1-3 別れと出会い
※冒頭に18禁描写に近いものがあります
不快な方は最初の会話まで読み飛ばしてください
日が落ちて幼子は寝ようかという時間、ベッドの中で男女が絡み合っている。
肉のぶつかる音、濡れた音、荒い息遣い、連続した細い喘ぎ声。暗い部屋の中での行為はすでに終わりに近い。
一際大きな声を女が上げて、ぼうっとした表情でベッドに寝転がる。透けるような白い肌には汗が滲み、顔は上気している。男の方もうっすらと汗が滲んではいるが、女ほど体力を減らした様子はない。
倒れた女をほったらかし、男は裸のままベッドを離れて風呂に向かう。
汗などの体液を洗い流し、水を拭き、服を着込んでいく。女のいる部屋には戻らず、別室にゆっくり向かい、椅子に座りそこにあった酒を飲み始める。
そこに一人の身なりのいい男がやってきて、下心を隠さないにやけた表情で話しかける。
「セクラトクス様、終わったのですか」
「ああ」
ちらりとも視線を向けず、気のない返事を返す。
「どうでしたか? この国一番といわれる彼女の体は?」
「ふんっ、よその国で出された者と変わらん」
「どこの国も考えることは同じということですか」
「同じすぎてつまらん。たまには変わったことをやってみせろと」
「それは手厳しい。それにしても羨ましいですな、各国の美女を味わえるというのは」
にやりと笑みを浮かべる男と違い、セクラトクスはつまらなそうな表情を浮かべるだけだ。
無言で酒を飲むセクラトクスに気を悪くした様子のない男。目的は達したのだ、英雄の機嫌が良かろうが悪かろうが関係ないのだ。あとは今回のこれが無事結果を出せば万々歳だ。
世界中を回るセクラトクスに、各国の王はわが国に留まってくれと頼み断られ続けた。セクラトクスの力も存在も魅力的で、どの国も欲しがるのは当然だ。
しかしセクラトクスにとっては各国に魅力はなく、留まる気は少しも湧かなかった。各国の強者と呼ばれる者、手ごわい魔物と戦い、そういった存在が見当たらなくなると次の国に向かうということを繰り返す。
セクラトクスを引き止めるため各国は、富や権力や領地を提供したが無駄だった。セクラトクスが求めるのは強者なのだ。富は魔物を倒せば必要分は手に入れることができるし、権力や領地には関心が湧かない。
あまりに素っ気ないセクラトクスに、強硬手段に出た貴族もいた。誰もなしとげていないセクラトクス入手、これを成せば権力が手に入ると逸った。
したことは当時同行していたシルバとシェジンに薬を盛って、人質として隠した。人質の無事を交渉材料にしようとしたのだが、結果は貴族の家全壊。策に暴力で対応し、怯える貴族から人質の居場所を聞きだし助け出した。
貴族はセクラトクスを甘く見ていた。噂を信じたことで高潔な人物だと勘違いし、人質をとれば身動きできなくなるだろうと考えたのだ。そのつけが屋敷の全壊で、さらに王に今回のことが知られ、自国の心象を悪くしたということで爵位繰り下げ領地半分没収となった。
このことはセクラトクスが隠さず、笑い話として話したことで他国でも知られることとなった。めんどくさいので暴れさせるなという隠れたメッセージを、聞いた側はきちんと受け取り以後人質を取ることはなくなった。
この一件で伝承どおりの人物ではないと各国は思い知る。
それでも力は欲しいという思いは変わらず、留まってもらうことのかわりになにか自国のためになることはないかと、貴族たちは知恵を出し合い閃いたのが、子供を得ようということだ。この考えは人づてに話しを聞いたり、他国でも思いつく者がいて、セクラトクスは各地で子作りに励むことになった。
これを聞き入れる必要なかったのだが、女遊びが嫌いというわけもなく、まあいいかと引き受けたのだ。
