5 人知れずきたりて去った危機
中型船が海を進む。今は風がないため、魔法で風を起こして帆に当て進んでいる。
帆や船体にどこに所属すると示す印は描かれておらず、他の船がすれ違ってもどういった素性の者が乗っているかはわからないだろう。
場所はセブシックとカルホードの間にある海で、ややカルホード寄りか。
「頼む」
「わかった。いい加減見つかってほしいわね」
甲板にいた男の一人が女に頼むと、女は姿を人から人魚のようにかえてうんざりしたような表情を浮かべて海に飛び込んだ。
(魚の姿がない? 大型の魔物でもいるか、もしくは)
水の中を魚と同じように不自由なく真下に進み、徐々に光が届かなくなっていく。女は一度止まると、明かりの魔法を使い、再び潜っていく。
女は進むうちに水に粘り気のようなものを感じ取っていく。泳ぐことに不自由はないが、これまで何度か潜った海中とは違った感触だ。
(これは当たりかしら)
ようやくかという思いを抱いて水をかきかけるように手を動かし、尾びれを動かす。
海底に近づくほどに粘り気以外にも、寒気のようなものを感じ取る。魚などの姿が見えないのはこれらが原因なのだろう。
泳ぎ続けた女の手に固いものが触れた。
(これは)
海底に到着したわけではない。触った感触が砂のようにさらりとしたものや岩のようにごつごつと凹凸のあるものではないからだ。
つるりとした感触で、その感触にそって手を横に動かしていくと、そこまでも続いていくかのように同じような感触の壁が続く。
手を触れさせたまま壁にそって泳ぎ、大きさを探っていく。壁は少しずつカーブを描いており、大きなドーム状になっているとわかった。
海底に接している部分にまで移動いた女は、明かりに照らされて壁の向こうにも砂地が続いていることを確認し、水上目指して泳ぎ始める。
ざばりと音を立てて顔を出した女へと縄梯子が下ろされる。腕の力だけで上がり、縁に腰をかける。
「どうだった?」
「あったわよ」
ぽたぽたと滴を落としながら女は答えた。そこらへんと指さす。
その報告に男たちは大きく表情をほころばせた。
「あったか! これで先生と同じものを目指すことが!」
「約束は果たしたし帰るわよ?」
テンションの高い男たちとは裏腹に女は冷めた表情で言う。
「お前は本当に一緒にやらないのか?」
「私は私の考えで先生の後に続く」
「これだって先生の残したものだろう」
「残したものそのままを使って世界を壊すなんて、先生に芸がないと笑われるわ」
「お前のやろうとしている魔物関連の技術も、先生が残したものじゃないか」
「私たちはそこから発展させたわよ。あなたたちは資料に残ったものそのままじゃないの」
「先生の残したものは完璧だ。そこに俺たちの考えを挟むなど無粋でしかない」
それぞれの主張があるのだろう。こういった会話はこれまで何度もして、そのたびに結論のでないまま平行線で終えた。
今日のこの場でこれをもちだしたのは、これから行うことが成功してしまえば世界は滅ぶだろうと思っており、その前になんらかの結論をだしたかったからだ。
けれどやはり互いの考えをぶつけ合うだけで終わる。互いに互いの形で師を尊敬しているのだ。それを曲げるつもりはない。
「ま、それなりの付き合いだし成功を祈っておいてあげるわ」
男のやることが成功すれば、女のやろうとしていることは達成できないが、師のやろうとしたことが成功して阻止されるのならば文句はなかった。
「俺もお前の計画が成功してやることを祈ってやるさ」
自分たちが失敗したとしても、あとに彼女がいるということはほんの少しだけだが安心できるものもあった。それを決して口には出さないが。
口に出してしまえば成功率が下がる気がしているし、弱気と受け取られるかもしれない。
友にしてライバルと思っている。そんな相手に弱いところなど見せる気はなかった。
「それじゃあね」
ひらりと手を振ると女は縁から飛び降りて海へと飛び込み、泳ぎ去っていった。
「始めるぞ」
『おうっ』
いなくなった女のことは頭から消し去り、ここまできた目的を果たすため動き出す。
五つのゴムボートのようなものを船から下ろし、そのうち四つに以前買い占めたサーヴァイド鉱石をはじめとしていくつかの道具を載せる。
そしてボートに一人ずつ男たちが乗り、女が指さした位置を等間隔で囲むように移動する。
移動した四人は持っていった道具を海に入れたりして準備を整えていく。これから使うのは、魔族の秘奥とも言うべき協力魔法だ。それを天才はどういった方法を用いたのか、解析してこれから行うことに使えるようにしていた。
この資料を見たときは、弟子たち全員がさすが先生だと敬意を募らせたものだ。
「準備が終わったか」
四人が手を挙げて、準備が整ったことを知らせてくる。
男は刃に紋様の描かれたナイフを受け取ると、残ったボートに降りる。
「成功を祈っていますっ」
「ああ、必ず成功させる」
船に残った者たちにそう返すと、オールを使い女が指さした地点へと進む。
成功するということはこの場にいる全員が死ぬということだが、天才が自身の命よりも世界崩壊を優先させたように、弟子たちも同じように命より師の遺志を継ぐことのほうが重要なのだ。師匠から知識だけではなく、ものの考え方など様々なものを受けとった弟子たちだった。
男が目的の地点でボートを止めると、四人は魔法を使い始める。
