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竜を連れた少女 1

 その美しいお姫さまは、ある日、銀の猫と一緒に、どこか遠い所に行ってしまいました。そして、二度と戻ることはありませんでした。

                   ―― オーデルクの伝説より ――




挿絵(By みてみん)

イラスト/碧無瑠恩







 薄紫の逢魔が時の空気が地上を覆い、家々に金色のあたたかい光が、ぽつぽつと灯る頃。

 旅人の宿『砂漠に眠る緑の羽根生え猫』の扉が、甲高い鈴の音を響かせて、開いた。


 魔が時の透明な濃い青の空と、黒い影だけとなった木々を背景に入ってきたのは、『砂漠に眠る緑の羽根生え猫』にとって、その日十人目の客。十五をいくつか過ぎたくらいの、華奢な少女だった。

 首筋でぷつりと切り落とされたような、そんな痛々しささえ感じさせる柔らかい髪は、間近に迫った夜の闇よりも暗い漆黒。両方の目は、翡翠を思わせる神秘的な緑。肌は太陽の恵みで、薄く健康的な色に焼けている。

 灰色の上等な布で作られたマントを羽織り、その下には灰緑の上着とズボン、黒の皮のブーツ、そして腰に下げているのは、細身の剣。

 その身なりは彼女によくなじんで、中性的な雰囲気を作っていた。『少年』で通らぬこともないくらいに。

 だが、闇色の髪を長く伸ばし、ドレスを着て装飾品を付ければ、おそらく光り輝くような気高さを持った若い貴婦人が現れるに違いない――。そう思わせるような、どこか奇妙で確かな雰囲気を、その少女は持っていた。


 そして何よりもこの年若き旅人が一風変わっているのは、小さな生きた竜を冠のように、頭に乗せていることだった。

 金色の鱗で覆われた竜は、黒髪の主人の頭にしっかりとつかまったまま、二本のりっぱな角を生やした頭をそびやかし、ルビーのような赤い鋭い目で、テーブルでくつろぐ客たちを順番に睨みつけた。

 竜の閉じられた羽根の先が明かりを反射して、星のきらめきを放つ。


 客たちは、ちらりと新参者の方に顔を向けたが、再び何事もなかったかのように俯いて酒を飲み、あるいは黙々と食事を続けた。それが、この旅人の宿での礼儀であったからだ。

 旅人たちは、しばしの静かな食事と心地よい眠りを得るためにこの宿に集まり、そしてまた、それぞれの目的地へと散って行く。

 互いの素性も、どこから来てどこへ行くのかも知ることなく、知らせることもない。

 見知らぬ者同士で知り合いになり、和気あいあいとした楽しい時間を過ごしたい者は、別の様式の宿を選ぶはずだった。

 多少宿代は高めだが、『砂漠に眠る緑の羽根生え猫』は、余計な詮索や雑音とは無縁の、静かな安息を約束する宿だった。そのため、客には一癖も二癖もありそうな連中が多かったわけだが。


