人、人、人、人……人の山。
霊長目、人科、ホモサピエンス。
どこに行ってもあふれかえっている、この厚かまし生物達の群れは、今やそれが生息していない場所を見出すことの方が困難な程に地球全域にはびこっている。
こんなにたくさんいる人間達なのだから、その中に特殊な能力を持つ者が混ざっていたからと言って、然したる疑問も起こるまい。
御霊谷実嗣──。
見たところ、普通の高校生に見える彼も、実はそんな人間達のうちの一人である。
一週間のうち、三日学校に顔を見せれば良い方の彼は、三白眼の険しい顔つきをした、俗に言う不良青年である。
今回で二度目の高校二年の春。
去年まで肩を並べて授業を受けていたクラスメート達は、いつの間にやら上級生。別にそれが気になって仕方ないという程、彼の精神はデリケートに出来てやしないが、まるで無関心を装える程寛大にも出来てはいなかった。
実はこう見えて彼、密かに我が身の敗因を考えていたりするのだ。
「御霊谷。おい、御霊谷! お前、先生の話を聞いてるのか!?」
窓外をぼんやり眺めながら考え事に耽っていた実嗣であったが、チョークとともにそんな大声を浴びせられてしまっては、中断せざるを得ない。
「ああ、聞いてるよ。『遺伝子と形質の発現』についての…って…げっ!」
チョーク…ならぬ黒板消しが、怒声とともに飛んでくる。
「馬鹿者! 私が白衣を着ているように見えるのか!? 目を開けたまま眠ってるんじゃない! 生物は前の時間だろう! 今は国語だ、国語!」
言われてみれば、ずいぶん前にチャイムが鳴っていたような気もする。
「お前、国語は苦手なんだから、ちっとは真面目に授業を受けんか!」
眼前の教師の言う通り。
実嗣は大の国語嫌いである。いや、正確に言えば「文章を書くこと」が苦手なのだ。
「俺、別に国語が苦手なわけじゃねえよ」
自分自身、読解力はある方だと思うし、実際のところ、数学などの文章題で点を落としたりしたこともない。だからこれは確かなはずだ。国語の点が特に伸びないことに原因があるとすれば、恐らく回答中の誤字の多さにおいてだろう。
「そうだな。お前が言う通り、先生も、御霊谷が国語自体が出来ない奴だとは思っとらん。ただ、お前の回答には誤字が多過ぎるんだ」
(そんなこと、今更言われなくても分かってるんだよ)
内心そんな風に思った実嗣であったが、面倒なので口には出さない。
「そうだ! こうしよう!」
体育会系でもあるまいに、妙に熱血感なこの国語教師は、ポンッと手を打つと、ニヤリと微笑って見せた。
「お前には、事あるごとに文章を書かせるとしよう。文なんてものは、書いてるうちに上達する。誤字だって、その都度正せばきっと減るはずだ!」
よりによって、なんでこいつが担任なのだ、と我が身を呪いたくなった実嗣である。それに、何が悲しくて、こんな平凡な面構えをした──しかも同性の──教師と文を交わさねばならないのだろうか。
「みんなも協力してくれよ。題して『御霊谷改造大作戦』だ!」
対するクラスメート達は、皆おどおどとこちらを見ているばかり。実嗣は年からいけば一つ先輩なわけだし、筋金入りの「悪」で通っているのだから無理もない。
馬鹿ほど可愛いというのは(学校においては)この国語教師のみが実嗣に対して持っている感情なのかもしれなかった。
「──っつぅわけで七面倒くせえことをしなけりゃなんなくなった。奴の授業の場合はエスケープするにも文書にしなきゃなんねー」
誰もいない室内で、あたかも誰かに話しかけるように実嗣が言う。
週に数回行けばいい方のかったるい授業が終わり、自室のベッドにどっかと腰を下ろしての言葉である。
「そいつぁー災難っすね、マスター。何だったら俺が代筆してやりやしょうか?」
しかし、誰もいないはずの室内からは、確かに実嗣以外の者と知れる男の声が返ってくる。
ぐるり部屋中を見回して見たところで、実嗣の他に人影はない。唯一、気になるものがあるとすれば、机上に置かれている小さなケージぐらいだ。中にはワラに埋もれて、灰色い羽毛に覆われた小さなヒナが一羽。
「冗談じゃねえよ。お前に代筆頼むくらいなら鈴羅に頼んだ方が何億倍もマシってモンだぜ。な? 鈴羅」
「マスター! 文鳥相手に俺が劣るって言うんですかい!?」
声と同時にストッという音がして、突如浅黒い肌の青年が姿を現す。
年の頃は見たところ二十代後半。
口の端に時折のぞく鋭利な犬歯と、犬のように尖った耳。極めつけといわんばかりに、臀部の辺りで左右にゆらめくフサフサの尻尾。
「叶利! そう気安くポンポン姿を現すな、っていつも言ってんだろ! 誰かに見られちまったらどうするんだ!」
