のんびり神域ぶらり旅
魔法で移動した三人が来たところは、神域の東徒歩六時間ほどに位置する街、そのすぐ外だ。
アテリオという名で、神域に入れずとも拝むためにやってくる人が集まってくるほかは、特に目立ったところのない小さめの街だ。
ここから北に七日行ったところに武闘大会が開かれる予定の街がある。
宿をとるため三人は街に入る。
幸助は今日中に出発するので、宿をとったのは二人だけだ。
部屋に入り、幸助は神域内の詳しい情報を聞く。
「神域に入ったら、北東の森を目指すのだ。そこに礼拝堂がある。
この方角から神域に入ってすぐにあるのは沼地だ。歩いて渡る場合は、深い箇所もあるから気をつけるように。そしてさらに進むと川がある。その川にも魔物が住んでいる。だが飛べるお主なら問題ないじゃろ。川を越えると森じゃな。
注意する点は魔物でも動物でも殺しすぎないこと。植物と鉱石を採りすぎないこと。といっても襲われても逃げるしかないってことはない、自衛のためならば殺してもいい。遊びで殺すなということじゃ」
「そういったことするとどうなる?」
「叩き出されたという実例が残っておるよ」
「気をつける。
んじゃ最後に採ってくる薬草の特徴を教えて」
「名前はイタルミック、青白い小さな花を咲かせる草じゃ。葉は楕円形でそれが四枚。根元近くに葉があり、茎が五センチほどじゃな。神域の森ならばどこにでも生えておる。
採るときは根っこも採ってくるんじゃぞ」
「わかった。
そろそろ出発する。持って行かない荷物はここに置かせてもらうよ?」
「いってらっしゃい」
「怪我しないよう気をつけてね」
二人に見送られて幸助は宿を出る。
街を出てすぐに空を飛び、神域へと向かう。神域の方角の空は黒い雲が出ており、一雨くるかもしれない。夏真っ盛りで雨に濡れても風邪をひく確率は低いだろうが、ずぶぬれになるのは勘弁だと考えつつ飛び続けた。
二時間ほど飛び続けた幸助の眼下に、テントと人の群が見えた。そこが神域への境界線なのだろう。
人々を見下ろしつつ、速度を落とし神域へと入る。神域を拝んでいる人々は頭上に幸助に気づくことなく、神域に祈りを捧げている。
速度を落としたのは、衝突する可能性があるかもしれないと思ったのだ。実際はかすかな違和感、シャボン玉に触れるくらいの触感があっただけで、無事に通り抜けることができた。
さらに十分ほど飛んでから着地する。神域に入ってすぐに下りると、祈りを捧げている人々に気づかれ騒ぎになるかもしれないと思ったのだ。それと魔力が必要な場面があるかもしれないので、使い切るわけにはいかないという判断だった。
「細々とした道があるのは助かるな」
道というよりは盛り上がった浅瀬が点々と存在しているだけだが、泥の中を歩くよりはだいぶましだ。
さて出発しようと足を前に出そうとしたとき、
「そこいくお兄さん!」
突然声をかけられた。声は幼く、子供のようだ。
これに幸助はびくっと体を震わせ、声のした方を見る。驚いたのは気配が感じられなかったからだ。いままでの経験で、半径数十メートル以内にいる隠れようとしていない生物の気配ならば察せられるようになっている。だが声をかけた者のことはまったく感じ取ることができなかった。沼の中の生き物の気配は感じられていたのにだ。
細い木の後ろからぴょこんと八才ほどの男の子が姿を現す。濃い緑の髪に、同じ色の半袖シャツ、茶色のハーツパンツを着ている。
「ど、どうしたのかな? 小さい子がいるようなところじゃないと思うんだけど」
「僕はお父さんのかわりに薬草を採りにきたんだ。
ここまでは魔物に会うことなくこれたんだけど、この先この調子で行けるとは思えなくて。そんなときお兄さんが空から降りてきたんだよ。
ねえ、ここに来たってことは礼拝堂に行くんでしょ? 一緒に連れて行ってよ、お願い!」
危険のある場所で子供を見捨てられない程度には人のいい幸助は首を縦に振る。
「そりゃかまわないけど、家族にもっと大きな人はいなかったの?」
子供は首を横に振る。
「称号を持ってるのが、僕とお父さんだけなんだ」
護衛がいないのは神域に入ることのできる冒険者がいなかったからなのだろう。でなければ子供一人で放り込むわけもない。
「ああ、なるほど。
俺は幸助。幸助でも兄ちゃんでもお兄さんでも好きに呼ぶといい」
「じゃあお兄さんって呼ぶ。
僕はリン。よろしくね!」
「よろしく」
自己紹介を終え、二人は歩き出す。
周囲は沼ばかりで森や川はまったく見えない。ときおり沼から飛び出てくる鋭い牙を持った鰻っぽいものや木の根のような触手を鞘つきの剣で打ち払い、問題なく進んでいく。
