曲げられた事実
立ち上がろうとしている偽神に幸助は蹴りを放つ。肩に当たるかと思われた蹴りは、腕で防御される。偽神は少しよろめくも大した変化は見せず立ち上がる。
幸助はあれで殺せていたらと思うが、そう簡単にはいかないかと小さく首を横に振る。
偽神は幸助が着ているものや雰囲気から、容姿は違うが昨日の暗殺者と同じと断定した。昨日の今日でやってきたことを意外に思い、能力低下と高威力の攻撃という下手をすれば自身を殺しうる手段を用意したことに少し感心している。
そういった感情を欠片も表に出さずに口を開く。
「警戒すべきはその拳のみ」
受けるダメージを確かめるため蹴りをわざと受けたのだった。
「しかしその力……」
言いかけて首を横に振り止める。竜に近いものを感じ、竜を殺して得たものかと問いかけようとしたのだ。竜を殺したにしては弱いため、自身の知らないギフトなのだろうと考え、問うことはしなかった。
代わりに素早く魔法を使い、昨日も使っていた錫杖を手元に呼び寄せた。それを両手で持ち、構える。最初は幸助を近づけまいと素早く使える弱い攻撃魔法を使っていたが、ジャケットの防御力を突破できなかった。
そこからは昨日と同じ光景となる。ただし幸助が逃げるために隙を窺うのか、攻撃を当てるために隙を窺うのかという違いはあるが。
五分十分と時間が経っても光景は変わらない。
「ふむ?」
偽神が内心首を傾げた。状況は自分が有利。だが違和感が湧いた。
試しに頭胴足へと三連続で突きを放つ。戦い始めた時には当たっていた攻撃だ。今も当たってはいる。しかし錫杖から伝わってくる衝撃が小さくなっていた。
この短時間で自分の動きを学んだのかと目を見開く。能力が下がったといっても、常人よりは学習能力が高いことには変わりない。攻撃を当てるため避けるため、幸助は必死に動きを読んでいた。
動きを読まれたのは、少し強い雑魚と侮った偽神のミスだ。
もう一つ理由を付け加えるのならば、偽神の戦闘パターンの少なさだろう。偽神は戦う者ではなく守る者。基本的には本拠地で偽神信仰者を守護し、外敵への対応は偽神信仰者が行う。そういった理由で、戦い続けたセクラトクスよりも戦闘経験が少なく、戦いが巧みというわけではない。
「脅威」
褒め言葉とも警戒とも取れる一言を漏らし、偽神は攻撃のペースを上げる。時間をかけない方がよいと判断した。
幸助を倒すべき敵と認識したのだ。
攻撃の速度や力が上がり、再び偽神の一方的な光景となる。けれども幸助が倒れることはなかった。速度や威力が上がっても、技術や癖は変わらない。これまでに学んだ偽神の動きを元に、致命傷となる攻撃だけは、防ぎ避けていた。
徐々に幸助が攻勢に出る。攻撃手段が右の拳しかないため、フェイントを入れても避けられるが、少しずつ反撃できるようになっている。
幸助が押していても接近戦しかできないのは変わらず、偽神は再度魔法で攻めようと距離を取ろうとする。離れられたら嬲り殺されることを理解している幸助は偽神が動いた分だけ距離を詰める。
「くっ」
「離されるつもりはない!」
戦う二人の表情は正反対だ。
偽神が僅かながら焦りを浮かべているのに対し、幸助は真剣ながらもどこか余裕がある。
このままではいずれ攻撃を喰らってしまうと思っている偽神と、エリスが加勢に来てチャンスが生まれると信じている幸助の心理状態の差だ。
ほぼ互角にまで持っていった戦いをさらに十分続け、幸助が待ち望んでいた時が来た。
幸助の背後十五メートルほどの位置に現れたエリスたちを見て、偽神は幸助の援軍だと即座に判断する。
「致し方なし」
隙を見せること覚悟で偽神は幸助から距離を取る。エリスが来たことに気づけていない幸助はそのチャンスを活かせず、右の拳を偽神の左手に掠らせることしかできなかった。
偽神は人差し指と中指が折れたことを自覚し、それだけで済んだことを幸運と判断する。
