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聖家族 作者:門戸明子
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新条拓巳の話(下)

 ねえみのりさん、家族ってなんだろうね?

 血のつながりがあれば、家族って言うんだろうか?

 ぼくが最初に「お父さん」て呼んだ人……そう、仁科大樹、彼はその「血」にずいぶんこだわる人だった。

――俺の血を残さねばならない。

 それが口癖だった。
 仁科明美、つまりぼくを産んだ女性と仁科が再婚したのも、彼女がぼくを産んだから。でもぼくは全然仁科に似てなくて。彼が調べさせて、親子関係がないってわかったんだ。
 本当の父親? さあ、誰だろ? 彼女の前の夫、小坂丈太郎か、それとも恋人の誰か……でもそれは、ここでは特に関係ないよ。

 さあ、話を続けよう。

 仁科家での毎日は、地獄だったよ。仁科って外面はいい人だったけど、うちでは暴力の嵐でさ。ぼくはいつも殴られて蹴られて食事を抜かれて……キッチンのパントリーに閉じ込められてた。
 仁科明美? 彼女はかばってなんてくれなかったよ。ブランドもののバックや洋服に夢中で、殴られるぼくを黙ってみてるだけだった。
 2人が離婚しなかったのは、少しは愛情があったのか……あるいはもう一人子どもができるのを待っていたのかもしれない。

 でも、ある日仁科は知ってしまったんだ。自分の血を引く本当の息子が存在するってことにね。それが拓巳だよ。
 仁科と母さんは若いころつきあっていたことがあるんだけど、その時母さんは仁科の子を妊娠して、内緒で産んでたんだ。
 それを、別れた後に偶然仁科が知って……拓巳を引き取りたいって母さんに申し出た。ずいぶん金も積んだらしいよ。でも、母さんは承知しなかった。
仁科の中にある暴力性に、つきあってる当時からうすうす気づいてたんじゃないかな? 
 だから別れて、拓巳のことも知らせなかった。ね、そうだろ母さん?
 でも、何度断っても仁科はあきらめなかった。
 自分の血を引く息子を、なんとしても手に入れたかった仁科は、執拗に母さんにまとわりついた。拓巳と会いたい、話をさせてくれ、ってね。
 だんだん強引なやり方で迫ってくるようになって、ついに母さんは、拓巳と仁科と自分、3人で話し合うことを承知したんだ。

 それが……8年前、1月13日の夜。
その日は仁科明美の誕生日で、彼女は確実に不在になるはずだった。その日ならゆっくり話し合えるからって言って、母さんと拓巳を呼び出したんだ。
 え? ぼくはどうしてたのかって?
 拓巳と一緒にいたよ。
 あの日の仁科はすごく優しかった。拓巳と一緒に遊びなさいっておもちゃをくれて。
 今なら、拓巳の歓心を買うために利用しただけだってわかるけど、あの時はただただうれしかったな。

 ところがそこまで用意していたのに、想定外のことが起きた。
 仁科はその可能性を全く考えてなかったらしいんだ。笑っちゃうような、バカバカしい話なんだけどね。
 つまり、当の拓巳がまるっきり仁科になつかなかったんだ。
 それどころか、敵意むき出し。
 仁科のこと、母親をいじめる極悪非道の悪人に見えたのかな。「母ちゃんにエロいことしようとしてるんだろ、絶対俺がそんなことさせるもんか」って母さんの前に立って手を広げて。なんかテレビに出てくるヒーローみたいだったな。
 子ども心に、こいつ強いな、かっこいいなって思ったよ。

 仁科は、楯突かれることに慣れてなくて、子ども相手にキレちゃってさ。

 あんなにほしがってた息子なのに、平手打ちしちゃったんだ。拓巳は吹っ飛んで……ぶつかった場所が悪かったよ。大理石の暖炉でさ。そのまま動かなくなっちゃったんだ。
 今でも耳の奥に残ってる。「たくみぃいい!」って叫ぶ、母さんの声。喉の奥が破れるんじゃないかっていうくらい、痛々しい悲鳴だった。
 取り乱した母さんに、仁科はなんて言ったと思う? 「こんなのが俺の息子であるはずがない。さっさと連れて帰れ」だって。ふざけてるだろ?
 そういう人なんだよ。
 母さん、ブチ切れてさ。キッチンから包丁持ち出してきて、仁科を……刺したんだ。

