いざ勝負
道場の周囲には男女八十人近くの門下生たちが集まっていて、窓や入り口といった道場内を見ることのできる位置に陣取っている。
やってきた幸助に気づき、視線が集まる。ひそひそと話し合う様子が見え、幸助の耳には「あいつが?」「腕が立ちそうにはない」といった内容が聞こえている。
幸助たちがやってくる前に、ゲンオウから客人と打ち合うと知らされていたようだ。
幸助は視線や声を気にせず、道場に入る。
道場の奥で、ゲンオウとシズクが入り口に背を向け正座で瞑想している。二人とも、空手や柔道で着るような稽古着に身を包んでいる。外のざわめきから幸助が来たことには気づいているだろうが、集中を解かずにじっと座したままでいる。
「二人とも、おはようございます」
親子のそばにいたナガレが、幸助たちに近づいてくる。
「コースケ君はその服装でいいのですか?
稽古着が必要ならば用意しますけど」
「このままでいい。このジャケット頑丈だから」
「そうですか。
使う武器は木製です。主とシズク様も同じように木剣を使います。
あそこの壁にかけられているものから好きなものを選んでください。
ルールは命を奪わないことのみ。骨折くらいならばこちらですぐに治療できますが、大怪我しないにこしたことはないので上手く手加減してください」
「手加減することに慣れてないんだけど」
「危険と判断した場合はすぐに止めるよう警告しますので、それに従ってください」
「わかった」
「なにか質問は?」
「試合の終了条件は?」
「明らかに決着がついたと思える状態か、もしくはこちらの制止があるまでは試合続行と思っていただいてけっこうです」
わかったと幸助は頷いて、試合で使う武器を選ぶため壁に向かう。
「ウィアーレさんは私のそばで見学してください。
折れた木剣の破片が飛んでくる可能性もありますから。まあそんなことはそうそうないでしょうけど」
アーマセラ道場で使われている木製武器は頑丈な木材を使い、さらに漆に似たものを塗り込めさらに強度を上げている。
木剣同士で打ち合って壊れたことは一度もないのだ。五日ごとに点検もしていて、脆くなっている物は折れる前に薪代わりとなって燃えてしまう。
「そんなことがあっても、きちんと防ぎますから安心してください」
「その時はよろしくお願いします」
飛んでくる木片に反応できないと自覚があるウィアーレは、素直に頭を下げる。
こういった会話を背後に聞きつつ、幸助は木剣を何本か選んで扱いやすいものを探す。木剣のほかにも棍や木製短剣もあった。
(木刀はないんだなぁ。ぱっと見た感じ竹刀もないし。刀そのものがこちらには存在しないのかね)
そんなことを考えながら、一番長く重かったものを選ぶ。軽いとなんとなく落ち着かなかったのだ。
幸助が選び終えたことを見たナガレは、親子に声をかける。
「準備が整ったようです。そろそろ始めたいと思います」
「うむ」
一つ頷いてゲンオウは立ち上がる。一緒に立ち上がったシズクはナガレの横に移動する。
幸助とゲンオウは道場の中央に移動し、向き合う。
「よろしく頼む」
「こちらこそ」
頭を下げ合い、二人は開始の合図を待つ。
すっとナガレが手を上げ「始めっ!」という言葉とともに手を下ろした。
静かに試合が始まる。
ゲンオウは右手で木剣を持ち、正眼に持っていく。途端に幸助は風が吹いたような感触を受けた。ゲンオウから発せられる威圧感が実体を持ったように感じられたのだ。昨日の厳格な雰囲気とはまるで違う。戦うために意識を集中したゲンオウがそこにいた。構えて立っている様子を見て、幸助や外野は年月を得た大樹を見ているかのような気分になる。
