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召喚後編8
「マチルダ様、カトレア様とタナカ辺境伯は?」

 ロマリアからの使者が偽者であった上に、その偽者に唆されてルイズが無理矢理イチローにコントラクト・サーヴァントを行った影響で、帰りのバスにはイチローとカトレアとルイズの姿は無かった。
 運転手がいないのと、明日からの業務に差し支えるという理由で、マチルダがギーシュ達を連れて帰る事となり、自分の雇用主とその奥さんの一人がいない事に気が付いたギーシュが、マチルダ事情を質問していた。

「ちょっと、急な仕事をアンリエッタ様から頼まれてね」

「そういえば、ルイズもいませんね」

「カトレアの補助と世話役なのさ」

 まさか、『ルイズが、イチローと無理矢理コントラクト・サーヴァントの契約を結んでしまったので、その対応策を協議するために関係者が残っている』とは言えなかったので、マチルダは嘘の理由をでっちあげていた。
 ただ、王城での混乱振りを察するに、すぐに学院内に噂が広がるのは確実であった。

「そうなんですか。マチルダ様も、色々と大変ですね」

 ギーシュは、雇い主の妻であるマチルダを、カトレアと同じく様付けで呼んでいた。
 国は違えど、同じ貴族同士なので立場は対等。
 これはあくまでも建前で、自分の雇い主は広大領地と、とてつもない経済力を持つ辺境伯とその妻達で、自分は名門ながらも大した資産も無い雇われ貴族でしかない。
 ギーシュは、格好付けたがりの軽い男に見られがちであったが、自分の身分はちゃんと弁えている男であった。
 ただ、カトレアとマチルダを様付けで呼ぶのには、彼が年上の綺麗な女性に弱いという部分もあった。
 どこか自分を、可憐な女性のために奉仕する騎士のように捉えている部分があったからだ。
 
「何にしても、色々と忙しくなるね」

「ある意味、実務責任者ですからね」

 イチローが、大まかな指示と自分の興味のある事しかしないのは、先ほどの体育騒動を見てもわかるので、現在のタナカ辺境伯領の管理はフィアナに、魔法学院都市の管理はカトレアとマチルダとに分担されていて、イチローはある意味いらない子扱いであった。
 
「全く、後で十分に借りを返して貰わないとね」

「……」

 すぐに女性に声をかけるギーシュであったが、実はその手の経験が非常に少なく、マチルダの言葉の意味を理解したギーシュは、少し顔を赤らめてしまうのであった。






「ねえ、おちび! 久々に会ってこの不祥事は何なの? あんたは、この国を滅ぼすつもり?」

 ルイズが、イチローに無理矢理使い魔の契約をした。
 この事実に、アンリエッタ王女はすぐに緘口令を敷くと、そのまま関係者を王城の一室に閉じ込める。
 そして暫くすると、そこにアンリエッタ王女の側近という事で情報を知らされたエレオノールが飛び込んで来た。
 自分の妹の不祥事を聞いて、駆け付けて来たのだ。

「姫様が緘口令を敷いたけど、情報はすでにダダ漏れ! この前と同じくバカ達が騒いでいるわよ! 『タナカ辺境伯領を併合して、ルイズに代官をさせて面倒を見させる』ってね!」

 当然、ルイズの代官職は、『学生でもあり、忙しいので実務者を送る』という事になり、その実務者となった貴族達がタナカ辺境伯領という美味しいパイを分け合うという算段になっているらしく、その究極の《獲らぬタヌキの皮算用》に、エレオノールもアンリエッタ王女も呆れ返ってしまっていた。
 
 六千年間という、半ば身分制度の固定された社会では、時にこのような非常識で無能で世間知らずの権力者が国の中枢にいる事があった。
 それに、魔法が大きな力を持つ社会で、その魔法の素質が遺伝で決まるという事も良くなかった。
 彼らは、己の力と権力の前提となる魔法の習熟のみに集中し、このような政治的な事になると、実力不足を露呈する事が多かったからだ。
 多分、時代に変化があれば、その手の無能は定期的に排除されてしまうのであろうが、ハルケギニアではそういう事が起こり難いという事情が存在していた。
  
「ゲルマニアが黙っているわけがない。戦争になるな」

 ルイズのコントラクト・サーヴァントをわざと止めなかったワルド子爵が、ポツリと周囲にそう漏らす。
 ワルド子爵の目的は、ルイズとイチローをワンセットにして時間を置き、最終的にレコン・キスタ側に引き摺り込む事なので、他のバカ貴族達の危険な謀略ゲームに付き合う気はサラサラ無かったからだ。
 アルビオンのレコン・キスタ潰滅からまだ四ヶ月も経っていないのだ。
 まだ時間が必要であると、ワルド子爵は思っていた。

「だが、そのバカ達は戦争する気らしいね」

 ワルド子爵に発言に答えるように、イチローがカトレアを伴って現れる。
 左腕の甲には、見た事も無いルーンが刻まれていたが、ワルド子爵はそのルーンを見て嬉しさを押さえ込むのに必死であった。
 以前に昔の資料で調べた、始祖ブリミルの伝説の使い魔の一人、神の左手ガンダールヴと全く同じルーンであったからだ。

「(ガンダールヴか。やはり、君は虚無の使い手だったんだね。ルイズ)貴族は、戦争が好きだからね」

 良くも悪くも、六千年も安定していた世界の弊害とも言えた。
 始祖ブリミルの子供達と弟子が起こしたトリステイン、ガリア、アルビオン、ロマリアの各国が六千年近くも滅びずに健在であるハルケギニアでは、どこか国が滅びる事に対する危機意識が薄く、貴族達の中に総合的に国力を判断して戦争を行う、または避けるという判断を行える者は少なく、独自の領地を持つ貴族は自分の事を一番に考える癖があった。
 タナカ辺境伯領を押さえて、自分が豊かになる。
 そこまでは考えるのだが、それにゲルマニアが激怒した結果、どの程度の兵を送られてどう国をあげて防戦をして、どの程度の条件で講和するのか。
 そういう考えを全く持っていなかったのだ。
 
