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棘の姫は薔薇に焦がれる 作者:山本 風碧

第二章 王太子妃ディアナ

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 その日、ジェラルドは妻ディアナの顔に憂鬱そうな影を見つけた。

「どうかしたか?」

 尋ねて、鏡に向かって髪を梳かしているディアナを覗きこむ。腹が柔らかで幸せな膨らみを主張しだすに連れ、顔が陰ってきているような気がして仕方がない。人との関わり合いを愛している妻を、狭い屋内に押し込めておくのは本当に心苦しい。だけれども、腹の子は何に替えても守らなければならない。ディアナのためにも、なんとしても。
 不自由は可哀想だと思っていたところ、ステラという、竹を縦に割ったような――これはディアナが言ったのだが、ジェラルドも彼女に接する内に同じ印象を持つようになった――侍女を得て、妻は水を得た魚のようだった。先日窓の外で盗み聞いた会話からも信頼できる友人を得たようだった。むしろジェラルドが嫉妬するくらいの仲の良さで安心していたというのに……その後からどうも様子がおかしいのだ。

「なんでもないわ」

 なんでもないの。繰り返すディアナは酷く苦しげで、はかなげで。なんとかしてやりたいと思う。だが、頑固な彼女の性格からいって、口は割らないだろうと思えた。昔からそうだ。他者の気持ちを測りすぎて、本当に言いたいことは腹に溜めてしまう質なのだ。だから、二人の男に挟まれてがんじがらめになって苦しんだ。ヴィンセントの気持ちを考えたら、あなたの手は取れないと、何度断られたことか。

(そんな女だったから、惚れたんだが)

 過去に想いを馳せて苦笑いをしながら、尋ねる。

「じゃあ、体調が悪いのか?」
「元気よ、私も、この子も」

 妻は無理矢理のように微笑むと、膨らみかけた腹を撫でる。小さな命が健気に主張しているようで思わず笑みが漏れるような光景。だというのに、表情がどこか曇っている。どうしてこんなに不安そうなのだろう。

「守ってみせるわ、私。絶対に。あなたも、この子も。誰にも傷つけさせはしないわ」

 そう言う彼女の目はまるで戦いに挑む戦士にも似ていた。
 これだから、とジェラルドは苦笑いをする。

「守るのはおれの役目だ。おまえは気楽にしてろ」

 そう声をかけるけれど、彼女は首を横に振る。その凛とした美しい顔には、不安の欠片が残っている。

(これは、原因を調べて手を打つ必要があるな。ひとまず、使用人から話を聞いて、それから母上に相談するか)

 ジェラルドは心に決めると、腕の中に愛しい妻を閉じ込める。



 *



 ステラがディアナと過ごす時間が増えるに連れて、次第に王太子と顔を合わせる機会が増えてきた。
 ディアナがステラを片時も離さず、寝室に向かうまで一緒にいるからだ。そのため、夫婦の時間にもステラは巻き込まれていたのだった。

(うーん、ままならない……)

 ディアナとの時間が楽しくないわけではない。王太子との接触が増えるのも嬉しい事だ。けれど、いくら王太子と顔を合わせようとも、ディアナがいては目的は果たせない。
 それどころか、彼の呆れるほどの溺愛ぶりは、ステラのやる気を削いでいく。
 彼は暇を見つけてはディアナの元を訪れ、顔を見て安心して仕事に戻っていく。彼女がいないと息ができないとでも言いたげだと思えて、ステラがどうあがいても無駄なのではと思えてしまうのだ。
 しかし諦める訳にはいかない理由がステラにはある。
『それ』は真綿で首を絞めるかのようにじわじわとステラを追い詰めていたのだけれど、とうとうはっきりとした形となって現れだしていたのだ。


 その日、王宮執事のセバスチャンに呼ばれてステラはホールに赴いた。彼は銀盆を持っている。上には一通の手紙。

「こちら、あなた宛でしょうか」

 ステラに向かってセバスチャンはいかめしい顔をわずかに崩して言った。

「ミス・ステラ・ハントリーに渡してくれと。表でトマス・アボットという男が騒いでいまして。ハントリー家の方はこちらにはいらっしゃらないはずですが、ステラというお名前はあなただけでしたので、念のため確認させてもらいます」
「え――、あの、何かの間違いかと」

 声が震えそうになるのを抑えてステラが言うと、セバスチャンは「そうですか、では返しておきましょう」と手紙を引っ込める。そして、玄関の方を見やって、小さくため息を吐いた。

「しかし、そのステラという娘はずいぶん熱心な恋人をお持ちのようです。羨ましいほどに」

 恋人なんかじゃない、借金取りですと言いかけてかろうじて呑み込む。

(ああ、居場所が割れてしまった)