そしてちょっとした問題が起こり、二人は立ち止まる。
「道がないね」
「うん、どうしよう。見えるかぎりじゃどこか浅いかなんてわからないよ」
「抱えて飛ぶかな。それでいい?」
「魔力は大丈夫? ここにきたときも飛んできたみたいだけど」
「大丈夫」
魔法を使ったあと、リンを抱き上げて怖がらないと思われる速度で沼上空を飛んでいく。
空に移動して先を見ても川は見えない。恐らく今日は沼を抜けるだけで終わってしまうだろう。かわりに南に木々が遠く見えている。そこに行くだけでも四時間ほどはかかりそうだ。
「先は長いなぁ」
幸助の言葉にリンも頷いた。
十五分ほど飛び、道をみつけた幸助は地面に下りる。
歩き続け、沼の終わりが見え始めた頃、ポツリポツリと水滴が沼に落ち始めた。雨は強くはならないが、霧のような小雨状態で降り続ける。空はどこまでも雲で覆われていて、すぐには晴れそうになかった。
幸助は着ていたジャケットをリンに被せて雨避けにさせている。
「沼は抜けたけど、このまま濡れ続けるのはな。
リンはお父さんから雨宿りできそうな場所から聞いてない?」
「たしか沼の近くに岩の集まったところがあるって聞いた。日が暮れたらそこで寝なさいって」
「そういや見えてたね。そこに行こうか」
「うん」
二人は岩屋のあった方角を思い出しつつ、歩き始める。
岩屋の中は火をつけた跡や休憩した名残が残っており、何人もの人間が使っていたらしいとわかる。
リンにタオルを渡して、幸助もタオルで素早く体を拭いたあと、誰かが置いていったらしい薪に火をつけて濡れた服を乾かす。
「雨強くなってきたなぁ。明日まで続かないといいけど」
雨が地面を叩く音が大きくなり、雨が強くなったことを知る。この雨はさらに強くなり、一晩中降り続けることになる。
「今日はとっととご飯食べて寝よう。リンもそれでいい?」
「うん。疲れたし」
疲れたというわりには余裕のある声で返事をする。
保存食と鍋を取り出して、魔法で出した水を鍋に入れ、簡単なスープを作っていく。朝食用も作っておこうかと思ったのだが、夜のうちにいたみそうなのでやめておいた。
器が一つしかないので、交代で食べる。リンも保存食を持っていたのだが、食器は持っていなかったのだ。
食べ終えたあとは、水洗いで片付けて、その場に寝転んだ。
幸助がリンを横目で見ると、同じように毛布をまとって寝転び目を閉じていた。そのまま幸助も眠りにつく。トニーたちとの護衛依頼のおかげで、異変にあればいつでも起きれるようになっている。
一度だけなにかが近づく気配があったほかはなにごともなく夜は明け、警戒はほぼ無駄だった。近寄っていた気配は幸助が視線を向けると去っていったのだ。
朝食を食べて出発し、荒地をただただ歩く。昨日の雨のせいで地面は濡れて水溜りもできていたが、昨日の沼ほど歩みを阻害しない。空には薄く雲が広がっており、日差しが弱いことは助かっていた。
昼を過ぎて、四時になろうかという頃に二人は川に到着する。川の幅は八十メートルほど。ざっと見渡しても周囲に橋はない。
「昨日の雨のせいか」
川は増水していて荒く流れている。
「空を飛んでいけたらいいんだけど、今は危ないしなぁ」
薄曇りだった空は再び黒く染まっている。雨は降っていないが、ゴロゴロと雷音が聞こえ、稲光も雲を光らせている。うっかり空を飛ぼうものなら雷にうたれてしまう可能性がある。幸助は雷にうたれても一発くらいは大丈夫そうだが、リンには致命傷となるだろう。
かといって川を泳いで渡るという選択肢を選びたくはなかった。この流れの強さだと体にしがみつかせたリンが勢いに負けて流される。泳いで渡る場合は魔物への対処も不可能だろう。
「浅瀬を探して、見つからなかったらここらで一泊するけどそれでいいか?」
「うん」
川から五メートルほど離れて下流へと歩き始める。
ぼんやりと川を見る幸助と違い、リンは興味深そうに川を見ている。激しく流れる水に好奇心が刺激されているのだ。危ないとはわかっているが、子供ゆえに好奇心が押さえ切れないのだろう。
「ん? 川に近づくと危ないよ」
「少しだけ近くで見たい」
「いやでもぬかるみに足を取られるかもしれないし」
「駄目?」
「駄目だね」
この答えにしゅんっと顔を俯かせる。幸助は少し心が痛んだが、人様の子を危ない目にはあわせられないと許しを出すことはしない。
そのまま五分ほど歩いて、向こう岸まで石が続いている場所をみつけた。川が穏やかならば十分な足場になるだろう。
「十分注意すれば大丈夫かな?