代償を払い稼いだ距離と時間を使い、現状で使える最大威力の魔法を使う。それは討伐隊を薙ぎ払った魔法の同系統劣化版。
「潰れろ、エリアプレス」
幸助とエリスとコキアを巻き込むように衝撃波が空から落ちる。いや落ちようとした。それを阻止したのは、幸助でもエリスでもなく、時々幸助の様子を見ていたテリアだ。
「ライトニング!」
咄嗟に、使おうとしていた雷の魔法を偽神信仰者から衝撃波に標的を変え、衝撃波の威力を分散させる。本来の威力の三分の二ほどに削れた衝撃波が三人を襲う。
幸助はその場に止まりダメージを受けつつも耐え、エリスとコキアは片膝を着く。
止まった幸助へとさらに炎の矢を飛ばす偽神。それを幸助はジャケットの防御力頼みして、左腕で受ける。ある程度の衝撃と散った火の熱さはあったものの、ダメージはない。
幸助はさらに追い討ちを受ける前に、再び距離を詰める。振るわれる錫杖が左肩に当たるも、衝撃は少なかった。偽神の指を折ったことで握りが甘くなったのだ。
これならば多少のダメージは受けてもいいと、攻撃に比重を置く。
戦い始めと立場が逆転する。偽神の表情は、はっきりとわかるほど歪んでいる。
幸助が押している間に、エリスは落ち着いて魔法の準備をして、ダメージが大きいコキアは足取り重く少しずつ偽神に近づく。これはエリスの指示で、偽神にコキアも接近戦を挑むつもりだと勘違いさせるためだ。本当は予定通り、風流しを使うのにちょうどいい位置取りをするために移動している。
「コースケ、避けろ!」
エリスがこれ見よがしに魔法を使うことを宣言する。
わざとらしく普段の偽神ならば疑っただろうが、余裕をなくしている現状では罠かもしれないと気づくのに一拍の間を必要とした。
目の前に迫る速いが直線で避けやすい光線を咄嗟に避け、しまったと思いつつすぐに周囲を確認する。
やけに時間の流れが遅く感じられた偽神の視界に映るのは、すぐ近くで腰溜めに右の拳を構える幸助と、杖を自身に向けるエリスと、剣を振りぬいたコキアだ。
警戒すべきは幸助で、強さを感じないコキアのことを視界から外した途端、偽神は顔に痛みのない衝撃を受けた。
「何?」
誰が、どうやって、どこからと思考が脳裏に走り、視界から外したコキアのことを思い浮かべる。衝撃を受けた方向から考えて、エリスはあり得ない。
コキアの攻撃が炎や氷など色のついたものでなかったのも良かった。色がついていれば、剣を振りぬいた時点で魔法を飛ばしたと判明し奇襲にはなり得なかった。
この瞬間、一瞬のみだが偽神は幸助のことを忘れた。
その一瞬の隙に、幸助は偽神に接近して力を溜めた拳を胸の真ん中にぶち当てた。そのまま吹っ飛ばすのではなく、地面に叩きつける。
地面に倒れバウンドした偽神は、肺の空気が押し出されていくのを止められなかった。
「もう一丁!」
迫る幸助の拳を見ながら偽神は己の死期を悟る。二回は耐えられるが、三回目は無理だと自覚がある。
偽神は私心を持たないが故に、全ての結果を受け入れる。
漏れでた言葉は恨みでも命乞いでもなく、「見事」という賞賛の一言だった。
幸助の拳が偽神の胸に当たる。肉を押し、骨を折る感触が伝わる。
人間の姿をしているとか、女だとか、殺すことの葛藤など、この時の幸助の頭にはなかった。ただただ偽神を殺すということのみを考えて拳を振り下ろした。
偽神の胸に拳をめり込ませた形で、幸助は止まる。抜けていた力が戻ってきたことで、偽神が死んだことを確信する。『偽神殺し』の称号獲得という声も脳内に聞こえた。
殺したことへの罪悪感は高ぶっていた感情に流されたか、ない。だが最後に拳を通して伝わった潰れた肉と砕けた骨の感触は、この先ずっと忘れることはなかった。
「俺たちのっ勝ちだっ!」
大声というよりは、吼えるように天を見上げ幸助は宣言する。
野営地中に声は響き、誰もが動きを止めた。