「本格的な戦争なんて、近年ではアルビオンの内乱だけか」

 ゲルマニアもガリアも大国ではあったが、いつも大規模な兵力の動員を行って戦争をして来たわけではない。
 国境沿いの貴族達が小競り合いを行い、それに王城から来た援軍が多少加わる程度で、これならばトリステインは相手国の国力を気にしないで戦えた。
 というか、大規模な動員が今まで無かったから、トリステインは東方の領土を失っただけで生き残れたとも言える。
 だが、そんな事に気が付く貴族は王城で要職に就いている大物だけで、声の大きい愚かな連中は、『今回も何とかなる』と楽観的な考えを抱いていた。
 それに、最悪はゲルマニアに付いてしまえば良いとさえ考えていて、貴族は領地さえ保障して貰えれば、意外と簡単に裏切る存在であり、また貴族の領地を保障できない王家など、滅んでも誰も同情してくれなかった。

「それにね。貴族はそう戦場で死ぬ存在ではない。僕の父はある意味例外だったんだよ」

 実戦経験の少なさと一緒に、ハルケギニアの貴族達は戦場で戦死をする者が少ないというものもあった。
 時に傭兵を雇ってまで戦費を大量に使っている関係で、殺すよりは生け捕りにして身代金を取った方が良いと考えられていたからだ。
 これは、前の世界の中世の戦争では良くあった事であった。
 大規模に軍勢がぶつかって戦争をしたのに、双方の死者が数人だった事など特に珍しくも無く、双方が多額の身代金を取れる貴族達を捕らえる事に終始し、領土が取れなければ収穫前の作物を略奪したり、村を焼いて財貨を奪って女を犯す。
 どこか、経済活動的な側面のある戦争で、基本的に諸侯軍の指揮官でメイジの貴族が死ぬ事は滅多に無かった。
 死ぬのは、傭兵や徴兵された平民達が大半で、そんな彼らだからこそ敵地での乱獲り・狼藉が許される。
 貴族の名誉だの矜持だのは、自分達だけの見せかけだけの物でしかなかったのだ。

 その中で、十年ほど前国境での小競り合いの際に父親が戦死したワルド子爵は、非常に珍しい存在とも言えた。
 普通は、その程度の小競り合いで貴族の当主が戦死する事など無かったからだ。
 どちらかと言うと、宮廷内の勢力争いの果ての陰謀や、爵位と領地の相続争いの際の暗殺死の方が多いのが、ハルケギニアの貴族と言う生き物であった。

「悪いが、今のゲルマニアとアルビオンに昔の戦争を求めても無理だぞ」

 アルビオンで最悪の経験をしたゲルマニア軍は、軍の運営方法を一新していた。
 新型火器を装備した常設軍を補給部隊と共に整備し、兵員に給料・傷病手当・遺族年金・養老年金などをキチンと支給する代わりに、厳しい訓練と鉄の軍規と呼ばれる軍法を教育していたからだ。
 彼らは、命令通りに国境沿いの練度の低いトリステイン諸侯軍をその圧倒的な火力で粉砕し、村や町などには目もくれずにトリスタニアの王城を一気に落すであろう。
 現在、常設軍を育成中のトリステインがすぐ出せる戦力は二千人がせいぜいで、諸侯軍は二万人を越える程度。
 しかも、ゲルマニア軍の侵攻スピードに軍の編成が間に合う可能性はかなり低く、全軍集結前に戦争が終了してしまうであろうと予想されていた。
 しかも、現在のゲルマニアは、直轄地の常設軍だけで三万人の兵力が出せるはずであった。
 更に、彼らは全員が新型の銃を装備していて、トリステインが唯一勝っているメイジの比率も、戦況を決定的に覆すほどではない。
 それに、ゲルマニア軍でも、メイジは指揮能力も優秀な者は士官や司令官として、そうでなくても特務士官として優遇されて効率的に軍内に配置されていたので、メイジ不足のせいでトリステイン軍に負ける可能性はかなり低かった。
 科学を重視するようになったゲルマニアであったが、別にメイジを冷遇しているわけでもない。
 むしろ、その経済規模から考えれば、トリステインの貴族よりも優遇されている事が多かった。
 アルブレヒト3世は、領地を持たない下級貴族や市井にいるメイジでも、優秀な者ならばちゃんとした待遇で雇って官僚化する事に精を出していたからだ。

「貴族が目立つ場所にいたら、確実に撃ち殺されると?」

「そういう教育をしている。頭を潰すのが一番有効だろう?」

 以前の火縄銃やマスケット銃であれば、沢山数を用意して待ち伏せでもないとメイジが圧倒的に優勢であったが、あの連射が利いて射程距離が長い銃は、ワルド子爵ほどの実力者ならともかく、一般の兵士やラインクラスくらいまでのメイジには致命的となる可能性が高かった。
 それに、他にも新型の大砲やガトリング砲といった威力のある兵器も装備していし、空軍や海軍などは比べるだけ虚しいほど戦力差が広がっていた。
 まともに戦って、トリステインに勝ちの目など一切存在しなかったのだ。

「捕らえて、身代金という選択肢は?」

「降伏すれば、捕虜にする」

 ワルド子爵は、イチローのドライな意見に思わず閉口してしまうが、万が一トリステインがゲルマニアに一度滅ぼされても、それは仕方が無いと思っていた。
 ワルド子爵とてバカではないので、数年前と今の、トリステインとゲルマニアの国力比が既にどうにもならない所まで来ていた事は知っていたし、むしろゲルマニア占領下でトリステイン国内が混乱していた方が、後の自分達の企みが上手く行くとさえ考えていた。
 トリステイン滅亡後に、地下に潜って蜂起の準備を行う。
 ゲルマニア軍は、隣国ガリアに警戒しながらトリステインを安定させるためにこの地に釘付けとなり、軍事力の低下したゲルマニア本国で、レコン・キスタに賛同する貴族達が蜂起し易くなる。
 ワルド子爵はそこまで考えつつも、今の所は冷静で優秀な近衛隊隊長を演じる事にする。

「となると、ルイズのした事は……」

「ルイズ。どうして、こんな事をしたのですか?」

 今までは、静かにイチローとワルドの話に耳を傾けていたアンリエッタ王女が、ルイズに本心を尋ねる。

「姫様、このおちびには、私が良く言って聞かせますので。あなたは……「うるさい!」」

 今までは下を向いていたルイズの怒鳴り声に、全員がビックリしてしまう。
 特に、今までルイズに怒鳴り声で反論されたことなど無いエレオノールは呆然としたままであった。