リン、手を出して」
言われるままに出されたリンの手を握って、川に近づいていく。
沈んでいたリンの表情がキラキラとしたものになる。
幸助の空いている手には剣が握られていて、川から魔物が現れた場合に対処できるよう準備されている。
「渡れるかこれ?」
岩はぎりぎり水面に出ているだけで、ときどき波に埋もれている。
このような状態でも、幸助一人ならば大丈夫だろう。だが今はリンもいて抱えて移動するとなると厳しいものがある、と幸助は判断する。
幸助が考えている間、リンは水面を覗こうと屈もうとして失敗している。幸助が手を離さないので、座り込むことができないのだ。それでもなんとか見ようとぎりぎりまで屈んで見ている。そのリン目掛けて青白い蛸足が水中から伸びてきた。
「うわぁっ!?」
蛸足はリンの手に巻きついて、リンを水中に引っ張り込もうとする。幸助と触手の両者から引っ張られる痛みにリンは顔をしかめている。
「ちっ」
気配を読み損なったことに対して、舌打ち一つ。すぐに幸助の剣は振られて、触手は斬り離された。
リンの手を引っ張り、川から離れる。
本体が出てくるかと警戒したが、出てくるつもりはないようで、川は荒れた様子のままなんの変化も見せない。
「やめといたほうがいいね」
水中の気配を読みづらい現状で、リンを連れて渡るのは得策ではないと、ここで一泊することに決めた。
リンの腕に巻きついている触手を外して、赤くなっている部分を見て幸助は心配のためか顔を歪めた。
「リン、腕大丈夫?」
「うん」
「ほんとに? 痛くない?」
「うん。大丈夫」
腕を振って痛くないと示す。
「そっか。
川が落ち着くまで、ここらに滞在するから。荷物下ろそ」
二人は川からさらに離れて乾いた地面に荷物を下ろし座り込む。
空の雷雲は日が暮れると、次第に静かになっていき午後八時頃にはなくなっていた。雲もすっかりどこかへと流れて、満点の星空が広がっている。
夕食には保存食のほかに斬り取った蛸足の丸焼きもあったが、リンは食べたくないようで幸助一人だけで食べることとなった。日本的な食べ物で、懐かしくなったのだ。
寄生虫対策のため虫殺しの魔法、毒対策のため解毒の魔法をかけておいた。それも最初の一口は用心して小さく食べてみたのだが、意外と美味しくあっというまに食べ終えた。タレかわさび醤油があればもっと美味しかったのになと思う幸助を、リンが信じられないようなものを見る目で見ていた。
そして翌朝。荒々しかった川は、すっかり穏やかさを取り戻していた。水はいまだ濁っているが、足場となる岩はしっかり場所を視認できる。
これならば気配を読み損なうこともないだろうと幸助はリンを抱え、軽い歩調で川を渡っていく。途中で昨日の蛸足が襲ってきたが、今回は対応でき斬り払って進むことができた。
「到着っと」
リンを下ろして振り返る。最後の機会だと襲い掛かってきた蛸足を振り向きざまに斬り払う。斬り飛ばされた蛸足が水に落ちたことをもったいないと考えつつ、幸助をリンを促して川から離れていく。
「礼拝堂は遠くに見えるあの森の中だっけ?」
集中してかすかに見えた緑を指差す。リンも見えているのか頷き返す。
「そうだよ」
「今日中に森の中には入れない、かな?」