「決まってんじゃん。女なら孕ませる。男なら喰らう!」
実嗣の心配も知らぬげに、呆気らかんとした口調で叶利と呼ばれた妖しがそう答える。
見た目でも分かるだろう。彼は狼の変化である。
何でも数百年も昔から人間共(但し男のみ)を喰らって生きてきた、由緒正しい(この辺がよく分からないのだが)日本狼の妖しであると言う。
今の発言でも確かなように、彼は専らの女好きだ。本人に言わせれば種族維持本能こそが全てであり、他の欲求は二の次だとか。まあこの考えにも「絶滅させられた日本狼」の件を当てはめてみれば頷けぬこともない。
だが、単なる色情狂と言ってしまえばそれまでのことである。
「マスター、一言言わせてもらいますがねぇ、俺だって好き好んであんたの『使い』をやってるわけじゃあないんですぜ? あんたのその『もの凄ぉ〜い力』さえなけりゃ、今すぐにでもペロリ…だ。そんな強い俺様を『使い』としてそばにはべらせておきながら、その言い草はないんじゃねえですかい?」
自意識過剰もお手の物。
一気にそこまでまくし立てると、叶利は舌なめずりをしながら実嗣に近寄った。
「でも、実際のトコ、俺に適わねえんだろ? それにな、叶利。鈴羅は『文鳥』なんだぜ? いかにも文章書くのが得意そうな名を持つ鳥じゃねえか」
書く文、書く文誤字だらけのくせに、こういうことには頭が回る。
「へ〜いへい。仰る通りでございます」
はぁ〜っと大きく溜め息をつくと、叶利は諦めたように実嗣の横に陣取った。
「布団は草より柔らかい〜ってかぁ♪」
そのままドサリとベッドの上に倒れ込むと、スースーと気持ちよさそうな寝息をたてて、あっという間に眠りに落ちる。
「しゃあねえな〜」
その身体に毛布を掛けてやると、実嗣は静かに自室を後にした。
実嗣と叶利の出会いは、今から丁度一ヵ月ばかり前のことへとさかのぼる。
実嗣はある人物の影響を受け、ペットショップで一羽の白文鳥のヒナを入手した。名前は隣に住む──兄のように慕っている──人に付けてもらった。
ちなみにその名が「鈴羅」だ。
何でも名付け親が言うには「鈴」という字には「鈴のように綺麗な声音でなくように」という思いが込められているらしい。が、いかんせん「羅」の字の方は、単に響きがいいという理由だけで付けたらしいので、今一、有り難みのない名であるというのが本当のところだ。
まぁ、強いて何らかの意味をつけるとするならば、「羅」の字には連ねる……という意味があるらしいので「鈴を連ねる」といった所か。
それでも「誤字キング」の実嗣には漢字の意味なんてどうだってよかった。肝心なのは、響きであって、それ以上でも以下でもない。
さて、その鈴羅。飼われ始めてから二日目にして命を狙われたという不幸ぶり。それも狙った相手が月並みな相手──猫──やなんかではなく、狼の変化だったのだから数奇な運命を持ち合わせた奴だと言えよう。
まあ、単に実嗣がほんのちょっと目を離した隙に空腹に誘われて家中に侵入してきた狼(こと叶利)が、彼をかっさらって逃走!……しようとして呆気なく実嗣に捕まってしまったというだけのことなのだが。
叶利の『心中の反省日記』によれば、「空腹が第一の要因であったに違いない」らしいのだが、未だにしつこく実嗣の尻に敷かれている(上に彼をマスター呼ばわりしている)ことから考えてみると、原因は他にあると思われる。
世の人々の中には、古来より色々なものを己の手足として使ってきた者達がいるそうだが、正に実嗣はそのような能力を備えている人間なのだ。
稀代の天才陰陽師、安倍晴明が扱ったのが『式神』であった、と言うのは余りにも有名な話であるが、他にも『狐』を操る者や『蠱持ち』と呼ばれる者などと、様々な能力者達が自らの『使い』として多種多様な者達を操ってきたことは否めない事実だ。
それに当てはめて言うならば、実嗣は『狼』を操る霊媒師(本人談)なのである。
哀れと言えば、言えなくもない叶利であるが、案外空腹に誘われた、と言うのは建て前であって、いい加減一人で生きていくのに疲弊していたのかもしれない。日本狼は小さな群れしか作らないとはいえ、根底の部分には群れなす本能があるのだ。
自らと同じように──いや場合によってはそれ以上に──力のある者を求めたとて何ら不思議ではない。まあ、こんなことを言ったら「そんなこたぁねえよ!」と否定されてしまうのが落ちなんだろうが。
一週間というのは、瞬く間に過ぎ去る。何の因果か、先週に引き続き、真面目に国語の授業を受けてしまっている実嗣である。
──マスター、ちょっといいですかい?
