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聖家族 作者:門戸明子
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西岡早苗の話(上)

あ~ぁ惜しいっ! その上下にするんなら、もっとガーリーな靴の方が合うに決まってるじゃない。マイナス10点。

あ~ぁもう! 違うっ! そのストッキングの色、何? 足だけ浮き上がって見えるじゃない。バランス考えてよ、バランス! マイナス30点!

 うわ、そのバッグはないでしょう。カジュアルにまとめたいなら、その素材は無理! マイナス30点。

おぉっといいじゃない彼女。帽子のアクセントが効いてる。全体がうまくまとまっていて……あぁダメダメ! なんなの、そのガニ股歩き。シルエットが台無し! マイナス50点……。

さすがに新宿ルミネだけあって、若い子が多いわ~。って、ポップな色であふれたフロアを見渡した。

 もちろん、わたしだってそれほど浮いてないと思うけど?

 店内の姿見の前で、くるって回ってチェックする。クラシックな黒コートの下からは、ツイード素材のAラインスカートがちらって見えて。シックな色味のレザーバックも、コンサバすぎずモードすぎず、いい感じね? キャメルのブーツも正解だわ。ピンヒールだとぐっと華奢に見えるし。
 そして……ふわって立ち上るエレガントな香り。クロエってやっぱりいいわ。気分が華やかになるもの。
 でも、ブーツがこの前よりちょっときつめかしら。お風呂上りの引き締めケア、さぼらずにやらなくちゃ。おっと、やだやだ、ほうれい線が消えてない! 新発売のマッサージジェル、やっぱり買った方がいいかもしれない。1個2万円だけど、しょうがないわ。

「それにしても……」

と、わたしは一向に開かない試着室のカーテンに目を戻す。……何してるのよぉもぅ。

「まーい、どう? もう着れた?」

 そうしたら、ようやくおそるおそるって感じでカーテンが細く開いて。

「ママ……これちょっとあきすぎじゃない?」

 中から、ピンクのニットワンピを着た女の子がわたしを見上げてる。一瞬返事も忘れて、じぃいっと見つめてしまう。服って、ほんと魔法ね。制服の時とは印象が180度違っちゃうんだから。
 オフショルダーになった襟もとからは、ミルク色の鎖骨がきれいにのぞいていて。体のラインを強調する柔らかいニットのせいで、腰や二の腕の細さが際立ってる。ブーツの隙間にも余裕があるわね。足が細いんだわこの子。なんなのかしらこれ……若さの特権?
 わたしは自分の姿と比較して……慌てて首を振った。やあだ、娘に嫉妬してどうするのよ。わたしだってまだ37なんだし、そんな年よりくさいこと言わなくていいじゃない。
 店員が目ざとく見つけて駆け寄ってきて、「あらぁかわいい! お似合いですよーねえ?」なんて、ふってくる。
 慌てて「もちろん! かわいいわ~」ってうなずくと、舞は頬を緩めた。笑うと頬がぷっくり盛り上がって幼い印象になって、わたしは少しホッとした。

「とっても似合ってるわよ。これに決めましょ」

「ほんと!? でも……いいの?」

 値札を気にするそぶりの舞に気づいて、急いで店員にカードを差し出す。もちろん一括払い。こんなところで遠慮なんかしないでよ。かっこわるい。やっぱり施設暮らしってお金にせこくなるものなの? 英輔さんの前で変なこと言ったりしないでしょうね?

「このまま着て行ってもかまわないかしら?」

「もちろんです。これからお出かけですか?」

「ええ、そうなの」

「仲のいい姉妹でうらやましいです~」

「あらやだぁ、娘なのよ」

「えええっ!? お二人、親子なんですかあ!? お若く見えるから、あたしてっきり……」

 あら。最近顔全体がたるんできたようにおもったけど……やっぱり気のせいだったんだ。

「きれいなお母様でいいわねえ~」

 うふふって小さく笑って舞がわたしを見上げる。そこにははっきり憧れがあって……なんだかすごくいい気分。娘がいるって、思ったほど悪くないかもね?


