最終章プロローグ・傲慢神
連載開始1周年記念という事で本日は2話投稿です。
第六章エピローグをお読みになっていない方は、先にそちらをお読みください。
ドイツ某所にて民俗学者ゲオルク・ボクスベルクの研究の手伝いをしていた近衛茉莉は、神代怜悧からの連絡を受けた。要件は、そろそろ天振学園に帰ってきてほしいという内容だった。怒っているのがありありと分かる怜悧の無駄に長い話を聞いた茉莉はゲオルクに別れを告げ、空港に行き、羽田空港行きの飛行機に乗った。彼女は一人でチケットを買って搭乗したはずなのだが、隣の席には見知った顔が有った。
「うっひょー、すっげー!」
ロキ。北欧神話にて悪神として描かれる彼は窓から見える空を見て、子供のようにはしゃいでいた。
「何故あなたがここにいるのです?」
「お、茉莉じゃねーか。偶然だな。お前も日本に行くのか。そうだ、一緒に混浴の温泉でも行こーぜ。熱海とかどうよ?」
「何故あなたがここにいるのです?」
質問への答えが得られなかった茉莉は同じ質問をする。ロキはやれやれと首を振る。
「ったく、相変わらず愛想のねぇ女だな。何故かっつわれるとアレだ。折角だから天振学園ってのも行きたいと思ったんだよ」
「あなたは神なのですから、飛行機なんて乗らなくても行けるのでしょう?」
「そんなのつまんねぇじゃねぇか。……あー、耳いてー」
「それならば今すぐ飛び降りるのはいかがでしょうか。耳の痛さなどすぐに忘れられますよ」
「そんなこと言うなって。ツバ飲んでんのに全然治んねぇんだよ。もしかしたらお前のツバでなら治るかもしんねぇからキスしようぜ」
「私の唾液は怜悧様だけの物です」
「おお……そうきたか」
茉莉の返答にひいたロキは、出した話題が間違っていたと心の中で反省する。飛行機の中ですらメイド服を着ている彼女は、大概の人間とは感覚が違う。配られたコーヒーにミルクを入れてかき混ぜている彼女に、ロキは新たな話題を提供する。
「そういや、アイツ……神代聖騎もメイド服着たんだっけか。メイド服の先輩として、何か思うところはあるか?」
「やめて下さい。怜悧様のお気を煩わせた者の話題は」
「おーおー、辛辣だねー。お前アイツの育ての親なんだろ?」
あからさまに不機嫌になった茉莉に、しかしロキは飄々と返す。
「私が聖騎様を育てたのは、それが怜悧様の御命令であったからに他なりません。あの方の素晴らしい血を継いでいる事もあり、私も敬意を持って接しましたが、よりにもよって自分を産んだ怜悧様に感謝するどころか怨むなど、万死に値する愚行です」
無表情に捲し立てる茉莉だが、それを聞くロキはあくまで平静である。
「ソレ、本当にお前の本心か?」
「当然です」
「でもよ、お前もガキの頃は似たようなこと思ったんじゃねぇか? 『こんな思いするくらいなら生まれたくなかった』的なよ」
そのロキの指摘に茉莉は口を閉ざす。指摘された通り、彼女にはその思いに心当たりがあった。女として生まれながら女にしか好意を抱けなかった彼女は、自分と世界で多数派とされる考えとのギャップに苦しんでいた。勇気を出して告白した相手には侮蔑の表情を向けられ、その性癖は校内中に広がり、その上なまじ恵まれた容姿によって同年代の男子の好意を集めた上に交際の申し入れを全て断っていた彼女は、好意を持っていた相手を含めた女子達から執拗な嫌がらせを受け、自殺を考えた事すらあった。生まれたくなかったと何度も思った。
「ですが、今の私は母上に感謝しています。私は生まれたからこそ、怜悧様に出会えたのですから」
「だが、神代聖騎はそういう相手を見付けられてない。そして今唯一したい事ってのが、母親への嫌がらせ。オマケに愛を全否定する始末だ。悲惨だと思わねぇか?」