対する幸助は右手で木剣を持ち、だらりと下げたままでいた。こちらは威圧感など発してはない。この様子を見て、幸助を大したことないのではと思う者はまだ実力が低い者たちだった。実力の高い者たちは、威圧感を受けてなんの変化も見せない幸助を見て、風を受け流す柳の葉を思い浮かべていた。
十秒二十秒と時間が流れるが、動きはない。
幸助は後手に回るつもりで、どんな動きにも対処できるようゲンオウを観察しているのだ。ゲンオウはというと、全身くまなく観察されていることに気づいていて、うかつに動けないでいた。ただ見られているだけならば気にしないのだが、いざ動こうとすると幸助がわずかに反応していることを見抜き、このままいっても対処されることに気づき、動きを止めることになっていた。
動き出そうとして止まる、これを十度以上繰り返し、三分が経過した。
この静かな攻防に気づいている者も気づいていない者も、場の雰囲気に圧倒され、じっと見ること以外できないでいる。
(このままではいられないな)
十一度目の動きを止められて、ゲンオウは次は止まらないと決めた。幸助を強いと判断し、仕掛けないのはもったいない楽しめないと判断したのだ。
「ぅおおおおおっ!」
気合をのせた掛け声とともにゲンオウは、大きく足を踏み出し上段から振り下ろす。
足が床を踏んだ音のあと、木剣同士がぶつかりあう音が道場に響く。
手にした剣で岩を砕いてみせよう、といった強い意志すらのせた打撃を軽々と受け止められ、ゲンオウは楽しげに笑った。
見るからに高い威力の打撃を受け止めて見せた幸助に、門下生たちは幸助を見る目をいっきに変えさせられた。自分たちが受けた場合は、押し切られ床に叩きつけられるか膝をつくことが容易く想像できたのだ。
ナガレはあのロングソードのことで、ゲンオウの一撃が受け止められる可能性はあると予測できていたので、驚くことはなかった。
シズクはこの光景を見て、目を輝かせている。早く自分も戦いたいといった思いが、心の奥底から湧き出し止らないのだ。
道場に連続して木剣のぶつかりあう音が響く。ゲンオウが果敢に攻め、幸助がその全てに対応しているのだ。
打撃音が百近くに到達しようかという頃、ゲンオウは幸助から離れる。
弾んだ息を整えつつ、幸助を見る。幸助は特に息を乱しておらず、変わらずゲンオウを見ている。
ゲンオウは木剣をだらりと下げ、左腕を幸助に向け、人差し指をちょいちょいと動かす。次はお前が攻めてこいといった意思表示だ。
それを理解した幸助は右足を下げ、木剣を下げて両手に持ち、斜に構える。
「行きます」
一声かけて両足に力を込める。
開いている四メートルを一呼吸に満たない時間でいっきに詰め、木剣を振り上げた。
木剣が風を切り、ゲンオウに迫る。
今日一番大きな打撃音が響いた。木剣が肉を叩く音ではなく、先ほどまでと同じく木剣同士がぶつかり合う音だ。そして数秒して、木剣が床に落ちる音も響いた。
幸助が動き出した瞬間、悪寒を感じたゲンオウは木剣の動く軌道を瞬時に予測して、手にした木剣を軌道上に動かしたのだ。防ぐことに成功したと考えたゲンオウは、木剣を通じて伝わってくる押す力の強さに驚き、このまま受け止め続けては手を痛めると判断。後ろに下がりつつ、木剣から手を放したのだった。
剣を落としたゲンオウを見て、その場にいた全員が驚きざわめく。
そこにゲンオウの笑い声も混ざる。
「くっくくくく……。
いいぞっ! 剣を落としたことは久しくない!
楽しい! ああっ楽しい! このような強者に出会えたことを神に感謝するべきだな!