 それは侍女としての穏やかな日々の中、己の立場を忘れかけていたステラに、現実を突きつけるものだった。
 ステラは落ち着かない気持ちになり、部屋に戻った。そして引き出しの中の手紙の束から二通を取り出して広げた。一通目は両親からの手紙だ。

『ステラ、もういい加減、公妾とかいう変な夢を見るのはやめて戻っていらっしゃい。アボットさんが毎日いらしているの。あなたの帰りを首を長くして待っているわよ』

 内容にげんなりとしつつ、ステラはもう一通を手にして生唾を飲む。
 差出人は例によってトマス・アボット。
 ストックポート邸に届いていた彼からの手紙は一月で十通。先日もヴィンセントからの手紙のついでに、王宮に届けられていた。ステラが全く返事を書かなかったせいだろうか、とうとう直接やってきてしまった。勤め先をどこかで突き止めたのだろう。元々王宮の侍女になると言って出てきたのだから、探し当てるのはそう難しくはないはずだが、王宮となると単なるジェントリが訪問するには敷居が高い。それでも、突撃してくるということは、あちらも必死だということだ。
 もしかしたら、諦めてくれるかも――そんな淡い期待は打ち破られた。
 憂鬱な気持ちで手紙の封を開ける。そこには毎回ほぼ同じ内容が書かれていたため、覚えるくらいになっていた。頭の中では文面が彼の声で再生される。

『あなたがいないと、この土地は冬が来たみたいだ』
「少しは頭が冷えてよかったんじゃない?」
 耳鳴りのような声を振り払いたくて、冷たく突き放す。
『愛しているんだよ』
「あなたが愛しているのは爵位だわ」
『あれだけ貢いでやっただろう?』
「私じゃなくて両親にね」
『ご両親はどう思うかな』
「どう思おうと、私には関係ないわ」
『私を裏切るつもりなのか』
「裏切るって何を?」
『私を捨てたら、ご家族がどうなると思っている?』

 ステラはだんだん疲れてくる。

『よく考えて。あなたみたいな女を好きになる物好きはいないんだよ』
「……」
『ほら、諦めて、私に全部を差し出すんだ。さもないと――』
「…………」

 一言一言に小さな声で反論していたが、手紙が二枚目に差し掛かる頃には、気丈さは失われていた。横柄だった内容は、末尾に向かうに連れ丁寧に懇願するようになる。だがそれとともにどんどんと病的になり、呪いにも思えてくる。
 反論する力を失ったステラは今すぐにでも手紙を捨てたくなった。だが、内容が異常過ぎて普通には捨てられないのだ。前まではびりびりにちぎって捨てていたが、形が残ることにどこか不安があったのでこの頃はやめている。本当は燃やしたいけれど、ステラが今充てがわれている使用人の部屋にはあいにく暖炉がないのだ。

(ランプの火で燃やそうかしら。あ、でも、)

 ステラの頭の中にディアナの部屋の暖炉が思い浮かぶ。彼女の部屋の暖炉には、暖かくなった今でも、朝と晩にはまだ火が入っている事があるのだ。
 迷っていると、部屋の扉が叩かれ、ステラは思わずびくりと飛び上がった。

「ステラ? ここに居たの? 探していたのよ」

 ルシルだ。

「ああ、ごめんなさい」

 思ったより時間が経っていたようだ。振り返ったステラは丁度目の前にあった鏡を見て、自分の真っ青な顔に驚く。慌てて頬を軽く叩くと、大きく深呼吸して身支度をする。

「そろそろ午後の着替えよ? ディアナ様をおまたせしちゃまずいわ。さぼっていないで早く支度をして」

 扉が開かれ、ルシルが顔を見せた。
 机の上を覗きこまれ、ステラは苦笑いで手紙と表情の硬さをごまかす。手に握りしめた手紙をどうしようと一瞬迷う。触れているのがこれほど忌まわしいものもない。

(これ、本当に、持っているだけで呪われそうなのよね)

 ステラは、あとでディアナの部屋でこっそり燃やそうと、封筒に入れて袖の中にしまった。


 翌日。いつもどおりにディアナの部屋に向かったステラが見たのは、旅支度を終えたディアナだった。
 思いもよらない場面に出くわし、一瞬部屋を間違ったかと思う。だが、旅装に身を包んだのは間違いなくこの王宮で一番麗しい淑女、ディアナだ。

「ど、どうしたの!?」
「ごめんなさいね。ちょっと体調が悪いって言ったら、王妃陛下から、別宅で療養しなさいって命じられてしまって。これから王都も夏。暑くなるでしょう。別宅は北にあるから王宮よりも過ごしやすいらしいの」
「でもどうして? 急すぎない?」
「ひどくなる前に発たないと、動きがとれなくなるからですって。私も腑に落ちないのだけれど、陛下の命令には逆らえないの。……本当はあなたにも付いて来てもらいたいのだけれど、それもジェラルドが駄目だって」
「王太子殿下が?」

(どうして、直接関係ない彼が私の付き添いを拒むわけ?)

