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聖家族 作者:門戸明子
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室生剛の話(上)


「捜査からはずれろって、一体どういうことですか!」

 新宿署内に設置された特別合同捜査本部の中、捜査員たちのざわめきが一瞬途切れ、視線がオレと川上管理官に集中するのがわかる。わかるが、今更止まらなかった。
 言葉で、視線で、人が死ぬというなら、目の前の上司は一瞬であの世行きになっていただろう。

「おい室生、少し落ち着け」

「落ち着いてますよ、落ち着いて、冷静にお伺いしてるんです。須崎をあげたのはオレですよ!? これから名倉とのつながりを徹底的に洗わなきゃいけないって時に、どうしてこのオレが捜査からはずされなきゃならないんですか!」

 能ナシ連中に、この事件の犯人があげられるとはとても思えない。オレは必死に焦りを押し隠しながら、激しい口調で詰め寄った。

――この犯人は、なんとしても、オレがあげなければならない。一刻も早く。

 西岡舞にはアリバイがあり、次に疑った米倉は、くだらない夫婦喧嘩の果てに死んでしまった。
 手詰まり感が否めなくなってきたところへ、降ってわいたようにチェインにメスを入れることができた。
 ここはなんとしても、犯人につながる証拠をオレが見つけなくては。
 それは追い立てられるような、強迫観念にも似た焦燥感で、呼吸もままならないほどだった。

「わかってるよ、お前はよくやってくれてる。だがな……」 

 川上はため息をついて、
「チェインに踏み込んだ時……須崎をボロボロにしたんだって?」

「それは……逃亡の危険があったからです」

「と、俺も上に説明してやったが、実際は違うだろうが」
 う、とオレは言葉に詰まった。

 川上はふとあたりを見回し、言いにくそうに声を潜めて続けた。
「お前、変な噂が立ってるぞ」

 全身にピリッと緊張が走ったが、努めてバカバカしさをこめた軽い口調で、さらりと口にした。

「知ってますよ。キツネが憑いてる化け物だって言うんでしょう」

「須崎を引っ張った時の記憶、ないらしいな」

「……」

「応援が到着してひっぱがしたからよかったものの、そうじゃなかったら、殺してたかもしれないっていうじゃないか。しかもそれは、今回だけじゃない」

「それは……」

「お前、俺が何も知らないとでも思ってたか?」

 奥歯がギリッと不快な音を立てた。
 確かに、確かにオレは昔から時々記憶がぶっ飛ぶことがある。知らない間にやくざをのしていたことも、血みどろの修羅場に立っていたこともある。
 だが、相手は「そうされて当然」、息をする価値もないろくでなしばかりで、実際オレの行動は緊急性が認められ、処分は受けなかった。
 オレはいつだって正しいことをしているだけだ。その気持ちが昂りすぎて、一種のトランス状態になった、それだけのことだろう。

 連続強姦魔を逮捕した時はあんなにオレのことを持ち上げたくせに。そろそろ扱いかねてきたというわけか。ちくしょう!

「横井ですか、あいつが変なこと言ったんですね!?」

 コンビを組んでいる所轄刑事の顔がうかぶ。
 とっととくたばれ! くそったれめ。ガキ並みのベタな密告しやがって。

「お前の経歴に傷をつけたくないんだよ」

 オレの経歴に、じゃない。室生の経歴に、だろうが。吐き捨てそうになって、かろうじてこらえた。

「な、ここまでよくやってくれたよ。もう解決も間近だろう。お前はちょっと休みとれ。そうだ、見舞いにでも行ってきたらどうだ」

「見舞い?」

「室生先輩、入院してるんだろ? 顔見せてやれ」

 管理官が「先輩」呼ばわりする「室生」は、ただ一人、室生忠邦……親父……!
 オレは両こぶしをギュッと握りしめ、かすかな震えを抑えた。

「いえ、捜査を投げ出して自分を見舞ってほしいなんて、父は絶対に思わないはずです」

「しかしだな……」

「♪コギツネコンコン山の中~」

 能天気な声に、殺意を込めて振り向くと、組対5課から捜査に加わっている沢井が近づいてくるところだった。

「あとはおれたちに任せて、部外者はとっとと消えろ」

 ヘラヘラ笑いながら、指でキツネの形を作り、「コーンコン」と鳴く。

「……っ!」

 まずい、と思った時にはもう、手が勝手に動いていた。
 焦りといらだち、溜まっていたフラストレーションが、一気に臨界点を超えて。
 沢井の胸ぐらをつかみ、そのまま体重をかけて壁におしつける。