 え? 父さん? そうそう、その話をしなくちゃね。

 父さんは、その日、母さんが来る前からあの家の2階に潜んでたんだ。米倉さんに依頼されて、仁科を殺すためにさ。
 どうして米倉さんがそんなこと考えたのか、ぼくは知らないけど、確かだよ。会話を録音したテープがあるから。
 場所は……ぼくらの家のどこか。捨ててないはずだよ。たぶん、あの隠し部屋かな? ごめんね父さん、ぼく見つけちゃったんだ。あの部屋。
 さて、父さんが2階で何をしてたかっていうとね、実は依頼そっちのけで、偶然見つけた隠し金庫と格闘してたんだ。
 父さんが殺人を引き受けたのも、借金のせいだからね。お金があれば人殺しなんてしなくてすむ、そう思ったんだって。
 その金庫は、パスワードを入力するタイプのやつでさ。父さん電子機器には強かったから、時間がかかったけど、開けることができたんだ。すごいよね。
 そう、金庫の中には本当に大金が入ってたんだよ。1憶かどうかは確かじゃないけど。

 その時、1階からものすごい叫び声が聞こえた。仁科の声だよ。

 慌てて父さん、かばんにお金を詰め込んで……そうしたらさ、もう一度悲鳴が聞こえたんだ。今度は女性……母さんの悲鳴。
 父さんが1階に下りてみると、ナイフを背中に突き立てた仁科が倒れてた。

 でも、母さんが悲鳴をあげたのは、それが原因じゃなかった。

 拓巳の体が、燃えてたんだよ。暖炉のそばに倒れた時、火の粉が飛んでたんだね。
 母さん、必死にクッションで叩いて消そうってするんだけど、火は燃え広がるばかり。

 父さんは泣き叫ぶ母さんを無理やり拓巳から引きはがして、隅っこで震えるぼくを叱り飛ばして、その場から逃げ出した。

 ぼくたちは途中まで車で行って、それから電車に乗り換えて……必死で逃げたよ。

 笑っちゃうけどさ、ぼくたち3人でいると、みんなぼくたちを「家族」っていう目で見るんだ。駅のホームで電車を待ってた時なんか、駅員に「パパとママとおでかけかい? いいねえ」なんて言われたくらい。
 ねえ父さん、その時かな。「家族」としてなら、逃げ切れるかもしれないって思い始めたのは。
 え? 仁科明美? うん、後になって、ニュースで彼女が庭で発見されたことを知った時はびっくりした。ううん、会わなかったよ。たぶんたとえ目が覚めても、何も証言できないんじゃないかな。



「なんで……」

 みのりさんが、ぼくを見ていた。

「なんで拓巳、えと、いや、純か、どっちでもええわ、あんたまで一緒に逃げんといかんかったん? 誘拐やないのそれ、全然愉快やないわ!」

 思わず吹き出しちゃったよ。さすがみのりさんだ。

「でもみのりさん、ぼくはあの時迷わなかったんだ。父さんの手を取ること。ぼくに手を差し伸べてくれる人なんて、今まで一人もいなかったからさ」

 2人と一緒なら、きっと新しい人生が始まる。そんな予感がした。そのためなら、一緒に罪を背負うことくらい、なんでもないような気がした。

 でも……そう、新条拓巳として生きるにつれて、その「罪の重さ」がどんどん膨らんで大きくなっていって、ぼくは押しつぶされていった。もう、呼吸も難しくなるくらいに。

「いつまでも隠し続けるなんて無理だよ。もう……終わりにしようよ、父さん母さん」

 ぼくが言うと、父さんは哀しそうな目をして、首を振った。

「無理だな。おれたちは、長く一緒にいすぎた」

「え?」

 意味を測りかねて、ぼくが聞き返すと、母さんは微笑んだ。

「新しい計画があるの。また逃げるのよ、わたしたち」

「母さん!」

「おれたちは家族だろう?」

 足を踏み出した父さんの前に、「行かせへん!」てみのりさんが叫んで、両手を広げて出口をふさぐように立ちはだかる。

「ここまで聞いて、黙っていかせたら、アタシ絶対後悔全開やもん!」

「職務熱心で、結構なことだ」

「警察やからとか、そんなこと関係あらへん! 間違ったことしたら、ちゃんと償わなあかんと思う。そやなかったら、ちゃんと前向いて次に進めんやんか!」

「そこをどけ」

「絶対! どきませんっ!」

 両手を広げて立つみのりさんに、父さんの腕が上がっていく。銃口が……みのりさんに!

