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聖家族 作者:門戸明子
19/32

小坂菜穂の話(下)


 ガチャン!

 派手な音がして、ガラスが飛び散った。
 うるさかった店内が一瞬静まり返る。あたしは「す、すみません!」って焦りまくって破片を拾い始めた。

「っ……」

 ざっくり指が切れて、赤い血があふれだす。
 ポタ、ポタ……て。
 うわ、サイッテー……かっこわるすぎ。

「菜穂大丈夫!?」

 杏奈が布巾を指に巻いてくれて、「ここはやっとくから」って裏に出してくれた。


 何やってんだ……あたしは。
 裏口の脇に積み上げられた段ボールにもたれて、あたしは慣れない左手でぷかぷかタバコを吸った。
 血はようやく止まって、赤く染まった布巾をあたしは握りしめてた。それは、ソファの下で見つけたあのタオルにすんげー似てて……なんだか気味が悪い。
 マジで何かあったのかな、オヤジ。

「菜穂どう? 血止まった?」

 裏口から杏奈が顔をのぞかせた。

「ごめん、もう大丈夫だから」

 手を振って見せると、ほっとした顔の杏奈がそばに寄ってきた。

「よかったあ。今日ずっと菜穂なんか変だからさ、ちょっと心配してたんだあ」

 そして、「何かあったの?」って真顔で聞いてくる。
 恋バナなら……きっと「そうなんだー聞いて聞いて」って簡単に話せるのに。家族の話題って、どうしてこんなに口が重くなっちゃうんだろ。

「ううん、別に。大丈夫大丈夫」

「そう? 何かあったら何でも話してね」

 そういって笑った杏奈は、「実はね」って小声になる。

「まだ内緒なんだけど、菜穂にだけ教えるね」

「何なに? 男できた?」

「もお! 違うよお~そうじゃなくて! あのね……先週オーディション受けた役が一コ決まったの!」

「え、マジで!?」

「メインじゃないんだけど、結構セリフも多いキーパーソン的な役で、これがうまくいったら、来シーズン同じプロデューサーが担当するアニメで使ってもらえそうなの」

「へえ、すごいじゃん」

「ありがと! なんか、やっぱりあきらめずに頑張ってると、いいことあるよね!」

 杏奈のはしゃいだ声が、耳の奥にわんわん響く。

 よかったね、おめでとう。その一言は、どうしても、言えなかった。

 ひきつった笑いをキープするのが精いっぱいで。
 神様から愛された人間だけが手にできる、才能っていう切符。あたしがのどから手が出るほどほしかったのに、ついに手に入れられなかったもの、それを杏奈は……。
 ほんと神様、あんたガチで性格悪いよ。
 結局あたしは一人ぼっちか。
 タバコの煙が、ひょろんて冷たい空にのぼっていった。



「あのう、仁科明美の病室はどこですか」

 東新宿駅からすぐ、秀英医科大学付属医療センターってとこに、あたしは来ていた。
 トロイじいさんばあさんにイライラしながら押しのけるみたいにして受付で聞く。うさんくさそうな顔したおばさんがあたしをジロッてみたけど、結局「研究棟へ行ってください」って教えてくれた。
 教えてもらった裏口から出て、研究棟って建物に入っていく。
 なんかボロくてきったねーな。こんなとこで研究なんてできんの? とか思ったけど。ま、あたしがするわけじゃないしね。
 脳神経外科治療チームって書かれたプレートを通り過ぎ、教えられた71号室をノックした。
 返事はない。まあ……当たり前か。あたしはおそるおそる、ドアを開けて中に入った。
 その時。

「そこ動くなぁっ!」

 突然後ろからキツい声が飛んで、あたしはいきなりギュウッて羽交い絞めにされた。

「ギャアアア!」

 もがきながら後ろを見ると、あたしとタメくらい? 一人の女子が背中にしがみついてる。
 なんなのこいつ! ちょっとちょっと! 固くあたしの首に回された腕、力がハンパない!! 振り払おうにも、全然びくともしない……!