彼らは両手を広げ、光を放つ。四人の手から伸びた光はリングのように一定区域を囲む。次に四人は互いに聞こえるように大声で一つの呪文を詠唱していく。揃えたり、それぞれが独立して声を出していき、一つの呪文を諳んじる。すると囲まれた海の色がどんどん藍色から灰色へと変化していく。それは水上だけではなく、水中にまで変化を起こしていて、灰色の柱が真っ直ぐ立っているように見える。
詠唱する男たちも海の変化に合わせて、表情を苦しげなものへと変化させていく。
この儀式に必要な力が彼らの実力ではたりず、その足りないものを魂を削って捻出していた。
船に残った者たちの力も使えればいいのだが、この魔法には適正があり、この四人のみが使えるのだ。
「そろそろだな。俺も準備しておくか」
男はそういうと服を脱ぎ、下着姿にナイフのみという姿になる。
サーヴァイド鉱石を使い、水中移動の準備をすませて、四人に手を振る。
それを確認した四人は儀式を進めながら、こくりと頷いた。
「いってくる!」
全員に聞こえるように大声で言うと、男は海へと飛び込み、海底目指して潜っていく。
男が潜り二十分ほどすぎ、儀式は終わりを向かえる。
四人はボートに倒れこみ、激しく呼吸を繰り返す。顔は青を通りこして白く、明らかなに正常な状態ではないとわかる。今にも気絶しそうな彼らだが、目には力がこもり一部始終を見届けるため気絶だけはしないように睡魔と虚脱感に抗っている。
四人がやったことは神によってはられた封印結界の一部を緩めることだ。完全に無効化できればよかったが、命をかけても神の力には届かなかった。
儀式が終わって十分経つと、あらゆるものを押し飛ばそうとしそうな力が海底から発せられた。
これを感じ取った海上の者たちは成功したとして、喜びの声を上げた。
海に潜った男はどうしたのか、少し時間を戻す。
灰色の海を泳いだ男は女が見つけた壁に到達する。
感触はつるりとして硬く、女が持った感想と同じものだ。儀式が完成すれば感触が変わるはずで、壁に触れたままその時を待つ。
やがて海上で儀式が完成すると、壁に手が沈む感覚へと変わる。
(きた!)
いよいよだと鋭い笑みを浮かべた男は、持っていたナイフを躊躇いなく、自身の手のひらに刺した。激痛が体中にはしるが、男が浮かべた笑みは消えることはなかった。
流れる血はそのままに、ナイフに描かれた紋様を削る。
封印のため描かれていた紋様は、一部が削られたことで効果を維持できなくなり、封印していたものをあふれださせる。
でてきた黒い靄は、とりつく相手がすぐそばにいることを幸いとして、腕に染み込ませていく。
幸助たちがエゼンビアに現れた歪み対処に行っている間に、男たちがセブシックで発生した歪みを今日この日のため封印し手に入れていた。
(負けるものかっ)
男はじわじわと自意識を侵食してくる歪みに抵抗しながら、歪みに侵された手を結界に押し込む。
歪みが出てきた時点で、それに気づいた存在がいる。それは長いこと封印されていた邪神だ。
そうここは誰もくることのできないであろう場所に神々が作った邪神域だ。天才があたりをつけていた場所を弟子たちがくまなく探し、見つけ出したのだった。
間近にいる同種のものに邪神は近づく。男は邪神の姿を見る。
それは荒々しさや禍々しさなどない白のローブをまとった女だった。けれど邪神の背後には墨のような周囲を黒に染める靄がついてまわり、あれらと共にあって異常をきたすことのないということが、邪神が異常と示すようなものだった。
濃い緑の長髪に、透けるような白の肌。光がなくぼんやりとした目は夜明け空と同じ色。無表情な中に、どこか少しだけ嬉しげな雰囲気が感じられるのは、久しぶりに他者に会えたからか。
結界の向こうにある手に邪神は自身の手を重ねる。久しぶりに感じ取れる体温に笑みを浮かべる。神であっても、歪みに囚われて変質しても、この暗い海の底に一人は寂しいと感じられるものなのだろう。
男も水の冷たさとはまた違ったひやりとした体温を感じ取っていた。ここに一人いつづけたことを想像し、憐れみをもつがそれを振り払い天才の作った魔法を使う。
それは触れた相手の力を移動する。これを使えば生物を殺さずとも強くなることができるが、準備にお金がかかるため、これを使うならば道具をそろえて戦ったほうがましだ。
神のはった結界ごしではこれがきちんと発動するかわからなかった。なので海上にいる者は結界を薄くし阻害を減らすために命をかけ、男は歪みという共通点を利用し力を移動させやすくするため体に取り込んだ。
その二つの前準備はきちんと効果を発揮して、男は自身の体に力が流れ込んでくることを感じ取った。
一方で邪神も自身の力が減っていることに気づき、驚きの表情を浮かべた。
抵抗するだろうと、魔法制御に集中する男が見たものは、歓喜の表情を浮かべた邪神だ。
どうしてそのような表情になるのかさっぱりわからず、呆気にとられ魔法制御に乱れが生じ、慌てて集中する。
邪神が喜んだのは、自身の消滅が近づいたからだ。死んでしまえはここから解放される。これまでもほんの少しずつ減っていく自身の力を感じながら遠い死を待ち遠しく思いながら過ごしていた。なにも変化のないここで、なにもせずにいるよりは死のほうがよほどましなのだ。
