第八話:試験開始
のっぺりと広がる青空に山脈、清涼感のある綺麗な空気。小鳥のさえずりが、控えめながら爽やかに耳をくすぐる。
それらの間に、どっしりと構えるアプトノスの灰色の背中。運転手の男が鞭で背を叩くと、小さくいなないて足を速めた。
それを眺めながら、ルークは寝転がる。
不規則に揺れる車の中はひどく快適だ。差し込む陽光は温かく、ひどく眠気を誘う。
試験を前に寝るのはどうかと思うが、瞼がだんだん重くなっていく。
会場までには最低でも一時間はかかるはずだ。少しばかり寝ても問題はない。
(ちょっと寝るかな)
ルークは自らの腕を枕にして大きく息をついた。すぐに眠気の波が襲ってくる。
吸いこまれるような心地よい感覚に身を委ね、目を閉じた。
すると、渇いた音と衝撃が頭を襲った。
はずみで腕が外れ、顔面を床に強打してしまう。鈍いが小気味よい音が荷車にこだまする。
ルークは一瞬固まり、すぐさま顔をあげた。
「いってーな!」
「ずいぶんと余裕ね。今のうちに集中力を練り上げるとかしたらどうなのよ」
クレアは隣にしゃがんでルークの顔を覗きこんでいる。
痒いような染みるような、痛む後頭部をさすりながらクレアを睨む。
「何だよ、いーじゃねーか。会場まで一時間くらいあんだろ」
「あのね、私前にも言ったでしょ。ハンターは実力がないとダメなの。それはただがむしゃらに戦う実力だけじゃなく、集中力だってその一つなんだから」
「そんなもんなのか」
「あなたね、ハンターだったんでしょ」
言外に含めてクレアは言う。
ルークはうるせーな、と悪態をついた。
ハンターであったことは間違いない。瞬いた記憶と、武器を握った感覚がそう思わせる。
だが、集中力が必要かどうかは曖昧だった。何せモンスターと戦っている様子しか思い出せない。
もしかすると、あまり集中する柄ではなかったのかもしれないが、断定はできなかった。
「そりゃ、そーだけどな。ま、何とかなんだろ」
「本当に楽観的ね。約束、忘れてないわよね」
「はいはい。覚えてますよ」
気のない返事を返し、ルークはまた寝転がる。
身につけた装備の金属部が、床について音を出した。
ルークが着ている装備は『ハンターシリーズ』と呼ばれるものだ。クレアが見繕ってくれた。
上質な獣の皮と、鉄鉱石などの鉱石を用いて造られている。値は張るが、程よい重さで防御性能も高い。
優れたデザイン性にも定評があり、立ち寄った鍛冶屋でも人気商品の扱いであった。商隊の護身用や、自警団の装備としても需要が高いらしい。
武器はギルドから支給されるから、と主立ったものは買わなかった。
クレアは何か言いたげにしていたが、諦めたらしい。気配がルークから離れていく。
腰の毛皮をいじりながら、ルークは試験を思った。
(ああは言っても、やっぱ心配だよな)
合否もそうだが、それだけではない。
ハンターになって、本当に記憶は戻るのか。そうしたら自分はどうなるのか、何をするつもりなのか。
ゴールへ走ることばかり考えて、肝心なゴール地点は決まっていない。
(俺はどーなるんだろ)
イメージすら沸いてこなかった。
ルークの前に用意されたのは真っ白なキャンパス。手には真新しい絵の具と筆とパレットがある。
それをどう使おうか、ルークには考えられなかった。
下手な絵は描きたくない。だが、上手く描けるかは自信がない。思いのままを描くことすらできないでいる。
ルークは夢うつつに、未だ白いキャンパスを見つめていた。
「ルーク、起きて」
クレアがルークの肩を優しく揺する。
ルークは小さく唸りながら寝返りをうち、目を開いた。ゆっくりと起き上がり、周囲を見回す。
まず見えたのは人の列。
それはとある場所に向かってずらりと並んでいる。
その先に目を向けると、平屋の施設があった。何個かの施設が連なり一つを成している。
それぞれが大きく、離れた場所から見ても広さがうかがえた。