と、突然、頭の中に直接話しかけてくる声。叶利だ。彼との会話の大半は、普通このようにして声に出さずに行っている。
──何だ?
彼同様頭の中で念じるようにそう問い掛けると、ややあって
──鈴羅の様子がおかしいんっすよ。
どこか切迫したような雰囲気で叶利が答える。
何があったというのだろう?
実嗣は学校に行っている間、鈴羅の世話を叶利に頼んでいる。ヒナである鈴羅は、およそ三時間おきに給餌を要求するからだ。
いずれにせよ、学校でちんたら授業を受けていたのでは埒があかない。
ルーズリーフを一枚取り出すと、実嗣は何事かをささっと走り書きした。それからカバンを引っつかんで教卓前までつかつか歩み寄る。その様子に教師が振り向いた……と同時にメモを渡して退場。
その余りのスピーディーさに、取り付く島もなかった教師である。
「お、おい! 御霊谷!」
辛うじて声が出たときには、実嗣の姿は既に教室にはなかった。
「で? 鈴羅がどうしたんだ?」
早歩きしているこの間でさえも、もどかしいといった具合に実嗣が問い掛ける。
「色が違うんです。真っ白なんですぜ! 新しい羽根!」
へ?という感じである。
突然黙り込んでしまった実嗣に、じれったくなった叶利が、白昼堂々姿を現す。
他の人間に見られてしまうという危険性など、気にする玉ではないらしい。いざとなったら、いつぞやの会話ではないが「女なら孕ませ」、「男なら喰らって」しまうつもりだろう(実嗣が見ていないところでの話だが)。
「あのなぁ、叶利。鈴羅は白文鳥のヒナなの! 白くなって当たり前なんだよ!」
白文鳥のヒナを育てたことのある人なら、もう何の事かお解りだろう。白文鳥という鳥は、桜文鳥の中から色の白っぽいものを選んで交配を重ねていった結果出来た種なのである。当然のこと、白文鳥同士のペアから桜文鳥のヒナが生まれることもあるし、その逆も然りなのだ。中には桜文鳥なのか白文鳥なのかよく分からない中途半端な模様の子だって産まれる。故にヒナの折に灰色い羽が少ないもの程美しい白文鳥へと成長すると言われている。
だから白文鳥のヒナとして売られていた鈴羅の羽根が、今までとは打って変わって白い色へと生え変わっているというのなら、飼い主にとってこれ程嬉しいことはないのだ。
「鈴羅は白くなるんですかい? あんなに灰色なのに!?」
『醜いアヒルの子』という童話があるが、白文鳥のヒナというのは、正にそれなのだ。
「げっ! 何か嫌ですねぇ。それじゃあまるで、西洋の思想にあるとかいう天使じゃないですかい。俺は汚らしい灰色の方が断然好きですぜ?」
この期に及んで彼の好みを聞いても仕方がないのだが、実嗣にはそんなことよりも気になることがあった。さっき担任に渡したメモ。あれが何だか気に掛かる。
(嫌な予感がする……)
誤字。二十字にも満たない短い文面であったが、急いで書いたものだけに安心出来ない。
「ところでマスター。さっきのメモなんですがね……」
思い出したように話し出す叶利。
「『便いが来たので帰ります』って、何のことですかい? 腹でも壊したんで?」
「ベ、便意〜!?」
自分では、「使い」と書いたつもりだった。それが、寄りによって「便意」だとぉ〜!?
どうして教えてくれなかったのだ!と声を大にして言いたい実嗣であったが、いつぞや叶利からの代筆の申し出を断っただけに、そんなこと、口が裂けても言えやしない。
きっと今頃教室では、御霊谷は「腹下し」で帰ったのだと思われていることだろう。そう考えると、そそくさと教室を後にしてしまった先刻の自分が、心の底から恨めしくさえ思えてくる実嗣であった──。
【終】 |