 わたしたちはウィンドーショッピングしながら、その後もずうっと、特急列車みたいにとどまることなくしゃべり続けた。
 TOWAZIが好き? そうね、真吾はいい声してるもんね。コンサート行くの? いいわねえ。え? 最近デビューした立花美砂もい い? ああ、缶コーヒーのCMのやつでしょう?
 好きなアーティストの話、コスメの話、ファッションの話……。よかった! わたしたちの趣味、割と合いそう。全然ついていけるじゃない。娘でよかった。息子だったら何話していいかわかんなくて、困っちゃったはずよ。
 窓ガラスには、仲良く肩を寄せて笑うわたしと舞が映ってる。そこに10年以上のブランクとか、ぎこちなさみたいなものはない。やっぱり親子ってそういうものなのかもしれない。心配して損しちゃった。

「これからどこに行くの?」

「レストランよ。なかなか予約取れないフレンチのお店なの」

「うわ、すごーい! 楽しみ!」

 今日はスペシャルゲストがいるけど、まだそれは内緒。この子どんな反応するかな?

「でもそんなお店……高くない?」

 おそるおそる舞が口にする。今は気分がいいから、なんとか微笑むことができた。じゃなかったら、派手に舌打ちしてるところよ。

「いいのよ。わたしたち、10年ぶりに家族に戻るんだもの。手続きはもう少し残ってるけど、前祝いってことでね」

 養護施設に預けた娘を引き取る……それは確かに、大きな決断だったわよ。正直二度と会うつもりはなかったし。英輔さんがあんなこと言い出さなければ……。
 ま、今更言っても仕方ないわね。舞も17だし、すぐに彼氏ができて家になんか帰ってこなくなるでしょ。
 マスカラがほしいって舞が言いだして、わたしたちは地下のコスメショップに足を向けた。
 舞が選んでいる間、私は気になってた新発売のファンデーションをチェック。もう春夏に向けて美白ラインが強化されてるわ。テスターを肌にのせると、うん、伸びもいい。べたつきもないし……。

「ママ、このマスカラってどう思う?」

 横から舞が覗き込む。至近距離で見るなめらかな肌は、見とれてしまうくらいきれい。毛穴もニキビも全然ないし。青白い血管も見えそうなくらい白くて。並んで鏡をのぞくと、う……わたしの顔、やけに黄色っぽくくすんで見える。
 やだ! 何考えてるの! 自分の顔から慌てて目をそむけて、適当なアイテムを手に取った。

「目だけ大きくしてもダメよ。全体のバランスがとれてないと。めんどくさいかもしれないけど、チークとハイライトでちゃんと仕上げて立体感をだしてね。舞は色が白いから、チークは薄いピンク。ハイライトは……そうそう、こんなパール系がいいわね……」

――色が白いから、やっぱり薄いピンクとか似合うんじゃない?

 ふと、頭の中で女の声が響いた。
 ん……? なにこれ、この感じ……。
 それは、奇妙な……デジャヴだった。
誰かに昔、わたしこんな風に話しかけたことがあったんじゃない? 誰かに、「色白でうらやましい」って?
 きっちりしまいこんだはずの記憶……そこから一人の女の顔が浮かび上がってくる。そうだ……あの女よ。

「さすがプロ~! ねえママ、マスカラもママが選んで!」

 舞に腕を引っ張られてその顔は掻き消えたけれど……。不快な気分はなかなか消えなかった。灰皿でくすぶり続けるタバコみたいに。



「西岡様ですね、こちらへどうぞ」

 新宿駅の南口から徒歩5分くらいかな。午後7時きっかりに着いた待ち合わせのレストランは、思った以上に雰囲気のいい店だった。オレンジ色の間接照明が、ヨーロピアン調のインテリアをムードたっぷりに照らしてる。
 テーブルのセッティングを見て、舞もようやく今夜は2人きりじゃないって察したみたい。

「誰か来るの?」

 少し不安そうな舞の言葉に曖昧に微笑んで。
 さて、どうやって切り出そう? 下手に隠すと後でややこしくなりそうだし……。と、言葉を選んでいると、英輔さんが入ってきた。

「やあ早苗さん舞ちゃん、ごめんね、ちょっと遅れちゃったかな」

 ハンカチで汗を拭きふき、椅子に座る。
 舞がびっくりした顔でわたしを見た。

「紹介するわね舞、こちら桂木英輔さん。都内にいくつかお店をもってる実業家なのよ。すごいでしょ」

「いやいや、ただのコンビニだよ、全然すごくないよ」

 お腹は多少出てるし、40前半だっていうのに、白髪がだいぶまじってる。でもいいの。
 わたしを愛してくれてる、それだけわかっていれば。
 言葉や外面だけの男はもうたくさん。