 けれども、奥のテーブルについている二人の客だけは、杯の向こう側から、竜を連れた少女を値踏みするように、じろじろと観察していた。

 お世辞にも目つきがいいとはいえない、傭兵まがいの二人組だ。

 そして、もうひとり――。

 二人の客から少し離れた席に座って、静かにお茶を飲んでいる人物。

 その人物は、少し遠慮がちに、アメジスト色をした目を少女に注いでいた。


「部屋、空いていますか?」


 少女は、カウンターにいた宿の主人に声をかけた。

 宿の主人は、でっぷりと太っていて並々ならぬ貫禄の持ち主ではあったが、『砂漠に眠る』ことにも『緑の羽根生え猫』にも全く関係がなさそうな、ごく普通の中年男性だった。


「どうぞ」


 主人が頷くと少女は扉を閉めた。そして軽い足取りで先客たちのテーブルの間を横切って、主人の前に立つ。


「ここは前払いですが」


 主人が言った。

 少女は主人の前に、金貨を積み上げる。


「足りますか?」


 宿の主人は、手の中で金貨をチャリンと鳴らし、鍵を差し出した。少女が出した金貨が多すぎもせず、少なすぎもしない枚数だったことが、期待はずれだったようだ。


「お食事は?」


「お願いします」


「お部屋にお運びしましょうか?」


「そうしてください。ありがとう」


 少女は鍵を受け取った。

 それから声を落として、主人に訊ねる。


「少しお聞きしたいのですが……。ご主人、銀色の髪に黄水晶の目をした若い旅人が、ここに来ませんでしたか? 名前はエリュースっていうんですけど」


「お客の名前は、いちいち聞いていませんからね。銀色の髪のお人は五万といるし、黄水晶の目のお人も、多くはないかもしれませんが、たったひとりってことはありませんよ」


 主人が、回りくどいセリフをそっけなく言う。


「物腰がやわらかで、美形で、剣の使い手で、歩くとき、いつも足音をたてないの」


「それも、ありきたりの特徴ですね」


「特徴……。えーと、そうだ、満月の光を浴びると、猫になる」


 宿の主人は目を剥き、それから露骨に顔をしかめた。


「魔法使いですか、そのお方は」


「職業は、賞金稼ぎ。気まぐれに傭兵をやっているかもしれません」


 主人は、首を振った。


「前払いでやってなかった頃は、鳥に変身して宿代を踏み倒して行った魔法使いはおりましたがね。残念ながら、ネコは知りません」


 少女は溜め息をついて、肩を落とした。

 飾り物のように身動きをしなかった竜が、頭をわずかに動かし、少女の顔を見下ろす。


「そう……。どうも」


 少女は鍵を握りしめ、くるりと向きを変える。


「あなたが言っておられるのは『化け猫エリュース』のことですか?」


 少女は、突然自分にめがけて降ってきた声とその内容に、凍りついたように身を固くした。

 壁際のテーブルでお茶を飲むひとりの人物が、少女を真っ直ぐ見つめている。

 その目は、アメジストを思わせる紫色。肌は少女よりもはるかに白く、陶器のような艶があった。

 長い金の髪は、まばゆい滝のように肩に波打ち、鮮やかな青のチュニックに身を包んでいる。

 育ちのよさをどことなく漂わせた、二十代前半くらいの若者だ。


 声の主がその若者であることを確かめ、少女は彼につかつかと近づいた。

 彼女の頭の上の竜が若者を睨みつけたが、若者は気にした様子もなく、軽く頬杖をついたまま、微笑んだ。


「こんばんは、お嬢さん。変わった兜をお持ちですね」


「エリュースのことをご存知なんですか?」


 少女の声は、幾分震えていた。

 漆黒の睫毛の下に見開かれた翡翠色の目は真剣な光を帯び、若者を凝視する。哀しげな、すがるような眼差しだった。

 それは恋をする者の目。恋人を思う切ない心を映し出した、小さな鏡。

 焦がれるような恋をしたことのない若者にも、それは何となく感じられた。


「私は、そのエリュースとやらに直接会ったことはありませんが、噂は聞きましたよ。すご腕の『化け猫』というあだ名のある、銀の髪の賞金稼ぎのね。満月の光で猫に変身するから、化け猫なんて呼ばれているのですね」


「彼は、どこへ……」


「北へ。ゼノアの町に立ち寄り、さらに北へ行ったようです。でもこれは、随分前の情報ではあるのですけれどね」


「北……」


 少女は、はるか遠くへ意識を飛ばすように視線を漂わせた。


「お役に立てましたか?」


 若者が訊ねると、少女はにっこりと微笑んで頷く。


「ありがとう。感謝します」


 少女は腰をかがめて丁寧にお辞儀をし、間もなく客室のある二階へと立ち去った。


「今の挨拶の仕方は……」


 若者は少女の身のこなし方を、かつてどこかで見たような気がした。

 あれは、自分の国に近い、どこかの国のものではなかっただろうか。

 それも、貴族の姫君の作法では……。

 そんなあやふやな記憶に基づいた軽い疑問が、頭を持ち上げてくる。

 さらに、記憶の中でその作法を行っていたのは、実は今の少女自身でなかったかという、とんでもない考えが浮かんできたので、彼は苦笑した。

 そんなはずはない。自分が会うことを許されていたのは、限られた身分の人々だ。

 たったひとりで旅をする少女の知り合いなど、いようはずもない。

 お茶に入っていた香り付けの酒で、少し酔ったのだろうか。

 

 少女の姿が階段の奥に消えた後、例の傭兵まがいの二人組は目配せをし、頷き合った。

 それから彼らは酒の追加を主人に言いつけ、何か貴重な楽しみを得たかのように、少女が来る前よりもはるかに機嫌よく、陽気に酒盛りを始めたのだった。



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