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聖家族 作者:門戸明子
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新条拓巳の話(上)

 学校帰り、阿佐ヶ谷駅で降りると、駅前のロータリーで募金箱とポスターを掲げた奴らが、寒風に負けじと口々に叫んでた。

「募金にご協力ください!」

「恵まれない子どもたちに愛の手を!」

「よろしくお願いします!」

 ぼくは思う。『恵まれない』っていう、その基準は何?

 どういう人が『恵まれている』のか、どういう人が『恵まれてない』のか、どこで線を引いてるんだろう?
 お金があれば? 住む家があれば? 家族がいれば? 『恵まれてる』……? 

 そしてぼくは……どっちだろう?



 駅から歩いて10分、一方通行の多い迷路みたいな住宅街の中に、ぼくの「家」はある。
 クリーム色の外壁に、白い窓枠、赤い屋根とドア。まるで童話に出てくるお菓子の家みたいな、西洋風の2階建て。そこがぼくの家になってから、何年になるかな。
 すでに見慣れてしまった風景のはずなのに……その日の「我が家」は、どこか違った。
 間違い探しみたいにあちこち見て、ああ、って気づいた。
 ガレージに車がないんだ。
 母さんは免許を持ってなかったから、父さんが使ったってことになる。
 父さんは電車通勤だから……もう家に帰ってるのかな……?
 小さな疑問符が頭に浮かんだけれど、その時はまだ深く考えることなく、ぼくはそのまま家に入った。

「ただいま」

 コートのボタンをはずしながら、いつも通り声をかけて。でも、いつも通りの「お帰りなさい」って母さんの声は返ってこなかった。
 ドアを開けてリビングを覗き込むと、中の空気は外と同じくらい冷え切っていて、いつもはむせかえるみたいに充満してるパンの匂いも、ほんのかすかに漂うだけだ。
 母さんがこだわりのアイテムを集めた、大きなキッチン……父さんの趣味のカメラが博物館ぽく並んだリビング……。
 いつも通りの「家」だった。なのに、どこかが違う。第一、母さんはどこにいったんだろう? 今日はパートの日じゃないはずなのに?

 ……あれ、なんだろ?

 オーブンの扉の向こうに影を見つけて、ぼくはそれを開けてみた。
 中には、パンの生地が冷たくなって並んでる。母さんがよく作る、見慣れたレーズンパンの生地だ。
 でも……火があたった形跡はない。
 一体、何があったんだろう?
 ぼくは胸の奥にチリチリって不安がともるのを感じながら、メモでも残ってないかってあたりを見回した。
 そうしたら、リビングのソファ、脚の影……何か落ちてる?
 ……古い写真だ。かなり化粧が濃いけど、若いころの母さん。それから……。
 ごぐって、喉が奇妙な音をたてた。
 ぼくは今度こそ本当に何かが起こったんだって確信して、外に飛び出した。



 全速力で走って、広めの通りに出る。でも……ダメだ、全然タクシーは通らない。仕方なく駅前まで戻ると、タクシー乗り場に停車していた一台の窓ガラスをバンバン叩いた。

「すみません! 品川まで!」

 無理やりみたいに乗り込むと、運転手がうさん臭そうな顔でミラー越しにぼくを見る。

「急いで!」

 ぼくが睨み返すと、運転手は肩をすくめて車を発車させた。
 真上の空は青く澄んでいるのに、向かう先には分厚い黒い雲の塊が覆ってる。絞ったら黒い水が落ちてきそうな、雑巾みたいな雲……。
 それは、まるでこれから進む未来を暗示してるみたいで、ぼくは震えそうになる膝を両手で押さえた。

――室生容疑者の自宅からは、血の付いたナイフが見つかり、DNA鑑定の結果、被害者の少年のものと一致したということです。室生容疑者は容疑を認めていますが、依然精神的に不安定な状態が続いており、凶器の入手方法などについて意味不明な供述を繰り返しているということで、今後精神鑑定が行われる予定です。現職刑事が殺人を犯すという今回の事件を受け、警察組織は今後大きな改革を迫られるものと……

「ラジオ、切ってもらえますか」

 聞いてられなくて、ぼくは耳をふさいだ。いろんな人が傷ついた。血を流して苦しんで……。

――なんでも言うてな!

 みのりさん、そう言ったよね。全部知ったら、それでもあなたは笑ってくれるかな。ぼくを、受け入れてくれるかな。
 ぼくはシートにもたれて、目を閉じた。

 ……きっと、無理だろうな。




 品川駅から埠頭の方へタクシーを走らせ、海が見えてきた工場地帯で降りた。
 携帯の画面を確認しながら、いくつかのビルを通り過ぎる。次第に人通りはまばらになって、映画に出てくるゴーストタウンって雰囲気の、無人の工場が続く場所へ入っていった。