「上手くいけばいいんだがな」
「なにかいいましたかな?」
「いや、ちょっとした独り言だ。気にするな」
小さな呟きを男は聞き逃し、聞き返す。それにセクラトクスはなんでもないと首を振る。
こう言ったのにはわけがある。今まで四十人以上を抱いてきたが、一人以外は誰も妊娠していないのだ。それを理由と一緒にコーホックから聞いたことがある。
妊娠したのはシルバ。そのシルバは今は故郷に帰って子育ての真っ最中だ。
シルバ以外に妊娠しなかったのは、なにかしらの細工を施したからではない。きちんと理由があった。
それはセクラトクスと女の強さに差があるからだ。具体的に言うなら、平均ステータス差が三つ離れた者だと子供は生まれないのだ。
男側の方が強いと精子が卵子を壊し、女側の方が強いと卵子が精子を受け入れない。
貴族たちが用意した女は容姿が優れ教養がある者が多かった。けれども強さは、皆E以内で誰一人としてDに入るものはいなかった。一方シルバとの差は三つも離れていない。子供を作るのになんの問題もなかった。
ちなみに幸助たちに当てはめると、エリスとの間には子供はでき、ウィアーレとでは一ランク足りない。おまけにボルドスはというとクラレスが危なかった。
こういった事情を人間は知らない。問題になるほど強くなった者がとても少なかったせいだ。そしてそこまで強くなる者はほかのことを切り捨てて鍛錬に励む。子作りする暇などなく、こんな問題があると知られることはなかった。
セクラトクスも世界中に子供がほしいわけではないので言うつもりはない。
翌日、この街でやることはなくなったセクラトクスは貴族に短く分かれを告げて、街を出る。
次にどこへ行くかは事前に告げてあるので、今頃は歓迎準備の真っ最中だろう。といってもあちこちに寄り道するので、いつごろ着くかはわからないのだが。
一人進むセクラトクスの姿は、旅用の丈夫な服と荷を入れたリュックに以前もらったハルバードだ。ハルバードと一緒にもらった鎧はシルバに預けてある。普段から使うには邪魔だった。
襲ってくる魔物も賊も皆斬り捨てて、旅を続け小さな町に到着した。次の目的地ではなく、ただ単に向かう先にあった町だ。
街に入って英雄が来たと騒がれることはない。英雄が復活したと知っている者は多いが、顔を知る者は多くはないのだ。加えて英雄が一人で行動しているとは思っておらず、噂話で風貌を聞いたことがあっても、実物を見てそっくりさんと考えるのだった。
宿をとらずに酒場に入り、カウンターに座りまずは酒を一杯頼む。
「おっこれはうめえな」
お勧めを頼み、出てきた一杯に口をつけた途端、表情が綻ぶ。
貴族に出される酒ほど高価ではないが、気分的にはこちらの方が美味いと思えた。
「でしょう? コウマから入ってきた米というものから作られる酒だそうですよ。今まで飲んでいたものとは違った味わいで、なかなか人気がある酒です」
「おー新しくできた酒か。酒飲みには嬉しいことだな」
「ええ、私も酒飲みの一人として喜んでますよ」
つまみとして焙ったスルメを出す。これも美味いと言って酒がすすむ。
「いい飲みっぷりです」
「酒もつまみも美味いからな。止められねえよ」
上機嫌に笑うセクラトクスに、店の主人も笑みを浮かべて頷く。
そんなセクラトクスの隣に、一人の男が座り、同じ酒を注文する。
そんな男をちらりと見て一瞬気づかなかったが、すぐに誰か思い出す。気づかなかったのは以前はなかった暗い雰囲気をまとっていたからだ。
「お? おおっ!? シェジンじゃねえか!」
「お久しぶりです、師匠」
シルバが出産のため故郷に帰った時、シェジンは護衛として一緒について行き、そのまま別行動していた。二人が会うのは約二年ぶりだ。わかれた後も鍛錬は怠っていないのだろう。わかれた時よりも逞しくなっている。