「おいっ!」

 振り上げた腕に川上が飛びつき、ワンテンポ遅れて同僚たちが群がって、オレたちは引き離された。

「これじゃキツネじゃなくて、狂犬だな」

 沢井のつぶやきが耳に届く。
 視界が……一瞬だが真っ赤に染まったような気がした。オレは何人かの捜査員をなぎ倒し、再び沢井につかみかかった……。
 その時、バタバタと足音がして、「川上管理官!」と若い刑事が駆けこんできた。

「大変です! 今板橋署の方に、自分が長髪のサングラス男だと名乗るヤツが出頭してきたそうです!」

 なんだって!?

「なにぃ!?」

 会議室に集まっていた捜査員たちが一斉にどよめいた。

「詳しく聞かせろ! おい、外に出てるの全員呼べ! 会議だ!」

 もちろんオレも加わろうとして、しかし川上の腕に遮られた。

「お前はだめだ」

「しかしっ」

「少し頭を冷やせ。このヤマ一つ逃したくらいで、お前の評価は落ちたりしない。焦るな」

 このヤマ一つくらいで、だと!?
 違う! そうじゃない! このヤマはいつものとはまったく違う……違うんだ!
 川上に外へ押し出され、オレの目の前でドアは閉まった。その音は、人生の終わりの宣告のように冷たく響いた。



 屋上とはいっても、高層ビルがこんなにひしめいてたんじゃ、それほど見晴らしはよくないな。
 オレはタバコに火をつけ、柵にもたれて空を見上げた。
 この空の下で、2月1日、一人の男が死んだ。シャブの売人でホストで……。そんなどこにでもいるクズ野郎に、このオレがここまで振り回されるなんて。

――犯人はいるはずだ。どこかに。オレは、そいつを見つけねばならない。なんとしても。

 ボヤボヤしてる暇はなかった。早くこのヤマを解決し、そして……親父を超えなければ。
 そうしなければ、いつまでたってもこの鎖は断ち切れない。どこまでもオレを縛り、監視し続ける、室生という鎖……。
 組織の中で生きていくのに不可欠なパイプを与えてくれたという点では、感謝しないこともない。だが、それはほんの限られた1、2回のこと。それ以外の多くの時は、この名がなければ、と呪いながら過ごしてきたのだ。

「早くしなければ……」

 つぶやいて、吸いガラを足で踏みつぶした。

「あのぅここ、禁煙ですけどー」

 妙なイントネーションの声がして振り返ると、そこにいたのは……たしか野沢とか言ったか。
 チェインの情報をオレに流してくれた新宿署の巡査だ。

「お前……野沢」

「おおおおお、名前覚えてくれてたんですね! うううれひいいい~!」

 唐突に奇声をあげながら、何やら体をひねり始めた。……なんなんだこいつは。

「何か用か」

「何火曜か、ちゃうちゃう、今日は木曜日」

 ……関わらない方がよさそうだ。歩き出したオレに、野沢は慌てて食いついてきた。

「あのあの! すみません! 警部、新宿の事件、外れたって耳子にはさんだんですけどー違います、小耳です」

「……」

「あのお、もしよかったら、これから一緒に……その、その」

「なんなんだ一体!」

「調べませんか!」

「……何を」

「荷物です」

「荷物?」

「西岡早苗さんのです」

「西岡……ああ、須崎の客か」

 娘をソープに売り払ったシャブ中のクズ女だ。

「早苗さんの家、家宅捜索したやないですか。その時押収されたもの、これから見に行くつもりなんですけど、もしよかったら、一緒に行かんかなあって……思って」

 またクネクネと……なんなんだこいつは。

「どうしてそんなもの見なきゃならないんだ」

「あの、実はですね」

 声を潜めて、野沢がささやく。

「早苗さん、8年前に『カトレヤ』で働いてたホステスさんなんですー」

 カトレヤ……? どこかで聞いたことがあるような。

「中目黒事件で殺された仁科社長行きつけの店で。覚えてますか?」

「……ああ……まあな」

 まさかそんな昔の話が出てくるとは思わず、オレは面食らった。

「で、仁科社長とモメとった女が、お店にいたらしいんですー。名前は麻生レナ、っちゅうんですけどぉ」

 麻生、レナ? そんな女いたか?

