中国語は語順と句形が大切
中国語は孤立語である。孤立語というのは、「語順」と「句形」が全てを決定する言語である。
これだけの説明だとハテ、何のことやらという感じだと思うので、具体例を出して説明したい。
①語順によって意味が変わる。
日本語はSOV、英語はSVOという感じでどの言語にも語順はある。
英語ではI love youとYou love meではIがmeという形に変化する。他のヨーロッパの言語でもそれは同じで、人称代名詞は格によって変化する。
日本語はどうか。日本語の場合、格助詞によってその語の文法的役割を示す。「私が魚を食べる」といえば「私が」が行為者であり、「魚を」が目的語である。つまりこの文の場合は「が」が主語で、「を」がつくものが目的語と考えるわけだ。(もちろん例外もあるので一筋縄ではいかないが……)英語のI my meのように単語の形自体は変化しないが、後ろに格助詞だのなんだのがつく。
しかし中国語はこの点非常に簡潔である。
我爱你 私はあなたを愛する
→你爱我 あなたは私を愛する
中国語には格助詞も格変化もない。つまり語の位置がその語の文法的役割を決定する。
この文の場合、単語が動詞の前に来ていれば主語、後ろに来ていれば目的語というかなり分かりやすい構造である。「我」がS、「爱」がV、「你」がOというSVOの順番でただ語を並べればいいだけだ。そんなわけで順番を入れ替えるだけで別の文が作れる。
他にも、
SC 名詞+名詞
我是日本人 私は日本人だ
→你是日本人 あなたは日本人だ
SC 名詞+形容詞
他很聪明 彼はかしこい
→他们很聪明 彼らはかしこい
・英語と違って形容詞にはbe動詞にあたる「是」がつかない。一部の名詞は「今天四月二十八号 今日は四月二十八日です」という具合に「是」を省いて使うこともある。
SV 名詞+動詞
我去东京 私は東京に行く
→你去东京 あなたは東京に行く
この三つの文だけ見るととても簡単な言語である。動詞も形容詞も主語によって屈折することもなく、尚且つ名詞に格助詞もつかない。
しかし中国語の動作を修飾する「状语 zhuang4yu3」は基本的に動詞の前に来るので、「慢慢地 ゆっくりと」は「火车慢慢地进了站 汽車はゆっくり駅に入った」という具合に「火车 huo3che1 汽車」と「进 jin4 入る」の間に割って入る。英語なら副詞は動詞の前にも後ろにも来られるが、中国語では「小王吃鱼 王ちゃんが魚を食べる」を「小王在家吃鱼 王ちゃんは家で魚を食べる」にするとき「在家 家で」を動詞の前につける。
助動詞+動詞という文でも動詞の前に助動詞を置くだけである。
想 ~したい
→想吃 食べたい
要 ~したい、~しなければならない
→要吃 食べたい、食べなければならない
应该 ~しなければならない
→应该吃 食べなければならない
能 ~できる
→能吃 食べられる
可以 ~してもいい
→可以吃 食べてもいい
会 ~できる
→会吃 食べられる
(上記の助動詞の使い分けの問題は後日やります。これも結構だるいんだな……)
否定文になっても「不」をつけるだけだ。
我不是日本人 私は日本人ではない
他不聪明 彼はかしこくない
我不去东京 私は東京へは行かない
不想吃 食べたくない
しかし「是」の前に「都 すべて」を着けた場合少し問題が出てくる。語順が大切になってくるのだ。
我们都是日本人 私たちはみんな日本人です
→我们都不是日本人 私たちはみんな日本人ではありません(全員日本人ではない場合)
→我们不都是日本人 私たちはみんながみんな日本人ではありません(何人か日本人が混じっている場合)
このように「不」の位置で意味が変わってくる。
そしてさきほどの助動詞も「我可以在这里拍照片吗? ここで写真をとってもいいですか?」可以(~してもいい)+在这里 ここで+拍照片(写真を撮る)という順番になるので注意が必要である。
「应该 ying1gai1 ~しなければならない」を「不应该」にすると「~してはならない」という意味になるが、「应该不」という語順で使うとかなり意味が変わる。
他不应该知道这件事情。 彼はこのことを知ってはならない。
他应该不知道这件事情。 彼はおそらくこのことを知らない。
そういえば「十多个人 十人余りの人」は言えるが「十个多人」が言えないのも、やはり語順的な関係なのかもしれない。
しかし語順が通常の語順と変わる場合もある。二重目的語のある文や、目的語を前置する場合である。
中国語の二重目的語文は何もつかないことも多い。
SVOO 主語+動詞+間接目的語+直接目的語
我教你日语。
私はあなたに日本語を教える。
この場合、「あなた」「日本語」をそのまま並べるだけだ。しかし「给 gei3」を使って表す場合もある。
SVOO
她给我了一张票。
彼女は私に切符を一枚くれた。
「给」を「あげる、くれる」という動詞として使う時はこのようになるのだが、中国語ではなぜか「介绍 jie4shao4 紹介する」や「打电话 da3dian4hua4 電話する」といった動詞は二重目的語をとれない動詞と考えられており、「给你介绍」「给我打电话」という具合に間接目的語を前置する。
さらに「把 ba3」は日本語の「を」のように動詞の前に目的語を持ってくることができる。例えば「我把那本书买了 あの本を買った」といった感じで「把那本书」を「买」の前につけることができる。しかし色々と制約があり、動詞の後に目的語や補語がついていないとダメとか、全ての目的語を「把」で前置できるわけではない。
そして中国語は目的語を主語の前に置くこともできる。
这个我知道!
これ知ってるよ!