歩きだとリンのペースに合わせるので、どうしてもゆっくりとしたものになるのだ。それを踏まえて予想を立てる。
森が逃げるわけでもなし、と幸助はのんびり歩き出す。
昼になり、二人は昼食のため立ち止まる。二人の周囲はむき出しの地面と草、ところどころ飛び出た岩くらいしかない。空には鳥系の魔物が飛んでいるくらいで、雲一つなく暑い。ときおり吹く風と魔法で出した氷を包んだタオルのおかげで、なんとか暑さをしのぐことはできていた。こんな状況でジャケットは着てられず、腰に巻かれている。
「相変わらずの保存食。森の中に入れば、なにか食材手に入るかなぁ」
「あるってお父さん言ってた」
「ほんと? だとしたら大助かりだ」
さすがに毎食保存食は飽きていたのだ。別のものが食べられそうだと、ほっと一息つく。
食事を終えて、後片付けをしている二人の頭上から鳥系の鳴き声が聞こえてくる。そしてそれは徐々に大きくなっている。
「魔物か?」
剣を抜いて空を見上げる幸助の目には予想通り鳥の魔物が映った。
だがすべて予想通りかというとそうでもなく、一匹だという予想に反して五匹の魔物が幸助たち目掛けて急降下してきていた。さらに魔物たちはばらばらに飛んでいるわけではなく、一列に並んで隊列を組んでいる。
隊列イーグルという連携で狩りを行う魔物だ。神域に入って時々姿は見ていたが、襲いかかられるのは今回が初めてだ。
「リン! 俺の後ろに!」
リンを背後の隠して、突風の魔法を使おうと思案する。それは一瞬で却下した。間に合わないそうにないからだ。
幸助は剣を構えて魔物を待ち受ける。
数秒後、幸助と魔物の距離が三メートルにまで近づいたとき、魔物は翼の角度を変え進行方向を変えた。無理な体勢変化に体にかかる負担は少なくないはずだが、そこは魔物としての強靭さがものをいうのか、一切のぶれなく飛行を続ける。
そのまま進めば幸助にぶつかっていた魔物たちの行く先は幸助のリュックだ。
先頭の三匹がリュックに突っ込み、爪を引っ掛けて持ち上げた。残りの二匹は進行方向を変えずに幸助に突っ込んでくる。
背後にいるリンを守るため幸助はその場から動けず、リュックは魔物に持ち上げられ、奪われる。
二匹の魔物から身を守った幸助は、リュックを奪った三匹の魔物へと振り返り、急いで突風の魔法を使って魔物たちを落とそうとする。
風は魔物たちを大きく揺るがせ、一度はリュックを放させることに成功するも、追い払った二匹の魔物が落ちていくリュックを拾い上げ、結局持ちさらわれてしまった。
「やられた!」
速度と空中での動きの違いから、空を飛んでも追いつけそうにない。
「なんでリュックなんか」
「中に入ってた保存食目当てだったんじゃ」
「あの魔物そんなに鼻がいいのか?
考えても意味ないか、幸いリュックからなにか落ちたみたいだし、それだけも回収するかぁ」
貴重品は宿に置いてあるとはいえ、旅に必要なものはすべてあのリュックの中だ。これからの行程を考えると溜息の一つも出て当然だろう。
回収できたのは鍋と塩と水筒だけだ。現在の幸助の手持ちはこれらと首にかけていたタオル、衣服と剣のみだ。
リンの持ち物は被害がなかった。
「食べ物がなくなったのが一番痛い。
飽きちゃいたが、なくなってほしいわけじゃなかったのにな」
「僕のわけたげる!