エリスたちは目的が達成されたことの達成感から喜び頷く。偽神信仰者たちは困惑と不信の表情を浮かべ、倒れ動かない偽神を見て絶望の表情となり、その場に座り込んでいく。
そういった気力をなくした者たちに、エリスは容赦なく魔法を叩き込んでいく。
そこまでやらなくともと幸助は言うが、のちのちの怨恨を減らすためだと言われれば止めることはできない。
そんなことを言っているエリスだが、ここで怨恨を断ち切るのは無理だとわかっている。囮になった時に誘き出した偽神信仰者全員を殺したわけではないのだ。生き残った彼らが離れた位置からここを見ているのだろう、とほぼ確信している。だからか即死する威力の魔法は使っていない。治療せず時間が経てば、死ぬことにかわりはないが。
逃げたと思われる偽神信仰者を追わないのは、今後のウィアーレの位置を把握できないと推測しているからでもある。ウィアーレの位置を探っていたのは偽神で、偽神信仰者には無理だ。偽神を復活させれば再び探ることが可能なのだろうが、復活は簡単にできないだろう。復活にウィアーレが必要だとしても、ウィアーレの居場所を知ることは相当に難しい。今回のことがあり、再びの襲撃を避けるため住所を変えると考えるのが普通だろう。似顔絵を元に探すにしても変装されれば似顔絵は意味がなくなる。
あとは偽神が同行していない偽神信仰者など、討伐難易度は今回に比べて格段に下がる。復讐目的で襲ってきても返り討ちは難しくないという考えもある。
「撤収だ」
気絶させ終えたエリスが声をかけ、皆エリスの周りに集まる。
偽神信仰者たちはしばらく目を覚まさないだろう。その間に討伐隊が到着するはずで、後始末は彼らに任せることにした。
六人が消えた三十分後に、偽神信仰者の生き残りが集まってきて偽神の遺体を故郷に連れ帰るため回収する。その後、まだ生きている仲間を起こそうと動く前に討伐隊の接近に気づき、仲間を見捨てる形でその場を離れることになる。
悲壮な覚悟を決めた討伐隊が見た光景は死屍累々といったもの。少し呆けた後、とりあえず生きている偽神信仰者を二人ほど捕らえて残りは全て殺す。なにかこの状況となったヒントが残っていないか、野営地を全員で探るも何も発見できず、捕虜を連れて街に帰る。
なにも損害なく生きて帰ることができた、問題が解決した、といったことは嬉しいのだが、わずかにすっきりしない思いも抱いていた。それの解消は捕虜から得られる情報でできると考えていた。だが期待を裏切るかのように捕虜二人は詳しいことは知らなかった。
一人はエリスの奇襲で早々に気を失っていて、もう一人はジェルムやウドリガと戦おうとして近づく前に、テリアの魔法の流れ弾に当たって意識を失っていた。そういう事情で誰かが少人数で戦いを挑んできた、若い奴らだったという情報以外は得ることができなかったのだ。
街のトップたちの認識では、偽神信仰者を倒した者は不明となる。その一方で冒険者ギルドはもしかしたらという推測で別の見解を持っていた。ギルドは朝早くに幸助を見たという情報を得ていた。そしていつの間にか姿が消え、誰も町から出て行くところを見ていないという情報も得た。幸助には実力があり、転移の魔法も使えるとギルドは知っている。さらにウィアーレと親しいということも。もしかすると偽神信仰者たちの野営地に転移で奇襲をかけたのではないかと考えたのだ。もっともこの推測は、幸助がこの先しばらくベラッセンのギルドに近寄ることがなかったので確定させることができなかった。
エリスが転移で飛んだ先は自分の家だ。休むには今のベラッセンは騒がしいだろうと考え、コキアたちも連れてきたのだ。
家に入ると、ウィアーレが椅子に座って幸助たちを待っていた。
「あ、お帰りなさい。お疲れ様」
幸助を見てばつが悪そうな表情となる。
「……なんでここにいるの!?」
予想外のことに少し言葉をなくし、驚きつつ幸助は尋ねる。
エリスから聞いた話だと、ベラッセンに向かっている最中でここにいるはずがないのだ。
