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家政婦はみていなかった

 近寄ってきた幸助に気づき、セレナが作業の手を止めた。


「あ、来たね。メリイールさん、私が説明してるから仕事を続けてて」

「いいの?」

「はい! 説明と実演は私一人で十分ですよ」

「そう。じゃあお願い」

「りょーかいでっす!

 それじゃ早速説明と行きましょうか」

「お願いします」

「うんうん、私にもやっと後輩ができたのね」


 セレナは感慨深げに頷いている。


「私の指導は厳しいよっついてこれるかな!?」

「ふっメイドになるために生まれてきた私に不可能などありません!」


 髪をかきあげ胸をはって答えた。セレナがのっているようなので、幸助もそれにのってみたのだ。


「あはははっのりがいいねっ。これなら上手くやっていけそうだよ」

「遊んでないで働きなさい」

「あたっ」


 メリイールがはたきでセレナの頭を軽く叩いた。


「ごめんなさい」

「わかればよろしい。ユイスさんも羽目を外すのはいいけれど、ここだけにしておきなさい。

 騒いでも咎めないのはホルンお嬢様くらいなのですから」

「そうなのですか?」

「ええ、レーテル様たちは使用人は使用人らしくあれって考え方ですからね。貴族として当たり前の考えの方たちです。

 騒いでいるところを見られでもしたら、お叱りを受けるどころか給金にも響いてきますよ」

「気をつけます」


 真面目な顔で頷いた幸助に、メリイールも頷き返し掃除に戻る。


「いやぁーやりすぎちゃった。

 じゃあこれからは真面目にいきましょうか」

「はい」

「私たちのというか、あなたの仕事場はここが中心になる。グレシスさんの補佐としてここにいるんだから当然ね。

 仕事は食事を除いた家事。料理は本館でコックが作るから、私たちが作る必要はないの。ここにもキッチンはあるから、作れないこともないわ。グレシスさんがお菓子を作ってたりするし。

 たまに人手が足りず本館の仕事も頼まれることもある。そう多くはないし、私とメリイールさんが行くからあなたが行くことはないと思う」

「となると私が本館に行くことはまったくない?」


 幸助のその言葉にセレナは首を横に振る。


「仕事以外では本館に何度も足を運ぶわ。使用人の食堂とかお風呂とかあっちにあるし。寝室もあっちにあるのだけど、あなたはグレシスさんと一緒にここで寝泊りすることになると思うわ」

「そうなんですか? 宿に部屋をとってあるんですけど」

「そなの? だとしたらそっちから通うのかな? あとでグレシスさんに聞いてみよう」

「そうですね」


 簡単に仕事を聞いた後は、貴族のもとで働くうえで注意しなければならないことを教えてもらい、実際に仕事を始めることになった。まだグレシスが帰ってこないのでセレナに掃除のやり方を習いつつ、時間が過ぎていった。

 先に働き始めているだけあってセレナたちの手際はいい。一方で幸助はというと、ぎこちなさが見え見劣りがする。それも仕方のないことだろう。普通の掃除ならば地球にいたころに何度もやって慣れている。だがここにあるものは高級品ばかりで、そんなものの扱いには慣れていないのだ。必要以上に恐る恐る触れていく幸助を、セレナとメリイールは急かすようなことはしない。自分たちもはじめは似たような態度だったのだから、下手に急かすと壊してしまう可能性もあるのだとよく知っている。

 幸助が不慣れとはいえ、人数が増えたことにはかわりなく、ミスもなかったのでいつもよりも掃除が少しだけ早く終わる。


「これで室内は終わり。次は少し休憩して外で掃き掃除。そのあとは昼食を食べてから洗濯よ!」

「了解です!」


 掃除道具を片付けて、休憩用の部屋で雑談に興じる。といっても男の幸助が女の会話についていくのは至難の業で、今は趣味などを質問されているおかげで会話できているが、今後はついていけるのかとひそかに頭を悩ませている。

 ちょっとした悩み事が増えた休憩を終え、家の裏から熊手と箒を持ってきて周囲を掃いていく。

 屋外の掃除は簡単にすませる。雑草を抜くなどもっとすることはありそうなのだが、メリイールとセレナは少しも気にしていない。そのことを不思議に思い問うと、それらは庭師の仕事だとメリイールから返答が返ってきた。


「生えてるのは少しだけだし、十分もかからず抜けますよ? わざわざ庭師にやってもらわなくても」

「気持ちはわかるけれど、庭は庭師の仕事場なのよ。彼らには彼らの計画があって、手入れを進めていくの。ここに生えている草も数ヶ月後の景観を考えて、そのままにしている可能性があるわ。今私たちが勝手に抜いたら、数ヵ月後越しの計画が台無しになるかもしれない。そんなことになったら彼らに申し訳ないでしょう?