「私は、間違っていない! 私は貴族で、姫様と一緒にこの国を守る義務がある! でも、今のトリステインの偉い人達は、ゲルマニアとお義兄さんの顔色を伺ってばかり! 今はそれで凌げるかもしれないけど、数十年後に本当にトリステインは残っているの? もっとジリ貧なんじゃないの!」

 ルイズの核心を突いた一言に、全員が黙り込んでしまう。
 確かに、アンリエッタ王女の新しい試みは、それなりには国内には浸透していたが、その対象は王国直轄地と一部賛同している貴族の領地だけで、国土の半分以上を占める保守的な貴族は、旧態以前の統治を行っているだけであった。
 一方ゲルマニアは、元の国力が大きい事と、自分の権力基盤を広げる事に必死なアルブレヒト3世が、時には抵抗する貴族を粛清してまで行っている改革の成果が出ていて、双方の差は開く一方であった。
 最近では苛烈な事はあまりしなくなったが、数々のライバルを蹴落として皇帝の地位にいるアルブレヒト3世と、どこか世間知らずなお嬢様であるアンリエッタ王女の決定的な差とも言えた。

 他にも、ロンディニウム北部で結果的に五万人を殺す命令を下して、統治者として一枚皮が剥けたと評判のウェールズ皇太子と、特に失政もしていないので国力が落ちようはずもないガリア(イチローのガリア分断の謀略は、まだルイズの知るところでは無かった)と、最高権威のままで誰も滅ぼそうとは思わないロマリア(ロマリアを滅ぼそうとする酔狂な男は、ジョゼフ王だけであった)と、ルイズはルイズなりに計算をして、このままでは自分の国がジリ貧になると考え、それを打開するためのコントラクト・サーヴァントであったのだ。

「でも、ルイズ。あなたには、ロボが……」

「ロボは素晴らしい使い魔だけど、私の本当の使い魔じゃない! ちいねえさまの使い魔よ!」

「……」

 今まで、ルイズに一度も激しい口調をぶつけられた事の無いカトレアは、何も言い返せないままであった。
 少し前までは、自分は体が弱くてほとんど外にも出られない状態で、一生このままなのかと内心では絶望していたのだが、それを救ってくれたのは自分の夫であった。
 だが、この生まれ付きコモン・マジックすら碌に発動させられない妹の気持ちを誰が察してあげられたのか? 
 体は弱くても、魔法の才に劣っていたわけではない自分にはわからないであろう。
 自分の妹は、どこか規格ハズレな自分の夫の力を無意識に欲しているのかもしれない。
 そんな風に感じるカトレアであった。

「イチローを自分の使い魔にして、その力を持ってしてゲルマニアに対抗する。悪い手ではないけど、時期が少し遅かったね」

「そういえば、いたな。4世」

「偽のロマリアの使者を追いかけて疲れているのに、賊の特徴を教えて欲しいだとかで時間を喰ってね。特徴と言っても、変装を解いたわけではないからジュリオとか言う神官なんだけどね」

 そこにハインリッヒが現れ、ルイズの意見に反論する。
 結局、先ほどの賊の正体は、『以前に自分達を惑わせた、シェフィールドであると推定される』という事にされていた。
 推定である理由は、彼女?が変装を解かないままで逃亡したからであった。
 やはり、漫画や映画のようにわざわざ変装を解くバカは実在しないという事なのであろう。

「遅いですって!」

 ゲルマニアの皇太子に対して本当は不敬なのであろうが、今の高揚しているルイズには、それを言っても無駄であったのでそのまま話を続けさせる。

「父上が、最初にイチローを貴族にした時に対応すれば良かったのに。みんな、黙認したじゃないか。だから、もうイチローはゲルマニアの貴族だし、それを拉致するとなればうちとしても黙っていられないな」

「やれるものなら、やってみなさいよ!」

 完全に舞い上がっているルイズの暴言に、カトレア達は顔を青ざめさせるが、当の言われたハインリッヒはヘラヘラとした表情を浮かべたままであった。

「本当にいいの?」

「トリステインの底力を見せてあげるわよ!」

「ルイズ、やめて」

 ルイズの啖呵に一番最初に反応したのは、アンリエッタ王女であった。

「姫様、どうしてですか?」

「ルイズ、あなたが貴族としての誇りを十分に持っている事はわかったわ。でも、そのために多くの人達を犠牲にするにはやめて。この国に住む人達は、壊れても代わりの利くあなたの便利なガーゴイルではないのよ」

「姫様……」

 アンリエッタ王女の説得に、冷静さを取り戻したルイズはガックリとうな垂れてしまう。

「(お見事。これが王家の格ってやつかね)ところで、使い魔のルーンが刻まれてしまったイチローなんだけど……」

 ハインリッヒの指摘で、アンリエッタ王女達がイチローの方に視界を向けると、イチローは深刻そうな表情をしたカトレアと一緒に何か話をしていた。

「修正液とか消しゴムで消えないのかね?」

「あなた、そういう物じゃないんですけど……」

「そういう顔をしなさんなって、せっかくの美人さんが台無しじゃないか」

「ですが……」

 周囲の深刻さとは裏腹に、もう一人の当事者であるイチローはのん気なままであった。

「イチロー、こっちで色々と深刻な事になってるのに、君は相変わらずだね」

「いやね。以前に聞いた噂によると、使い魔は主人に絶対服従なんて話を聞くから大変かな? って思ったんだけど、別に以前と変わり無いし」

 イチローは、ルイズの顔をじっと見ながら自分の心に問いかけてみるが、別にルイズに永遠の忠誠を誓おうなどと言う気持ちは微塵も浮かんで来なかった。
 『せっかく美少女なんだから、もっと育てば良いのに』くらいにしか思っていなかったのだ。

「そういえば、人間が使い魔になった話って聞いた事が無いからなぁ」

 ハインリッヒは、自分の使い魔とイチローを比べてみる事にする。
 まずは、主人は使い魔と視覚などの感覚を共有できるのだが、どうやらそのような気配は無いようであった。

