発展させた方が旨みがあるし、領土を広げたければイチローを使えば良い。
 イチローの話によると、世界は広いらしいので彼を援助して新領土を開発させ、それを買い取れば良いのだ。
 そして、その領土は勿論直轄地であり、ゲルマニアの直轄地が増大すればするほど相対的に大貴族達の影響力は低下する。
 もう始祖の血などいらないのだ。

「ところで、後ろの方々は?」

 ひとしきり話を終えたアンリエッタ王女は、後ろにいるイチロー達の事をウェールズに尋ねる。

「お忍びという事で内緒にして欲しいのだが、帝政ゲルマニア皇太子のハインリッヒ殿下と、タナカ辺境伯と、サウスゴーダ伯爵のご令嬢のマチルダと、私の従妹のティファニアだ」

 ウェールズは、一緒に旅をしている仲間達を紹介する。
 色々な事があって知り合いになった、まだ短い付き合いの奇妙な連中であったが、今までの人生で会った事の無い本気で物を言い合える初めての友達であった。

「まあ、そうそうたる方々なのですね」

「はい、独身のイチロー・タナカ辺境伯です。これは、お聞きしていた以上にお美しい。なあ、ハインリッヒ」

 イチローは、いつものようにアンリエッタ王女の手を取りながら挨拶をし、同時にハインリッヒにも声をかけていた。

「何か?」

「あのオッさんから、こっちに切り替えてもいい?」

「別にいいけど、平民に逆戻りだよ」

「このタナカ辺境伯、アルブレヒト3世とハインリッヒ皇太子に永遠の忠誠を」

「嘘くさいなぁ……」

「ゲルマニアの貴族って、本当に変わり者揃いよね」

「ええと……」

 相変わらずの女性に対する手の速さと、変わり身の速さにマチルダは呆れ返り、テファは答えに困っていた。

「あの、ウェールズ様?」

「こういう人なんだけど、意外と侮れない人なんだよね」

 イチローに手を握られて困惑するアンリエッタ王女に、ウェールズは苦笑しながら説明をするのであった。


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