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監獄街
作:俊衛門



第四章:5


 
 第2ブロック、スラム街。
 成海市中でも、とくにここはアジア人居住区が集中する。難民寮や違法営業の店が軒を連ね、建物と建物の間は人一人が入るほどしかない。各ビルの間を天空通路が伝い、ただでさえ狭い空を極彩色の看板が埋め尽くしている。
 その入り組んだ街を縦に割るように、大通りが伸びている。月に一度、ここに市場が開かれる。主に、成海の“外”から持ち込まれた嗜好品や盗品の類であった。
 市場の喧騒の只中、一人の男がのんびりと歩いていた。
 白い半袖から伸びる腕は、逞しい。無駄のない三角筋、上腕二等筋には幾つも刀傷が見受けられる。その傷は腕全体に広がり、さらに首筋やこめかみにも同様の傷があった。
 その顔――顔は異様そのものである。右半面に、獣の牙を模した入れ墨が額から頬にかけて入れられている。全部で3本。見るからに鋭い、肉食の猛獣を思わせた。
 男は屋台の一つに近づき、林檎を手に取った。
 「こいつをもらうぞ」
 「金はあるのかい? (リョン)
 くたびれた麻の衣服を着たアジア人の老婆が、しかめ面で応える。梁と呼ばれた男は、10ドル紙幣を投げた。
 「ちょいと、こんな大きな額渡されても困るよ」
 「釣りは要らない、とっておけ。闇市なんてたいした稼ぎにならんだろう」
 「施しのつもりかい? 舐められたもんだね」
 老婆はぶつくさ文句をいいながらも、しっかりと紙幣を懐にいれた。
 「あたしゃ好きで闇市やっているわけじゃない。この街がもっと穏やかだったら、普通に商売だってできる自信はある」
 「ほう」
 「あたしがこんなものしか売れないのは、白人やあんたたちのせいだわね。銃やらナイフやらをやたらに振り回すものだから、客なんか寄りつくわけがない」
 「その前に、商売なんかなりたたぬだろう。アジア人が店なんか構えても」
 梁は林檎を一口、かじる。およそ瑞々しいとはいえないしなびた林檎は、口の中でわずかな果汁をほとばしらせた。
 「商売するなら、この街の白人に逆らわないことさね。そうすれば、多少の嫌がらせは我慢できる。だけんどね、最近の若けえ衆は血がありあまっているのかしらんが無茶ばかりしおる。おかげでまともな商売なんぞ、できなくなってしもうた。ホレ、なんといったかねあの……『OROCHI』だとか」
 老婆がいったその言葉に、梁はぴくりと反応した。
 「『OROCHI』、だと?」
 「ああ、なんか知らんが正義の味方気取りで『BLUE PANTEHR』に喧嘩を売りおって。お陰でこっちのほうの風辺りが強くなってもうた」
 その時。
 遠くの方でわーっと群集が沸いた。それにつられて通りの人々がその声の方にかけていく。
 「喧嘩だ、喧嘩! アジア人の女が白人に蹴り入れやがったぞ!」
 野次馬たちが、口々にそう叫びながら駆けてゆく。
 「全く、愚かしい。そうやってこの街に抗っているつもりでも、結局は自分の首を絞めているだけってことに気づかないのかねえ。あたしらみたいな力を持たないものは、黙って下向いてりゃいい。そうすれば、少なくとも生きながらえることはできる……」
 さて、といって老婆が屋台をたたみ始めるのへ、梁がいった。
 「もう一個、くれるか?」
 