封印された当初は歪みに引きずられるまま狂っていたが、約千年という時間が流れてしまえば狂いながらも正常となる部分はでてくる。狂い続けた先にあるものは、狂いながらも正常となる異常だった。人間であれば狂ったまま死を迎えるが、寿命の長い神ゆえにその境地に至ったのだろう。狂ったままならば、感じられないものも感じられてしまい、水と砂しかないこの場はそういった正気にとっては苦しみを与えるものでしかない。また狂えれば苦しみから解放されるのかもしれないが、もう一度狂えることのできるような刺激などここにはない。この環境も常人ならば狂うに最適な環境なのだろうが、その身は神で常人などとは程遠く、それでは狂うには足りない。
そんな時に現れ、力を吸い取る男は邪神にとって救世主といってもよかったのかもしれない。男がなにを考えて力を欲したのかは知らないが、邪神にとってはそこは気にするところではなかった。
邪神はすべてをささげるように抵抗を一切せず、力をどんどん減らしていく。ステータスは平均Dにまで落ち込み、さらに吸い取られようとして、不意に邪神は手に感じていた温かみが失われたことに気づく。
目の前にいた男は影も形もなく、この場には邪神一人のみとなる。
なにが起きたのかと思い周囲を探ると、わずかに懐かしい力の気配が感じられた。
神が男を移動させたのだろうかと首を傾げた。
完全に力がなくなるまで待ってくれればと思うが、いない相手にどうこう言っても無意味で邪神は海底に戻り、座り込んで再びじっと時が過ぎるのを待つ。
確実に消滅までの時間は早まり、それが嬉しく小さく笑みを浮かべたまま、彫像のようにそこにある。次の変化がすぐ近くに迫っていると想像もせずに。
邪神が推測したように、力を得た男は神によっていずこかにある無人島に移動させられていた。
暗い海の底から、突然快晴の空の下に移動させられ男は戸惑うことしかできない。周囲を探るように見ると、二十メートルほど離れた位置に一人の男がいることに気づく。
黒のジャケットを着て、手には黒の大剣を持っている。両腕に籠手のようなものをつけ、額には飾りか透き通った青の角のようなものがある。
竜装衣を発動させた幸助だ。
「なんだお前は!? どうして俺はここにいる!?」
とりあえず幸助に疑問をぶつける。答えを知っていることを期待してはいるが、知っておらずともいきなり起きたことへの動揺をぶつけ精神の安定を図れれば儲けものだった。
それに幸助は首を傾げた。
「俺も詳しいことはさっぱりなんだ。あんたを倒せと頼まれ、ここにいる」
三日前にミタラムが家に来て、以前も使った転移用の札を渡し、頼んできたのだ。
詳しい話は終わってからするということだった。つけくわえ倒さなければセブシックが滅茶苦茶になると言われ断り切れないものがあった。
それだけではミタラムたちも横暴と考えたか、なにか願いがあれば叶えるということになり、幸助はドリーポットへの安全な移動手段を求めることにした。安全で便利な移動手段があれば、国外からの客も期待できるのだ。大陸外の客も期待したいが、それは村の経営がうまくいってから考えることだろう。
どのようなものを用意すればいいか、幸助たちと神たちで考えることにしてわかれ、幸助は三十分前に転移札で飛ばされ今ここにいる。
「頼んだ? ということは俺たちの行動を知っていた者がいるということか」
「頼んできたのは神様だし、知ろうと思えば大抵の情報は知ることができるんじゃないかな」
「神だと!? いやしかし突然移動させたことといい、我らに悟らせず情報を集めるなど常人では容易ではないか。神ならば可能と言われれば納得もできようが……」
されど納得できない部分もある。情報を知ることができるのならば、自分たちが世界を滅ぼそうとしていることも知っていたはずだ。もっと早くに介入できたはずで、そうしなかったことに疑問がわき、神の手の上で遊ばされていたような不快感も感じられた。
「ふんっ我らのことを知っていれば直接来ればよかろうに。お前のようなさえない者をよこすとはな」
「俺に言われてもね、そこらへんは知らんとしかいいようがないよ」
男は小さく舌打ちをする。挑発気味に言ってはみたがのってこない。
その程度の言いようは銭漁りと呼ばれていた頃に言われなれている。
ならばと男は取引でももちかけようと考えるが、相手のことをなにも知らず、交渉のしようがないことに気づき、会話から探ってみることにした。
「神がなにを考えているのかは知らないのはわかった。ではお前はどうだ? 神の犬のように動かされているお前はなにを考えている? 今この場にいることをどう思う?」
「答える意味はないと思うんだけど、そうだね……さっさと終わらせて帰りたい」
「俺と手を組めばすぐに帰ることは可能だが?」
「そうすると神様から殺されるんじゃないかな、それに暴れられると俺も困るし」
実際は小言を言われるだけですむだけだ。幸助をここに導いたのは、幸助に気を使ったからで、男が暴れる程度ならば神たちが頑張れば後始末はできる。生物は多く死ぬだろうが。
「今俺は神に並ぶ力を得たと言っていい、今の俺ならば神から守ることも可能だと思うが?」
「一対一なら可能かもしれないね。でも複数でこられたら?」
「今この場に複数の神がいないということは、俺を恐れたかこれない原因があるということだと思うがね」
「まあ、それも一理あるのかな? んーじゃあ逆に聞こうか、手を組むかわりに暴れるのはやめろといえばやめる?」
「それはありえないな」