「広いな」
「ええ。この一帯の試験や実技訓練はここで行われるからね。今日は試験の日だからよけい多いのよ」
「へー」
人数はざっと五十人ほど。
みな荷物を背負い、真剣な面持ちで順番を待っている。
他の道からも続々と受験者が集まっているのが見えた。
ルークの眠気が一気に吹き飛ぶ。
これから本番なのだと思うと、嫌でも緊張してしまった。不自然に高鳴る心臓がうるさい。
ここから始まっていくのだ、とルークは唾を飲んだ。
「帰るなら今のうちよ」
荷物をまとめながら、クレアが茶化す。
「まさか。がぜんやる気が出てきたぜ」
ルークはにや、と笑った。
クレアは自分の荷物を背負い、「そう」と微笑んだ。
「装備代、返してくれるのかと思ったけど」
「お前な」
「冗談よ。ほら、あなたの荷物は自分で持ってね。行きましょう」
クレアは荷車から飛び降りた。運転手に近づいて何事かを話している。
運転手はにこやかに頷き、クレアから金を受け取った。
そしてルークに振り向き、
「お客さん、出発しちゃうよ」
と、急かした。
ルークは「ワリぃ」と、慌てて荷物を背負い、荷車から飛び降りた。
前の人間がそこを離れると、金色の長い髪を緩く巻いた可愛らしい受付嬢がにこやかに立っていた。それは分厚い化粧のせいで、どこか嘘くさい。
「ようこそ。ハンターズギルド、ラージ訓練所へ。ご用件は何ですか?」
しっかりと目を見て、はきはきと喋る受付嬢だった。
ルークはわずか好感を覚えながら、用件を伝えた。
「試験を受けに来たんだけど」
「かしこまりました。出身地とお名前をお教えいただけますか?」
「え、っと」
ルークは思わず口ごもる。
出身地を何と答えればいいのかわからなかった。ラージ村から来たが、いるのは記憶が戻るまでであって、出身ではない。
すると、横で聞いていたクレアが割って入り、
「名前はルーク。ラージ村のアリエッタから話が通っているはずです」
書類に何か書いていた受付嬢の手が止まった。
すると後ろの棚に向かい一枚の書類を取り出すと、手早く何事かをサインし、ルークに差し出した。
「受付は完了いたしました。しばらくいたしましたら、試験が開始されます」
「どーも」
ルークがそれを手に取ると、受付嬢はまばゆいばかりの笑顔で、
「では、試験内容をお話します。この訓練所では三つ、試験が行われます。第一、第二は本日中に行われ、第三は明日行われます。宿舎がありますので、受験者の皆様はそちらにお泊りいただくようになります。第一試験はそちらに見えます会場で行われますので、しばしお待ちください」
受付嬢の示した先には巨大なホールがあった。ざっと百人ほどそこに集まっている。
受付嬢は用は済んだとばかりに微笑んで、「ご健闘をお祈りします」と言った。
ルークは軽く礼を言い、書類をポーチにしまうと、歩きながらクレアを見やる。
「ありがとーな。助かった」
「どういたしまして」
クレアはルークを見なかったが、口元は優しく笑っていた。
ホールに行くと、なおさら広さを実感できた。
これだけの人数が入っているというのに、まだまだ余裕がある。部屋の隅には大量の資材や武器が置かれ、従業員らしい人間がせわしなく動き回っていた。
その構成の大部分は男で、女は数えるほどしかいない。クレアは動じる風でないが、他の女は多少肩身が狭そうである。
そのせいか熱気がすさまじく、訓練所に入ったときから生温い風がルークを包んでいる。少し慣れたが、それでも不快感はなかなか拭えない。
「それにしてもさ」
「なに?」
「やっぱ、みんな装備一緒じゃないんだなー、って」
「そうね。装備は身を守ると同時に個性を表すものだから。みんな一緒だったら気持ち悪いわ」
確かにな、と頷き、ルークは周囲に目を向けた。
受験者たちの装備は一様ではなく、様々である。
