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棘の姫は薔薇に焦がれる 作者:山本 風碧

第三章 仲直り、そして

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 しんと静まり返った部屋は、嵐が過ぎたかのよう。
 重苦しい沈黙を破るように口火を切ったのは、いつになく顔を厳つく作ったオスニエルだった。

「殿下」
「なんだ」
「まさか追わないなどとおっしゃいませんよね?」

 声色には非難が混じっている。ヴィンセントは肘掛け椅子にどっしりと腰を下ろして、自らの姿勢を示した。

「聞いていなかったか? 必要ないと言われたんだよ? それから、プロポーズも断られた」

 振りほどかれた腕には未だに力が入らない。脱力したままのヴィンセントを見て、やれやれとオスニエルが肩を竦める。それっきり黙ってしまった侍従フットマンにヴィンセントはむっとする。

「言いたいことがあるなら、はっきり言えよ」

 発言を許すと、彼の忠実なる侍従は真っ向から主人を諌めてきた。

「ステラ様のお気持ちが本当におわかりにならないのですか?」
「よっぽど僕のことが好みじゃないんだろうね」

 自嘲するとオスニエルは慰めもせずに遠慮なく頷いた。

「そうでしょうね。長くお仕えして忠義を感じている私でも、幻滅するくらいの無様さでしたから」
「なんだと?」

 オスニエルは饒舌だった。ずっと意見するのを我慢していたのだろうか、一度堰が切られたら我慢ができないとでも言うようだった。

「あのタイミングでプロポーズなど、最悪です。疑いを晴らすためだけの打算にしか思えない。契約のようにプロポーズなど、ロマンの欠片もないではないですか! その上、あのように人前で初心な令嬢に恥をかかせるなど――」

 打算、契約、恥という言葉が胸に刺さり、ヴィンセントはぎょっと目をむく。

「僕はただ、彼女を助けたかっただけだ」

 オスニエルはやれやれとため息をつく。

「これだから殿下は何度も逃げられるのです。要所をしっかり押さえられたジェラルド殿下に敵うわけがございません」
「…………」

 とどめを刺されて息ができない。ヴィンセントは思わず絶句する。するとオスニエルは気が済んだのか、にっと笑いかけた。

「私は、もう殿下が悲しまれるのを見るのは飽きました。お願いでございます。今すぐステラ様を追ってください」
「今すぐ? あれだけしっかり振られたのに?」
「今でなくていつ動かれるつもりです。憲兵の馬車にはまだ追いつけます」
「だけど、僕はきっと嫌われている」
「ステラ様が殿下の事をなんとも思っていらっしゃらないのであれば、あんなに怒られるわけがない。むしろあの方ならば、打算であろうとも公爵夫人の座を喜ばれるはずです。――ですから、すぐに!」

 とたん、ヴィンセントは胸の中ではちきれそうになる想いに、思わず立ち上がった。もしかしたら。もしかしたら、愛されているかもしれない――その僅かな期待で、先ほどまでの脱力感が嘘のように力がみなぎりだすのがわかる。

「すぐに馬車を用意してくれ」

 オスニエルに命じると、彼は破顔した。オスニエルが素早く手配したフロックコートを受け取る。

「どちらへ向かわれます?」

 頭が高速で回転し始める。決して負けるわけにいかない勝負。次の一手はどう打つべきか。

「ステラを拾ってからジェラルドのところに向かう。一刻を争うから先駆けをすぐに出しておいてくれ。王妃陛下が取り調べられると言っていたが、ディアナのことにあいつが絡んでいないはずがない。彼女が連行されるというのに、僕に一言も無いのは、つまり僕のことも信用していないってことだ」

 オスニエルは渋い顔をしながらも頷いた。

「それにしても一体どなたが呪殺など……」
「確かにいまどき呪いなんて馬鹿馬鹿しいけれど、心労で母体が弱ることは考えられる。お腹の子には効果的だろうし、犯人もそれを願っているのかもしれない」