暴れ壊すことが目的だ。そこは譲れない。
「だとしたら手を組むわけにはいかない。暴れられると困るというのは譲れないから。結局話は最初に戻るんだよ、戦い倒すというところに」
「そのようだな。ならば神の意思に従い、その選択を選んだ自身を恨みながら死んでいくといい! 神に並ぶというのは偽りないことなのだから! 今は亡き天才の弟子が一人っカイラードがここから破壊を始めよう!」
並の魔物ならば気絶させる威圧感を発しつつ、地面を蹴り砕く踏み込みで、いっきに幸助へとカイラードは接近する。
その一瞬の間に、カイラードの姿に変化が現れる。額には螺旋を描く灰色の角が生え、どちらかといえばほっそりとしていた体には筋肉が盛り上がり、腕と胸部と脚を灰と青の斑の毛がおおう。手にはごつい爪が生え、靴を履いていて見えないが足にも同じような爪が生えている。黒の目は銀に染まり、鋭く幸助をにらみつけている。
岩を豆腐の如く砕ける拳が、幸助に迫る。それを幸助は両手で受け止めて言う。
「奇遇だね。神に並ぶというのは俺にも言えることだよ」
思った以上にあった衝撃の重さを表に出さず、余裕の笑みを浮かべた。
「んな!? ただ人がそのような力を持てるはずがっ」
「こうして受け止めているのが証拠だ。それにしてもその姿、以前ぺジオルド竜国で見た奴と似てるな」
「あれを見たのか。似ていて当然だろう。同じモノを使って、この姿となったのだからな」
受け止められた拳に力を込めて、押し切ろうとしながら答える。
幸助は二本の腕、こちらは一本の腕、筋力では自分のほうが上だと見たのだ。それが正しいと示すように幸助はじりじりと押され、下がっていく。
押し切られる前に幸助は力を抜いて大きく下がる。急に下がったことにカイラードじでは対応しきれず、バランスを崩しこける寸前で止まった。
その姿に幸助はちょっとした考えを持ち、確かめるため今度はこちらから攻めることにした。
「今度はこっちから!」
小細工などないストレートのパンチやキックをある程度の速度で放っていく。
カイラードはしっかりと反応し受けたり避けたりして、それらに対応していく。
常人であれば死ぬような攻撃も、神の力を得てステータスを上げたカイラードには幼児が暴れたような衝撃しか与えない。
「その程度で俺を倒そうというのか! 甘いっ甘すぎる!」
「ならばこれでどうだ!」
やや悔しげといった感じで演じ、表情を歪める。けれど目は冷静にカイラードのことを捉えている。
幸助は悔しいとは思っていない、当然だ。本気ではないのだから。この程度ならばダメージは与えられないという尺度にして、次の試しに移る。
それまで防がれていた攻撃が当たるようになる。
(やっぱりか)
攻撃の速度を上げたわけではなく、フェイントを混ぜただけだ。
カイラードはフェイントに簡単にひっかかる。カイラードには武術の心得がないのだろう。これまでは反射神経などで対応していたが、技術的な部分も必要とされ始めると以前の幸助のように対応が困難になる。
ゲンオウやリタイあたりの実力者ならばまだ力押しでどうにかなるかもしれないが、セクラトクスほどに鍛えていればステータスが下でもいなすことが可能だろう。
「底が見えた」
何度目かの攻撃を当てた幸助は十分だろうと、指さし言う。
「なんだと? 攻撃が当たるようになっただけで大きくでたものだな」
「あんた、戦いはド素人だろう? 力はたしかに脅威的だけど、それだけなら俺は負けないよ」
「それが本当か試してやる!」
攻守は再び交代し、カイラードが攻める。
拳は風を裂き、蹴りは風圧だけで大地を削る。一呼吸のうちに十を超える打撃が放たれた。だが、
「なぜ当たらん!」
「速いだけの攻撃なんか回避は簡単だ」
踊るように幸助は全ての攻撃を避けた。ゲンオウやセクラトクスとの模擬戦よりも回避は楽なのだ。あちらは速度は劣るが、それまで積み重ねたものを持ち、新たな発想で攻撃を仕掛けてくるので、回避は苦労させられる。それと比べるとカイラードの攻撃は児戯といってもよかった。
「ならばっ」
カイラードなりにフェイントを混ぜていくが、素人が即興で考えだしたものなど意味がないに等しい。
当てることに熱中しだして周りが見えなくなっているカイラードに、幸助はかなり強く拳を振るう。
隙だらけの頬に当たった拳の衝撃で、カイラードは地面に倒れる。地面を転がり、普通の素材だった服はぼろぼろとなる。
立ち上がったカイラードの頬は赤く腫れている。
「俺は強くなったはずだっそれなのにどうしてお前なんかの攻撃が痛く感じる!?」
「あ、きいたんだ。よかった」
丈夫さにだいたいのあたりをつけ、力を一点に集中した攻撃を使わずともすむとわかった。
「くっ相手していられるか! 逃げることは癪だが、お前から離れてしまえば世界を破壊するという目的は果たされるっ」
岩や建物を壊すのに技術は必要ない。暴れるだけで多くのものを壊せる力を持っているのはたしかなのだ。
「たぶん無駄じゃないかな?」
幸助の呟きを聞く前に、カイラードは海へと走りだしていた。この島はそれほど大きくはないのですぐに岸にたどり着いたが、カイラードは見えない壁にぶつかりたたらを踏む。
「神域や邪神域と似たようなものか!? 壊せばいいだけだろうっ」
苛立たしげに拳を叩き付ける。あっさりと壊れると思っていた見えない壁は、強度を保ったままそこにある。
