表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

上り線の少女

    一


 隣の線路に止まった電車のドアで、制服の少女が涙を隠した。

 彼は、見てはいけないものを見てしまったと目をそらした。

 なぜ、彼女は泣いているのだろう。

 ここは、上下線が列車待ちをする駅である。それぞれのプラットホームを隔てて外側の線路を急行が追い抜いていく。だから、待避線に入った列車は、開いたドアの反対側の窓同士が向かい合う。

 可愛い子だった。毎朝、通学時間が同じで、お互い同じ列車の同じ場所へ乗る。だから、気にはなっていた。

 しばらくして、視線を戻すと、彼女のまつげはまだぬれていた。娘はちらりと目を合わすと、恥ずかしそうにほほ笑み、ハンカチを当てた。

 彼も笑顔を返した。すると、勇気が出た。

 

  〔なにが、悲しかったの?〕

 

 ペン書きしたメモ帳を広げ、ドアのガラスに押し当てた。

 彼女が、再びはにかんだ。


  〔ひ・み・つ〕


 少女もノートを出して、ボールペンを走らせた。

 そのとき、がくんと車体が揺れてがして、列車が動き始めた。彼は後ろへ引かれ、よろめいた。

 その格好を見て、彼女がまた笑った。


    二


 通学が楽しみになった。

 背中合わせに列車が止まると、あいさつを交わす。声は聞こえないから、手と笑顔だ。

 用意したメモ帳を開く。前夜に何を話すか準備してきた。


  〔一時間目は?〕


 何を聞こうか、いろいろ考えたが、あまりなれなれしい質問は嫌われそうで、あっさりしたものにした。


  〔数学〕


 睡眠が少し足りなかったのか、ちょっとはれぼったい目で返事を書きかえした。ぼくのことを考えていて眠れなかったのかな、彼は自分勝手な想像をした。


  〔さいあくぅーっ!〕


 彼女もうなずくと思ったが、


  〔わたし、数学大好き〕


 と、思わぬ答えが返ってきた。


  〔将来数学者になって、フィールズ賞をとるの〕


 数学界のノーベル賞といわれるフィールズ賞だが、四年に一度しか行われず、受賞はより難関だともいわれる。少女とフィールズ賞というアンバランスさがいい。

 列車が動き出すと、差し込んだ朝日が彼女の窓ガラスを黄金色に染めた。一瞬、少女が光り輝いたかに見えた。


 彼らは毎朝、数分間のデートを楽しんだ。


    三


 その日、彼女は沈んだ表情で彼の前に止まった。

 そして、ノートの指を挟んでいたところをすぐさま開いた。


  〔お父さんの転勤で、あす引っ越しするの〕


 驚きで彼の胸が詰まった。まだ、ひと言さえも、言葉を交わしていないのに。

 しばらくは、彼女を見つめるだけで、何と答えていいかわからなかった。

 ふと、我に返ると、大急ぎでメモ帳に書いた。


  〔きょう放課後に会える?〕


 少女は、うなずいた。

 いつ、どこで?と首をかしげた。


  〔学校が終わったら、〕


 と書きかけたところで、突然インクが出なくなった。向かいのドアから彼女がのぞき込んでいる。

 あわてて、ノートの隅でペンのテストを繰り返した。まったく書けない。

 そのとき上り線のベルが鳴った。カバンからペンを取り出していては間に合わない。彼はあせった。

 だれかにペンを借りようと振り返った彼の目に、ホームの柱に取り付けられたアナウンス用マイクが飛び込んできた。駅員がしまい忘れている。

 瞬間、はじかれたようにドアを飛び出した彼は、手に取ったマイクで叫んだ。

「学校が終わったら、風の谷駅のプラットホームで待ってる」

 ホームや列車の乗客は、驚いて振り返った。

「風の谷のホームで待ってる」

 声をさらに張り上げて、彼は繰り返した。

 閉まりかけた上り列車の乗客もこちらを見ている。渋い顔、噴き出す者。だが、彼女はひとり、もの悲しげで困惑したような表情を変えなかった。列車はそのままホームを離れた。


 夕暮れ、彼女は待ち合わせ場所に現れなかった。彼は暗くなったプラットホームでいつまでもたたずんでいた。


    四


 次の日の朝、隣線に上り列車がすべり込んできた。

 もちろん彼女の姿はなかった。代わりに、同じ制服を着た女の子が二人立っている。

 あの子たちのどちらかが彼女だったら。もし、きのう来てくれていたら。

 ぼんやりと考えながら彼女たちを見ていた彼は、はっと気づいた。二人は、手話で話している。

「じゃあ、彼女も……、だから」


「おとうさん、だっこ」

 車両のドアにもたれていた彼に、子どもがまとわりついてきた。

「あなた、なに考え込んでるの、しんみりと。窓の外に何かあるの」

 のぞき込んできた妻の目が笑っている。

「いや、何も」

 答えながら彼は顔をそむけた。

 もう何年になるだろう。あの日から。

 彼のまぶたが熱くなった。

 にじんだ視線の中を、昔のように待合線の列車は静かに離れていった。


                                    (了) 


次の作品もよろしく。


●短編 『臨終のあなたに』『間違い電話の女』『三つの贈り物~聖なる夜に~』『死刑囚からの手紙』

 ●超短編集 『早すぎた葬送』『化粧のなくなった日~近未来バーチャル・ドキュメント』早すぎた火葬』『電車メーク』『美しい水車小屋の娘』『虹色のくも』『はだかの王さま』『森の熊さん』『うさぎとかめ』『アラジンと魔法のパンツ』『早すぎた埋葬』

 ●千鶴と美里の仲よし事件簿 『どこじゃ、どこじゃ、毒蛇はここじゃ』『パパのカバンがなくなった!』『尿瓶も茶瓶も総動員、人質少女を救い出せ』『グルメの誘いは甘いワナ』『昔の彼は左利き』『美里の夏休み日記』『シャルトリューは美食の使い』

●前期高齢少年団シリーズ 『ヴェルサイユ城のマーマ姫』『らくだの梅さん、かんかん踊り』『必殺浮気人を消せ』『ケータイ情話』『ミッション・インポシブルを決行せよ』『車消滅作戦、危機一髪』『秘密指令、目撃者を黙らせろ』『さよならは天使のパンツ大作戦』

 

(上段の作者名「とが・みきた」をクリックしていただければ、作品一覧が表示され、お読みになれます)

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 思いもかけずにいい話に出会ってしまいました。 オチも予想外でした。 ありがとうございました。
[一言] せ、切ない… 文章も展開もテンポよく、 更にオチも物悲しくてステキです!
2010/05/05 13:02 退会済み
管理
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