剣にまつわるエトセトラ 後
事故現場までは徒歩で三時間と近い方だ。そこまで二人は空を飛んでいったので、一時間とかかっていない。
事故現場は山の中腹一歩手前といった場所で、山肌が露出したちょっとした広場になっている。こういった広場はこの山には三箇所あり、ここは一番麓に近い場所だ。
山肌が露出しているのは、そこにある鉱石を求めて掘られたからだ。その鉱石は浅い部分にあり簡単に取れるようで、穴と呼べるほど深いものはない。バハルが落ちたのは山肌から四メートルほど離れたところで、角度八十度近くの坂というか崖となっている。
崖下まで十五メートル弱といったところで、背の低い木が生えている。木がクッションとなり死ぬことはなかったのだろう。
魔法を使うかロープなどを持っていなければ、降りることは難しい。近くに崖下に行く道もなく、弟子がすぐに助けに行けなかったのは仕方のないことだとわかる。
広場の広さは、二十人の人間が集まれば押されて落ちてしまう可能性もあるといった感じで、二人で来ていたのならよほどのことがないかぎり落ちはしないだろう。
『鉱石が転がって、それを拾うために崖に近づいたら強風に押され、前のめりに落ちた』というのが同行していた弟子の証言だ。
「この位置から体を押す風は、山から吹き降ろしの風。人を押すくらいだから強いはず。そんな強い風なら麓にも届いてるはずだよね」
「そうじゃの。麓に建物があったから、あとで聞いてみるか」
現場に来て冒険者や警備兵も同じ疑問を抱き、同じように聞いていた。
事故当日建物にいた人の証言だと、確かに強めの風は吹いていた。だがそれが人を動かせるものかはわからないということだ。
次に二人は崖から降り、落下現場を調べる。落下の際に折れた枝が目立つくらいで、ほかは時間が経ってわからなくなっている。
「特に変わったところはないね」
「時間も経っとるしのう」
「ここから移動して、無事に麓に移動できたとしてキューハン方面にはでないみたい。高い所から落ちたんだし、まずは近くの村とかに行って休むよね? 行ってみる?」
「それはほかの者たちも考えるじゃろうし、見つかったという情報がないから外れじゃないかの?」
「そっか。一応山のどこかに監禁されてないか探し回ってみる?」
「魔法も使って探してみるか」
以前幸助を探す時に使った魔法の亜種、魔力に反応する探索魔法と透視魔法で人並の魔力を探していく。山が大きくないといっても、それなりに広いので一日では終わらず、三日間山中を探し続けることになった。結果は無駄足。魔法に反応したのはどれも魔物ばかりで、山にいるとしたら死体となっているということだ。
「一度依頼人の元に戻るかの。新たな情報が入っておるかもしれんし、山にはいないということも報告しておきたい」
エリスの提案で、オーボワット工房に戻る。
「こんにちは。今日はどうしたんです?」
武器を運んでいたイレノスが入ってきた二人に気づく。
「報告と情報が入ってきていないか聞きにきたのじゃよ」
「そうですか。まずは報告からお聞きかせください」
「山を魔法も使って探してみたが、いるとは思えなかった。まだ山にいるとしたら死んでいるとしか思えんのう」
「……そうですか。まだ生きていると仮定して、捜索を続行してください」
仮定と言うあたり、バハルが無事でいると無条件で信じているわけではないらしい。
高所から落下して行方不明と、不安材料が二つ揃っているのだから無理はない。
「新しい情報は入ってきてないですね。警備兵たちも捜索を打ち切ることになりました」
「打ち切るの?」
「はい。探し始めてそろそろ二十日です。これだけ探して見つからないのだから、魔物に食べられたのだろうと考えているようです。そうではない可能性を訴えたのですが、警備兵も捜索だけに時間を割くわけにはいかないと言われました」
イレノスが知る情報の裏で、一度捜索を止めたようにみせかけて、なんらかのアクションが起きるのを待つという判断もある。弟子からまだ情報を引き出せていないのだ。油断して動いてくれることを期待している。
このことは公表してしまっては意味がなく秘密にすべきことなので、イレノスは情報を得ることができなかった。
「現状での手掛かりは弟子くらいじゃの。一度会った方がよいのかな」
「ワレイドア工房に行くと、ユシルさんたちが不安がるかもしれないので、家を教えましょう」