 ステラは訝しんだ。だが頷くディアナが泣きそうで、ステラは湧き上がる疑問を呑み込んだ。心細いのだろうか。付いて行ってあげるといいそうになるが、すんでのところでステラは閃いた。

(王宮にディアナがいない。それって絶好の機会じゃないの?)

 ステラはトマスの呪いを打ち切らなければならない。なんとしても。この機会を逃すことはしない。絶対に。
 覚悟を決めて喉を鳴らしたときだった。

「ステラ。私、不安なの。――私のこと、忘れないで」

 ディアナが懇願した。何を言っているのだろうと笑いかけて、ステラの背中は粟立った。ディアナの漆黒の目が踏み込んでくる。ステラの心の中にやましいことがないかを探るかのように。

「な!? 何言っているの――大げさなことを言わないでよ」

 必死で笑って企みを包み込む。誤魔化しは成功したのか、ディアナは安心したように微笑み、

「毎日手紙を書くわ。お返事ちょうだいね?」

 とステラの手をとった。彼女の顔はいつもどおりに穏やかで、先ほどのディアナの凄みを帯びた目は見間違いだったようにも思えた。

(まさか、ね)

 自分に言い聞かせてほっとする。

「毎日だと、書くことがなくなっちゃうわよ?」

 苦笑いしながらも強く握り返すと、ディアナは「待っているわ。きっとよ?」微笑みを残して部屋を後にした。


 一人取り残されたステラは主を失った部屋を見渡して、はたと我に返った。

(え、そういえば、私、これからどうなるの……もしかして)

 いや、もしかなくてもクビだろうか。
 可能性に行き着いてステラは青くなる。
 ディアナは何も言わなかったけれど、仕事がなくなったということは、つまり解雇ということではないのだろうか。
 確認しようと部屋を出ようとしたところで、王宮執事、セバスチャンが図ったように現れた。ステラは慄く。王宮の全ての使用人を統べるのはこの男だからだ。

「あの。ディアナ様がいらっしゃらないのであれば、私、これからどうすれば」

 縋るように見上げると、セバスチャンは気の毒そうにステラを見下ろした。

「明日の夕方、王宮を出ていただくことになります」
「明日? つまりクビって言うこと?」

 震える声でステラが問うと、セバスチャンは痛々しげに眉を寄せ、頷いた。

「妃殿下が戻られるまでの間、他所で務めていただくだけです。性格上、仕事がないのは退屈でしょうと……陛下から仰せつかっておりまして」

 なるほどとステラは納得した。ぼんやり過ごすのは性に合わないことは、ディアナもよく知って――と思ったところで引っかかりを感じた。

「へいか? 私の転職も王妃陛下が命じられたの?」
「この王宮の女主人はアリスティア様でございます」

 ステラはそういえばと思い出すが、もやもやが消えない。ディアナの療養にも王妃が絡んでいるのだから、ステラの今後に絡んでいるのも、当たり前なのだろうけれど……。

(ああそうか)

 ステラははたと違和感の正体に気がついた。

『私、不安なの』

 あのディアナが不安を感じていた。無理やり命じられて王宮を去ったからだ。まるで、何かから遠ざけるように。

(身重のディアナを……一体どうして?)

 彼女にいったい何が? 考えこむステラに、セバスチャンは淡々と告げた。

「次の勤め先はアドキンズ伯爵家です。こちらにも近いお屋敷タウンハウスですが、勤めは明日からですので、今から明日までは休暇です。それまでに荷物をまとめていただきます」

 職を失わなかったことに少しだけ冷静さを取り戻したものの、王宮にいられるのは明日までだと気づいて焦った。つまり、ステラが本懐を遂げられるのは今日の夜しか無いということになる。
 考えなければならないことは他にあるような気がするのに、焦燥がステラを焼く。いかにして王太子に近づくかでステラは頭がいっぱいだった。

(今夜)

 考えただけで胃がきりりと痛んだ。この機会を逃せば、もうステラの未来はない。それでも可能性は無いわけではない。ならば後悔しないように足を踏み出さねば。
 ――私のこと、忘れないで。
 ディアナの声が耳で訴えるが、首を横に振って追い払う。

(ごめんなさい。ディアナ。私、まだ人生を捨てたくはない)

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