「ママ……今日はお祝いって……」

「そうよ。言ったでしょ、家族になる前祝いって」

 意味ありげな視線で彼を見る。英輔さん、ごほんて咳払いして。

「先日、君のママにプロポーズしてね、OKをもらったんだよ。君はもう一人ぼっちじゃないんだ。僕たち、きっといい家族になれるよ」

 舞が、戸惑ったみたいな微妙な顔つきでわたしを見る。料理が運ばれ始めても、ずっとその顔は晴れることはなかった。
 そりゃ、気持ちはわかるわよ。10年ぶりに母娘2人の生活を始めたのがつい先週、それからすぐに家族が増えるなんて、びっくりしちゃうわよね?

「地下街で道に迷った時に、君のお母さんのお店で助けてもらってね」

 スープをすすりながら、英輔さんがなれそめを話し始める。

「その後、君のママがうちの店に買い物に来て、びっくりしたなあ」

「運命感じちゃったのよね~」

 出会ってすぐに確信した。この人ならわたしを裏切らないって。
 ちょっと気が弱くて押しが弱いところがあるけど、優しすぎるくらい優しい人。でも、だからこそ。とわたしはこっそり微笑んだ。
 だからこそ、舞が切り札になったんだわ。
 案の定、施設に預けた娘がいるって言ったら、一気に親身になってくれたし。一人で育てるのが不安だって泣きついたら、ほら、もうプロポーズよ!
 引き取って一緒に暮らそうって言われた時はちょっと悩んだけど。まあ、舞が独り立ちするまで、少しの辛抱だと思えば……。
 2人で行ったデートの話、最近できたおいしいお店の話……もっぱらわたしや英輔さんが話して。
 デザートまで食べ終えるまでに舞が話した言葉って言えば「別に」と「いいえ」くらい。
むっつり黙り込んで、もくもくとフォークで料理をつついてる。何よこの子、小学生じゃないんだから、もう少し愛想よくしてよぉ。
ハラハラしながら見守るわたし。

 それにしても……なんだか英輔さん、舞の方ばっかり見てるような気がする。さっきからちっともわたしと目が合わない。……あ、また見た。顔、近づけすぎじゃない? 視線、なんだか胸元にいってるような……? 舞のワンピース、やっぱり胸元あきすぎだったかも。
 わたしが気にしすぎなの?
 お店を出る頃には、何を食べたかまったく覚えていないほど、ぐったり疲れてた。



「ねえもう少し愛想よくしてくれてもいいじゃないの。ママの大切な人なんだから」

 京王線で芦花公園まで帰ってマンションのドアを開けるなり、舞を責めちゃった。ちょっと声、とげとげしすぎるかしら。でも、英輔さん、かなり気を悪くしてた。だって最後の方、しゃべってたのはほとんどわたし一人じゃない。
 このマンションだって、結婚したら彼の持家に引っ越せるって思ってるから、今は2人になって手狭でも我慢してるんだから。関係が悪くなったらどうしてくれるのよ。
 も、もちろん、子ども一人にどうこうされるような仲じゃないのはわかってるけど!
 イライラってタバコに火をつけるけど、そういう時に限ってなかなかつかない。
 もう!
 わたしはカチカチライターを鳴らした。

「ねえママ」

「何よ?」

「……この前ママのこと迎えに来た人は? 隆って呼んでた人」

 舞の言葉に、ギクって手が止まっちゃった。やだ、結構しっかり見てるんじゃない。

「あ……あの人はオトモダチ。男友達。英輔さんは彼氏。舞だって17なんだからそれくらいわかるでしょ」

 ようやく立ち上ったタバコの煙に隠れて、ちらっと舞を見た。

「余計なこと言わないでよ?」

「……わかった」



 ふぅううう……。

 大きく息を吐いて、ドレッサーの前に腰を下ろす。ようやく一人きりになれた……。
 薄い壁一枚隔てた向こうから、バラエティ番組の声が響いてる。
 舞の笑い声は聞こえない。何を考えてるの……? 英輔さんとわたしのこと? 隆のこと?
 ああもう! 嫌だ嫌だ! これじゃなんだか監視されてるみたいじゃない。これからずっとこういうのが続くってわけ?
 鏡の中から、すっぴんのわたしが見つめ返してる。肌の弾力もキメも、アラフォーには見えないと思う。でも……ひどい疲れのせいか、目の下のクマが目立ってる。
 うんざりしながら美容液をたっぷり塗り込む。たっぷり。丁寧に。
 もっと白く、もっと美しくなるために。

