呪われた蓄音機
チャット会「なないろ・かれいど(http://www1.x-feeder.info/shiroenpitu/)」のラジオ企画で、リクエストを受けながら怪談を書いてみました。時々アドリブで大喜利が入っております。
八月の半ば、下宿の郵便受けに、珍しく手紙が入っていた。
はがきの裏を見てみると、そこには、親戚のおじさんの名前があった。
何の商売をしているのかもわからない風来坊なおじさんで、正月以来、彼には会っていない。
手紙を片手に部屋の扉を開けると、汗の匂いが混じった蒸し暑い空気が奥の方から流れ出してきた。
駅に近いのは助かるが、この部屋はまるでサウナだ。
私は机の上のペットボトルを手に取り、底に残った生温いお茶を飲み干した。
手紙の内容を確かめると、どうやら、おじさんは私を飲みに誘ってくれたようであった。
新しいビジネスを始めるので、一度膝を交えて話がしたいというのだ。
場所は故郷の繁華街にある、バー、プレアデス。
里帰りには少し早いがもうレポートも出してしまったし、今年は早めに帰省するのも悪くない。
私が電話を掛けるとおじさんは大いに喜び、飛行機のチケットを送ってきてくれた。
私の地元は、朱鷺の崎という小さな港町だ。
貿易港時代の面影を売り物にしたハイカラな観光地で、この時期は、特に賑わっている。
私は実家で荷物をほどき、半日ほどだらだらと過ごした後、海岸沿いの繁華街に出向いた。
プレアデスの看板を見つけ、おそるおそる中を覗くとそこにはおじさんの姿があった。
「久し振り、元気してたか?」
私はおじさんの隣に座り、ソルティドッグを注文した。
新しいビジネスというのは、一体どんなものだろうか。
私がおじさんに尋ねると、おじさんはロックの入ったグラスを回した。
「骨董屋を始めようと思ってね。君に助手をやってほしいんだ。勿論、学校を出てからの話だけれど、もしその気があるなら、今のうちにちょっとずつ仕事を覚えてみないか?」
おじさんには、早速手伝ってほしい仕事があるという。
街のとある名家から買い取った家具を、明日引き取りに行く。
かさ張る物なので、車に積み込むのを手伝ってくれないか。
バイト代は明日一日で1万。
金欠の私にとっては、願っても見ない話だった。
先の事はともかく、明日一日くらいならと、私はおじさんの提案を受け入れる事にした。
翌日、おじさんは実家まで私を迎えに来てくれた。
私達は大きめのバンでお屋敷街に向かい、件の家に辿り着いた。
その家は鹿鳴館を思わせる年季の言った屋敷で、石造りの壁と、緑色の円い屋根が印象的だ。
呼び鈴を押すと家政婦さんが出てきて車をガレージに止めるように言い、それから彼女は奥さんを呼びに行った。
「お待ちしておりました……早速ですが、離れへ」
私達が連れて行かれたのは、庭の裏手にある小さな離れだった。
部屋の真ん中には小さめの丸テーブルが置かれ、おじさんの話によると、それが今回買い取る品なのだという。
船来の由緒あるテーブルで、かつてはウィーンの貴族が所有していたものらしい。
私はおじさんたちの話についていけず、査定の様子を黙って見守った。
「失礼、奥様、そちらの蓄音機、もしよろしければそちらもお引き取りいたしますが」
テーブルの値段が決まると、おじさんは奥で埃を被っていた蓄音機を指さした。
よほど大事なものなのか、奥さんは答えを渋ったが、おじさんと奥さんの問答はさほど長くは続かなかった。
二人が話している横で、蓄音機から音楽が流れてきたのだ。
レコードのかかっていないむき出しのターンテーブルの上を、蓄音機の針がフラフラと漂っている。
軽快なギターの響きに時折混ざる馬のいななき、間違いない、スタンハンセンの『サンライズ』だ!
あり得ない光景に私たちは言葉を失ったが、蓄音機の奏でる音はあまりにも力強く、目の前に広がる無限の荒野の只中に、私達はただ立ち尽くした。
「な、懐かしい! 僕も昔はハンセンの大ファンだったんだ!」
おじさんは拳を振り上げ、活き活きとした表情でリズムに乗って踊っている。
なぜレコードが乗っていないにもかかわらず蓄音機が鳴るのかという、最も根本的な問題を無視したまま、おじさんは大枚をはたいて蓄音機を買い取り、自宅のリビングに飾ってしまったのだった。
こんな調子で、本当に儲かるのだろうか。
うちに帰って来てからも、私はずっと蓄音機の事を考えていた。
あのとき、なぜ蓄音機はひとりでに動き出したのか。
あの曲は一体何に録音されていたのか。
おじさんを放っておいても、本当に大丈夫なのだろうか。
全てはおじさんを陥れる悪霊の罠ではないのか。
そして、もしそうならなぜクラシックでは無く『サンライズ』なのか……
考えれば考える程疑問ばかりが降り積もり、私は如何にも寝付けなくなってしまった。
かくなる上は、もう一度蓄音機を確かめる他ない。
私は意を決して、こっそりと家を抜け出し、おじさんの家に向かったのだった。
家を飛び出してすぐ、私は異変に気付いた。
おじさんの家の方から不気味な曲が聞こえて来る。
低い弦の音を切り裂く甲高いピッコロ、ゆらゆらと落ち着かないテンポ。
その中に混じって、かすかに人の声のようなものが聞こえた。
私は全速力でおじさんの家に駆けつけ、身の毛もよだつ光景に立ち尽くした。
