「明日・か……」
冴えない表情で遠藤尚輝はカレンダーに書いた丸印を押した。
そして、一つため息をついて部屋をあとにした。
季節は初春。まだ肌寒い風が尚輝の髪をなびかせる。
尚輝の家から5分とかからない近所の大きな公園の時計台。彼女は腕時計を確認しながらすでにそのすぐ真下で尚輝を待っていた。
「よっ、待たした?」
尚輝は彼女――秋野未歩に近寄った。
「ううん。今きたとこ」
「そっか。じゃあ行くか」
「うん」
尚輝と未歩は幼稚園からずっと一緒の幼なじみ。高校に入ってから関係は恋人どうしに変わっていた。
明日は、別れの日。
高校を卒業して、尚輝は地元の大学に。未歩は東京へ。離れ離れになってしまう。
だから、今日は二人の思い出の最後を飾る大事な日。
まだ肌寒い季節に、いつもは滅多につながない手と手を固く握りあって歩く見慣れた地元の景色。
「今日で当分見れなくなるんだ」
「そうだな。……でもさ見たくなったらいつでも帰ってこいよ」
「うん!」
未歩はいつもとかわらない笑顔を見せた。尚輝にはそれがどこか淋しそうな顔に見えた。
尚輝は握る手の力を強くしゆっくりと歩きながらできるだけ笑いながら、未歩と話した。
そうして着いたいつものラーメン屋。
席に座り、二人で同じ塩ラーメンを食べる。
食べ終えるとまた見慣れた町をただただ歩いていく。
そんないつもと何にも変わらないはずの景色を未歩は大事に一つ残さず目蓋の裏に焼き付けた。
尚輝もまた同じように未歩のいる町の景色を一枚一枚ココロのアルバムにしまっていた。
「……ねぇ」
「うん?」
公園のベンチで小さい子供がはしゃいでいるのを懐かしい目で見ながら未歩は少し笑いながら言った。
「私たちにもあったよね。あんな時期」
「ああ、懐かしいなぁ」
「うん」
「そういえばおまえ、昔は泣き虫だったよな」
未歩はくすっと笑い、尚輝の顔を見つめた。
「泣き虫だったのは尚輝のほうでしょ」
「あれ、そうだっけ?」
「そうだよ。喧嘩してもいつも泣いて謝ってきて」
「ははっ、確かにあったなそんなこと」
「今じゃすっかり可愛くなくなっちゃって」
「うるせ」
少しの沈黙が二人の間に流れた。
「楽しかったよね」
「……ああ、楽しかったな」
「……うん」
二人は手をつないだまましばらく子供たちを眺めていた。
笑い泣きあった日々。
喧嘩し許しあった日々。
近くに未歩がいたから慣れていた当たり前。
それが、今日で思い出となり過去となり、大事なアルバムになる。
そして、明日からまた俺は大人になる。
大事なモノを失うことで欠ける心の穴。 その穴が埋まるとき、きっと自分は成長している。そう、信じている。
だから、今日だけは子供でいよう。
わがままを言おう。
ずっとずっとそばにいたい。
いつまでもこうして二人でいられると思っていた。
そう、思っていた昔の私が可愛い。
そんなはずないのに。
いつかきっと離れること感じていたはずなのに。
心も体も否定していた。
尚輝の隣にいるときの私が1番好き。
1番私らしいから。
私の隣にいるときの尚輝が1番好き。
私しか知らない尚輝がたくさん見られるから。
だから少しでも長くそばにいたい。
二人だけの時間はあっという間。
空は赤く夕陽に焼かれ、町を染める。
「……きれいだね」
「ああ」
「ずっとこの町にいたのにこんな空、初めて見たよ」
「俺も、初めて見た」
遊んでいた子供たちも母親の手に引かれて帰っていく。
二人は夕陽が沈んでもベンチに座り空を眺め続けた。
「また、逢えるよね」
暗く、寒くなっていく。夜が迫り、残された時間が少ないことに気付いた未歩は突然そう言った。
「……逢いにいくよ、絶対に」
暗やみが二人を包む。
体は冷え、いつまでもそこにいたいのに夜は許してはくれず、二人を急かす。
「そろそろ、行くか」
「……うん」
帰りは、静かだった。
未歩の家が近くなっていくにつれ、胸が苦しくなる。
どうか着かないで、時間が止まってほしい。
そんな願いも届かず、未歩の家の前にあっさりと着いてしまった。
「じゃあね」
「……ああ、明日、迎えにくるから」
「うん」
未歩が家の中へ入ろうとした瞬間、尚輝の体は突発的に動いた。
「未歩!!」
気付けば、抱き締めていた。
気付けば、泣いていた。
「もう少しだけ……」
「……今日だけだよ。今日だけは泣いてもいいよ」
そう言った未歩も泣いていて、抱き締める力は強まる。
「……アホ、おまえだって泣いてんじゃねぇか」
「……だって……だって」
落ち着いた頃にはすでに一時間以上すぎていた。
名残惜しさを堪え、くっついていた体を離した。
未歩が家のなかに入るまで見送り、急に寒くなった夜を尚輝は一人帰った。
ぬくもりを逃がさないように足早に。
いつのまにか朝。
眠れない夜を明かし、未歩の家に迎う。
未歩は大きな荷物を抱え玄関の前で尚輝を待っていた。
「おはよ」
未歩はやけに明るい。尚輝もできるかぎり明るく未歩に接した。
「おはよう」
目指す先は小さな小さな近くの駅。
手をつないでゆっくり歩いていった。
駅はあっさり二人をむかえた。
未歩は売ってある切符の中で1番高く、1番遠くへ行く電車の切符を淋しい手つきで買った。
尚輝はためらいもなく、1番安い切符を買った。
駅のホームはガランとしていて、どこか物寂しい。
いっそ電車なんかこなければいい。
そんな二人の思いはかなわず、電車はやってきた。
本当に最後だと気付けばまた抱き締めていた。
離せば逢えなくなる。
力は自然と強くなり、未歩も答えてきた。
「絶対、絶対逢いにきて。私、待ってるから」
「ああ、約束する。かならず逢いに行く」
「約束だよ、絶対だよ」
ベルが鳴り、尚輝は未歩を離した。
涙で濡れた笑顔で手を振りあった。
電車は無常にも二人の距離を離していく。
一人になった尚輝は、世界が広くなった気がした。
そして涙を拭き、ゆっくりとまた歩きだした。
東京の駅は賑わい、人混みで溢れている。
地元から上京してきたばかりの人間には見慣れない人の山を掻き分けるように進み、とあるマンションへ向かう。
手に持った住所だけを頼りに捜し回り、多少迷いながらもどうにか見つけることができた。
インターホンを鳴らす、数秒の間のあと、はいと言う声とともにドアが開かれた。
「よっ、久しぶり」
「あっ、尚輝!!」
4年前と変わらない空の下、変わらない想いで尚輝と未歩は抱き合った。
「約束、守ってやったぜ」
「うん。ありがとう尚輝」
あの日の空は、いつまでも二人を見つめていた。
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