「その人の写真、見つけてくれるて早苗さん約束しとったから、もしかしたら押収された荷物ん中あるかもしれんなーて思って。もちろん、全然関係ないかもしれへんけど、でも、小さな手がかりでも、どんな糸口になるかわからへんやないですか! アタシ、何がナンでもライスでも! この事件解決したいんです!」

 こぶしを突き上げ、野沢が意気込む。

「なぜオレにそんなことを話す?」

 突き放すように言うと、野沢はきょとんとアホ面をしてオレを見上げた。

「え……だって……警部、担当やったから……気になるかなて」

 担当だと? そう、確かにそうだった。だが、はっきり言って今のオレはそれどころじゃない。

「悪いが、昔の事件をほじくり返してる時間は、オレにはない。お前も警察官なら、頭の切り替え方を身に着けた方がいいぞ」

「頭の……切り替え?」

「警察って組織で生きていく以上、どうしたって迷宮入りは避けられない。どの刑事も多かれ少なかれ、そういう事件を経験する。だがな、事件は毎日何十件何百件と起きてる。オレたちは今起きている事件に集中しなきゃならない。そのために未解決事件専門の部署だってあるんだ。お節介焼いてる暇があったら、自分の仕事をしろ」

 野沢がじっとオレを見て、「お節介……悪いことやないと思います」なんてつぶやいている。正義感は認めるが、それじゃこの組織で長く働くのは無理だな。
 そして、こういうめんどくさい奴と関わると、こっちまで泥沼に引きずり込まれる。それはごめんだ。
 背中に注がれる視線を無視して、オレは足早に屋上を後にした。



「ひぃいいっ! む、室生けい……」

 人気のない廊下で横井を待ち伏せし、首をつかんで壁に押し付けた。

「お前……変な告げ口しやがって」

「でもっあの時の警部、マジでヤバかったすよ!」

 オレは手に力を込めた。

「うるせえ、お前だって酔っぱらって気が付いたら家だったってことくらいあるだろうが」

「ひ……ひ…」

 オレはこういうなまっちょろい男っていうのが苦手だった。いや、はっきり言おう。嫌いだった。

「絶対……許さねえからな」

 ゴボゴボ……と行き場を失った空気がもだえる音が、手から振動となって伝わった。わずかだが、沈んだ気分が高揚するのを感じた。

「け……けい……おねが……」

「で、出頭してきたっていうのはどんなヤツなんだ?」

 聞くと、かすかに横井は首を振った。

「じょうほ……もらす、わけには……」

 ボディブローを連続して打ち込む。きしむ骨の感触がした。

 くく、こういう感触は、悪くない。

 もっと楽しみたいような気分をぐっとこらえて手を放すと、横井は体を二つ折りにして床にはいつくばり、激しく咳き込んだ。

「ま、待って……は、話しますから!」

 弱い、あまりにも弱すぎる。こんな奴に誰が捜査を任せておける?

 震える背中を踏みつけ、「さっさと話せ」とイラついた声を投げた。

「な、名前は山崎秀一……YKDって会社の営業マンだそうです」

「YKD?」

「結構大手の広告代理店で……ここからすぐの、西新宿に本社があります」

「まっとうなサラリーマンが、名倉みたいな野郎とどんなつながりがあったんだ? その山崎ってヤツもシャブやってんのか?」

「いえ、調べましたが陰性でした。翔也とは……その、つきあっていたと言っています」

「つきあって……?」

「だからそのう、ホモってやつですよ。2丁目のバーで知り合ったんだそうです」

 2丁目のバー……?
 一瞬、脳内のフィルターに何かがひっかかった気がした。しかしそれは、本当に一瞬で掻き消え、残ったもどかしい思いだけがじわじわと広がった。

「現場近くで会っていたことは認めてます。名倉がシャブ売ってることを知って、咎めて、口論になったとか」

 口論……頭の奥、どこかでホッと息をつくオレがいた。

「つまり、そいつで決まりか」

 犯人が見つかったなら、それに越したことはない……。よかった……。
 オレは肩の力を抜いた。
 シャブのルートなんか、組対にくれてやる。

「いえそれが……」

 言いにくそうに口ごもる。嫌な予感がした。

「殺害については否認してるんです」



「最初から『私がやりました』なんて認める犯人ばかりだったら、警察はいらねえんだよ。くそったれ」

 口の中で言葉を吐いて、缶ビールを詰め込んだコンビニの袋をテーブルに投げ出した。
 千駄ヶ谷。国立競技場にほど近い場所にある木造の日本家屋が、代々室生の本家だった。部屋数が多いだけが取り柄の、古くさくてだだっ広い屋敷だ。
 黒ずんだ傷だらけの柱や太い梁、くすんだ色ガラスがはめ込まれた引き戸、無駄に大きく頑丈な家具……すべてが埃っぽく灰色に時を止め、恨めしそうに往時を懐かしんでいるようにも見える。