「確かに、何も見えないわ……」

「良かった。じゃあ、俺が夜中にこっそりと見ている《巨乳メイド通信》がルイズの視界に入る事は無いんだな」

「エレオノール参与、ワルド子爵、彼はいつもこうなのですか?」

 イチローのしょうもない発言に、アンリエッタ王女を始めワルド子爵までが呆れ返っていた。
 ちなみに、エレオノールの参与という役職は公式に存在するものではなかった。
 アンリエッタ王女が、科学アカデミーの研究生達に色々と助言を貰う時に、役職名があった方が謁見し易いとい理由から創設された半ば名誉職であった。
 下手にエレオノールに実権のある役職を与えて、ヴァリエール公爵が一族で公職を独占していると非難されないための策であった。
 既存の王家での役職には、派閥比率や家の家格や慣習による順番など色々と面倒くさい事情があって、下手に新参者を任命するとそれだけで大きな問題に発展する事があったからだ。
 ゲルマニアでは、そんな事はほとんど気にしなくなったし、アルビオンでは、気にする貴族の数が減ったので自由が利き、ここでもトリステインの不利は顕著な物となっていた。

「あなた、またそんな物を隠していたんですか?」

「しまった! ついに口に!」

「捨てて下さいね」

「そこには、俺のロマンがあってね……」

「捨ててくださいね」

 いつもの笑顔のままであったが、カトレアの背後に何か黒いオーラを感じたイチローは素直に首を縦に振る。

「使い魔は、主人のために秘薬の材料を集めたりするね」

 これ以上イチローがボロを出すと、ゲルマニアの皇太子としては恥ずかしかったので、ハインリッヒは話を進める事にする。

「硫黄とか、竜の肝とか、アミダラ草とかそんなのか? 金を出すなら売ってもいいけど」

「持っているの? お義兄さん。でも、何で金を取るのよ?」

「まだ一代目のタナカ辺境伯家の教訓その1は、『常に、経済感覚を!』だから」

 使い魔のルーンの影響で、『ご主人様のために、無料で秘薬の材料を取って来なければいけない』などという感情も湧いて来ないイチローは、いつもと同じようにルイズと接していた。

「うちに物を売りに来る商人は多いよ」

 金満家として有名なイチローであったので、『タナカ辺境伯なら高く買ってくれるであろう』と考えた商人などが、領地に多数現れては色々な物を売り込んでいた。
 未鑑定の奇妙な美術品やら、怪しげな薬やら、まだ未精製の宝石の原石やら、魔法薬の貴重な材料まで。
 別に、薬などはいくらでも科学的に合成できるのだが、こういう物を豪快に買い取って見栄を張るのも貴族だと考えて、これはと言う物には多額の代金を出していたのだ。
 ちなみに、イチローが一番高値で買い取るのは、俗に言う所の《場違いな工芸品》と呼ばれるオーバーテクノロジーを駆使した武器の類であった。
 ロマリアの密偵が特に熱心に集めているとの事なので、彼らに警戒される事を恐れたイチローは、自分で売り込みに来た人物の物しか買い取らなかったが、その目的は、自分を脅かす可能性のある物を警戒しての事であった。
 だが、どういうわけかその大半は壊れていて、無事な物も新しい物で旧西暦の二十世紀後半くらいまでと、まだイチローを脅かす同年代の逸品は発見されていなかった。
 ちなみに、ロマリアが集めた物に関しても探りを入れてみたが、内容はほぼ同じであった。
 タイガー戦車、F4Fワイルドキャット、自走砲、各国の自動小銃、軍用ナイフ、拳銃、迫撃砲、機関銃など、彼らからすれば未知の最新兵器の山なのであろうが、イチローにとっては骨董品とか化石と呼ぶに相応しい内容であった。
 どうやら、今のところ例外はタルブの村のゼロ戦だけのようであった。

「子供を売りに来る、奴隷商人には参ったけど」

「まだ完全禁止の法案を出せないから、イチローに迷惑をかけているよ」

 イチローが一番困ってしまうのは、子供や女を売りに来る闇の奴隷商人達であった。
 イチローのいた、すぐに人権が叫ばれる前の世界とは違い、ここはとにかく人の命が安い世界であった。
 貧しくて子沢山な家の大人が、自分の子供を売ってしまう例が後を絶たなかったのだ。
 ハルケギニアでは奴隷は制度上は禁止されていたが、《蛇の道は蛇》でいくらでも抜け道はあった。
 借金を返すためと言って売られた子供は、傭兵団が身の回りの雑用や戦場での盾として使ったり、鉱山で死ぬまで働かされたり、売春窟に売り飛ばされたりと、碌な人生を送れない事が多かった。
 それに、貴族や金持ちの商人の中には特殊な性癖を持つ人もいたので、もしかしたらという事で金のあるイチローの領地に数名の子供を連れて現れたのだ。

「それで、どう対応したのですか?」

 アンリエッタ王女は、トリステインでも身売りが存在する事は知っていた。
 だが、ハルケギニア一平民が貧しいと評判のこの国で、いきなり人身売買を完全に禁止する法を作る事は難しかった。
 その時は良い事をしたと自己満足できても、売られた子供達へのフォローをしなければ、食うや食わずの元の家に戻しても下手をすると飢え死にをしてしまう可能性があったからだ。

「うちは余裕があるので、全部買い取りです」

 別に、イチローには特殊な性癖は存在しなかったので、そういう理由で購入したわけではなく、単に人口を増やすのが目的であった。
 外国からの移民を奨励しているものの、常に慢性的な人手不足で喘いでいるタナカ辺境伯領だったので、子供を大量に買って自分達で経営している孤児院に入れて育てる事にしたのだ。
 すると、子供の頃からタナカ辺境伯領で育った生粋の領民が生まれ、彼らは領地の発展のために役に立つ人材となる。
 ちゃんと教育も施すので、才能のある者は色々な分野で領民達を導く存在となるであろう。
 イチローは、奴隷商人達に、『今はいくらでも買うから、どんどん連れて来い。だが、いつまでも続く商売では無いので、今の内に次の商売の算段を付けておくように』とキッパリと申し渡していた。
 彼らにいきなり奴隷の販売を止めるように言っても、それは彼らを追い詰めるだけである事に気が付いていたからだ。
 それに、イチローが赦しているのは今子供を売っているという事実だけで、過去の悪行が無罪になる事は無い。
 それぞれの根拠地で逮捕されても、それはイチローの与り知らぬ所であった。

