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監獄街
作:俊衛門



第八章:4


 少女と燕の足ではどちらが速いか、火を見るより明らかである。体格の違いで、直ぐに決着がつくだろうと思われた。
 がしかし、なかなか追いつけない。
 少女は細い裏道や入り組んだ路地を抜け、たくみに燕の追跡を振り切って走った。小さな体を生かし、狭い隙間をすり抜け塀を飛び越え、ビルのダクトの上を走り抜ける。すばしっこく、 燕は見失わないようにするのがやっとである。
 「猫かよあいつは」
 息を切らしながら、必死で追いかけた。
 《南辺》は成海市の工業地帯である。隙間無く詰め込まれた工場や倉庫が軒を連ね、それが街並みを複雑たらしめる。建物から建物に張り巡らされたパイプは、人体の血管を思わせた。
 「こっちよぅ」
 化学プラントのパイプを伝いながら、少女は燕を呼ぶ。先ほどから、少女は燕を完全にまくことはしない。時折振り返っては、遅れてくる燕をからかうように、声をかけている。
 (挑発しているのか)
 そう考えると、情けなくなる。年端も行かない少女に財布を盗られ、追いかけっこを演じて。しかも、遊ばれている。
 「……絶対、取っ捕まえてやる」
 そのあとたっぷり灸を据えてやる――走りすぎて乳酸がたまった足に、鞭打った。

 しばらくすると、建物の様相が変わってきた。背の高い煙突が消え、背の低い工場が多くなる。
 空気に、メタンガスの臭気が混じる。燕はこの場所に見覚えがあった。 
 「バイオプラントか」
 バイオガス精製工場が建ち並ぶ一角だ。かつて燕が強制的に働かされていた工場もここにある。それだけに
 (この辺りの地理なら、詳しいぜ)
 静かにほくそ笑んだ。今まで、あちこち走らされ翻弄された礼を、ようやく出来そうだ。
 少女が、壁に張り付いたパイプの上を走って行く。しかし、燕はそれを追うことはなかった。大きく迂回、建物の裏に回る。
 「どーしたのー? もう諦めたー?」
 少女が呼ぶのにも、耳を貸さない。少女は首をかしげつつも、パイプの上を歩いた。
 やがて道が切れた。少女はパイプから飛び降り地面に着地。再び走るが……
 行き止まりである。少女の目の前には高くそびえたつ壁があった。
 「あーあ……」
 落胆したような声を上げ、仕方なく戻ろうと踵を返した。
 ふいに、後ろから肩を掴まれた。
「はぁ、はぁ……づ、捕まえたぞ……」
 掴んだのは燕だった。少女の肩に手をのせ、苦しそうに息を吐いた。 
 「あれ、おニイさん? どうやってここに?」
 「こ、この辺の道……にはくわしくて、な……。お前の行くところも……わかったんだ……げほっ」
 なんかもう、色々と限界であった。乱れた息はどうしたって戻らない。顔を真っ赤にして、喘いでいた。
 傍から見れば、結構危ない図式である。
 「先回りしたんだ。やるじゃん、おニイさん」
 「御託はいい……返して……もらおうか」
 燕が手を差し出す。少女は最初、目を丸くしていたがやがて可笑しそうに笑った。
 「変なの。そんな必死になっちゃって」
 「黙れ。そいつは俺の生命線だ」
 鼻息荒く、燕が眉間にしわ寄せて顔を近づけた。「早く返せ」
 「分かっているわよ、ちょっとからかっただけ」
 少女が財布を差し出すと、燕はひったくるようにして取った。中を確認する。
 「ちゃんとあるな」
 胸をなでおろした。 
 「お前さ、そのスリの腕があれば身体売る必要もないんじゃないか?」
 追っているときはきつく糾弾してやろうと思っていたが、財布が戻るとそんなこともどうでもよくなった。代わりに、ふと思った疑問を口にする。
 「おまけに逃げ足も速い」
 「そんなこといっても、逃げる前に鉄砲で撃たれちゃって終わりよ。ここは銃こそ正義、だもん」 
 「それも……そうだな」
 ようやく、動悸が収まった。それにしてもあれだけの距離を走っただけで息を切らしてしまうとは。チーム内で「年寄り」扱いされる理由がなんとなく分かった気がする。
 「俺も、銃を持っていたら撃っていたかもしれない」
 「ううん、おニイさんは、撃たないわ。だっておニイさん、優しいもの」
 柔らかく微笑む少女。それを見ていると、つい頬が緩んでしまった。
 「優しい、か。そんなことは初めていわれたな」
 夷狄と蔑まれ、同胞からも忌み嫌われた自分が優しいときたものだ。なにやら気恥ずかしい気がした。
 「俺がそんな風に見えるのか?」
 「優しいわよ。あたしのこと、気にかけてくれたでしょ? あんな風に心配してくれたの、お兄さんがはじめて」
 この少女も、同じような目に遭ってきたのだろう。誰かが、少女に優しくすることも無かったに違いない。だからこそ、したくもないのに身体を売って生きていくより無くなったのだ 
 (それでもこうして)
 生きている。混血児という共通した境遇、そして自分よりも過酷な状況にいる少女が、こんな街で笑っている。それを思えば自分の悩みなど小さなものだ。
 「ま、まあともかく……あんま危険なことはするなよ」
 燕は少女の頭に手を置いた。
 「ここは物騒だからな」
 「ありがとう」
 少女が微笑むと、燕も笑った。このまま和やかな雰囲気で終わる、はずだった。