 私たちが地面をいじるのは、庭師から頼まれたときだけなのよ」

「そうでしたか。ですぎた意見でしたね」

「気にしないでいいわ。私も同じことを先輩に聞いたから」


 メリイールは懐かしげな様子を見せつつ言った。

 同じことを聞く人はけっこういるらしく、セレナもグレシスも初仕事のときは聞いたらしい。

 ほこりなど汚れを落とした三人は昼食のため本館へと移動する。昼には一時間ほど早いが、本館にある設備の案内もついでに行うつもりなのだ。

 倉庫と風呂とトイレと寝室と回って行く。トイレに来たときちょうどよかったので、個室に入って魔法をかけなおす。そろそろ変装が解ける時間だったのだ。

 最後に食堂にやってきた。もうすぐできるというので椅子に座り待つ。

 当たり前だが風呂は女風呂に案内された。ここで生活するのならば風呂は女湯を使う。トイレはまだかろうじてセーフかもしれないが、多人数で入る風呂はさすがにアウトだ。

 悩む幸助に気づいたセレナが話しかける。


「考え込んでるようだけど、なにか問題あった?」

「い、いえ」


 変装がばれたら変態扱いだ、などと考えていたがそれを口に出すわけにはいかない。なんでもないと首を横に振る。


「そう? なにか問題があったら遠慮なくいってね」

「はい」


 今悩んでいることは相談できないが、なにか悩みができたら相談しようと頷く。

 出来上がった賄い料理を食べ終え、ホルンのために作られた料理を受け取る。おまけとして三時のおやつにとクッキーをもらう。これはホルンたちに作ったもののうち、形が崩れ出せないあまりものだ。コックたちが初対面の幸助にサービスしてくれたのだった。

 離れに戻るとグレシスも戻っていた。エリスは食事のために外へと出かけたらしい。


「グレシスさんに聞きたいことがあるんです」

「なにかしら?」

「ユイスって寝泊りどこでするんですか?」

「宿よ」


 考え込むことなく即答だ。

 はじめは使用人の寝室で寝泊りさせるつもりだったのだ。しかし男だとばれると大変だし、ここで暮らすとなると女湯に入るなど問題が出てくると気づき、宿暮らしへと変更したのだ。

 幸助が悩んでいることにエリスたちも気づいており、対策は考えていた。

 ただ宿暮らしだと夜の護衛ができないのだが、そこはエリスがレーテルに許可をもらい警報の魔法をかけたので、警備兵に頑張ってもらうこととなっている。


「私たちと同じでいいと思うんですけど。ずっと宿暮らしってのもお金がかかりますよ?」

「ずっとここで働くわけではないから、わざわざ部屋を準備してもらうのもね。

 宿代は長期滞在ってことで割引してもらえたし、この子の給金と私の貯蓄をあてるからたいした負担はないわ。

 ここで働くことは、ちょっとした行儀見習いになるし、お金以上に得るものはあるわ」

「保護者のグレシスさんが認めてるならいいんですけど、やっぱりお金の無駄な気もするんだけどなぁ」


 グレシスも厳しい言い訳だと思っているので、セレナが疑問を抱くのも無理はない。


「それよりもこのあとは洗濯よね?」

「はい」

「ユイスはお嬢様のところに連れて行くから、あなたとメリイールの二人でお願い」

「わかりました。でもユイスはお嬢様のところでなにを?」


 頷いたメリイールは抱いた疑問を聞く。


「薬学の助手よ。この子、基礎だけなんだけど薬学修めているから」


 メリイールとセレナはなるほどと頷き、洗濯に向かう。

 幸助とグレシスは二階へ。料理を載せたトレイは幸助が持っている。


「お嬢様、お昼をお持ちしました」

「ありがとう」

「私は下にいるから。ユイス、食器はあなたが食堂に持っていってね」

「わかりました」


 失礼しますと頭を下げ、グレシスは部屋を出て行く。

 扉が閉まったことを確認し、ホルンは小声で話しかける。


「小声で話せば誰かに聞き取られることもないってエリスが言ってたわ」

「わかった」

「午前中働いて仕事はどうでした?」

「今のところはなんの支障もないよ。

 むしろ仕事よりも、雑談をどうしようかって思ってる」

「雑談?」

「女の人の会話についていけない」

 

 メリイールとセレナが幸助を女として接しているので、幸助は女として返答しようとして空回りしている節がある。

 あからさまに怪しいところを見せなければいいので、多少は男っぽくてもいいのだ。メリイールたちはユイスのことを全く知らず、付き合いは今日からなのだから、深く考えず接していればそういう性格なのだと納得するはずだ。