「ようやく解放されたんだよ」
解放? と全員が首を傾げた。
それを見てウィアーレが夜中あったことを説明していく。幸助とエリスはそういうこともあるかと納得し、コキアたちは神に監禁されたと聞いて驚き、どうして監禁されたのか聞きたがった。
「話してもいいのかな?」
「ウィアーレの好きにすればいいと思う。ただし口止めはしないと駄目。まあ下手に噂を広めようなら神からペナルティ喰らう可能性もあるし、強い口止めは必要ないのかも」
「ペナルティってどういうこと?」
ジェルムの問いかけに、ウィアーレは簡単に事情を話すことで応えた。
「歪み使いなんていたんだ」
言葉だけでは疑うが、カードにしっかりと刻まれていては信じるしかない。
幸助とエリスが普通に接しているのを見て危険はないとわかるのだが、心情的に穏やかでいられずジェルムたちは腰が引けている。それを見てウィアーレは困ったように笑みを浮かべた。ジェルムたちの気持ちがわかるので責めることはできないのだ。同時に態度を変えない幸助とエリスがありがたかった。
「とりあえず、今日はうちで休んでいくといいじゃろ。明日になればコースケがベラッセンに送る」
「……ウィアーレ連れて孤児院行こうと思ってたから別にいいんだけどね」
幸助とエリスは普段着に着替えて、ジェルムたちは武装を解いて部屋の隅に置く。
幸助が着替えている時、ウィアーレが部屋に来る。
「どしたの?」
「ごめんなさい」
「いきなり謝られても」
「一人で行こうとしたこと」
そのことかと納得した。
「まあ、今回は俺もやばいとは思ったけどね。それでも少しは信じて欲しかったってのが正直なところかな」
「……うん。お父さんたちが心配でたまらなくなって」
「心配するのを責める気はないよ。当たり前の感情だし」
「あとは迷惑かけることしかできなくて、ごめんなさい」
終わり良しといった状況なので、幸助としては謝られても困るところだった。むしろ、ありがとうと言ってもらいたい。
顔を伏せて沈んだ様子のウィアーレに近づく。
「ていっ」
「いったーっ!?」
幸助がでこピンをして、ウィアーレの額から通常のでこピンではでないような音がした。
本当に痛かったのだろう。額を両手で押さえて、涙目で幸助を見る。
「前も言ったけど、歪み使いになりたくてなったわけじゃない。だからついてまわる問題はウィアーレに全責任があるわけじゃないんだ。気にするなって言っても気にするんだろうけど、気にしすぎることはない。気持ちは少しは理解できるし、愚痴言いたいなら聞くから、あまり落ち込まないようにね」
「……うん」
「んでね? ごめんじゃなくて、聞きたい言葉あるんだ」
幸助がなにを言いたいのか理解していない顔で、ウィアーレは首を傾げた。
ヒントを出す。
「感謝を示す言葉」
「ありがとう?」
「そう」
「助けてくれてありがとう?」
「その通り」
納得したウィアーレは精一杯心を込めて、言葉にする。
「助けてくれて、ありがとう」
「ん、じゃあ下に行こうか」
幸助がウィアーレの肩を軽く叩き、ウィアーレは弱いながらも笑みを返した。
全員のお茶を入れた後、幸助はテーブルに突っ伏した。隣にウィアーレが座る。
「なにか軽くつまめるもの作ろうかな」
「疲れてるんじゃない? 私がやるよ」
「動けないほどじゃないから、手伝いをお願い」
二人が台所に立ち、ジェルムたちの間にほっとしたような申し訳ないような雰囲気が漂う。歪みに関わる者が近くにいるというだけで緊張してしまうのだ。
それをエリスは気にせず、もう一度今回のことは黙っているようと念を押す。ジェルムたちは頷き、少し静かになる。
することがなく手持ち無沙汰になったジェルムたちは、今回の戦いでステータスが上がったかとカードをチェックする。偽神と戦ったわけではないが、楽な戦いというわけでもなかった。次から次に偽神信仰者が現れ、徐々に押されていった苦しい戦いだった。そんな戦いを乗り越え、どれか一つくらいは上がっているだろうと考えたのだ。