毛皮で作られた、まるで防寒具のようなマフモフシリーズに、レザー素材のレザーライトシリーズ。ルークと同じハンターシリーズの者もいれば、鳥竜種・ランポスの素材から作られたランポスシリーズの人間もいる。
しかし、そのどれもが「初心者用」と言われるものばかりだ。モンスターの素材を使っているが、ランポスも底辺に近い装備である。
皆試験を前に、異様に色めき立っていた。
睦まじく談笑する者、いやに殺気立つ者、今までの戦績を声高に主張する者。
個性が強いんだな、と人事のようにルークは思った。
「そういや、試験いつ始まるって言ってた?」
「いいえ。大丈夫、必ず始まるから待ってなさい」
「あっそ」
そういうものなのか、とルークは納得した。
人が増えるにつれて、喧騒も大きくなっていく。
ルークは、だんだんと苛立ちを隠せなくなっていた。
あれから一時間ほど経っているというのに、まだ始まる様子がない。それに関する連絡も一切なかった。
白い毛並みの、アイルーと呼ばれる二足歩行の猫が、大きめの荷物を運んでいる。その愛らしい姿さえ、ルークには苛立ちの種だ。
喉までせり上がった舌打ちを飲みこみ、周囲を見回す。
人数はいっそう増えた。一カ所に集まっているせいか、先程よりも圧迫感がある。居心地の悪さに身じろぐと、隣の男とぶつかってしまった。
男がルークを睨みつける。ルークはすみません、と軽く謝り、視線を外した。
その様子を見ていたクレアが、呆れたようにため息をつく。
「そんなにイラついても仕方ないわよ」
「しょーがねーだろ。試験、いつになったら始まるんだ? いくらなんだって遅すぎるだろ」
「まあまあ、落ち着きなさいって」
クレアは微笑みながらルークを宥めた。
ルークは眉をひそめて顔を逸らす。クレアの言い方がまるで赤子をあやすようで、癪に触ったからだ。
ルークは手持ちぶさたに視線を巡らせ、ふと気付く。
(人が減ってる)
先程隣にいた男がいなかった。
他にもちらほらと、いなくなった人間がいる。強かった圧迫感もいささか弱まったようだ。
(みんなどこに行ったんだ)
ルークは周囲を見回し、ふと出入口を見た。
会場に入る人数と同じくらい、逆流する姿があった。試験を待つ人の塊からまた一人、それに加わる。やがて人混みに呑まれるように、姿は見えなくなった。
それにつられるように、ルークの周囲も一人、また一人会場を去っていく。
いつしか人の波は、会場を去っていく人間のほうが多くなっていた。
(帰るのか。試験はまだ始まってねーのに)
変な奴らだ、とルークは思った。だが、すぐに不安が襲う。
(試験って、本当にやるのか?)
よくよく考えると、日時も場所も、ルークが自分で確認したわけではない。他人からのだからこそ、よけい心配だった。
出入口へ流れていく受験者たちを見ながら、ふとルークは思う。もしや、自分が知らないだけで連絡が行き渡っているのではないか。
有り得ない話ではない。この人数なら、話が伝わるのに時間がかかっているとしても頷ける。それに、何かの事情で中止になってもおかしくはない。
そう思うと、ここを出たほうがいいように思えてくる。ルークは波に呑まれるように出入口へ足を向けた。
その手を取り、クレアが引き止める。
「待って」
ルークが振り返ると、そこには怪訝な表情のクレアがいた。
「何だよ」
「どこに行くの?」
「帰る」
クレアの目が、わずか見開かれた。
「帰るって、どうして? まだ試験は始まってないわよ」
「始まらないからこそ帰るんだろ。一時間待ってもこれなんだから、やらないかもしれないし」
クレアの目に、わずか不穏な色が宿る。
「ここでやるのは間違いないわ。現に受付もやっているもの。それでも、帰るっていうの?」
「それは……。じゃあ、何で帰ってるヤツらがいるんだよ。もしかしたら、手違いで試験が中止されたのかもしれねーだろ」
言ってから、ルークはクレアから視線を逸らした。