すぐに教えられた家に向かう。弟子は一人暮らしで、長屋のような建物の一部屋を借りて暮らしているらしい。
時刻は昼前で、通常ならば働いている時間だ。いなければ夕方にでもまた来ようと、幸助は扉をノックする。
「ん?」
「どうした?」
「なんか視線を感じたんだけど」
扉をノックした瞬間、複数の視線が感じられた。気づいていると悟らせないため、振り返ることはしなかった。エリスも同じように振り返ることはしなかった。もしかすると行方不明に関連することかもしれず、泳がせた方がよいと判断した。
弟子は出かけていなかったようで、玄関に近づいてくる気配があり、扉が開く。
出てきた男は、店員に聞いていた特徴を持ち、弟子本人だとわかる。
「どなたですか?」
「ワレイドア工房さんの息子さんについてお聞きしたいことがありまして」
「そのことでしたら既に話したでしょう?」
警備兵の一員と勘違いした弟子が顔を顰めて答えた。
「いえ一度も聞いてないのですが」
「私たちは警備兵関連ではなく、オーボワット工房からの依頼でバハルという人物を探しておる」
勘違いに気づいたエリスが指摘する。
「オーボワット工房……イレノスさんですか」
「はい、その通りです」
「親方や奥さんだけじゃなく、イレノスさんにまで心配かけてるんですね」
そう言って憂鬱そうに溜息を吐いた。
「当時のことについて聞きたいんですけどいいですか?」
「はい。答えますよ」
エリスと相談し聞くと決めたことを聞いていく。
「鉱石採取に行って風が吹いて落ちた。これに間違いはない?」
「はい。強く印象に残ってますから、さすがに忘れようがありません」
「落下して生きていることは確認しました?」
「崖に近寄って、下は見ました。ですが木々が邪魔で無事の確認はできませんでした。声をかけてみましたが返事もなかったです」
当時のことをしっかりと思い出すかのように目を閉じ思考し、スラスラと答える。
「その後の行動は?」
「麓の建物にいた人に落ちた場所を伝えて、俺は街に救援を増加を頼みに行きました」
「場所を伝えて一緒に行こうとは思わなかったのですか?」
「落ちた場所はすごくわかりやすい場所ですから、案内は必要ないと思いました」
「あとは救助に行ったらバハルさんはいなかったということですね?」
「はい」
イレノスから聞いた情報と変わらないのだが、エリスは二つ怪しさを感じた。
一つは淀みなく答えたこと。十五日前のことなのだから、少しは詰まってもよさそうだと思ったのだ。衝撃的で記憶に強く残っただけかもしれないが。
二つ目は、当時の行動が落ち着いているように思えた。知り合いが目の前で事故にあったのだから、慌てて当然だ。それなのに案内は必要ない、安否を気遣い同行しない、さらに多くの救助を求める、といったことを思いついている。冷静でいれば思いつくことだが、突発的に起きたことに対して慌ててとった対応としてはいささか不自然さを感じる。
事前に落ちると知っていれば、落ち着いた対応も取れるとエリスは考え、弟子が落としたのかもしれないと思いつく。
弟子とバハルの関係、その他の人間関係も一度調べてみようと今後の方針を決めた。
「聞きたいことはそれだけですか?」
「落ちた現場に争った形跡とかありました?」
「なかったですね」
「俺からは以上です。エリスさんは?」
「……いやない」
証拠が集まっていない状況で下手なことは言えないと、考えついたことを口に出すのは止めた。
「ありがとうございました」
「いえ、親方たちのためにも早く見つけてあげてください」
そう言って一礼し弟子は扉を閉めた。最後のセリフは心が篭っており、本当にそう思っていると感じられた。
これを聞いて、エリスは弟子犯人説の可能性を下げた。
二人は弟子の家から離れる。その後ろを誰か尾行しているのに幸助は気づいていて、エリスに伝えた。
「どうする? 撒く?」
「捕まえて、話を聞いてみるのも手じゃな。得た情報が少ないからのう。捕まえるとしても人の少ないところでじゃな。助けを呼ばれて警備兵に捕まるといったことにはなりたくない」
「ちょうどいい場所あったっけな」
この街を隅々まで歩いたわけではなく、ちょうどいい場所が即座には浮かばない。
「逆に尾行してみようか。路地裏に入って、幻をまとい変装して尾行してきた者の顔を確認して、尾行してみるというのはどうじゃ?」
