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  ORIGIN 作者:千波
第十七話:帰還‐8
「……君が」

 生気の枯れた虚ろな瞳がクレアを射抜く。対峙する冷徹な表情は歪みもせず、崖から蹴落とされた哀れな子に暗い色を濃く植えつけた。
 それを傍らで見ながら、ルークは密かに眉を寄せた。
リオの立場と過去をルークは知らない。しかしその心境はほんの少しだが理解できるような気がした。自分が築いてきた土台が、ささやかな幸せと思いが一瞬で崩れていく。それがどれほどの苦痛であるか、それは誰であっても想像に難くない。考えれば考えるほど言葉で言い表せない何かで胸が締めつけられるように痛んだ。
 リオは新緑の目に苛烈な憎悪を滲ませ、眼前に居もしない相手に挑むように、睨むように二人を見据える。

「僕の仇に似ているんだ。どうしても、どうしても忘れられない仇に」
「仇って……」

 思わず零れたルークの言葉を、リオは首を振ることで制した。何も見たくないといった様子で顔を背け俯き、二人の視線を、その感情すらも遮る。互いを遮る不可視の壁がより厚く硬く、重みを増して空間を隔て地面に食い込み侵入を拒んだ。

「君たちには関係のない話だよ。クレア、貴女が僕の仇でない以上僕から話すことなんて何もない」

 そう苦しげに吐き捨て、リオは二人に背を向けた。それがあまりにも小さく、それでいて深い悲しみが窺える。
 ルークはそれを見てふと、行ってしまう、と思った。ただの予感でしかないが、リオはこのまま行けば自分が存在した痕跡すら残さず消えてしまうように感じた。そうすればもう二度とリオの顔を見ることはない。それは疑惑ではなく確信であり起こり得る未来であろうことを、頭のどこかで理解していた。
 リオのことを考えればそのほうが幸せだろうことは頭のどこかで感じている。それでも何故だか放っておけなかった。対岸へ渡ろうとするその手をこちらへ引き戻さなければいけないような、そんな気がした。
 口から言葉とは言い難い掠れた空気が漏れ、次にはドアへ歩き出そうとしたその手咄嗟に握る。リオは大きく体を震わせ、目を見開いてルークに振り返った。ルークも視線の意味に気付き、動転してそれを返す。
 一瞬そうして視線を交わし、我に返ったのはリオが先だった。はっとして様子で固く握られた自身の手を見ると少し慌てた様子でそれを振り払おうとする。だが急いているせいかうまく振りほどけず、乱暴に振り回してようやく外れた。

「いつまで人の手を握っていれば気が済むんだ、君は。気色悪い」
「いや……ワリぃ」

 ルークは逡巡し目を伏せ、「どうするんだこれから」と言った。リオは訳が分からないと言いたげに眉を寄せ、しかし次に自嘲ぎみな仄暗い笑みを浮かべる。

「どうするんだろうね。復讐を続けるか、無様に一般人として生きるか。いいや、復讐はもう無理だ。そんな力、もう僕には残されていないのだから」

 伏せられた瞳にルークは何か危ういものを感じ、その小さな額に手を当てて強引に上を向かせた。リオは驚き、そして些か怒った様子で振り払おうとしてくるのをさらに上を向かせて留める。

「だったら、一緒に来いよ」

 リオは呆気にとられた様子でルークを見、クレアも信じられないと言いたげに視線を向けた。それらに構わずルークは真っ直ぐにリオを見据え、もう一度ゆっくりと「一緒に来い」と言った。
 するとリオは嘲るように笑い、ルークの手を半ば強引に振りほどいた。

「何を言うのかと思えば……そんなことを言って、どうするつもりだい」
「どうするつもりもない。ただ、一緒に来いって言ってるだけだ」

 それにリオはあからさまに眉をひそめた。ふざけるな、とでも言いたげな目でルークを睨む。取り付く島もない。
ルークは一瞬迷い、そうして決心しリオを見た。わずか乱暴に肩を掴んでこちらを向かせ「そうじゃねーよ」と語調を強める。

「……俺はこの試験でどうしようもないことをした。さっきの話で俺は、リオに許してもらったとか思ってないし、それ以前に許してもらおうとかそんなことは思ってない。これからどーなるかもわからないし、俺は、また今回みたいな過ちを犯すかもしれない。だから、そうならないように近くで見ててほしい。んで、俺がもしまた間違ったらそん時は……殴ってくれよ、全力で」

 数秒の間の後、リオは眉を寄せて首を横に振る。完全な拒否というより、どこか迷っているような気配があった。抵抗していた手も今はだらんと両脇に垂れて血が出るのではないかと思うほど握り締められている。
 ルークはそんなリオを見ながら、この意地っ張りな少年は何を考えているのだろうか、と思う。先程の激昂ぶりからもっと激しく抵抗されるものと思っていたが、そんなそぶりはない。しかし見捨てられたくない、と言うには違和感があった。その瞳に一抹の悲しみや望郷の気配があるように感じられる。ただそれが何に対して向けられているものなのかは、ルークにはわからない。
 リオの瞳が揺れ、苦しそうに閉じられる。そしてため息をついてルークから静かに身を離した。

