高度文明の異世界で動物園の檻に入れられた俺
俺は檻の中から外を行き交う異世界人を見ていた。
俺を興味深げに見てくる異世界人、俺が目当てじゃないのか素通りしていく異世界人、俺を指さしながら親に質問している異世界人の子供。
様々な視線に晒されるのは気分が良くなかった。過去形なのはもう慣れたからだ。
「アホらし……」
異世界人観察に飽きた俺は、檻の中に備え付けられたパソコンに似た端末を起動する。
すると檻の外からどよめきが聞こえてきた。
この反応にも慣れたな。まあ分からんことでもない、俺だってチンパンジーがパソコンを弄り始めたら驚くだろうし。
言語は全くもって分からないが、仕組みは似ているため直感的に操作する。動画サイトを開いて、言葉が分からなくても楽しめるリアクション系動画を探し始めた。
言うまでもなく現実逃避だ。
だが、逃避したくなる俺を誰が責められるというのか。
俺が直面している現実は……異世界の動物園でその檻の一つに入れられ見世物にされているなんてものなのだから。
事の始まりはいつも通りの朝、高校への通学路で起きた。
地面が突如光ったと思ったら、次の瞬間には全く別の光景が広がっていた。
一面白色ののっぺりとした空間。俺を取り囲み喜びの感情を表している人たち。
吹き替え無しの洋画を見ているような、理解の出来ない言語が飛び交う。
俺は日本語で何が起きているのか質問し元に戻すように訴えたが、その言葉が伝わることは無かった。
取り囲んでいた奴らが俺をどこかに連れて行こうとした。当然抵抗する。
手を焼いた奴らが合図をすると、ロボが現れて俺を有無を言わさない力で拘束した。
そうなるとどうにもならず、抵抗を諦めた俺はこの檻の中に入れられたという次第だ。
それまでが約一ヶ月ほど前の出来事。
10m四方の檻。
今ではそれが俺の世界の全てだ
得られる情報はかなり限られているが、それでも現在の事態を推察することは出来た。
ここは俺が元いた世界とは違う異世界であるということ。
異世界の文明は高度な発達を遂げているということ。
そのためここでは俺は異世界人より劣る存在……元の世界で表すなら人間と猿のような関係であるということ。
だから人間が猿を見世物にしていたように、異世界人は俺を見世物にしているということだった。
チリン、チリンとベルの音が鳴った。
「そろそろ昼飯の時間か……」
反射的に口の中に唾がたまる。まんまパブロフの犬だな。
見世物生活は見方を変えれば、三食昼寝付きぐうたらし放題の生活だ。自由が全く無いことを除けばかなり良い生活であろう。
出てきた昼飯は異世界のハンバーガーに似た食べ物だ。
最初は生の野菜や昆虫料理だったが、俺が食べなかったり残したりすると、何が好物なのか探るように様々な飯が出てきた。その中で出てきたハンバーガーのような料理に俺ががぶりついたのを見て好物だと判断したのだろうか、今では三日に一回は出てくる。
高校生、成長期の時分である俺はペロリとたいらげると眠くなってきたので横になる。
もちろん寝るからといって一人になることは出来ない。ベッドだって檻の外の客に見える位置にある。
最初は誰かに見られながらだと寝付けなかったが、これも慣れてしまった。
というわけでうとうとしていると、外が騒がしくなった。
これも良くあることだった。何があったのかというと、大抵は子供が親の手を引っ張り俺を指さし、訴えているというのがほとんどだ。
昔のことを思い出す。親に連れられて動物園に来た俺は目玉のパンダが寝ているのを見て「パンダさんどうして寝ているの? ねえ、起こしてよお父さん!」なんて無茶な要求をしたっけか。つまりそれと同じということだろう。