「そうなの。私も友達多くはないから、女の子同士の会話についてのアドバイスは無理ね。

 でも変装がばれなければいいのだから、多少は変に思われてもいいと思いますよ」

「そうなのかな? 宿に帰ったらエリスにも相談してみるよ」

「そうですね」


 話しこむとせっかくの料理が冷めてしまうので、会話を一度止める。

 ホルンが食べている間に、幸助は本の背表紙を眺めていく。ある程度偏ってはいるがジャンルは豊富で、医学書から絵本までそろっている。

 適当に絵本の一つを手にとって読んでみる。タイトルは『ミィクと歪んだ家』というもの。内容は、主人公であるミィクが廃屋に忍び込んで『歪み』のせいで出られなくなり、動物たちの手助けで脱出するというものだ。


「なにを読んでるの?」


 食事を終えたホルンが話しかける。

 ホルンに絵本の表紙を見せた。それを見てホルンが表情をほころばせる。


「懐かしいわ。お兄様がプレゼントしてくれた本なんですよ」

「大事なものなんだ」

「ええ。そういえば文字を読めるようになったの?」

「完璧じゃないけどね。いまだ勉強中」

「頑張ってください。覚えて損はないですからね」


 絵本を本棚に戻し、話を始める前に幸助は食器を食堂へと運ぶ。美味しかったというホルンからの伝言をコックに伝え、離れに戻る。

 ベラッセンで体験したことを話していき、時間がゆったり流れていく。

 孤児院の子供たちを連れ戻しに行ったことを話そうとしたときに、扉がノックされる。


「どうぞ」

「失礼します」

 

 一礼し入ってきたのはメリイールだ。


「少しユイスをお借りしてもよろしいでしょうか?」

「ユイスになにか用事?」

「お茶をいれようと思っていまして、そのついでにお茶の入れ方などを教えておこうと」

「ユイス」


 ホルンは目でいってらっしゃいと告げる。それを読み取った幸助は立ち上がり、メリイールと一緒に部屋を出る。

 一階のキッチンで、茶葉の位置などを聞いて、その中からホルン好みの茶葉を三つ教わる。砂糖の有無と量、香りづけの酒などの入れ方も教わった。

 

「実演しながらもう一度教えるわね」

「はい」

「あと、魔法も覚えてもらうわ」

「魔法ですか?」

「ええ、お湯の熱さを知る魔法よ。これでお茶を入れる適温を把握してもらうの」

「そんな魔法もあるんですねぇ」


 これはお風呂のお湯加減を調節するときにも使われるらしい。

 使い方を教えてもらい、火にかけているティーポットの蓋を開け、実際に使ってみる。


「どんなふうに見える?」

「オレンジ色の玉が、水面からぽこんぽこんと出ては消えていってます」

「正常に発動できているわね」


 メリイールは自身も魔法を使い、効果を説明していく。

 色は大まかな温度を示しており、水の状態から沸騰まで十個の色で現される。水は白で、沸騰までいくとワインレッドとなる。さらにこまかな温度は球体の大きさで表現されている。今幸助が見ている状態が最大の大きさで、この下に三つの大きさがある。

 幸助の見ているオレンジの四番目の球体は、摂氏温度で表すと68℃あたりだ。

 ちなみにこの魔法は水の温度を知るために作られたので、マグマの温度や火の温度を知ることはできない。それらにはまたそっち専用の魔法がある。


「使うにはまだ早いわ。もう少し待ちましょう」


 二分ほど待って使えるようになり、メリイールは火からティーポットをおろした。

 てきぱきと作業を進めていき、一人分のお茶をいれる。


「このお茶はこれで完成よ。飲んで味を覚えておきなさい」


 差し出されたティーカップを受け取り、飲んでいく。


「美味しかったです」

「ありがとう。じゃあ次はあなたがやってみて。手順は覚えてる?」

「はい」


 少し冷めていたお湯を再び火にかけるところから始め、教えられた通り、メリイールの手順の通りに手を動かしていく。


「できました」

「じゃあ、飲んでみましょうか」


 今度は一杯のお茶を二人でわけあう。


「ちょっと味が違いますね」

「そうね。でも初めてでここまでできるのはすごいわ。これなら少し手直ししていくだけでお嬢様好みのお茶を出せるようになるわ」


 練習をもう二回繰り返し、修正できるところは修正した。あとは数をこなすだけだ。


「練習はこれくらいにしましょうか。あまりお嬢様をお待たせするのは失礼だしね。

 教えがいがあって、ついつい時間取りすぎたわ」


 メリイールは急いでお茶の準備を済ませ、お茶と茶菓子の載せたトレイを幸助に渡す。

 この茶菓子は幸助が二階にいる間にグレシスが作ったものだ。


「これをお嬢様に持っていってね」

「わかりました」


 お茶をこぼすような様子もなくキッチンを出て行く幸助を見送り、メリイールは自分たちのお茶を入れ、セレナとグレシスが休憩している部屋にむかった。

 