 手早く夜会用のホワイトタイを解いたヴィンセントは、ふと気になってつぶやいた。

「そうだ。あのステラの手紙を、犯人はどうやって手に入れたんだろう」

 犯人と口にすると、怒りが湧き上がる。ステラを嵌めようとした誰かがいるのが許せなかった。

「確か、細かくちぎられていましたね……」

 形状を思い出して二人で唸る。もし例のトマス・アボットの手紙を誰かが拾っていたとなると、犯人はこの屋敷の中にいてもおかしくない。

「確かめないと」
「執事に言付けます」

 頼んだ、と頷くと、ヴィンセントはゆるくクラバットを巻き、帽子トップハットをかぶって表に出る。
 雨の匂いがする庭にはすでに人影はなかった。
 濡れた闇に紛れてヴィンセントは屋敷を抜けだす。


 *


 時は少しだけ遡る。
 屋敷を飛び出したステラは、いっそこのまま逃げようかとも思ったが、釈明もせずに逃げたら人生がその瞬間に終わりだと悩んだ。
 だが先ほどの兵達の撤収は驚くほどに早く、すでに門前には馬車一つ残っていなかった。

(いや、早いというより――)

 ステラは一気に赤面する。それほど長い間ヴィンセントのくちづけを受けていたのかと思うと頭がゆだってしまったのだ。
 さぞ兵たちも呆れただろうと思うと、耳まで熱くなってくる。

(とにかく……追いかけたほうがいいわよね……)

 ステラはこの場所にもういたくない。万が一ヴィンセントと鉢合わせたら困る。今は彼の顔を見たくない。
 だが、さすがに盛装している状態で、馬車もないまま歩くわけにいかない。裏門へと回ったのは、部屋に自分の地味な服が置いてあることを思い出したからだった。使用人出口に近づくと、ちょうど顔見知りの侍従が出てくるところだった。急いで門に向かっているが、客だろうか。
 彼は佇むステラに気がついて声を上げる。

「あれ? 今日は殿下とお食事だったんじゃ」
「は? 殿下とじゃないわよ、殿下のお友達と」

 何を勘違いしているのだろうとステラは訝しんだが、彼はそんなはずないと首を横に振る。

「え? でも他にお客様の予定なんかなかったけどな」
「どういうこと?」

 ステラが首を傾げた時だった。
 後ろから「ステラ!」と声がかかった。耳にその声が届いたとたん、ステラの全身が拒絶反応に震えた。

「――トマス!?」

 その姿を見たとたん、ゾッとする。思わず腰が抜けそうになったステラはよろけながらも屋敷の中に逃れようとした。
 だが、駆け寄ってきたトマスは強引にステラの腕を掴んだかと思うと、「ほら、プレンストンに帰るよ」と屋敷の外に引きずり出そうとする。

「いやよ」
「うまく逃げたつもりだったかなあ? 馬鹿だよねえ。私がおまえを逃がすわけ無いじゃないか」

 乱暴でぞんざいな態度。ただのもの扱いをされているのがわかって、ステラは羞恥心と憤怒で顔を赤くした。

「いくらなんでもおまえ呼ばわりしないで。そこまで落ちぶれてなんかない!」
「はああ? 王太子の愛人を狙った女が落ちぶれていない? 傷物をもらってやるんだからね。感謝して欲しいくらいだな」
「うるさいわ。あなたにとって、私はおまけで、爵位と領地しか見えていないくせに、何が感謝よ。冗談にしてもぜんぜん面白く無いわ」
「金を返してから大きな口を叩くんだよ」

 トマスの大声に、侍従他、屋敷の中の使用人が野次馬に現れる。好奇の目にさらされてステラは顔を赤らめる。こんな屈辱はないと、ひとまずおとなしくトマスに連れられて屋敷の門を出る。
 だが、そこで自らの置かれた立場をはたと思い出した。

(そうだった――ヴィンセントと別れてこのまま領地に帰ってしまったら、逃げたと思われる。追手がかかる。そうしたら二人とも破滅だわ)