「犯人は犯行現場に戻る! どんぴしゃ当たりや!」

「はあっ? 何の話!?」

「観念しろや! ここで会ったが花いちもんめや!」

「はぁっ!?」

 とにかく痛い! 痛いんだけど!

「お見舞いに来ちゃいけないわけ!?」

 叫ぶと、筋肉女子が「へ?」て動きを止めた。ゆるゆるって力が抜けていく。
 バッてあたしはそいつを突き飛ばして、「何なんだよ一体!」って喉から声を絞り出した。

「あの……えーと、アタシはこういうもんやけど」

 て、ポケットから手帳を取り出した。それは昨日同じようなものを見たばっかで……

「警察!?」

「新宿署交通課の野沢みのりっちゅうもんやけど、あんたは?」

 マスカラもアイライナーも必要ないくらい、十分大きな目が、こっちをジッて見てる。

「小坂菜穂。……この人の、娘」

 ベッドに眠るお母さんを指す。
 途端に、「はあ?」ってそいつ、あごがはずれるんじゃないかってくらい、ガックンて口を開けた。ギャグマンガか、おい。

「ちょ、ちょっと待ってぇな! だって、明美さんの子どもって、あの火事で……」

 ああ、純のことか。

「あたしは、仁科明美と前のダンナとの娘。純は父親違いの弟」



「ごめんなあ、ほんっまごめん!」

 病院内のカフェで、みのりはあたしにパフェをおごってくれた。

「この前明美さん狙われたばっかやって、あたしポカやらかしてん。でな、ちょっとバーナスになっててな」

 ……は?

「どんなナスやねん。それを言うならナーバス。ほんまごめんなあ」

 なんか……こいつの変な関西弁聞いてると、すんげー調子狂うんだけど。

「ねえ、お母さん狙われたってどういうこと?」

「うん、夜中になあ、黒づくめの奴が来て、首絞めてたんや。間一髪、無事やったんやけど、あれは殺意あったと思うで」

 お母さんが……殺されそうに?

「アタシの推理やけど、8年前の事件、真犯人が近くにいてんのとちゃうかな。で、明美さんに証言されたら困るから、始末しようと……」

 8年前の事件……仁科と純が殺されて、お母さんが植物状態になった、あの事件……。

「あたしな、決めたんや。絶対、あの日何があったか真相を突き止めたるって!」

 あの日の、真相?
 考えてたら、だんだん顔がこわばるのがわかった。

 もしかして……もしかして、だけど、さ。オヤジ、何か知ってんじゃない? いや、それよりもしかして……オヤジが……真犯人、とか? 仁科を殺して……?
 違う! それはない、絶対、ない!
 離婚届にもあんなにすんなりハンコ押した、めっちゃあきらめいい負け犬だよあいつは。人なんて、殺せるわけないじゃんか!
 でもあたしの頭から、なかなかモヤモヤは消えてくれなかった。



 バイト終わりに将人と待ち合わせたあたしは、久しぶりに自分からラブホに誘った。
 適当に部屋を選んで入って、ドアを閉める間も惜しんで、将人のスーツを脱がせる。内側にたまってたキツイフローラル系の香りがむわって広がった。女の香りだ。
 いつもは嫌だけど、今日だけは許す。
 シャツをズボンから引っ張り出して、もつれる指にイライラしながらボタンをはずした。

「菜穂? お前どした? 酔ってんのか?」

「うっせーな! 早く抱けよっ」

 うめくように言って裸の胸にしがみついたあたしを、将人は不思議そうに見下ろしたけど。
 それでもあたしの顔を両手で包んで、何度もディープなキスをくれて。そのままあたしたちは、硬くて冷たい床の上で転がるように夢中でセックスした。
 あたしはもっともっとって将人にせがんで、ドロドロに熱い時間に溺れた。
 何も考えたくなかった。もう、なんかめんどくさい……何もかも。
 ベッドに場所を移して、それからもう1回イッて……あたしはようやく、嘘っぽい星座が描かれた天井をじっくり眺めた。