「いい考え浮かばないし、それでいいと思う」
二人は魔法の準備をして、目に付いた路地裏へ入る。
路地に入り、急ぎ足でさらに角を曲がってすぐに魔法を使う。そして何食わぬ顔をして少し離れて表通りへと歩く。二人一緒だと怪しまれる可能性があると思ったのだ。
先を歩く幸助とぶつかるように警備兵の二人組が路地裏へと入ってくる。
「すまないが、ちょっといいか?」
「はい?」
「今ここに男と女が入ってこなかったか?」
「ああ、そこの角を曲がったみたいですけど。なにかあったんですか?」
「ありがとう。急ぐのでな、では」
もう一人も幸助へと頭を下げ、走って去っていく。それを見送り、変装したエリスを待つ。
「警備兵とは予想外じゃったの」
「だよね」
「おそらく弟子を怪しんで見張っていた警備兵に、私たちがなにか関連があると思われたのか」
「無駄足にさせちゃって悪いことしたね。今度呼び止められたら、依頼されたって言った方がいいかな?」
「そうしておこうか」
頷きあった二人は、イレノスの元へ向かう。バハルの人間関係についてなにか聞けないかと思ったのだ。
イレノスの知るかぎりではトラブルはなかったと聞けた。親しい人間も教えてもらい、その人たちがいる場所を回る。イレノスからの依頼だと前置きして、話を聞いていく。
得た情報では恨まれるようなことはしていないとわかった。時に喧嘩することもあったが、深刻な事態にはなっておらず、遺恨を残すようなことになっていない。ほかには一年前から好きな人ができて浮かれていたという情報も得た。それがこの街の人物ではなく、同じ鍛冶師だということもわかった。
好きな人と駆け落ちした可能性はないかと友人たちに聞くも、結婚のことを話した様子はなく、バハルの親も結婚を反対するような頭の固い人たちではないとのこと。
「情報は入ったけど、怨恨ではなさそうってことくらいかな、わかったのは」
「そうじゃの。駆け落ちという可能性も低いし、まだまだ情報が足りないな」
二人して、露店で買ったジュースを飲みつつ頭を捻る。
そこに一度撒いた警備兵が近寄ってきた。
「見つけたぞ!」
「あ、さっきはどうも」
「……慌てないな? 外れか?」
一度は撒いた自分たちを見て、全く動揺した素振りを見せない二人に警備兵たちは落胆の色を隠せない。
「バハルの件については無関係じゃな。私たちもオーボワット工房からの依頼で探しておるのじゃよ」
「オーボワット工房から?」
簡単に事情を伝える。
「そうだったのか。親しかったのなら心配して依頼することもあるか……そっちはなにか情報を掴んだのか?」
「そちらの情報も教えてもらえるとありがたいのう」
互いに情報を交換するも、似たようなもので進展はなかった。山にはいないらしいということと、怨恨の線はほぼ皆無と確定しただけだ。
「落ちたショックで記憶失って、どこかで養生してるとかは?」
思いついたことを言ってみた幸助に、警備兵は首を横に振る。
「この街と他所の村の医者のところに確認に行ったが、それらしい患者はいなかった。怪我の治療に来たということもなかった」
「死んでるって可能性が高まった気がする」
警備兵も幸助の言葉を否定できないのだろう、咎めることなく苦い表情を浮かべるだけとなる。
「弟子のことがなければ死んだと断定されてもおかしくはないの。弟子から無理矢理にでも聞きだすべきなのか」
「今のところ唯一つの手がかりだから、手荒なことをして手がかりを失いたくないんだ。だから見張りだけで済ましている。じゃあ、俺たちは仕事に戻る。なにか情報を得たら警備兵の休憩所まで来てくれ」
この後警備兵はオーボワット工房に向かい、二人が本当に依頼を受けたのか確かめて仕事に戻った。与えられた情報を鵜呑みにするほど素直ではないのだ。
ジュースを飲み終えた幸助たちは、今後の動き方を決めてからオーボワット工房に向かった。ライバル店の場所を聞き、そこを透視して監禁されていないか調べてみようということになった。ごり押しだが、今のところそれくらいしか手はない。弟子の動きは気になるが、今は警備兵に任せようということになった。
教えてもらったライバル店はこの街に二箇所、他所に四箇所といったところだ。位置が離れている店もあり全部回るのは三日ほどかかるだろう。
その日の内に街にある店とその店所有の倉庫を見て回り、いないと判明した。