「そうだったのですか……」

 イチローのやっている事は、最善ではなかった。 
 だが、実行できない最善よりも、実行可能な次善の方が役に立つのがこの世の常だ。
 アンリエッタ王女は、そんな事を考えていた。

「色々と脱線するけど、最後に使い魔はご主人様を守るという役割がある」

「俺がやらなくてもいいと思うけどね」

 ルイズも一応は義妹であったので、イチローは彼女にも監視の人員くらいは割いていた。
 最近、ヴァリエール公爵を非難する貴族が沢山いるので、念のために警備の人員を増員して対応していたのだ。

「じゃあ、問題ないね」

「問題ない」

「ちょっと、待って!」

 ハインリッヒとイチローが、『特に自分がルイズの使い魔にならなくても大丈夫』という事を確認していると、それにルイズが反論を加えてくる。

「使い魔の契約は、神聖にして絶対なのよ!」

「神聖にして絶対な事でも、時には世間様の都合が優先すると思うけどね」

「本音全開だね。イチローは」

 ルイズが、サモン・サーヴァントで呼び出したのは、公式的にはロボである。
 勿論、そんな事をまともに信じている人は誰もいなかったが、それに表立って異議を唱える人もいない。
 将来どうなるかはわからなかったが、これが今の権力者達の決め事で、それに公爵自身でなくその令嬢如きのルイズが何を言っても無駄で、誰も取り合ってなどくれなかったのだ。
 貴族の令嬢として、何一つ不自由なく暮らして来たルイズが初めてぶち当たる権力の壁であった。
 
「可哀想だけど、今回の君のした事は無駄。『侵入者に魔法で操られてタナカ辺境伯に危害を加えようとするも、彼は極軽傷で済み、義理の兄であるタナカ辺境伯は笑って許してくれました』これで、終了だね」

 ハインリッヒの提案に、ルイズ以外の全員が頷いていた。
 この件が公になると面倒な事になるのなら、公にしなければ良い。
 そういう結論に至っていたからだ。
 それに、ルイズのコントラクト・サーヴァントをわざと止めなかったワルド子爵も、ハインリッヒとアンリエッタ王女の意見に賛同の意を表していた。
 アルビオンでのレコン・キスタ軍を見るに、今の何も準備が出来ていない時点でイチローに逆らう事の愚を感じていたからだ。
 とにかく、今回はルイズのコントラクト・サーヴァントの契約が成功しただけで良しと考えていた。
 目の前にルーンが刻まれた使い魔がいるのに、その使い魔が自分の言う事を聞かない。
 ルイズの暗い感情は、書物によれば虚無の力を増やす要因となるし、明るく元気なルイズよりも暗くて落ち込んでいるルイズの方がこちらに引きずり込みやすい。
 イチローは無理かもしれないが、伝説の虚無の力ともなれば彼を上回る力であろうし、元々利に聡い商売人から貴族となったイチローなので、利で釣ればこちらに加わる可能性もある。
 とにかく、リッシュモン伯爵とも話したが、『現状では、絶対に無理は禁物』という結論に至っていた。

「いくら権力と財力で縛り付けても無駄よ! さあ、お義兄さんん。主人たる私に跪いて、忠誠の口付けをしなさい」

 いくら我が侭で無謀とで無駄と言われようと、ルイズはせっかくコントラクト・サーヴァントに成功したイチローを諦めたくなかった。
 それに、イチロー本人がルイズを主人として認めれば、今までの前提が全てひっくり返る事となるので、試してみて損はないと思ったのだ。

「無理が通れば、道理が引っ込むわけだね」

 ハインリッヒは、かなり幼稚な意見ではあったが、意外と頭の回転が良いルイズを少し見直すような表情で見る。
 それに、ただ可愛いだけの女よりも、こういう隙を見せると手に噛み付いてきそうな女の方が好きだったのだ。

「ちいねえさま、初めてちいねえさまに逆らう私をお許しください」

「私には、何か無いの!」

 一人抗議の声をあげるエレオノールを無視して、ルイズはイチローの前に手を差し出す。

「(一度だけでいいの。私が本当に使い魔との契約に成功したという事実だけがあれば! お願い!)」

 今までに、一度も魔法を成功させた事の無いルイズにしかわからない切実な願いであった。

「ルイズ……」

 イチローは、一言だけルイズの事を呼ぶと、静かにその前に歩いて行く。

「(やったわ! 私は、賭けに成功したのよ!)」

 ルイズは、イチローが自分の手を取りながら跪き、そのまま手の甲にキスをする事を予想していたのだが、勿論彼がそんな素直に言う事を聞くわけがなかった。
 そのままルイズの両肩を手で押さえると、前と同じようにタコの口で唇にキスをしようとする。

「さっきは一瞬だったから。ルイズちゃん、うにゅーーー!」

「いやぁーーー!」

 イチローは、自分に嫌悪感を抱いたルイズに思いっきりビンタをかまされて地面に沈む事となる。

「イチロー、また空気が読めなかったんだね」

「また……。そういえば、初めて会った時にも……」

「たまに、僕と父上の頭痛のタネなんです」

 ハインリッヒとアンリエッタ王女が頭を抱える横で、イチローは飛んで来たカトレアの膝枕で介抱されていた。
 カトレアは、理解していた。
 イチローがわざとあんな事をして、ルイズとの関係を決定的にしないようにしている事を。

「ルイズ、姉としてではなくて、一人の女として言わせて貰うわ。人の旦那様を奪うような真似は止めて。百歩譲って、この人を愛しているのなら理解できるけど、便利な道具くらいに感じているのなら、あなたには絶対に渡さないわよ」

「ちいねえさま……」

 ルイズは、初めて聞くカトレアの強い否定の言葉に驚くと同時に、日頃は大きな責任を持つ貴族とその妻という事で、少し夫婦仲が簡素と言われているこの二人が、実は強い絆で結ばれている事に気が付く。
 そして、二人の間に初めて緊迫した空気が流れたのだが、それを止めたのもやっぱりイチローであった。