それを見て幸助は、ああやっぱりと思う。逃がすようなことはしないだろう。結界くらいははっているだろうと予想していた。
「おとなしく戦って倒されるしかないんじゃない?」
「認められるか! 俺は先生の遺志を継がねばならんのだ! こんなところで躓くわけにはいかんのだ!」
自棄にも見える表情で、カイラードは幸助へと殴りかかる。
どれほど強固な意志があろうとも、幸助には届かず拳も蹴りもすべて避けられた。風圧で髪や服を揺らすのみだ。
幸助が技量の差から油断していれば一発逆転の目もあったが、当たれば痛い目をみるとわかっているので油断はせずにいる。
幸助は反撃しており、それはすべて当たる。カイラードだけが一方的にダメージを負っていく。
「くそうっくそうっ」
「諦めたら?」
「先生の計画は完璧なんだ。こんなところで躓くはずがない! うまくいかないのなら、それは……それは俺が悪いっ」
自身の言葉に天啓を受けたように晴れやかな表情となった。
急になにをと幸助は内心首を傾げる。
「そうだっ俺という存在をなくし、あるがままにあり、そのまま動けばきっとなにもかも上手くいく!」
「なにをする気だ?」
「なにを? それは抵抗をやめるということだ!」
効率的に破壊するため、破壊を見届けるため、歪みに染まることを高まったステータスをもって抵抗していた。それをカイラードは今止める。
途端にカイラードの体に変化が起こる。
狂気を思わせる笑みが表情に現れ、角は曲りあらぬ方向へ向き、体毛は伸び、手足の爪も伸びた。
ひゃははひょほほと正気とは思えない笑い声を上げていたカイラードは、濁った銀の目で幸助を見る。
自らの存在をなくすといっても、基本的に歪みには意思はなく。宿主をもとに動くため、自我を捨てるというのは難しい。ならば今の状態はどういったものなのか、それは体を改造したときに使われた魔物たちの残留思念とカイラードの意思が混ざり合ったものだ。
突然、両手の指の爪が生きているかのように長く伸び、幸助のいる方へと突き進む。けれど狙いは甘く、あちらこちらへとねじ曲がりながら伸びる。なればこそ避けづらいものがあった。伸びるコースが不規則で、予測がきかないのだ。
「厄介な」
「ふゅほ?」
二か所、手の甲と太ももに掠らせてうっすらと血をにじみださせている。ほどんとは剣で斬りおとしたが、当たらないと思えたものが、急に角度を変えたのだ。
無駄といえる攻撃だが、無駄がありすぎて逆に読みづらくなっていた。
おもわぬ反撃を食らう前にさっさと倒しておこうと、使わずともよいと思っていた、最大威力の攻撃をしかけるため力を集中する。
それを野生の勘で察しでもしたか、カイラードはいっきに接近して獣じみた動きで襲い掛かる。
素人が考えたフェイントなどよりもすっとましな動きで、拳と蹴りを放ち、幸助に集中させる暇を与えない。
攻撃もパンチとキックだけではなく、ひっかきや頭突きといったものも混ざり、唾を吐くといったこともしてきて、それらが当たることもある。
歪みに従うまま動いているせいか、獣じみた動きの中に、獣でもしないような無駄な動きを混ぜてくるため天然のフェイントになっていた。
「っほんとに厄介な! 理性なくしたほうが強いって」
いいものをもらった脇腹を抑えて、少し離れた位置で地面を叩いているカイラードを見る。目的あって叩いているわけではない。叩くたびに地面が小さく揺れる。それが面白いのだろうか。
次の瞬間にはそれに興味をなくし、飛びかかってきそうで目を離せない。
「次は地面をほじりだした?」
叩くことをやめたカイラードは十本指を地面に刺している。
幸助の耳がかすかになにかが削れる音を捉える。なんの音だろうかと思った瞬間に、カイラードは腕を上げる。すると地面が砕けた。
土砂が吹き上がり、その中に伸びた爪が見える。
「危なっ!?」
土砂に邪魔され視界が悪く、ランダムに動く爪が捉えづらい。
真横に振るわれていた爪を剣で斬り飛ばし、当たりそうにない爪も念のために斬る。
巻き上がった土砂が地面に落ちて、砂埃が周囲に漂う。
カイラードの気配は少し離れた位置から動いておらず、襲い掛かってくる様子もない。
「今のうちに」
力を集中し、ガントレットへと変化させる。
また力の変化を察し、襲い掛かってくるかと思われたがなにもなかった。
砂埃がはれると、そこには楽しげな表情で地面を爪で削ってまわっているカイラードがいた。巨人が裂いたような跡がいくつもできている。
「なにやってんだか」
熱心に戦われるよりはましだと思いながら、素早く接近し、反応する前に殴りつけた。
勢いよく吹っ飛んだカイラードは結界にぶつかって、地面に落ちる。すぐに起き上がり怒ったように両腕を振り回す。致命傷ではないらしいが痛かったようだ。
そのまま爪を伸ばし、縦横無尽に切り裂いていく。
結界にぶつかり折れても、剣に斬られても、気にせず伸ばし振り続ける。その範囲は島全域におよび、島中が切り裂かれ、ずたずたにされていく。
土砂が再び巻き上がり、視界が悪くなる。
そんな状況で近寄ることは難しく、幸助は剣とガントレットを使い、爪を防いでいく。
「これが収まれば、いっきに近づいて殴る」
癇癪はなかなか収まらず、五分以上続く。
島に生えていた木も岩も粉々となり、多少なりとも緑のあった島はただの荒地と化した。