 「でもね、おニイさん」
 少女の声質が変わった。幼い、高い声が低く押さえつけるような口調に。
 「それはここでは」
 同時に空気が変わった。
 背中がざわつく。いいようのない焦燥感が内側から沸き上がり、皮膚が粟立つ。
 (この、感覚は)
 和やかな空気が、徐々に棘を帯びてゆく。 この雰囲気、覚えがある。これは
 ――この空気は。
 「命取りになるよ?」
 戦場、だ。

 回転する独楽にぶつかり、跳ね返る小石のように。
 
 あるいは、限界まで縮められたバネが元に戻るように。

 弾かれるように、回避。身を屈めた。

 考えた行動ではない。本能と反射神経が、燕の体を動かしのだ。戦いに身を置き、修羅に生きる者しか知りえぬ感覚。頭を低くし、膨れ上がった殺気に対処する。

 直後、鈍い衝撃が燕の肩を掠めた。
 
 骨から脳へ伝わる、痺れる衝動。燕はバックステップで距離を取り、衝撃の主に対峙する。
 背後から殺気。新手だ。後ろの影が右手の得物を振りかぶり、殴りかかってきた。
 燕は上体を反らし、避ける。鼻の前を黒い棒状の物体が通り過ぎ、遅れて風の塊が顔を叩いた。
 「これは、一体どういうっ……」
 燕を挟むように対峙する、2つの影。ナイロンのパーカーを着込み、手には各々特殊警棒を持っている。
 フードを目深に被り、顔はうかがえない。深い闇を顔に貼り付けている。
 「最初っから、俺を嵌めるつもりだったのか」
 追い詰めていた、つもりがおびき寄せられていたというわけだ。この界隈は昼でも人通りが少なく、夜ともなれば猫の子一匹通らない。そのことはここの地理に通じている燕が、一番よく理解していた。
 しかも、逃げ場のない行き止まり。
 全て仕組まれていた。
 「お兄さんさ、『OROCHI』なんだよね」
 口調から子供っぽさが消え、絶対の自信に満ち溢れた声に変わった。
 少女の唇が、大きく歪む。それは獲物を前にした、勝ち誇った狩人ハンターのものだ。
 
