ベリダム・ヨーク
勝てる。陣頭指揮を取りながら私は強く思った。過信では無い。ここ一時間余りの戦況を踏まえての、純然たる自信だ。
喧騒だけでも分かる。私自身はほとんどこの場所から動いていない。だが耳に届く喧騒は、少しずつ小さくなってきていた。つまりこちらが押しているということだ。時折もたらされる報告からも、こちらが優勢になりつつあることは分かった。
(やはりウォルファートを倒したのが大きかったか)
今朝の激闘を思い出しながらほくそ笑む。確かに強かった。互いに腕に覚えのある身、それが高度な魔力付与を施された武装を装備してぶつかったのだ。持てる魔法や技術を全て繰り出し、相手の体力を削りあう--死闘と言っていいだろう。
悪あがきを見せて反撃してきた時には驚いたが、最終的には私が勝利した。それが周囲に徐々に伝わり、私の軍の士気は上がったのは狙い通りというもの。反対に国王軍は目に見えて士気が下がった。それまでの粘り強い戦いぶりはなりを潜め、勇猛さが減ったように感じた。攻略の手応えを掴んだのが、夜明けから二時間ほど経過したところだったか。
とはいえ夜通し戦ってきた疲労は馬鹿には出来ない。極端に動きが落ちてきた兵士が散見され始め、これ以上無理に戦闘は続けられないと私は判断した。そしてそれは向こうも同じだったらしい。私が一時的に軍を退いたのを契機に、国王軍も退却した。
これ幸いという言葉がピッタリくる退きっぷりに追撃の誘惑に駆られたが、それを断念したのは敵陣から牽制の攻撃呪文が飛んできたからだ。魔術師がこれほど残っていたのには驚いたが、後の祭り。恐らく勇者の片腕と言われるエルグレイ・シーフォウスが指揮をとっていたのだろう。推測に過ぎないが、あれほど効率よく攻撃呪文を駆使させられる人間は余りいないからな。
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互いに戦線を下げ、束の間の休息に入ったのはやむを得ない。予備兵力として後方に残しておいた兵達に、手当てと炊きだしを命じたあたりで私も急に疲労を感じた。もはや体力も魔力も枯渇しかけ、更にウォルファートを倒したという事実にどっと気が抜けたのだろう。
周囲の兵士達が倒れ込むように仮眠を取る中、自分自身も崩れ落ちた。目をつぶった瞬間に闇にのまれたことだけは覚えている。
--もう少しだ。もう少しで私は......大陸の覇権の足がかりを掴むことが出来る。
夢の中、私はそう言いながら笑っていた。だがどこか空虚なその笑いを、後ろからもう一人の私が指摘していた。
--いいのか、それで? そんなことをしてもお前の家族が戻ってくるわけじゃないぞ。これが本当にお前がやりたかったことなのか。
--他に何があったと言うんだ。嘆いても私の元には誰も戻りはしない。ならば少しでも他の物を得て、この胸の空白を埋めるしかないだろう。それに北の大地の領民達も少しは暖かい土地を手に入れられる。
--お前はそれらしい理屈をつけて、自分の行為を正当化しているだけさ。
そんな不愉快な夢を見た。高々二時間ちょっとの仮眠なのに、それすら取らせてもらえないとは。まだ重い頭を振りながら、私は己を叱咤した。ここまで来て迷うのか。僅かに残った良心の呵責など捩じ伏せよう。
もう後戻りは出来ないのだから。アリオンテとワーズワースを抱き込み、野望の炎をたぎらせたあの日から私は。本気で野心を追求すると決めたのだからな。例えそれが泡沫の夢であったとしても!