 そう、昔は騒々しい家だった。親父の部下が押しかけ、臨時の捜査会議が始まったり、親戚が集まって昇進祝いの宴を開いたり……。
 お袋が死んで、紗智が家を出て、親父は入院。今じゃこの広い家にオレ一人だ。家族が少なくなるにつれて、この家もどんどん加速度をつけて老いぼれていくように思う。
 掃除は業者を頼めばいいとしても、やはり大きすぎる。いい加減処分したいんだが……勝手にそんなことをしたら、あのクソめんどくさい親戚連中が黙っちゃいないだろう。

 ……それに書斎は、親父の聖域だ。

 ビールを胃に流し込みながら、キッチンの向こうにある書斎のドアを見た。
 ぶ厚く重たいそのドアは、雨に濡れた土のような暗い色をしていた。
 子どもの頃は、よくあの部屋に呼ばれて、親父から話を聞いたもんだった。窃盗、強盗、殺人……世界中の様々な犯罪、そして犯人の話……。
 その重苦しいイメージが抜けないせいだろう。親父が入院してもう5年になるのに、オレはまだ、あのドアを開けられずにいる。

 ドアノブに手を伸ばす想像しただけで、体中の毛穴からじっとりと汗が這い出てくる。

「くそっ!」

 つぶした缶ビールを力任せに床にたたきつけた。
 こんなこと……絶対誰にも言えやしない。
 オレは眉間を揉みほぐした。
 早く親父を超えたい。親父を超えて、あのドアを開けてやる。

――どんな時も焦りは禁物だ。常に冷静な目を持て。外側から眺めるような気持ちで。

 かつて教え込まれた親父の言葉が頭の中でとぐろを巻く。
 わかってるさ。わかってる。教えられたとおり、オレはいつだって冷静に事件を見つめてきた。そして実績をあげてきた。なのに……。

 きしむ階段を上り、暗がりの一番奥にある自分の部屋へ足を向けた。
 蛍光灯をつけると、8畳の和室が白い光の中に現れた。畳の上にベッドとステレオセット、そして本棚。シンプルすぎると思わないこともないが、自宅で過ごす時間は多くないし、特に趣味もなかったから、たいして不便も感じない。

 オレは黄ばんだふすまを開け、押入れの中を覗き込んだ。


 それは、そこにあった。


 洋服や本、CDの中に隠れるように押し込まれた紙袋。ブランドロゴなど何も入っていない、ごく普通の茶色のものだ。

「ぐ……ぅっ」

 眩暈にも似た吐き気が這い上がってきて、オレは慌ててトイレに駆け込んだ。げえげえとビールや今日食べたもろもろが胃の中から出ていく。
 便器にすがって呼吸を整えながら、吐き気が収まるのを待った。
 こんなところで……こんなところでつまづいてたまるものか!



 翌日、山崎が新宿署に移された。
 どこから情報が漏れたのか、署の前はマスコミと野次馬でごった返し、交通規制をかけなければならなかったほどだった。
 署の裏側へバンが回っていくのを、オレは廊下の窓から見下ろしていた。
 この署内で、山崎が取り調べを受ける。なのにオレは、何もすることができない……。
 タバコでも吸って苛立ちを紛らわせようと喫煙室へ足を向けると、廊下の向こう側から沢井が歩いてきた。
 朝から嫌な顔を見ちまった。舌打ちして足を速める。
 するとすれ違いざま、沢井がこちらに顔を向けた。

「奴はシロだなぁ」

「……なんだって?」

 仕方なく、オレは足を止めた。

「昨日板橋まで会いに行ったんだが、女かってくらい細っこい男でな。血を見たら悲鳴あげてぶっ倒れそうだったぞ。あんな力技みたいな殺傷ができるとはとても思えない」

「……」

「本ボシは絶対シャブ絡みで別にいる。ま、オレたちが先に挙げるがな。……凶器の特定もできたことだし……」

 思わずハッと沢井を見た。

「おっと部外者にしゃべりすぎちまったぁ」

 ニヤニヤ笑いが透けて見えるようなその背中を、オレはにらみつけた。

 ド……ン!!