それに森に行けばなにかあるよ」
「それが救いだなぁ」
問題は毒消しの魔法が効果を発揮しない毒物があるかもしれないことだ。
体張って見分けたくはないと思いつつ、テンション低く幸助は出発することにした。
その日の移動で二人は森まであと一時間ほどというところまで歩き、そこで野宿することに決めた。その際に保存食の残りを調べると、節約して明日の昼までといったことがわかり、森での食料採取は絶対となった。
「さて今から森に入るわけだけど。ぱっと見た感じじゃ食べ物はないな」
「ないねー」
「そういやリンは礼拝堂がどこにあるか聞いてる? 俺は森の中としか聞いてないんだけど」
「僕も聞いてない。空から見えるほど大きくはないって言ってた」
「そっか。飛んで探せるかもと考えてたんだけど。
まあ適当に探すしかないか。行こ」
木の葉が太陽を隠すおかげで、涼しい森の中へと足を踏み入れる。道らしいものはなく、藪の少ない場所を選んで進んでいく。剣で斬り払わないのは、無駄な殺生に当たるかもしれないと思ったからだ。
獣の気配察知に気を張り、キノコや果物がなっていないか注意深く見渡しながら進んでいく。そのおかげでリンと話す余裕はなくなっている。今まではただ歩くだけでは暇だろうと、話をしたり、歌を歌ったりとしていたのだ。リンも食べ物が必要とわかっているので、幸助に相手をねだったりはせず食べ物を探しながら歩いている。
キノコなどは簡単にみつかっていく。食べられるか食べられないかの判断はできないが。けれども兔などの獣は見つけられないでいた。幸助は気配を探ることはできる。だがそれは気配を隠す気のない存在の気配で、ここにいる獣たちは幸助の気配を察知して隠れている。隠れられると探ることが難しく、今の幸助ではみつけることができない。
結局今日の食事は、リンが食べられると知っていたキノコと木の実だけとなった。食べ物があるだけましだが、味気なかった。
次の日も移動と採取を同時にこなしていく。学習能力の高さと満足できる食事をとりたいという願望のおかげで、その日のうちに隠れている動物の気配を捉えることができるようになった。
さらに次の日にはどんな場所に隠れているかも学習して、木の実とキノコだけの食事から解放された。
捕らえ方は罠の作り方を知らないので、気配のある場所に土石槍を使った。正確な位置はわからずとも、何度も気配のある場所に魔法を使っていればいつかは仕留めることができるものだ。
「食った食った」
お腹をさすり、肉のついていない骨を茂みへと投げる。
塩味だけとはいえ、菜食だけよりははるかにましで幸助は満足げな表情となっている。
捕まえた野ウサギを全部食べることはできず、余った肉は砕いた氷と一緒によく洗った大きな葉で包み保存する。
「ん?」
少し休憩してさて出発といった時、幸助は気配を隠し近づいてくる複数の気配を捉える。
魔物かと考え、結界の魔法を使いリンにそこから動かないように指示しておく。
捕まえた動物の血の匂いにつられてきたのだろうか、と幸助は心の中で考える。魔物や獣を集めないため、血抜きと解体した場所からは離れていたのだが。
一分ほど経ち、茂みが揺れそこから魔物が四匹現れる。さらに二匹は木に登り隠れたままだ。全身灰色の豹のような魔物で、金色に近い黄の目で幸助を睨んでいる。
幸助は剣を振り、威嚇する。周囲は木に囲まれていて動きやすいとはいえない。戦わないにこしたことはないのだ。ここにくるまでに遭った魔物は威嚇で去っていたものもいたのだが、豹たちは去る気がないようでその場から動かない。
「なら先手必勝!
見えずの打ち手!」
覚えたばかりの魔法を使う。薙いだ手から衝撃が飛ぶ。距離が開いていたため豹たちは、わずかなダメージのみを受け後ろへと飛ばされた。
この攻撃を合図として豹たちが動き出す。四匹がいっせいに幸助へと飛び掛る。
幸助は近くの木を盾として二匹の突進をやり過ごし、一匹の攻撃を避け、もう片方へと剣を突き出す。豹の肩に刺さり、引き抜かれた剣には血がついていなかった。それを頭の片隅で疑問に思いつつ、戦いに集中する。
リンから離れすぎないように幸助は動き回り、豹たちと戦っていく。一匹倒した時点で豹たちが通常の魔物とは違うとわかっていた。胴を真っ二つにしたのだが、豹の死体がその場に残らず消えてなくなったのだ。
さらに一匹殺して死体が消えることが見間違いでないことが確定した。
戦いは一方的なものだった。豹たちの攻撃は見切られて当たらず、幸助の斬撃や殴り蹴りといった攻撃は当たることが当然のごとく当たっていった。