「あのさ将人」

「……ん?」

「もし、もしもだけどさぁ……家族が人殺したら、どうする?」

 返ってきたのは、気持ちよさそうないびきだった。



昼近くなって大森まで帰ったあたしは、玄関あけた瞬間、ああ、オヤジ帰ってない。ってわかった。冷めた空気がバリアみたいに部屋ん中、覆ってたから。
 思わず「はあっ」てため息つきながらのそのそってブーツのファスナーを下ろした。

 リリリリ……小さく音が聞こえる。

 空耳……? 違う、電話鳴ってんじゃん!
 家電なんて何か月も使ってないけど、これは確かに間違いない!
 あたしはパンパンにむくんでなかなか脱げないブーツを片足に引っかけたまま、ぴょんぴょん跳ねて食器棚までたどり着くと、受話器に飛びついた。

「はい、はいっ!」

「東京信託銀行新宿支店営業部の佐々木と申します。小坂丈太郎さんはいらっしゃいますか?」

 ハァ銀行?

「……いないけど」

 もう今度は一体なんなんだよ? 銀行強盗でもやったわけ?

「そうですか……お戻りはいつになりますか?」

「さぁ……なんか用ですか」

「いえ、ご本人以外の方にはお話しできませんので、また改めさせていただきます」

 一方的に切れた電話を、あたしはじいって見つめた。
 何なの、これ。



 猛烈に家の中に一人でいたくなくて、あたしは外に飛び出した。将人をはじめ、片っ端から友達にラインしたけど、みんなバイトなのか寝てるのか、こんな時に限って反応ゼロ。
 ったくどいつもこいつも使えねーな。
 仕方なくあたしは近所の公園でブランコに腰かけて、缶ビール片手にタバコをすんげー勢いで連続して吸った。
 吸いガラ地面に落とすたび、子ども連れのお上品なママたちが「まあ」って吊り上がった目で見たけど、知ったこっちゃない。
 あんたたちみたいなお気楽主婦と違って、こっちは毎日大変なんだよ。って、ガン見してやる。そしたら10分後、公園には子ども1人もいなくなった。

 ふん。勝った。ざまあみろ。

 あたしはビールをごくごくって飲みほした。

 考えろ。考えろ、あたし。

 なんか……絶対何かが起こってる。オヤジがらみで。
 だいたい、なんで全然連絡よこさねえんだよ。もしかして……できないとか? 事件に巻き込まれた、とか? あたしはジワジワ大きくなるばかりの不安を抱えて、情けないけど途方にくれてた。
 あんなデブくてウザくてキモイオヤジ、どこでのたれ死のうが、人殺そうが関係ない。
 そう……関係ない。ないのに……。
 ほんと、家族ってめんどくさい。あたしはグシャッて缶をつぶして立ち上がった。



ケーサツなんて、来たことないしなー……どうしよ、って入口から新宿署をのぞいてるあたし、かなり挙動不審っぽいよなあ。
 案の定、「何か用なのかい?」って、赤ら顔の太ったデカに呼び止められた。
 うわー腹でっけー! 犯人追いかけられんの? うちのオヤジといい勝負だなこりゃ。

「あの……ええと、なんだっけ、確か交通課だったと思うけど、野沢みのりって人」

「野沢の知り合い?」

「あの……まあ、はい」

「そうか、確かさっき見かけたな」

 そういうと、携帯でどこかへ電話をかけた。

「お、野沢か、今署の前にお前の友達が来てるぞ」

 うそ、マジ? このデカ、みのりのこと呼んでくれんだ。いい奴じゃん。
 びっくりしてると、すぐにこっちまで聞こえるほどでっかい声で「友達!?」って携帯の向こうから聞こえてきて……

「あ、菜穂ちんやーん!」

 中から、バタバタみのりが駆け出てきた。

「何何、遊びに来てくれたん!?」

 誰が警察遊びに来るかい! って叫びたかったけど、まぁやめとく。
 あたしは赤ら顔のデカに「どうも」ってぼそぼそお礼を言った。

「警察ん中なんて、できれば入りたくないもんなあ」

 ゲラゲラ笑いながら、そのデカ、署の中に消えていった。

「石原さーんおおきにー!」

 ってみのりが手を振ってる。
 ん……? 今、石原って言った?