「会うとは思ってなかったな」
「師匠がいる国がわかって、次に向かう国もわかったんで待ってたんですよ」
「いつ来るかはわからんだろうに」
「そうですね、だから一ヶ月だけと期限をつけてますよ。ちなみに今日で十日目です」
「そうか、再会祝して乾杯と行くか?」
「はい」
シェジンは目の前に置かれたグラスと手に取り、セクラトクスの持つグラスに軽く当てる。
「師匠、シルバさんに会いに行ってます?」
「たまにな。行くたびにエスペラが大きくなっていく」
「名前、エスペラってなったんですね。たしか女の子でしたか」
「ああ」
「一度くらいは見たいですね」
「半年ほどしたら会いにいくつもりだから、一緒に行くか?」
「ちょっと無理ですね」
残念だと表情を曇らせる。
なにかしらの用事があるのだろうと、セクラトクスも残念そうな表情となる。
「俺とわかれてシェジンはどう過ごしてきたんだ?」
「俺ですか? 冒険者してましたよ? 仲間ができたり、魔物を倒したりですね」
「仲間か。この村にいるのか?」
「いえ、ちょっと依頼でどじ踏んでしまいまして」
「そうか」
死に別れたのだろうと、シェジンの暗い雰囲気から読み取る。
再会を喜ぶ雰囲気は消えて、二人は静かにグラスを傾ける。
「明日でも明後日でもいいんで、久しぶりに稽古をつけてくれませんか? どれだけ腕を上げたかも見てもらいたいし」
真剣に、真剣すぎるともいえる口調でシェジンは頼む。仲間を助けられなかった弱い自分を許せないのだろうと判断し、断ることでもないのでセクラトクスは追求することなく受けた。
「いいぞ。明日にでもやるか」
「ありがとうございます」
稽古と酒盛りで少しは元気付けられたらいいがと思いつつ、明日に日々かない程度に酒を飲んでいく。
酒盛りが楽しかったのか、セクラトクスに会えたことが嬉しかったのか、シェジンの雰囲気から少し暗いものが減る。
翌日、たっぷりと寝て体調を整えた二人は町の外に出て、草原まで歩き武器を構える。
互いに動かず、さぁーと風に草が揺れる音だけが聞こえる。
「いきます」
「こいっ」
シェジンが動き、上段から剣を叩きつける。それをセクラトクスは柄で受ける。
「力強くなったな」
それにシェジンは笑みを浮かべ応え、さらに剣を振るう。縦横斜め突きと剣は振るわれ、セクラトクスはその場から動かず、柄で受け、体を揺らし避けていく。
「動作の無駄もだいぶなくなったか。腕を上げたな」
「ありがとうございます」
「じゃあ、こっちからも動くぞ」
「うっす」
その場から動かなかったセクラトクスが攻撃に転じる。
「そらっ」
「あぐっ」
袈裟斬りを受け止めると、石突が跳ね上がり左わき腹に叩きつけられる。
「もういっちょだ」
「ぐっ」
横薙ぎを下がって避けると、素早く踏み込んでの回し蹴りが右わき腹に当たる。
「甘いぞ」
「がぁっ」
ハルバードを振るわせまいと接近戦を挑むと、ハルバードをその場に捨てて肩からの体当たりを喰らう。
「本気ですね」
「ああ、いつも本気だったろう?」
「懐かしいです」
実力差経験差故に相手にならなくとも、シェジンは嬉しげな様子だ。変わらずに強者でいるセクラトクスと戦えることが嬉しい。
嬉しいといってもシェジンも戦士だ。一度くらいは有効打を当てたい。気合を入れて、剣を握る手に力を込める。防御を捨てて、痛みは我慢し剣を振るう。
「それが正解だろう。この場で死ぬということはないんだ。攻めに集中した方が得策というものだ」
強引に攻めるようになり、攻撃が掠るようになる。
「不満そうだな? 当たっているのに」
