これは友達の友達から聞いた話なのですが―――――
FileNo.002:窓カラ見エル景色
目を開けると何時も白い壁しか見えなかった。
もう幾度となく見た真白な天井だ。
その染みも汚れもない白に、私は苛立ちを感じ始めていた。
ここは黄昏市、暁村にある小さな病院。
今、この病室には二人の末期癌患者が入院している。
一人は扉側のベットで今もこうして横たわる私と、
そして窓際のベットで何時も外を眺めている男だ。
この病室には二人しかいない。
それはこの病院が市の中でも古く小さい部類に入る為か、
或いはこの病棟自体が末期癌患者や精神障害者など、
そういった先の短い患者だけ設けられたものなのか。
ただ私が入院してからはこの病室に訪れる患者はおらず、
病室には先に入院していた窓際の男だけしかいなかった。
それ以来この病室は彼と私の二人だけだ。
なので必然的に私は彼と話すことになり、
今では彼との会話は欠かさない日課のようになっていた。
当初、ここでの入院生活は決して楽しいものではなかった。
四方を真白な壁に囲まれた病室は狭く、
テレビやラジオなどといった特別な娯楽もない。
唯一の楽しみと言えば、彼との会話だった。
「ほれ葛城君、燕が巣を作っとるよ。」
老人、五十嵐は窓を眺めたままそう言った。
彼は何時もそうだ。
入院してからというものずっと窓ばかりを眺め、
こうして会話する時も決して窓から目を離そうとしない。
声の質からして老人とは思うが実際には姿すら見てないのだ。
初めは失礼だと憤りもしたが看護師に宥められ、
窓の外を見るには何やら事情があるのだと聞かされた。
何度もその看護師の女性に事情を聞こうとしたが、
何故か彼女達はその度に口を閉ざし、結局追及は憚られた。
私もそれ以上深く探ることはしなかった。
入院したからには今後仲良くしなければならない。
それに同室の患者の過去や病気に関して知ってしまえば
変に気を遣わねばならないことになると考えたからだ。
「子作りをする準備でしょうな。
巣作りの時期は五月ですから良い頃でしょう。」
こうして窓の外の景色を彼が教え、
私は外の景色を頭の中で想像しながら話した。
それだけが、この病室での楽しみだったから。
「雨が降りそうで心配じゃがのぅ。
無事に巣が作れればいいんじゃが・・・・。」
彼は窓に目を向けたまま溜息を吐き、
巣作りに励んでいるであろう燕を案じている様子だった。
私にはそれが少し、羨ましかった。
私から見える景色はこの白い天井だけだ。
外の景色を見ようにも病に侵さされた体は動いてくれず、
首を窓へと向けてもベットのカーテンが邪魔で見えない。
だが、それももう時間の問題だろうと思っている。
私は元より彼も、そう長くはない。
この寝たきりの生活を始めてもう久しいが、
医師の話ではお互い病状が回復する兆しはないらしい。
もう何年としない内に恐らく私も彼も死ぬだろう。
だが、それもいいと思った。
こうして穏やかな日々を過ごしながら逝けるのなら。
それから四季が巡った。
彼の話では外で舞い散る桜が春の訪れを告げ、
海の見えないこの病室に夏がやってきたのを教えてくれた。
少しして鮮やかな紅葉が山を彩る秋が来て、
街に降り注いでいる雪が冬の訪れ知らせてくれた。
どれも私がこの目で見ることは叶わなかったが
彼が話してくれる度に私たちは外の景色を話し合った。
そうして二人で笑い合っていた、筈だった。
その日はまだ冬の寒い時期だった。
その夜、彼の容体が急変した。
最近の寒さのせいで心臓発作でも起こしたのだろうか。
自分の力でナースコールも押せないほど衰弱しており、
見ればその体は小刻みに痙攣を繰り返していた。
私はカーテン越しに彼に声をかけた。
「五十嵐さん!どうしました!?大丈夫ですか!?」
「う、ううう、あぁああぁぁあぁあああ。」
呻き声の質から考えるに容態はかなり酷い。
このまま放置すれば取り返しのつかないことになるだろう。
最悪の場合、死も有り得る。
私はその時、これまでにないほどの焦りを感じた。
嘗て働いていた仕事先の同僚や家族よりも、
彼と話す時間はその何倍も長かったのだから。
その会話はただ外の景色を話すだけの拙いものだったが、
彼と語り合った時間はかけがえないものだと確信している。
何より入院生活を始めてからできた唯一の友人だ。
絶対に、死なせるものか。
私は何度も叫び、励ましの言葉を送り続けた。
「大丈夫ですか!?しっかりしてください!!
