第十七話:帰還‐1
涙が溢れて仕方がなかった。
強く目をつむっても、平静を装おうと心を静めても、嗚咽を必死にこらえても、内側から強い力で押し出されるように次々と溢れていく。
手の甲で涙を拭いながら、木枯らしのようなかすれた息も絶え絶えに、守れなかった、と小さく呟く。
必ず守り抜いてみせる、と誓ったのだ。たとえ世界のどんな素晴らしい宝物や高名な詩人や画家が造った作品よりも、清潔で優しく、美しかったあの人を守り抜いてみせると。あの人が、小さな小さな箱庭のほとんどを、世界を占めるものだった。
それなのに約束を破ってしまった。あの人は朝と夜の間の怪しい薄闇に呑まれて戻らない人になってしまった。儚く伸ばされた白く弱い手を、掴むことができなかった。
溢れ出る涙を、大きな手が優しく拭い取った。顔の輪郭を滑り頭の上まで行くと、宥めるように撫でさする。
「ほら、もう泣かないんだ。そうするしかなかったんだ」
そんなはずがない、と首を横に振る。今考えれば、絶望的なあの状況でも助ける手立てはあったはずなのだ。もっと頭がよく力があれば、あの人を守りぬけてかもしれない。
その人が苦笑したのが気配でわかった。がっしりとした手を両脇に差し入れると、小さく掛け声をあげて体を持ち上げた。そして腕の中に抱きこみ、ゆっくりと背中を叩く。
「あの人は覚悟を決めてた。守られるよりも、お前を守り抜くことを、それで死ぬことも、全部覚悟してた」
「嘘だ……。そうやって騙そうたって、そうはいくもんか」
「嘘じゃないんだな、これが。仮に嘘だとすれば、オレたちはあそこから逃げられなかった。それに、あの人が嘘をついたことがあったか?」
「……ない」
その人は「だろ?」と言い、体を離して視線を合わせた。しかし、その顔は黒い煙に隠されてよく見えない。
「だから、お前も覚悟を決めるんだ。あの人から、渡された命を大切にして、天寿を全うするまで生きる覚悟を。……そりゃあ、すぐに割り切れって言ったって無理な話だけどな。でも、今はそうするしかないんだ」
その人は言い終えると腕をさらに深く体に絡ませ、強く抱きしめた。ぬくもりを感じながら、まだ耳に新しい言葉の意味を考える。
言葉の割りに押し付けるような雰囲気は微塵もなかった。だた、その言葉には相手だけでなく自分にも言い聞かせる響きがあった。それを聞いて、ああ、この人も自分と同じですごく辛いんだ、とぼんやりと思う。
ずいぶん遠くまで逃げてきたから、すごく疲れている。もう周りには雪が降り積もるかすかな音と触れ合う箇所から伝わるぬくもりしかないものだから、緊張が解けて意識が濁ってきた。もう何回瞼が落ちそうになったか、数えるのも億劫だ。
その人はくす、と微笑み、ずり下がった体を抱えなおした。
「さあ、いつまでもここにいたらあいつらが来ちまう。さっさと移動しちまおうか」
その人は一瞬飛び上がるような動作をとり、一気に走りだす。一定のリズムを刻んで訪れる穏やかな振動と、雪を踏む心地いい音が交じり合って、いよいよ睡魔が強まってきた。遠ざかっていく山々の黒い影を見つめながら、体の力を抜いていく。
その人は力のなくなってきた体をより一層しっかりと支えながら「起きてたら聞いてるんだぞ」と前置きをして、静かに口を開いた。
「自分ばかりを責めるんじゃない。いつか罪の重さに耐え切れずに倒れちまうからな。今のお前ができることは、どうやって未来に命を繋いでいくかなんだよ」
長きにわたる執筆中断、本当に申し訳ありませんでした。
作者自身新生活や就職にあたってだいぶあわただしい生活を送っており、なかなか執筆する時間が取れなかったのが原因です。
これ以上は言い訳になってしまうのでやめますが、本当に申し訳ありませんでした。
もしこの作品を楽しみにしてくださっていた人がいたならば、本当に心苦しい思いでいっぱいです。
最後に、もしよければ、また作品を開いてぱらっと読んでいただければ幸いです。
それでは、次話でお会いしましょう
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