 「もっと、お話したいなあ……」
 
 2人一斉に、飛びかかった。
 「くおの!」
 燕は身を翻し、初撃をかわす。左半身にとり、重心を右に。膝を曲げて力を溜める。
 左足を踏み込み、右拳で突き。溜めた力を、放出。右拳が、男の胴にめり込んだ。
 拳に肋骨の砕けた感触を残したまま、振り返る。もう1人が迫るのが見えた。
 燕、身を屈めて避ける。と同時に男が落とした警棒を拾いあげた。
 「はっ!」
 発声と同時に突き。アルミ製の棍棒が一度だけ接触した。十字に交差し、重く噛み合う。
 2つの影は、再び離れて距離を取り、また激突。
 男は横薙ぎに振る。
 燕は斜めに飛ぶ。
 振り抜いた警棒は行き場を失い、大きく右に逸れた。空振りした男は、体を崩してしまう。燕に背中を見せてしまった。
 好機は、瞬間。
 燕は警棒を長く持ち、間合いを測りながら、歩を詰めた。男の後頭部めがけて打ち下ろす。
 ぱん、と何かが爆ぜる音がした。
 次には首筋に、針で刺されたような痛みを感じた。
 ワイヤーだ。先端には針がついており、それが燕の首に刺さっている。そのワイヤーは、少女の手元から伸びているのが確認できた。
 少女の手には、拳銃のようなものが握られている。銃口から、そのワイヤーは伸びていた。
 引き金を、引いた。
 刹那、眼前が瞬いた。
 「ぐ……は……」
 ワイヤーに、電光が走った。青白い光が鉄線を伝い、燕の体に叩きこまれる。
 全身を電撃が貫く皮膚を千匹の蟻がはいずりまわる。
 「電気銃テイザー、だと」
 延々と続く電撃。痺れと痛みが、燕の意識を深い淵へと落し込んだ。

 「ご苦労だったな、連」
 影から禿頭の、痩せた男が顔を覗かせた。地に伏せた燕を見下ろす少女に、声を掛ける。
 「ダオさん」
 少女は、男の名を呼んだ。
 「こいつも馬鹿な男だな。通りすがりの商売女なんかに同情なんかして……まあ、そのお陰で仕事がやりやすいわい」
 「商売女、という箇所だけ訂正していただけませんか」
 連と呼ばれた人間が、冷めた声で抗議した。ダオは眉根を寄せ、訝しげな顔つきになる。
 「わたしは、女ではない」
 「はっ、なにをいうとるか」
 前歯がつき出たダオの口から、空気が抜けたような声が洩れた。馬鹿にするような、嘲笑を表情に出す。
 「お前なぞ、こんなことしか使い道がないだろうに。戦うことも出来んお前が、ここに居られるのは――」
 「それは聞き捨てなりません」
 燕に向けていたときの表情かおは、とうに消えうせていた。娼婦の色目も、無垢な子供の笑みも、そこにはない。幼い相貌は険しい気を帯びた、冷徹な無表情。眼光鋭く、ダオを睨む。
 「な、なんだその目はっ」
 異様な迫力に気圧され、ダオはたじろいだ。
 「わたしだって、戦えます。このような役をわたしが演じるのは、あの方がやれと仰ったから従っただけ。戦えない、能力が欠如しているなどとは、思われたくないです」
 しばらく、両者は睨み合っていた。見上げる連に、見下ろすダオ。下からの視線に、明らかにダオは動揺していた。
 「……連れて行け」
 ダオは目線を外すと、パーカーを来た2人の男に命じた。
 「連、お前はそういうがな」
 ダオが、振り返ることなくいった。
 「お前は、ただの駒に過ぎんことを忘れるな。わしに逆らうことは、ボスに逆らうことになる。せいぜい、賢い生き方を身につけることだ」

 そういい残すと、ダオは暗がりに消えた。


次回は5月3日(土)更新です。
大分開く……皆さん、どうか見捨てないでくださいね(笑)











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