ブックリスト登録機能を使うには ログインユーザー登録が必要です。
  監獄街 作者:俊衛門
第二章:8
 雪久は救護箱を開き、真新しいガーゼを傷口に当てた。白い真綿が赤く染まってゆく。

 雪久がいるそこは戦中、宿直兵士の控え室だったところだ。わずか5平方メートルほどの狭い、無機質なブロック塀に囲まれた部屋である。
 調度品といえば中央の簡素なパイプベッドのみ。天井からぶら下がる裸電球の黄土色の光が、雪久を照らす。薄暗闇に映える白い相貌――

 右目を覆い、左目の視力を確認する。
 強い閃光を浴びたせいか、視神経が軽く麻痺したようだ。目がかすむ。
(ちときつかったな。全く、彰も余計なもんこさえやがって)
 粗末なベッドにゆっくりと腰をかける。
――三度だ。
 三度、不覚を取った。千里眼をもってしても、省吾の動きを捉えきることができなかった。 銃弾すら見切ると言うのに。
「ちぃ……」
 傷口を洗い、救護箱より縫合用の糸と針を取り出した。傷薬なんてしゃれたものは使わない。よほどのことがない限り、傷はこれでまかなってきた。
 右肩の傷を、左手で器用に縫い付ける。続いて右腕。首筋は傷が浅かったので包帯を巻いて済ませた。
(この三度とも、もう少し傷が深ければ)
 右腕は再起不能になっていただろう。それより首の動脈を斬られれば当然、生きてなどいない。
 気にいらない、何もかも。
 入団テストで雪久自身が試したのは、初めてではない。少々骨のある者は彼が直接相手をした。いくら鍛えた者でも皆一様に千里眼に敗れ去った。
 しかし、千里眼を発動させた雪久をここまで追い詰めたのは、真田省吾、彼が初めてである。何とか引き分けに終わったものの、負けた気がしてしょうがない。
「ええい、畜生!」
 その時。
「入るよ」
 アルミ製のドアの向こうから、ユジンの声がした。
「いいぜ」
 ユジンは、少しだけ扉を開けて中をうかがった。
 雪久の左目を見る。元の色を取り戻しているのを確認し、部屋に入った。
「雪久……」
「何だよ、無様に敗れたリーダーを笑いにきたのか?」
「そんな、敗れただなんて」
「千里眼で仕留めることが出来ない、それだけでも十分に負けだよ」
 マットレスに身を投げ出す。埃が、わっと舞い上がった。電球に照らされて白い霧のように見えた。
「雪久、もうあんな無茶なことやめてよ」
「何がだ」
 天井を睨みながら、雪久は投げやりに答える。
「そりゃ、入団テスト雪久がやりたい気持ちもわからないでもないけどさ、でも一人で突っ走ってこんな怪我負って……」
「関係ねえだろ、お前に」
 空中の一点から目を離すことなく、雪久は投げやりな調子で返した。
「でも」
「だれと()るとか、闘らないとか俺が決めることだ」
「あなたリーダーでしょ、だったらもう少し考えてよ! もしものことがあったら私……」
「うっせえ!」
 怒号と共に飛び起きた。激昂する雪久を目の当たりにし、ユジンは肩を震わせる。
「お前はなにか、俺の保護者か? 毎度毎度口うるさいったらありゃしねえ。一体いつ俺がお前にお目付け役頼んだよ。だいたい……」
 台詞を吐ききるより先に、雪久の顔が左に弾かれた。右頬に、破裂音とともにわずかな痛みが走る。
 ユジンは雪久に、平手打ちを食らわしたのだ。
「なにをっ……」
 抗議しようとしたが、ユジンの顔を見てその声を飲み込んだ。
 ユジンは両目に涙を溜め込んでいた。唇を噛みしめ、体を震わせている。
「私は、ただ……」
 そういって俯き、黙りこくってしまった。
「……ごめん、もう行くね」
 ユジンは雪久に背を向け、部屋を後にした。
 焼けたように腫れる頬を押さえ、雪久はその背中を見つめるのみだった。



+注意+
・特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
・特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)
・作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。