「……今日も雨ねぇ」
ふと、漫画の本から顔を上げると、彼女が憂鬱気に窓の外を見て嘆いている姿が映った。
「まぁ、梅雨だし」
「梅雨なら雨降ってもいいという道理は無いと思うのよ」
「じゃあ、いつなら降っていいんだよ?」
「いつでも降ってほしくないに決まってるじゃない」
「でも、いつか降らないと農家の人が苦しむぞ。水不足にもなるし」
「仕方ないわね。だったら畑とダムにだけ降らしてあげるわ」
「オマエ、雨降らす権利でも持ってんのか?」
彼女は嘆息して再び窓の外に視線をやり、はぁ、と更に重いため息を零した。
「そんな権利が在ったら、あたしは既に世界の王者よ」
「雨降らせるだけでそこまで偉くなれるのはきっとオマエだけだと思う」
「ふふん、雨って実は偉いのよ。――じゃなくて。雨なんか降らなければいいのに」
「オマエ自分で言ってて矛盾してるの気づいてるか?」
「こんなジトジトした鬱病発症もいいトコな自然現象、誰が好き好むってのよ」
「や、雨が好きな人は少なからずいると思うぞ。農家の人とか、水不足に悩んでる人とか」
「知ったこっちゃないわ」
「取り敢えず色々な人に謝ってくれないか?」
ふぅ、と僕に視線を向けてくる彼女。やけに胡乱とした眼差しには力が無かった。
「そこで思う訳よ。雨さえ降らなければ地面は泥沼化しない、って」
「……喧嘩でもしたの?」
「アイツが悪いのよ」
……彼も大変だな、と思うと同時に、それで僕の家に逃げて来たのか、と悟る。
いい迷惑だな。
「……またどうでもいいコトなんだろ?」
「どうでも好くないわよ! だって、目玉焼きにはソースでしょ? アイツ、醤油以外あり得ないって言うのよ!!」
「ほらどうでも好かった」
「何ですって?」
「何でもいいけど、ソース派以外オマエ認めない気か?」
「当たり前じゃない?」
「当たり前じゃない」
「何でよ。目玉焼きにはソースを掛けるのが一番に……」
「因みに僕はマヨネーズ派だから」
「うわ外道……」
「そこまで言う!? だからさ、そんなコトで喧嘩するってのが僕にはよく分からないよ」
「だって大事でしょ。位置主張」
「意思だろ。立場主張してどうすんだよ。とにかく、そんなコトでウダウダ悩まない」
「アンタは悩み事無さそうでいいわね。生きてるのが楽そう」
「何気に傷つくから止めてくれないか? 雨も降ってるんだから、マジメに腐りそうだぞ」
「元からじゃない」
「怒るぞ?」
「あー……ほら、でもさ、あたしがこうやって飛び出してきたらさ、何だか戻るの面倒じゃない?」
「面倒じゃない。つか、オマエの場合、単に引っ込みつかなくなってるだけだろ」
「う……違うわよ。だってあたし間違ってないもん」
「色々突っ込みたいが……梅雨なんだから、こんな風に腐ってないで、スッキリサッパリ謝ってこいよ」
「嫌よ」
「そこをスッキリサッパリ否定するなよ」
「だって嫌じゃない。何か負けたような気がして」
「勝ち負けの問題じゃないだろ? 彼だって待ってるかも知れないんだぞ? オマエが帰ってくるの」
「そうね。あたしってアイツの中で一番だし」
「オマエナニサマ?」
「でもほら、あたしから謝ったら、アイツの中のあたしも変わる訳じゃない? いつも強くてカッコいいあたし見てるアイツにとったら、謝ってくるあたしなんて想像と違うじゃない」
「変わったとしても、それもオマエの一部なんだから仕方ないだろ。オマエの全部を見もせずに好きだーって言ってる奴の方がよっぽど別れた方がいいと思うけどね」
「うう……アンタ、何気にムカつくわね」
「そこでムカつくとか言う!?」
ベッドに寝転がり、彼女はバブバフと足をぶらつかせて布団を叩きまくる。