幸助も小さな切り傷を体のあちこちに負っている。岩が当たったところでどうということもないが、折れた爪が跳ねて当たったことで皮膚が裂けたのだ。
「このクラスの実力者が暴れるとこうなるんだな」
自分も同じことができるんだよなと思いつつ、幸助は砂埃の晴れた風景を見る。
暴れることをやめたカイラードはすっきりとした表情で地面に倒れこみ、ごろごろと転がっている。
「倒せるまであと何発かな」
カイラードが戦いに熱心でないおかげで苦労はしないが、頑丈さはさすがでもうしばらく時間がかかりそうだった。
殴って暴れ、防いでまた殴るを繰り返し、カイラードは爪を伸ばすことはなくなった。
爪の変化には歪みを使っていたが、溜めこんでいた歪みがなくなったのだ。あとは体の変化を維持するくらいしかない。
接近がたやすくなった幸助は連続して殴っていき、やがてあっさりとカイラードは目的を果たすことなく死んでいった。
「動かなくなったし、これで終わりかな。大暴れで島一つ崩壊しかけ。被害少なく終わったほうなんだろうか?」
『終わったから、家に転移する』
ミタラムの声が聞こえてきて、戦いがきちんと終わったことを知る。
「死体はどうすんの?」
『この状態なら私たちも問題なく近づけるから、こっちで消し去る』
幸助が家に戻り、島の結界が消える。
コーホックが姿を見せ、カイラードの死体に特性の油をまいて、小さな火種を飛ばした。
よく乾燥した木の葉のようにあっとういうまに激しく燃えだし、カイラードを燃やし尽くしていく。
十分ほど骨まで燃やし灰となったカイラードは風に吹かれて地面に広がっていった。
それを見届けたコーホックは神の住処に帰る。
誰もいなくなった島は、戦いの影響で脆くなり、雨や波に地面を削られ徐々にその姿を消していく。いずれは完全に波の中に消え、幸助とカイラードの戦いの跡など消え失せてしまうだろう。
「で、どうして俺はあいつと戦ったのさ」
家に戻った幸助は、汚れを落とした後にリビングに現れたミタラムに聞く。
それにミタラムはちょっと待ってと言い、だされたソフトな感触のクッキーを食べていく。
話よりも菓子を優先するその姿を見て、今回のことは大事などではなかったのではと幸助は思う。同席しているエリスとウィアーレも似たような感想を持つ。
「ん、満足。今回の戦いは邪神に関わる話」
「口元」
幸助に口元についた食べかすを指摘され、手で拭う。
「邪神っていうと歪みに囚われた神だったか」
「そう。あなたが戦った男は邪神から力を吸い取り自分のものとしていた」
「あっさりととんでもないことを告げられたような」
ウィアーレが聞き間違いだったらいいのにと思いつつ言う。
「そんなことできるのかの?」
「可能だった」
天才が残した歪みを利用した力の吸収方法を話していく。
「以前の戦いを起こした奴がそんなことまで考えだしておったのか……本当に天才だったんじゃな。まともであればどれだけ文明を発展させていたことか」
感心半分呆れ半分といった表情でエリスは言った。
「そこまでしたあいつの目的は? 天才が関係していたのはなんとなくわかるけど」
「天才が目指した世界の破壊をなしとげようとした」
「そこまで規模の大きな話だったのか!?」
菓子を優先していいような話ではないだろうと驚く。
そんな幸助にミタラムは首を横に振る。
「やりたかったことはそれだけど、頑張ってもセブシックかカルホードを三分の一荒らすくらいしか体がもたなかった」
幸助のような特殊な事情があったり、セクラトクスのように鍛えて下地を作っていれば話は別だが、常人がいっきにステータスAランクまで力を跳ね上げるのは負担が大きかった。それと改造していて体のつくりにほころびがあったことも、耐えきれない理由でもあった。
「それでも俺たちにとっては規模の大きな話だけど」
「だから被害のでない戦いの場を用意して、話を持っていった。私たちにも狙いがあったけど、それは天才の弟子を放置していても問題なかった」
相変わらず生物放任主義だなと、幸助はミタラムたちとの関係を持っていてよかったと思う。わざわざ戦いの準備をしてくれたのは、天才の弟子が暴れたら自分が困ると判断したからなのだろうと神々の考えを推測する。関係が薄ければ、起こりうる生物被害は神にとって流せるものと判断されて、放置されたままだっただろう。
そういった推測を思いつけなかったウィアーレはわいた疑問を口に出す。
「破壊目的ってわかってたなら、力を吸収する前にどうにかできたんじゃ? もしかして天才と同じように神に悟らせないで計画を進めてた?」
「いや気づいていた。あんなことをした者の関係者、要注意対象になっている」
「じゃあ、どうして放置を?」
「全部はわからないけど、少しなら俺にも理由わかるよ。今回のことで起こる生物被害は世界運営に響かないから積極的に対処してなかった。神は個人を気に入ることはあるけど、特定種族全部を気に入ることはないからね」
「そのとおり。コースケに知らせたのはどうにかできるだけの力があったことと、知らせないと困るだろうと思ったから。ほかには自由に動かした先に、私たちにとっての利益があったから」
「その利益とは?」
今回カイラードがやったことは世界を荒らすこと。そこが利益に繋がるとはエリスには思えず、ほかに考えて邪神に関わる話ということを思い出した。カイラードは邪神の力を吸い取った。すなわち弱体化したということで、弱ったところを倒すことが可能になったかと思い至る。そこが利益なのかと推測をたてた。