「お茶をお持ちしました」

「ありがとう。

 コースケも一緒にどう? カップはありますよ」

「お茶を入れる練習で飲んできたから遠慮しとく。お茶菓子のほうをもらってもいい?」

「遠慮しなくてもいいわよ」


 幸助は小さめのマフィンを一つもらい、口に放り込んだ。


「このマフィンもホルンの好みにあわせてるのかな?」

「おそらく。少なくとも不味いとは思いませんし」

「コックたちはホルンの家族一人一人の好みを把握してるのかな。だとしたらすごいな」

「そうですね。私なんて作るので精一杯」

「俺も似たようなもの」


 再び雑談が始まる。

 話がヴァイオレントバルブとの戦いに差し掛かると、怪我はなかったのかと心配される。かすり傷すら負わなかったことを幸助があっけらかんと告げると、ホルンは安堵の中に少しだけ呆れを混ぜた笑みを浮かべた。

 この後は雑談のみで仕事の終わりがやってきた。明日からは本当に薬作りの手伝いをすることになっている。ほかに薬学医学を教えてもらえることにもなった。


「じゃあ、今日はこれで帰るよ、また明日」

「はい、明日」


 部屋を出て、一階に下りる。

 下りてきた幸助に気づいたグレシスたちが近づいてくる。


「ユイス、おつかれさまー」

「はい、お疲れ様です。でも今日の仕事はそこまで疲れるものではありませんでしたけどね」

「おっいうね。これなら明日からも大丈夫そうだね」


 セレナは頼もしいと幸助の肩を叩く。


「ユイス、明日はベッドメイクといった内装系の仕事やほかのお茶の入れ方を教えるから」

「わかりました」

「今日の仕事ぶりを見るかぎり物覚えはいいし、あなたならすぐに覚えることができるでしょう」

「期待を裏切らないように頑張ります」

「私はこの子を門まで送ってくるわ」


 セレナとメリイールにわかれを告げて、幸助は離れを出る。

 

「明日からは敷地内の出入りは自由にできますからね。

 今日と同じくらいの時間に離れにきてちょうだい」

「わかりました」

「では明日からもお願いね」

「はい」


 門に到着し、朝に立っていた門番とは違う人たちに挨拶をして、グレシスとわかれ宿に帰る。

 そのあとはエリスと一緒に夕食をとり、今日のことを話して、自室に戻り寝た。

 次の日もその次の日もなにも問題なく、仕事を覚えこなしていく。メリイールとセレナ以外にも顔見知りができ、人間関係も問題ない。

 十日も過ぎると離れでの仕事は一人だけでも行えるようになった。メリイールとセレナが人手の足りない本館の手伝いに呼ばれることがあるが、なんの問題もなく仕事を進めることができる。