「当たってるって言っても、かすり傷にすらなってないし」
「そう簡単に有効打はもらってやれないな」
「……必ず一撃当てます!」
シェジンは覚悟を決め、何かを狙った顔つきになる。覇気というのだろうか、強い意志を受けてセクラトクスは口の端を上げる、
「ほんとに成長したんだな。以前のお前なら諦めていただろうに」
「諦められない理由がありますから」
この後は無言で互いの武器を振るう。
そしてすぐにその瞬間は来た。
大きく踏み込んだシェジンに、セクラトクスは左から右へと薙ぐ。それをシェジンは避けることも、剣で受け止めることもせず、右手に持っていた剣を放し右腕でハルバードの刃を受けた。
シェジンは腕に篭手などつけていない。そんなことをすれば当然、腕は刃によって深い傷を負う。
血を流すシェジンにセクラトクスは動揺を見せ、その隙をついて左拳をセクラトクスの胸に当てた。
「一撃当てました」
痛みを我慢しつつも、笑みを浮かべる。そんなシェジンをセクラトクスは怒鳴りつける。
「馬鹿野郎! たしかに命を賭けた場ならそれは有効だ! だが稽古の場でそれをやるな! 無駄に腕を失うことだぞ!」
「言うことはわかります。でもどうしても今日一撃当てたかった」
渇望の思いが言葉に込められており、腕一本など惜しくもないとわかる。
「どうしてだ? 無理に一撃当てる必要はないだろう?」
「いえ、今日でないと次はない」
「無理を通す訳があるんだな? 話せ」
シェジンの腕に血止めを施し、弱い治療魔法を使う。これで傷だけは塞ぐことができる。動かすとすぐに傷が開く程度の魔法だ。強力な治療用魔法は使えないのだ。
「寿命がもうなくて」
「寿命がない?」
「仲間が死んだと言いましたよね? その時俺も重傷を負って、体になにかを施されたんです。傷は塞がりましたが、体の芯からなにか零れ落ちるような感じがしているんです」
「それが命の源だと?」
「はい」
そんな馬鹿なと思うものの、いっきに顔色を悪くしたシェジンから生気が感じられない。
「弟子からの最後の頼みを聞いてもらえませんか?」
最後などと言うなと言ってやりたかったが、セクラトクス自身も思っていないことを言っても嘘だとばれる。
思いを胸に押し込めて、セクラトクスは頷く。
「施されたことで俺は化け物に変わりました。今は我慢していますが、それもすぐにできないように。誰かに迷惑をかける前に討ってください」
「……わかった」
「ありがとうございます。最後に迷惑をかけてごめんなさい」
「弟子の我侭の一つくらい聞いてやるさ」
安堵したようにシェジンは目を閉じて、体から力を抜く。
そっとシェジンの体を横たえる。すぐに体の変化が起き始めた。
体全体に筋肉が増え、茶の体毛が体を覆い、両手が犬の頭部に変わる。両肩からは蛇が生え、歯は鋭い牙に変わり、額には捻じれた角が生えた。
この変化をセクラトクスは目を逸らさず瞬きせず、見届けた。
「誰がなにを考えて、こんなことをしたのかはわからん。だがお前がなにかやろうとしたのなら、変わったシェジンがやらかす前に俺が斬る! そしてシェジンを変えやがったお前も俺がぶっ殺すっ!」
変化の終わったシェジンを通して、誓いよ届けと大声で怒鳴った。
セクラトクスはシェジンが死ぬような目にあったことだけを怒っているのではない。戦って死ぬのは当たり前のことで、それならば怒りは感じても相手を殺そうとは思わない。
怒っているのはシェジンの命と肉体を汚すような真似をしたからだ。
「う゛るぅっ」
唸り声を上げつつ、シェジンだった者は立ち上がる。光を宿さぬ目には意思はなく、獣にも劣る。
それが動き出す前に、称号を換えたセクラトクスは目にも止まらぬ速さで近づき、胴を真っ二つに斬った。その動きの余波で、草が広範囲にわたって舞い散った。