「トマス。お願い。話を聞いて」
「馬車に乗ったら聞いてあげるよ?」

 大げさな箱型馬車が道の脇にとめてある。トマスのものだろうか。だとすると形ばかり上流をなぞっても、中身がまるで追い付いていない。鼻で笑いたくなる。
 だが、力では敵わない。無理矢理に押し込められて、ステラは悲鳴を上げたいと思った。
 この男と密室で二人きりなど冗談ではない。
 だが使用人通路は裏通りに面しているせいで、歩いているのはゴロツキばかり。トマスに加勢はしても、助けてくれるような人間はいなかった。何より今助けを求めれば、ヴィンセントに伝わる。
 彼は助けてくれるだろうか。優しい彼だから、きっと助けてくれるだろう。だけどステラはそれでは嫌だと思っていた。
 先ほど胸を掠めた想いがぶわりと浮上した。
 どうして、優しさだけでは嫌だと思うのか。答えは知っているような気がしたけれど、考えては駄目だともう一人の自分が忠告するのだ。

(駄目。だって、あの人は、ディアナが好きなのだもの。絶対に報われない)

 強がりを言っていても、ステラは絶対に届かないものには手を伸ばさなかった。彼はその絶対に届かないものの一つ。

(呆れた)

 負け犬は自分の方だったと自嘲する。

「フフフ、負け犬が聞いて呆れるわ」

 突然笑い出すステラにトマスがぎょっとして手を離し、反動でステラが馬車の外に転がり落ちた。その時だった。

「君という子は、どうしてこんな時まで助けを求めないんだろうね。そんなに頼りないかな、僕は」

 ステラはどっしりと誰かの胸に抱きとめられる。呆れたような響きを孕んだ、柔らかく耳に心地よい声。それから心をくすぐる香りがステラの鼻を刺激した。目を見開いたステラの視界では金色の髪が風に踊る。
 呆然とするステラをその人――ヴィンセントは背に庇った。

「……どうして、追って来てくれたの」

 助けを求めていないのに。あれだけひどい言葉を投げつけたのに。

「賢いはずなのに、どうしてわからないのかな」

 振り向いたヴィンセントの青の瞳がステラを貫いた。軽口に似合わない真剣な目にステラは文句を呑み込んだ。

(まさか)

 そう願いたいのに、だけど、と否定する自分がいる。見つめ合い、互いに問うような視線を絡ませる二人に、トマスの声が割りいった。

「その女は私のものなんだよ」

 一人部外者のようなトマスは、屈辱に顔を赤くしていたが、ヴィンセントの容貌を見て目を細める。

「おまえは、誰だ。――王太子じゃないよね? まさか、狙いを変えて他の男をたらしこんだの?」

 不遜な態度でトマスはステラに訊く。たとえヴィンセントが王族でないとしても、無礼な態度だ。ステラはむっとしてトマスに向かい合う。

「この人は私の恩人で、相棒よ。王都で私の夢が叶うようにって応援してくれたの。不躾な想像も、侮辱も私が絶対に許さない」

 きっぱりというと、後ろにかばわれたヴィンセントが「恩人で相棒ね」とため息をつき、そして再び一歩踏み出してステラを背に庇う。守られるのを嫌がったステラが前に出ようとすると、腕を引かれ、頭を脇腹に押し付けられる。頬に触れた引き締まった硬い感触に思わずステラが固まると、ヴィンセントが「なるほど、こうすれば大人しくなる」とくすりと笑う。

「ちょ、ちょっとやめて――」
「おい、それは私の婚約者だぞ!?」

 仲睦ましく見えたのか、トマスは苛立ちを隠さない。細い目を吊り上げて、地団駄を踏む。

「だれが婚約者よ!」

 ステラが反論すると、ヴィンセントが頷いて補足した。

「ミス・ステラは、僕の婚約者だよ」

 何を言い出すのだとぎょっと目を剥くステラの前で、先にトマスが爆発した。

「だから、おまえはいったいだれなんだ! 名乗れよ!」

 ヴィンセントは鬱陶しげに髪をかきあげる。

「自ら名乗らない奴に名をくれてやる礼儀もないけれど。ストックポート公爵だよ。一応王子でもあるかな。身分がどうこう言うつもりは無いし、別に敬意は要らないけれど、社交界でのし上がりたいと思っているのなら、顔くらい覚えておいたほうがいいかもね?」