「父さんやめっ」

 慌てて口を開いたぼくの目の前、それはほんのコンマ何秒かっていうあっという間の出来事だった。


パアアン!


 テレビドラマよりずっと大きな音がして、みのりさんが「ひゃっ」て悲鳴をあげて左の太ももを抑え込んだ。

「みのりさんっ!」

 手の間から、みるみる真っ赤な血が流れだす。
 みのりさんの体がぐらりと傾き、がくりと膝をついた。
 乾いた口で浅い呼吸を繰り返しながら、
ぼくはみのりさんに駆け寄った。
 どうしたらいいのかわからなくて、とにかく血を止めなきゃって、両手で押さえるんだけど、ぼくの両手もすぐに血でぬれた。

 血が、血が止まらない!
 ぼくは制服のジャケットを脱いで、それで傷口を必死で押さえた。

「本気で撃てやしないと、思っていたか?」

 血の気の引いたみのりさんの顔を見下ろしながら、父さんが静かにつぶやいた。

「人間だって、鬼にも悪魔にもなる。大切なものを、守るためになら」

 大切なものって……もしかして、ぼくたちのこと? 

 でもぼく、こんなこと父さんにしてほしくない! ただただ、真っ赤になった手を握りしめて、ぼくは叫ぶ。

「父さん! もう止めて! 早く病院につれていかないと、みのりさん死んじゃうよ!」

 真っ赤に濡れた手でみのりさんの足をおさえながら、ぼくは叫んだ。

「お前が選べ」

「え……?」

「おれたちと一緒に逃げるか。彼女とここに残るか」

 父さんと母さんと、そしてみのりさんを、ぼくは交互に見つめた。

「拓巳! 一緒に逃げましょう! どこか小さな町で、もう一度やり直すの! ね?」

 母さん……。

「早く選べ」

 父さんも、母さんも、大事な人だ。

 ぼくを、地獄から救ってくれた人たち。ぼくに居場所をくれた人たち……。

 そしてぼくはみのりさんを見る。
 真っ白なみのりさんの顔は、不安げに揺れてる。
 ぼくは、みのりさんの血に濡れた自分の手を見下ろした。

 ぼくは……ぼくは……
 首を振った。

「できない。選べないよそんなの! みんな、みんな、大切な人だからっ!」

「二兎を追う者は一兎をも得ず、国語の成績抜群のお前が、知らないわけないよな?」

 父さんの銃口が、再びあがった。

「父さんっ!」

 立ち上がろうと膝をたてて、その時、ぼくはポケットの中に硬い携帯の感触を感じて、ようやくここに来る前にとった行動を思い出した。

 途端に心臓が再び勢いよく動き出したような感覚が戻る。
 ぼくは立ち上がって、父さんとみのりさんの間に立った。

「拓巳、お前のことは撃ちたくないんだが?」

「父さん、逃げられないよ」

 携帯を取り出して、父さんに見せる。
 新宿署につながったままの、携帯を。

「ここに入ってくる前、ぼく、警察に連絡したんだ」

 ぼくの表情を見て察したのか、父さんが息をのむ気配が伝わった。

「まさかそれ、つながっているのか……今、警察に?」

 ぼくはディスプレイを確認し、そして頷いた。ずぶぬれだったけど、防水機能つきだから、きっと問題ないはず。

「誠司さん!」

 母さんが、窓から外をのぞき、ひきつった顔で小さく叫んだ。

「車が……来るわ! あっちから……また一台……その後ろにも!」

 父さんは手の中の拳銃を見下ろし、2度3度頷いた。自分を納得させるみたいに。

「誠司さん」

 緊張した母さんの声に振り返り、父さんは肩をすくめて見せる。

「みずほ、計画通りでいこう。覚えてるだろ?」

 母さんは、ハッと息をのみ……そして頷いた。一瞬、ちらりとぼくに視線を向ける。

 何?
 計画……? 計画って、何? これ以上、ぼくの知らない何かがあるってこと?
 服を着たままプールに入ったみたいな不快な不安が体にまとわりついてる。

「おれたちにとっちゃ、お前は最高の隠れ蓑だったよ」

 唐突に、父さんが口を開いた。

「え……かくれ、みの?」

「曙みたいな進学校に通う優秀な息子がいるって聞けば、無条件にもれなくおれまで優秀ってラベルをはっていただけて。犯罪者だなんて、だれも想像しやしない。ま、家族ごっこは確かに疲れたけどな。足手まといのお前を連れて来ちまったばっかりに。おれもいい加減、うんざりしてたところだ」

 父さん……何を言ってるの?

