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棘の姫は薔薇に焦がれる 作者:山本 風碧

第三章 仲直り、そして

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 ヴィンセントの行き先は、あまりにもわかりやすかった。郵便を使うという発想がない裕福な貴族で、そして、ステラとディアナの子が邪魔な人間。思い当たるのはステラの知る人物では一人しか居ないのだ。
 庭で馬車を待つヴィンセントの背中は静かな怒りに燃えていた。ステラはヴィンセントが今にも怒りで爆ぜてしまいそうにも思えてハラハラする。

「ヴィンセント!」

 馬車に乗り込もうとしているヴィンセントに小走りで追いつくと、彼は振り返って目を見開いた。
 驚いた顔にステラは自分が彼の名を呼ぶという無礼を働いたことに気がつく。厭味の一つくらい言われるかと思って構えたが、ヴィンセントは意外にもステラを馬車に乗せてくれる。
 走りだす馬車の中、ヴィンセントは驚くほど冷静に言った。

「どこに行こうとしているか、君にはもうわかっているだろうけれど」

 気休めにもならないだろうと思いながらも、他に言葉を探せずにステラは言った。

「何かの間違い――」

 だが、下手な慰めは怠慢だと思い直したステラは、俯きながら小さく言った。

「――だといいわね」

 ヴィンセントの眉間に入っていた深いしわが少しだけ伸びる。

「君は本当に正直者だな」
「ヴィ――、殿下……」

 どう呼んで良いかわからずに、ステラは戸惑った。そして気が付く。今まで、こんな風に呼び名が必要な間柄ではなかったのだ。呼び名が必要になるのは、きっと、その人との付き合いがこれからも続くと予感している時。そして、関係を深めたいと思っている時だ。
 かりそめの関係に、呼び名など必要ない。だから、その一線を越えていいのかで戸惑ったのだとステラは思い当たった。
 だが、

「ステラ」

 彼はそう返した。
 今までは「君」もしくは「ミス・ステラ」だったのに、関係を踏み越えるような意志が感じられてステラはどきりとする。

「もし僕と君の予想が正しければ、僕はきっと王子ではなくなるな。殿下じゃなくなる」

 これだけは諦めたくなかったんだけどな。
 そんな小さな声が聞こえたかと思ったら、ステラは今までに無く柔らかい抱擁をされていた。心まで抱きしめられた気がしてステラは動揺のあまり、身動きが取れなくなる。ヴィンセントは耳元で囁いた。

「だから、さっきみたいにヴィンセント、と呼んでくれないか。そのほうが君らしいし――」

 ヴィンセントはわずかなためらいを見せたあと、再び口を開いた。

「……もう君は僕のこと友人くらいには思ってくれているだろう?」

 ステラはその瞬間、地の底へと突き落とされた心地がした。

(ゆうじん? ……ああ、そうか。そこに落ち着くんだわ)

 もしかして、と期待してしまっていた分、泣きたい気分だったけれど、ステラはなんとか持ちこたえる。目の前のヴィンセントの方が今にも泣きそうな顔でステラを見つめていたからだ。
 今は『友人として』支えてあげなければ。ステラの心は傷だらけだったけれど、彼が今癒そうとしている傷はステラの傷の何倍も深い。

「ヴィン、セント」

 先ほど勢いで呼んでしまった時とは違い、その声は掠れ、どこか熱を持っていた。鼻の奥がつんと痛んで、目頭が熱くなる。一緒に泣いてどうすると、ステラは慌てて続けた。

「――大丈夫。今度は私が助けてあげる。きっとなるようになるわ。大丈夫。転んでもまた起きればいい。上さえ見ていれば、あなたはすべてを手に入れられる」

 とたん柔らかい抱擁が、堰を切ったように力強いものに変わる。

「……だ」

 掠れた声が耳朶を撫でたが、あまりにも小さな声でステラは聞き取れない。
 ヴィンセントの柔らかい髪がステラの頬を撫でる。そのまま肩に顔を埋められる。どうしようと動揺したのも一瞬だった。大きな体が震えているのを感じて、ステラは背中に手を載せる。そして少しでも慰めになればいいと、ステラは彼の背をなでた。