全力でいく! 今この対決の時間を思う存分楽しもうじゃないか!」
興がのったのだろう。
先ほどまでの落ち着いた雰囲気は消え、全てを薙ぎ払う嵐を思わせる激しい雰囲気をまとっている。
滅多に見せないこの雰囲気に門下生たちは圧倒される。こういった雰囲気を引き出した幸助になにか思うどころではない。
ウィアーレとナガレも同じように圧倒されている。シズクはというと、これから起きることを少しも見逃すまいと臆するどころか、真剣な表情で見入っていた。
ゲンオウから叩きつけられる大きな闘志と威圧感に、幸助はげんなりとした気持ちになる。手加減どころか全力全開でくること間違いなしとわかり、帰りたくなったのだ。
だがここで帰る止めると言っても聞き入れられないことはわかりきっており、引き続きゲンオウに集中する。
全員の注目を集めつつ、ゲンオウが魔法を使う。
「本当に本気なのですか!?」
ナガレが驚きの声を上げる。
ゲンオウが使ったのは戦場で使う自己強化魔法だ。これを使えば木剣であろうが、人間を殺すことになんの支障もない。
殺すような攻撃は禁じてあった。それにも関わらず、容易く命を奪える手段を使ったのだ、ナガレが止めるために動こうとするのも無理はない話だろう。
だがナガレは止めることができなかった。背筋に冷たい汗が流れる。ゲンオウの一睨みで動きを止められたのだ。止まらなければ命の保障すらないように感じられたのは、決して外れた予測ではないだろう。
「ゲンオウ・アーマセラ・ルビダシア参る!」
ゲンオウが動く。先ほど幸助がして見せたように、開いた距離を一瞬で詰める。
ゲンオウの横からの一振りを、幸助は受け止めた。
「動けるか! そうではなくてはな!」
全てを斬り捨てん! といった雰囲気の中、支障なく動いて見せた幸助に、ゲンオウはさらに笑みを浮かべた。
ゲンオウの動きは、さきほどまでと段違いだ。しかも速いだけではなく緩急がつけられ、フェイントも織り交ぜられ、受け止めることが格段に難しくなっている。
実際に幸助はゲンオウの剣を見失い、幾度か腕や胴に木剣を受けている。
「どうした! お前さんの本気はそんなものではなかろうっ!
受けてばっかりでいないで、反撃してきたらどうなんだ!」
木剣を振るうことを止めずに、ゲンオウは誘いをかける。
(そう言うならやってやろうじゃないか)
痛みはほぼないが打たれっぱなしなままは情けないと思い、幸助はやり返してやると戦いに集中する。
「そこだ!」
大振りになった直後のちょっとした隙をついて、攻勢に出る。
それは幸助に打ってこさせるために作った隙だった。
振るわれた剣筋は読めていたゲンオウだが、反撃はしなかった。回避に専念していたからだ。一撃でももらえば、即ダウンすることになると予測できていた。
しばらく攻守が代わり、幸助が攻め続ける。幸助の攻めはゲンオウの服にかすることはあっても、有効的な命中はなかった。
(なんで全部避けられる!?)
それは幸助の攻撃が素直だからだった。剣速は速いが、それだけなのだ。
もちろん幸助もフェイントは使っている。だが幸助が主に目を使って情報を集めているのに対し、経験からくる予測と五感をフルに使って回避に専念しているゲンオウにとっては、幸助のフェイントは拙いと言い切れるものだった。目の動きや足と腕の動き、姿勢や踏み込む音の大きさといった様々な情報からどこを狙っているか、どれくらいの威力なのかすぐにわかる。
これは今まで幸助が、格下のみと戦ってきたことの弊害だろう。並外れた能力のおかで問題なく勝てていたので、攻撃を当てるといった技量の大事さを学んでこなかったのだ。熟練の強者にとって今の幸助は獣と同じ。
攻撃を当てるため、さらに速く剣を振るい、防御も最低限のもの以外は放棄した幸助だが、幸助の癖などを掴んできたゲンオウにはかすらせることが限界だ。
じょじょにゲンオウが反撃に出る。攻勢に出ても避けられると判断できたからだ。
二人の戦いは同じ光景が繰り返されるようになる。避けながら剣を振るうゲンオウと当たる打撃を気にせず剣を振るう幸助といったものに。
当てることに集中している幸助にはこの先の展開は読めていないが、ゲンオウには読めていた。このまま続けばゲンオウの負けだと。
一撃もらえば即負けという緊張感は精神的にも体力的にも負担が大きい。いずれ動きが鈍り、当てられてしまう。この先十分ほどならば問題なく避け続けることができる。しかし三十分先一時間先はというと絶対の自信はなかった。
(そのような負けは気に入らん。
だから体力のある今、最高の一撃を当てて、決着をつけさせてもらう!)