――あの女には負けられない……。

 昨日ネットで見かけた5万円の美白パック、やっぱり買わなくちゃ。

「ねえママ」

 ガチャってドアがいきなり開いて、わたしは椅子の上で10センチくらい飛び跳ねた。

「ちょっと! ノックくらいしてよ!」

「ご、ごめんなさい」

 視線をそらしたまま、「何?」と言葉を投げる。

「あの……さ、学校、ここから通っていいんでしょ?」

「もちろん、当たり前でしょ」

「電車代……どうしたらいい?」

「……」

 小さく舌打ちしちゃった。
 そうよ。家族が増えるってことは、その分お金がかかるってこと。わかってたことじゃないの。わたしはイライラを押し殺しながら、財布から1万円札を2枚取り出した。

「定期買ってきて。おつりは返してよ」

「うん、ありがと!」

 昼間の昂揚感はすでになくて、体全体がだるい。今夜はまだ、明日提出の来シーズンの企画書を仕上げなきゃいけないっていうのに。こんな最悪の気分じゃ、とても終わりそうにないじゃない。

「……仕方ないか」

 わたしは立ち上がって、クローゼットを開けた。



「いらっしゃいませー冬の最終セールやってまーす!」

 新宿駅の東側、地下に広がるサブナード商店街。服や靴、アクセサリーのショップが寄せ鍋みたいにギュッて並んだ地下街の一角に、わたしの働くお店がある。「Sylvie」とロゴが入ったコスメショップがそれ。

「シルヴィの新アイテム、入ってまーす。いかがですかー!」

 行きかう人に声をかけながら、ショーケースをピカピカに磨く。保湿系は今季の主力アイテムだから、店頭に目立つように配置。
もう少し前に出した方がいいかしら? うん、そうね、バランス的にもそっちの方がよさそう。

「店長、朝イチからめっちゃ元気ですねー」

 バイトの志保ちゃんが眠そうな顔で言う。

「ちょっと志保ちゃん、そんな顔しないで。わたしたちBAも商品の一部なのよ?」

「はーい了解でーす」

 わたしは肩をすくめて、スプリングフェア用のポップづくりにとりかかった。
 親しみやすいように、手書きはマスト。でもシンプルエレガンスっていうブランドコンセプトが壊れないように、字体に気を付けること。

「あのぅ、美容液がほしいんですけど」

 OLらしい女子が顔をのぞかせる。Tゾーンがテッカテカ、それに……うまく隠してるけど、顎にニキビ跡。朝から幸先いいわ。

「いらっしゃいませ! ちょうど今朝入ったばかりの新商品があるんですよ」

 新しいアイテム、3つくらい買わせなきゃ。


 結局午前中だけで新商品10個売りあげ。
 この分なら、今月の目標も軽く突破できそう。
 お昼過ぎ、ウキウキした気分で、わたしは英輔さんと待ち合わせた西新宿のイタリアンへ向かった。
 ドレスや式場のこと、打ち合わせなきゃいけないことはまだまだあって、わたし張り切ってパンフレットの束を用意してた。
 でも……浮き立った気分は長続きしなかった。だって彼ったら、舞のことばっかり聞くんだもの。
 学校での様子? そんなこと聞かれたって、わかるわけないじゃない。わたしだってこの前10年ぶりに会ったばっかりなんだし。
 彼氏はいるのかって? なんでそんなこと聞くわけ!? ……やだ、何だかわたし、嫉妬してるみたい。娘に? バカバカしい! 何考えてるのよ。

「ね、夕食は代々木にいかない? おいしいベトナム料理の店ができたってバイトの子が教えてくれたの」

 英輔さんの腕にギュッてしがみついておねだりする。もちろんその後はホテルへ直行よ。エッチしちゃえば、こんなモヤモヤも飛んで行っちゃうわ。って思ったのに……

「子どもに一人で食事させるのはよくないよ」

 は……何、それ。
 ポカンて、思わず変顔しちゃったわよ。


 結局、お店が終わるとデパ地下でお寿司を買って。わたしは芦花公園に戻った。後ろから英輔さんがついてくる。
 まったく、なんでこんなことになっちゃったのよ。計画狂いっぱなしじゃない。
 怒りを抑えてドアを開けると……ぷうんてきつい香りが漂ってきた。これ、やだ、にんにく!?