「え?」
大したことをしていないコキアも一応チェックして驚く。
「どうしたべ?」
「ステータスが全部一段階上がってる」
「はい? 全部だか?」
「うん」
コキアの記憶では、D-は一つもなかったのに精神がD-になっていて、一つあったE-の頑丈さがEになっている。ギフトの効果ではない。風の祝福はステータスに影響を与えるものではないのだ。
「コキア、今日なにか倒した?」
「なにも」
ジェルムの質問に首を横に振って答えた。
「じゃあ攻撃を当てたのは?」
「偽神に一回だけ。あとはエリシールさんに連れられて移動してただけ」
「その一回で全部上がったということになるね。それだけ偽神から得られるものがすごかったのか」
ステータスが低くて上がりやすかったというのも一つの要因なんだろう。
「偽神を倒したコースケさんはどれくらい上がったんだろう?」
テリアの疑問に全員の視線が幸助に集まる。
会話が聞こえてた幸助はカードを取り出し確認する。それを隣からウィアーレが覗き込んでいる。
「うわぁ」
ステータスの高さにウィアーレは感嘆の声を漏らす。その様子にジェルムたちは好奇心を刺激される。
さすがに偽神を倒したとなると目に見えて変化のなかったステータスにも変化は出た。
上がったのは器用と知力と精神で、Bだった器用がB+に、C+だった知力がB-に、C-だった精神がC+になっている。これにより平均がBに上がる。魔力もC+へと上がった。これはエリスに並んだことになり、竜装衣を使えばエリスを超える。
新しい転移の魔法を教えてもらおうと思いつつ、変化した部分を伝えた。
「魔力がC+になった」
「「「C+!?」」」
ジェルムたちが盛大に驚き、エリスも感心した様子を見せている。
「あとは偽神殺しの称号も手に入れた」
こちらはそうだろうなと納得する様子を見せる。
偽神殺しの称号効果は、歪みへの耐性だった。
幸助も魔力が上がったことは嬉しかった。なぜならこれまで使っていた転移魔法の使用回数が増えたからだ。
カードをしまい、料理を作りあげる。それを出した後は昼食まで寝て過ごす。家事でもしようかと思ったが、だるさが感じられのでゆっくりしようと思ったのだった。
ほかの者たちもつられるように眠る。コキアはそこまで体力を消耗してはいないはずだが、初めての大きな戦場ということで精神的に消耗したものがあった。一人起きていたウィアーレは、静かに幸助の隣に座り過ごしていた。ときおり幸助の髪を軽く撫でたり、頬を突いてみたりしながら。
それに幸助は半分気づいていた。誰かが触っているなという程度だが。悪意害意敵意がないので、気にしないでいたのだ。
夜が明け、朝食を食べたジェルムたちはベラッセンへと帰る準備を始める。
その間に幸助はウィアーレに幻の魔法を使った。ウィアーレに対する街の人たちの反応が好意的ではないだろうと思ったからだ。ウィアーレも寂しげではあるが同意だった。
転移で街の入り口に飛び、そこでジェルムたちと別れる。コキアは家に、ジェルムたちは宿へ。幸助はすっかり疲れが取れているが、ジェルムたちはまだ疲れがうっすら体の底に残っていた。なので今日はのんびりと過ごすつもりだ。
ジェルムたちと別れる際に今回のことの礼を言って、いつか困ったことがあれば力になると約束した。
別れた後、幸助たちは予定通り孤児院へと向かう。
建物に入ると、遊んでいる子供たちの姿が見える。その子供たちだが、誰かが入ってきた物音に若干怯えた様子を見せた。ここ数日の大人たちの訪問で、大人にトラウマに近いものを持ってしまったのだ。
怯えにウィアーレは当然気づく。子供たちを慰めようと一歩踏み出し、子供たちが少し後ずさったことにショックを受けた。自身が原因で迷惑をかけて嫌われたのだと思ったのだ。それは勘違いで、今のウィアーレは幻で別人に見えている。知らない大人が近寄って警戒したというのが事実だ。