「弱体化により邪神が消滅する期間が短縮化された。もう一つは初めての試みで上手くいくかわからないけど、邪神から神へ復帰」
このために神々は天才の弟子たちを放置しながら、動向を見張っていたのだ。
この方針は、ミタラムが予知して天才の弟子たちの計画を知り、弟子たちの行動で起こりうることを話し合ったときから始まっていた。
ベターな結果で短縮化が期待でき、ベストな結果では邪神が消え神が復帰するということに、上級神たちも放置ということに賛成したのだ。
「弱体化したところを叩くと思っていたが復帰か……もしかするとウィアーレに歪みを取り除いてもらうのかの?」
「あたり。普通の邪神なら力の差で手が出せないだろうけど、今の弱体化した邪神なら可能性はある。切り離した歪みは封印の道具を使うから処理まで任せることはない」
倒すという選択肢を神々がとることはない。元同僚ということで躊躇いがある、という部分もあるのだが歪みを注がれ邪神が増えることを警戒し、どれほど弱体化しても倒しにはいかず消滅を待つのだ。
「私ですか!?」
「あなたにしか頼めない」
怖がり不安そうなウィアーレを気にせず、
「これが必要な道具」
そういってミタラムはテーブルに二種類の道具を出現させた。
水晶玉一つ、札三枚だ。水晶玉は歪み封印の道具で、札の二枚は水中活動用のもので、残りの一枚は転移用だ。
水中活動用の札が二枚あるのは、幸助にも行ってもらうつもりだからだ。弱体化の薬の効果でさらに、邪神を弱らせることができれば儲けものということだ。
「この二枚はここで使って、邪神域は海底にあるから動くのに必要。次に転移札を持てば邪神域のそばまでいける」
「コースケも一緒に行くのか?」
エリスの問いにミタラムは頷き、理由を話す。
ウィアーレは不安の大部分がなくなった。幸助が一緒ならば大丈夫だという信頼がある。
薬が効けば幸助も弱体化するということだが、一人で行かされるよりもだいぶましで、しかも好意を持っている相手なのだから一緒にいてくれるだけで安心感は増す。
自身のお手軽さに、少し呆れたように小さく笑みをこぼした。
「そういや俺って邪神域にも入ることができる?」
「可能。だから神関連の称号持ちが入らないよう、邪神域は行き来がほぼ不可能な場所にある」
危ない場所にわざわざ行く者いるのかと思うが、好奇心の強い者ならば行きそうだと思い直す。
秘境という未知の地域にロマンを感じる者は地球にもいたことを思い出したのだ。
幸助は積極的に行きたいとは思わない。偽神のときと似たようなことが起きても困る。
「なるほどね。あ、戦った報酬はどうなってる? なにかいい考え思いついた?」
「鍛冶の神が特製の飛車を作ろうと言っていた」
通常の飛車は飼いならせる大型の鳥系魔物にコンテナを運ばせるといった感じだが、鍛冶の神が作ろうとしてるのは鳥型ゴーレムを使うものだ。
世話する手間はかからないし、休憩も必要なく飛び続けることができる。メンテナンスも神が行い、三台作るということで褒美としては十分すぎるものだろう。
「ウィアーレにもなにか褒美はある?」
「神様にねだるなんてとんでもない!」
私はいいですと両手を振って断る。
「これからやることは神にとっても重要そうなことだから、なにか願っても罰は当たらないと思うよ」
幸助の言葉にミタラムはこくりと頷く。
災禍から神を救うのだから幸助のように報酬を願っても厚かましいとは思わないし、怒りもしない。
「で、でも」
ミタラムが頷いてもなお不安そうにウィアーレは願いを口にだすことはない。
了承を得ても、遠慮の思いは消えない。
「なにか思いつくまで保留ってことでいいのではないか?」
「そうする?」
ミタラムから視線を向けられて、ウィアーレはこくこくと頷く。そのままなにも願わずに忘れてしまおうと思う。精神的平穏を保つにはそれが一番だった。
けれどウィアーレが忘れても、神は忘れず定期的に聞いてくることになるので、いい考えというわけではなかった。
「話はここまで、あとのことは頼んだ」
そう言うとミタラムは家から出て下がった力が戻る位置まで歩いていき、転移する。
「俺たちも行こうかね」
「ですね。まずは札を」
幸助とウィアーレは札を手に取り破る。札は一陣の風となり二人の体をとりまき染み込んでいった。
これでよしと頷くと、転移の札を持つ前にエリスに行ってきますと告げる。
「水の中ということだから、帰ってきてすぐに温まれるように風呂をわかしておく」
札を持った幸助に、ウィアーレが触れるとすぐに二人の姿はエリスの前から消えた。
転移した二人は暗闇の中に放り出された。明かりの魔法を使わずともすぐに目は暗闇に慣れて、夕暮れほどの明るさで周囲を見ることができた。砂と岩のみの景色だ。
水の感触はあるが、呼吸に不自由せず、動きも水に阻害されず地上を動くことと何ら変わらない。
「歪みがこの先にたくさん集まってる」
ウィアーレが発した声もくぐもりなく幸助の耳に届いた。
「札の力はすごいな。少し寒くて暗い以外は地上と変わらない」
「さすが神様の作った道具だね。ん? 歪みが近づいてきてる」
「ウィアーレに惹かれたか?」
「どうなんだろ」
もてるねと幸助が言い、歪みにもてても嬉しくはないとウィアレーが返す。
そうしているうちに、歪みを引き連れた邪神が近づいてきた。