「おかえりママ!」

 ギンガムチェックのエプロン姿で飛び出してきた舞は、英輔さんを見るなり「あ」て黙り込んだ。

「ちょっと舞、この匂い何? 何やったのよ」

「……鶏肉ときのこのガーリック炒め。りんご園で……みんなおいしいって褒めてくれたから」

 りんご園? ああ、あの養護施設のことね。舞ったら英輔さんの前でその名前出さないでよ……。
 ハラハラするわたしに気づかず、英輔さん、舞の方に体を乗り出した。

「りんご園て、舞ちゃんが育った施設だよね。舞ちゃん、そこで料理してたの?」

「あの……当番制でやることになってて」

 そんなこと言わなくていいの!
 わたしはその時出せる最高の猫なで声で、「にんにくはダメ。臭くっちゃうでしょ」って注意した。

「でもちゃんと歯磨けば……」

「ダメ! 体から匂うんだから」

「いいよいいよ、僕が食べる。にんにく大好きだから。いいかな?」

 ちょっと! 英輔さん何言って……

「あ……どうぞ。多めに作ったから」

「舞ちゃんて家庭的なんだねえ」

 なんでこんなとこで点数稼いでるのよこの子。まるでわたしが女子力ゼロって言ってるみたいじゃない?
 舞を見る目がどんどんキツくなって、怒りといらだちがミックスされた泥みたいなものが、胸の中に渦巻いて……
 ああ……なんだか覚えがある、この感じ。
 昔、同じような気持ちになったことがある……。

――レナちゃんて、家庭的でいいよなあ。もろタイプだよ~。

 レナ! 白くてすました、あの顔……。
 何度引き裂いてやりたいと思ったことか……。

「ママ、どうかしたの?」

 舞の大きな目がわたしを見上げてる。
 そうよ、違う違う! ここにいるのは舞よ。あの女じゃない!
 わたしはブンブン頭をふった。

「ママもたくさん食べてね」

 ……ほんとに子どもってめんどくさいわ。



 何度も何度も熱いシャワーを浴びて、ボディシャンプーを猛烈な勢いで泡立てて、体中を泡だらけにしながらこすって。
 まったく、明日もお店があるっていうのに、にんにくの匂いがとれなくなったらどうしてくれるの!
 わたしは赤くなるほど肌を磨き上げた。
だいたい英輔さんたら、あんなに料理べた褒めすることないじゃない。わたしだってあのくらい作れるわよ。
 食事が済んだら、キスもしないで帰っちゃうし。今までなら、彼の方からベタベタしてきて、うっとうしかったくらいなのに! 
 ……そういえば。
 わたしは泡だらけの手を止めて、鏡を見つめた。
 英輔さん、昨日から一度もわたしに触れてない。それどころか、さっき表まで送った時腕を組もうとしたら、確かにわたしの手、振り払った……?



 モヤモヤは夜遅くまで消えなくて。
 我慢できなくなって立ち上がり、わたしはクローゼットに手を伸ばした。その時。
 ミャア……ミャア……
 ん、猫の鳴き声……?

「……隆っ!」

 彼だけに設定したメールの音だって思い出して、一気に気分が上向いた。時計を見ると、ギリギリ終電に間に合いそう。これから会いに行ってもいいかも!
 歌舞伎町からなら、朝そのまま出社すればいいわけだし。
 いそいそとメールを開いたわたしは……でも、あっという間に肩を落とした。

「何よそれ……」

 そこに書かれてたのは、「しばらく店に来ないでほしい。会えない」っていう文字だけのメール。店に行っちゃダメ? それって、それって、つまり……どういうこと?
 わたしは絶望的な気持ちで、きっちり閉じられたクローゼットを見つめた。