 *


 ヴィンセントはしばらくすると落ち着きを取り戻したらしく、「ごめん、甘え過ぎた」とやや慌てたようにステラを離した。そして、どこか覚悟を決めたような顔で、ステラをじっと見つめる。

「負け犬はもうやめるって決めたのに、情けないな。思い出させてくれて、ありがとう」

 ヴィンセントが触れていた肩の辺りが急に冷えて、ステラは小さく震える。今まで自分を包んでいた温かさが手に入らないことが苦しくてしょうがない。だけど、今、恋愛どころではない彼の前で悲嘆にくれるわけにもいかない。ヴィンセントは何もかも失おうとしているのだ。

(ステラ、しゃんとしなさい!)


 その邸宅の門をくぐった時には夜が明けていた。ステラたちがたどり着いたのは、郊外にあるカントリーハウス。王宮にも引けを取らないほどの大きな屋敷だった。靄を纏った庭は、公園と言っていいほどに広いのに芝は刈り込まれており、樹木もしっかり整えられている。数名の園丁が忙しなく動物の形のトピアリーを作っているが、朝露を纏った樹木の彫刻は芸術作品とも思えるような出来だった。その奥にそびえ立つ三階建ての建物は窓から煙突まで意匠が凝らしてあり、よく手入れされていた。

(お金って、あるところにはあるものね……)

 思わず羨望の溜息が漏れたところで、馬車が玄関に辿り着いた。巨大な家の扉が開かれるとすぐに応接間に通された。

「ブライアン。おまえがついておきながら、どうして止められなかった?」

 椅子に座りもせずにヴィンセントは邸宅の執事を責め立てた。ブライアンと呼ばれた彼は、蒼白な顔をして絶句する。

「おまえが王宮に件の手紙を届けさせたのだろう? あの人がディアナ宛に普通の手紙を書くと思ったか?」

 苛立ちをぶつけるヴィンセントにブライアンは口を開けたり閉めたり、言い訳を探しているようにも見えた。そのとき、

「あんまりブライアンを苛めないであげてね。なにか一つでも失敗したらクビだって怯えているのよ」

 場違いにくすくすと笑いながら現れたのは、ヴィンセントの母、ドリスだった。
 紫色のドレスを着て、相変わらずじゃらじゃらと宝石を重そうに纏っている。あまりにも仰々しい登場に、ステラはどこか白けた気分になった。

「ところで、朝早くに一体どうしたの。あなたがここに来るなんて珍しいわ。ああ、ようやく結婚する気にでもなったのかしら? それなら、若くて綺麗で上品な――最低でも借金など無い、あなたにぴったりのご令嬢を捜してあげないとね」

 ドリスはまるでステラの事が見えていないような口ぶりでそう言った。

(借金――ああ、偽の身分だってばれてしまったのね)

 公爵と借金塗れの男爵令嬢など釣り合わない。元々そんな事はよく知っていたけれど、改めて言われれば、さすがに打ちのめされる。

(まぁ、どっちにしろ、友人止まりだけれど)

 気落ちするステラの前で、目を吊り上げたヴィンセントが口を開く。

「ステラは、僕の理想の女性だよ。曲がった事が嫌いで、誰よりも強い。何度転んでも、いつでも顔を上げている。僕にない物を全部持っている女性だ」

 初めて聞いた誉め言葉。しかも褒めすぎで別人のようだ。ステラは思わず耳を疑って、ヴィンセントを見上げた。

(え、これって恋人のお芝居の続き? ……そうよね?)