おかしいことを言っているのはわかるが、今更引けない。試験が中止になった、という可能性も捨てきれないからだ。
クレアは真っすぐにルークを見つめながら、
「……いいわよ、それでも」
急に態度を軟化させたクレアに、ルークは目を剥いた。さっきの話ぶりからして、もっと引き止められると思っていたからだ。
クレアは手を離し、回りこんでルークの視界に入る。
「私は強制する権限を持たないもの。試験を受けるのはルークであり、私は関係ないわ。ルークが決めたことが解答になる」
「おい、何を」
「帰るの? ルーク」
有無を言わさず、抑揚のない声が言葉を遮った。
クレアの瞳に潜む冷たい輝きに、ルークは身を震わせた。まるで綿が詰まったようで、ルークは喉をしならせる。
出会って一日だったが、こんな顔をするとは思ってもみなかった。最奥を覗かれる感覚を覚え、ルークはわずか身を引く。
「……俺は」
クレアの瞳の青が深みを増したようにルークは感じた。
言葉を詰まらせるルークの背後で、不意に高笑いとざわめきが起こった。
何事かとそちらを見れば、何やら人だかりができている。人々は口々に心配や不安の言葉を発していた。
二人もそれに近づいて人を掻き分け、中心を覗きこむ。
そこには木箱の山があった。しかし、なぜか中心は粉々に砕けて瓦礫になっている。人々はそこに視線を送っているようだ。
ルークが眉を寄せていると、隣で傍観していた男がルークに話しかけた。
「見たかい、さっきの」
「いや。何かあったのか」
「俺も途中からしか見てないんだけどね、あそこに足場があるだろう? あそこから人が落ちてきたんだ」
男が指し示した先には、幅二メートルほどの足場があった。瓦礫の真上に擦れたような跡があって、どうやらそこから落ちたらしい。
すると、瓦礫が一瞬動いた。人々は声をあげ、恐る恐る近づいていく。
途端に瓦礫が激しく動きだし、山が崩れ始めた。大部分が落ちたところで、さっきの高笑いとともに、下から何かが飛び出した。
黒を基調とし、所々オレンジをアクセントに加えた布製の『クロオビシリーズ』を身につけた男。無駄のない姿勢に白い歯の輝く笑顔、それを見つめる人々の冷めた視線。
男は軽い身のこなしで瓦礫に着地し、しかし足を滑らせて転んだ。周囲からいっせいに笑いの渦が起こる。
一瞬固まっていた男は、次には勢いよく起き上がり、仁王立ちで周囲を見回す。
「諸君、おはよう! いい試験日和だな。ちゃんと朝飯は食ったか? 体調は万全か? 私は諸君らの顔を見て火がついて、思わずはしゃいでしまったよ!」
どこか男が憎めない笑顔を浮かべるが、周囲は困惑するばかりで表情は硬い。むしろ冷めた雰囲気すら感じさせる。
無理もないな、とルークは一人納得していた。自身もその一人だったからだ。
すると、今まで姿の見えなかったクレアが隣に並んだ。優しく柔らかな笑みを浮かべながら、「相変わらずね」と呟く。
「知ってんのか?」
「ええ。古い知り合いでね、昔はパーティを組んだこともあるわ。すっごく懐かしい」
「ふーん」
生返事を返しながら、ルークは男に視線を戻す。自身の知らないクレアの過去に、置いていかれるような、孤独に似た寒さを感じていた。
「ノリが悪いな」と男がぼやくと、群集の中から真っすぐ上に伸びる手があった。そこに向かっていっせいに視線が集中する。
ギアノスシリーズを身につけた、いささか目つきの鋭い少年がいた。
短めの赤髪に緑の目、表情は固いが少しあどけない。ルークよりも頭一つも半背が低く、体もまだ成熟しきっていなかった。まだ十四、十五歳ほどに思える。
少年は鋭く男を見据え、
「ふざけるより先に、あなたは誰なのですか」
もっともだな、とルークは思った。周囲には小さく頷く者もいる。
男は片眉を上げ、少年を見つめた。が、すぐに笑みを浮かべ「それもそうだな」と言った。
「申し遅れた。私はこの訓練所の教官、ボルレロだ。以後、見知りおき願いたい」