「ちょっと志保ちゃん! ここ数字が間違ってるじゃないの!」

「す、すみません」

「ケイちゃん、何度同じ間違いしてるの! 新人じゃないんだからしっかりしてちょうだい! それに何? 床こんなに埃まみれじゃない! ちゃんと掃除したの!?」

 腹が立ってたまらなくて、バインダーで棚をバンバン叩いちゃった。
 ケイちゃんたら、何モタモタ商品並べてるのよ。さっさと床ふいてよ! 床が先でしょ床ぁ!? わたしはもう待ってられなくて、モップを持ってきて、自分でゴシゴシ床をこすりだした。

――あれから1週間。

 英輔さんは、まるでもう家族の一員みたいな顔をして、毎日のようにうちで舞の手料理を食べていく。最初は人見知りしてた舞も、今じゃ「英輔おじさん」なんて呼んで、すっかり懐いちゃって。
 車で来てるからお酒は飲まないし、舞がいるからエッチもなし。
 ズブズブ、ズブズブ……まるで底なし沼に足を引っ張られているみたいな不快感は、日増しにひどくなっていった。
 ……もしかして、まさか英輔さん、舞が目当てなんじゃ……? 舞を見る時の目、わたしを見る時と違う。なんだかずっと優しいような。

 やややあだ! そんなことあるわけないじゃない! あんな子どもに……。

 でも、英輔さん、実はそういう趣味だったりとか……?
 わたしは際限なく広がりそうになる妄想を何度も何度も打ち消した。
 それにしても。
 あの子、料理を褒められるもんだから、最近はすっかり主婦きどりなのよね。
 今朝だって朝ごはんは食べない主義のわたしに、説教なんかして。「朝ごはんは一日の基本なんだから」って、教科書みたいな台詞言うの。まるで天使の皮をかぶった偽善者……そう、あの女……レナに似てる。

――サラダしか食べてないじゃない。ダメよ早苗、もっと食べて。

 ああいやだ! なんだかレナと暮らしてるみたいじゃない。子どもなんて引き取るんじゃなかった……。
 今朝はそんなことぼんやり考えてたから、シャワーを浴びる時間がなくなって、慌てて飛び出してきたから、無難なピンクのニットとジーンズってカジュアルスタイルしかできなくて。ヘアスタイルだって決まらないし。おまけに志保ちゃんもケイちゃんもポカばっかり。みんなどうかしちゃったんじゃないの?
 怒りに任せて、力いっぱいガンガン磨き上げちゃった。おかげで床は顔が映るくらいピッカピカ!
 よし、がんばったじゃない? みんなこれくらいやってほしいわよね。

「化粧濃すぎでしょー。似合うと思ってんのかな」

 ふいに聞こえた声……わたしは店内を見まわした。

「地黒だから、厚塗りしないと薄い春色なんて似合わないのよー」

「年齢考えろってのよねえ。今日の私服見た? ピンクだってー」

 レジの方をのぞくと、志保ちゃんとケイちゃんの視線がパッと離れた。
 まさか、わたしの悪口!?

「おしゃべりしてないで、さっさと動いて!」

 口から飛び出した声は、悲鳴みたいにとがって聞こえた。



 ちょっと……張り切って仕事しすぎたかもしれない。
 体をひきずるようにして、わたしは新宿駅に向かった。人の波っていうより壁が押し寄せてくる地下道は、天井が低いせいか圧迫感があって。気分はもう最悪。
 今夜は久しぶりに、英輔さんと2人で食事する約束なんだから、楽しまなくちゃいけない。いけないのに……。
 ふうぅう、って、壁にもたれて眩暈をこらえていた時だった。
 着信音が鳴る。英輔さんだ。
 気分の悪さがでないように気を付けながら「もしもし」って応える。