 そんなある日の午後、ホルンの昼食の食器を食堂に持っていた帰りに声をかけられる。振り返ると、来客中の貴族らしき人物が立っていた。


「なにか御用でしょうか?」

「君もここのメイドなのかい?」

「はい」

「ここ四日ほど宿泊させてもらっているけど見かけなかったんだが」


 そう言いつつ男は品定めするようにさっと幸助の全身を見る。


「私はホルンお嬢様のそばで働いておりますので、本館にはほとんど出向かないのです。ですから見かけなくとも無理はないかと」

「そうだったんだ」

「用件はそれだけでしょうか?」

「いや、これから時間はとれるかい?」

「長時間だと無理です。まだほかに仕事がありますから」


 返答を聞いて男の目にちらりと色欲の光が瞬く。男の目を見ていなかった幸助はそれに気づかなかった。


「そう時間はかけないよ。こっちにきてくれるかい」


 幸助はなんの用事なのだろうと思いつつ、男に誘われるままついていく。

 男は人目を避けて移動し、誰の目にもつかない建物の陰を目指す。なんとなく嫌な予感がしてきた幸助は声をかける。頭に浮かんだ二つの予想は、どちらも碌なものではない。


「あの、どこに行こうとしてるんですか? 仕事があるんですが」


 男はこれになにも答えず歩を進める。

 やがて目的としている場所に到着した男は、幸助を抱き寄せた。


「ちょっ!?」

「ここまでついてきたということは、なにが目的なのか想像ついているんじゃないのか?」


 幸助からしてみれば嫌な笑みを浮かべた顔を近づけ言う。

 予想の一つが見事に的中したが、まさか本当に当たるとは思っておらず、あたふたと動揺することしかできていない。

 男の幸助にとって男に迫られるなど、経験したくないことだ。

 予想のもう一つは、変装がばれたというものだった。


「初々しい演技もいい。ますます気に入った。

 レーテル殿に交渉して買い取ってやろう。ここで働くよりも高い給金を払ってやる。夜の方の具合がよければ妾としておいてやってもいい」

「離せ……離してくださいっ」


 演技ではなく素の状態で拒絶しそうになり、慌てて丁寧に拒絶する。

 筋力の差がありすぎるので力任せにいけば、簡単に振りほどくことができる。

 男を思いっきり罵倒しようと口を開いたとき、頭上から誰かが飛び下りてきた。


「そこまでだ!」


 下りてきた男も貴族らしく質のよい服を着ている。その男からふわりと花の香りが漂ってくる。

 誰だと考えているうちに幸助は、下りてきた男に手を引かれて男の背後に移動させられた。


「か弱い婦女子を襲う非道の輩め、このヴァンテス三世が秘められし暗黒の力を使い成敗してくれるっ覚悟しろ!」


 びしっと伸ばした人差し指でヴァンテスと名乗った男は、突然の登場に驚いている男を指差す。

 ヴァンテスは整った顔をしており、今も真剣な表情だ。この姿だけをみれば、誰もがかっこいいと断言するだろう。

 だが助けられた幸助は「秘められし暗黒の力」という部分に、数年前に自分もかかっていた病気のようなものを思い出しなんともいえない気持ちになっている。


「どうしたっ! こないのか!?」

「……なんなんだお前は?」

「名乗っただろう?」

「いや名前じゃない。どうしてここに現れ楽しみを邪魔をする?」

「私の中が正義が叫ぶのだ、悪を滅せよと」


 胸をはり自信に満ちた様子で答えた。


「答えがずれてるんだが。まあなんとなく伝わったからいいとしよう。

 そのうえで指摘しよう。俺のどこが悪だ? 彼女は嫌がっていなかっただろう?」

「なにを言う、はっきりと拒絶を態度で示したではないか!」

「あんなものはふりだよ。本当に嫌ならばここまでついてくるわけがないだろう」

「……そうなのか?」


 少しだけ考え込んだヴァンテスは振り返り幸助に問う。

 それに対して幸助は首を横に振って答えた。


「違うそうだが?」

「お前が邪魔をしたから興が削がれただけだと思うがね」

「いえ本当に嫌なんですが。

 そもそも私なんかをそういう対象として見るとは思ってもいませんでしたし」

「なんかと自分を卑下するものではない。貴族のようなきらびやかはないが、野に咲き誇る自然の花のような生命力溢れた内側から輝くものを君は持っている。

 その輝きを否定するものは多くはないはずだ」

「その男と同意見というのは気に入らないが、否定はしないな。だからこそ俺は目をつけた」

「はぁ」


 幸助は気乗りしない反応で返すしかない。魔法で変装していて、さらに中身は男だ。女として褒められたところで、嬉しいわけがない。

 加えて、内側からの輝きということは外見だけを褒めているわけではないのだろうが、会って三十分も経っていない二人になにがわかるのだろうと内心首を傾げている。

 事態をややこしくしたくはないので、聞くことはしないが。


「気が萎えた。帰る」


 幸助を見て、本当にその気がないとようやく理解したのか男はさっさと立ち去る。

 

「うむ。話せば分かり合えるものだな」


 嬉しそうに一人頷くヴァンテスに、幸助は一応礼を言っておいたほうがいいのかと悩むが、助けられたのは事実なので礼を言うことにする。


「助けていただき、ありがとうございます」

「なんのなんの。正義と秩序を愛するものとして当然のことをしたまでだよ」

「すごいですね」

 

 感嘆や畏怖などいろいろと思いを込めて言った。


「なに君にもできるさ! 魂の囁きに耳を傾け、勇気を持って一歩を踏み出せば、誰もがたちまちヒーローさ!」

(本能のままに動けってことなのか? 違った意味で英雄と呼ばれそうだ)