「ここだ……」

 南京錠でしっかり施錠された柵の向こうには、廃屋みたいないくつかの倉庫が見えてる。
 倉庫には鉄さびだらけのシャッターが降りて、人の気配はしない。操業停止して、かなり時間がたってるみたいだ。
 ぼくは、自分の身長より少し高めの門を見つめた。全体は錆びついてるのに、南京錠だけピカピカ。
 その向こう、風にびゅうびゅう揺れてる雑草には、確かに車輪の跡がついてた。
 よし、って気合をいれると、ぼくは門に飛びついた。



 結構広いな……。
 敷地内はコンクリートで舗装されてしまっていて、ぼくは車の跡を見失ってしまった。
 辺りを見回しながら走ってると、たちまち息があがり、汗が流れた。
 ぼくはコートを脱いで放り投げ、もう足音が響くのもかまわず、全速力で駆けだした。
 あの厚くて黒い雲は真上にきていて、今にもぽたり、どころか、ボタボタと落ちてきそうだ。
 早くしなくちゃ……。
 そして、ついにどん詰まりまで進んで、ぼくは目当てのものを見つけた。
 父さんの車!
 ボンネットを触ると……いいぞ、まだ温か
い!
 ぼくはその場所から一番近い倉庫にあたりをつけて、そっと近づいた。

「あんた、拓巳のパパさんか!」

 あの声は……みのりさん!?
 その時ぼくは、父さんの部屋で見た、みのりさんの写真を思い出した。
 どうしてあの時放っておいたんだ! 父さんがみのりさんに何かしようとしてることははっきりしてたのに!
 爪先立ちして、汚れた窓ガラスから中を覗き込むと……積み重なった空の段ボール越しに、みのりさんが見えた。
 後ろ手に縛られて柱にくくりつけられてるけど、怪我はしてないみたいだ。
 そばには……父さんと母さんがいる。一体何を……。

「パパさんとママさん、2人で一体何考えてんねん。もしかしてアタシ、殺されるんかいな」

 少し震えた声がする。

「わかった! わかったから、その前に8年前、仁科の家で一体何があったか教えてくれへん? せやないと、気になって上等の粒になれへんやんか。……まあつまり、成仏ってことやけど……。うわー自分でツッコむのかっこわるいわー」

 ……こんな場面でもボケずにはいられないんだな、この人って。
 よかった。割と冷静みたいだ。いや、もしかすると、単に条件反射でボケてるだけかもしれないけど。あきれながら、それでも少しホッとする。

「知ってどうする?」

 父さんの声がする。いつも聞いてるのとは違う、低くてかすれた声。……8年前、あの時に似てる。

「あいつみたいにおれたちを脅迫するのか?」

「あいつ?」

「名倉翔也っていったか」

 その瞬間。

 ああ……て、ため息がもれた。目の前が真っ暗になる。やっぱり、父さんたちは気づいてたんだ。ぼくが翔也に会っていたこと、それから、その理由……。

「翔也……て、殺されたホストのことかいな! パパさんとママさん、まさかあの事件にもかかわってるんかいな!」

「それは……そこまでしゃべるつもりはない。だが、拓巳を強請ったりしなければ、まだ生きていられたかもしれないな」

「拓巳を……強請る? なんやねんそれ。どういうことやねん! 拓巳がなんかしたんか!?」

 ギシギシ……って、みのりさんの縄が引っ張る音が響いた。

「誠司さん、早くしないとそろそろ拓巳が帰ってくる時間に」

 腕時計を気にするそぶりの母さんに、父さんがうなずく。
 ポツ……ポツ……
 とうとう落ちだした雨粒は、地面にあたり始めた。
 熱っぽかった体が、ものすごい速さで冷えていって、歯がカタカタと鳴りだした。
 もう感覚のない手を、ギュウッて握りしめた。濡れた制服は冷たくて重くて、ぼくは押しつぶされそうだった。
 ……もう、もう限界だ。
 これ以上、こんなの、ぼくは耐えられない。
 ぼくは、携帯を取り出し、震える手で画面に触れた――

「ひえっ」

 みのりさんの小さな悲鳴が聞こえた。
 慌ててのぞくと、何かを握った父さんの手が、みのりさんに向けられていた。
 黒く光る小さな……それがおもちゃじゃないことは、想像がついた。

「父さん……」

 父さん、みのりさんを殺すの? 口をふさぐために? すべての事件を永遠に闇の底に閉じ込めておくために? 罪から逃げ続けるために?
 何もかも……もう遅いのかもしれない。でも……でも止めなきゃ。父さんを止めなきゃ。もうこれ以上、罪を重ねないように。ぼくたち家族の罪を。
 ぼくは、大きく息を吸い込んだ。



 ガチャン……!
 錆びだらけだったけど、鍵はかかってなくて、そのドアは押すだけで簡単に開いた。
 物音に気付いて振り返った3人が、ぼくの姿を認めて、「拓巳!」ってギョッと息を止めてる。
 埃っぽい匂いが漂うコンクリートの床に足を踏み出すと、白く汚れた床にくっきりと濡れた足跡が刻まれた。

 ごめんね母さん。
 ごめんね父さん。
 ごめんね、みのりさん。

「拓巳……どうしてここが」

 蒼白になって目を見開いてる母さんに、ぼくは笑いかけた。

「ごめん。母さんの携帯に、内緒で追跡用のアプリ、入れておいたんだ」

「拓巳!」

 ぼくは父さんの制止を聞かず、みのりさんの側に膝をついて、紐をほどき始めた。
 感覚がなくなった指は、なかなか思い通りに動いてくれない。

「ごめんね、みのりさん。痛くない?」

「拓巳……」

「ぼくの、全部ぼくのせいなんだ」

 震える口調を、もうぼくはどうすることもできなかった。

「どういうことやねん? あの翔也ってホストと関係あるんか?」

 何から始めればいいんだろう?