ウィアーレはキュっと幸助の手を取る。
「邪神ていうくらいだから禍々しい感じを想像してたけど、見た目はそうでもないな」
引き連れた歪みの多さは恐ろしいものがあるが、邪神の見た目だけでいえばミタラムたちと変わらない。
「力下がってる?」
「歪みに邪魔されて最低ランクまでは落ちてないけど、効果は出てる」
邪神もさらに下がった力に首を傾げている。
「いきなり用事をすませてもいいんだろうけど、少しくらいは説明しておいたほうがいいと思う?」
「なにされるのかわからないままよりは安心できると思う」
「んじゃ、声聞こえてる?」
邪神に向けて問いかけると、届いているようでこくこくと頷き、声を出そうとする。
「ぁ、うぅ、あぁっ」
長いこと声を出していないので、話そうにも声がつっかえどもり話せないでいる。せっかく話せる機会まで得て、それを逃すかもしれないことを悔しそうに、もどかしそうにしている。
喉を押さえてなんとか声を発しようとする邪神に、幸助は手を向ける。
「無理に話さなくていい。声が届いていて、頷きとかで意思表現できるだけでも十分。俺たちがここにきたことを話すよ、いい?」
邪神はこくりと頷く。
ウィアーレの紹介をしたあと、ミタラムから聞いた話をしていく。
聞いていくうちに邪神の表情は戸惑いに染まっていく。力が小さくなり、死を待ち望んでいたところにいきなり神に戻ることができるかもしれないと、話をもってこられて嬉しく思うよりも先に信じられないといった思いを抱いた。
話が本当ならばとても嬉しいことだ。ここから解放されて、以前の暮らしができる。神に戻ることよりも、当たり前の生活ができることが嬉しい。
けれど本当に上手くいくのかという不安もある。
幸助たちは完全に邪神の状況をわかっているわけではないので、励ますといったことはできず、邪神の不安は晴れない。
説明を終えて、始めるという幸助たちに、おずおずと頷きを返す。
ウィアーレと邪神は結界越しに手を重ね、歪みの操作をしていく。
(あ、もしかしたら前見た夢で聞いた声ってこの人の?)
ふとウィアーレはそんなことを思う。感じた親しみを思い出し、少しだけ目の前の邪神に対して不安がなくなる。
小さく浮かんだウィアレーの笑みを見て、邪神は首を傾げた。
「コースケさん、切り離してみるから道具を」
「切り離すことはできそう?」
「大丈夫っぽいよ」
コースケは水晶玉を持ったまま、腕を結界の向こう側へと通す。
結界越しではない触れ合いができると邪神が手を伸ばす前に、歪みが動く。
邪神の周囲を漂っていた歪みは水晶玉に吸い込まれていく。じょじょに水晶玉は黒く染まる。
水晶の変化とシンクロするように、邪神にも変化が起こる。髪と目から濃さが抜けていくのだ。
「ん、これで体から全部出せた」
ウィアーレが作業を終えると、もともとの色だったのだろう明るい緑色の髪と蒼穹を思わせる色の目に変わる。
数秒遅れて、歪みの回収も終わる。透明だった水晶は、黒曜石を思わせる艶のある漆黒の玉になっている。
『おつかれさま。作物を司る神エイワーズ、邪神から神への変化見届けた。こちらに戻るよう手配するから、じっとしてて』
エイワーズが邪神になる前には、まだミタラムはいなかったので声に聞き覚えはないが、このような話しかけ方は神くらいしかしない。
その声が話した内容を理解すると、表情を喜色で染める。
「ミタラム、この玉はどうしたら?」
『それはそっちで預かってて、ウィアーレならそれから歪みを引き出して自在に使える。村の警備に歪みを使うのなら役立つはず』
「いいの? わりと大量にあったから、これを使えば世界に影響を及ぼす大きなことできそうだけど」
『するの?』
しないだろうと信頼を込めて問う。これまでの付き合いで、そんなことをしないとわかっているから安心して預けるのだ。
ミタラムの予想どおり、二人は首を横に振った。
「村の地下に保管ってことで」
「うん、それでいいよ」
「じゃあ、俺たちは先に帰る」
そうエイワーズに言うと、なにか言いたそうに必死に声を出そうとする。
「あぁ……あ、り、が、と」
かすれた声だが、笑みとともになんとか出せたその言葉にはとても大きな思いが詰まっていた。
感謝の思いを受け取り、二人はエイワーズに笑みを返し、転移札で家に帰る。
その一分後に、エイワーズも神々の住処へと移動してもらえた。
奇跡といってもいい帰還に、神々は大いに沸いた。
皆、古い仲間の帰還を歓迎し、過ごしてきた無為の時間を思い、ゆっくりと休むように勧める。
自身がいた頃とは顔ぶれは変わっており、淋しさを感じるが帰ってこれたという安らぎを抱いて目を閉じる。帰還のきっかけとなったカイラードにも感謝の思いを抱きながら。
一方で計画が失敗した形となったカイラードの仲間たちは、再度の挑戦を試みるため動き始める。
しかし準備を整えても、邪神がいなくなったことなど知ららないため使用する邪神域はここから変えず、そのため失敗続きになり、やがてこのグループは離散することになる。
もう一つのグループも将来セクラトクスが弟子だったシェジンの仇をうったことでリーダー格を失い、動きは沈静化することが確定していた。
以前より燻っていた火種は三年以上の月日をかけてようやく消えることになる。魔物が大暴れした事件の決着がようやくついたといえるだろう。
感想誤字脱字指摘ありがとうございます