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「中々粘るな」
「はっ。ギュンター公の指揮の下、いまだに組織的な反撃絶えず......」
報告に参上した部下が膝を着く。押していながら今一歩押し切れない。その原因は分かっている。手が足りないのだ。それも単純な兵力だけの話では無い。指揮官が足りないのだ。
(ビューローとネフェリーの不在がここに来て響くか)
歯噛みしたくなるが、心の中に押し止めた。あの二人の戦死を聞かされた時は愕然とした。頼りになる副将二人の喪失は、私にとって両の翼をもがれたに等しい。それに同じ目線で話が出来るという意味では頭脳でもあった。
兵士の話ではビューローはラウリオという男に--覚えている--、ネフェリーはアリオンテに倒されたという。忌ま忌ましいことこの上ない。勇者の腹心の仲間共め。どこまでも私の邪魔をする。
二人の死を悼む間も与えられず、私一人で陣頭指揮を取っていた。だがどうしても末端までは指示が行き届かない。勢いツメが甘くなる。このまま行っても何とかなりはするだろうが......勝ちはするだろうが、予想以上に損失が出るだろう。
それは避けたかった。この一戦に勝利してもまだ王都攻めが残っている。それに備えて、兵力を少しでも温存しておきたい。頭の中でこちらと敵の残存兵力を比較する。こちらが凡そ四千五百、敵は多分八千を僅かに切る程度だ。個々の兵の強さと士気で勝るとはいえ、楽には勝てない兵力差ではある。
「出る。ついて来い!」
近衛兵に声をかけ、馬を走らせる。いいだろう、ギュンター・ベルトラン公爵。貴公がこうまで粘るというならば、やはり最後の一撃は私自身が決めてやろう。
予備兵力に温存しておいた近衛兵達に弓射を命じる。あのワーズワースとも戦った猛者達だ。更に何人かはネフェリーが施した術で強化されている。彼らと共にならば、戦線の一角を崩すくらいは出来よう。
こちらから力強く矢が放たれる。特別仕様の剛弓の弓弦が唸り、バタバタと敵兵を薙ぎ倒した。よし、ならばこの機を生かそうか。私を見つけた国王軍の雑兵共が色めき立ち、殺到しようとする。「辺境伯だ!」「ここで叩けば!」などと口々に喚きはするがな。
呪文の詠唱が終わるのは、君らが迫るよりは早い。
「霧氷海域」
氷系の上位攻撃呪文を放つ。私が指定した術の発動領域が、あっという間に白く透明な輝きに包まれた。うららかな秋の午後というのに、真冬の吹雪もかくやというような冷気が吹き荒れる。余波だけでこれだ。あの領域の中にいる敵はどれほどのダメージを受けているやらな。
霧氷海域は広範囲に冷気を生み出す呪文だ。威力は相当に高いが、きちんと対攻撃呪文の対策をしている者ならば一撃で倒れはしないだろう。だがこの呪文の真価はその攻撃範囲にある。密度の高い布陣を敷いていたのが災いしてか、数十人程の敵兵がこの白い地獄に襲われた。
目の前に広がるのはまさに霧氷が海のように満ちる光景。腕を、足を、顔を凍らせた敵兵がうずくまる。比較的軽いダメージで済んだ者も、凍傷からくる動きの劣化と呼吸困難に見舞われているようだ。そこを更にこちらの兵が狙う。動きが鈍ければ当然攻撃も当たりやすい。
「崩せ! 更に前へ!」
私自身、敵兵の中に飛び込んだ。凍死寸前の敵兵を斬り倒し、真っ赤な血化粧を施してやる。樹氷を連想させる風景を剣で蹴散らした。そのまま前進し、またもや現れた敵の歩兵団に霧氷海域を叩きつける。
「このまま突っ切ります!」
「よし、任せる。ギュンターの本陣を捕捉しろ」
下士官に檄を飛ばし、自分は掃討戦に移ることにした。大将自らが前線に出ているせいで目立つのだろう。頼んでもないのに、わらわらと敵兵がやってくるが......まさに飛んで火に入る夏の虫だな。
剣を振るい、呪文を唱えて散らす。ほとんどの敵が一撃で散っていく。力の差がありすぎるのか。まるで手応えが無い。だが左方から感じた鋭い殺気が、私に盾を掲げさせた。次の瞬間、カイトシールドに重い斬撃がめり込む。
「くっ、届かずか!」
「ラウリオ・フェルトナーだったな、貴様」
敵ながら褒めてやりたくなったよ。目の前に現れた黒褐色の髪の青年は、ロングソードを構えて私を睨みつけている。闘技会で私に軽く捻られた癖にまるで怯んでいないとはな。