「どうなってんのやら」
消えることに疑問を抱きつつ振られた剣は、頭上から襲い掛かってきた最後の一匹を叩き斬った。そしてその一匹も空気に溶けるように消えていった。
時間にして二十分の戦闘だった。リンを守っている結界の効果が三十分なので、のんびり戦うわけにはいかなかったのだ。
周囲の気配を探り、ほかになにか潜んでいないか調べ、問題なしと判断して剣を鞘に納める。
幸助はこの戦闘でかすり傷一つ負うことがなかった。身体能力に精神的なものが追いついてきたからこその成果だ。四ヶ月ほど前でも無傷で勝ちはしたろうが、時間はさらにかかっただろうし、体に触れられることもあっただろう。
「本当になんだったんだろうな。
もしかして門番とかそんな存在だった? 礼拝堂に近づくものがいたから迎撃にでた?」
この予想は外れているが、これが正しいかなと勘違いしつつ結論とした。この疑問は、のちのち暇潰しのダンジョンの話を聞いたときにはれることになる。
リンと合流し、荷物を持って出発する。今日中にみつかるだろうという内心確信していた幸助の予想は外れ、礼拝堂がみつかったのは次の日の昼過ぎだ。
「ほんとにちっさいな」
二人の目の前にはコンビニの半分にも満たない狭い建物がある。象牙色のレンガ造りで、常日頃手入れされているかのように建物も周囲も綺麗なものだ。
無人かと思いきや、幸助は気配を感じ取っていた。その気配が玄関に近づき、扉を開く。
「いらっしゃい。待ってたよ」
出てきたのは二十歳過ぎの男。容姿に特別なところはない。茶色の髪に紺色の目で、十人に聞けば六人はかっこいいかもと判断する。
ただし存在感はそこらの人間を圧倒する。カリスマというのか、千人の群衆に混ぜてもどこにいるかはっきりとわかるだろう、そんな存在感を持っている。
幸助は気圧されて口も開けない。
「そんなところで立って話すのもなんだ、中に入れよ。茶ぐらいだすぞ」
そう言って男は中へと戻っていく。動けない幸助の隣にいるリンは何も問題ないように歩き、建物に入っていく。
二人の姿が見えなくなりようやく動けるようになった幸助は慌てて中に入る。
男とリンは椅子に座り、幸助を待っていた。部屋の奥には等身大の石像がある。
「いつまでも中に入らないでなにしてたんだ?」
「い、いや動けなくて」
「動けない? ああそうか、力を抑えてなかったな悪い。これでいいか?」
男から発せられていた圧力が減り、楽になる。
「落ち着いたみたいだな、こっちにきて座るといい」
手招きされ幸助は、ティーカップの置かれている箇所の椅子に座る。
幸助がお茶を飲む様子を見ながら男は口を開く。
「ここに来た目的である薬草採取だが、好きにするといい。
イタルミックはここの回りの藪に生えてる」
「はあ……ってなんで薬草の名前まで知ってんの!? リンに聞いたにしても薬草の名前教えてないよ!?」
「見てたからな」
「見てた?」
「おう。俺のほかにもミタラムとかルーマナアとかセミンルーズとかも見てたな」
「ミタラム? 聞き覚えが……」
なにかを思い出すように考え込み、思い至る。身分証明カードに載っている神の名だと。
「神の名? ということはもしかしてあんたも神様ってやつ?」
まさかねと思いつつ聞く。神が簡単に姿を見せるわけないと思っているのだ。
「正解だ。娯楽を司る神コーホックだ」
指差し敬意を払っていないことを気にせず、あっさりと頷いた。
あまりに当たり前のように頷いてそこにいるので、幸助は驚けばいいのか動揺していいのか敬意を払えばいいのかわからなくなり、結局そのどれもできずにいる。
「いるとは聞いてたけど、実物を見ることになろうとは」
「俺たちもほいほい姿見せるわけじゃないんだけどな」
「……じゃあなんでここに? なにか用事があった?」
「一度お前さんと会ってみたかっただけだな。
ミタラムたちも来たかったみたいだが、ここにこれるのは一人だけ。ゲームで勝負して、勝った奴がここにこれるようになった。んで俺が勝ったわけだ」
「なんで俺に会いたいのか、さっぱりだ」
「まあ暇潰しと考えるといいさ。お前さんを見てたのも暇潰しだからな。
初めはミタラム一人で、次第に人数が多くなり、そして減っていって俺を含めた七人が今も見ている。
暇潰しという言葉に嘘はなく、幸助を利用しようという思惑は今のところ少ししかない。
見学人数が減ったのは幸助が派手な行動を起こさなかったからだ。異世界からの侵入者などというものだから、どんなことをするのかと期待に胸を膨らませていたら、していることはそこらの人間と変わらないことで、神たちの多くは興味を失ったのだ。