次の日から外回りを始め、二日目のとある村で幸助たちは弟子が歩いているのを見て、即座に隠れ後を追い始めた。
バハルとは無関係の用事でここに来たのかもしれないが、念のために尾行してみることにしたのだ。既にこの村にある工房は見て、空振りとわかっていた。
弟子は二人に気づかず、村はずれの一軒屋に入る。一階建ての一般的な家屋だ。外から見るとぼろく、人が住んでいるようには見えない。
「中を見てみる」
エリスは透視の魔法を使い、中の様子を確かめる。弟子の姿を求めて視線を動かし、下に視線を向けた時にエリスは動きを止めた。
弟子のそばに、男と女がいる。男はイレノスから聞いていたバハルの特徴に当てはまる。オーバーオール姿の女の方は見覚えはなかった。申し訳なさそうな弟子が何かを話していて、それをバハルたちが聞いている。話しが終わるとバハルと女は首を横に振る。それを見て弟子は大きく溜息を吐いた。
バハルはロープで縛られたりしていないので、あそこには自分の意思でいるのだろう。
「いた?」
「ん、ああいる。弟子とバハルともう一人、知らない女がいる」
「女? バハルさんのことを聞いて出てきた女っていえば好きな人くらい。その人がそうなのかな?」
「おそらく」
エリスから見て、仲が悪そうには見えない。
「これで依頼は達成じゃの」
「あ、そっか。見つけるだけで良かったんだっけか。理由も探らないとっていつの間にか思ってた」
「それは親や警備兵たちと話し合うだろうさ」
二人が頼まれたのは、バハルの捜索と誘拐されていた場合の救出で、どうして行方不明になったかの調査は受けていない。どのような理由があろうと関係なく、バハルを見つけだせば依頼達成なのだ。
イレノスとしては探していくうちに理由もわかると思っていて、理由の調査は口にしなかったのだ。見つかったことは確かなので、こういう見つかり方でも依頼達成だと認めることになる。
この後バハルがここから動かないか、ほかに誰か来るか、などを確かめるため三時間ほど見張り続けた。
その間に弟子と女が出てきてどこかへ去っていった。幸助が女を尾行し、どこの誰か探る。行った先はこの村に探りに来た工房だった。
「ライバル店の関係者じゃと?」
「そうだと思う」
「ライバル店がバハルを誘拐、はないかあの様子だと」
誘拐ならば逃げ出さないようにするだろう。しかしバハルは拘束されておらず、空き家の施錠もされていない。いつでも逃げ出すことが可能なのだ。脅されているから逃げ出せない、と言うにはバハルと女の様子はギクシャクしていなかった。
「どうなっておるのやら」
「後で聞けたらいいけどね」
その言葉にエリスは頷く。
バハルが移動する様子も逃げ出す様子もないので、二人はキューハンに戻り、オーボワット工房へと向かった。
「見つかったぞ」
「本当ですか!」
店に入って短く告げたエリスの言葉を聞き、持っていた書類を床に落としたイレノスはエリスに駆け寄る。
「で、どこに? どうして行方不明に?」
「どこにいるかはわかったが、どうしてかはわからぬままじゃよ。親を連れて行って直接聞けばよい」
「探している途中で理由がわからなかったんですか?」
「誘拐されたわけではなさそうだとはわかったのじゃがな」
見つけた経緯を話す。
「しらみつぶしで行っていた最中で、偶然見つかったと。それは運が良かった。そういうわけなら理由はわかりませんね、納得です」
「それで今から会いにというか、捕獲に行くか?」
「行きましょう。ユシルさんたちも一緒にいいですよね?」
「ああ、構わんぞ」
「じゃあ急いで旅支度してきますから待っててください」
そう言って背を向けたイレノスに、エリスが声をかける。
「転移の魔法で行くから旅支度する必要はないぞ?」
「転移、ですか? 急ぎの荷物を届けてもらいたい時にギルドに依頼するんですが、それと同じ魔法ですか?」
「同じじゃ」
「使える人って優れた魔法使いって聞いていましたが、優秀な人に依頼していたんですね私」
そこまで優秀だとは思っていなかったのだ。
それならばと、他の店員に後を頼み、ワレイドア工房へ向かう。
「ユシルさん! バハル君見つかりましたよ!」
工房に入り、店の奥まで聞こえるように大声を出す。すぐに奥から人が急いで出てくる音がした。
ユシルとマイナルが嬉しさと不安を混ぜた表情で出てきた。
「イレノス! 今の本当なのか!?」
「イレノスさん!」