今、ナースコールで看護士さんを呼びますので!!」
私は動けない彼の代わりにナースコールへと手を伸ばし、
そのボタンを押そうとした―――――その時だった。
不意に私は、その手を止めた。
ある疑問が脳裏に浮かんでしまったから。
例えば―――――もし彼がここで死ねば、どうなるだろう?
自分が窓からの景色を見れるのではないか?
前々から窓際のベットへ移りたいとは思っていた。
ただ彼がそれを頑なに拒み、受け入れてくれなかったのだ。
何度も何度もあんなにお願いしたのに。
そうだ、私は彼にもうずっと頼んでいた。
外の景色が見たいと、私も見てみたいと!
少しの間だけでもいいから場所を移動してくれと!!
それなのに・・・・彼は拒み続けた。
私は未だ隣のベットでもがき苦しんでいる彼を見た。
先程までの呻き声も今ではとても小さなっており、
それがどういう意味を指しているかも理解している。
だが、それがどうした。
お前はもう、十分、外の景色を眺めたろう?
お前はもう、十分、外の景色を楽しめたろう?
当の本人がいなくなれば移動するのは容易い。
いや、彼が亡くなれば看護師に頼んでみよう。
初めの内は若干の抵抗はあるかも知れないが、
そういうものは時間と共に慣れていくものだ。
ああ、外の景色は一体どうなってるだろう。
そういえばあの燕はあの後どうしただろうか。
無事に巣を作り、子供を産むことができただろうか。
育んだ子供は親元を離れ大空へ飛び立っただろうか。
もう直ぐだ。
もう直ぐ見れる。
もう随分長い間見ていない外の景色をこの目で。
直接この目で見ることができる。
幸い病室には彼と私の、二人きりだ。
近年この病院が増設されたと言ってもそれは外壁の話であり、
医師や看護師も内壁や内装に施されたとは言っていなかった。
病院の廊下やロビーには監視カメラはあるかも知れないが
見渡してみてもこの病室に監視カメラは設けられていない。
そう、つまり目撃者はいない。
誰も見てない。
誰も知らない。
どうせお互い先の短い命なんだ。
それならせめて後に残った方が過ごしやすい方がいい。
少しでも安らかな時を過ごしたいと思った私は、
眠っていることを装い彼を見殺しにすることにした。
次の日、窓際のベッドで眠る彼の死亡が確認された。
死因はどうやら急激な寒さによる心臓発作らしい。
後になって私は看護師に詳細を聞くことにした。
聞くところによればその時も彼は、
窓の外を向いたまま死んでいたそうだ。
後日、晴れて私は窓際のベットへ移ることになった。
見殺しにした男のベッドで過ごすのは
やはり気持ちのいいものではなかったが、
皮肉にも私は癌で末期を迎えている。
祟られたり呪われたりすることを恐れるのは
生きたいから恐れるのであって私はもう手遅れだ。
ともかく私は遂に窓際のベッドへと移動することが叶った。
掛け替えない友人を見殺しにして。
なので、この病室に患者は一人しかない。
私だけだ。
もう二度とこの病室で語り、笑い合うことはないだろう。
できなくなった。
他でもない私がそうしてしまったから。
その時、私は初めてこの狭かった筈の病室を広く感じた。
あんなことをしてまで手に入れたかった筈なのに。
いや、やめよう。
何時までも感傷的になっても今更意味はない。
そうだ、外の景色でも見れば気も紛れるかも知れない。
「・・・ああ、そういえば、まだ見てなかったな。」
私はあの日から抱えていた罪悪感を振り払いたい一心で、
待ち望んだ景色を眺める為にゆっくりと首を窓へと向けた。
だが、広がった光景に思わず目を見開く。
・・・・・何だ、これは。
一体、何が、どう、なってるんだ・・・・?
夢にまでみた窓際のベッド。
そこで私が最初に目にした景色は―――――
窓一面に塗られたままのコンクリートの壁だった。
「・・・葛城さんが入院される前から、そのままなんです。」
突然投げかけられた声に私の心臓は跳ね上がった。
振り向いた先には彼の世話をしていた看護士の姿があり、
その女性の顔はどこか悲しそうな雰囲気を湛えている。
私は率直な疑問をぶつけた。
「かっ、看護士さん!どうなってるんですか!?