ごめんなパンダ、安眠の時間を奪って。今ならおまえの気持ちも分かるぞ。
とはいえ俺も起きる義理はないので、その声を無視して寝る。
寝ている姿も愛らしいのかは分からないが、興味深そうに見ているやつはいるしな。それにああいう子供の駄々は長く続かないものだ。
俺の予想通り数分後には檻の前は静かになり、俺の徒然とした思考も睡魔に襲われて溶けていき、真っ昼間から惰眠をむさぼる。
チリン、チリンと次に起きたのはベルの音によってだった。
「ふわぁ……ぁっ……よく寝たな」
ベルが鳴れば食事の合図。つまり夕食の時間ということだろう。
夕食は唐揚げ定食だった。これも俺の好物だと分かったときからよく出てくる。
付け合わせにはサラダがあった。俺の健康状態はかなり気を付けられていて、肉や揚げ物ばかりで栄養が偏らないように野菜も度々食べさせられる。
「昼も夜も当たりなメニューだったな。今日はいい日だ」
俺は残さず食べ終わる。
しかし、異世界人がこうも人間の好みに合わせた食べ物を出せるとは。……ああそっか、おそらく俺以外にも飼われている人間はいるんだろうな。そうやって蓄積されたノウハウから俺を飼育しているんだろう。
時刻は夜、ということでこの頃になると客の数も少なくなってくるのは異世界でも一緒のようだ。
視線も少なくのんびり出来る。とはいえ、昼寝をたっぷりしたためまだ眠くならない。
厳然と俺の世界を区切る鉄格子をぼーっと見ているとふと感情が蘇る。
最初の頃はこんな檻の中から脱走してやると思っていた。
当然だ、こんなところで一生を終えるなんて我慢ならない。俺にはもっとしたいことがあるのだから。
だからよくあるエスケープ物のように監視の隙を見つけて、どうにか脱走しようと計画を練ったが……結論から言って隙など無かった。
檻の中からでも見て分かるような隙なんてものは、物語の起伏上必要で作者により恣意的に配置される物だ。
この現実にそんなものは存在しない。
元の世界だって動物園から動物が脱走するなんて事はほとんど無かった。
大事な見世物だ、脱走されないようにちゃんと管理するのは当たり前のことだ。
それでも時折出てくる脱走した動物の末路は、すぐに捕獲されてまた動物園に戻されるか、はたまた殺処分だ。
だから俺は脱走を諦めた。夢だったり目標だったりを諦めさえすればここは天国だった。ただ生きるだけならこれ以上の環境はない。
営業時間が終わったのか客の姿が無くなる。すると檻の中に異世界人の飼育員が突然現れた。
文字通りの意味だ。おそらく瞬間移動装置なる物がこの異世界には存在するのだろう。そんな文明からすれば、俺が猿のように見えて当然だ。
やってきた理由は掃除のためだ。面倒くさそうに俺の檻を一通り掃除する姿を見ると大変だなと思う。自動運転の掃除ロボットだってあるだろうに、おそらく俺にストレスを与えないために人の手で掃除しろ、とかいう上の命令に逆らえないんだろうな、とため息を付いた飼育員のバックボーンを勝手に想像する。
異世界の言語は通じないためコミュニケーションは取れない。親が勝手に時分の部屋を掃除し始めたときのような居心地の悪さを感じていると、ようやく終わったのか現れたときと同様に突然姿を消した。
ようやく訪れた一人の時間。
とはいえこの檻の中で出来ることは限られている。
「久しぶりに自慰行為でもするか……」
パソコンに似た機械を検索してオカズを探す。
こればかりは人目があると出来るものではない。
……いや、それともこの姿すらも客は興味深げに見るのだろうか?
うーん猿の自慰姿…………俺は正直見たくもないが……どうだろう?