「でも……そうだな。確かにガキのお前にしてみたら迷惑な話だったな。あのまま仁科の家に残っていれば、会社だって財産だって、お前のものになったんだし、母親と引き離されることもなかった。お前が怒るのも無理ない」

「父さん、ぼくは怒ってなんて」

「何となく予感はあったよ。おれたち3人、ボロがでるなら、きっとお前からだろうってな。そしたら案の定、ちょっと過去を知られただけで動揺しやがって。このざまだ。ガキなんか連れてくるんじゃなかったよ。まぁ所詮赤の他人だし、信じたおれの自業自得ってことだな」

 突き放したような父さんの声。

「とうさ」

「まあ、小坂も米倉も、いずれは消さなきゃならない奴らだったから、どうということはないが」

いつもの父さんらしくない、乱暴な口調で言い放つ。



「動くな!」



 太い、鋭い声が飛んで、ぼくの体はびくっと硬直した。
 思考が再び倉庫へと戻る。
 窓の外に気を取られていた母さんも、ビクッと振り返る。
 段ボールの影から、一人、また一人……スーツ姿の男が出てきて、10人程度、ぼくらを遠巻きに囲んだ。

「銃をおろせ」

「野沢! 大丈夫か!?」

 太った刑事が、銃を構えながらみのりさんに呼びかけてる。

「い、いしはらさん、生きてますー」

 すべての銃口が、父さんと母さんに向けられてた。

「囲まれてるぞ。もう、観念しろ」

 石原刑事の拳銃も、父さんに向かっている。

 2人が殺される?

 嫌だ、嫌だ、嫌だ!!

 なりふり構って何ていられなかった。ぼくは血まみれの手を振りながら、父さんの前に飛び出してた。

「拓巳! 危ないっ!」

 みのりさんの声がしたけど、ぼくは構わず叫んだ。

「待ってください! 撃たないで! 2人はっ」

 次の瞬間、ぼくの右腕は後方へとひねられ、拘束され。
 気づくと、固いものがぼくの頭にコツンてあたっていた。

「動くな!」

 父さんがぼくに拳銃を突きつけているんだとわかった時、背中を冷たいものが滑り落ちた。

「と……父さん?」

「目の前でガキが死ぬなんて、警察もやばいんじゃないのか?」

「無駄な抵抗はやめろ! もう逃げられないんだぞ!」

「車を用意してもらおうか」

「くそっ!」

 飛び出そうとする刑事たちを、石原さんが手を上げて制する。

「早く用意しろ!」

 刑事たちとの距離をジリジリと開けながら、ぼくを羽交い絞めにしたまま、父さんは後ずさった。

「やめろ! 逃げ切れると思っているのか?」

「もちろんさ。ここまで8年、警察がちらっとでもおれたちを疑ったことがあるか? 職質かけられたことすらないね。おれの計画は、この後までもう完璧にできあがってる。逃げ切って見せる」

 父さんの声が、脳みそに直接響くみたいに近くで聞こえた。
 不敵に笑う父さんの顔が、見えるみたいだった。
 父さんは、じりじりとぼくを引きずるようにしてドアに近づいていく。

「わかった、車を用意させる。上と話をするから、もう少し待て」

 石原刑事が、声をやわらげて言う。

「待てない。どうせ外に覆面パトカーの1台もきてるんだろう? そいつをこちらに回してもらおう」

 目の端に、母さんの姿が映った。
 父さんはドアに近づいていくのに、母さんは動こうとしない。母さんは、父さんと一緒に行かないつもりなんだろうか?
 ふと、そんな疑問が浮かんだ時。
 父さんの視線が、一瞬窓の外に流れた。
 そして、ぼくの腕をつかんでいない方の父さんの手が、ぼくの背中をドンと押した。
 つんのめるみたいに前に倒れ込んで。
 擦りむいた頬の痛みも忘れて、慌てて振り向く。

「なるほど。それがお前の本音か。やっぱり、おれと一緒に行くのは嫌って? 逃げたいよな」

 え? だって、今のは父さんがぼくを突き飛ばしたんじゃないか……

 父さんが、ぼくに銃口を向けた。

 え……? 

 その指が、ゆっくりと引き金に……
 え……父さん、ぼくを、撃つの?

「撃つな!」

 誰かの声が響いて、次の瞬間、



パアアアン!