《称号変化。ミタラム様が見ているから神々の暇潰しへ》
コーホックの言葉のあとに、脳内でアナウンスのように称号の変化が知らされた。
幸助がカードを取り出し見てみると、確かに称号が変わっていた。以前の称号と同じく、これも特殊な効果はないらしい。
「お前がもっと派手に動けば、面白いものが見られると思うんだけどな」
「派手に動けって言われても、見知らぬ場所に放り出されて慣れることを優先してたから、そんな余裕は」
「じゃあ今後に期待だな。ここにきた頃とは変わってるし、これからどう変わるのかも楽しみだ」
「変わった?」
「思い出してみろ。初めて魔物と戦ったとき躊躇いがあったのに、森で魔物と戦ったときは躊躇いなんかなかったろう」
「それは、たしかに」
幸助はごく自然に魔物を斬り捨てていた。そこに罪悪感などなかった。改めて指摘されて自身が変わっていることを自覚する。こんなに命を粗末に扱うようになっていたのかと気分が落ちこんだ。
こちらの世界ではそれが当たり前で、地球……いや日本とは命の価値が違うだけだ。そういった意味では幸助がこちらに馴染んできたといえるのだ。
魔物にまで命の尊さを感じるのは、モラルが高いどころではなく変人と見られる。
意識を変え、馴染んでしまえば楽になる。精神的負担も減る。だがそれはまだ難しい。過ごした時間は地球のほうが圧倒的に多い。長時間かけて育んだ価値観を、短時間で簡単に変えられはしないのだ。
こういった思いをコーホックは推測できているが、特に口出しはしない。それらも含めてどのように変わっていくか見ていくつもりだ。
「……好きに見てるといいさ。期待には沿えないだろうけど」
「そんなことないさ。帰ったらウィアーレ関連でハプニングあるぜ? ミタラムが言ってるから絶対だ。それをどうやって解決に導くのか楽しみだ」
未来を知ることができ偶然を操作可能な神の言葉だ。外れる確率は低いだろう。
「……これも一種の啓示なのか?」
首を傾げる幸助を無視してコーホックは立ち上がる。
「発破もかけたし、用事も終わったし帰るかな」
「コーホック様」
静かだったリンが声をかける。
「ああ、お前もお疲れ様」
「はい」
「お疲れ様? どういうこと?」
「こいつはお前さんの足かせ用に生み出された即席精霊だ。
ここまできたからもう役割は終えたんだよ」
そう言ってコーホックはリンの頭にぽんっと手をのせた。
精霊という言葉に幸助は驚きはしない。ただの子供ではないと薄々予想はしていたからだ。
「子供にしてはおかしいとは思ってたけど精霊? しかも足かせって」
一緒に行動していた間あまり疲れを見せずにいたこと、子供にしては落ち着いたところを見せていたことから、疑問を抱いていたのだ。
大人でも小さく見えるそういった種族の亜人なのかと思っていたのだが、精霊とは予想もしていなかった。
「ここにくるまでに試練が課せられることは聞いているだろ。
お前さん用の試練はどういったものがいいか考えて、役に立たない同行者をつけることにしたんだ。
実際、行動は制限されたろ」
「たしかに」
幸助はここにくるまでのこと思い返し、一人ならばもっと楽だったことを認める。
「まあ、足手まといがいてもそれほど苦労はしてなかったみたいだが。
もっと厳しくいけばよかったと思ってる。森で襲わせた魔物もそれほど苦戦するものじゃなかったしな」
「苦労しなかったわけじゃ」
こうは言うが幸助も大変だったとは言い切れないでいる。唯一苦にしたのが食料のこと。
「そうか? 同行者を気遣いつつ歌まで歌う余裕のある奴は今までいなかったんだが」
普通はここにくるまでに疲れ、歌う体力も惜しむものだ。沼で出てきた魔物も川で出てきた魔物も、幸助には雑魚だったが決して弱いものではないのだ。豹の魔物にいたっては三流冒険者では負けて当然、一流どころも一対六では苦戦する。
「そうなんだ。
それはいいとして、リンの役割は終わったって言ってたけど、リンはこれからどうなる?」
「消えるな。お前さんの旅に同行するためだけに生まれた存在だからな」
「消えるって死ぬってこと!?」
「ま、そういうことだな」
「リンはそれでいいの? 俺なんかに同行するためだけに生まれて、それが終わったからって死ぬのは」
「僕はそれだけのために生まれたんだから、終わったら消えるのは当然だよ?」
リン本人としては当たり前のことだ。逆に幸助が戸惑っていることに疑問を感じている。
「それは寂しいと思うんだ……そうだ! これからも一緒に行かない? 川の流れをみるだけでもあんなに楽しげだった。外にはもっと別の風景が広がってるよ」