 ステラは自分も覚えていなくて無礼を働いたことを思い出して誤魔化すように咳払いをすると、ヴィンセントの身分に青くなるトマスを睨みつける。
 だが、彼はステラと同じく無礼を纏って生まれてきた上に、馬鹿なようだ。一拍後には元の調子に戻って言った。

「と、とにかく、相手がだれでも、私は彼女を手放すわけにはいかない。あれだけ貢いだんだ。それもこれも男爵位と所領のため。――いわばこれは立派な事業なんだよ。戻らないっていうんだったら、今すぐ金を返してくれ」

 これでどうだとトマスは開き直った。

「とうとう、爵位目当てって認めたわね!」
「じゃなきゃだれが君みたいな、きつい生意気な女に言いよるかよ! とにかく、爵位はなんとしてもいただくからな!」

 知ってはいたけれど、やはり本人の口から聞くと腹の底から怒りが込み上げる。だが、ステラの怒りが破裂する前に、ヴィンセントが会話に割りいった。

「いい加減、人として恥ずかしくないのかな? それ以上彼女を侮辱するとさすがに黙っていないよ」
「どうする気だよ?」

 ニヤニヤと笑いながら拳を鳴らすトマスに向かってヴィンセントが一歩踏み出す。
 だが怒髪天をつく勢いだったステラは、前に手を出して、ヴィンセントを止めると言い放った。

「いいわ。わかった。じゃあ、連れて帰ったらいいわ」
「は?」

 ヴィンセントがぎょっと目を剥き、拍子抜けしたのか、トマスはきょとんと目を丸くした。そして彼は直後どうしたものかと居心地が悪そうに頭を掻く。

「わ、わかればいいんだ。さっきのは、嘘だ。私は、ちゃんと君を愛してるから――」

 浮気のばれた亭主が妻の機嫌をとるような、気持ちの悪い笑みを浮かべるトマスに、ステラは同じくらい嫌な笑みを贈る事にした。

「でも――私を今連れて戻ったら、お尋ね者になっちゃうわよ? 私、今、王太子妃とお腹の子を呪い殺そうとした罪に問われているの。釈明が上手くいかなかったら、あなたの欲しい爵位は没収されるでしょうね」
「は?」

 トマスの顔がひきつった。

「でも、あなたは私を愛しているのだもの。ちゃんとこの世の果てまで一緒に逃げてくれるわよね?」

 ステラが渾身の力を使って作った満面の笑みを向けると、トマスは青くなって震え出す。

「なに血迷ったことをしているんだ、このくそアマ――私の爵位をどうしてくれるんだ!」

 一気に頭に血を上らせ、ステラに掴み掛かろうとしたトマスだったが、

「ちょっといいかな。なんだかいろいろ、我慢の限界」

 ヴィンセントがステラの横を風のようにすり抜けた、と思った次の瞬間にはヴィンセントの幅の二倍もありそうなトマスの体が空中を舞っていた。どしんと派手な地響きと共にトマスが地面に伸されている。

「な、なに今の……」

 ヴィンセントの細い体のどこにそんな力があったのだろうと愕然とする。そして、

(え、今彼が怒ったのって、)

 彼が怒った原因について考え始めると、どくどくと胸が激しく跳ねはじめる。
 ヴィンセントから目が離せないでいるステラに、彼は「さあ、行こうか」と手を差し伸べた。

「ど、どこへ?」

 するとヴィンセントは「ついさっき自分で言った事も忘れちゃった?」とおかしそうにする。

(あぁ、そうだった! 牢の方がマシとか、言い捨てて出て来たんだった!)

 はっとしたステラが

「ど、ど忘れしただけよ」

 と誤摩化すと、ヴィンセントはステラの手を勝手にとって、綺麗に微笑んだ。
 笑顔のあまりの華やかさにステラは思わず見とれる。
 すると、ヴィンセントは手を握っているのとは反対側の手で、いつの間にかやって来ていた馬車を指差した。

「ひとまず話を聞きにいこうか。あぁ、王妃陛下のところじゃなくて、先にジェラルドのところだけどね」
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