「コースケさん。そちらは?」
誰かがやって来たことに気づいたウェーイが出てくる。
「こんな姿だけど、ウィアーレです。街の人たちを警戒しているため、今は幻を被せています」
ここではいつ客が来るがわからないため、奥に行って魔法を解くことになり、皆で移動する。
食堂に入り、幸助は魔法を解く。
「おねえちゃん!」
元の姿に戻ったウィアーレに子供たちが群がった。
先ほどとは正反対の反応にウィアーレは一瞬茫然とするも、すぐに理解して膝を着き子供たちを抱きしめた。体は細かく震え、目は潤んでいる。いまだ自分を慕ってくれることが嬉しくありがたい。
そんなウィアーレを子供たちが心配し、大丈夫だと返事をしている。
ウィアーレと子供たちに触れないことにして、幸助はウェーイと話す。
「街の様子はどうですか?」
「問題が解決したと大喜びですよ。昨日は遅くまで皆騒いでましたね」
「偽神信仰者に関してなにか情報は入ってきてます? どんな風に撃退したのかとか」
「詳しくはわかりませんね。討伐隊が必死に戦い、偽神信仰者を倒していって不利を悟った偽神が退いたということくらいでしょうか」
「……そうですか」
ギルドや街のトップは、自分たちが役立たずだったことを住民や周囲の街の者たちに知られないようにと偽の情報を流したのだ。既に一度敗北して信用が下がっている。二度目も何もできなかったことを知られれば、なんのために税金を払っているのかといった不満の声が上がるだろう。場合によってはギルドの収入が減り、街のトップが変わる。それは避けたかった。
偽の情報を流すと決めた後、本当のことがばれるという心配はあったが実行した。
捕虜から手に入れた情報では、正体不明の数人が偽神信仰者を撃退したとわかっている。その人物たちが名乗り出ても、偽神を含めた偽神信仰者たちを少人数で撃退したというよりも、数の多い討伐隊が追い払ったということの方がまだ信憑性があり、住民たちは街側の主張を信じるだろうと判断した。
冒険者たちから情報が漏れるだろうとはわかっている。しかしそれは自分たちの恥を晒すことで、素面では話さず酔った勢いで話すといった漏れ方だろうと予測していた。それならば酔っ払いの戯言と跳ね除ける気満々だった。一応口止め料として報酬も払っている。
嬉々として話すことはないだろう。不利な戦いに挑み、偽神と一緒にいる偽神信仰者を撃退したというのは箔がつくのだ。利益をなくすようなことを率先してやるとは思えない。
退治した者たちが名乗り出てきた時は報酬として、大金を払い、ギルドの持つコネを使って貴族に推薦するつもりだ。決して安くはない金が流れるだろうが、それでも評判が落ちて出てくる不利益に比べたら安い方だ。
こういったギルドたちの判断に幸助は不満はない。エリスからそういった手段を取るだろうと聞いていた。
ジェルムたちは少し我慢ならないものがあったが、そこは口止め料を払っているということと、今回のことでギルドや街が荒れる可能性があると説明され、不承不承納得した。
ベラッセンのギルドになにか聞かれても話せることは、ウィアーレを守っていたという捻じ曲げた事実くらいだ。
ただしガレオンにだけは話すようにとアドバイスを受けている。ガレオンの依頼で幸助は動いていたことになっている。それを利用して、ベラッセンギルドへの貸しとなるよう動いてくれるはずだと。
「ウィアーレがここの出身ということで、今後ここが責められるようなことはありますかね?」
ウィアーレには聞かせられないので小声になる。
「どうでしょうか。昨晩の内に、謝罪には来たのですが」
喉元過ぎればなんとやら。命の危機が去り、ここ数日の自分たちの行動を省みた住民たちが謝りに来たのだ。危機を感じはしたが、実際には被害にあっていないのだ。やりすぎじゃないだろうかと罪悪感が湧いた。