「力が強いだけの人形だ」
その場に穴を掘り、シェジンだった者を埋める。
町に戻ったセクラトクスは荷物をまとめて、町を出る。向かう先は幸助のもとだ。
その途中で次の目的地である都市に寄ったのだが、怒りを内に秘めたセクラトクスを止められる者はおらず、どうにか再会を約束して見送るだけで精一杯だった。
「ここに来たのはシェジンをあんなふうに変えた奴の情報を知りたいからだ」
「そっちもそんなことが。コーホックかミタラムに聞けばなにかわかると考えた?」
「そのとおりだ」
聞いてみると幸助は言って、目を閉じる。三分ほど黙ったままの幸助は時々小さく頷いている。納得した表情も浮かんでいる。
「改造を施した奴のことと、拠点どっちから聞く?」
「あんなことをやった奴からだ」
「三年前に起きた騒動。あれの発端に天才がいると聞いてる?」
「ああ」
「今回のことは、その弟子がやったことなんだとさ」
仇討ちというわけではなく、自身の研究成果を世界に撒き散らしただけなのだと付け加える。
シェジンが改造されたのは偶然ではなく、セクラトクスにぶつけるためだった。もともと天才の弟子としてはぶつけるために使う人材は誰でもよかった。
キメラの材料集めをしている時、偽りの依頼に嵌って運ばれてきたシェジンを見て、セクラトクスの近場にいた者と思い出した。いい試作品になるだろうと改造を施したのだ。憶えていなかった場合は傷の深さもあって使えないと判断し、廃棄していただろう。
セクラトクスにキメラをぶつけようと思ったのは、一番強い人間だと思っていたからだ。最強の人間に最高の作品をぶつけ、勝つことで研究の成果に満足するためだ。
しかしながら改造されたシェジンは最高傑作ではない。試作品の一つにすぎず、どの程度戦えるか試すための道具だった。最高傑作に至るまでの踏み台にすぎない。
実はセクラトクスとシェジンが戦った時、少し離れた場所に天才の弟子はいたのだ。戦いの結果を見て、セクラトクスの力量の一端を掴んだ。
本気を出させたシェジンに、弟子は少しだけ価値を認めていた。それはシェジンにとって救いにはならないし、道具の一つという認識は変わらなかったが。
「人物に関してはこんなところか。人相はこんな感じ」
さらさらと似顔絵を書き上げる。その絵を穴が開くかというくらい強く睨むセクラトクス。
「隠れ家はペレレ諸島の小さな島」
言いながらペレレ諸島の地図を書き、居場所に丸をつける。
「ペレレ諸島までなら転移で送れるけど、どうする?」
「頼む」
今から行くかと聞く幸助に頷きを返す。
早速転移の準備をして、現地に飛ぶ。向かう先はコウマの港町の一つだ。
転移した場所を書いた地図で示し、そこで幸助は分かれて家に帰る。セクラトクスも手伝ってくれとは言わなかった。一人で思いっきり暴れたかったのだ。
港から徒歩と船での移動で八日。それだけ離れたところにある小島に上陸する。
島の広さは体育館くらいか。木がまばらに生えており、島の中心には人よりも大きな岩が埋まっている。
「入り口は隠されているんだっけか」
本来ならば合言葉で開く岩肌に偽装した扉を、セクラトクスは蹴り砕き中に入る。
侵入する時は大きな音を立てないのが普通だが、今回は侵入したことを知らしめるためわざと音を立てた。
音に対する反応はない。警備どころか、誰かが動く気配すらない。罠もない隠れ家を歩き回り、誰もなにもいないことが判明する。
「捨てられた隠れ家なのか? いや食料はあった、ただ留守にしているだけか?」
少し考えて、しばらくここに滞在し戻ってくるのを待つと決めた。幸い種類が偏っているものの食料は半月分はある。