 ヴァンテスの言葉を幸助なりに翻訳して、意味するところを考える。やはり口に出すことはしないのだが。


「それにしても突然飛び降りてくるので驚きました」

「インパクトを狙うにはありえないところからの登場がかかせないからね。

 こっそりあとをつけてきて、スタンバイしていたかいがあったというものだよ」

「……あとをつけてたんですか?」

「ああ。庭で暇を潰そうと出てきたところ、偶然君たちが目に入ってね。これはなにかあるっとピンときたのだ」


 もっと早く出て行けたのだが、建物の陰から出てくるのはあまりに普通だと考え、急いで屋根に上りタイミングを計っていたのだ。

 ここまで徹底した行動だと幸助も畏敬の念を抱かざるを得ない。


「と、とにかくありがとうございました。

 私は仕事があるので、もう行きますね」

「うむ。気をつけられよ。似たようなことがあれば、私に相談するといい」


 離れに戻ると、戻ってくるのが遅れたことでなにをしていたのかグレシスたちに聞かれ、幸助は素直に答える。

 すると思わせぶりな態度をとっては駄目だと注意された。

 メイドには主人の夜伽を任される者もいて、幸助もそういった一人だと思われたのだと教えられた。次からは誘いをきっぱり断るように強く言い聞かされた。

 そんな幸助にグレシスがすまなそうな視線を送っていた。今回のことは、こういうこともあると教えていなかったグレシスの失態だからだ。

 

「ユイスを勘違いした人ってどんな姿だった?」


 セレナに、顔立ちや服装などを細かに伝える。


「あーその人か。私も誘いをかけられたよ。ほかの人も声をかけられてるみたい」


 メリイールも声をかけられたようで頷いている。彼女たちは対処法を知っているので、波風をたてずに断ることができていた。

 名前はセドヴィットというらしく、友人がお見合いにきていて、その付き添いとして滞在しているらしい。

 メイドたちの情報網によると、すでに婚約者がいるので今回のお見合いは不参加なのだという。女に声をかけてまわるのは結婚したあとでは自粛しなければいけないので、今のうちに楽しむという考えだから。女好きで強引なところはあるが、力ずく無理矢理といった手段はとらないらしい。女の扱いは上手いので軽く付き合うのならば、中々の好物件なのだとメイドたちの間で評判になっている。

 こういったことを聞かされても幸助には反応できない。その様子を見てメリイールたちは、こういった出来事に首を突っ込むにはまだまだなのだなと微笑ましそうな反応を見せる。


「ユイスを助けてくれた人はヴァンテスと名乗ったのね?」


 確認するようなメリイールの言葉に幸助は頷く。


「ただの変人じゃなかったのね」


 メリイールはしみじみと感想を漏らした。客人を指して変人とは失礼だが、屋敷の者たちの総意だ。

 ただでさえわざわざ別の大陸からきていて、さらには種族も違う。おまけに言動もどこか仰々しい。皆、おかしな人が来たものだと思っていた。

 その感想のせいでレーテルに警戒され、ヴァンテスはいまだお見合いができていない。

 レーテルは冥族にコネを持っていないので、この機会を生かしコネを得たい。だが今一歩関わるという決断に踏み出せないでいた。

 言動がまともならば、あっさりお見合いできていただろうから、ヴァンテスは自分のせいで目的を果たせないでいる。


「ヴァンテスさんって冥族だったんですか?」

「ええ、顔立ちとか香水とかでわからなかった?」

「冥族とは初めて会ったので」


 冥族とはあんななのだと幸助の中でイメージが固まった。

 ヴァンテスが特殊なだけでほかの冥族はまともなのだが、幸助が冥族に対して変なイメージを持ったことを誰も気づいていないので修正できなかった。

 

「お喋りはここまでにして、仕事を再開しましょう」


 グレシスが手を叩いて、三人を動かす。

 

 幸助のメイド生活は特に荒事なく進んでいく。裁縫、お菓子作りなどできることを増やしていき、日々メイドとして完成されていっている。

 あの出会いをきっかけとして、セドヴィットやヴァンテスと話すようになった。話してみると悪人ではないとわかる。

 化粧っ気がないのはもったいないと香水をセドヴィットから贈られたり、妹分についての相談をヴァンテスから持ちかけられたりと、それなりに親交を深めていく。

 その間にもエリスは交渉を進めており、反応がかんばしくないことから穏便に進めることはやめて、そろそろ脅迫も交えてようかと考え出している。

 

 そうして働き始めて二十日が過ぎた。友人のお見合いが終わりセドヴィットは屋敷からいなくなっている。一方、ヴァンテスはいまだ滞在している。

 そして今日も幸助はヴァンテスに声をかけられていた。

 