二人はイレノスに縋るように近寄る。その二人に笑みを浮かべて頷く。二人は安堵してその場に泣き崩れた。
十分ほど床に座り込んでいた二人を、イレノスは慰める。そうして二人は涙を拭って立ち上がった。そこでイレノス以外に人がいることに気づく。
「あら? あなた方はたしか……」
「この人たちがバハル君を見つけてくれたんだよ」
「ありがとう! ありがとう!」
マイナルが二人の手を取って、強く礼を言う。ユシルも深々と頭を下げる。
「以前お客様としていらっしゃいましたよね?」
「はい。あの後、オーボワット工房に向かい、そこでバハルさん捜索を依頼されました」
「イレノスもありがとう!」
「俺も心配だったんだ、礼なんていい。早速バハルのいるところに向かおう。転移の魔法で連れて行ってくれるそうだから、すぐに会えるぞ」
「なにからなにまでありがとうございます」
感謝の思いが絶えない夫婦はもう一度幸助たちに頭を下げた。
落ち着いた後、全員でバハルのいる村まで移動する。早く息子に会いたく落ち着かない夫婦を案内し、ボロ家まで来た。見慣れぬ人間が落ち着かない様子で空き家に向かう様は、とても目立つものだった。
入りたそうにしている夫婦に断りを入れて、バハルがいるか、危険はないか透視で確かめる。中にはバハルだけで、暇すぎてうとうととしている様子が見えた。
「大丈夫じゃな。入ろう」
エリスが先頭に立ち、皆を案内する。
中も人が住んでいるようには思えないもので、あちこちに埃が溜まり、扉や窓は壊れていて、木製の床も歩くたびに小さく音が鳴る。
そんな中、到着したのは廊下の端。そこは掃除したようにある程度綺麗になっていた。地下室への入り口はわかりやすく、隠し部屋として使われていたのではないとわかる。おそらく地下倉庫として使っていたのだろう。
地下への蓋を開けると階段が見え、二メートルほど下の石畳の床が明かりに照らされているのが見えた。
「また来たのか?」
弟子や女と勘違いしたバハルの声が聞こえてきた。
「「バハル!」」
「父さん母さん!? なんでここに!?」
両親の声を聞いてバハルは、見える位置に急いで移動する。地下から見上げ、本当に両親だと確認し、驚きの表情を見せる。その表情の中にわずかながら焦りもある。
「それはこっちのセリフだっ」
マイナルが怒鳴り返す。散々心配したこともあり大きな声で、家の外にも聞こえていただろう。
マイナルとユシルが地下へ降り、三人での話し合いが始まる。
どれほど心配したかということに始まり、どうしてこうなったのかと話題が移っていく。
バハルは心配かけたことに対しては素直に謝る。しかしどうしてこんなことになったのかは黙る。
「謝るというのはおかしくないか?」
エリスがポツリと漏らす。
「いやおかしいというのはちと違うか。しかしどこか違和感がある。心配かけて謝った……その後に自分の無事を伝えたりしないか?」
「といいますと?」
「誘拐されたのなら、さらわれる時にもめたりすると思う。もめなかった場合は魔法で気絶させられたか。怪我はなくとも、精神的に無事でいるのは難しい。そうでなくとも崖から落ちているのじゃ、どこかしら怪我しておると思うが。それの具合を伝えておらぬ」
「そういえばそうだね」
三人の会話を思い出し、幸助もイレノスも違和感が出てきた。
その時幸助の耳が足音を捉えた。距離的に玄関辺りだろう。幸助はエリスとイレノスに静かにするようジャスチャーで伝え、静かに玄関に向かう。
途中で扉が壊れた部屋に隠れて、そこから近づいてくる足音の主を確かめる。
部屋の前を通ったのは、二時間前にこの家を出ていった女だった。女は足音を立てないように歩いている。
女が完全に部屋を通り過ぎてから、幸助は声をかけた。
「ここに何の用ですか?」
「ひゃあっ!?」
すごく驚いたようで、振り返った女の目の端には涙が浮かんでいる。
少しだけすまなく思いつつも、もう一度問いかけた。
「いや、私はその……そうっ! そっちこそこんな空き家に何の用なの? 私はそれを確認するために来たの!」
「ここに潜んでいた男の親を連れて来たんだけど。そっちは昼間もここにいたよね?」
「うぅ」
あっさりと言い返されて呻く。
「あれ? バハルの親を連れて来たって言った?」
「言ったね」
「じゃあ、ばれたんだ」
「全部ではないけど、事情はわかってる。でも確認のために詳しい話を聞きたい」