そうと決めると寝床を決めて、隠れ家の中を念入りに調べ始める。ここのほかにも隠れ家を持っていて、そこの情報がわかるかもしれないのだ。
探すと書類は簡単に見つかったが、内容は理解できなかった。これはセクラトクスが現代の文字を完全には理解していないためだ。
幸助の住んでいた日本でも昔と今では文字が違う。こっちの世界でも文字の変化はあったのだ。
「内容さっぱりわかんねーな」
燃料にはなるだろうと火にくべる。セクラトクスにとっては意味のないものだったが、後々これが残っていると役に立ったのではないかと思う時がくる。言っても意味ないことだが。
ここで過ごし始めて八日目、セクラトクスは島に近づく小船を見つけた。
上陸してから姿を現そうと木陰に隠れて様子を窺う。
「間違いねえな」
遠目に見える顔が幸助にもらった似顔絵と同じだった。
天才の弟子が小船から十分離れたのを見て、セクラトクスは木陰から姿を出す。
「あなたは」
目を軽く見開いてセクラトクスを見る。ここにいることに驚いて、瞬時にその目的を悟った天才の弟子は好奇心に満ちた笑みを浮かべた。
「仇討ちですか? どうしてここを知ったのか、どうして私のことを知ったのか、非常に気になりますね。あの時それらを知る暇はなかったはず」
「お前と語ることはなにもねえよ」
天才の弟子との会話を拒否して、ハルバードを構えて走る。
風のように速い接近に対して天才の弟子を落ち着いて、手を上げる。たちまち腕が木の表皮のように変化し、ハルバードを受け止める。
「完全に弾くと思ったのですが、食い込みましたか。さすが英雄」
「……」
それに応えず、称号を切り替えてハルバードを下から斬り上げる。その動作は天才の弟子には見切れず、突き出していた腕は肘手前から斬り落とされた。どれほどの重さがあるのか、落ちた腕は土に食い込む。
痛そうな表情となった天才の弟子だが、切り口はすぐに塞がれた。
「以前見た本気がこれですか」
もう一度振るわれたハルバードをもう片方の腕を犠牲にしてなんとか避ける。
それを合図に天才の弟子は体を変化させる。シェジンに施した改造を自身にも行っていたのだ。シェジンたちを参考にしてより完成度を高めた。
変化はシェジンのように大きくはなく、すっきりとしたものだった。肌の色が青白くなり、斬れた腕はヒレがついて再生し、額からは二本の髭のようなものが生え、足は一つにくっついて鱗が現れ、尾びれも現れた。
人魚のようにも、新種の魔物のようにも見える。
「まだまだあなたには敵わないようです。次会う時はさらに強くなっています。楽しみにしていてください、ではごきげんよう」
セクラトクスが攻撃を仕掛けてくる前に、尾びれで地面を強く叩いて海まで大きく跳ねる。
セクラトクスが浜に走り寄った時には、既に天才の弟子の姿は海のどこにもなかった。
また幸助のところに行かなくてはと、逃した自分の頬を殴り、島を出る。
天才の弟子の追跡は、神からの情報を得ても二年以上かかった。
二度追いつきまた逃して、四度目の出会いで殺すに至る。
その殺害で世に一つの病気が生まれることになる。それは魔物を食べるとその魔物の特徴を体に宿してしまうことがあるというもの。
天才が研究していた伝染する呪いと、天才の弟子が研究していたキメラ化が組み合わさり生まれた奇病。後の世に獣化病と呼ばれることになる病だ。
天才の弟子から流れ出た血が水に混ざり、海に流れ、雨となり、世界に広まったことで生まれたのだ。
これにより天才の弟子は、世界に自身の研究成果を広めるという目的を果たしたことになる。
同時に目的を達成するという天才ができなかったことを成し遂げ、師匠超えたといえる。
まあセクラトクスには関係なく、気づきもしない話だが。