「君はどうしようもないね。本当にどうしようもないくらい……あの人に似ている」

言って、邪魔なものを振り払うようにリオは首を振った。わずかして顔を上げ、再びルークを睨む。

「君の言ったとおり、僕は君を許さないよ。今だって、本当なら首を掻き切ってやりたいくらいだ」

 憎悪をひしひしと感じられる視線に、ルークはかすか目を伏せる。自分が蒔いた種とはいえ、憎しみをぶつけられることに何も感じずにはいられない。リオの感情がほんの少しでも理解できるからこそ、心が引き裂かれるように痛んだ。
 リオはそれを見て何事か考えるように沈黙し、しばしして口を開く。

「……ついて行くよ。君がまた過ちを犯さないように、僕みたいな人を生まないようにね」

 思わず、ルークは顔を上げた。リオは相変わらず鋭い視線を向け、「次はないよ」と吐き捨てるように言う。ルークは一瞬呆け、やがて安堵したような柔らかな笑みを浮かべる。それを見、物事が一つの区切りを告げたようにクレアは思った。
 かすか笑みを浮かべ、クレアは音もなく部屋を出た。ここから先はもう、二人だけの問題だ。ここまで手を差し伸べればもう助けはいらないだろうとも思う。
 クレアは一瞬背後の部屋し視線をやり、そして馬車の手配をするべく階下へと歩き出した。


 差し出された納品書に簡単にサインをし、代わりに受領書を受け取る。腰に取り付けたポーチに受領書をしまいながら、辺境の施設は警備が甘くて楽だ、と内心ほくそ笑む。綺麗に折りたたまれた種類を収め、周囲に視線を向ける。
 夕方の最終便が集まるせいか、乗車場にはいつもより何台か多めに馬車が停まっていた。これから故郷に帰るのだろう男と少女が嬉しそうに抱擁を交わし、新人教官らしい若い男が古株の教官に叱られている生温い様子が目に入る。
 それを見、嫌悪に背筋がよだつ感覚を禁じえない。馴れ合い、社会を堕落させる弱々しさ。それが何よりも気に食わなかった。
 そうして視線を流し、とある人物に目が留まる。そうして、これ以上ないほどに目を見開いた。
 似ている。いや、似ているどころではない、まさに瓜二つだった。儀善にしか思えない優しそうな目元も、人を惹きつける優しい笑みを作る憎らしい口元も、とてもよく似ていた。
 思わず視線を奪われ、睨むように凝視する。幸いあちらはこちらに気付かず、みすぼらしい格好をした男と談笑していた。何か交渉をしているようだった。
 ふと、近くから咳払いが聞こえる。そちらに視線を向けると、検閲官が不審げな視線をこちらに向けていた。そういえば物品の受け渡しの最中だったな、と「ごめんなさい」と微笑んで検閲官に向き直る。

「確かに、今回の予防接種はこれで全部ですな」
「ええ。次からはこの予防接種のものと合わせた薬品もお持ちしますので、今後入所される方全員に投与してくださいね」

 微笑むと、検閲官は少し頬を紅潮させて頷いた。ちょろいものだ、と内心毒づく。
 「しかしなあ」と検閲官は顎に手を伸ばしながら脇に置かれた木箱に視線を落とす。蓋は開けられており、厳重に藁で包まれた中には透明な液体が入った大きなビンが何本が入れられている。そのラベルには、いずれも龍を模した印が押されていた。

「こんなに貴重な薬品を一部に集中させてよろしいのですかねえ。最近数週間でこの療養所で起きているような症状が各地で頻発しているのでしょう? それに、この薬品を投与してから感染者は増える一方で……」

 検閲官の言葉を遮るように「恐ろしいですね」と眉を垂らして見上げる。すると検閲官はまた頬を紅潮させて「あ、いや」と口ごもった。それを隙と見て、反論されないように話を連ねる。

「でも、心配はご無用です。これがあれば感染は防げます。私たちを信じてこの薬品を苦しむ方々や医療従事者に投与してください」
「そうですな。どんな薬品も使ってみなければわからない。大切に使わせていただきますぞ」
「よろしくお願いします。では、私は他の施設に薬品を届ける使命がありますので」

 恭しく礼をすると検閲官も礼をし、木箱を抱えあげて療養所内へと戻っていった。
 それを気配で感じて顔を上げ、先程の姿を探す。しかし話を終えてしまったのか、乗車場内にはその姿を認めることはできなかった。
 周囲に聞かれないように小さく舌打ちすると、自らの馬車に乗り込み、発車させるように言う。騎手は小さく頷き、大きな声をあげて馬を鞭で叩いた。馬は甲高い嘶きをあげて小さく前足を上げ、荒い鼻息を放ちながらゆっくりと前進する。乗車場を出てゆっくりと変わっていく景色にため息をつきながら、強弱のある揺れに身を任せる。
 全てはとても容易いことだ。優しい言葉や態度という餌を示せば、まるで小魚のように群がってくる。それを一網打尽にすることなど息をするように易いことだった。
 何もかも着々と進んでいる。すべては自らの手のひらの上という碁盤で駒が踊っているに過ぎない。駒を奪い奪われ、確かに囲み目指してきたチェックメイトまで、後もう少し。
 無邪気な子供のように微笑み、ふと外を見る。何も知らない世界を思わせる暖かな橙の夕日が山々に沈んでいく。それが今の状況を表しているようで、早く沈んでしまえばいいのにと、心から思った。


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