瞬間、場が騒然とした。
人々は訝しげな視線を向けたり、顔を突き合わせて何事かを話している。ボルレロが教官だというのが信じられないらしい。
それはルークも同様だった。仮にも狩りのスペシャリストを育成する教官が、こんな腑抜けだとは思えないからだ。
しかし男は、「まあ落ち着きたまえ」と皆を宥め、笑みをそのままに続ける。
「すぐ信じろ、と言っても無理があるな。何せ、諸君は試験が終わったことすら気付いていないのだからな」
今まで騒がしかった会場が、水を打ったように静まった。男の言葉が、にわかには信じられないからである。
教官もそうだが、開始の合図すらなかったのだ。それが試験内容などと、どんなに素直な人間でも信じられるはずがない。
そこでルークは、はっとした。驚愕の表情でボルレロを見る。
ボルレロはゆっくりと視線を一巡させ、ルークを見据えた。その考えを見越してか否か、意地の悪い笑みを浮かべる。
「ハンターたる者、武術の心得は必須だ。しかし、相手は生命だ。いつ何時、どこから現れるかわからない。豊富な知識と、地形と相手の動向を読む洞察力、これを踏まえ、的確に対処し作戦を立てる判断力、目標が現れるまで粘り強く待つ忍耐力。第一試験は、これらすべてに適応しているかを見る試験だったのだ」
「そんな変な話があるか! 予定通りの時間に試験を開始しないなんて、おかしいだろう!」
群集のどこかから野次が飛ぶ。
だがボルレロはそれをもろともせず、冷ややかな目を向けた。その先で誰かが息を飲む気配がルークに伝わる。
「君は、何か勘違いしているな。これは学者や国家の試験ではないぞ。さっきの私の話を聞いていなかったのか?」
ますます空気が重く、喉につかえるようになっていく。先程までは穏やかだったボルレロのギャップに、誰もが恐怖を感じていた。
ルークは俯きながら、先程のことを思い出していた。
今なら、クレアの言葉の意味が理解できる。試験の内容を知っていたからこそ、ルークを思って止めたのだ。もしクレアが止めてくれなかったらと思うと、背筋が凍るのを禁じえない。
ボルレロは舐めるように目線をを周囲に配りながら歩きだした。その先にいた人々はすぐさま道を開け、畏怖の目で見送る。
それらを横目に見、ボルレロは語りだした。
「モンスターは決められた時間や場所に現れるわけではない。茂みの先から、あるいは地面から、凄まじい力で突然襲いかかってくる。そんなとき、場を読む力や粘る力がなかったら、モンスターと戦うことすらできないだろうな」
ボルレロは言葉を切り、ルークの前で立ち止まる。そして意地の悪い笑みを浮かべながら、
「そうだろう。君は会場を出て、どこに行くつもりだった?」
と、問うた。
やはりきたか、とルークは思った。歯を食いしばり、頭一つ高いボルレロを睨み据える。悔しさと焦りが腹の底からこみ上げた。
この男は最初から知っていたのだ。あの高台からすべてを見ていて、それでルークのところへやってきた。巧妙な蜘蛛の巣に、絡めとられていたのである。
ルークは唇を噛み、考えた。曖昧な答えばかり浮かんで、しかしそれは役に立ちそうにない。
嘲笑と同情を孕んだ視線が突き刺さる。ルークはそれらに背を押されて、絶壁から落ちそうな感覚を覚えた。
静まり返る場の中、ルークは覚悟を決めた。唇を舐め、手を強く握り、真っすぐにボルレロを見据え、口を開く。
「トイレ」
「……何だと」
ボルレロは半ば呆れた表情をしながら、抜けた声をあげた。様子からするに、怒ってはいないらしい。
これを好機と見て、ルークはさらに言葉を重ねる。
「汚ねー話だけど、長い時間待ってたら我慢できなくなっちまってさ。場所がわからなかったから受付の人に聞こうと思ってさ。もしかして、悪かった?」
ルークはそう言い切って、さあ来い、と身構えた。