その謝罪で、生まれた溝がなくなるかというとそんなことはなく、住民たちの負い目はしばらく続くだろう。同じように子供たちが抱いた思いもなくなりはしないだろう。
「子供たちのことを考えたら、この街は住みづらいのかもしれませんね。リッカートにでも引っ越します? ツテはあるし、資金も出せますよ。ギルドも謝罪がてらお金を出す可能性もありますし」
「引越しですか。即答はできかねますね。それにお金を出してもらうなど、ただでさえウィアーレを守ってもらったのです。これ以上お世話になるわけにはいきません」
引越しも一つの手段だとわかっているが、この街には思い出がある。孤児院出の者たちも住んでいて、そういった者たちから離れたくはなかった。
子供たちの意見も聞いて、結論を出すとウェーイは言う。
「そうですか。お金くらいの困りごとなら、たいしたことじゃありませんから遠慮なく頼ってもらっていいですよ」
「本当に困った時は頼らせてもらいますよ」
「はい」
結論としては引っ越さないことになり、住民と多少ギクシャクしながらも表面上は問題なく暮らしていく。
この後はウィアーレを待ちつつ、なんでもない雑談をして時間を潰す。
一時間ほど滞在した二人はリッカートへと転移する。
「俺はギルドに行ってくる。ウィアーレは待っててくれないか? 問題なく過ごせる場所あるからそこで」
「どこ?」
「俺がオーナーの店。喫茶店だから、のんびりお茶飲んだり、お菓子食べながら待っているといいよ」
「あ、リッカートにあるって言ってたね」
店まで歩き、立っていたトアドに挨拶して入る。
ガレオンが約束を守ったのだろう。店にはギルド職員がやって来ている。
入ってきた二人を新たな客と思い、ウェイトレスが近づいてくる。
「いらっしゃいませ、とオーナーでしたか。店長か副店長を呼んできた方がいいですか?」
「いや、また後で来るからそれだけ伝えておいて。あとはこの人を俺が戻ってくるまで持て成しといてくれる? 特別扱いとかはしなくていいから」
「わかりました。お客様、でいいのでしょうか?」
「えっと、コースケさん?」
ウェイトレスに問いかけられ、ウィアーレは困り幸助に聞く。それに幸助は頷く。
ウェイトレスがお嬢様と呼ばずに客と呼んだのは、ウィアーレの滞在が練習ではないと判断したからだ。
「ではもう一度。お客様、こちらへどうぞ」
連れられ客席へと向かうウィアーレを見送り、幸助は店を出る。
ギルドに入ると昨日とは違う受付がいた。用件を伝え、ギルド長に取り次いでもらう。戻ってきた受付に許可を貰い、ギルド長の部屋に向かう。
「こんにちは」
「おう。報告を聞こうか」
既に誰かが撃退したと報告は来ているので、ガレオンは落ち着いていた。
「エリスさんとウドリガたちに協力してもらって偽神と偽神信仰者を倒した」
「……そうかもしれんとはベラッセンのギルド長とも話したが、えらくあっさり答えるな?」
「エリスさんがガレオンさんには伝えておけってさ」
「そうか、まあ助かるが。一応証拠かなにかあれば助かるが、なにかあるか?」
カードを取り出し、偽神殺しの称号を表示させる。
「撃退ではなく、本当に殺したとはなぁ。お前さんには納得いかないかもしれんが、交渉したいことがある」
「殺したことを黙っておけ?」
「そうだ。ギルド側としては役立たずだったという事実を隠しておきたいんだ。口止め料も含めて報酬は弾むことになっている」
「ジェルム、テリア、ウドリガ、コキア、エリスさんにも報酬が?」
「討伐に参加したのなら、そいつらにも口止めは必要だろうな」
「その五人、エリスさんは聞かないとわからなけど、にはいくら出せます? 前三人が倒したのは偽神信仰者で、コキアは偽神を倒す役に立った。エリスさんはその両方」
報酬の参考になればと役割を話す。
ガレオンは少し考え、口を開く。