「ちんちくりん。お前、また白なのか? まあ、清純派ってよりはお子様だからな。黒とか紫とかは、死んでも似合いそうにないしな」

 カトレアの膝の上で得意そうに語っているのは、勿論下から見えるルイズのパンツの話であった。

「どさくさに紛れて覗いてるんじゃないわよ!」

「あなた、家に戻ったら覚えておいてくださいね」

 イチローは追加でルイズの蹴りを顔面に喰らい、家に戻ったら、先ほどの《巨乳メイド通信》の件とセットで、マチルダとタッグで説教をされる事が決定したイチローであった。







「ルイズが、虚無の担い手?」

「あの偽者も、とんでもないデマを……」

 急に二件も発生した騒動もひと段落し、城内での残務整理のためにワルド子爵が抜けた室内で、ルイズは先ほど偽ジュリオの話していた。

「だが、まるで無い話とも言えない」

 魔法には完全に素人であったイチローであったが、ルイズの魔法が爆発してしまう理由を自分なりに考えた結果、唱えている呪文に合っていないから爆発してしまうのでは? と考えていたからだ。

「本当に使えないなら、発動すらしないと思うけど」

「確かに、そうね」
 
 先ほど、ルイズに無視された恨みを彼女のほっぺたに晴らしたエレオノールが、イチローの意見に賛同する。

「全部の系統魔法を試して駄目なら、残るは虚無という事もありえる」

「でもね、伝説の系統だよ」

 今までに、始祖ブリミル以外で虚無の使い手がいた事など聞いた事も無いハインリッヒは、イチローを胡散臭そうに見つめる。
 結局、強引に無かった事にされたルイズの騒動であったが、強引に無かった事にしただけなので、アルビオンやゲルマニアはルイズに対して不信感を持つ事となるであろう。
 当然、将来の事を考えると、非常に不利な条件となるのだが、もしルイズが本当に虚無の担い手なら、逆にそれは有利なカードとなる可能性があった。
 だが、あくまでも持っていたらの可能性で、その可能性は奇跡に近いと考えるハインリッヒであった。

「偽ジュリオは言っていたんだろう? 必要な物を。それを準備すればいい」

「とは言っても、共にトリステイン王家の宝なんでしょう?」

「別に、ここで試す分には問題ありませんよ」

 まさか、ここにいるメンバーがトリステイン王家秘蔵の《始祖の祈祷書》と《水のルビー》を盗むとは思っていないアンリエッタ王女は、二つの貸与を快く承諾する。
 駄目で元々で、もし本当にルイズが虚無の担い手なら、トリステインは貴重な切り札を一枚入手できるからだ。
 アンリエッタ王女は、ロマリアからの使者が偽者であった事に動揺しているマザリーニ枢機卿を呼び出し、彼に《始祖の祈祷書》を持って来る事を命じる。
 《水のルビー》は、常に自分が指にはめていたので、これで両方が揃った事になる。

「ほれ、ちんちくりん」

「これは?」

「呪文をメモするんだよ。《始祖の祈祷書》と《水のルビー》を常に持ち歩くわけにはいかないからな」

 ルイズは、ぶっきらぼうながらも、自分の言う事を信じてくれたイチローに感謝しつつも、彼から紙の束とエンピツを受け取っていた。

「まあ、綺麗な紙ですね」

「植物性の紙です。今度、モンモランシ伯爵領で生産を開始するんですよ。この紙は作るのに水を大量に使うから、ラグドリアン湖と接しているあそこはちょうど良いわけです」

「このペンは変わっていますね」

「エンピツと言って、紙に書いても後で消せるペンなんです」

 これも、実は消しゴムとセットで旧ラ・フォンティーヌ領に建設した工場で作られている物であった。
 他にも、エンピツ削り、ボールペン、万年筆、糊、カッターナイフなどを生産していて、その理由はヴァリエール公爵を利用して軍や役場の事務用品として採用させてから、商人や平民にも普及させようとしていたからであった。

「ルイズ」

「わかりました、姫様」

 ルイズは、水のルビーを指にはめてから、誰が見ても中身が完全に白紙の、始祖の祈祷書のページをめくり始める。
 すると、真ん中ほどのページでルイズの手がピタリと止まる。

「何か見えたのか?」

「ええ、呪文が……」

「ルイズ、いきなり唱えるのは危険だから、呪文をメモだけしなさい」

 エレオノールの忠告通りに、ルイズはエクスプロージョン(爆発)とイリュージョン(幻影)とディスペル(解呪)の三つの呪文を紙に書き留める事に成功する。

「本当に、発動するのかしら?」

「イリュージョンなら、ここでも大丈夫かも……」

 ルイズは、近くにいるイチローを標的に、メモを見ながらイリュージョンの呪文を唱える。
 すると……。

「うわぁ、巨乳の女の子が一杯だぁーーー!」

「本当に呪文の効果が出てる」

 ルイズの願望なのか?
 イチローの周囲には、数名の胸の大きい女の子の幻影が映し出され、イチローはそれに鼻の下を伸ばしていた。

「ちんちくりんや、義姉さんとは大違いだ!」

「後で殺すわ」

「エレオノール姉様、手伝います」

 幻影に惑わされて余計な事を口走ったイチローは、後でエレオノールとルイズのお仕置きを食らう事となるのであった。







「本当に存在したんだ。虚無の系統って」

 結局、現時点でルイズの使える魔法は三つだけであったが、虚無の魔法が現実に存在し、ルイズがその使い手である事は確認された。
 エクスプロージョンは、王城近くの開墾地に直径100メイルほどの巨大な岩があって、作業の邪魔だったのでそれを壊す実験を行い、ルイズの軽く唱えたエクスプロージョンで、岩塊は跡形も無く消滅する事となった。
 ディスペルも、エレオノールに強力な呪文をわざと遅めに準備させて発動直前にディスペルをぶつけてみた結果、呪文の効果が無くなる事が確認されたが、どうやら強力な呪文である反面で大量の魔力を消費するらしく、ルイズはそのまま意識を失ってしまっていた。

「私、本当に虚無の魔法が使えたんだ」

「多分、自分の系統が確認できたから、コモン・マジックもいけるんじゃないの?」

 目を覚ましたルイズにハインリッヒが優しく声をかけ、彼女は少し顔を赤くするが、それを見たイチローは、やはり美形は敵である事を再確認をする。

「戦略級の兵器だな。虚無は」

 大量の魔力を消費してしまうのが欠点であったが、あの巨大な岩を一瞬にして消滅させてしまうエクスプロージョンの威力に、イチローとハインリッヒは驚きを隠せないでいた。
 しかも、あれは全く全力ではなく、お試し程度の威力であったらしい。
 もし全力で唱えたエクスプロージョンが、トリステインに侵攻するゲルマニア軍部隊の真ん中や、現在増強中の空中船艦隊の真ん中で発動したら?
 万単位の犠牲者が出る事は確実であった。