 重たいくぐもった音がして、横井がエビのように体を折り曲げて胃液を吐いた。

「む、ムロ……」

「お前、凶器のことどうして話さなかった?」

「そそれは、極秘情報ですし……」

 だらんと力の抜けた横井の胸ぐらをつかみ、無理やり上向かせた。

「なんだと? もう一度言ってみろ。あン?」

「す、すみません……すみません! でも捜査情報漏らしたことバレたら、おれヤバいじゃないですか! おれ、結婚したばっかで、それに子どもも生まれるしっ」

 ……なんだそれは。呆れて言葉が出てこない。

「お前、なんのためにデカになったんだよ! ホームドラマやりたいんなら、とっととやめちまえ!」

 横井の体を苛立ちに任せて何度も蹴り上げた。

「とっとと言え! 凶器は!?」

 横井の顔に耳を近づけると、絶え絶えな息の中からなんとか言葉を聞き取った。

「……ド、ドイツ……アイクホン社製、の、コンバットナイフ」

 アイクホン……
 脇の下を、冷たい汗がすべり落ちた。



 その足で廊下を抜け、取調室が並ぶ廊下へ向かった。別室をノックもせずに開けると、薄暗い室内にいた川上と、そして新宿署の一色刑事課長が振り返った。

「室生!」

 非難の声を無視して、隣の取調室の様子を映し出す窓の向こうを眺める。
 逆光を背負い、一人の男がパイプ椅子に座っている。ブラウンのスーツをきっちり着こなした若い男だった。
 薄い胸板で、肩幅は狭い。アーモンド型の大きな目、日本人離れしたくっきりした顔立ち。染めているのか抜いているのか、色素の薄い髪はふわふわと跳ねている。
 沢井が女みたいな、と評したのも頷ける。芸能人と言っても通用しそうなほど整った顔立ちだったが、ただ、どこか人の顔色を窺うような、精神的な弱さが垣間見えた。こういう一見無害な男こそ、キレると何をするかわからないものだ。

――翔也が覚せい剤の売買を手伝っていることは、知っていました。そのせいであの日も喧嘩して……。

――カッとなって?

 刑事の言葉に、山崎の顔に怒りが走る。

――違います! 僕は翔也を殺したりしていません! さっきも言いましたが、その後男が路地に入ってきたんです! その男を探してください。事件に関係してるはずです!

 隣で川上が顎を撫でながらつぶやく。

「路地に入ってきた男……か」

「その男こそ、シャブ絡みかもしれないな」

 どうだか。保身のために嘘をついているんじゃないか?
 裏がありそうな奴には、ズバッと切り込んだ方が効果がある。「正直に話してください」なんてなまっちょろいことを言ってたら、捜査の進展なんか100年待っても望めやしない。
 オレは部屋から出ると、隣室のドアを開け放った。

「な……!」

泡を食ったような所轄の刑事を「替われ。お前じゃ無理だ」と無理やり押しのけ、山崎の前に腰を下ろした。

「山崎って言ったか。自首したから罪が軽くなるなんて思ってたら、それは甘いぞ。嘘をついたって、こっちはプロだ。必ず見抜くからな」

 ドタバタとやかましい音がして、川上と一色が飛び込んできた。

「室生、やめろ! 何やってるんだ!」

「早くここから出ろ!」

「今なら見逃してやる! 早く出ていけ!」

 オレは山崎から視線をはずさず、「処分なら覚悟してますよ」と言ってやった。

「最優先すべきは事件の解決。オレはずっと、そうやってきましたから」

 そして灰色のデスクに身を乗り出した。

「さあとっとと話せよ。オレはそんなにお優しくはない。逃げきれると思うなよ」

 山崎の顔を覗き込む。その表情には……意外にも恐怖や迷いはなかった。ただ黙って、オレを見返している。
 なんだこいつ……ダンマリ決めこみやがって。いきなり黙秘か?
 いや、しゃべらないんじゃない。しゃべれない……?
 その表情を読み取りかねて、オレは少し戸惑った。すると次第に山崎の目は開き、唇はわななき始めた。何か……言葉が漏れた。……何を言おうとしてるんだ?

「こ……」

「こ? は? なんだって?」

「こいつです……」

「は?」

「この……男です! 僕があの夜すれ違ったのは、この男です!」

 山崎の指が、オレを、まっすぐに指していた。その場にいた全員の視線が、オレに集中する。

「な……ん……っ」

 体中の液体が沸騰しそうなほど、強烈な怒りが突き上げてきた。
 視界が赤く染まる。血のようだ、と頭のどこかで考えた。そしてオレの名前を呼ぶ声が、急速に遠ざかっていく。
+注意+
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