ルビダシア家の長子のみ使える奥義とも言える一撃を放つことを決意した。
それは、いずれ神すら打倒するという意味を込められ『神討ち』と名づけられたもの。先人の想いが子孫の血と肉に三百年という時を経て脈々と受け継がれ、いつかの完成を夢見て託されていくもの。
これを使うのに魔法を使ったり、大げさな構えが必要ということはない。なぜならただの一振りの斬撃だからだ。
ただのというのは間違いかもしれない。一族の長子に現れる才覚を使用前提とし、意思を込め、確かな技量と鍛え上げられた体躯から放たれる心技体が完全一致した一振りだ。
技というよりは、使用者の剣を扱い始めた初期からこれまでの全てを現す『業』といえるものかもしれない。
そういった意味で、この業に完成という概念はない。アーマセラ流剣術の使い手にとって鍛錬は死ぬまで続く。今日の最高の一撃も、明日の一撃には敵わない。剣の使い手として最高の評価を得ているゲンオウにしても、それは同じだ。
ゲンオウの場合は真上からの斬り下ろしがこの業の型となるが、ほかの者だとそれぞれが得意とする斬り方に依存するので、神討ちに決まった型はない。ここらへんが技と呼べない所以でもある。
ゲンオウが上段に構えた途端、周囲を圧迫していた空気が消え去る。そういったものさえ全て木剣に込めるので、外には漏れないのだ。
急に静かになった道場に、神討ちのことを知らない門下生たちは何事かとどよめく。
「そこまでするのですか……」
ナガレが呆然として言う。ナガレは使えないが、神討ちという業があることは知っている。
ゲンオウが本気中の本気だと悟り、止められる気は皆無となった。代わりにすぐに治療に移れるよう、心体を緊張感で満たす。最悪幸助の死亡という決着もあるかもしれないのだ。
静まり返った道場内で動く者はいない。見学者たちはゲンオウの動きに集中しているし、幸助は近寄ってきたところを当てようと同じくゲンオウの動きに集中している。一番集中しているのはシズクだ。なにかに惹かれるように、ゲンオウの挙動を一心に見ている。
ゲンオウが動く。その動きはさっきまでと比べると遅く、軽いようにも見える。だが初動を見逃しそうなほど、何気ない歩みだ。事実、この場でゲンオウの動きを見切れたのは幸助のみだった。日常生活で行うような、なんの意図も含まない動きで近づいていく。ほかの者たちが気づいた時には、ゲンオウが幸助のそばにいた。
「せいっ!」
掛け声とともにゲンオウは木剣を振り下ろす。
呼吸、力の加減、体全体の動き、振り下ろすタイミング、どれをとっても完璧でゲンオウはこれまでで最高の一撃が放てたと確信が持てた。
鋭く振り下ろされ迫る刃を、幸助は木剣の腹で受け止めようと頭上に掲げた。右手で柄を、左手で剣の腹を支え、ぶつかる瞬間を見る。そこで幸助は目を見張る。ゲンオウの木剣が幸助の木剣をあっさりと両断したのだ。
(は? なんの衝撃もなかったよ!?)