「誘いは嬉しいけど、あと三日もすれば寿命だから」
リンは役割を果たせたことで満足した様子すら見せて、寿命が尽きると言葉にした。
もっと寿命があると思っていた幸助は、リンの寿命の短さに自身の誘いがなにも知らないが故の傲慢なものに思われた。
リンの顔を見ると、幸助は自身がわがままを言っているだけだと理解させられ、それ以上なにも言えなくなる。
「リン、お前はコースケの力になりたいか?」
「力ですか?」
唐突なコーホックの問いにリンは少し考え頷いた。
「ここに来るまでやここでも気遣ってくれたことは嬉しかったし、歌を歌ったりして楽しませてもらったことは感謝してます」
「よし。じゃあお前は幸助のジャケットに宿れ」
幸助とコーホックに得のある提案をする。
幸助の得はリンがこのまま死なずに済むこと。防御力が上がること。
コーホックの得は将来強い力の部下ができること。ジャケットに宿ったリンは深く眠りにつき、幸助の力をほんの少しずつ取り込み、長時間かけて現在の体を作り変え成長していく。目覚めたときには竜の力を宿した精霊が誕生する。
現状で部下が不足しているわけではないが、竜の力を宿した精霊など珍しく面白そうだと思ったのだった。
「宿ってどうなる?」
「一時的に意識がなくなるが、力は残る。ようはそのジャケットが強化される。
なにか餞別をやろうと思ってたから、ちょうどよかった」
この餞別はセミンルーズから提案されたことだ。セミンルーズは音楽を司る神だ。幸助が神域内で歌った歌は、日本で作られたもの。当然異世界の存在であるセミンルーズは知らない。新たな歌が聴けたことを喜び、なにか礼をしたくなり餞別のことをコーホックに頼んだのだった。
「一時的に意識がなくなるってことは、いつかリンが復活するってこと?」
「最低でも三十年以上はかかるがな。
コースケお前のジャケットを渡せ」
渡されたジャケットを左手に、右手はリンの頭にのせる。
「またね」
リンがそう言って手を振ると、リンの姿は消え、ジャケットがほのかに光る。
「ほれ」
返されたジャケットは袖の部分に翼のような銀線の模様が描かれていた。
「素材と今までの耐斬耐刺耐燃が強化されたほかに、魔法にも耐性持つようになっている。
さらにもう一つ、鳥になるように念じてみろ」
言われたとおりに念じてみると、ジャケットが変形していき灰色の体毛と朱色の目を持つ鷹へと変わる。
鷹は幸助を見て、ちょこんと首を傾げる。このとき幸助は自身の視点と鷹の視点の両方で見ていた。
「その鷹はお前の命令を聞くようになっている。あと鷹が見ているものはお前にも見える。左目が鷹の視点だ」
視点共有は幸助とリンに繋がりができたため起きたことだ。この繋がりから幸助が見聞きしたものをリンは寝ながらに見ることになる。生まれたばかりで神域の外を知らないリンにとっては、これから珍しいものばかりを見ることになるだろう。
「世界に一つしかない魔法道具だ。名前をつけたらどうだ?」
「……リンヨウ……」
考え込んだ幸助は三分ほどして口を開いた。
漢字に直すと隣鷹。リンが鷹となっていつも隣にいるということを意味していた。
「用件はこれで終わったな。
あとは、そうだ。なくした荷物は部屋の隅に置いてあるからな。
じゃ、俺は帰る」
幸助がなにも言わないうちにコーホックは姿を消した。気配はどこにもなく、部屋の中には幸助一人だ。
荷物がここにあるのは、隊列イーグルがコーホックによって生み出された魔物だったからだ。同じように豹型の魔物もコーホックによって生み出された魔物だった。殺したとき血が流れなかったのにはこういう理由があった。
もとから神域にいて幸助に襲い掛かったのは、沼や水中といった自身に有利な場にいた魔物だけだ。それ以外の魔物は力量差から隠れることを選んでいた。
鷹を一撫でして、荷物の中身を確認した幸助はイタルミックを三本回収し、鷹とともに空を飛んで神域をでる。神域に入って礼拝堂まで約六日かけた道のりを丸一日で踏破。
「ただ出るだけで行きより簡単とはいえ一日。魔法の便利さがよくわかるね」
話しかけられた隣を飛ぶ鷹は首を傾げるのみだ。
野宿で夜を過ごした幸助は、次の日の昼前にアテリオへと戻ってきた。
幸助からイタルミックを受け取ったエリスは、すぐにホネシングへと向かう。
残った幸助とウィアーレは武闘大会見物のため、北にある街レゾティックマーグに馬車で移動する。エリスともそこで合流することになっている。
そして出発して五日後、二人は大会のため人が集まり賑やかなレゾティックマーグに到着した。