chapter19 「“心の時代考証”が一番難しい」
古事記に、ヤマタノオロチという巨竜とスサノオミコトとの戦いの記載があります。様々な書物、あるいはフィクション作品によって繰り返し引用されたりイメージを拝借されたりする、日本神話のハイライトのひとつです。
けれど、あのお話、ちょっと引っかかりませんか?
色々あって天界を追放されて天下り、出雲に降り立ったスサノオミコトは、その地域の豪族からヤマタノオロチ退治を依頼されます。そのお願いを聞きいれたスサノオは、その豪族に酒を用意させ、ヤマタノオロチをべろべろに酔っぱらわせます。しかも、スサノオ本人は生贄のクシナダヒメの櫛に化けてヤマタノオロチに近づき、隠し持っていた剣でヤマタノオロチを殺します。
これが「ヤマタノオロチ退治」の基本プロットですけど、現代人の我々の目から見ると、違和感があるように思います。
こう言ってはなんですけど、スサノオミコトさん(神様をさん付けっていうのも不遜ですけど)、卑怯じゃありませんか?
相手を酔っぱらわせてグデングデンにした上で寝首をかく。その上本人はうら若き乙女(のちの奥さん)の陰に隠れて標的に近づいたんです。現代人の目から見れば、「おいおいスサノオ、あなたはヒーローだろ! ヒーローなら正々堂々と戦えよ!」と茶々を入れたくもなります。
けれど、スサノオは決してそしりを受ける対象ではないんです。むしろ、古事記の中では(つまりはヤマタノオロチ退治という“物語”の上では)肯定的に描かれています。つまり、当時の人からすれば、現代人からみて卑怯に映ることも、決して卑怯ではないんです。
実は、そういうことはよくあるんです。
たとえば戦国時代。
戦国時代の武士(特に畿内近国の武士)は、主君を何度も替えるのが一種のステータスでした。景気が良かった頃のアメリカでは、「有能な人間ほど転職を繰り返し、無能な人間ほど同じ会社に勤め続ける」などと言われていたらしいですが、戦国時代もまさにそういう時代だったらしいのです。藤堂高虎という戦国時代末期~江戸時代の大名などは、「主君は七度替えないと武士として一人前と言えず」とうそぶいています。けれど、現代人が“武士”をイメージすると、どうしても“二君に仕えず”と殊勝に言い放つ、赤穂浪士のような人たちが思い浮かびます。江戸時代に入ると儒教道徳によって家臣団を統制することとなり、実力主義的な考え方が武士から一掃されてしまいます。そのために、同じ“武士”でも、意識上の断裂が起こっているのです。
あと、江戸時代。
江戸時代には男女同権なんて考え方はありません。ともすると男尊女卑的な考え方で以って世の中が動いていました(とは言いましても、実は江戸時代なんかより、よっぽど戦前の方が男尊女卑が厳しかったらしいのですが、そこらへんは割愛)。ですので、“妾”と言われる人たちが沢山いました。現代人的感覚で言えば「けしからん」話ですが、往時はそれがある意味で普通だったのです。
あと、同じく江戸時代ですが、当時江戸にあった風呂屋は混浴でした。幕末期に江戸に滞在した外国人が、「これだけ文化レベルの高い人たちが混浴なんていう野蛮極まりないことをしていることが、どう思いあぐねても理解に苦しむ(意訳)」と書き残しています。この混浴の習慣を見ると、実は江戸時代に生きた人々は男女問わず、あまり肌を晒すことに対して羞恥心が無かったのではないか、とも想像できます。
同じ日本人といえども、時代による感覚のずれは存在します。当然と言えば当然のことです。自分より上や下の世代の方とお話をさせて頂くと、カルチャーギャップを感じることがありますよね? 当然、百年前の人々とのズレは、相当にあるものと想像されるんです。
けれど、往時の人々の心象風景をそのまま描いてしまっていいんでしょうか。
時代小説だからと言って、江戸時代の感覚で女の人を書いたとしましょう。すると、現代人の我々から見てひどく男尊女卑な描写が出来上がります。神話の時代の人々の感情の在り様を想像して、目的のためには手段を選ばない人物像を創出したとしましょう。そうすると、現代人の我々から見ると、ともすると卑怯な人物像が出来上がります。
確かに歴史小説・時代小説というのは“過去”を描写する小説のジャンルです。“過去”の中には当然その時代に生きた人々の心の在り様も含まれます。歴史・時代小説を書くからには、当然往時の人々の心のありさまを書いてゆかねばなりません。
が、小説というのは、その小説が書かれた時代に生きる人間のために紡がれるものです(時代を超えた名作もありますが、そうやって生き残る小説は小説のなかでもほんの一握りです。殆ど例外と言っていいくらいです)。当然、書き手は常に、現代人である読者様を想定しなくてはなりません。ですので、読者様から見て理解ができないだろう心のありようを書くわけにはいきません。現代の感覚から見て否定される価値観を追認するようなことは、(仮にそれが歴史的に正しいものだとしても)書くのが難しいのです(書けないわけではないですが、アクロバティックなプロット作成力が必要になります)。
時代考証で一番難しいのは、「その時代に生きた人々の心の在り様をどう描写するか」なんです。
正しく描こうと思えば角が立ちますし、プロットを工夫しなくてはなりません。それに、正しく描いたとて、それが小説の面白さを担保してくれるわけではありません。
あえて目をつぶれば、時代考証上問題があります。あんまり無視をし続けてしまうと、「歴史・時代小説を書く意味がないじゃないか」ということにもなりかねません。
そんなジレンマと戦う羽目になります。
大事なことなので、もう一度書きます。
「“心の時代考証”が一番難しい」んです。
+注意+
・特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
・特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)
・作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。
この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。