 問うように見つめる。だが、彼はステラの方を見ずに、不満そうに顔をしかめるドリスをじっと睨んでいた。
 重たい沈黙をドリスは自分からは破ろうとしない。黙っていれば嵐はやり過ごせるとでも思っていそうだった。
 ヴィンセントはやがて大きく息を吐くと、覚悟を決めたように言った。

「つまり――あなたはステラに借金があって、気に入らないから、だから、ああやってわざわざ彼女を嵌めようとしたんだな。馬鹿馬鹿しい。金なら腐るほどあるだろうに、まだ欲しがるつもりなのか?」
「何の事かわからないのだけれど?」

 ドリスは可愛らしさを演出しようとしたのか小首をかしげるが、その右頬がわずかに引きつったのをステラは確かに見た。

「あなたがディアナの腹の子を呪殺しようとした犯人だってことだよ」

 ヴィンセントがはっきりと言うと、ドリスは驚いたように目を見開く。慌てたように否定した。

「いいえ。ステラ・ハントリーとか言う、そこの身の上を偽った娘が、王太子の妃の座欲しさにやったことだと聞いているわよ。いい加減なことを言わないでね」

 ドリスの反論にも、彼は冷たい目で母親を見下ろすだけだった。

「愚かな人だ。だからいつも好敵手ライバルに足下をすくわれるんだ。ステラの行動範囲は僕の屋敷と王宮の二つに限られている。しかも、その二つに接点のある人間で動機のある人間なんて、僕とあなたくらいしかいないんだ。だからあの手紙を使った時点で、僕かあなたが犯人だと言っているようなものだって気が付かないのか?」
「証拠はないわ」

 責められてドリスがぷいと顔を背けると、ヴィンセントは眉を怒らせた。

「いいかい。証拠なんて、状況証拠で十分なんだよ。王妃陛下の目的は、万が一にでも自分の家以外から王を出さないこと。そのためにはなんだって利用する。あなたがステラが目障りなのと同じで、陛下は僕の存在が目障りだった。隙あらば不安因子は消そうと思われていた。気づいていなかったとは言わせないよ。あなたのせいで、僕らはおしまいだ。彼女は、この件を使って、僕から王位継承権をはじめ、貴方が大事にしている爵位財産もろもろを剥奪するだろうね」

 ヴィンセントの言葉にドリスが泡を食う。耳飾りや、首飾りを奪われまいとにでも言うように握りしめて叫んだ。

「何を言っているの!? そんな事させないわよ!」
「もう手遅れだよ。ディアナがあの手紙のせいで倒れた。それだけで、十分重罪に値するって王妃陛下は判断すると思うよ。自分の立場をもっと自覚するべきだったね」
「そんな。私は、あなたに誰よりも幸せになって欲しいだけで――」
「どこが」

 冷たい冷たい声。彼が彼自身を罵っているように思えて、ステラは苦しくなる。ヴィンセントはさらに自らを斬りつけるように続けた。

「あなたは未だに王妃の座に、それから国母の座に未練がある。それらすべてを手に入れられた王妃陛下が憎い。だから、ステラをあなたのくだらない嫌がらせのために後先考えずに利用したんだろう? ――僕のため? そんなの体の良い口実だ。金を食いそうな彼女が気に食わなかっただけ。僕の幸せなど全く考えていない。考えていたらこんな浅はかなことはできないはずだ」
「ち、違う。違うの信じて」

 息子に愛情をきっぱり否定され、ドリスの目が悲しみに歪んだ。

「――親が子を愛さないわけがないじゃない」

 気が付くと、ステラは思わず口を挟んでいた。

「ドリス様はあなたのことが第一。おっしゃる通り、全てあなたのためにやったことよ」
「どうして……君が庇うんだ?」

 ヴィンセントが訳がわからないと言った様子で、首を横に振った。
 確かにステラが自分を陥れたドリスを庇うのはおかしいだろう。だがステラは、ドリスを責めることで自らを必要以上に傷つけていくヴィンセントが痛々しくて見ていられなかった。

「落ちぶれた男爵令嬢との結婚なんて、私が母親でも妨害するわ。当然のことよ」

 ヴィンセントが同情されるのが嫌いなのはよく知っているつもりだった。極めて理性的に見えるようにステラは鼻で笑う。

「それにね、本当に王妃陛下を恨んでいるなら、もっと確実な方法はあったと思うわ。子を人知れず闇に返す方法なんて昔からたくさんあるもの。あなたも言っていたじゃない。呪殺なんて、今時、だれが成功するなんて思うの。嫌がらせに毛が生えたくらいのものでしょ」