「ねえ、今のって石原?」

「そやよ、刑事課の石原さん」

 あたしはふと考え込んだ。

「あいつのほかに、石原ってデカ、いるっしょ?」

「うちの署に? えーおらんのとちゃう? ちょっと待ってえな」

 ってポケットから携帯を取り出して、ラインを開く。そしてすぐに顔をあげると首をふった。

「おらへんよ。長谷川桃子っつー、この署内どころか都内全域の警察官データ(男子に限る)を網羅しとる女子の情報やから、間違いなし」

 あたしは、顔から血の気が引くのを感じた。 
 じゃあ、昨日うちにきたデカって……誰!?



「うんうん、そっかわかった、おおきにー」

 みのりが携帯を切って、あたしを見た。

「調べてもらったんやけどね、確かに新宿駅で転落事故は起きとる。でも当の被害者が、自分で足滑らせたんだって被害届出さんくて、事故ってことで処理されとった」

「つまり……?」

「刑事が菜穂ちんの家訪ねてくる理由なんて、ないってことや」

 あたしとみのりは、東京信託銀行新宿支店の応接室にいた。
 道々、今まで起きたことを全部話して。そしたらみのりが新宿駅でのことを調べてくれたってわけ。

「こりゃ確かに絶対おかしいで。一体誰が何のために……」

 ガチャ。
 ドアが開いて、ぴしいってスーツ着て七三分けにした男が入ってきた。

「支店長の鴨沢と申します」

 名刺をもらって、あたしたちは頭を下げた。

「お忙しいとこすんません、新宿署の野沢みのりです。電話でもお話しましたけど、この子の父親行方不明になってまして、捜査願出てるんですわ」

 おいおい、ちょ、ちょっと! そんなもんだしてねーし。

「おたくの銀行の佐々木さんて方から、今朝この子の家に電話があったと思うんですけど、その内容が知りたいんですー。人の命がかかってますからねえ、すみやかにご協力いただけないと、これ、事件になった場合、共犯容疑とか、まあいろいろ面倒なことになるんですわー」

 そんなもん、絶対ねぇだろ……。
 あきれて隣を見たけど、みのり平然としてる。こいつ、すんげー図太い神経してるわ。
 かわいそーに、支店長ビビりまくった顔でうなずいた。

「もちろん当行としましても、犯罪に加担するなどということはあってはならないことですので、捜査ということでしたら、もちろん協力させていただきます」

 うわ、さすが警察力。ハンパないな。

「お知りになりたいのは、小坂丈太郎氏についてということでよろしいでしょうか?」

「はいはい、そうですー」

「実は小坂氏から、先月特定寄附信託のご依頼をお受けいたしまして」

「特定寄附信託……?」

「元本と、さらに信託期間中の収益金のすべてを、特定の団体に継続的に寄附できるという信託商品です」

「はあ……」

 つまり、オヤジはどっかに寄附をしてたってこと?

「当行では、こちらの商品をお申込みいただいた方には、寄附した団体の活動内容をご報告させていただいております。今朝がたうちの銀行員がご連絡いたしましたのも、そのご報告の方法について、確認をとらせていただきたかったからなんです」