「……ねぇ、アンタ。もしあたしがアイツと別れたら――」
「付き合う気は無い」
「何でよ。このあたしと付き合えるなんて光栄過ぎて身の程を知れって感じじゃない?」
「オマエほど身の程を弁えてない奴もいないと思うけどな」
「アンタ、女に興味ないの?」
「無いと言えば嘘になる程度」
「じゃあ在るんだ? そんな漫画ばっか読んでないで、エロ本とかも嗜んでるんだ?」
「……嗜むの使い方を間違えてる気がする」
「じゃあ今みたいなシチュエーションも、実は嬉しかったりする?」
「……取り敢えずオマエじゃなかったら」
むく。すたすた。ぼぐッ。
「ふぐ……いたい、済まん、悪かったから無言でナックルは止めてくれ……」
「そうそう、素直で宜しい」
すたすた。ぼふっ。
僕の枕に顔を埋めて、更に深ぁいため息。……魘されそうだ、今晩。
「……雨が降ったら地面が固まるって言うけど、あたしとアイツの間には、ずぅっと雨が降りっ放しなのよ」
「……固まらないと言いたいの?」
「だから雨なんか降らなければいいのに、って思う訳。降らなければ、いつだって地面は固いままじゃない」
腹を摩りながら、枕に顔を埋める彼女を見て、一言。
「でも、止まない雨は無いよ」
「……ねぇ、今日泊まってっていい?」
「ダメ」
「何でよ。こんな可愛くてか弱い女の子の頼みを無碍に断る気なの?」
「うん」
「うわ外道……」
「ソース派以外を認めないオマエに言われたくない。彼が待ってるんだろ? 早い内に帰ってやりなよ」
「え〜? 気まずいじゃない」
「僕はいいのか?」
「うん」
「おいぃぃ」
「はぁ……アンタには分からないでしょうね、彼氏がいる気持ちなんて」
「うん、まぁ。僕、女じゃないし。彼氏はいらないし」
「……彼女もいらないんでしょ?」
「まぁ、今の所、必要としてないね」
「だからほら、あたしがその辺をレクチャー……」
「してほしくない」
「何でよ。あたしなのよ? この見目麗しいあたしがご教授してやろうって言ってんのよ? もっと狂喜乱舞しなさいよ」
「どれだけ自意識過剰なのオマエ!?」
「あーもー……このウダウダ感、何とかしなさいよ……」
ふぅ、と僕のベッドに満遍無く憂鬱を撒き散らす彼女に、僕自身も嘆息し始めた、その時。
〜♪ 何かの音楽が鳴り始めた。
「あ、アイツからだ」
と言って、ケイタイを取り出す彼女。どうやらメールが届いたらしい。
「……」
しばらく無言のまま表示画面を見入る彼女に、僕は疲弊しきって、漫画に眼を戻した。
「……で?」
「……帰るわ」
「そう。彼に宜しくね」
「あ、傘借りてっていい? あたしの傘壊れててさぁ。何か穴開いてるのよ、穴」
「二本在るからお好きな方をどうぞ」
「じゃあ二刀流にしとくわ」
「根刮ぎ!?」
「―――あ」
扉を開けて外に出た彼女が、ポツリと声を零した。
「……何?」
漫画から視線を上げて、玄関の奥にいる彼女に向けると、彼女は空を見上げていた。
「雨、止んだねぇ」
――雲の隙間から、陽光が差していた。
しばらくそれを見入ってた彼女は、やがて自分の壊れた傘を握り締め、僕を振り返った。
「じゃ、邪魔したわ」
「うん、邪魔された」
「また来るわね」
「いつでもどうぞ」
「じゃ」
「うん、じゃ」
扉が閉まり、部屋には静かな時間が戻ってきた。
窓の外では、明るい陽射しが辺りを照らし始めていた。
ぬかるんでいた地面も、また乾いて固まる事だろう。
そう――止まない雨は、無いのだから。
/了
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