こうなると見た目OSV(目的語+主語+動詞)であるが、これはどちらかというと日本語の「は」に近い働きで、単に目的語を前置して話題化するものである。
ところで、中国語では主語を「主语」、目的語を「宾语」と言い習わしている。しかしこの「宾语」は実は目的語に留まらない。
そもそも「去学校」といったとき、英語やヨーロッパの言語を一つでも勉強したことがある人なら違和感があったはずである。英語ならgo to schoolじゃないか、「to」はどこに行ったんだ?
実は中国語で「学校に行く」を「到学校去 到学校(学校へ)+去(行く)」と言うこともできるが、「去学校」を使うことも多い。私の経験則では後者の方がよく使われるように思う。
これは次のテーマに繋がるので、ここでバトンタッチしよう。
②中国語は何でも省略したがる
以前中国人と話しているとき、
你吃Lawson吗?
と聞かれて「何だそれ?」と思ったことがあった。まあ結論から言えば「ローソンのものを食べるか?」とかそういう意味なんだろうが、日本語的に考えるとちょっとこの文はおかしい。実際中国人は食堂で食べることも「吃食堂」と言ったりするが、英語と日本語しか知らない我々にはこの手の文は非常に奇異に映る。
中国語文法の妙は、何でも短い句形に落とし込もうとすることである。
笑你 あなたを笑う
哭什么 何を泣く、何について泣く
下大雨 大雨が降る
写毛笔 毛筆で書く
打乒乓球 卓球をする 打 da3 打つ
踢足球 サッカーをする 踢 ti1 蹴る
讲政治 政治について話す 讲 jiang3 話す
谈恋爱 恋愛する 谈 tan2 語る
英語なら「laugh at」や「cry over」などといった具合に自動詞なら前置詞を使うと決まっているのだが、中国語なら「笑 xiao4 笑う」とか「哭 ku1 泣く」とかいう動詞でも直接後ろに宾语をもってこられる。そんなわけで「踢足球」も「サッカーを蹴る」ではなくて単に「サッカーする」という意味になるわけだ。
しかし何でも許されるというわけではなく、例えば「北京に住む」は「在北京住 zai4Bei3jing1zhu4」と言って「去北京」のように「住北京」にはしない(住在北京、ならいい)。
中国語は前置詞をたくさん使うような複雑な構造の長い文を嫌う傾向にあるのかもしれない。二字や四字の熟語にして一つの単語や熟語にしてしまうことが多い。
例えば「警察に通報する」も中国語なら「报警 bao4jing3」だし、「救いようがない」は「无可救药 wu2ke3jiu4yao4」と表すが、これもいちいち「誰々を救うための薬がない」みたいな長ったらしい表現をしない。
中国語には「成语 cheng2yu3 四字熟語」が多いのは、中国語は構造的にあまり複雑な文を作ってしまうと分かりにくくなるからという統語的な要因があるのかもしれない。文語的・ニュース的表現になると成語の使用頻度が増える。
まあ「詳細が知りたい」というのに「我想知道详细的内容」よりも「愿闻其详」といった方が短いのは分かるが、ネットスラングで「なんだか分からないがすごい」というのに「不明觉厉 bu4ming2jue2li4 → 不明白说的是什么,但是觉得很厉害的样子」と言うのは初めて見たとき笑ってしまった。
そういや「你是什么意思? 何が言いたいの?」とか「吃的什么? 何食べた?」とかも、最初聞いたときはギョッとしたような。
③特定の句形でしか文が成立しないことが多い。
中国語は何でも省略したがる。そのくせ、ある語法を使おうとすると別の語法を使うことができなくなるという制約が多い。
たとえば「很」が一字の形容詞の前につくとき、その形容詞を最後に文が終わることが多い。
我姐姐很矮
私の姉は(背が)低い。
これを例えば「我姐姐矮。」という感じで「很」なしで文を終わらせることはできない。
しかし文が終わず続く場合、「很」は消滅する。
我姐姐矮,我妹妹高。
私の姉は背が低いが、妹は背が高い。
二字の形容詞になった場合、さらに面倒である。
形容詞のパターンによってAA型(甜甜、小小など)、AB型(雪白、笔直など)、ABB型(水灵灵、热乎乎など)、ABAB型(雪白雪白、笔直笔直など)、AABB型(酸酸甜甜、漂漂亮亮など)の五種類に分かれるのだが、これらの形容詞には「很」や「太 tai4 とても」「不」などをつけることはできない。
他にも、学習者がやってしまいがちなミスに反復疑問文に疑問の語気助詞「吗 ma ~か?」をつけてしまうというのがある。
反復疑問文というのは中国語の疑問文の作り方の一つで、動詞の肯定・否定をそのまま並べることで作ることができる。
有 you3
→有没有? あるか?
去 qu4
→去不去? 行くか?
疑問文の作り方はもう一つある。「吗」という日本語の「か」と似た語気助詞をつける方法だ。
有吗? あるか?
去吗? 行くか?
しかしこれら二つは一緒に使うことはできず、「有没有吗?」や「去不去吗?」とは言うことができないのだが、これはかなりの中国語上級者でも言い間違うと聞いたことがある。
疑問代名詞についても似たようなことが言える。例えば「你想吃什么?」に「吗」は要らない。しかし「你知道他在哪里吗? 彼がどこにいるか(あなたは)知っているか?」という時、つまり複文にある時は使えるという謎仕様があるので学習者は混乱しやすい。覚えれば簡単なのだが、慣れるまでは実戦で言い間違ってしまうのだ。
このように、中国語文法は○○を使うと同じ文中で××が使えないということが多い。
中日辞典とWhy?にこたえる以下略の丸写し感が出てきた。オリジナリティを打ち出そう!(そんな無茶な……)