「エリス婆は金はいらんだろう。貸し一つで十分だ。その四人には閃貨一枚ずつでどうだ? 渡すには口止めが絶対条件だが」
先に渡してあるお金と合わせれば破格と言っていい報酬だ。
「それで十分だと思う。口止めはしてあるし」
「ということは名乗り出るつもりはなかったのか?」
「ええ、目立つつもりはないんで」
「ふーん。それでお前さんの報酬はどうする? 金で払うか?」
幸助は首を横に振る。お金よりも頼みたいことがあった。
「お金には困ってないんで。それよりもベラッセンギルドに頼みごとって可能ですかね?」
「内容によるな」
「ベラッセンにウェーイって人がやってる孤児院があるんですが、そこの支援や補佐をお願いしたいんです」
「たしかそこは偽神が求めていたウィアーレという女がいた孤児院だったな? お前はそいつと親しいと聞いている。今回動いたのはその嬢ちゃんを守るためでもあったのか」
「そうですよ」
「その嬢ちゃんは街にいなかったらしいが、エリス婆の家にいたのか?」
「はい」
神に守られていたことは黙っておく。そのことを言えば歪み使いのことも言う必要が出てくる。
ガレオンは支援について頷き、ベラッセンに連絡しておくと約束する。それだけではまだ報酬というには足りず、お金が支払われることになった。
「こっちからも聞きたいんですけど、歪みに捕らわれた人間がウィアーレってばらしたのはギルド? それとも事情を知っている冒険者ですか?」
「知ってどうするつもりだ?」
ガレオンの目が少し細められる。返答によっては答えるつもりがないのだろう。
「ただ気になっただけです。どうこうするつもりも言うつもりもないですよ」
「……ギルドだ。一人の犠牲で街が助かるのなら、と判断したらしいな」
「ですよね。予想通りです」
ウィアーレや孤児院に大きな害が出ていれば、なにか報復の思いでも湧いたのかもしれないが、大きいと言える害は出ておらず幸助は特に思うことはなかった。
これで今日の用事は終わり、コキアたちに渡す報酬を受け取って、職員の貸し出しに礼を言ってギルドを出る。
店に戻り、メリイールとセレナに練習の効果のほどを聞く。いくつかのミスや問題点が出てきて、練習をしておいて正解だという結果が出ていた。
店員たちに励むように言い、ウィアーレと店を出る。そのまま家に帰り、今度は一人でベラッセンへと転移する。転移先はシディの宿で、テリアかウドリガにでもお金を渡しておこうと思ったのだ。
シディに挨拶して、二階に上がろうとすると昼食のため下りてこようとしているテリアと会う。
「コースケさん?」
「あ、ちょうどよかった。ちょっと話しあるから、部屋に行っていい? 廊下とかでは話しにくいんだ」
「いいですよ」
二人でテリアとジェルムの部屋に入る。ジェルムは二度寝しているのか、スースーと寝息を立てていた。
「起こしちゃ悪いし、さっさと用事すませようか。これを渡しておくから四人で分けて」
「閃貨じゃないですか!? どうしたんですか!?」
なんでもないように渡された閃貨を見て、目を見開いている。
幸助は見慣れている閃貨だが、テリアにとっては初めて見る閃貨だ。驚きもする。
「リッカートギルドからの報酬」
口止めやギルドによる手柄の横取りといった事情を説明する。
それに納得し、絶対に喋らないとテリアは心に決める。喋るということはギルドにたてつくということだ。そんな度胸はない。
そんなテリアに頷き、幸助は宿を出る。次会うのは十日後で、場所はギルドではなく街の入り口だ。コキアも実戦を経験したし、雑魚との戦いを始めてもいいだろうと考えたのだ。ギルドの行いや街の人たちの行動にもやっとしたものを感じ、依頼を受ける気が起きず、ギルドに近寄る気が出ないという理由もある。
報酬を渡して、ようやく今回の騒動に関することが全て終わったと感じる。
ぐっと背を伸ばし、家に帰ってのんびりしようと転移の魔法を使った。