 銃声だった。

 さっきのより、乾いた、鋭い音。


 ぼくはギュッと目を閉じて……

 でも、どこも痛くない。


 撃たれたのは……ぼくじゃなかった。
 ゆっくり……泳ぐみたいに父さんの腕が宙をかいて、父さんの体が倒れていった。

 その瞬間、血のつながりだの、過去の罪だの、ぐちゃぐちゃ考えていたすべてのことが、頭から吹っ飛んでた。
 その時、自分の口から飛び出した言葉、その響き、そしてあの人が見せた優しい笑顔を、ぼくは一生忘れないだろうと思う。



「とうさん!!!」



 父さん! 父さん!


「誠司さん!」

 ぼくと母さんが駆け寄り、父さんを抱き起す。
 父さんは、目を開けて、ほんのわずかに微笑んだ。
 その瞬間、ぼくは理解した。
 父さんはぼくを撃つつもりなんてなかった。最初から死ぬつもりだったんだって。すべての罪を、自分一人で背負って。

 父さん……。

 視界に薄い膜がかかったみたいに、うまく前が見えない。
 必死に歯を食いしばるぼくを見上げながら、父さんの唇がわずかに動いた。



「ありがとう」



 そう、聞こえた。

 ぼくの前で、父さんの瞼が、静かに閉じた。
 そして、永遠に動かなくなった。

 次の瞬間、外にいた、機動隊っていうんだろうか、そろいのコスチュームを着た人たちが大勢なだれ込んできて。
 父さんを刑事が取り囲んで、「確保! 確保! 発砲あり、救急車! 応援を頼む!」なんて、叫んでる。
 ぼくは映画の一幕を見てるみたいな気持ちで、目の前に広がる騒ぎを眺めてた。


 石原って刑事が、母さんのところにやってきた。

「仁科大樹氏殺害について、話を聞かせていただけますか」

 光を失った目をしばらくさまよわせていた母さんだったけど、やがてこっくりうなずいて立ち上がった。

「母さん!」

 母さんは、いつものように微笑んだ。

「あなたには、本当に感謝してるわ、純。あなたがお母さんて呼んでくれたから、わたしは拓巳の死を乗り越えられた。本当に、ありがとう。でも、もう家族ごっこはおしまい。あなたは仁科純に戻りなさい。そうすれば、普通の高校生として生きていける。あなたはわたしたちに利用されただけの被害者なんだから。胸を張って、幸せになりなさい」


 その時、ぼくはようやく飲み込めた。2人の「計画」が、何なのか。

 それは。

 すべての罪を、罰を、2人が背負うこと。

 ぼくに、普通の人生を歩ませるために――

 父さん

 拓巳を思い出してふさぎこむ母さんをなぐさめるために、2人でカーネーションを買いに行ったよね。
 あの時から、毎年その日がぼくたち家族の「母の日」になったんだ。

 母さん

 小学校の遠足、母さんの手作り弁当を持って行ったらさ、みんな驚いてたっけ。母さんたら、めちゃくちゃ凝ったキャラ弁作るんだもんなぁ。クラスの奴らに冷やかされまくって、「恥ずかしいからやめて」って言っちゃったけど。でも本当は、すごくうれしかった。それまでは、コンビニで買った幕の内弁当だったからね。


 夏休み、日記帳に書くネタを作るために、無理やりバーベキューに行ったよね。火はなかなかつかないし、雨も降りだすし、散々でさ……でも、帰りに食べた中華、ほんとにおいしかったね。

 父さん
 母さん

 ぼくの、家族。

 そう、ぼくは、いつも不安だった。

 でも、今ならわかる。それは、幸せだったから怖かったんだ。
 あの地獄みたいな家から、救ってくれた、初めて手にした、安心できる場所だったから。

3人で過ごす時間がすごく幸せで楽しくて、だから失いたくなくて、いつまでも続いてほしくて、でもいつか壊れるんじゃないかって、怖かったんだ。
2人を信じたかったけど、でも信じ切ることができなくて、不安で。

 2人は、こんなにもぼくのことを考えていてくれたのに……
 8年前のあの日、偶然出会っただけのぼくのことを!