部屋の灯りが激しく明滅し、立ち込めた冷たい霧を夜に浮かび上がらせる。
このままではおじさんが危ない。
私は玄関のドアに駆け寄り、インターホンを鳴らしたが、何の返事もなかった。
ドアは固く閉ざされて押しても引いてもびくともしない。
私は止むをえず植木鉢をひっつかみ、リビングの窓を叩き割った。
私は部屋に乗り込むとすぐに辺りを見渡したが、部屋の中は真っ暗でどうなっているのかわからない。
私は背後に気配を感じて咄嗟に振り返ったものの、そこにはたなびくカーテンと私が割った窓の残骸が残っているだけだった。
ところが、ほっと胸をなで下ろしたのもつかの間、私は窓ガラスに何かが写っていることに気が附き、その場で凍り付いてしまった。
私の背後に、青白い光を放つ、透き通った女が立っている。
私は後ろを振り返ったが、そこにはもう女の姿は無く、私は用心しつつもおじさんの救出を再開する事にした。
リビングの奥にある重たい木の扉を開けると、不気味な音は一層大きく聞こえた。
この音は、どの部屋から聞こえてくるのだろう。
私は真っ暗な廊下を手探りで進み、突き当りに階段を見つけた。
この上だ。
階段の上から音が聞こえて来る。
私は意を決して階段を昇りはじめた。
足を踏み出すたびに階段からヒステリックな音が立ち上り、私の背中を這いあがった。
何かがおかしい。
私の足音と半拍ずれて、もう一つの足音が聞こえる。
私が試しに足を止めると、はみ出した足音が暗闇にそっと響いた。
私はあまりの恐ろしさに振り返ることすらできず、両手で段をつかみ、必死に階段を駆け上がった。
どこでもいい、とにかくコイツを振り切らなくては。
私は階段を上がってすぐの部屋に転がり込み、勢いよくドアを閉めた。
ドアにぴたりと背中を押し付け、私は何者かがドアをひっかくかすれた音を抑え込んだ。
暫くすると諦めたのか、爪の音は聞こえなくなり、謎の気配も消えてしまった。
私は肩で息をしながら、月明かりに満たされた小さな部屋を見渡した。
壁際に大きな棚が置かれ、色々なガラクタが所狭しと並んでいる。
手錠にロープにロウソク、果ては巨大な数珠のようなものまで、一体何に使うのだろう。
私は数珠を手に取り、それがアナルバイブであることを悟った。
おじさんの隠れた趣味については、また後日詰問すればよい。
こんなものでもないよりはましだろうと、私はアナルバイブを手にガラクタ部屋を後にした。
私は幽霊に注意しながら不気味な音の出所を探り、ついにその部屋を見つけた。
アナルバイブの表面はなんだかぬめぬめしている。
私はアナルバイブを握りしめ、空いた方の手で扉をそっと開けた。
「ディーヤァッ!」
私が部屋に入った途端、おじさんが奇声を発して、私に襲い掛かってきた。
私は咄嗟にアナルバイブを振り下ろし、おじさんの顔面に直撃させた。
おじさんは顔を押さえて二三歩後ずさったものの、すぐに体勢を立て直し、ラリアットを繰り出してきた。
私は身を屈めてラリアットをかわし、背中からおじさんを羽交い絞めにした。
私達の傍らではあの蓄音機がブーイングを放ち、けたたましい実況を始めた。
「おーっと! アナルハンターがハンセンを捕まえた! ハンセンの尻穴が危なーい!」
おじさんは死に物狂いでもがき、私は思わずおじさんを放してしまった。
「ハーンセン! ハーンセン!」
群衆はハンセンの名前を連呼し、おじさんはリクエストに応えて雄叫びを上げた。
このいい加減な実況中継に、おじさんは操られているに違いない。
私はアナルバイブを両手で構え、モーターのスイッチを入れた。
うなりを上げるアナルバイブ、暗闇に光るおじさんの双眸、部屋に鳴り響く実況中継。
「おーっと、ここでハンセンがアナルハンターに蟹ばさみを仕懸ける!」
私は蟹ばさみに向かって突進し、アナルバイブをおじさんの股間に食い込ませた。
「アナルハンターの凶器攻撃ーっ! これは汚い! さすがのレフェリーもこれには……何ということでしょう、レフェリー、股間を押さえてもだえるハンセンをアナルハンターと一緒に担ぎ上げ、窓の外に放り出した!」
幸い、おじさんが落ちたのは屋根の上だった。
私はこのささやかな協力に感謝し、白装束の女性レフェリーと熱い抱擁を交わした。
レフェリーの身体は手足がしびれる程冷たく、薄手の白装束はじっとりと濡れている。
私はレフェリーの正体に気付き、大声で助けを求めたが、幽霊は私に組み付いたきり、其れ以上は何もしなかった。
「これが私の見たかったBLとプロレスの融合よ。これでもう、思い残す事はないわ」
いつの間にか、部屋の中は、窓から差し込む青みがかった光に染まっている。
夜明け前の薄明かりに女の姿はゆっくりと溶け込み、気がついた時にはすっかり見えなくなってしまっていた。
「強くなったな……一人であの悪霊を倒してしまうとは」
窓の外には、正気に返ったおじさんが立っていた。
じりじりと夜明けを焦がす暁の光を背負って。
本当は、私が倒したのはおじさんだけだったのだけれども、私は何も言わず、不敵に笑って見せた。
甲高くいななき出したクマゼミの声を浴びながら、窓枠によじ登るおじさんに手を差しのべた。
これが、後の朱鷺の崎プロレスの始まりである。