この嘘が苦し紛れであることは、ルーク自身理解していた。周囲からは哀れむような視線が向けられ、何かをささやきあう声も聞こえる。
だが、言ってしまった手前訂正はできないし、諦めるつもりもない。約束と金と、何より、記憶と人生がかかっているのだ。
沈黙と睨み合いが続き、ルークは重圧に耐えかね、唾を飲みこむ。もう一時間ほど経ったと思えてならない。それでも視線を外せば負けだと思い、じ、と視線を交える。
すると、不意にボルレロの口元が歪んだ。みるみるうちに肩が震えだし、やがて大口を開けて笑いだした。
ルークが驚いて呆けていると、ボルレロはその肩を何度も叩きながら、
「まいった! まさかそんな答えが返ってくるなんてなぁ。面白いやつだ」
「なんか、褒められてるのかけなされてるのか、よくわからねーんだけど」
「安心したまえ。ちゃんと褒めているさ。ハンターは時に、常識に囚われない機転も必要だ。いいハンターになりたまえ」
ボルレロはルークの頭を撫で回し、最後に軽く叩いて離れた。
そして周囲に視線を配りながら、高らかに宣言する。
「この瞬間をもって、場に残った一五三名を第一試験通過者とする。おめでとう!」
瞬間、静かだった会場に歓声がわき起こった。跳びはねたり、周囲の人間と握手を交わしたり、喜びにうち震えたりしている。
ボルレロは満足げに何度も頷き、「注目!」と声をあげた。
「これから十分の休憩とする。その後すぐに第二試験を開始するから、覚悟したまえ。集合場所はここから南にある闘技場だ。時間は厳守するように。では、健闘を祈る!」
ボルレロはまた、高らかに笑いながら出入口へと走っていく。
しかし、落ちていた資材に足を滑らせて転んだ。そのまま床を滑り、絶叫しながら扉の先へ転がり出ていった。
群集がそれを笑う中、不意に「おめでとう」と声がかかった。ルークが振り返ると、クレアが柔らかく微笑む。
「これで第一試験突破ね。次もあるから頑張りなさい」
背を向けたクレアの手を、ルークはとっさに握った。
「待てよ」
クレアは立ち止まって振り返り、さも不思議そうに首を傾げる。
「どうしたの?」
「どうしたのって、いいのかよ、さっきの」
「何が?」
眉を寄せ、ますます首を傾げるクレアにルークはむず痒いものを感じた。
クレアは知っているはずなのだ。本当はルークが失格になるのを知っていて、あえて黙っていた。ルークはそれが理解できなかったのだ。
一瞬黙ってからクレアは、
「私はここで静かに待ってるルークしか見ていないもの。どうもこうもないわ」
「でも……」
言葉を続けようとしたルークの口を、クレアは突然塞いだ。そして、爪先立ちでルークの耳元に口を寄せ、囁く。
「それ以上言っちゃダメよ。みんな聞いてないようで聞いてるんだから」
ルークはそっと、周囲に視線を巡らせる。
みなそれぞれに会話をしていて話を聞いているようではない。だが言われてみれば、そうのような気がする。
するとクレアは、人差し指をルークの口の前に持ってきて微笑んだ。
「余計なことは言わなくていいわ。私がフォローしてあげるから。でも、次は庇えないわよ」
ルークが何度か頷くと、クレアはようやく離れた。会場から去っていく人の波に、だんだんと消えていく。
その背を見て、ルークは「クレア!」と呼び止めた。クレアは立ち止まり、しかし振り返らない。その先の言葉を待っているようだった。
ルークは小さく息を吸い、大きな声で言った。
「ありがとう」
その瞬間に振り返ったクレアの笑顔は、人々の間で一際輝いて見えた。
Act.8 End
みなさん、こんにちは。千波です。本当に久々の更新でごめんなさい……!私生活が多忙を極めてしまいまして。これからはちょくちょく更新できると思います。どうぞお楽しみくださいませ(´∀`)ノ
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