『やあ早苗さん。今夜なんだけど……ごめん、バイトの子が病欠でね、人が足りなくて。行けなくなっちゃったんだ』

 申し訳ないけど、一瞬これで休めるってホッとしちゃった。

「いいのいいの。わたしもまだ仕事残ってるから。どうしようかなって思ってたところだから」

『そう? それならよかった』

「でも、この埋め合わせは絶対してね?」

『もちろん、わかってるよ』

 よかった、優しいいつもの声……。やっぱり英輔さんは変わってない。わたしの考えすぎなのよ。
 その時、わたしの耳に浮かれたような口調が飛び込んできた。

『そういえば舞ちゃんてさ、今バイトしてないんだろ?』

「え……ええ」

『よかったらうちの店で働いてもらえないかなあ。放課後とか週末に少しだけでもいいから。君もその方が安心だろ?』

 ……え? 何それ。
 一時停止ボタンが押されたみたいに、動きが止まる。思考回路が、止まる。

「……必要なのは舞ってこと?」

『え?』

「やっぱり舞が目当てだったの!?」

『いや、何言って……』

 それ以上聞いてられなくて、通話を切る。
顔をあげると、地下道を歩く人たちの目がわたしを見てた。おもしろがるみたいな、無遠慮な、いくつもの視線。

「あいつ、男に捨てられたんだぜ」

「わあミジメ~」

「だってあの顔じゃ、そりゃ無理でしょ~」

 ヒソヒソ、ざわざわ……言いたい放題のささやき。でも丸聞こえなのよ!

「こっち見ないでよ!!!」

 地下街に響き渡る大声で思いっきり叫んで、わたしは走り出した。



 ゼイゼイ……って、苦しい息を整える。
 体は重くてだるくて、今すぐ床に倒れこみたかったけど、わたしはこの怒りをなんとか静めたくて、デパートに飛びこんだ。
 なんでもいい……なんでも。
 ブルガリのショーケース。まぶしいライトに包まれた香水が目につく。

「それください」

 こういう時は衝動買いに限るわ。
 わたしは店員にクレジットカードを差し出した。
 でも……返ってきたのは、申し訳なさそうな店員の顔と、わたしのカード……?

「お客様……こちらのカード、お使いになれないようなんですが……」

 ええっ!? 限度額もういっちゃったってこと!? そんなはずは……といいかけて、思い出した。
 舞の学費を払うために、全部カード払いにしてたんだっけ。
 買い物も自由にできないなんて! 
 わたしは舌打ちして、無言で店を出た。
 タバコで気持ちを紛らわせようとしたけど、まるで段ボールを噛んでるみたいに、味がない。
 やっぱり舞には学校やめてもらわなくちゃ。どうせ女の子なんて、すぐに結婚するし、勉強なんて何の役にもたちゃしないんだから。
顔と体磨いておけば、その方がよっぽど将来のためになるってもんでしょ。
 まったくもう、舞と暮らすようになってから、なにもかもうまくいかないことばかりじゃないの。
 ああ、気持ち悪い……体が重くて動かない。
 わたしは、足早に歩く人の中に埋もれながら、一歩一歩、這うようにして駅の改札口へ向かった。



 かちゃ……

 クローゼットを開けると、暗がりに細く光が差し込んだ。
 カタカタ……手の震えは……きっと寒さのせいね。
 奥にしまい込んだ箱を開けて、ビニール袋の底にたまった白い粉を見つめた。
 これを使ってしまったら、もうない。でも、でも、きっとなんとかなる。なんとかするわ。
 ごくって喉がなる……。足がガクガクって震えて立っていられなくて、床に座り込んだ。もう、もう限界なのよ。だから……ね、いいでしょう?
 アルミホイルの上に粉をあけて、ライターで下から熱を近づける。
 すぐジリジリ……て、かすかな音とともに粉が溶けていって。あぁ……なんだか、ダイヤモンドが溶けてるみたい。

 なんて、なんてきれいなの……!

 うっとり見とれてしまって、わたしは慌ててストローでその空気を吸い込んだ。
 吸って、吸って、息が続く限り。いっぱい吸い込んで……。

 ああ、ああ……な~んていい気持ち!

 すううっと、荒れ狂う嵐の海みたいな気持ちがおさまって、そのかわり、笑い出したいくらいウキウキした昂揚感が突き上げてくる。視界がクリアになっていく。
 わたしは久しぶりにまともに呼吸をしたような気持ちで、まるで酔っぱらった時のような、幸せな気持ちに浸った。
 ああ、やっぱり生きてるって素晴らしいわ。生きててよかった! こんな幸せが味わえるなんて!
 カタン……
 小さな物音が聞こえたような気がして振り向いた。

 でも……ドアはきっちり閉まってるし……。気のせい、よね?
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