呆けて、焦って、防御に動くということを一瞬のうちに順に行う。
幸助がとった防御行動は腕を交差させ、受けとめるというもの。これにはゲンオウも驚いた。普通に考えると、木を抵抗なく斬った攻撃を肉体で受け止めるのは無謀なことだ。その行動のおかげでゲンオウの心に若干の乱れが生じ、神討ちの威力が減ってしまう。
ジャケットごしに感じる思ったよりも軽い衝撃に疑問を持ちながらも幸助は、素早く防御を解いて真っ二つに斬れた木剣の片割れをゲンオウの胴にぶつけた。
「当たった! ようやく当たった!」
勝ち負けではなく、攻撃が当たったことを喜ぶ幸助。まぐれ当たりのようなものとはわかってはいても、ようやく当たったことに大きく喜びを感じている。
そこで場の雰囲気が緩み、ゲンオウは木剣を引く。
これ以上続ける気がないと理解したナガレが、それまでと声を響かせた。
見学者全員がほうっと息を吐いた。皆試合に集中していて、息が詰まっていたのだ。
「中々楽しい試合だった、ありがとう」
試合中の険しい顔つきを消し去って満足気な表情となっているゲンオウ。対して幸助は微妙な顔つきになっている。結局一度しか当てることができなかったのだ。悔しいといった思いがあった。
「腕の方は大丈夫かね? 完全には決まらなかったとはいえ威力の高い一撃だったの思うのだが」
「んー……赤くなってるだけですね。触った感じ骨に異常はないし、少しの間痣が残る程度かと」
「……ほー、頑丈なのだな。念のためうちの医者に診させてもらっても?」
威力が減ったとはいえ、石ならば砕けるくらいの威力はあった。それを痣だけで済ませる幸助に若干引いている。
今も痛そうな様子は見せていないが、隠している可能性もあるかもしれないと診察を提案する。
幸助は提案を素直に受ける。すぐに診察が始められ、異常なしといった結果が出た。
「本当に大丈夫だとは」
散々打たれたというのに軽傷で済んでいる幸助に、ゲンオウは呆れた表情を隠せない。
「じゃあ次はシズクの番だが、少し休憩が必要だろう?」
「うん。でもそんなにたくさんはいりませんよ」
「十分くらいでいいだろうか?」
幸助は頷いて、壁際まで移動し、壁を背にして座る。
「どうぞ」
ウィアーレが近づき、よく絞った布を渡す。
幸助は礼を言って受け取る。動いて火照った体を冷ますには物足りないが、汗を拭くだけでもすっきりする。
風が吹いて涼しく思っていると、ウィアーレが扇子で扇いでいた。
「気がきくね。ありがと」
「ナガレさんを真似ただけだから」
ゲンオウのために準備し始めたナガレを見て、自分もしておいたほうがいいかなと思ったのだ。
率先して準備にとりかかったわけではなくとも、体の熱は下がり次の対戦になんの支障もなくなった。そのことに再び礼を言って立ち上がる。
道場の中央にはすでにシズクが待機している。髪は後ろで、リボンで一つにまとめられている。
「よろしくおねがいします」
やってきた幸助にシズクが頭を下げる。幸助も頭を下げ返し、二人は向かい合う。シズクの表情は幼さが少なくなり、凛々しさを感じさせるものとなっている。
ゲンオウ戦と同じように、シズクは構えて、幸助は構えずにいる。違いはゲンオウが片手持ちの正眼だったのに対して、シズクは両手持ちの正眼ということ。
ナガレの合図とともに、試合は動き始める。
シズクはゲンオウのように睨み会うことはせず、果敢に攻めていく。ペース配分は考えておらず、今出せる全てを幸助に叩きつけている。
十才にも満たない子供の動きとしては破格のものだ。同年代では世界一だろう。しかし当然のことながらゲンオウには遠く及ばず、ゲンオウの動きに対処できた幸助にとって対応は楽だった。それでも幸助は攻めることはない。ときおり守りの薄い箇所に木剣を突き出す程度だ。