「今日は頼みがあるのだよ」

「頼みですか?」

「うむ。ユイス嬢はホルン嬢のそばに仕えていると以前聞いた。

 そこでこの手紙をホルン嬢に渡してもらえないだろうか?」

「恋文ですか?」

「いやいや、そのようなものではないよ。

 実は私は結婚目的ではないのだ。医術者としてのホルン嬢に頼みがあるのだ」

「はじめからそう言って面会を求めたほうがいいと思うのですが?」

「私もそうしたかったのだが、お見合い以外の申し込みはしばらく遠慮願うということらしくてね。

 お見合いが終わるまでは、まだまだ時間がかかるだろう? 長期滞在のつもりで準備していないのだよ。

 ならばお見合いの席で用件を伝えようと思ったのだ。だがそのお見合いもなぜか、順番が回ってこない」


 本気で不思議そうにしているヴァンテスに、幸助はなにも言えない。若干乾いた笑みを向けるだけだ。

 

「そういうわけで届けてもらえるだろうか?」


 出会ってから今まで、この手紙を託すことができるか探っていて、大丈夫そうだと判断し頼むことにしたのだ。


「これがお嬢様に害のないものと証言してもらえるのならば」

「我が命と神々の名の下に誓おう。

 私たちはただただ医術者としての力を求めている。力が足らずとも命を脅かし傷つけることはしない」

 

 真意を探るため幸助はヴァンタスの目をじっと見る。ヴァンテスは逸らさず、視線を受け止める。

 三十秒ほど見続け、かすかな揺らぎも見えなかった幸助は頷き、届けることを承知した。


「助かる。明日の夕方でここで待っていてくれないか? 返事を聞きたい。承諾でも拒否でもだ」

「わかりました。明日の夕方ですね。

 念のために、中身をほかの者に確認してもらうこともあるかもしれません。よろしいですか?」

「ああ、かまわない。きちんとホルン嬢に届くのならば」

「では失礼します」


 ヴァンテスに一礼し、離れへと戻る。

 そのままホルンのもとへと向かわず、グレシスに事情を話し、手紙を渡す。

 グレシスはなにか仕込まれていないか、魔法を使い調べていく。貴族に仕えていれば危険な魔法がかけられた手紙が送られてくることなど珍しくもなく、対処法も確立されている。


「大丈夫、なにか仕込まれていることはないわ」


 そう言って幸助に手紙を返す。


「中身は見なくてもいいんですか?」

「ヴァンテス様はおかしなところのある人ではありますが、脅しなどはしない人でしょう。内容は本人が言ったように医術関連なのだと思います。

 中身を見る必要はありませんよ」

「では、お嬢様に持っていっても?」

「ええ、お願い」


 二階に上がり、扉をノックして返事を聞いてから開く。ホルンに近寄り、手紙を差し出す。


「これ、ヴァンテスっていう貴族から。医術者としてのホルンに頼みがあるんだって」

「医術者としてですか」


 受け取った封筒の封をきり、手紙を広げる。

 しばし静かな時間が過ぎる。ホルンが視線を上げたとき、幸助は口を開く。


「明日の夕方に返答をもらいたいってさ」

「そうですか……これをエリスに渡して同行できるか聞いてもらえませんか?

 同行してもらえるのなら、この依頼を受けようと思います」

「了解、エリスに渡せばいいんだね」

 

 再び手紙を受け取った幸助は懐にしまう。

 いつものようにホルンと話したり、おやつを作ったりして時間はすぎていき、宿に戻る。

 エリスに手紙を見せて、ホルンからの伝言を伝えた。しばらく考える様子を見せてからエリスは口を開く。


「わかったと伝えてくれるか?」

「了解」


 手紙はホルンが持っておいたほうがいいだろうと、幸助からホルンに返されることになった。

 このあとは二人で夕食を食べ、なにごともなく就寝する。

 平穏な幸助たちとは違い、屋敷側では事件が起きていた。

 ホルンが傷つくようなものではなかったため、警報の魔法は作動せず、ホルンに異変があればすぐに知れるような魔法を使っていたエリスも屋敷の騒動に気づくことはなかった。

 そして幸助が屋敷についた頃には事件は終わっていた。

 

 昨夜に起きたのは、滞在している貴族の殺害未遂。犯人は屋敷に十年以上勤める使用人。

 犯人は襲った貴族に恨みがあったのではなく、レーテルに恨みを持っていた。彼はレーテルとの政争に負けた貴族の三男で、変装し身分と名前を偽って屋敷に入り込んだ。勤める前の身辺調査でばれなかったのは、その一族が全滅したと思われていたからだ。

 政争に負け、領地も変更され、移り住んだ先で幸助の殺した竜が憂さ晴らしに暴れた。その出来事で家族はおろか家臣すらも失った彼は、家の復興よりも敵討ちを優先しレーテルを付け狙っていた。