 支店長は1枚の紙をあたしたちの前にぺらんて置いた。

「こちらがご依頼内容になります。寄付金の額は……」

 あたし、目をゴシゴシこすって、そこに書かれた数字をガン見した。でも……間違いない。

「ご、ごせんまんっ!?」

 あのバカオヤジ、そんな大金、他人にくれてやる余裕なんてどこにあんだよ! バカじゃねえの!? 救いようのないバカだよ! ほんっとにくそブタ……

「寄付先はこちらになります」

 その言葉に「あぁっ?」ってイライラしながらもう一度紙を見下ろしたあたしは、そこにあった思いがけない名前に、ぽかんて口を開いた。


 秀英医科大学付属医療センター、脳神経外科研究チーム――


 確かにそう書かれてた。



「菜穂ちんのおとん、明美さんは絶対治るって、信じてあきらめとらんかったんやね。うわああ愛やねえ」

 銀行から出て、新宿駅に向かって歩きながら、みのりがうっとりつぶやいた。
 吹き付ける風は頬がピリピリするほど冷たかったけど、なぜかあたし、全然気にならなかった。

「……離婚届にはすんなりハンコ押したくせに……」

「気持ちは、そう簡単に変えられへんかったってことちゃう?」

 その言葉に、あたしは素直に頷いてた。
 あきらめたんだとばっかり思ってた。
 不倫の果てにかっさらわれて、それであっさりオッケーしちゃうなんて。めちゃくちゃかっこ悪い負け犬じゃん……て。

 駅の西口前の広い歩道、ギターを肩にかけた2人組の男子が弾き語りしてる。あいつらも、プロ目指してがんばってるのかな。
 静かに流れるバラードを聞き流しながら、あたしは1位がとれなかった、あの日のことを思い返してた。

 がんばってがんばって、もう血ぃ吐くんじゃないかってくらい一生懸命練習して、自分の全部を賭けて臨んだ大会だった。
 優勝して、バレエ留学して、プロへの道を開くんだ。そう信じてた。そして実際、自分でも最高の踊りができた。そう思った。でも、結果は2位で……。

 ううん違う、結果が問題なんじゃない。ショックだったのは、1位の奴の踊りだった。
 全然……違った。あたしとは全然レベルが違って……。流れるように美しく、そして力強く、誰もがそこから目を離せなかった。
 しかも、まだまだこいつ伸びるなっていう予感……ていうより、確信しちゃうような、そんなオーラみたいなものがある踊りで。

 これが天才ってやつなんだって思った。

 あたしとは違う、圧倒的な実力。あたしにはない圧倒的な才能。絶対越えられない壁を、あたしはその時、思い知らされた。
 控室に戻ったあたしは……鏡を見てギョッとしたっけ。
 そう、鏡の中の顔が、あまりにもそっくりだったから。うなだれて離婚届にハンコ押した時の、負け犬の顔に。
 その時思ったんだ。「あきらめなきゃいけない」って。カエルの子はカエル。負け犬の子は負け犬。この道でてっぺん目指すなんて、あたしには一生無理なんだって。

「菜穂ちん、見て見て! きれーやねー」

 みのりの声に顔をあげると、高層ビルの間に夕陽が沈んでいくところだった。

「うん……きれー……」

 でもオヤジ、負け犬じゃなかったのかもしれない。あきらめてなかったのかもしれない。
 ……そしてあたしも、ほんとはきっと、あきらめたくなかったんだ。続けたかったんだ、バレエ。
 1位になれなくても、勝てなくても、失敗してかっこ悪くても、それでも……好きだから。踊るのが、好きだから。
 たったこれだけのこと気づくのに、なんでこんなに時間かかってんだよ。バカみたいじゃんあたし。

「菜穂ちん? どどどうしたん! 何泣いてるん!」

 みのりがギョギョッてうろたえてる。
 あたし……泣いてる? うっわ……マジ泣いてんじゃん。ふふ、かっこ悪すぎ。

「どどどうしたん! 何笑ってるん!」

「……あのさみのり」

「な、なんや?」

「あたし……絶対オヤジ見つける。見つけて、どなってやる。こんなに心配させて何やってんだバカ野郎って。見てて、あたしの執念深さ、オヤジ譲りだから」

 笑って言うと、みのりもゲラゲラ笑った。

「なるほど、ANAやねえ」

「え?」

「それを言うならDNA。飛行機飛んだらあかんがな」

「ぶっ……何だよそれー」

 バカバカしすぎて、でもなんか、その時は心の底から笑えたんだ。



「確かにこれは血やけど、人間こんな程度の血で死んだりせえへんで。大丈夫」

 みのりがにいって大きな口で笑った。

 その夜、あたしはみのりを大森のマンションに連れてきて、血のついたタオルを見てもらったんだ。

「あんま参考になりそうなもんはないなあ」

 あたしら、オヤジの持ち物を片っ端から調べてたんだけど……。
 あいつが日記つけるとかありえんし、機械音痴でパソコンも持ってなかったし……全然手がかりになりそうなものはなかった。