 どうやって説明すればいいのかな?

 でも、言わなくちゃ。

 ぼくは言葉を探しながら、父さんを見た。

「……父さん、どうして父さんは命を狙われたんだと思う?」

 父さんは目を細めて、いぶかしげにぼくを見る。

「米倉が小坂に依頼したからだろう?」

「どうして米倉さんは、ぼくらの居場所を突き止めることができたんだと思う?」

「探偵でも使って調べたんじゃないか?」

「違うよ。……それは……」

 一瞬ためらって、でも深く息を吸い込んでから、ぼくは一息に言葉をつなげた。

「ぼくが米倉さんに連絡したからだ」

 母さんの小さな悲鳴が聞こえた。

「どうして、そんなこと……」

 戸惑ったような、困ったような父さんの声に、目の奥が熱くなるのを感じた。
 ぼくは、頭が真っ白になってた。
 何を、どう説明すればいいんだろう? 今更、何を言えば?
 心と頭がシンクロしなくて、カラカラ、空回りするばかりで、とっさに開いた口からは、恨み言みたいな言葉が飛び出した。

「……もう、うんざりだったんだ」

 言ったとたん、後悔した。 

 ハッと、父さんと母さんの体がこわばった。
 違う、そうじゃなくて……そうじゃないんだ、言いたいのは、そんなことじゃない。でも言葉をうまく探すことができない。
 ぼくは焦って、頭に浮かんだ単語を、とにかく並べる。

「いつまでもうまく隠し続けられるわけないだろ!? きっと誰かがいつか裏切る。最初に裏切るのは誰だろう? 父さん? 母さん? それともぼく? そしてそれはいつだろうって。怖くて苦しくて、もういっぱいいっぱいで。なんでぼくは、普通の高校生でいられないんだろうって。みんなみたいに成績の心配したり、恋愛したり、したいのに、なんでこんなことで悩んでなきゃいけないんだろうって」

 なんだよこれ、これじゃまるで父さんと母さんを責めてるみたいじゃないか。

 2人は悪くないのに!

 ぼくは、父さんと母さんの目を見ることができず、うつむいた。

「そんな時、翔也が声をかけてきたんだ。あいつ、昔の写真をどこからか手に入れていて、ぼくの正体を知ってた」

 翔也の噂は聞いてたから、一度お金を渡せば終わり、そんな簡単なことじゃないって、想像はついた。
 でも、もしかしたらぼくは、少しホッとしていたのかもしれない。これでもう、終わりにできる。すべてを終わらせる、いい機会なのかもしれないって。

「もう、終わりだと思った。終わりにしなくちゃって思ったんだ。米倉さんなら、昔のぼくのことも知ってるから、ちゃんと警察に証言してくれると思って。まさか父さんを殺そうとするなんて思わなかったから」

 ぼくはようやくみのりさんの紐をほどくことに成功し、手を貸して彼女を立たせた。
 でも、彼女の顔にあの真夏のひまわりみたいな笑顔は戻らない。
 不安と疑問が浮かんだ大きな目でぼくを見つめ、そして一歩、後ずさった。ぼくの手から、彼女の体が離れていく。空っぽの手を、ぼくは握りしめた。
 わかってたことだけど、それはちょっと……つらかった。

「もっとちゃんと話し合えばよかったんだね、父さん。翔也から『お前の正体ばらすぞ』って強請られたあの時打ち明けて、一緒に警察行こうって言ってたら……。そうすれば、父さんたちが罪を重ねることもなかった」

 みのりさんの口が震えるように開いた。

「拓巳……拓巳の正体って、何やねん? アタシほんま訳ワカメなんやけど……」

 ぼくは、みのりさんに視線を合わせた。

 さぁ、言わなくちゃ。今こそ。

「みのりさん……あのね、ぼくは拓巳じゃないんだよ」

「何を言いだすの拓巳っ!」

 母さんの悲鳴みたいな声が飛ぶ。
 ぼくは怪訝そうなみのりさんだけを見て、つづけた。

「……ぼくの本当の名前は、仁科純て言うんだ」

 仁科純。
 自分の名前なのに。口にするのは本当に久しぶりだった。

「それ……」みのりさんが息をのむ。

「聞いてくれる? ぼくたち家族の……懺悔ってやつ」

 父さんが、何かをあきらめたみたいに天井を仰いだのを見ながら、ぼくは語り始めた。
長い長い物語を。

 もうずっと、誰かに聞いてほしかった。それは8年間必死で隠し続けた、ぼくたち「家族」のブラックボックスだった。
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