「待ってください」

 立ち上がって、ぼくは石原刑事を見つめた。

「言わなきゃいけないことがあります」

 母さんの潤んだ目が、一瞬ビクッと大きくなる。

「行きましょう刑事さん」

 早くと促す母さんを見て、石原刑事は困ったみたいに頭をかいた。

「大事な話かな?」

「刑事さん、子どもの話なんて聞くことないわ。わたしが全部お話しま」

「母さん」

ぼくは、母さんの言葉を遮った。

「2人の気持ちは、すごくうれしいよ。でも大好きな2人に罪をかぶせてさ、ぼくだけ幸せになれると思う? ぼく、そんな図太い神経持ってないよ。母親なら、わかるでしょ?」

「たくみ……」

「一体何の話だ?」

 みのりさんが、数人の刑事に抱えられて、立ち上がるのが見えた。
ぼくは、みのりさんにも聞こえるように、大きな声で告げた。

「……仁科大樹を殺したのは」

「やめなさい!」

 悲鳴のような、母さんの声。
 でも、言わなくちゃ。



「ぼくなんです」



 母さんの、みのりさんの、石原刑事の、その場にいたすべての視線が、ぼくに集まっていた。

 ぼくは、もう一度語りだす。あの日の結末を。



 あの時、自分をかすめた包丁に怒り狂った仁科は、母さんに馬乗りになってその首を絞めた。

 それを見てぼくはとっさに、落ちた包丁を取り上げ……そしてサイドテーブルによじ登ると、仁科に向かって……飛び降りたんだ。

 ズブズブって、仁科の背中に包丁が飲み込まれていく感触、そして「ぎゃあああああ!!」って響いた醜い悲鳴。今でもはっきりと覚えてる。

「事故なんです!」

 母さんが叫ぶ。

「襲われたわたしを助けるために……仕方なかったんです! 死ぬなんて思わなくて! 包丁を持ち出したのはわたしです。だからわたしが悪いんです! だから、だからこの子は悪くありません!」

 刑事に向かって必死に叫んでる。

 ありがとう、母さん。でも、それは違うよ。

「刑事さん、ぼくはあの時、死ねばいいって思ったんです。仁科大樹が、この世から消えてしまえばいいって」

 ののしられ、蹴り飛ばされ、まるでゴミみたいに……。

 あの地獄の中で、ぼくはずっと、こんな機会を待っていたのかもしれない。

「……だから、殺意はありました」

 みのりさんの茫然とした顔を見つめて、ぼくはずっと思ってたことを口にした。

「家族って名前でくくられて、そしたら無条件に愛情感じなきゃいけないのかな? 道徳? それとも倫理ってやつ? ……それが人間だって言うんなら、ぼくは、人間じゃなくていい」

 母さんが、泣き崩れた。

 刑事に促されて外に出ると、雨はもう、叩き付けるみたいな勢いに変わっていて。
 傘なんかなんの役にも立たなくて、ぼくたちは足早に土砂降りの中をパトカーに向かって歩いた。
 あっという間にスニーカーの中まで泥水が入り込んで、グチュグチュって、歩くたび嫌な音がした。

「拓巳!」

 みのりさんが、どこから見つけたのか、木の枝を杖代わりにして、ひょこひょこ歩いてきた。
 応急処置はしてもらったみたいだけど。もうすでに赤く染まってしまった包帯が、出血量を物語ってる。

「早く病院で診てもらったほうがいいよ」

ぼくの声が聞こえたのか、聞こえなかったのか、びしょ濡れになりながら、みのりさんはぼくを見上げて、ただ必死に言葉を探してる。

「あの……あのな……」

「軽蔑した? ぼくのこと」

 みのりさん、慌てて首を振った。

「そんなことあるわけないやんか! 全然、絶対、あらへん!」

 ぼくは、その言葉にほんの少し救われて、頬を緩めた。
 やっぱりこの人に嫌われるの、キツイからな。

「あ、あの……そや! 明美さんに会うてく? アタシ、上にかけあってみてもええし」

 ぼくは首をふった。

「ぼくの母さんは、一人だけだから」

「そっか……そやな。アホなこと言うてごめん」

 ひくひくと肩を小刻みに震わせて、みのりさんは泣き出した。

「ごめんな、ごめんな拓巳。アタシ、あんたの背負っとるもん、なんもわからんと、気づかんと、しょーもないことばっか言うて……ごめんな。ほんま、ごめん」

 なんであなたが子どもみたいに泣くんだよ? バカだなあ。
 なんだかそれって……ちょっとうぬぼれちゃうよ?

 涙と雨でぬれて、冷たく湿ったみのりさんの唇に、ぼくは自分の唇を押し当てた。

 生まれて初めての、キスだった。


〈了〉


ラストまで辛抱強くお付き合いいただき、ありがとうございました!

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