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高卒新社会人の晩餐

作者: 川里隼生

 会社を出たら十九時だった。いわゆるサービス残業というもので、二時間分の残業代は渡されない。しかし今日は機嫌がいい。なぜなら月に一度の給料日だからだ。最近は夕飯すらコンビニのパンという日々だったから、ちょっと贅沢したい気分になっている。外食しよう。


 断っておくが、金がないからパンしか食べられないわけではない。こうやって一度に散財するほうが楽しいから、いつもは節約しているだけだ。誰にも聞かれてもいない言い訳をしながら馴染みの店に入る。大手とんかつチェーンの『居間勝いまかつ』。店内が混んでいないことを確認してドアを開けた。


「いらっしゃいませー」

 店員が奥のテーブルへ誘導する。居間勝は会員登録した客には担当ウェイターを付けるシステムになっており、俺の担当は渡海とかいさんという若い女性になった。店が混んでいれば担当以外の店員になることもあるらしいが、俺は必ず空いているときに来るようにしている。


 渡海さんに会いたいというのも少しはあるが、六人は座れそうなこのテーブルを一人で占拠するのを他人に見られたくないというのが最大の理由だ。

「ご注文お聞きするっす!」

 ウェイターがいつも同じ人なので、親しみやすいという狙いなのだろう。その企業戦略にまんまと引っかかった。


「ヒレカツ定食を一つと、食後にミルクセーキとヒレカツサンドをお願いします」

 いつも同じ注文なのだが、さすがに二、三ヶ月に一度の来店頻度では「いつもの」は通用しないだろう。

「ヒレカツサンドは何個入りっすか?」


「六個で」

「キャベツは千切りと角切りを選べるっす」

「じゃあ角切りで」

 注文を復唱し、彼女は厨房へ向かった。この店は暖房が効いている。コートを脱いで丸め、横に置く。あとはスマホを弄って待機。


「お待たせしました。ご飯と味噌汁っす」

 一つの盆に乗ったものではない。このほうが高級感が出るのだろうか。店員が持ちにくそうだが。

「もうすぐサラダとかも持って来るっす」

 続々と皿が運ばれる。


 大根の塩漬け、白米、味噌汁、そしてヒレカツ定食。俺はごまを入れずにタレだけで食べる。まだ社会人になって間もない俺には細かい味の違いなどわからない。一人で来て食レポなんかしても意味がない。ならばせめて店員に喜んでもらえるように完食しよう。


 キャベツを角切りにしたのは正解だった。千切りよりも箸で掴みやすい。カツは肉が大きく、衣の食感も充分ある。白い味噌汁やご飯は熱く、冬なのに汗が出てくる。大根の塩漬けも美味い。しかし、やはりメニューの写真で想像していたよりもボリュームがある。調子に乗ってミニ天丼なんか付けなくてよかった。


 二十分の格闘の末、目標を達成した俺は卓上のボタンを押して渡海さんを呼ぶ。ミルクセーキとカツサンドを持ってきてもらうためだ。

「お待たせしました。ミルクセーキとヒレカツサンドっす」

 テイクアウト用のカツサンドはビニール袋に入れられている。


 焼酎や日本酒を飲むのに使いそうな小さなグラスに入ったミルクセーキ。これが程よくクールダウンさせてくれる。最後に丁度いい温度まで下がった茶をぐいっと飲み干し、カツサンドの袋を持ってカウンターへ。今日も最後まで渡海さんが担当してくれた。もう8時になろうとしている。


 やっぱり一食三千円は簡単に出せる金額ではない。残念だが、今よりハイペースに通うことは不可能なようだ。二十歳になったら酒も飲めるようになるし、食の好みも変わるだろう。今しか楽しめないイベントなのかもしれない。世の中というのは上手くいかないものだ。


「ただいま」

 小声で言う。無人の部屋から返答はない。当たり前だ。アパートの一室には、小さい頃から趣味でやってる切り絵の作品が壁に飾られている。それ以外の部屋にあるものと言えばベッドくらいだ。他に買おうにも金が無いし、不必要だと思っている。


 さて、早速カツサンドをいただく。当然、店で食べたものより冷めているが、それでも美味い。いつもパンばかり食べている部屋なので余計に美味さが際立つ気がする。また明日から、このカツを食べるためにパンで耐える日々だ。不思議と嫌な気がしない。食事には人知を超えた力があるのかもしれない。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 全てを読み終えた上でタイトルを見直して、主人公が高卒新社会人なんだと改めて感じました。新社会人のために金はないものの、たまには贅沢したいという気持ちは伝わってきました。その上で贅沢する場所…
[一言] 現代のグルメ小説ということで珍しいジャンルだなと思いながら読ませていただきました。 とんかつ美味しいけどとんかつサンドって地味に高いですよね。 たまの贅沢というか、庶民感というか、そんな雰囲…
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