「ある程度の同情はあります。しかし彼はそういう人間……訂正します、人間もどきとしてこの世に生を受けました。そういう生物として生まれたのですから、それ以上どうしようもありません」
茉莉は淡々と答える。しかしその目がわずかに泳ぐのをロキは見逃さなかった。
「その辺は、親代わりだったお前がどうにか出来たんじゃねぇか。お前や神代怜悧が周りと違う価値観のまま育ってきたんだから、神代聖騎の価値観も矯正しなくていい、なんて考えで説教の一つもしたことがねぇんだろ?」
「そういうあなたは私に説教ですか。悪神の分際で」
「悪神でも何でも神は神だ。人間なら神様のお言葉をありがたく受け取れ。そもそもオレが『悪神』なんて言われてんのは、それこそ多数派の価値観がオレの生き方を悪だと決めた結果だ」
ロキの言葉は茉莉にとって、説得力があるように思えた。さしずめ自分もまともに育てられていれば変わっていた等と考えているのだろう、といったことを考えつつ茉莉は答える。
「確かにあなたの言葉にも一理あります。しかし、そんな事を今更言われたってどうしようもありません」
「それもそうだ。とにかくお前は神代聖騎の教育に失敗した。だがそれで終わりって訳にもいかねーだろ? 神代聖騎の人生はよ。厳密には人生って言い方は不適当かも知んねーがそれは置いとくとしてだ。『怜悧様に刃向ったから抹殺だ―』じゃなくてよ、更生させる気はねぇのか?」
更生、その言葉に茉莉は聖騎には似つかわしい不良という単語を連想し、しかしよく考えれば不良という言葉すら生温い絶対的な悪だった事を思い出す。
「変わりませんよ、あの方は。人の不幸を本能的に望んでしまう人をどうにかするなど、それこそ人間として生きるのを諦める以外にどうすればいいのか分かりません。あなたにはその方法が分かるのですか?」
「さぁな、自分で考えろ。……だがこれだけは言っとくか。お前は確かに神代怜悧を崇拝している。神代怜悧はお前にとって絶対的な存在だ。だが、それには遠く及ばねーが、長年面倒を見てきた神代聖騎の事も大事に思ってんだよ。自覚はしちゃいないだろうがな」
そんな事を言うロキを茉莉は不思議に思う。
「何故、そこまで親身に聖騎様の事を……? 一体何を考えて……」
「別に何も企んじゃいねーよ。ただ、神代聖騎の生き方を見てると、昔のオレを見てるみてーで、何かむず痒いんだよ。いや、オーディンの旦那とかトールの野郎とかをからかったり、ラグナロクなんつー戦争を起こしたりすんのは楽しかったし後悔はしてねぇんだよ。ただ、それを楽しめたのは力があったからこそだ。与えられた仮初めの力しかねぇ神代聖騎にゃ荷が重い。アイツにはちょっとしたプレゼントも送っちゃいるが、それでも足んねぇ」
アジュニン。異空間の情報を読み取る機能を持つ、試作型異世界探査用自律機動兵器――という設定を与えられた天使の如き機械は、ロキが作り聖騎に送ったものであった。そしてこの情報は怜悧にも伏せられている極秘情報であり、現時点のアジュニンですらそれを知らない。ロキはその情報を茉莉とゲオルクにのみ伝えた。
「聖騎様が世界を相手にするというのは身の丈に合わないという事ですね。あの世界で持っている力は怜悧様の裁量一つで全くの無にする事も出来る。故に怜悧様を敵に回して大きなことを成し遂げる事は不可能に近い」
「ま、それでもアイツ自身の努力によって手に入れた力もあるけどな。メルン・アレイン・ロヴルードに協力する事によって手に入れた権力は中々だが、そんなのは微々たるモンだ。ちょっとのミスで丸ごと失う可能性すらある不安定な力。それを盤石なものに出来ればすげーが、修羅の道だ。そしてお前は、その道から引き返させる事も、そんまま見守る事も出来る場所にいる」