「勇者無しで勝てるとでも?」
「ウォルファート様がいない今、曲がりなりにもお前と戦えるのは--」
そう答えながらラウリオが剣を構え直す。見直したのは、彼の放つ闘気が前より大きくなっていたからだ。
「--俺だけだからな」
「......なるほど」
こいつ、一人称が変わっている。ビューローを倒して戦士としての本性が覚醒したか。烈しくも穏やかさを含んでいた目も、刺すような殺気に満ちている。
「愉しませてくれよ、雑魚ばかりで飽きてきてたんでな!」
「舐めるな、ベリダム!」
剣を振るい、かちあわせる。一合だけでも気がついた。この男、明らかに質を上げている。丁寧な基本に忠実な剣術は相変わらずだが、そこに力強さが加わっていた。
やる。中々どうして。これなら逆境を覆す為に私と一対一を演じようというのも、頷けなくは無い。
「やるじゃないか」
相手の斬撃の勢いを削いで外に流した。少し泳いだラウリオ目掛けて、軽く横斬りを放つがこれが綺麗に受けられた。力の差で押されてはいるが、十分合格点をやろうか。
「--上から見てんなよ!」
下からの払いか。悪くない。私にかわされても、間髪入れずに下突きというのもいい選択肢だ。だがな。
「上から? いいや、実力差が生む余裕さ」
本気を出してやる。カイトシールドで軽く弾く。+9の魔力付与による鉄壁の防御の前には、貴様程度ではまだ温い。じわじわと私が優勢になっていく。
剣閃の鋭さも、一撃の破壊力も、身体能力も。剣術の組み立ても、闘気の量も。全ての要素で私が勝る。
「ほらほら、どうした!? さっきまでの威勢はどこへ行ったんだ!」
追い込んでやろう、ラウリオ。ウォルファートを倒した今、少々腕を上げたとはいえ貴様如きでどうにか出来ようなどというのはな.....思い上がりに過ぎん。
「くっ!」
私の剣が浅く奴の腹を切り裂く。鎧をものともしない切れ味に、ラウリオが顔を歪めた。それでもその目が諦めていないのは感心だ。
追加で二撃目を入れる。奴の左肩に浅く入った。ほら、防御が間に合っていないぞ。脆い肩当てだな、一撃で砕けるとは。
「ッチイイイッ!」
「鋼砕刃か!」
倒れかけた態勢からラウリオが放った一撃は、闘気を帯びた強烈な物だった。ここに来て鋼砕刃とは、諦めが悪い!
一瞬で見極める。こちらも瞬時に放った鋼砕刃が奴のそれを迎撃する。刃と刃がぶつかり合ったのはほんの僅かな間だけ。私のロングソード+9が相手の剣を宙に舞わせたのは当然の帰結か。
無手になったラウリオは呆然と立ちすくんでいた。その喉元に剣を突きつける。
「降伏したまえ。そうすれば命までは取るまい」
正直これほど使えるならば、幕僚の一人に招き入れたい気持ちはあった。だが彼の目を見る限り、やはり無駄な説得だったようだ。なるほど、腐っても勇者の仲間か。
「......どうあっても命乞いはしないと?」
「......謀反人に下げる頭は持ち合わせてはいない」
「そうか。ならば死ね!」
一思いに首をはねてやろうと剣を振り上げた時だった。私の後方から聞こえてきた轟音と発光に、反射的に動きを止めた。
何だ、今のは? まるで稲妻が落ちたような激しい光だったが。まともに見ていれば視界が奪われかねない、それほどの光量だったぞ。それに音から察すると、電撃--少なくともそれに近い現象だ。
「後方注意! 攻撃呪文による奇襲!」
「ゆ、勇者だ! ウォルファートが、ウォルファート・オルレアンが生きていたぞ!」
何だと? 耳を疑った。思わず剣を引き、一足飛びにラウリオとの間合いを広げる。馬鹿な、ウォルファートはあの時確かに私が倒したはずだ。大量の血を流し目の光を失った姿を確認した。あの状態で生きている訳が。
しかし背筋がぞっとする。後方に視線を移すと、私の兵達が慌てふためいていた。無防備な真後ろから奇襲でも受けなければ、ここまで狼狽しないだろう。まさか本当にあの男が--
「--ウォルファート」
ザッと割れた兵達を通して私は見た。まだかなり距離はあるが、強烈な白銀色の闘気を漂わせこちらを睨む男の姿を。濃紺のフルプレートに身を包み、剣と盾を装備したその男の右目が鮮やかな赤い光を放っていた。
そうか。
どういう訳で貴様がここにいるかは知らないが。
もう一度立ち塞がるか。
風が一際強く吹き、私の黄金色の髪を揺らす。ヒリヒリとするような戦慄が全身を駆け抜けていった。