こうなった経緯がわかるかと嘘を吐く。
女は余裕がなく、幸助の嘘に気づかなかった。
リップと名乗った女の話によって、今回の出来事は犯人がいないことがわかった。騒ぎが起きた原因を生み出した人間はバハルだ。だから犯人はバハルとも言える。
事の発端は何度か話題になった武具の品評会だ。これにバハル自身は出ないが、リップは出る。リップはこの村にある工房で二番目の腕を持つ。
リップはバハルの恋人で、出会いはバハルが修行一環として工房を訪れた時だ。やってきたバハルの相手を任され、交流を持ち次第に互いに惹かれていった。
結婚を考えていたのだが、ライバル店であるワレイドア工房の息子ということで店主兼父親が難色を示した。そして結婚の条件に品評会で最高評価を貰うことという条件を出した。
今のリップの腕ではマイナルには敵わないと、リップ本人もバハルもわかっていた。けれどどうしても結婚したく、どうにかできないかと考えて行方不明事件をでっち上げることにした。行方不明になれば、マイナルは剣を作るどころではないと思ったのだ。実際そうだったわけなのでだが、自分たちを優先しすぎて突然子供がいなくなった両親の気持ちを考えていない。
弟子は行方不明に現実味を持たせるため、バハルが頼みこんで協力者となった。弟子が本当に見たのは、落下ダメージ軽減準備を整えたバハルが風が吹いている時に崖から飛び降りたところだ。
マイナルたちが消沈している様子を見て、罪悪感が湧き一度本当の言おうとして言いそびれ、タイミングを失いそのまま言えずにいた。
さすがにイレノスや冒険者まで関わってきて、もう止めようと説得しようと決めたのが一昨日の夜だ。
この話を聞いて、幸助はエリスたちの元に戻り、バハルたちも集めて暴露した。
話を聞いたマイナルは激怒し、バハルを殴る。ユシルも怒っていた。そんなことをする前に一言相談すれば協力したのだ。結婚を喜びこそすれ、反対する気などなかった。相手方に土下座の一つくらい簡単にしてやった。
リップの父親に難色を示されたことで、マイナルたちもそうかもしれないと思ってしまったことが、相談しなかった原因だ。
親という存在が気に入らないエリスでも、今回はマイナルたちに同情した。さすがに自分勝手すぎるだろうと。
そのままマイナルとユシルは、バハルとリップに一時間ばかり説教をした後、幸助たちをほったらかしにしていたことに気づき、慌てて謝った。
その日はバハルたちはその村に泊まり、幸助たちは家に戻る。
翌日、幸助たちはさらに説教を受けて憔悴しているバハルたちを見ることになった。
リップの父親も交えた夜の話し合いで、二人で協力して両方の父親を納得させる剣を作るまでは結婚禁止ということになっていた。
一言相談すればできていた結婚が最低でも二年先に伸びることになったが、自業自得というものだろう。
「この度は馬鹿息子のことでご迷惑おかけしました」
夫婦揃って頭を下げる。バハルとリップも頭を下げている。リップの父親も事件が起きた原因の一人として頭を下げている。
「それでお礼としてなにをしたらいいかと思っていたところ、イレノスから剣を作るといいとアドバイスを受けまして、それでよろしいですか?」
イレノスもその剣を作る材料を提供することで、依頼の報酬とするつもりだ。
「目的がそれですから、こっちとしては願ってもないことです」
「では、今日から早速作りましょう! 竜の鱗を使った剣は久しぶりです。楽しみですな」
「品評会には出展しないので?」
「今から作ってもいいものはできませんし、恩人を後回しにできません。それに正直なところ品評会よりも竜の鱗の方が興味を惹かれているんですよ」
そう言って明るく笑うマイナルをイレノスは仕方ないなと諦め顔で、ユシルは仕方ないわねと笑みを浮かべて見ている。ユシルがイレノスではなくマイナルを選んだのには、こういう母性を刺激される部分が関係していた。
リップとその父親を除いた一行はキューハンに戻る。ユシルとイレノスとバハルは警備兵に事情を話すため、警備兵の休憩所へ出かけ。マイナルは幸助に質問したりして剣を作る参考にしていく。
剣の完成には一ヶ月と少しかかるとマイナルは話す。じっくりと丁寧に作りたいため、それくらいかかるということだ。
俺の最高傑作にしてやるとマイナルは笑っていた。
次に会うのは完成しているであろう四十日後だ。
また来ますと告げて、二人は家に帰った。