そんなどうでもいいことを考えていると睡魔が襲ってきた。俺はそれに逆らわずに寝る。
これが檻の中の俺の一日。
この一ヶ月ほとんど変わることなく繰り返されてきた。
それがさらに半年ほど繰り返されたある日変化が起きた。
「あの、その……何か突然地面が光ったと思ったら……変なところにいて、訳が分からなくて……すいません、何か知っていませんか?」
檻の中に現れたのは日本語を話す、俺と同じ年くらいの女だった。
「そういうことか……」
ここ最近の変化、飼育員がやけに慌ただしくしていたり、ベッドを大きな物に変えたり、俺の健康状態をこまめにチェックしていた理由がようやく分かった。
「とりあえず俺が理解している情報を話すよ」
「わ、分かりました」
この異世界に来てようやくコミュニケーションを取れたことにホッとしたのだろう。うなずきを返す彼女。
数分後。
「そ、それってどういう事ですか!? まさか……私も檻の中に入れられたという事は、見世物にされるっていうことですか!?」
「俺も巻き込まれた側だし、言われてもどうしようもないっていうか……」
「あ、そうですよね……すいません」
「いや、気持ちは分かるよ」
声を荒げたことを反省する彼女。育ちが良さそうな娘である。
異世界人の行動に俺たちが逆らえることはない。
檻の中に入れられた二人、俺と彼女の奇妙な同棲生活がその日から始まった。
最初の数日はまさに俺を見ているようだった。
「ううっ……様々な好奇の視線。耐えられません」
「なら、俺を盾にするといいさ。もうすっかり慣れたしな」
見世物の檻なので隠れるところは無い。そのため俺の背中に隠れる彼女。
「脱走しましょう! こんな檻の中にずっといられません!! 私には叶えたい夢があります、二人ならどうにかなるはずです!!」
「正直賛同は出来ないけど……まあ考えるだけなら自由か」
彼女の現実逃避に付き合う俺。
「檻の中に入ってくる飼育員を襲って……でも、どれが瞬間移動装置なんでしょうか、仮に奪っても使い方が……」
「あまり根を詰めすぎるなよ。ほら、コーヒー」
最近では檻の中に小規模のキッチンが出来たためコーヒーを入れて彼女に渡す。
「このトンカツみたいなのおいしいですね!」
「最近笑顔が多くなったな」
「え、あ、そうですか? まあその……色々諦めてこの檻の中で生きていくって決めたら気も楽になって」
「気持ちは十分分かるさ。俺も同じだったしな」
そして彼女も俺と同じ覚悟を決めた。
檻の中にはダブルベッド一つしかない。最初こそ一緒に寝られるわけがないという彼女の主張により、俺は床で寝ていたが、そのころには二人隣り合って寝るようになっていた。
そんなある日の夜のこと。
「本当にありがとうございます」
腕枕に頭をのせた彼女が改まった言葉を口にする。
「どうしたんだ?」
「いえ、この檻の中に入ってからあなたにはずっと迷惑をかけていますから……感謝を伝えようと思って」
「……俺は何も出来てないよ。君の夢だって諦めさせることになった」
「そんなこと言わないでください。私はあなたがいなければこの現実を受け入れきれずに精神を壊していたか……最悪の場合自ら命を絶っていたでしょう。今生きているのはあなたがいたおかげです」
「そうか……」
「私と違って、あなたは最初この檻に一人で入れられていたんですよね? 想像するだけでゾッとします。それでも生きていられたってことは……心が強いんですね」
「……そんなこと無いって。逆だよ、俺は心が弱いからこそ、一人でもこの状況を受け入れて生き延びたんだ」
「どういうことですか……?」
彼女の問いに俺は心の内を明かす。
「目標を簡単に諦められるってのは、そこまで本気じゃなかったから、それだけなんだ。夢を語るだけで、本気で努力なんてしたことは無かった。むしろこの状況に諦める理由が出来たって心の底では喜んでいたくらいだ」
「………………」
「それにここでの生活を受け入れたって言っても、代わりのない毎日が延々と続いて正直発狂する寸前だった。君が来て生活に変化が起きて……だから本当は俺こそ君に助けられてたんだよ」
「……なら、お互い様ってことですね」
「ああ、そういうことだ」
そしてふと彼女の方を見ると、あちらも俺の方を見つめていた。
「……なあ、俺がいるのに君までこの檻に入れられた理由分かるか?」
「それくらい分かってますよ。あっちでもよくトップニュースになるじゃないですか。『○○動物園、パンダの赤ちゃん誕生か!?』……って」
「そうか……やつらの思惑通りなのは癪だが、俺は――」
そんな俺の言葉を遮って彼女は宣言する。
「私はあなたを愛しているからしたいです」
「えっ……」
「あなたはどうですか?」
「……そうだな、俺もだよ」
数ヶ月後。
「ほら、あなたの子ですよ」
「おおっ、君に似て利発そうな子だな!!」
「あなたに似てわんぱくな子ですよ」
「まさに俺たちの子だな! よし、名前は――」
これは檻の中、一つの幸せの物語。