「最終的には勝てるけど、犠牲が大きくなるね」

「最終的には勝てるのかい? イチロー」

「勝てるさ。部隊を半分に割って、一方に向かって魔法を放たせるのさ。それで、魔力が尽きたのを確認してから、もう半分の部隊で侵攻を開始する」

 イチローの戦術論は、残酷ではあったが事実でもあった。
 だが、トリステイン側にエクスプロージョンを放たせる決意をさせる規模の部隊を犠牲にしなければいけないので、その規模の犠牲を出してもトリステインを落とすという決意を敵国にさせなければ、ルイズの虚無は抑止力としては十分に有効である。
 という結論にも至っていた。

「(単発の核兵器みたいなものか)」

 瓢箪から駒なのか?
 イチローと強引にコントラクト・サーヴァントを行った事は不問(無かった事)にされ、他の貴族達から守るべくアンリエッタ王女の女官として任命されたルイズは、使う事のできるようになったコモン・マジックの練習をするために大喜びで学院へと戻るのであった。





「ワルド子爵、少し良いかな?」

「はあ、何でしょうか?」

 先にアンリエッタ王女の部屋を辞して、自分の任務に戻っていたワルド子爵は、王城の廊下で久しぶりにヴァリエール公爵に話しかけられていた。
 トリステイン最大の貴族にして、王城と軍で共に実力者として影響力を持つヴァリエール公爵は日頃から色々と忙しく、先日に亜人討伐の件の事もあって、ワルド子爵とは話をする事が少なくなっていたのだ。

「やはり、強引に押さえ込んだのかね」

「それしか策は無いと思いますが。確かに、ルイズのした事は大変な不祥事ですが、彼女を処罰してしまえば、それを無かった事にするという前提が崩れてしまいます」

 始めから無かった事に対して、責任者に罰を与える事など、どこの世界でもありえないという事であった。

「それもそうだな」

 ワルド子爵は、内心でほくそ笑んでいた。
 公私共に非常に厳しいと評判のヴァリエール公爵の、唯一とも言える弱点。
 それは、彼の娘であるルイズであった。
 三人の娘がいるヴァリエール公爵であったが、中でも魔法が使えないルイズを事の他可愛がっていて、今回の件でルイズを罰する事に賛成するなど、天地がひっくり返ってもありえない事であった。
 元々、王国でも有数の権力と財力を持つ上に、イチローを娘婿にしている関係で更に力を増したヴァリエール公爵に面と向かって、『ルイズを処罰しましょう』と言える貴族など、今のトリステインには一人も存在しなかった。 
 結果、虚無の力に目覚めたルイズと、ガンダールブのルーンが刻まれたイチローが残り、それを時期を見てワルド子爵が利用するという土壌が完成したのであった。

「ルイズの虚無の事は、驚きであったな」

「ですが、トリステインには好都合です」

「だが、逆にマズイとも考えられる」

「どうしてでしょうか?」

「トリステインは、ルイズの婿殿への不祥事を不問にして、大きな力を手に入れてしまった。これは、両国の不信感を招く」

「では、どうなさると仰るので?」

「そこでだ。実は、先ほどゲルマニアの皇太子殿下が私を訪ねて来てね」

「はあ……」

 ワルドは、あの皇太子にしては口と態度が軽い、年下の若者の事を思い出していた。
 もしレコン・キスタがハルケギニアを握ったら、確実に処理をする方のボンクラだと思っていたのだ。

「かの国は、始祖の血筋を欲しているらしい。前に、マザリーニ枢機卿がアンリエッタ様をアルブレヒト3世に嫁がせようとしていた事があった」

「らしいですね」

「だが、今は秘かにアルビオンのウェールズ皇太子の元へ嫁ぐ話になっていてな。まあ、この国も色々とあるので数年は我慢して貰うつもりだ。将来は、二人のお子様を王位に就ければ解決するのだが、その間に代王を置くか摂政を置くかで話し合いが進んでいる最中でな」

 最近は、アルビオンの事が忙しくてなかなか遊びにも来れないウェールズ皇太子だったので、アンリエッタ王女が嫁ぐとなると彼女はほぼアルビオンで暮らす事が決まっていた。
 となると、二人の子供が成人するまでは、代理でトリステインの統治を行う者が必要となっていたのだ。

「そっちは、今すぐに決めなければいけない事でもない。話を戻すが、ゲルマニアは始祖の血を欲している。ルイズは今回の件でゲルマニアに借りを作った」

「それは、つまり……」

 ワルド子爵は、目の前にいるヴァリエール公爵をこの場で絞め殺してやろうと思うほど、内心は怒りに満ちていた。
 つまり、ヴァリエール公爵は、ルイズをゲルマニアに嫁にやると言っている事に気が付いたからだ。

「(ゲルマニアに借りを返したと思わせ、警戒される虚無の使い手をゲルマニアの懐に入れてしまい、トリステインが滅亡しても自分の家は残り、逆にゲルマニアで権勢を誇れる可能性があり……。そうか! 代王の候補は、アンリエッタの幼馴染で王家の分家筋で、虚無の使い手のルイズで工作しているのか!)」

 ワルド子爵は、目の前のヴァリエール公爵がまだ若い自分を小バカにしているような感覚を覚えていた。

「ルイズは、私の許婚でしたよね?」

 ワルド子爵は、沸きあがってくる怒りを抑えながら、ヴァリエール公爵に質問を続けていた。
 もし、このまま決闘沙汰になったら、どさくさに紛れて謀殺してやろうとまで考えていたが、それに冷や水を浴びせたのはヴァリエール公爵のこの一言であった。