「どっから金を手に入れたか、そこが問題やね」

「貸してくれそうな知り合いなんて、いないと思うけど」

 バタバタ本棚やら机の引き出しやらをかき回したけど、全然、収穫なし。ゼロ!
 はあって、とりあえずあたしたち、台所でビール飲みながら一休みすることにした。

「でも明美さんもほんま運が悪いっちゅうか、かわいそうな人やなあ。あと30分、友達とゆっくりしとったら、火事に巻き込まれずに済んだかもしれへんのに」

 まぁそうかもねーって返事しようとして、でもあたし、「ん?」って首を傾げた。

「みのり」

「ん?」

「それっておかしいっしょ」

「は?」

「お母さんが家に帰ってきたのは、7時半ごろ。火事が起こったのは9時だから、30分遅くても、結局巻き込まれたことに変わりないってば」

 今度はみのりが奇妙な顔であたしを見た。

「菜穂ちん……明美さんが帰ってきたのは8時半から9時の間やで」

「ええ!? 何それ、そんなはずないって。だってあたし……」

 そこで口をつぐんだ。

「あたし……何なん?」

 みのりがあたしをじっと見る。言おうかどうしようか迷ったけど、まあここまで話しちゃったら仕方ないか。
 あたしは思い切って、今まで誰にもしゃべったことない秘密を打ち明けた。

「見てたから」

「え?」

「お母さんが家に入ってくとこ、見てたから」

「ええっ!?」

 ギョギョッてみのりがあたしの襟をつかむ。

「ちょ……苦しいってば! ビールこぼれる!」

 あんた、マジで力強すぎ! どんなトレーニングしてんのさ!

「ご、ごめん。でも、でもでも! 見てたってどういうことなん!?」

 あたしは咳払いして、話し始めた。

「あの日、1月13日ってさ、お母さんの誕生日だったんだよねー。だからさ、おめでとうって言ってあげよっかなって、あたし、オヤジに内緒で仁科の家に行ってさ、植え込みの間から中をのぞいてたんだ」

「のぞいてた……それで!?」

「そしたら7時すぎに黒い車が門の中入っていって。車からお母さんと純が降りてきて」

 仲よさそうに手をつないで家に入っていった。

「ちょちょちょ……ちょっと待ってえな。それは絶対おかしいで。明美さんは8時過ぎまで赤坂のレストランで女友達と一緒にパーティしとるんや。店の証言もとれとるし、間違いない」

 ……え?

「それ……菜穂ちんが見たのって、絶対に明美さんやったんか?」

 みのりがぐいって身を乗り出してくる。
 そういわれると……あの屋敷、門から玄関まで結構距離があって、森みたいに木が茂ってて、しかも暗かったし……確かじゃないかも。
 でもあのほっそい女のシルエットは……。

「嘘……まさかお母さんじゃ……ない?」

 お母さんだとばかり信じ込んでたから、別におかしいとか変とか、思わなかったけど、もし……そうじゃなかったとしたら。

「あの日、社長と純君以外の人間が、あの家ん中にいたってことや……」

 あたしら、息をのんで顔を見合わせた。

「ちょちょちょ……ちょっと落ち着いてー落ち着いて考えなあかん! 今の話、さっそく裏とって……。あ、アタシなんか風邪ぎみっぽいわー。ハ……ハ……ハック72! よし、こら明日仕事は無理やな。お休み決定や! 課長に連絡しとこ」

 バタバタって携帯を取り出したみのりだけど、すぐに「うわー、電池キレるやんか!」ってうめいた。

「うちの使う?」

「おおきに!」

 そう言って、食器棚に置かれた家電に近づいたみのりは、電話をかけようとして……でも突然。

「あああっ!」

 って叫ぶから、危うくこっちが椅子から落ちそうになっちまった。

「ななな、何っ!?」

「なあなあ、石原っていう刑事、この部屋で一人になったんやろ?」

 あたしは記憶をたどる。そう、あいつが一人になったのは、あたしが携帯で電話をかけてた、あの数分間だけで……。

「そうだけど……」

「目的、これとちゃうかな」

みのりが指す電話機を見下ろす。
 電話……?