遊んでいるわけではない。証拠に幸助の表情は真剣だ。
今幸助がやっているのは、シズクの動きからアーマセラ流剣術の動きを学ぶということ。アーマセラ流剣術のことを知れば、ゲンオウに当てることができるようになると考えたのだ。
ゲンオウを相手していたときに参考にしなかったのは、洗練されすぎていて相手しながらだと学ぶ余裕はなかった。その点シズクはいまだ未熟、余裕を持って学ぶことができるのだった。
打ち合いは十分以上続き、次第にシズクの動きが鈍ってくる。肩で息をしており、限界に近くなっているとわかる。それはシズク自身もわかっていて、最後にやりたいことをやって終わらせようと決めた。
その表情を見て幸助はシズクの心情をなんとなく読み取り、跳ねるようにして背後に下がったシズクを追わずにその場にじっと立つ。
やりたいことをやらせてくれようとする幸助に視線で感謝の念を送り、シズクは構える。
右足を引いて斜に構え、腰をわずかに落とす。両手に持った木剣は右肩に載せるようにして構える。
その場にいる者たちは既視感を覚えた。型は違うのに、雰囲気がゲンオウが神討ちを使った時と似ているのだ。
もっとも驚いたのはゲンオウかもしれない。神討ちのことはシズクには教えていなかったのだ。
教えられていなかったものをどうやってものにしたのか。それは先ほどのゲンオウの一撃で理解したのだ。受け継がれている血と肉が、あれは自身にも使えるもので、目指すべきものと認識させた。
神討ちを使うには技量も鍛錬もまだまだ足りない。戦意を完全に消していたゲンオウと違い、シズクは完全に消しきれていない。そういったところからも未熟さを感じ取ることができる。及第点といえるのは心意気のみ。それでも使わずにはいられなかったのだ。
シズクは深く呼吸を繰り返し、息を整え、体力も戻していく。
準備が整うと、シズクは体に力を入れて一歩を踏み出す。
「やあああっ!」
袈裟斬りに振り下ろされる一撃は、ゲンオウから見て未熟ながらシズクの全てが込められた『神討ち』と言っていいものだった。
誰にも教わることなく一子相伝の業を体現して見せた娘に、ゲンオウは誇らしいものを感じ、自然と笑みが浮かび上がっていた。
道場内に木と硬い物体がぶつかるような音が響く。木は木剣で、物体は幸助の左腕だ。
始めから木剣での防御を捨て、幸助から見て左上から迫る木剣を左腕で受け止めたのだった。
ただただ神討ちを放つことだけに集中していたシズクは、幸助が生身で受け止める様子を見ても動揺はせず、神討ちの威力を減らすこともなかった。といっても修練不足ということは変わらず、幸助が感じた衝撃はゲンオウのものにやや劣るといったくらいだった。
「……」
「……」
木剣を止められたシズクと受け止めた幸助はそのままじっと動きを止める。
両者は三十秒ほどそのままでいたが、シズクが最初に剣を引いて頭を下げ、幸助も頭を下げた。
「はふぅ」
そこが限界だったのか、シズクはその場にペタンと座り込んだ。すぐにナガレがやってきた汗を拭いたり、水を飲ませたりと甲斐甲斐しく世話をしている。
されるがままのシズクは、全て出し切った試合が楽しかったのだろう。疲れた顔はしているものの、満足気な雰囲気を漂わせていた。
満足気な雰囲気を放っているのはシズクだけでなくゲンオウも同様で、そして幸助もだ。
幸助はこの二戦で思った以上のものを得られていた。シズクからはアーマセラ流剣術のおおまかな動きを、ゲンオウからは洗練された剣術の動きを。ゲンオウの動きは今は理解しきれないが、しっかりと目に焼きついていて、いつでも思い出せる。
これらは幸助にとって価値のあるものになるだろう。
「これで約束の二戦は終わりましたから、戻りますね。