「私は……」
ロキの言葉に茉莉は揺らいでいた。そして自分自身のその感情を彼女は不思議に思う。自分が怜悧以外の事でここまで心を動かされるとは思っていなかった。彼女が言葉に迷う中、語りかけてくる声があった。
「どうもしなくて良いんじゃないかな」
その声は怜悧の隣――窓際に座るロキとは反対の通路側から聞こえた。その少年の様な透き通る声の主はアイマスクをかけていて表情が読めない。だが茉莉は思う。自分の隣にこんな少年はいただろうかと。するとロキが声を上げる。
「やれやれ、お前がそうか」
「君は神代聖騎にとって有害な存在だからね、ロキ」
何かに気付いたようなロキと、そのロキを知っている謎の少年。その二人に挟まれながら茉莉は、その正体を導き出す。
「あなたは神なのですか?」
「うん、まぁそんなものだよ。それはともかくロキ、覚悟は出来てるかな?」
「ああ」
何かを諦めたように頷くロキ。それに茉莉は疑問を抱く。その疑問に気付いたロキは皮肉気に笑い、答える。
「実はな、オレレベルの神になると自分がいつ死ぬのかが分かるんだよ。死ぬというよりは……概念の消失って奴か。いや、それもちょっと違うか。ロキという神が存在したという事実は消えねぇんだからな。まぁやっぱ、死ぬって事で良いか。まぁ、さっきみたいに偉そうな説教をしたのも、自分の終わりを分かってたからこその気まぐれかもしんねぇな」
「それは一体……」
「そこの彼は僕によって消えるという事だよ。近衛茉莉さん」
困惑する茉莉に少年は言う。表情は見えないが、口元が笑ったように歪んだのは分かった。
「それで、そこのお前よ。お前は一体誰なんだ? オレも長年神様やってるが、お前に心当たりは――」
ロキは質問を最後まで言えずに、その存在を消失させた。
「……!?」
突然の状況に茉莉は驚く。たった今まで自分の右に座っていたロキは荷物や飲み掛けのドリンクも含めて消えていた。
「神代聖騎は君達が思うほどヤワじゃないよ」
今度は声が聞こえた左を向くと、そこにいた少年もいなくなっていた。
「一体何が……?」
茉莉はただ戸惑っていた。
◇
「ロキが消された?」
「ああ、突然奴は何物かに消されたらしい」
各神々の勢力の主神の会談で議題に上がっているのは、不意に消息が途絶えたロキである。北欧の主神オーディンの報告に一同は興味無さげな表情だった。インドの最高神シヴァが感想を述べる。
「どうだかな。どうせまたひょっこり戻ってきて、下らない事をやらかすんだろ。で、消されたって誰によ?」
「それが分からない。だからこうしてお前達には、万が一に備えて姿を隠すように良い、使者を用いた通信によってこの会議を行うなどという七面倒臭い事をしているのだ」
彼らは今、一ヶ所に集まって話している訳ではない。各世界にいながら、神特有の特殊な能力によって会議を行っている。タカマガハラの主神アマテラスも、天岩戸に篭りながらにして参加している。
「どうせなら毎回この形式にすれば良いのに」
「そうもいかんじゃろアマテラスちゃん。神界と神界との通信には膨大が魔力が必要で、今もギリギリの状況で何とかしている状況じゃ。地球のインターネットとは規模が全然違うのじゃぞ」
「えー、そんなのゼウスさんなら何とかなるんじゃないんですかー?」
「ワシの全知全能の結果、神界と神界とを繋ぐ事を何とかギリギリで実現できたのじゃ。コレって結構凄い事なんじゃぞ。ほれ、分かったら今度ワシのところに来て一緒に――」
「ナンパは後にしろエロジジイ。それよりもアマテラス、お前は何か知んねぇのか?」
アマテラスに絡むゼウスを黙らせたシヴァは、彼女に質問した。