 子を闇に返す――自分で言っておいてその恐ろしさに身震いする。
 歴史を軽く漁るだけで、毒殺された王子や姫、――血なまぐさい話がぽろぽろと出てくるものだ。
 トマスの手紙は確かに気持ちが悪かったけれど、はっきり言ってしまえば実害は無いものだ。現実主義なステラはそう思う。そして、ステラの知る限り『彼女たち』はステラと同じくらいに現実主義。

「いや、でも、そんな風に思えるのは君だからで」
「――そうかしら?」

 ステラは玄関の方が慌ただしくなるのに気づいて、眉を上げる。そして厳かに入室して来た二つの影を見て、にんまりと笑った。
 気遣うような王太子にエスコートされるのは、黒髪を靡かせてゆっくりと歩くディアナその人だった。

「そうよ。あなたが、あの程度のことで寝込むわけがないのよね?」

 ディアナは肩をすくめる。その美しい顔は、生き生きと輝いていて、とても寝込んでいたようには思えない。

「だって、あの後から陛下が安静にしていなさいって、外出を許していただけなくって。ほとんど軟禁よ。でもさすがにあなたが捕えられるのには納得いかなかったから。あとで怒られるのを覚悟で寝込むのを止めて、こっそり出て来ちゃったわ」

 ディアナのはち切れそうな笑みにステラは呆れた。

「でもね、私、あの手紙が、あなたからのものだったらって疑っていた時だけは、本当に寝込みそうだったのよ。でもそうじゃなかったら、全然平気だった」

 そう言うと、ディアナはステラに近づいて、優しく抱きしめる。

「私がこんな姑息な真似、するわけないじゃない? やるならもっとはっきりと正面から堂々と悪口言ってやるわよ」

 ステラが膨れると、

「そうよね。私が馬鹿だった」

 ディアナはそう言うけれど、王太子に睨まれて肩をすくめる。

「だけど、ドリス様の罪を問わないわけにはいかないみたい。王妃陛下、説得するのって難しいの」

 王太子がドリスをじっとりと睨みつける。

「どうやら母上は、最初からハントリー嬢を使ってあなたを嵌めるつもりだったようだけど、まんまと引っかかってしまったみたいだからな。一度ちゃんと罪を償ってもらうのが一番穏便に済みそうだと思うが、いかがかな」

 青ざめて項垂れるドリスだったが、王太子はすぐににやりと笑った。

「まぁ、すぐに恩赦が出ると思うけれど」
「恩赦? なんで?」

 ステラは首を傾げた。恩赦と言えば、国でおめでたい事があったときに、罪人の罪が特別に赦される事。対象となる軽い罰――今回ドリスがやった嫌がらせなどはおそらくそれに当たるだろう――に問われた罪人が、牢から解放されるのだ。
 数年前王太子が結婚した時にも確か恩赦があったかも――とぼんやり考え、

「ああ、ディアナの子が生まれたらってことね?」

 納得するステラの前で、王太子が「……ヴィンセント。おまえ、本当に懲りないな。まだ言っていないのか」と呆れかえる。

「はっきり言わないと、前と同じ事の繰り返しで、いつまでも欲しいものが手に入らないんだ」

 王太子がまるで年上のように諭すと、ヴィンセントがむっとした。

「通じていないけど、何回も言っているよ」
「どうせ言い方と間が悪いんだろ。おまえは昔からそうだ」

 言い争う男二人に、ステラは首を傾げ――『前と同じ』『通じていない』という言葉に思い当たることがあった。

(まさか、ここでまたディアナにプロポーズ!?)

 正直どうしてそうなるのか意味がわからないけれど、もしそうであれば、決闘もありうる。ステラは思わずディアナを庇うように飛び出した。

「さすがにもう諦めた方がいいわ。人間引き際も肝心よ!」

 目の前に立ちふさがるステラに、ヴィンセントはげんなりした顔をしてその手を取った。

「確かに大事だろうけど、まだ諦めるには早いんだ。――おいで、ステラ。二人きりで話をしよう」
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