こんな、だって、五十嵐さんはずっと外を見てた筈なのに!!」
すると看護士の女性はゆっくりと話し始めた。
話す声音も寂しそうな、憂いを帯びている。
「分かってます、今だから・・・全てお話しますね。
何年か前にこの病院には工事が入ったのはご存知ですか?」
私がこの病院に入院する少し前だったか。
医師から病院の増設を耳にしたことがあった。
「確か・・・病院の増築、でしたよね?」
「ええ、あの増築は葛城さんが入院する前から行われてまして、
当初はこの建物に連結する新しい病棟が建つ予定でした。
結局増築は工事の際に起きる騒音や振動で苦情がきて、
患者様のストレスを考慮し何年も前から停止されたんですけどね。
ただ、その過程でこの棟の外壁に塗装が施されて・・・・。」
「それで、この壁にコンクリートが・・・・。」
「それで五十嵐さん、ずっと前にこう言ってたんです。
見えなくなった窓の外の景色を話すって。
他の患者さんが来てその人が退屈しないようにって。
ほら、この部屋テレビもラジオもないから・・・・
だから葛城さんに見えないようにカーテンで隠してたんです。
そんなこともあり、私達もなかなか口に出せなくて・・・・。」
「そ、んな・・・・・。」
私はそれ以上、何も言えなかった。
訪れる患者が退屈しないよう彼は偽りの景色を話し続けた。
その嘘を誰が咎めるなんてできるだろう。
入院してからずっと彼は私を励ましてくれていた筈なのに。
―――――そんな彼に、私は何をしただろう?
それからの毎日は地獄と言っても差し支えないものだった。
襲ってくる罪悪感に胸が押し潰されそうになり、
自責の念に駆られる度に私は頭を抱えた。
扉側のベッドへ移動してもその気持ちは晴れることなく、
こうして夜を迎えると一人ベッドの中で怯えるのだ。
看護士からあの話を聞かされて以来、
私は窓際のベッドから在りもしない視線を感じている。
その視線は間違いなく私に向けられており、
視線を感じる度に私は何度もナースコールを押した。
看護士たちはそんな私に嫌気が差したのか、
最近では押しても駆けつけてくれなくなっている。
何でだ・・・・私がこんなにも怯えているのに!
この病室に一人でいることに対する恐怖。
そして本当に一人なのかと思ってしまう恐怖。
私は得体の知れない恐怖に発狂しかけていた。
それとももう既に私は発狂していて
看護士はそんな異常者に構うのが嫌になったのか。
もしそうだとしたらどれほどいいだろう。
この睨みつけるような視線や背筋を伝う悪寒は全て
私の勝手な被害妄想が生み出した産物で、
実際にこの真っ白な病室には何も起きていない。
もし、本当にそうだとしたらどれほどいいだろう。
だが、もしそうでないとしたら?
考えるのも恐ろしい想像が脳裏に浮かんだ。
そんなのは嫌だ、助けてくれ!この部屋は嫌だ!!
怖いんだ、怖い怖い!怖い怖い怖いッ!!
そうして幾度も眠れない夜が続いた。
そんなある日、私の疲労と緊張は限界に達していた。
だが、その日は連日の過度な不眠のお陰か、
その日は久しぶりに眠ることができそうだった。
ああ、やっと眠れる・・・・・。
もうずっと眠れていなかったせいか、
この調子なら眠りにつくのにそう時間はかかるまい。
混濁した意識の中で呟くような声が耳に届いた
「見ろ、あの燕の巣がようやく出来上がったぞ。」
はは、何を言ってるんだ。
窓には燕はおろか空さえ見えなかったじゃないか。
それはあの窓を見た私がよく知っている。
だから私は、その声の主を否定しようとした。
「いや、窓の外には何も―――――」
言いかけたところで、異変に気付く。
・・・・・・・・・・・・・・・え?
今・・・・・・・何ガ聞コエタ?
今・・・・誰ガ喋ッタ?
誰ガ、イル?
断言してもいい。
私は今日、一度たりともナースコースは押していない。
万が一看護士であったとしてもあんな話をするだろうか?
そんな筈はない。
あれは、私と彼の二人で交わされた話だ。
そう、私と彼だけの他愛無い話だった。
じゃあ・・・・誰なんだ?
今発した言葉の主は、誰なんだッ!?
それまでの眠気はまるで嘘のように覚め、
私は再び得体の知れない恐怖に包まれた。
返事など、返せる訳ないじゃないか・・・・!!
まさか疲労のせいでとうとう幻聴が聞こえてしまったのか?
私は意を決し、その声の主へと振り返ることにした。
恐る恐る振り向くとその先には――――――
翌日、担当医の櫻木により葛城の死亡が確認された。
原因は突発的な発作が起きたのだと推測され、
その死因は奇しくも五十嵐と同じ急性心筋梗塞だったという。
唯一違う点は苦悶の表情を浮かべて死んだ五十嵐と違い、
葛城の目は驚愕したかのように見開かれていたことだ。
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