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三題噺
作者:市川かうた
 

 1:みみず、鳥、ランプ





 頼りなげなランプの灯りの中で、私は安楽椅子に腰掛けたままゆっくりとコーヒーを啜った。古ぼけた扉の前で縮こまったまま私を見つめている彼に優しく微笑んでみせる。しかし彼は相変わらず緊張した面持ちで立ち竦んでいる。やれやれ、困ったものだ。私は誰に見せるでもなく一人肩をすくめた。
 古い安楽椅子がぎい、と鳴く。
「お困りのようですな」
 言わずもがな、彼のようなものがこんな所へ来るということはよほど困っているのだろう。
 私の平坦な物言いが堪えたのか、彼は情けないその顔を更に情けなく歪めた。彼の顔は嫌いではないが見ているこちらの胸を波立たせるものがあった。ゆっくりと鼻から息をこぼす。
 コーヒーカップを音も立てずに置いて、私は肘掛を押す。立ち上がった私を見て、彼は扉へ向かって一歩下がった。彼に興味のないふりをした私の目は一瞬揺らめくランプの火へ向かう。灯りが強くなったのかと思えばもう随分と日が落ちていたのだ。
 立ち上がった格好のまま彼に向けていた革靴の先を、紺色へと染まる空を映し出す窓へと向ける。早くしなければいけないな。口には出さずにぼんやりと呟いた。お世辞にも良いとは言えない視力の瞳を、彼へと動かす。
 彼はよほど緊張しているのか(あるいは警戒しているのか)私が見ていなかったときも私のことを真っ直ぐと見ていて、彼にとっては残念なことにそのせいで振り返った私とばっちり目が合ってしまった。可哀想に。彼のような気の弱い、しかも社会的立場も弱いものは他と目を合わせるべきではない。特に私とは。
 案の定、彼は私と目が合った瞬間引きつった息を喉からこぼした。さて、どうしたものか。
 しばしの間思案してから、私はなるべく優しく見えるように目元を緩めた。
「お困りのようですな」
 先刻と同じ言葉を繰り返す。優しく見えるように努めたつもりだったが足りなかったようだ。彼は扉に背をつけて、その扉が上げたか細い悲鳴のような音にさえ驚いてびくりと震えた。
 私は優雅に(と自分では自負している)両手を広げて、悪意がないことを示してみた。
「だから来たのでしょう?わざわざ、」
 私の目は見慣れない暗く染まった街をガラス越しに見下ろした。いつもならこの時間にはもう寝ている。
「こんなところまで」
 この家は街から酷く遠く、そして高い。彼が歩いてくるのには少し不自由する、遠すぎる距離だと思えた。
 彼は私から目を逸らしたそうに身を捩っていたが目を離したら私が何をするか分からないとでも言いたげに私を睨んでいた。まったく、疑り深いことだ。しかしそうでなければ今まで生きてくることはできなかっただろう。私は彼の人生を想像してみて、あまりの簡素さに吐き気を催しそうになった。
「お手伝い致しましょう。どうぞ、おっしゃってください」
 にこやかに笑った見せたが、彼は相変わらず身体を強張らせている。ふぅ。私は一つため息を吐いた。そんなに恐ろしいのならば私になぞ頼まなければよいというのに。どうしたものか。問題を先送りにしかけた私の耳に、か細い声が届いた。
「妻の…ところへ送ってもらいたい。隣町の」
 意識の海に沈みそうになった私の目がしっかりと彼を捉える。彼は苦虫を噛み潰したような(はっ、面白い表現だ)顔で私を見ていた。
 ランプの灯りがちろちろと揺れている。私は二、三頷きつつにっこりと微笑んだ。
「いいでしょう」
「…御代は」
「いりませんよ」
 私は笑みを浮かべたまま彼に歩み寄ると、有無を言わさず頭から噛み砕いて飲み込んだ。床には彼の着ていた服だけが落ちる。後で焼却炉に放り込んでおこうと思いながら嘴の端についた肉片を羽先で取った。
「さ、奥さんのところへ送っていきましょう」
 私の腹の中でね。

 夜目が利かない私はランプを加えるとこれからありつける晩御飯に思いを馳せて夜空へ飛び立った。













 2:髪、緑、綿


 緑の糸をさび付いた針にゆっくりと通していく。これは確か祖母に貰ったものだった。
 二、三回曲がってしまってまるで通る気配のなかったそれは四度目にしてようやく、小指の爪ほどの長さだけ針の穴を通ってくれた。
 安堵の息を零して、針の先を人差し指と親指の腹で挟んだ。頼りなく揺れる細い糸を爪で摘んで引っ張ると、切っていないため糸を巻いてある板がころころと軽い音を立てて回った。自分の片腕ほどまで伸ばした、針山に刺した針と一緒に床に置く。
 私は瞼を閉じてゆっくりと口で呼吸して、そばに置いてあった紙袋を引き寄せた。がさり、と音を立てたそれに手を突っ込んで中からくまを引きずり出す。
 血の通っていない可愛らしい布と綿の塊をフローリングの上に寝かせてやって、私はこれまた祖母に貰った裁縫箱から裁ち鋏を取り出した。
「さてと、」
 唇には笑みが浮かび、楽しさから鼻歌が始まる。リズムに合わせてゆっくりと身体を揺らした。銀色に光る鋏の先がくまのにこやかな顔面を捉えて、その皮膚代わりの布を引き裂いた。びぃい、とまるで泣き声のような音が一人ぼっちのリビングに響いた。私は笑う。くまは笑わない。笑っても怖い。いや、もしかしたら愉快かもしれないが。
 鋏を引き抜いた私は、割れたくまの顔面に手を突っ込んで綿を引きずり出した。ちぎれたり絡み合ったまま伸びたりした綿は私の手に絡みついて放れそうにない。しょうがないな。私はくまの綿が絡みついたままの手を再び突っ込んで、残りの綿も全て引き抜いた。
 空いているほうの手で少し手間取りながら絡みついた綿を引き剥がして、ひとまず手を払う。空っぽになってしまったくまの顔は妙に物悲しく思えて、心なしか黒いボタンの瞳もくすんで見えた。
 可哀想に、泣いているのかもしれない。心の中でごめんね、と謝ってから(どうせ三秒経てばどこかへ行ってしまう気持ちだ)私は再度裁ち鋏を握った。
 息を吐いてから、私は銀色に光る刃を自分の髪に当てる。目をつぶって指を合わせるように動かせば、じょり、という音と共に床に大量の痛んだ金色の髪がばらまかれる音が聞こえてきた。
 薄目を開けて、ついさっきまで髪だった金色の糸を見やる。このくらいでいいだろう。私は裁ち鋏を置くと両手で金の糸をかき集めた。
 毛の塊になってしまったそれを、ぱっくり割れたくまの顔に押し込める。
 全て詰め込んでみると、熊の顔からは金髪が所々はみ出ていたが気にせずにさっき糸を通した針を取って突き刺した。ジグザグに縫い付けて、玉止めもせずに糸を切る。
 特に意味はないのだ。玩具でどう遊ぼうが私の自由であるのだから。随分と不細工になってしまったくまを箱にしまって、私はベッドに横になる。
 私が次に玩具で遊ぶのはいつになるのだろうか、とぼんやり考えていると私の家の屋根ががこん、と外れた。
 除きこんできた彼女は、間延びした声で言う。

 お母さーん、リカちゃんの髪が半分なくなってるー。


 

いつもと書き方を変えてみたような、大して変わってないような。
読んだ後に妙な気分になっていただければこちらとしてはしてやったりです(え
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