「ほら、留守録の再生ボタンのとこ、見て。埃が拭かれた跡があるやろ?」
 のぞきこむと、確かにそこだけ、ぬぐわれたみたいにきれいだったけど……。もしかして、何かメッセージが残ってた、とか? でも一体誰から?
 それからみのりは、かばんの中から手袋取り出してきて(うわ、なんか本物っぽい)、電話を何か触り始めた。
 そして、にんまり笑顔。

「着信履歴まで消す余裕はなかったみたいやね。ほら、一昨日の夜、着信あってんで」

「一昨日?」

 確かに、ディスプレイには一昨日の夜の日時と、知らない都内の電話番号が記録されていた。
 これって……。

「……菜穂ちん、行くで!」



 履歴のナンバーを調べると、そこは東京駅の近くにあるビジネスホテルだった。
 あたしとみのりは、タクシーの運ちゃんを脅して、東京駅までブッ飛ばしてた。

 オヤジ、会ったら絶対ぶん殴る。いや、コロス。

 こんな騒ぎ起こして、みんなに迷惑かけてさ。マジどうしようもないアホ。どんなに謝っても土下座しても、絶対許してやんない。
 だいたいあのハラ周り、禿げ頭、二重あご、どのアニメキャラだよって感じじゃん。
 もし生まれる前に、「あなたの父親はこのチビデブハゲ男になりますが、いいですか?」って神様に聞かれてたら、「絶対嫌です」って答えたのに。聞けよ神様、あたしの意見も! もしかして嫌がらせかよ?

 ……そういやあたし、くじ運最悪だったっけ。

 それからあたし、思いつくかぎりのオヤジの悪口、羊の数数えるみたいに1個1個並べてみたけど……だめだ、なんかテンション全然あがんない。
 賞味期限切れのおにぎり……血の付いたタオル……「借金は返した」ってオヤジの言葉……石原って名乗ったデカ……。
 グルグルグルグル、ここ数日のいろんなことがオールリピートしてる。

――オヤジ……一体何があった? 



 ジリジリしながら夜の街を眺めて、ようやくタクシーは目指すホテルに到着した。そして精算してた時だった。

 ドオオオンン……!

 爆発!? ってくらいでかい音が響いて、あたしらビクッて飛び上がった。

「近いで!」

 タクシーから飛び出したみのりの背中についてく。

「キャアアアアアア!!」

 数十メートル先の方から叫び声が聞こえて、「救急車!」「いや警察だ!」ってざわめいてる。
 何? ちょっと、何よ?
 足がもつれそうになりながら、あたしはとにかく走った。

「なんだよ?」

「落ちたんだ」

「何が?」

「人!」

「飛び降りだって」

「え、自殺?」

 あたしは肺の中で風船が膨らんだんじゃないか、ってくらい呼吸がうまくできなくなってた。
 集まり始めた人を押しのけながら、みんなが見てる、その先を目指して進む。

「う……」

 みのりがピタって足を止めた。
 あたしは背中越しにのぞきこんで……見てしまった。
 硬いコンクリートの上に、男が倒れてた。足も腕も首も、変な方向にねじれて、人形みたいに動かない。

 血が……血だまりが、できてた。どくどくどくどく、水たまりみたいにそれは広がって体を飲み込んで……。

 でも……なんか、あのあふれる血の間にのぞくハゲ頭……短い足……つきでたお腹……あれって……あれって……さ……。

 あたしは足が痙攣したみたいにガクガク震えて……その場に……へたりこんだ。
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