風呂借りていいですか? 汗流したいんです」
「かまわんが、湯を沸かしていないぞ?」
「汗が流せればいいんで、水でいいですよ」
「うむ。好きに使うといい。
今日はありがとう。私にとってもシズクにとってもいい経験になった」
幸助はゲンオウに一礼し、ウィアーレに声をかけて道場を出て行く。圧倒的ともいえる力量を見せつけた幸助を見る門下生たちの目は、行きと帰りではまったく違っていた。
二人を見送るゲンオウに、シズクの世話を焼き終えたナガレが近づく。
「コースケ君、どう見ますか?」
「惜しいな」
即答した。
「惜しいですか? それはどういった意味で?」
「力量が足りないという意味ではない。むしろ下地は十分すぎるほどだ。きっと幼い頃から体力作りと基礎を中心に鍛錬してきたのではないかな。でないとあのアンバランスさは説明つかん」
身体能力の高さと型の綺麗さに反して、実戦経験の少なさからくる勝負勘の不足がゲンオウにはアンバランスに感じられた。
剣を握って半年弱ということをゲンオウが知れば、感心する前にさすがに呆れるほどの才を不条理に思うのではなかろうか。
「できることならば私が彼を鍛え上げたかった。ほぼ確実に歴代を超える剣士になっていただろう」
この高評価にナガレとシズク、それと話を聞いていた門下生たちは大きく驚いた。
強いというのは先の戦いで十分理解できたのだが、歴代一という評価まで与えられているとは思っていなかったのだ。
「そこまで強いのですか? 先ほどの模擬戦では主有利に見えましたが」
「有利といっても、こちらの攻撃はたいした効果を上げていなかった。散々打たれたのに平気な顔をしていたことからわかることだ。
ルールを決めた模擬戦ではこちらが有利だろう。だが殺し合いとなると私の負ける確率が高いだろうな」
それを聞いたナガレは幸助に対する警戒度を上げ、ばれない程度に調査してみることを決め、それを頭の片隅に置いておく。
「ところで主が育てられないと判断したのはなぜでしょうか」
「育てられない、とまでは言わんよ。
彼はすでに我流ではあるが、自身の戦闘スタイルを決めつつあった。それを無理矢理アーマセラ流に強制方向転換させるのはいかがなものかと思ったのだ。
もっと早くに会っていればなと思う。そういった意味で惜しいと言ったのだよ」
「我流ですか……奇襲には適したものでしょう。ですが正統な剣術に常に勝るわけではないのですから、手ほどきしたほうが彼のためでもあったのでは?」
ナガレの言いたいことはゲンオウにも理解できた。それでもゲンオウは首を横に振る。
「彼が常人ならばな。
時をかけ洗練されていった正統な剣術に比べ、我流は動作の端々で隙を大きく生み出すこともある。常人の我流剣術はそこが大きな弱点となるだろう。
だが彼は身体能力の高さを持って、隙を誘いへと転じることができる。剣を振るい隙ができて、そこをつかれても対処可能なのだ。
実際、隙をついて反撃をくらったわ。
そういったことができるならば、彼にとって我流は十分すきるほどの武器となる」
「そうでしたか。いらぬ進言をいたしました」
それに対してゲンオウは「よい」と一言発し、心の中で「教える必要もない」と続けた。
幸助がシズクの動きを見て、学んでいたことをゲンオウは見抜いていたのだ。あれこれ口出しするよりも、自ら進んで学ぶ方が身になることなる。幸助にはそういった学び方のほうがむいていそうだと、ゲンオウは一人思う。
自家の剣術を盗んだことについて、どうこういうつもりはない。今日見せたものが全てではないのだから。鎧を着た場合の動きと今日の動きは別物だし、格闘術といった他の戦闘手段は見せていない。
好きなようにアーマセラ流剣術を取り入れた幸助がどのような使い手に成長するのか、それを思うと再びやりあいたいという思いが湧き出し止まらない。