「実は、先ほどの詳しい事情をカトレアから聞いてね。グリフォン隊の隊長を務めるほどの君が、まさかルイズの傍にいて、その暴挙を止められなかったとは。実に、残念だよ」

「(ちっ! その話を出してくるか!)」

 多分、自分がわざとルイズを止めなかった事には気が付いていないようであったが、『今回の事件の責任の一端は、君にもあるので責任を取れ』という事なのであろう。
 そして、その責任とはルイズとの婚約を解消する事である。
 ワルド子爵としては、言いたい事が山ほどあるのだが、向こうはこの国一番の大貴族であり、たかが子爵にしか過ぎない自分はヴァリエール公爵に対して反論など出来るはずが無かった。

「わかりました……」

「本当に、すまないと思っている。後日に、借りは必ず返そう」

 そう言い残して去るヴァリエール公爵の背中を眺めながら、ワルド子爵は心の中で怒りの炎を燃やしていた。

「(ヴァリエール公爵! そうやって、今の内に権勢を誇っているが良い! レコン・キスタが新しい秩序を構築した際には、お前を旧体制の膿として惨たらしく処刑してやる! そして、ルイズ。僕の可愛いルイズ。僕は、決して君を諦めないさ)」

 ワルド子爵は、その瞳に狂気の炎を揺らめかせながら、任務に戻るべく再び廊下を力強く歩き始めるのであった。








「魔法学院都市か。楽しみだね」

 魔法学院都市に戻る事となったイチロー達は、事前にマチルダに準備して貰った小型の空中船に乗り込むのだが、なぜかそこにはトリステインでの仕事を終えたハインリッヒも乗り込んでいた。

「4世、他の仕事は?」

「実に優秀な部下達に任せているよ。イチローといた方が、色々と面白いからね。僕の部屋ある?」

 ゲルマニアの皇太子ハインリッヒにまた居候をされてしまう事が決定したイチローであったが、その軽い言動とは裏腹に彼は一つの野心を抱いていた。
 先ほど、ヴァリエール公爵と話した、ルイズを自分の正妻に迎える件であった。
 ただ、これは周囲の動揺を抑えるために、ルイズが学院を卒業するまでその事実は伏せられる事となっていた。
 そこで、ハインリッヒは、未来の妻と親睦も図ってみようと思ってここに暫く居候をする事となっていた。

「(ヴァリエール公爵の娘か。最近、彼もゲルマニアに多少の理解を持つようになったから、ルイズ嬢を正室にするのは悪くないね。元々、ヴァリエール公爵家は王家の庶子が開祖の家だし、虚無の使い手と言う事は、始祖の血を受けているという証拠だ。それに、イチローと義理の兄弟になるというのも悪くない)」

 ルイズにコモン・マジックの基本である物を動かす魔法のコツを教えながら、ハインリッヒはそんな不埒な事を考えていたが、肝心のルイズは、ゲルマニアの皇太子でイケメンな彼の笑顔に畏まりながらも頬を少し赤く染めていたので、彼がそんな事を考えているとは思いもしなかった。

「(もう少し育ってくれると嬉しいんだけど、この娘は間違いなく美人になりそうだね。巨乳好きのイチローの好みには反すると思うけど……。婚約者がワルド子爵ってのは障害だけど、婚約なんて結婚の予定で、予定ってのは未定だからね。それに、もうヴァリエール公爵は決断しているだろうし)あまり、力まない方がいいよ。心を落ち着かせて」

「はい……。あの、先ほどは……」

「可愛い女の子は、怒っても様になるものなんだね」

 ルイズは、あれだけの暴言を吐いた自分を怒りもしないで可愛いなどというハインリッヒに、『やはり、大国の後継者ともなると人間の器が違うのだな』と素直に感心していた。
 だが、そう思わせる事も全てハインリッヒの計算の内であった。

「まあ、結果的には良かったんじゃないの? 確か東方では、『雨降って地固まる』だっけ?」

「まあ、そんな感じ」

「君も、大概のん気だねぇ……」

 小型空中船の客室内で、イチローはカトレアに膝枕をして貰いながら耳掃除をしてもらっていた。

「ただねぇ。このルーンがねぇ……」

「ルーンが何だい?」

「亡くなった両親に、『病気や怪我の治療以外で体に傷を付けるなんてもっての他』と言われたのを思い出した」

 前の世界で、イチローが十歳くらいの時に宇宙船の事故で死んでしまった両親であったが、確かそんなニュアンスの事を言っていたのを思い出していた。
 あれは、確かテレビのワイドシューで、古い伝統である刺青の復活のニュースを見ていた時の事だ。

「フィアナに消す方法を聞いてみるか」

「そんなに簡単に消える物じゃないと思うけど……。そういえば、何かを忘れているような……」

 ハインリッヒは、それが何なのかを思い出せなかったが、船は無事に魔法学院へと到着するのであった。







「ハインリッヒ皇太子と、タナカ辺境伯にも会いたいのですが」

「ジュリオ殿が予定の日にここにいなかったので、先に戻ってしまいましたが……」

「災難だ……」

 結局、偽ジュリオは変身を解かずに王城内部から逃走していたので、シェフィールドの妨害工作により遅れてトリステインに到着したジュリオは、王城の衛兵達に胡散臭い目で見られたり、各所でマジックアイテムが使用されていないか検査を受けたり、移動の度に確認作業のために待たされたりと、色々と大変な目に遭っていた。
 それと、今回の目的の一つである、イチローとのランデブーにも今の所は失敗していて、ジュリオはその原因であるシェフィールドに心の中で悪態を付いていた。

 実は、虚無の使い手であるロマリアの教皇ヴィットーリオの使い魔にして、あらゆる幻獣を操り乗り物を乗りこなす使い魔ヴィンダールヴでもあるジュリオは、同じく実は虚無の使い手であるガリア王ジョゼフの使い魔ミョズニトニルンのシェフィールドと既に数度刃を交えていた。
 だが、それらの事件は決して公になる事は無く、全て歴史の闇に葬り去られる事となっていた。

「実は、明後日に魔法学院都市の視察を兼ねて現地に赴くのですが、ジュリオ殿もいかがですか?」

「それは、好都合ですね。是非、ご一緒させていただきたい」

 そして二日後、ジュリオはアンリエッタ王女と共に魔法学院都市へと出発するのであったが、アンリエッタ王女の馬車の上空で飛竜を操るジュリオの手には一本の古い剣が握られていた。
 
すいません、あまりの感想の数に返すのが非常に困難な状態です。
更新を優先したいので……。


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