「さぁ、分かりません。ただ、あの人なら何か知っているかも知れません」
「ああ……アマツカサか」
「はい。今は天原考司郎なんていう名前で人族の研究に手を貸しているあの人です。何度接触しようとしても、すぐに逃げられるのですが」
アマテラスは神妙は表情で頷く。シヴァは溜め息をつく。
「そうかよ。エロジジイ、お前は本当に何も知んねぇのかよ。全知全能なんだろ?」
「その呼び名は不本意じゃが……本当に分からん」
「チッ、マジで使えねぇな。この全知全能(笑)が」
「ほう……このワシに喧嘩を売るとは偉くなったもんじゃなシヴァ。お前などワシの雷の前に消し炭にしてやるわ」
「フン、消し炭はむしろ炎使いの俺の十八番だ」
「黙れ、通信可能時間には限りがあるのを忘れたか」
一触即発状態のシヴァとゼウスをオーディンが黙らせる。神同士の戦いはいくつもの世界を巻き込んで滅ぼしかねない。それも、主神クラスの神となれば尚更である。二柱は黙り、それに代わる様にエジプトの最高神ラーが発言する。
「ならば我々全員で接触するか? アマツカサと」
「全員で行く必要も無かろう。如何にアマツカサが相手と言えど、流石に過剰戦力じゃし、無駄に世界群にうねりを作りかねん。……妾達の中で数柱、代表を選抜して行けばよかろう。少なくともアマテラスが行くのは確定としてじゃ」
ラーの言葉を受けて中国のジョカが提案する。それにアマテラスは露骨に嫌そうな顔になる。
「ううー……」
「諦めるのじゃアマテラス。確かにそなたの気持ちは分かるが、アマツカサはお主の兄で、かつ日本にいるのじゃ」
「分かってますよ……。それでもイヤなものはイヤなんです。いや行きますけれども」
「そう言えば、日本には『言い出しっぺの法則』などという言葉があったのう。だから妾と……ラーも行くとしよう。構わぬな? ラー」
「仕方ないな。同じ太陽神としてのよしみだ、付き合おうか」
ジョカに言われてラーは仕方ないと言わんばかりに頷く。アマテラスが彼らに礼を言おうとした所で、新たな声が響いた。
「いや、その必要はないよ」
その声はその場の誰にも聞き覚えが無かった。しかしこの通信に割り込む事が出来る存在は、その者が神であることを表す。オーディンは眉をひそめ、問う。
「何者だ?」
「たった今、君達の話題になっていた者だよ。ああ、アマツカサじゃない方のね」
「つまり、ロキを消したのは貴様か? 名乗れ」
「いやー、怖いなぁ。そう敵意をむき出しにしないでよ」
少年とも少女ともつかない中性的な、飄々とした口調の声は神々を容易く苛立たせる。中でも気の短いシヴァは声を荒らげる。
「ムカつく野郎だ。テメエは誰だって聞いてんのが分かんねぇのか!」
「あぁ、僕は主神という訳じゃないから、この会話に加わるのはおかしいかも知れないね。それにしても本当に怖い怖い。そんなにギラギラした敵意を向けられたら……君達も消さなくちゃいけなくなっちゃうじゃないか」
「テメェ……人の話を――」
「僕なら一瞬で君達全員を消す事が出来る。でも、君達が世界にもたらす影響は計り知れない。だからこそ、君達を消せば世界群は滅茶苦茶な事になってしまう。そんな事は僕も望んではいないから、君達の事は生かしてあげるよ。感謝してくれると嬉しいんだけれど」
主神達に対する余裕な態度――それはあまりにも傲慢だった。
「ナメやがって……ブッ殺してやる!」
「だからやめて欲しいって言っているんだけどなぁ。僕は自発的に君を殺すつもりはないけれど、それ以上に死にたくないからね。僕が参加させて貰ったのは、単に自己紹介をしたかっただけなんだ――――」
その言葉の後に、その声は名乗った。その正体に主神達は驚愕した。