いつかの出来事を楽しみにしつつ、ゲンオウは鍛錬開始と皆に聞こえるよう告げる。
汗を流し、部屋に戻る途中で女中に会った幸助はそろそろ帰ることを告げる。
それに対し女中は当主に伝えてくるので部屋で待つように返答し、足早に道場へと向かう。
幸助とウィアーレは帰り支度を済ませ女中を待つ。
二十分ほど待つと、汗を流し着替えたシズクとナガレがやってきた。
「もう帰られるとか、もうしばらく滞在していただいてもかまわないのですよ?」
「十分におもてなしを受けたし、あまり長居するのもどうかと思って。
それに待ち合わせしている人がそろそろ来ると思うので」
「ああ、そういえば宿をとるときにそのようなことを言っていましたね」
ナガレは昨日のことを思い出し頷く。
「わかりました。引き止めることはしません。
ですがせめて昼食も食べていってください。その時に別れの挨拶をしたいと主が言っておりました」
「それくらいだったら」
たいしたことではないと、幸助は頷いた。
「ところでシズク……ちゃん? 様? お嬢様? がどうしてここに?」
呼び方に迷いつつ問う。昼を一緒に食べようと言うだけならば、シズクがここにくる意味はないのだ。
「貴族なんだからちゃんは不味いんじゃないかな?
お嬢様が無難だと私は思うけど」
「ええ、ウィアーレさんの言うとおりそれが無難でしょう。
それでシズク様がここにいる理由でしたね。
朝の模擬戦で今日の鍛錬は終わりとなったのです。それで空いた時間を持て余し、あなたがたにお話でも聞かせてもらえればと思い、お連れしました。
シズク様はあまり敷地外へと出ないので、外のことを知らず世間知らずのように育ってしまって」
シズクに外のことを聞かせるというのも本当だが、幸助の情報を得られたらなという思いもある。
シズク本人的には鍛錬での自己鍛錬が楽しく、外の世界にはあまり興味が湧いていなかった。それに身の回りに強い人がいて、その人たち相手の稽古で十分だったのだ。
しかし今回のことで身内以外との模擬戦の楽しさを知り、それを通して世界各地にいる強者に思いを馳せるようになる。
ナガレに乞われるままに、幸助たちは日常生活や旅の合間に見てきたことを話す。
静かに聞き手に回っているシズクだが、無関心というわけではなく、ときおり笑みを浮かべ頷くなど楽しんでいる様子を見せていた。
そして昼食の時間となり、朝食と同じ部屋に移動する。客室には戻らないので、幸助たちは荷物も持っていっている。
昼食はコウマ風ではなく、こちらの大陸のものだった。それも十分すぎるほどに美味で、コックがよほど気合を入れたのだろうと簡単に推測できた。
食事を終えた幸助たちは惜しまれつつ、敷地を出る。
見送りにはゲンオウとシズクとナガレの三人が出て、遠巻きに門下生たちや女中たちが見ていた。
「気がむいたらいつでも来てくだされ。大会中はずっとこちらにいるのでな」
「そうですね。一度くらいはゲンオウ様に挑戦するため来るかもしれません。当てる策を思いつけたらですが」
「楽しみにしておるよ」
「また相手して」
シズクの言葉に幸助は頷きを返す。
ウィアーレとともに一礼し幸助は、ゲンオウたちに背を向ける。
三分ほど歩き、ウィアーレが気が抜けたような溜息を吐く。貴族の家から離れてようやく一息つけたのだろう。
それを見て幸助は、これから高級宿に戻るのだということを口に出すべきか迷っていた。結局は話さず、束の間の休息をウィアーレは得る。だが歩いているうちに思い出したのか、緩んでいた表情は引きつったものに変わる。
幸助は頑張れとも言えず、苦笑を浮かべ歩くペースを落とし、到着を遅らせることくらいしかできなかった。