 だが常に護衛をそばに置いているレーテルを殺すことは難しく、十年の機会が過ぎた。

 この十年で殺すことの難しさを実感した彼は、今回のお見合いをきっかけとしてレーテルの貴族としての命を狙うことにした。

 滞在している貴族が死ぬかもしくは怪我を負い、その犯人を見つけられないとなれば、多くの貴族から責任を追及されることは間違いない。

 もし使用人が犯人だとばれても、そういった存在だと見抜けず中に招き入れていたことで、やはり追求はされるだろうから、目的は果たされる可能性が高い。

 犯人がばれないために外部犯に見せかける小細工も考え、昨夜実行されたのだった。


 事件を解決したのはヴァンテスで、協力したのは本館に勤めるメイドの一人。ヴァンテスの正義感と冴え渡る推理が犯人を追い詰め、観念した犯人の自供により、明け方頃事件は解決となった。

 犯人は取調べ後、即刻処刑され、事件自体は終わった。


「そんなことがあったんですね」


 屋敷が騒がしくなにかあったのかと聞いた幸助に、グレシスたちが昨夜から明け方の出来事を話していた。


「まさかオーボワードさんが復讐を考えていたなんて」

「よく働く人だって評判だったよね」

 

 意外だったとメリイールとセレナは頷きあう。


「お見合いは中止だそうよ。滞在している方々は今日中にお帰りになられます。

 お見合いがいつ再開するかも不明です」

「さすがにお見合いをしている場合ではないんですね」


 これは事件の後片付けにレーテルが動き回る必要があるせいだ。

 その後片付けが大変なことになっている。実は怪我した人物は他国の貴族で、内々で済ませることがすごく難しい。親しい貴族ならば借りを作ることで表沙汰しないことができるが、今回はそう簡単にはいかず、全ての根回しを終わらせるのに一年以上の時間を必要とした。

 結果としてレーテルは貴族としての体面を保つことは成功したし、二国間の大事まで発展もしなかったが、財力は減り、多方面へ借りは増え、事件前のように大きく力を振るうことができなくなった。ついでに出世もとても難しくなっている。

 レーテルは全てが終わったあと、ホルンのお見合いを再度行い、権力を少しでも回復しようと画策するも、ホルンが家に寄り付かないので実行は不可能となる。

 この事件のおかでエリスとグレシスの計画は実行されることなく目標達成となったのだ。幸助はただメイドとして働きに来ていただけということになる。


「私たちの仕事に変更はないわ。いつも通りの働きを期待します」


 グレシスの言葉に三人は頷いて、掃除を始める。

 グレシスに許可をもらい、掃除の前に幸助はホルンにエリスの返答を伝える。ヴァンテスに了承の意を伝えるという伝言を託され、幸助は掃除に戻る。

 ヴァンテスへの返事は約束していた夕方ではなく、昼に伝えることができた。ホルンの昼食に使った食器を運んでいるときに会えたのだ。今日中に屋敷をでないといけないので、夕方には会えないかもしれないとヴァンテスの方で会う機会を窺っていたのだった。


「受けてもらえるか! なんという素晴らしき返事! ユイス嬢がいつにも増して輝いて見える! まるで愛らしき神の使者だ!」


 返事を聞いたヴァンテスは満面の笑みを浮かべ幸助に抱きつこうとしたが、するりと避けられる。


「セクハラですよ」

「せくはら?」

「無闇に女性に触れようとするなど、紳士の行いではないということです」

「その通りだな。失礼した。舞い上がりすぎたようだ。

 この手紙をホルン嬢へと届けてもらえないだろうか? 私の国に入るために必要なものが入っているのだ」

「承りました」


 昨日受け取ったものよりも厚く大きな封筒を受け取る。


「では私は失礼させてもらう。またいつか会える日を楽しみにしているよ」


 上機嫌に笑みを残しヴァンテスは去っていく。

 幸助も離れに戻り、念のためグレシスに安全を確認してもらってから手紙をホルンに渡す。

 

 この日から五日後、幸助はメリイールたちに惜しまれつつグレシスと共に屋敷から引き上げた。

 次の日、ホルンは旅支度を整え、家族とメイドたちにエリスのところに遊びに行くと告げて屋敷を出た。

 家族たちは短期間のみと考えているが、その足でホネシングへと向かうので短期間では帰ってこれるはずもない。エリスとヴァンテスが手配した人物が転移術を使用することになっているが、それでも行きは一ヶ月近くかかる。

 ホルンたちは用事が終わってもそのまますぐに帰ってくる気もなく、あちこちと観光するつもりなのでいつリッカートに戻ってくるかは今のところ不明だ。

 十五日過ぎても帰ってこないホルンを迎えにエリスの家に行ったとき、そこには誰もいないなどと思わずにホルンの家族たちは屋敷を出るホルンを見送るのだった。


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