 林檎を二つ、一つは頬張りもう一つは右手で弄びながら梁は歩く。行く先は、先ほどの群衆の中。
 人の波をかき分けた先に見たのは、なんとも異様な光景であった。
 「なんとまあ……」
 大柄な白人男が二人と細身のアジア人の少女が二人。少女の方の一人は男二人に相対し、もう一人は衣服を破られた状態でうずくまっている。
 大方、予想はついた。おそらく、あの男達が……
 「善良な市民のタマをいきなり蹴り飛ばすたあどういうことだ、クソアマ」
 男の一人が、憤慨した様子で怒鳴った。
 「あら、“善良”な市民は路上で女の子を襲うものかしら? しかも白昼堂々と。私が知る限り、そんなのは露出狂と盛りのついた野良犬くらいなものよ」
 その女は、グレーのタンクトップにジーンズという出で立ちである。腰までありそうな黒髪を後ろで束ね、黒い瞳で男達を睨んでいる。
 「なに、そっちから誘ってきたんだからのってやったまでだ。もしかして、お前も仲間に入りてえのか?」
 そういうと、男二人は黄ばんだ前歯を見せながら笑った。上ずった、下品な笑みである。
 「……男って、そうやってすぐ自分の都合のいいように解釈できるのね。どんな思考回路かしら? 微生物(ミジンコ)の方がもちょっと複雑なんじゃないの」
 「あ? なんだと?」
 「まあいいわ。微生物(ミジンコ)なら水を抜けば乾くから」
 いうなり、女は構えた。右手、右足を前にし、膝を曲げて重心を低くする。
 「あいつ……死ぬぞ」
 梁が、ぼそりといった。
 
 男の一人が踏み出し、右腕を伸ばした。
 女はその腕を掻い潜り、すっと腰を落とした。左足を軸足に、男の踏み出したその足に、ローキックを放つ。足を掬われ、もんどりうって男は倒れた。
 「てめえ!」
 もう一人がナイフを取り出し、女を刺さんとす。
 刃が突き出される。しかし、切っ先が肉に触れるより先に女は跳躍した。
 「お?」
 男の顔面に、女のつま先が伸びる。と思った次の瞬間には男の頭が弾けた。飛び蹴りを食らった、と解する間もなかったであろう。
 女が着地すると同時に、周囲の野次馬達が喝采を送った。
 「バカめ……」
 騒ぐ群衆の中、梁が一人呟く。やがてその喝采は、一発の銃声で静まり返った。
 
 弾丸は、女のこめかみを傷つけた。髪の毛を数本舞い上げ、血の筋が空中に伸びる。
 「この……ビッチが!」
 男が、這い蹲りながら発砲したのだ。コルト製の6連発リボルバーの引き金にかけた指に、力を込める。
 避けられる距離ではない。その銃口はぴたりと女の眉間を狙っている。
 銃火が咲き、女が目を瞑る。
 それより先に、梁が飛び出した。

 右手を振り上げ、手に持った林檎をまるでマウンドに立つ投手よろしく、投げた。
 ボール代わりの林檎は、回転しながら飛んでゆく。そして、男の右手に当たった。
 銃声。しかし狙いは大きく逸らされ、弾丸は群集の遥か頭上を飛んでいった。
 「なんだ、てめえ!」
 男が怒鳴った。邪魔が入ったことに、腹を立てている。
 「もう、その辺にしとけよ。これ以上やると、ダメージが半端ない」
 梁が、男の前に立ちふさがる。背後の女達を庇うように、左手を広げた。
 「うるせえ! 貴様もチャイニーズか! どいつもこいつも調子に乗りやがって、この街で貴様らが息をできるのは誰のお陰だよ!」
 「いいから、今日はもうよせ」
 「ざけんな! クソイエローがあ!」
 再び、リボルバーを構える。
 「仕方ない、か」
 そう呟いたときには、もうすでに動いていた。

 銃声が響いた。

 だが、銃弾は刺さらない。引き金を引いた瞬間に、梁が前蹴りで銃を弾き飛ばしたのだ。5メートルの距離を瞬時に縮め、予備動作(モーション)を全く見せない一挙動の蹴り。
「痛いぞ、泣くな」
 梁が、いった。同時に。
蹴り足を戻すことなく、右足で男の膝を「正面から」蹴ったのだ。足裏で踏みつけるように膝頭を打ち、膝関節が本来とは逆の方向に曲がった。めきりと軋み、90度方向に折られる。足のふくらはぎ側に、折れた骨が肉を突き破って飛び出した。
一瞬、声が漏れる。それは苦痛というよりかは、驚愕だった。
 「まだまだ」
 次に梁、左正拳突きを繰り出す。腰を落とし、力を溜めた重い突き。それが男の心臓に突き刺さる。
 あばらが砕け、男は声をあげることなく途絶えた。
 全てが終わったあと、周囲は静まり返っていた。あまりの早業に、皆声を失っている。
 「さて」
 梁が、女の方に向き合った。
 「家は、どこだ」


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